「一切の記憶を捨てなさい。あなたは全く新しい人間として…」
地球の上に生まれ落ちるのです、と告げられた声。ブルーの頭の中で。
それが誰かは分からないけれど、女性の声。「一切の記憶を捨てなさい」と。
(ぼくの記憶…)
今日まで生きて来た日々の、自分の記憶。
それを捨てろと、捨ててしまえと命じられるのが「成人検査」の正体。
誰も教えてはくれなかったけれど、健康診断の一種なのかと頭から信じていたけれど。
呼びに来た係は看護師だったし、検査に付き添う者も看護師。
成人検査に使う機械も、医療用のそれに見えたから。
(これが成人検査だなんて…!)
騙されたのだ、と悟った瞬間。
成人検査について教えてくれた学校の教師に、検査を受けに来た此処の職員たちに。
(忘れるなんて…。全部忘れて、違う人間になるなんて…!)
嫌だ、と悲鳴を上げた途端に弾けた何か。…そして本当に起こった爆発。
気付けば機械は砕け散っていて、宙に浮かんでいる幾つもの破片。
(…いったい何が…?)
事故でも起こったのだろうか、と呆然と眺めた金属片。
其処に映っている顔は…。
(…これが、ぼく…?)
嘘だ、と見開いてしまった瞳。
破片に映った自分も瞳を見開くけれども、その瞳の色。
(……ぼくの目じゃない……)
赤い、と見詰めた破片の中。
水色だった瞳は赤に変わって、金色の髪も今は銀色。
とても自分とは思えないのに、それは間違いなく自分自身で…。
(ぼくじゃない…!)
こんなのは、ぼくの姿じゃない、と愕然とした所でフッと覚めた目。
上の方には見慣れた天蓋、「青の間」と呼ばれる自分の部屋。
(……夢……)
夢だったのか、と何度か瞬きした瞳。
側に鏡は無いのだけれども、きっと瞳は赤いだろう。
今の自分が持っている色はそうだから。
赤い瞳に銀色の髪で、色素が抜けてしまったアルビノ。
もうこの姿で長く生きたし、とうに馴染んでいるけれど。
「変だ」と思いもしないけれども、久しぶりに見た遠い日の夢。
あれは本当に起こった出来事、全てが変わってしまった、あの日。
金色の髪と水色の瞳を失くした自分は、一切のものを失くしてしまった。
未来も、「人」として生きてゆく権利も。
成人検査用の機械を壊したサイオン、それが目覚めてしまったから。
「ミュウ」と呼ばれる異人種になって、もう人権は無かったから。
(…あの時から、ぼくは…)
もう人間じゃなくなったんだ、と痛烈に思い知らされる。
「殺さないで」と悲鳴を上げていた看護師。駆け付けて来た保安部隊の者たち。
彼らは自分に銃口を向けて、問答無用で撃ったから。
「ぼくは何もしない」と訴えたのに、聞く耳も持たなかったのだから。
(…無意識の内に、サイオンで弾を止めなかったら…)
きっと自分は死んでいたろう、機械の破片が浮いていた部屋で。
撃ち殺された後の身体は、切り刻んで調べられたのだろう。
「こいつに何が起こったのか」と、「どういう理由で変化したか」と。
そして研究室に並ぶサンプル、元は自分の一部だったもの。
赤い瞳や、脳などが入った幾つものケース。
自分の名前のラベルが貼られて、いつでも取り出して調べられるように。
嫌な夢だ、とベッドの上に起き上がる。
自分は辛くも生き延びたけれど、その後の地獄も無事に脱出できたのだけれど。
この瞬間にも、きっと何処かで同じ目に遭っているだろう仲間たち。
(…タイプ・ブルーは、今も確認されていないが…)
そういう情報は来ていないから、自分と同じに変化した者はいないと思う。
けれど「ミュウだ」と判断されたら、待っているものは「死」でしかない。
その場で撃たれて処分されるか、実験動物として扱われるか。
もとより生かすつもりは無いから、過酷な人体実験の末に迎えるだろう「死」。
死体は刻まれて保存されたり、ゴミ同然に廃棄されたり。
(…ぼくは何人も助けたけれど…)
処分されそうになったミュウの子供を、何人も助け出したのだけれど。
それが出来るのは、この星でだけ。
シャングリラと名付けたミュウの箱舟、白い鯨が雲海に潜むアルテメシアだけ。
他の星では、手も足も出せはしないから。
ミュウの子供が何処にいるのか、それさえ掴めはしないのだから。
(…ぼくたちが此処で助けた以上に…)
その何倍も、何十倍も。
あるいは何百倍かもしれない、何千倍でもおかしくはない。
膨大な数だろうミュウの子供たち、彼らが命を落としていても。
研究施設に送り込まれて、死に続く道を歩んでいても。
(ソルジャー・ブルーと名乗ったところで…)
ミュウの長だと宣言したって、変わることなど何一つない。
自分は何も変えられはしない、この星、アルテメシアでさえも。
発見されては処分されてゆくミュウの子供たち、彼らを救うことしか出来ない。
それも「間に合った」時にだけ。
運よく事前に発見したとか、救出が間に合ったとか。
そうでない時は、救い出せない子供たち。
最期の思念がこの胸を貫き、儚く消えてゆくというだけ。悲鳴だったり、泣き声だったり。
この船で何度、歯噛みしたことか。
「救えなかった」と、「どうして早く気付かなかった」と。
ソルジャーと言っても名前ばかりだと、「戦士」でさえありはしないのだと。
名前通りに戦士だったら、戦い、敵を倒せるだろうに。
ミュウを端から殺すシステム、それを打ち砕けるのだろうに。
けれど自分は「助けて逃げる」ことしか出来ない、殺されかかった子供たちを。
子供たちを殺せと命じる機械を壊すことさえ、今の自分には叶わない。
SD体制を敷いた地球のシステム、グランド・マザーが宇宙に広げたネットワークの…。
(この星の分だけの端末さえも…)
破壊できずに、見ているしかないテラズ・ナンバー・ファイブという機械。
ミュウの子供を発見しようと見張る機械を、成人検査を行う「それ」を。
戦士だったら、戦って壊すべきなのに。
端から機械を壊さない限り、ミュウの子供は殺されてゆくだけなのに。
(…ぼくの代で、いったい何処まで出来る…?)
何処まで変えることが出来るのか、この世界を。…この理不尽なシステムを。
ミュウというだけで殺す世界を、ミュウが生きられない今の時代を。
(…人類と手を取り合えたなら…)
分かり合うことが出来たなら、と思うけれども、夢のまた夢。
さっき自分が見た夢と同じ、人類はミュウを「殺す」だけ。
そうでなければただ恐れるだけ、「殺さないで」と。
ミュウの力を、サイオンを思念を忌み嫌うだけ。
自分一人では何も出来ない、「ソルジャー・ブルー」と名乗りはしても。
ミュウの長だと人類たちに認識されても、船の仲間たちに崇め、敬われても。
(ぼくには力も、それだけの時間も…)
どう考えてもありはしない、と思うのは自分の命の「終わり」。
それが来るまでに何が出来るか、一つでも変えてゆけるのかと。
ミュウの時代に続く扉を見付けられるか、扉の鍵を開けられるかと。
燃えるアルタミラを脱出してから、今日までに流れた長い歳月。
ミュウは長寿で、外見さえも若く留めておけるけれども。
(…それでも、不老不死じゃない…)
自分の寿命はどれほどあるのか、あとどのくらい生きられるのか。
ミュウの子供を助け出すのが精一杯の今を、無力な自分を変えられるのか。
(ぼくの命が燃え尽きる前に…)
神が一つだけ、願いを叶えてくれるなら。
人の力では成し得ないこと、奇跡を起こしてくれるのならば。
(…ぼくは、地球より…)
ミュウの未来を選ぶのだろう、と思うのは自分が「ソルジャー」だから。
皆を導いて此処まで来たから、きっと最期まで自分はソルジャーだろうから。
ミュウの長なら、そう名乗るのなら、捨てねばならない「自分のこと」。
それだけの覚悟は出来ているけれど、いつでも「自分」を捨てられるけれど。
(…ぼくの思いだけで選んでいいなら…)
青い地球を、と願う気がする。
死の床に就いて、神に願いを問われたら。
どんなことでも「一つだけ」夢を叶えてやろうと、神が耳元で囁いたなら。
(ぼくにしか聞こえない声ならば…)
青い地球まで連れて行って欲しい、この目で地球を最期に見たい。
そうは思っても、選べないとも、また思う。
さっきのような夢を見る度、自分の力の限界を思い知らされるから。
生きている間に何処までやれるか、まるで自信が無いのだから。
(ぼくはきっと、いつか…)
地球への夢を捨てる気がする、仲間たちのために。
ミュウが殺されずに生きてゆける世界、その礎となるために。
そうなれば地球は見られないけれど、自分の命が役に立つならそれでいい。
名前ばかりでも、ソルジャーだから。
ソルジャー・ブルーと名乗った以上は、死の瞬間まで「自分」を捨てねばならないから…。
長としての道・了
※「地球を見たかった」というブルーの呟き、あれが未だに忘れられない管理人。
長としての自分はどうあるべきか、ずっと考えていたんだろうな、と思っただけ。
いや、実は前PCがブルー様の祥月命日の翌日にクラッシュ、新PCは酷い不良品でね…。
「本体もOSも壊れてる」なんて思わないから、2週間もそいつと戦ってたオチ。
不良品だと分かって交換、「自分を取り戻したくて」リハビリにブルー。見逃して下さい。