(無免許の何処が悪いんだ…!)
誰も困りはしないだろうが、とキャプテン・ハーレイの眉間に寄せられた皺。
いつも刻まれている皺だけれども、それよりもキモチ深い感じで。
(…どいつもこいつも…)
この俺を馬鹿にしやがって、と睨み付ける先に航宙日誌。
ブリッジでの勤務を終えた後には、部屋に帰って書くのが習慣。お気に入りのアイテム、今どきレトロな羽根ペンで。ペン先をちょいとインクに浸して、吸い取り紙も使ったりして。
(その神聖な日誌にだな…!)
今日も誰かが書き込んだ。羽根ペンの黒いインクとは違う、真っ赤な色で。
いわゆる赤ペン、それで添削されている日誌。…昨日の分が。
(…確かに俺は無免許なんだが、添削しなくてもいいだろう…!)
ちょっと免許があると思って威張りやがって、と睨んだ文字。赤ペンであちこちしてある添削、線を引いたり、直したり。
(この字はだな…)
あいつの字だ、と頭に浮かんだブラウの顔。
キャプテン・ハーレイの部屋にドッシリ据えられた机、その前に座ったブラウが見えるよう。
赤ペンを手にして得意満面、添削しまくる航宙日誌。
なにしろ、ブラウは免許持ちだから。
その上、無事故無違反なのだし、威張り返るのも無理はない。
(…誰のお蔭で、無事故無違反でいられるんだ…!)
俺が頑張っているからだろうが、と怒っても無駄。
いくら頑張っても、無免許な事実。…運転免許を持ってはいなくて、実の所は…。
(……このシャングリラを、無免許運転……)
それが自分の正体だった。
誰もが一目置くキャプテン。
シャングリラの舵を握り続けて長いけれども、持っていないのが運転免許。
この船で宇宙に飛び出した時は、免許持ちなどいなかった。
成人検査を受ける前の子供は、宇宙船の操縦なんぞを学びはしない。
自転車に乗れたらそれで上等、後はせいぜい手漕ぎのボート。
その状態でミュウに変化したのだし、それから後は実験動物の日々。
(…操縦を教えて貰えるわけがないだろう…!)
アルタミラにいた研究者たちも、他の人類も、ミュウを動物と思っていただけ。
だから教わらなかった操縦、ぶっつけ本番で飛び立った宇宙。
人類が放置して行った船に、これ幸いと乗り込んで。
データベースから引き出した手順、それの通りに実行して離陸していった。
(その後も、いつも出たトコ勝負で…)
ああだこうだと試行錯誤で、どうにかこうにか飛んでいた船。
やがて操縦にも慣れて来たから、ブリッジの面子が固定になって…。
(…俺が一番、上手く操縦していたし…)
見事に射止めたキャプテンの座。
そうして今に至るけれども、問題は船の運転免許。
(アルテメシアに来るまでは、特に問題も無くて…)
運転免許の制度も無かった。
操縦出来たらそれでオッケー、それがシャングリラだったのに…。
(若い世代が来たモンだから…)
誰が言い出したか、運転免許の制度が出来た。
ブリッジで舵を握りたかったら、運転免許をゲットすること。
シミュレーターで規定の時間を練習、それから実地。
ついでに筆記試験も必須で、そいつに引っ掛かったのが自分。
(クソ野郎…!)
よくもああいう妙な制度を、と歯噛みしたって始まらない。
第一回目の筆記試験に落っこちたことは事実だから。
キャプテンのくせに落ちたなどとは、プライドにかけて言いたくないし…。
(…次のチャンスは、もう無かったんだ…!)
試験会場に出掛けて行ったら、「落ちた」事実が皆にモロバレ。
一緒に試験を受けた連中、それが喋るに決まっている。
「キャプテンが受けに来ていたぞ」と、シャングリラ中の仲間たちに。
実は一回目で落ちたらしいと、「キャプテンも大したことはないよな」などと上から目線で。
一回目の試験に落ちた理由は、不幸な事故というヤツなのに。
本当に多分、よくある話で、「ああ、あれか…!」と、誰もが言ってくれそうなのに。
(……もう、究極のケアレスミスで……)
俺が悪いのは分かっているが、と情けない気分。
記念すべき初回の筆記試験では、サラサラと書けた解答欄。
選択式の問題も華麗にこなした、キャプテン・ハーレイの面子にかけて。
「楽勝だな」と鼻で笑って。
筆記も実技もトップで合格、それでこそシャングリラのキャプテン。
燦然と輝く成績を刻み、運転免許の第一号を受け取れる筈だと考えたのに…。
(……書き忘れたんだ……)
自分の名前と、受験番号。
それを書かずに提出したなら、どんな得点も全て消し飛ぶ大切なブツを。
試験会場になっていた部屋、其処では全く気付かなかった。自分のミスに。
解答用紙を提出したって、まるで気付きはしなかった。
「書き忘れたかも」とは、針の先ほども。
恐ろしすぎる事実が分かった、その瞬間は…。
(…ゼルたちと採点作業をしていて…)
名前と受験番号が空欄、そういう間抜けなヤツを見付けた。
何処の馬鹿だか知らないけれども、絵に描いたような大馬鹿野郎。
(こりゃ無効だな、とゼルたちと笑って…)
デカデカと書いたバツ印。
採点用の赤ペンでもって、解答用紙全体にそれは大きく書き殴った。「バツだ、バツ!」と赤いバツ印を。
「こんな大馬鹿に、このシャングリラを任せられるか」と、解答を無効にする印を。
それでも気付いていなかったこと。
(…名前と受験番号のトコしか、見なかったしな…)
まさか自分が書いた解答、それを無効にしたなんて。
バツ印をつけた無効な用紙は、自分の解答だっただなんて。
だから、ゼルたちと笑いまくって終わった採点。
「一人だけ、凄い馬鹿がいた」と。
名前も受験番号も忘れた、大馬鹿野郎。
そんな輩に船を任せたら、きっと大惨事になるんだろう、と。
(……しかしだな……)
採点を終えて、実技試験を受ける面子に通知を出そうとしていた時。
「ちょいと」とブラウが上げた声。
筆記試験に不合格だった馬鹿がいる筈なのに、実技試験を受ける面子が一人多い、と。
(…俺や、元から操縦できる連中は…)
実技は免除になるのだからして、受ける人数は限られてくる。
筆記試験に落ちた馬鹿野郎を除いた人数、それが実技に挑むというのが筋なのに…。
(…何故だか一人多くてだな…)
これはおかしい、と始めたチェック。
もしかしたら、実技試験は免除の誰かが筆記試験に落ちたのか、と。
そういうことなら、そいつは次回に受け直しだ、と。
(…絶対に、普段はブリッジにいない面子で…)
デスクワークに励んでいるとか、あるいは農場担当だとか。
かつて培った操船技術の出番など無くて、運転免許を取りに来たのも…。
(免許があったら、このシャングリラを動かせるんだという証明で…)
ちょっと女性にモテそうでもあるし、「取れたらいいな」程度の感覚。
ゆえに入っていないのが気合、心構えも中途半端で…。
(名前も、受験番号も…)
書き忘れて行きやがったんだ、と決めてかかったし、ゼルたちも同じ。
けれども、蓋を開けてみたらば…。
(……俺だったんだ……)
俺の名前が無かったんだ、と悔やんでも悔やみ切れないミス。
もしもあの時、自分なのだと気付いていたなら…。
(こう、コッソリと…)
書き入れただろう、自分の名前と受験番号。
それから採点、きっと浮かった。…ナンバーワンの成績で、きっと。
そうは思っても、戻れない過去。
自分で大きく書いたバツ印、それはゼルたちの失笑を買った。
「なんじゃ、お前か」だの、「あんただったのかい」だのと、盛大に。
もちろんブルーの耳にも入って、「受け直すんだろう?」と励まされた。
「次回はトップで受かるといいね」と、「記念すべき第一号の座は逃したけどね」と。
(…そのブルーにも同情されて…)
運転免許は、個別に交付ということになった。
キャプテン・ハーレイが落ちたとなったら、もう間違いなく笑いもの。
そうでなければ、船の仲間が不安を抱く。
「こんなキャプテンでいいんだろうか」と、「シャングリラの未来はヤバイんじゃあ?」と。
それはマズイし、運転免許は合格者に届けられるだけ。
部屋に直接、「どうぞ」とキッチリ封筒に入れて。
今までに何人合格したのか、それさえ分からないように。
(…だから、バレてはいないんだが…)
長老たちとブルー以外は全く知りもしないのが、キャプテンは実は無免許なこと。
それをいいことに、今日もこうして…。
(……嫌がらせなのか、免許持ちなのを自慢したいのか……)
添削される航宙日誌。
赤ペンで、今日はブラウの文字で。
(…明日あたり、ブルーが来そうな気がする…)
ブルーも持っている免許。
キャプテンが落ちたと知った途端に、「ぼくも受けるよ」と言い出して。
落ちたキャプテンがカッコ悪くて受けられない試験、その会場にやって来て。
(それで合格しやがって…!)
ブラウたち長老も全員合格しているのだから、添削されまくる航宙日誌。
免許を持っている優位な立場で、偉そうに。
「こうじゃない」とキャプテンの日誌をサクサク採点、赤ペンであれこれ書いて行くから…。
(…俺に万一のことがあったら…)
皆はいったいどう思うだろう、赤ペンだらけの航宙日誌を。
「此処を直して」などと書かれたヤツを。
(…俺が生きてる間はいいが…)
死んだら全部バレるんだな、と泣きたいキモチ。
無免許だった件はともかく、採点されていたことが。
赤ペンであちこち直されるような、無様な日誌を毎晩つけていたことが。
直しの理由はまるで無いのに、何処も間違ってはいないのに。
(…それでも書いてしまうのが…)
俺の性分、と持った羽根ペン。
明日はブルーに直されるとしても、せめて訂正が減るように、と。
字だけでも綺麗に書いておかねばと、そうすれば少しはマシになるかもしれないから、と…。
無免許なキャプテン・了
※「キャプテン・ハーレイが無免許」というのは、実はハレブルの方にある設定。
そちらは至って真面目ですけど、ネタで書いたらこうなったオチ。航宙日誌に赤ペン先生。