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(船だ…)
 初めて見た、とシロエが眺めた窓の向こう。
 E-1077の食堂、其処のガラス窓の向こうは宇宙。瞬かない星が輝く空間。
 此処に来てから、何度目の食事になるだろう。
 ただ黙々と食べていた時、その船たちが戻って来た。
 そう、「船たち」。
 何機もの同じ形をした船、このステーションに所属している練習艇。
 何年生かは知らないけれども、上級生たちが乗っているのだろう。
 自分の年ではまだ乗れない船、宇宙を飛んでゆける船。
 その瞬間に閃いたこと。
 あれに乗ったら、飛び出せる宇宙。
 このステーションから解き放たれて、ほんの束の間、飛んでゆける宇宙(そら)。
(…練習艇でも…)
 船の仕組みは同じ筈。
 遠い星へとワープしてゆく船、それらと何処も変わらない筈。
 違う部分があるとしたなら、恐らくは…。
(搭載している燃料くらい…)
 所詮は練習用の船だし、想定していないワープや恒星間の航行。
 其処を除けば、何もかも多分、同じだろう。
 この牢獄まで自分を乗せて来た船と。
 懐かしい故郷から自分を連れ去り、無理やり運んで来た宇宙船と。
 練習艇の存在は知っていたのだけれども、飛んでいる姿を見たのは初めて。
 格納庫さえも縁遠い場所で、其処へ出掛ける用も無いから。


 けれども、何の前触れも無しに、心の中に住み着いた船。
 E-1077に何隻もある練習艇。
(あれに乗るには…)
 どういう資格が要るのだろうか、自分の年では本当に乗れはしないのか。
 必要な単位を取得したなら、上級生たちの中に混じって飛んでゆくことが出来るだろうか…?
(部屋に帰ったら、調べなきゃ…)
 船に乗れたら、此処から逃れられるから。
 忌まわしい機械が支配する場所、マザー・イライザの手の中から。
(通信回線は繋がってたって…)
 物理的には、何の支配も受けない所が宇宙空間。
 マザー・イライザは、E-1077を離れることは出来ないから。
 万能の神を気取っていたって、その正体はコンピューター。
 メモリーバンクが置かれた此処から、外へと自由に出られはしない。
 出られたとしても、せいぜい幻影。
 母の姿を真似てくる姿、あれを見せるのが限界だろう。
(…気持ちいいよね…)
 マザー・イライザがいない宇宙へ飛び出せたなら。
 憎い機械の目から逃れて、鳥のように自由に飛んでゆけたら。
(間違えました、ってふりをして…)
 故郷の方へと舵を切ることも出来るだろう。
 エネルゲイアがある星へ。
 クリサリス星系のアルテメシアへ、懐かしい星が浮かぶ方へと。


 乗ってみたい、と思った船。
 マザー・イライザの目から逃れられるなら、束の間の自由が手に入るなら。
 逸る心で、返しに出掛けた食事のトレイ。
 走り出したいような気分で、戻った自分に与えられた部屋。
(…訓練飛行……)
 それはいつから許されるだろう、何年経てば飛べるのだろう?
 今はまだ、宇宙に出てゆけるだけ。
 船外活動と称した授業で、無重力での訓練を受けているというだけ。
 どうすれば宇宙を飛べるのだろう、とデータベースにアクセスしてみたけれど。
 自分でも飛べる術は無いかと、様々な手段を探すのだけれど。
(……どう転がっても……)
 今の年では下りない許可。
 トップエリートの成績を取っても、実年齢が邪魔をする。
 目覚めの日を過ぎて間も無い場合は、不安定とされるその感情。
 常に冷静さが要求される宇宙空間、其処での操縦には不向き。
 出来るのは船外活動くらいで、練習艇に乗れる資格は無い。
(パイロットは駄目でも、通信士くらい…)
 そう思うけれど、そちらも不可。
 万一の時には、パイロットに代わって飛べる技術が必要だから。
 このステーションでは成績不良の劣等生でも、他のステーションから見ればエリートばかり。
 通信士といえども、鮮やかに船を操れるもの。
 並みのパイロットよりも巧みに、初の操船でも経験を積んだ人間並みに。


 どうやら乗れはしない船。
 マザー・イライザの手から逃れたくても、束の間の自由が欲しくても。
「どうして…!」
 何故、駄目なんだ、と机に叩き付けた拳。
 途端に気が付く、「この感情が駄目なんだ」と。
 練習艇に乗れないだけで、いらつき、怒りを覚える自分。
 ついさっきまでは、「このステーションから自由になれる」と、とても気分が良かったのに。
 やっと方法を見付け出したと、それは機嫌が良かったのに。
(…目覚めの日を過ぎてから、間も無い場合は…)
 不安定だとされる感情、今の自分はまさにそれ。
 この時期を過ぎたとされる年までは、練習艇には乗り込めない。
 いい成績を収めても。
 最高の点数で必要な単位を取得したって、けして乗せては貰えない船。
 あれに乗れたら、自分は自由になれるのに。
 訓練飛行の間だけでも、ステーションから出られるのに。
(……マザー・イライザ……)
 あの機械め、と思うけれども、マザー・イライザが決めた規則ではないだろう。
 何処のステーションでも規則は同じで、自分の年では乗れない船。
 今、あの船に乗りたいのに。
 あれで宇宙へ出てゆきたいのに、自由に飛んでみたいのに。
 自由に見えても、それは決められたコースでも。
 「間違えました」とミスをしない限りは、故郷に機首を向けられなくても。
(このステーションから出られるだけで…)
 一歩、故郷に近付くのに。
 記憶もおぼろになった故郷に、両親が住んでいる星に。


 一度生まれた夢は消えなくて、どうしても消すことは出来なくて。
 けれど、自分の今の年では、シミュレーターさえも、まだ使わせては貰えない。
 それは必要ないものだから。
 どんなに腕を上げたとしたって、練習艇に乗れる年ではないのだから。
(畜生……!)
 直ぐ其処に自由が見えたのに。
 このステーションから逃れる方法、マザー・イライザから離れる術が見付かったのに。
 なのに開かれない扉。
 固く閉ざされ、まだ開いてはくれない扉。
(…そういうことなら…)
 気分だけでも飛んでやるさ、とデータベースを探してゆく。
 シミュレーターは使えなくても、似たようなものがある筈だから。
 自主練習のためとも言えるシステム、自分の部屋でも訓練を積んでゆけるもの。
(航路設定とかだったら…)
 きっと何かが見付かる筈、と探す間に出会ったもの。
(ふうん…?)
 それは一種のゲームだけれども、明らかに訓練用だと分かる。
 シミュレーターに向かうようになったら、自分の部屋からアクセスして重ねる仮想訓練。
(丁度いいってね)
 今の間に腕を上げれば、最初の訓練飛行では、きっと…。
(ぼくがリーダーになれる筈…)
 航路設定を間違えました、と故郷に舵を切ろうとも。
 教官に酷く叱られようとも、その選択が出来る権利が手に入る。
(…最初にするのは、航路設定…)
 だったらこう、と入れてゆく座標。
 いきなりワープになるのだけれども、故郷のクリサリス星系のもの。
 いつか飛ぼうと、自由になれたら最初に機首を向けようと。


 そうして何度も重ねた練習。
 自由自在に操れるようになった船。
 シミュレーターさえ使えないのに、まだ使わせては貰えないのに。
(ぼくは自由になってやる…!)
 練習艇に乗せて貰える時が来たら、と挑み続けて、その時はついにやって来た。
 マザー・イライザの手から逃れて飛んでゆく時が、自由な宇宙(そら)へ飛び立つ時が。
 ただ一人きりの船だけれども、目指す先は自由。
 チームメイトは誰もいなくて、代わりにピーターパンの本でも。
 行き先は座標も知らない地球でも、きっと其処まで飛んでゆける筈。
 ピーターパンの声が聞こえたから。
 船で宇宙に滑り出したら、いつの間にやら、両親も一緒に乗っていたから。
 だから行ける、と飛んでゆくシロエ。
 この日が来るのを待っていたから、やっと自由な宇宙(そら)へ飛び立てたのだから…。

 

         乗れない練習艇・了

※原作はともかく、アニテラのシロエは訓練飛行はしていないんじゃあ…、と思っただけ。
 逃亡する時も自分で操船してるというより、サイオンだったし…。そういう捏造。






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(無免許の何処が悪いんだ…!)
 誰も困りはしないだろうが、とキャプテン・ハーレイの眉間に寄せられた皺。
 いつも刻まれている皺だけれども、それよりもキモチ深い感じで。
(…どいつもこいつも…)
 この俺を馬鹿にしやがって、と睨み付ける先に航宙日誌。
 ブリッジでの勤務を終えた後には、部屋に帰って書くのが習慣。お気に入りのアイテム、今どきレトロな羽根ペンで。ペン先をちょいとインクに浸して、吸い取り紙も使ったりして。
(その神聖な日誌にだな…!)
 今日も誰かが書き込んだ。羽根ペンの黒いインクとは違う、真っ赤な色で。
 いわゆる赤ペン、それで添削されている日誌。…昨日の分が。
(…確かに俺は無免許なんだが、添削しなくてもいいだろう…!)
 ちょっと免許があると思って威張りやがって、と睨んだ文字。赤ペンであちこちしてある添削、線を引いたり、直したり。
(この字はだな…)
 あいつの字だ、と頭に浮かんだブラウの顔。
 キャプテン・ハーレイの部屋にドッシリ据えられた机、その前に座ったブラウが見えるよう。
 赤ペンを手にして得意満面、添削しまくる航宙日誌。
 なにしろ、ブラウは免許持ちだから。
 その上、無事故無違反なのだし、威張り返るのも無理はない。
(…誰のお蔭で、無事故無違反でいられるんだ…!)
 俺が頑張っているからだろうが、と怒っても無駄。
 いくら頑張っても、無免許な事実。…運転免許を持ってはいなくて、実の所は…。
(……このシャングリラを、無免許運転……)
 それが自分の正体だった。
 誰もが一目置くキャプテン。
 シャングリラの舵を握り続けて長いけれども、持っていないのが運転免許。


 この船で宇宙に飛び出した時は、免許持ちなどいなかった。
 成人検査を受ける前の子供は、宇宙船の操縦なんぞを学びはしない。
 自転車に乗れたらそれで上等、後はせいぜい手漕ぎのボート。
 その状態でミュウに変化したのだし、それから後は実験動物の日々。
(…操縦を教えて貰えるわけがないだろう…!)
 アルタミラにいた研究者たちも、他の人類も、ミュウを動物と思っていただけ。
 だから教わらなかった操縦、ぶっつけ本番で飛び立った宇宙。
 人類が放置して行った船に、これ幸いと乗り込んで。
 データベースから引き出した手順、それの通りに実行して離陸していった。
(その後も、いつも出たトコ勝負で…)
 ああだこうだと試行錯誤で、どうにかこうにか飛んでいた船。
 やがて操縦にも慣れて来たから、ブリッジの面子が固定になって…。
(…俺が一番、上手く操縦していたし…)
 見事に射止めたキャプテンの座。
 そうして今に至るけれども、問題は船の運転免許。
(アルテメシアに来るまでは、特に問題も無くて…)
 運転免許の制度も無かった。
 操縦出来たらそれでオッケー、それがシャングリラだったのに…。
(若い世代が来たモンだから…)
 誰が言い出したか、運転免許の制度が出来た。
 ブリッジで舵を握りたかったら、運転免許をゲットすること。
 シミュレーターで規定の時間を練習、それから実地。
 ついでに筆記試験も必須で、そいつに引っ掛かったのが自分。


(クソ野郎…!)
 よくもああいう妙な制度を、と歯噛みしたって始まらない。
 第一回目の筆記試験に落っこちたことは事実だから。
 キャプテンのくせに落ちたなどとは、プライドにかけて言いたくないし…。
(…次のチャンスは、もう無かったんだ…!)
 試験会場に出掛けて行ったら、「落ちた」事実が皆にモロバレ。
 一緒に試験を受けた連中、それが喋るに決まっている。
 「キャプテンが受けに来ていたぞ」と、シャングリラ中の仲間たちに。
 実は一回目で落ちたらしいと、「キャプテンも大したことはないよな」などと上から目線で。
 一回目の試験に落ちた理由は、不幸な事故というヤツなのに。
 本当に多分、よくある話で、「ああ、あれか…!」と、誰もが言ってくれそうなのに。
(……もう、究極のケアレスミスで……)
 俺が悪いのは分かっているが、と情けない気分。
 記念すべき初回の筆記試験では、サラサラと書けた解答欄。
 選択式の問題も華麗にこなした、キャプテン・ハーレイの面子にかけて。
 「楽勝だな」と鼻で笑って。
 筆記も実技もトップで合格、それでこそシャングリラのキャプテン。
 燦然と輝く成績を刻み、運転免許の第一号を受け取れる筈だと考えたのに…。
(……書き忘れたんだ……)
 自分の名前と、受験番号。
 それを書かずに提出したなら、どんな得点も全て消し飛ぶ大切なブツを。


 試験会場になっていた部屋、其処では全く気付かなかった。自分のミスに。
 解答用紙を提出したって、まるで気付きはしなかった。
 「書き忘れたかも」とは、針の先ほども。
 恐ろしすぎる事実が分かった、その瞬間は…。
(…ゼルたちと採点作業をしていて…)
 名前と受験番号が空欄、そういう間抜けなヤツを見付けた。
 何処の馬鹿だか知らないけれども、絵に描いたような大馬鹿野郎。
(こりゃ無効だな、とゼルたちと笑って…)
 デカデカと書いたバツ印。
 採点用の赤ペンでもって、解答用紙全体にそれは大きく書き殴った。「バツだ、バツ!」と赤いバツ印を。
 「こんな大馬鹿に、このシャングリラを任せられるか」と、解答を無効にする印を。
 それでも気付いていなかったこと。
(…名前と受験番号のトコしか、見なかったしな…)
 まさか自分が書いた解答、それを無効にしたなんて。
 バツ印をつけた無効な用紙は、自分の解答だっただなんて。
 だから、ゼルたちと笑いまくって終わった採点。
 「一人だけ、凄い馬鹿がいた」と。
 名前も受験番号も忘れた、大馬鹿野郎。
 そんな輩に船を任せたら、きっと大惨事になるんだろう、と。


(……しかしだな……)
 採点を終えて、実技試験を受ける面子に通知を出そうとしていた時。
 「ちょいと」とブラウが上げた声。
 筆記試験に不合格だった馬鹿がいる筈なのに、実技試験を受ける面子が一人多い、と。
(…俺や、元から操縦できる連中は…)
 実技は免除になるのだからして、受ける人数は限られてくる。
 筆記試験に落ちた馬鹿野郎を除いた人数、それが実技に挑むというのが筋なのに…。
(…何故だか一人多くてだな…)
 これはおかしい、と始めたチェック。
 もしかしたら、実技試験は免除の誰かが筆記試験に落ちたのか、と。
 そういうことなら、そいつは次回に受け直しだ、と。
(…絶対に、普段はブリッジにいない面子で…)
 デスクワークに励んでいるとか、あるいは農場担当だとか。
 かつて培った操船技術の出番など無くて、運転免許を取りに来たのも…。
(免許があったら、このシャングリラを動かせるんだという証明で…)
 ちょっと女性にモテそうでもあるし、「取れたらいいな」程度の感覚。
 ゆえに入っていないのが気合、心構えも中途半端で…。
(名前も、受験番号も…)
 書き忘れて行きやがったんだ、と決めてかかったし、ゼルたちも同じ。
 けれども、蓋を開けてみたらば…。
(……俺だったんだ……)
 俺の名前が無かったんだ、と悔やんでも悔やみ切れないミス。
 もしもあの時、自分なのだと気付いていたなら…。
(こう、コッソリと…)
 書き入れただろう、自分の名前と受験番号。
 それから採点、きっと浮かった。…ナンバーワンの成績で、きっと。


 そうは思っても、戻れない過去。
 自分で大きく書いたバツ印、それはゼルたちの失笑を買った。
 「なんじゃ、お前か」だの、「あんただったのかい」だのと、盛大に。
 もちろんブルーの耳にも入って、「受け直すんだろう?」と励まされた。
 「次回はトップで受かるといいね」と、「記念すべき第一号の座は逃したけどね」と。
(…そのブルーにも同情されて…)
 運転免許は、個別に交付ということになった。
 キャプテン・ハーレイが落ちたとなったら、もう間違いなく笑いもの。
 そうでなければ、船の仲間が不安を抱く。
 「こんなキャプテンでいいんだろうか」と、「シャングリラの未来はヤバイんじゃあ?」と。
 それはマズイし、運転免許は合格者に届けられるだけ。
 部屋に直接、「どうぞ」とキッチリ封筒に入れて。
 今までに何人合格したのか、それさえ分からないように。
(…だから、バレてはいないんだが…)
 長老たちとブルー以外は全く知りもしないのが、キャプテンは実は無免許なこと。
 それをいいことに、今日もこうして…。
(……嫌がらせなのか、免許持ちなのを自慢したいのか……)
 添削される航宙日誌。
 赤ペンで、今日はブラウの文字で。
(…明日あたり、ブルーが来そうな気がする…)
 ブルーも持っている免許。
 キャプテンが落ちたと知った途端に、「ぼくも受けるよ」と言い出して。
 落ちたキャプテンがカッコ悪くて受けられない試験、その会場にやって来て。


(それで合格しやがって…!)
 ブラウたち長老も全員合格しているのだから、添削されまくる航宙日誌。
 免許を持っている優位な立場で、偉そうに。
 「こうじゃない」とキャプテンの日誌をサクサク採点、赤ペンであれこれ書いて行くから…。
(…俺に万一のことがあったら…)
 皆はいったいどう思うだろう、赤ペンだらけの航宙日誌を。
 「此処を直して」などと書かれたヤツを。
(…俺が生きてる間はいいが…)
 死んだら全部バレるんだな、と泣きたいキモチ。
 無免許だった件はともかく、採点されていたことが。
 赤ペンであちこち直されるような、無様な日誌を毎晩つけていたことが。
 直しの理由はまるで無いのに、何処も間違ってはいないのに。
(…それでも書いてしまうのが…)
 俺の性分、と持った羽根ペン。
 明日はブルーに直されるとしても、せめて訂正が減るように、と。
 字だけでも綺麗に書いておかねばと、そうすれば少しはマシになるかもしれないから、と…。

 

         無免許なキャプテン・了

※「キャプテン・ハーレイが無免許」というのは、実はハレブルの方にある設定。
 そちらは至って真面目ですけど、ネタで書いたらこうなったオチ。航宙日誌に赤ペン先生。






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(…私の他にはいないだろうさ)
 宇宙広しといえども一人も、とキースが唇に浮かべた笑い。
 国家騎士団にも、宇宙海軍にも、誰一人として。
 けれど決めた、と迷いなど無い。
 サムの血で出来た、赤いピアスをつけること。
 グランド・マザーは「否」とは言わなかったから。
(軍規も一応、あるのだからな)
 任務を離れた時はともかく、それ以外では禁止されるのが装身具。
 勲章などは許可されていても、耳にピアスは許されない。
 だから尋ねた、グランド・マザーに宛てて。
 「友の血で作ったピアスをつけても、よろしいでしょうか」と丁寧に。
 拒否されたとしても、つけるつもりではいたけれど。
 任務は結果が全てなのだし、ピアスをつけても成果を上げればいいだけのこと。
 これまで通りに、これまで以上に、ただ淡々と。
(しかし、マザーは…)
 何の返事も寄越さなかったし、許可されたと見ていいだろう。
 同じ時に送ったジルベスター星系に関する質問、それへの答えは来たのだから。
(…つまり、つけてもいいらしいな?)
 これで何処でも、堂々と。
 「グランド・マザーの許可は得ている」と、「マザーに問い合わせてくれてもいい」と。
 もっとも、そんな度胸を持った者など、恐らくいないだろうけれど。
 マザーが許可を出したと聞いたら、誰もが黙るだろうけども。


 もうすぐ出来る予定のピアス。
 検査のためにとサムから採られた、血液の一部を加工して。
 サムは検査を酷く嫌うから、ピアス用にと採血させはしなかった。
 「既にあるものを加工しろ」とだけ、病院の方にも伝えることを忘れなかった。
 子供の心に戻ったサムには、採血用の針は怖いだけなのだから。
(私と一緒だった頃のサムなら、平気だったろうにな…)
 E-1077での、候補生時代。
 あの頃のサムなら、採血どころか大手術でさえも、きっと笑っていただろう。
 「大したことじゃねえよ」と、「ちょっと痛いかもしれねえけどな」と。
 強い心を持っていたサム、死ぬことさえも恐れなかった。
 入学して間もない頃の事故では、ただ一人だけで自分について来てくれたから。
 上級生たちさえも出ようとしないで、去ってしまった宇宙船の事故。
 救助に行こうと支度していたら、サムも隣で開けたロッカー。
 「船外活動は得意なんだ」と、「しっかり食って、しっかり動く。それだけさ」と。
 宇宙へ救助に出掛けてゆくこと、それだけでも危険だったのに。
 其処で制御を失った自分を、サムは迷わず助けてくれた。
 命綱すらつけもしないで、命懸けで。
 しかも命を懸けたことさえ、まるで自覚の無いままで。


 それほどまでに強かったサム。
 強くて、優しかったサム。
 サムほどに強く優しい男を、今も自分は知らないのに…。
(…あそこで何があったんだ…?)
 ジルベスターでMに出会った恐怖か、彼らがサムに何かをしたか。
 サムの心は壊れてしまって、チーフパイロットを殺したという。
 持っていたナイフで一撃の下に。
 死んだパイロットと血染めのナイフと、返り血を浴びたサムの顔。
 それが、漂流していた船を発見した者たちが中で目にしたもの。
(お蔭でサムは殺人犯で…)
 罪には問われないというだけ、心が子供に返ってしまって正常ではない状態だから。
 優しかったサムに、人を殺せはしないのに。
 どう考えても、それは事故でしか有り得ないのに。
 だから悔しい、サムの仇を討ちたいと思う。
 サムを壊したMを探し出して、根こそぎ宇宙から滅ぼすこと。
 そのためにジルベスターを目指すし、サムの血と共に在ろうと思う。
 友と呼べる者はサムだけだから。
 今もやっぱり、ただ一人きりの友だから。


 そうするために選んだピアス。
 サムの血で作ったピアスを身につけ、何処までもサムと共にゆく。
 赤い血のピアス、それが血だとは誰も気付きはしなくても。
 「男のくせにピアスなのか」と、冷たい瞳で見られたとしても。
 グランド・マザーが許したとはいえ、「ピアスをつけた男」には違いないのだから。
 傍目には女々しい男と見えるか、はたまた洒落者と思われるのか。
(…どうせ、誰にも…)
 自分の真意は分かりはしないし、伝えようとも思わない。
 話したいという気持ちすら無い、誰も知らないままでいい。
 サムの他には友はいないし、他に欲しいとも思わない。
 自分の周りに、そうしたい者はいないから。
 友と呼びたい者もなければ、友にしたい者も今日まで一人も見なかったから。
(…もしもシロエが生きていたなら…)
 上手く機械と折り合いをつけて、生き延びてくれていたならば。
 彼ならば友に成り得たと思う、憎まれ口を叩いても。
 「またですか?」と嫌そうな顔で、何かといえば喧嘩ばかりでも。
 けれどシロエは自分が殺して、とうに宇宙から消えた人間。
 だから友など見付からない。
 今までも、そしてこれから先も。


(…サムだけなんだ…)
 自分と共に在れるのは。
 共に在りたいと今も思う「友」は、命を懸けてもいい友は。
 サムの血のピアス、それがサムへの友情の証。
 ピアスにしようと決めた理由は二つある。
 一つは、「邪魔にならない」こと。
 耳は動かす部分ではないし、其処にピアスをつけていたって、動きを束縛されないから。
 たとえ肉弾戦になろうと、自分の邪魔にはならないピアス。
 せいぜい耳たぶが千切れる程度で、そのくらいの傷は掠り傷とも言わない。
(これがペンダントの類だと…)
 きっと何処かで邪魔になる。
 「邪魔だ」と感じる時が来る筈、サムの血を「邪魔」と思いたくはない。
 ほんの一瞬、反射的に感じただけだとしても。
 直ぐに「違う」と思い直しても、一度「邪魔だ」と考えたならば…。
(サムを邪魔だと言うのと同じ…)
 そうならないよう、ピアスを選んだ。
 鏡に映して眺めない限り、自分の目では見られなくても。
 ただ指で触れて「此処にいるな」と思うだけしか、サムを確かめる術が無くても。


 そしてもう一つ、そちらの方が遥かに大切。
 自分の身体に傷をつけねば、ピアスをつけることは出来ない。
 耳たぶに穴を開けること。
 ほんの僅かな赤い血と痛み、けれどもピアスをつけるためには欠かせないもの。
 サムがMたちに壊された痛み、それはどれほどのものだったか。
 想像さえもつかないものだし、きっとサムにしか分からない。
 サムを襲った痛みと苦しみ、心が壊れてしまうほどのそれ。
(…少しだけでも…)
 分かち合いたいと思うのが友、だからこそ開けるピアス用の穴。
 両方の耳に、サムの血と共に在るために。
 ピアスをつけないのならば必要ない傷、それを自分の身体に刻む。
 どんな拷問にも耐えられるように訓練を受けた、今の自分の身体には…。
(蚊が刺したほども痛まなくても…)
 まるで痛みを感じなくても、耳のその部分に風穴は開く。
 風穴と呼ぶにはささやかすぎて、針で刺した程度の大きさでも。
 向こう側さえ見えないくらいに、放っておいたら直ぐに塞がりそうなくらいに小さくても。
(それでも、傷は傷なのだからな)
 だからピアスだ、と触れてみる耳。
 今は傷一つ無い耳だけれど、じきに小さな穴が開く。
 サムの血のピアスをつけてやるために、何処までもサムとゆくために。
 ジルベスターへも、Mがいるだろう蛇や悪魔の巣窟へも。


(じきに行ってやるさ)
 サムを壊したMの拠点へ、友が流した血の報復に。
 殺人犯にされてしまったサムの代わりに、Mどもを全て血祭りに上げる。
 返り血を浴びたサムの写真は、血まみれの姿だったけれども…。
(…私の方は、耳に血のピアスだ)
 Mが気付くか、気付かないままか、気付いたならばどう出て来るか。
 ジルベスターではどうなるにしても、自分はサムと共にゆく。
 サムの血で出来たピアスが出来たら、両方の耳に開ける穴。
 それが自分の決意だから。
 何処までもサムと共にゆこうと、サムと在ろうと、そのために選んだサムの血のピアス。
(少しだけでも、「痛い」と思えればいいのだがな…)
 ピアス用の穴を開ける時。
 サムの痛みを、サムの苦痛を少しでも分かち合いたいから。
 傷から溢れるだろう血だって、ただの一滴ではない方がいい。
 その血の分だけ、サムの所へ近付けるから。
 ピアスが無ければ無いだろう傷、それが深くて酷く痛むほど、サムの心に近付けるから。
 耳たぶに穴を開ける時には、願わくば出来るだけ強い痛みを。
 開ける時に必ず流れ出す血も、出来るだけ多く。
 サムはそれより、遥かに多く苦しんだから。
 Mに心を壊されたサムは、この先もずっと、元に戻りはしないのだから…。

 

        選んだピアス・了

※どうしてサムの血のピアスだったんだ、と考えていたら、こうなったオチ。
 ピアスは実際、動くのに邪魔にならないわけで…。ドッグタグというのもありますけどね。






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「一切の記憶を捨てなさい。あなたは全く新しい人間として…」
 地球の上に生まれ落ちるのです、と告げられた声。ブルーの頭の中で。
 それが誰かは分からないけれど、女性の声。「一切の記憶を捨てなさい」と。
(ぼくの記憶…)
 今日まで生きて来た日々の、自分の記憶。
 それを捨てろと、捨ててしまえと命じられるのが「成人検査」の正体。
 誰も教えてはくれなかったけれど、健康診断の一種なのかと頭から信じていたけれど。
 呼びに来た係は看護師だったし、検査に付き添う者も看護師。
 成人検査に使う機械も、医療用のそれに見えたから。
(これが成人検査だなんて…!)
 騙されたのだ、と悟った瞬間。
 成人検査について教えてくれた学校の教師に、検査を受けに来た此処の職員たちに。
(忘れるなんて…。全部忘れて、違う人間になるなんて…!)
 嫌だ、と悲鳴を上げた途端に弾けた何か。…そして本当に起こった爆発。
 気付けば機械は砕け散っていて、宙に浮かんでいる幾つもの破片。
(…いったい何が…?)
 事故でも起こったのだろうか、と呆然と眺めた金属片。
 其処に映っている顔は…。
(…これが、ぼく…?)
 嘘だ、と見開いてしまった瞳。
 破片に映った自分も瞳を見開くけれども、その瞳の色。
(……ぼくの目じゃない……)
 赤い、と見詰めた破片の中。
 水色だった瞳は赤に変わって、金色の髪も今は銀色。
 とても自分とは思えないのに、それは間違いなく自分自身で…。


(ぼくじゃない…!)
 こんなのは、ぼくの姿じゃない、と愕然とした所でフッと覚めた目。
 上の方には見慣れた天蓋、「青の間」と呼ばれる自分の部屋。
(……夢……)
 夢だったのか、と何度か瞬きした瞳。
 側に鏡は無いのだけれども、きっと瞳は赤いだろう。
 今の自分が持っている色はそうだから。
 赤い瞳に銀色の髪で、色素が抜けてしまったアルビノ。
 もうこの姿で長く生きたし、とうに馴染んでいるけれど。
 「変だ」と思いもしないけれども、久しぶりに見た遠い日の夢。
 あれは本当に起こった出来事、全てが変わってしまった、あの日。
 金色の髪と水色の瞳を失くした自分は、一切のものを失くしてしまった。
 未来も、「人」として生きてゆく権利も。
 成人検査用の機械を壊したサイオン、それが目覚めてしまったから。
 「ミュウ」と呼ばれる異人種になって、もう人権は無かったから。
(…あの時から、ぼくは…)
 もう人間じゃなくなったんだ、と痛烈に思い知らされる。
 「殺さないで」と悲鳴を上げていた看護師。駆け付けて来た保安部隊の者たち。
 彼らは自分に銃口を向けて、問答無用で撃ったから。
 「ぼくは何もしない」と訴えたのに、聞く耳も持たなかったのだから。
(…無意識の内に、サイオンで弾を止めなかったら…)
 きっと自分は死んでいたろう、機械の破片が浮いていた部屋で。
 撃ち殺された後の身体は、切り刻んで調べられたのだろう。
 「こいつに何が起こったのか」と、「どういう理由で変化したか」と。
 そして研究室に並ぶサンプル、元は自分の一部だったもの。
 赤い瞳や、脳などが入った幾つものケース。
 自分の名前のラベルが貼られて、いつでも取り出して調べられるように。


 嫌な夢だ、とベッドの上に起き上がる。
 自分は辛くも生き延びたけれど、その後の地獄も無事に脱出できたのだけれど。
 この瞬間にも、きっと何処かで同じ目に遭っているだろう仲間たち。
(…タイプ・ブルーは、今も確認されていないが…)
 そういう情報は来ていないから、自分と同じに変化した者はいないと思う。
 けれど「ミュウだ」と判断されたら、待っているものは「死」でしかない。
 その場で撃たれて処分されるか、実験動物として扱われるか。
 もとより生かすつもりは無いから、過酷な人体実験の末に迎えるだろう「死」。
 死体は刻まれて保存されたり、ゴミ同然に廃棄されたり。
(…ぼくは何人も助けたけれど…)
 処分されそうになったミュウの子供を、何人も助け出したのだけれど。
 それが出来るのは、この星でだけ。
 シャングリラと名付けたミュウの箱舟、白い鯨が雲海に潜むアルテメシアだけ。
 他の星では、手も足も出せはしないから。
 ミュウの子供が何処にいるのか、それさえ掴めはしないのだから。
(…ぼくたちが此処で助けた以上に…)
 その何倍も、何十倍も。
 あるいは何百倍かもしれない、何千倍でもおかしくはない。
 膨大な数だろうミュウの子供たち、彼らが命を落としていても。
 研究施設に送り込まれて、死に続く道を歩んでいても。
(ソルジャー・ブルーと名乗ったところで…)
 ミュウの長だと宣言したって、変わることなど何一つない。
 自分は何も変えられはしない、この星、アルテメシアでさえも。
 発見されては処分されてゆくミュウの子供たち、彼らを救うことしか出来ない。
 それも「間に合った」時にだけ。
 運よく事前に発見したとか、救出が間に合ったとか。
 そうでない時は、救い出せない子供たち。
 最期の思念がこの胸を貫き、儚く消えてゆくというだけ。悲鳴だったり、泣き声だったり。


 この船で何度、歯噛みしたことか。
 「救えなかった」と、「どうして早く気付かなかった」と。
 ソルジャーと言っても名前ばかりだと、「戦士」でさえありはしないのだと。
 名前通りに戦士だったら、戦い、敵を倒せるだろうに。
 ミュウを端から殺すシステム、それを打ち砕けるのだろうに。
 けれど自分は「助けて逃げる」ことしか出来ない、殺されかかった子供たちを。
 子供たちを殺せと命じる機械を壊すことさえ、今の自分には叶わない。
 SD体制を敷いた地球のシステム、グランド・マザーが宇宙に広げたネットワークの…。
(この星の分だけの端末さえも…)
 破壊できずに、見ているしかないテラズ・ナンバー・ファイブという機械。
 ミュウの子供を発見しようと見張る機械を、成人検査を行う「それ」を。
 戦士だったら、戦って壊すべきなのに。
 端から機械を壊さない限り、ミュウの子供は殺されてゆくだけなのに。
(…ぼくの代で、いったい何処まで出来る…?)
 何処まで変えることが出来るのか、この世界を。…この理不尽なシステムを。
 ミュウというだけで殺す世界を、ミュウが生きられない今の時代を。
(…人類と手を取り合えたなら…)
 分かり合うことが出来たなら、と思うけれども、夢のまた夢。
 さっき自分が見た夢と同じ、人類はミュウを「殺す」だけ。
 そうでなければただ恐れるだけ、「殺さないで」と。
 ミュウの力を、サイオンを思念を忌み嫌うだけ。
 自分一人では何も出来ない、「ソルジャー・ブルー」と名乗りはしても。
 ミュウの長だと人類たちに認識されても、船の仲間たちに崇め、敬われても。
(ぼくには力も、それだけの時間も…)
 どう考えてもありはしない、と思うのは自分の命の「終わり」。
 それが来るまでに何が出来るか、一つでも変えてゆけるのかと。
 ミュウの時代に続く扉を見付けられるか、扉の鍵を開けられるかと。


 燃えるアルタミラを脱出してから、今日までに流れた長い歳月。
 ミュウは長寿で、外見さえも若く留めておけるけれども。
(…それでも、不老不死じゃない…)
 自分の寿命はどれほどあるのか、あとどのくらい生きられるのか。
 ミュウの子供を助け出すのが精一杯の今を、無力な自分を変えられるのか。
(ぼくの命が燃え尽きる前に…)
 神が一つだけ、願いを叶えてくれるなら。
 人の力では成し得ないこと、奇跡を起こしてくれるのならば。
(…ぼくは、地球より…)
 ミュウの未来を選ぶのだろう、と思うのは自分が「ソルジャー」だから。
 皆を導いて此処まで来たから、きっと最期まで自分はソルジャーだろうから。
 ミュウの長なら、そう名乗るのなら、捨てねばならない「自分のこと」。
 それだけの覚悟は出来ているけれど、いつでも「自分」を捨てられるけれど。
(…ぼくの思いだけで選んでいいなら…)
 青い地球を、と願う気がする。
 死の床に就いて、神に願いを問われたら。
 どんなことでも「一つだけ」夢を叶えてやろうと、神が耳元で囁いたなら。
(ぼくにしか聞こえない声ならば…)
 青い地球まで連れて行って欲しい、この目で地球を最期に見たい。
 そうは思っても、選べないとも、また思う。
 さっきのような夢を見る度、自分の力の限界を思い知らされるから。
 生きている間に何処までやれるか、まるで自信が無いのだから。
(ぼくはきっと、いつか…)
 地球への夢を捨てる気がする、仲間たちのために。
 ミュウが殺されずに生きてゆける世界、その礎となるために。
 そうなれば地球は見られないけれど、自分の命が役に立つならそれでいい。
 名前ばかりでも、ソルジャーだから。
 ソルジャー・ブルーと名乗った以上は、死の瞬間まで「自分」を捨てねばならないから…。

 

         長としての道・了

※「地球を見たかった」というブルーの呟き、あれが未だに忘れられない管理人。
 長としての自分はどうあるべきか、ずっと考えていたんだろうな、と思っただけ。
 いや、実は前PCがブルー様の祥月命日の翌日にクラッシュ、新PCは酷い不良品でね…。
 「本体もOSも壊れてる」なんて思わないから、2週間もそいつと戦ってたオチ。
 不良品だと分かって交換、「自分を取り戻したくて」リハビリにブルー。見逃して下さい。






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(ソルジャー・ブルー…。今はあなたを信じます)
 ぼくにはもう、それしかない、と決意したジョミー。
(これ以上、ぼくのような子供を出さないために、ぼくはミュウとして生きよう)
 そう決断して、気持ちを切り替えたつもりだったのに。
 「ぼくへの印象も変えてみせる」と、立派な覚悟を固めたのに。
 いきなりズッコケたのが三日後、そう、ソルジャー・ブルーに後継者として指名されてから。
 目覚まし時計のアラームで起きて、颯爽とベッドから飛び出したまではいいけれど…。
(顔を洗ったら、着替えて食堂で朝御飯…)
 その朝食も、長老たちに囲まれて食べることになる。
 なにしろ今の自分への風当たりは最悪、同じ年頃のミュウたちからは総スカン。
 まさにハブられていると言った所で、誰も側には来てくれない。前に喧嘩したキムはもちろん、そのお取り巻きも、女子たちも。
(…いいんだけどね…)
 今に認めて貰うんだから、とシャカシャカ歯磨き、顔も洗った。パジャマを脱いだら、ミュウの誰もが着ている制服、それに着替えて食堂だけれど…。
(……あれ?)
 ぼくの服は、と見回した。
 昨夜、確かに制服を此処に置いた筈、と眺めた椅子にあったのは…。
(…なんで女子用?)
 見間違いだろうか、とゴシゴシ擦った両目。
 けれども、それは女性用の服。間違えようもない色とデザイン、手に取ってみても。
(……寝ぼけてるとか?)
 しっかりしろ、と叩いた頬っぺた。朝っぱらから夢を見るようでは、と。
 それから改めて見直してみても、制服はやっぱり女性用だから。
(…えーっと…?)
 他の服は、とクローゼットを開けた途端に出た悲鳴。
 「ギャッ!」だか、「どわっ!?」だか、「うぎゃあ!?」だか。


 この船で生きる、と決心した時、ソルジャー・ブルーが届けて寄越した制服。
 着替え用も含めて数はドッサリ、クローゼットにドンと山盛り。
 なんと言ってもソルジャー候補で、日々の訓練も大変だからというわけで。…汗をかいたら日に何回でも、着替えオッケーという心配りで。
 だからクローゼットの中にはドッサリ、替えの制服がある筈なのに…。
「…な、なんで…?」
 空っぽなわけ、と疑ってしまった自分の目。「これは嘘だ」と。
 クローゼットはまるっと空っぽ、制服は一着も入ってはいない。あんなにドッサリあったのに。
「も、もしかして…」
 盗まれちゃった? と頭に浮かんだキムたちの顔。
(ぼくがソルジャー候補だなんて、って…)
 キムたちが向けて来る露骨な敵意。
 他のミュウたちも「ソルジャー・ブルーが倒れたのは、あの子のせいだ」と視線が冷たい。
 そういう立場にいるのだからして、こういったことも有り得るだろう。
(……これって、イジメ…?)
 アタラクシアの学校だったら、イジメは厳重注意になる。場合によってはカウンセリングルーム送り、それが鉄則なのだけれども。
(……ミュウの船だと……)
 大手を振ってまかり通ることもあるかもしれない。ミュウ同士だったらやらないとしても、元は人類くずれな自分が相手なら。


 イジメなのかも、と愕然とした今の状況。
 長老たちとの朝食の時間が迫っているのに、何処にも見当たらない制服。
(…そんな……)
 ヤバイ、と慌てまくっている間に、シュンと開いたのが扉。
「ジョミー・マーキス・シン!」
 今、何時だと思っとるんじゃ、と仁王立ちしたゼル機関長。頭からシュンシュン湯気が出そうな勢いで。今にも蹴りを繰り出しそうな表情で。
「…そ、それが…。ぼ、ぼくの服が…」
 無いんです、とガバッと頭を下げた。無いものは無いし、どうにもならないから。
 もう明らかに女性用の制服、それが一着あるだけだから。
「服なら、其処にあるじゃろうが!」
 早く着替えんか、と顎をしゃくってから、ゼル機関長が「ん…?」と引っ張った髭。しげしげと椅子の上のを眺めて、「女性用じゃな」と。
「そうなんです…! ぼくが起きたら、こうなっていて…!」
 クローゼットもすっかり空で、とジョミーは懸命に訴えた。
 服が無いのでは着替えられないし、食堂にだって行ける筈がない。パジャマで行ったら非常識の極み、だから此処から出られないのだ、と。
「ふむ…。分かった、待っておるがいい」
 仕方ないのう、と頭を振り振り、出て行ったゼル。
(……助かった……)
 叱られなかった、とホッとついた息。
 きっとその内、消えた制服が届くのだろう。「誰が盗んだんじゃ!」というゼルの一喝で。
 何処かのトイレやゴミ箱とかに、放り込まれていなければ。…一着でも無事に帰ってくれば。


 服が戻るまで待っていよう、とパジャマ姿で腰掛けたベッド。特にすることも無いものだから。
(…イジメだなんて…)
 ミュウもけっこうキツイよね、と泣きそうなキモチ。
 まさか着て行く服が消えるとは思わなかった。全部盗られて、代わりに女性用のが一着なんて。
(…でも、ゼルが来たし…)
 じきに制服が戻って来るよ、と涙を堪えていたら、扉が開いたのだけど。
「おはよう、ジョミー。…災難だってねえ?」
「制服が消えたと聞いたのですが…。ええ、ゼルから」
 そう言いながら入って来たのは、ブラウとエラ。長老たちの中の女性陣。
 なんでこの二人、と思う間も無く、彼女たちは椅子の上の服を見下ろして頷いた。
「安心しな。これでもブラウ様は女だよ?」
「私もです。服のことなら任せなさい」
 さあ、とエラが手にした制服。「まずは、これです」と。
「…え?」
 そう言って差し出されても困る。
 女性用の服の知識はサッパリだけれど、エラが差し出して来たズボンもどきだか、タイツだか。
「いいから、早く着替えて下さい。ズボンを脱いで」
「そうだよ、ヒルマンとゼルが待ってるんだしさ」
 早く着替えな、とブラウの方も容赦なかった。「それを履いたら、次はコレだ」と。
(…ちょ、ちょっと…!)
 ソレを着るのか、と慌てたけれども、エラとブラウの目がマジなオチ。
 つまりいつもの制服の代わりに、女性用を着ろと言っている二人。
(……嘘だ……)
 こっちも充分、イジメじゃないか、と唖然呆然。
 けれど、長老の二人に逆らったら後が無いのも本当だから…。


 泣く泣く履いた、ピッタリと足にフィットするタイツ。
 お次はワンピース風の上着で、長い手袋もはめて、ブーツを履いて…。
「…イマイチだねえ…」
 どうにも此処が落ち着かないよ、とブラウがチョンとつついた胸元。
 本来あるべき膨らんだバスト、それが無いから締まらない感じ。
「サイズはピッタリなのですが…。きっとマリーの制服でしょう」
 このサイズなら、と頷き合っている女性陣。
 マリーが誰だか知らないけれども、いくら背丈が同じにしたって、バストは無理。
(余ってるのが当然だから…!)
 ぼくに着せる方が間違ってるから、と叫びたくても勇気が出ない。エラとブラウの機嫌を損ねてしまった時には、もっと恐ろしいことになりそうだから。
(…ぼくにバストは絶対、無理…!)
 無いものは無い、と突っ立っていたら、「そうだ!」とポンと手を打ったブラウ。
「詰め込んじまえばいいんだよ。此処のトコにさ」
「そうですね。何か詰めるものは…」
 あったでしょうか、とエラがキョロキョロ、「ハンドタオルがあるだろ?」とブラウがニヤリ。
「丁度いい筈だよ、あれを丸めて突っ込んだらさ」
「ええ、そうしましょう。でも…」
 型崩れしては困りますし、とエラは部屋から出て行った。「アレも要るわ」と。
 そして戻って来た時には…。
(…あれって、ブラジャー…!?)
 そこまでですかい! とブワッと溢れた涙。
 ブラジャーまで着けて女性用の制服なのかと、「これって、女装と言うんじゃあ?」と。


 そんなこんなで、着せられてしまった女性用。
 多分、マリーとかいう女性が着ている制服、それをキッチリ着る羽目になった。
 あまつさえ、バストがきちんと膨らんだ途端に…。
「それじゃ、行こうか。…ヒルマンたちが待ってるからね」
「そうですよ、ジョミー。朝食の後の、今日のカリキュラムは…」
 これとこれと、と指を折るエラとブラウの二人に引き出された通路。
「ちょ、この格好で歩くわけ…!?」
「当たり前でしょう、何のために制服を着たのです?」
「とっとと歩きな、遅いんだから」
 今日は思いっ切り遅刻じゃないか、とブラウがズンズン歩いてゆく。エラだって。
(…そ、そんな…!)
 マジですかい! と泣きの涙で踏み出したジョミー。女性用の制服、バストつきで。
 その日は素敵に視線が痛くて、行く先々で感じる笑いの思念。
(……茨道だよ……)
 なんだって、ぼくがこんな目に、と嘆いてみたって、「修行不足」の一言で切って捨てられた。
 きちんとサイオンを使えていたなら、盗人の侵入に気付く筈。
 無様に制服を盗られはしないし、女性用を着るようなことにもならなかった、と。
(……修行しないと……)
 こういう日々が続くんだ、と思い知らされたジョミー。
 女装が嫌なら特訓あるのみ、と今日も頑張るソルジャー候補。
 長老たちはイジメを容認、「これも上達への早道じゃ」などと言うものだから。
 誰も助けてくれはしなくて、ソルジャー・ブルーにも「頑張りたまえ」と励まされたから。


(…このイジメって…)
 まさかブルーが一枚噛んでいないよね、と思うけれども、読めない心。
 ソルジャー・ブルーが仕掛けたかどうか、あるいは長老たちなのか。
(とにかく努力…)
 でないと永遠に女装なんだよ、とジョミーは今日も頑張り続ける。
 自分の制服はまだ戻って来ないし、ソルジャー候補の制服も出来てこないから。
 このとんでもない女装人生、それを抜け出すには、とにかく努力あるのみだから…。

 

          盗られた制服・了

※女装ネタで書こう、と思ったわけではなかった話。空からストンと降って来ただけ。
 書こうと思って考えたんなら、女装するのはブルーの筈。…自分の頭が真面目に謎だわ。






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