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(……こんなトコかな)
 今日の所は、とシロエが閉じた勉強用のノートと端末。
 E-1077の夜の個室で、キリのいい辺りで。
 机を離れてベッドに向かうと、腰を下ろして本を手に取った。
 いつも決まった場所に置いてある、大切な本を。
 たった一つだけ、故郷の星から持って来たもの。
(……ピーターパン……)
 ぼくは頑張っているからね、と本の表紙に語り掛ける。
 心の中で語る言葉は、ピーターパンにも届くだろうと思うから。
 声に出すより、その方がいいと思えるから。
(…まだまだだけど……)
 まだまだ時間はかかりそうだけれど、着実に前進している自分。
 次の試験でもきっとトップで、その後も、ぐんぐん昇ってゆく。
 周りのエリート候補生たち、彼らを端から置き去りにして。
 単独でトップを走り続けて、メンバーズ・エリートに選ばれる日まで。
(……待っていてね……)
 ぼくは必ずメンバーズになって見せるから、とピーターパンに何度誓っただろう。
 幼い頃から憧れ続けた、ネバーランドに住む少年に。
 永遠に年を取らない子供に、「ぼくは頑張る」と。
 このステーションから選び出される、何人かのメンバーズ・エリートたち。
 選抜されれば、能力次第でいくらでも上に昇ってゆける。
 そうして、いつかは頂点に立てることだろう。
 けして努力を怠らなければ。
 自分自身を磨き続けて、グランド・マザーに気に入られれば。
(…システムを批判してたって…)
 その能力さえ優れていたなら、機械は「シロエ」を抜擢する筈。
 今の社会を統治する者は、他にいないと。
 二百年間も空席のままの、国家元首の座にだって就ける。
 他に適した者がいないなら、「シロエ」にするしかないのだから。


 その日を目指して、ステーションでも続ける勉強。
 候補生なら当たり前のことだけれども、「それ以上」のものを。
 課された課題や、するべき勉強、それらだけでは終わらせない日々。
 地球のトップに立とうと言うなら、覚えるべきことは山のようにある。
 今から先取りしておいたって、得にはなっても損にはならない。
(ぼくは、そうして来たんだから…)
 エネルゲイアにいた頃から、と子供時代の記憶を手繰る。
 成人検査で消され、薄れた記憶とはいえ、そういったことは「忘れていない」。
 学校の場所さえ曖昧になっても、「頑張って勉強した」ことは。
 懐かしい家すら霞んだ今でも、その家で「努力していた」頃の記憶は。
(……きっと、都合がいいからなんだ……)
 勉強好きの努力家だったことが、「機械にとっては」。
 その事実を忘れさせるよりかは、覚えておかせた方がいい。
 そうすれば「シロエ」は、努力するから。
 「あの頃のぼくも、頑張ってたよ」と、励みに思って上を目指すから。
(…いいんだけどね…)
 別にそれでも、と浮かべる皮肉な笑み。
 努力は裏目に出たのだけれども、「勉強好き」は今後の役に立つ。
 機械に選ばれ、国家元首になりたいのなら。
 トップエリートの階段を上り、出世街道を駆け抜けたいなら。
(……本当は、ネバーランドよりも素敵な地球へ……)
 行こうと思って、故郷で努力を続けていた。
 優しかった父が、こう言ったから。
 「シロエなら行けるかもしれないな」と。
 ネバーランドも悪くないけれど、それよりも素晴らしいという所が「地球」。
 其処へ行けたら、と夢を抱いて、ひたすらに励み続けた自分。
 「頑張った先」に待っているものも、知らないで。
 子供時代の記憶を消されて、ステーションに行くとも気が付かないで。


 ネバーランドよりも素敵な地球へ、と頑張ったことは失敗だった。
 こうして過去を奪い去られて、ステーションに連れて来られたから。
 「地球に行くこと」は、「子供時代の全てを捨て去ること」だったから。
(……でも、どうせ……)
 成人検査は必ず受けるものだし、どんな子供でも逃れられない。
 それなら、これでも「いい」のだろう。
 E-1077に来られた自分は、いつか力を持てるから。
 国家主席の座に就いたならば、機械に向かって命令出来る。
 「奪った、ぼくの記憶を返せ」と。
 大切な記憶を奪い返したら、次は「止まれ」と下す命令。
 自分のような子供を作り出し続ける歪んだ世界は、滅ぶべきだから。
 「ヒトが、ヒトらしく」生きるためには、機械が治める世界は要らない。
 だから「止まれ」と機械に命じて、SD体制を終わらせる。
 「子供が子供でいられる世界」を、取り戻すために。
 ピーターパンの本が書かれた時代に、地球で、人間が「そう生きた」ように。
(…もちろん、滅びを繰り返さないように…)
 策を講じねばならないけれども、SD体制なんかは「要らない」。
 世界は「ヒト」のものであるべきで、機械のものではないのだから。
 誰もが幸福になれる世界は、「ヒトが治める」べきだろうから。
(……頑張らなくちゃ……)
 そのために、ぼくは選ばれたんだ、と今は誇りに思っている。
 ピーターパンの本を失くさず、ステーションに持って来られた自分。
 成人検査を受けた子供は、「何も持っては来られない」のに。
 子供時代の記憶はもちろん、故郷で大切にしていた物も。
 成人検査を受ける時には、荷物を持っては行けない決まり。
 けれど自分はそれに従わず、宝物の本を持って出掛けた。
 お蔭で今でも失くしてはいない、大切な本。
 それこそが「選ばれた者」の証で、ピーターパンにも、きっと期待をされているから。


(……今よりも、もっと……)
 もっともっと努力を重ねないと、と「やるべきこと」に思いを馳せる。
 メンバーズ・エリートに選ばれた先に、国家元首の座に就いた先に。
 そうやって頑張り続けていたなら、ピーターパンにも会えることだろう。
 「迎えに来たよ」と、永遠の少年が空を翔けて来て。
 その頃には「シロエ」は年老いていても、この命を終える時であっても。
(…ネバーランドに行けるなら…)
 それでいいや、と緩んだ頬。
 懸命に生きた生の終わりに、そんな御褒美が待っているなら。
 ピーターパンと一緒に空に舞い上がり、ネバーランドへ飛んでゆけるのならば。
(……だけど、ホントは……)
 もっと早くに行きたかったな、と微かにチリリと痛む胸。
 「ネバーランドよりも素敵な地球へ」と思わなかったら、あるいは行けていたのだろうか。
 子供の味方のピーターパンは、「シロエの夢」を尊重したから、迎えに来ないで…。
(…こういう人生になってしまったとか?)
 まさかね、と急に冷たくなった背。
 あれだけ待って待ち続けたのに、ピーターパンは「来なかった」。
 もしかしたら、それは「自分が選んだ」道だったろうか。
 「ピーターパンと一緒に行くより、地球に行こう」と。
 そう出来るだけの素質と能力、それが「シロエ」にはあったから。
 努力と勉強を怠らなければ、「地球への道」が開くのだから。
(……ぼくが、こういう道に来たなら……)
 SD体制を破壊するために、更なる努力を続けてゆく。
 「ぼくは選ばれた子供なんだ」と、誇りを持って。
 ピーターパンなら忌み嫌うだろう、機械の世界を滅ぼすために、と。
 だから自分は「今、ステーションにいる」のだろうか、ネバーランドには行けないで。
 ピーターパンは迎えに来ないで、大人への道を歩み始めて。


(……そんなことって……)
 あるだろうか、と思うけれども、否定するには決め手に欠ける。
 ピーターパンが「ずっと、探していた」のが、「シロエのような子供」だったら…。
(…迎えに行くより、SD体制を破壊して貰おう、って思うよね?)
 きっとそうだ、と容易に想像がつく。
 ネバーランドを、ピーターパンを忘れない子で、優秀な子供が、どれほどいるか。
 こんな「機械の言うなり」な世界に、マザー牧場の羊ばかりが増える世界に。
(……ぼくの他には、誰もいなくて……)
 そのせいで、ぼくが「選ばれた」なら…、とゾクリとする。
 もっと成績が悪かったならば、「違っていたかもしれない」と。
 成人検査を受けるより前に、ピーターパンが迎えに来て。
 今では住所も思い出せない、エネルゲイアの高層ビルにあった家。
 あそこの窓から、夜の間に高い空へと舞い上がって。
 ピーターパンやティンカーベルと、夜空を翔けてネバーランドへ。
(……二つ目の角を右に曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ……)
 謎かけのような、ネバーランドへ行ける道。
 それはすっかり無視してしまって、真っ直ぐに飛んで。
 子供が子供でいられる世界へ、幼い自分が焦がれた場所へ。
(……ぼくが劣等生だったなら……)
 そっちの道へ行けただろうか、と零れ落ちる涙。
 もしもそうなら、「選ばれた子供」でなくても良かった、と。
 世界を救った英雄になるより、ただの名も無い子供で良かった。
 先の見えない長い長い道、其処を懸命に歩くよりかは。
 SD体制を破壊する日まで、がむしゃらに努力の人生よりは。
 たとえ「負け犬」と呼ばれようとも、そちらの道なら後悔は無い。
 ピーターパンが迎えに来るのだったら、ネバーランドへ行けたのならば…。

 

          劣等生なら・了

※ステーションで努力するシロエですけど、もしも劣等生だったら、どうなったのか。
 成人検査で一般コースに送られるのが普通とはいえ、ネバーランドに行けていたのかも…。











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(優秀な人材か……)
 そんな者はいないから困るのだがな、とキースが心で零した溜息。
 首都惑星ノアの、元老のためにと与えられた個室で。
 側近のマツカも部下たちもいない、とうに夜更けとなった時間に。
 マツカが淹れて行ったコーヒー、それもすっかり冷めてしまった。
 半分ほど飲んであったけれども、考え事をしている間に。
(まったく、元老たちといえども…)
 本当にクズばかりなのだ、と悩みは尽きない。
 最初から予想はしていたけれど。
 初の軍人出身の元老として、パルテノン入りをする前から。
(鳴り物入りでの大抜擢だったが……)
 それは民間人から眺めた視点で、上層部の者たちの考えは違う。
 軍人も、肝心の元老たちも。
 保守と出世欲に凝り固まった思考の持ち主、エリートどもの考え方。
(出る杭は打たれる、と言うのだがな…)
 その杭である「キース・アニアン」、それを消そうとしていた者たち。
 国家騎士団総司令だった頃に、散々、身をもって知らされた。
 幾つも立てられた暗殺計画、何度、実行に移されたことか。
 ミュウのマツカがいなかったならば、とっくに死んでいただろう。
 爆弾に車ごと吹き飛ばされて。
 あるいは、あえなく撃ち殺されて。
(私を消してまで、守りたいものが…)
 自分の出世欲だというのが情けないな、と呆れ果てる。
 もっと志を高く持たねば、社会も宇宙も、守れないだろうに。
 たかが劣等人種のミュウども、彼らに秩序を覆されて。
 気付けば宇宙はミュウに征服され、人類の方が劣等人種に成り下がる。
 今のように、日々、足の引っ張り合いばかりでは。
 己の保身だけを考え、全体を見詰めないままでは。


 パルテノン入りを果たした今となっては、絶望感は深まるばかり。
 何処を探しても、「優秀な者」はいないから。
 宇宙の、地球の舵を取れる者は、誰一人として「いそうにない」。
 ただ単純に「優秀な者」と言うだけだったら、直属の部下たちが「そう」だけれども。
 スタージョン中尉やパスカルたちなら、充分に優秀な頭脳の持ち主。
 とはいえ、彼らは「指導者」ではない。
 指導者になれる器でもない。
 いくら優秀な人材とはいえ、方向性が違うから。
 自分で思考し、自分の意志で行動出来ても、彼らに「指導者」は向いてはいない。
 そう、適性の問題と言える。
 どんなに励まし、どれほど教育を施そうとも、「なれない」指導者。
 とても優秀な部下にだったら、なれるのに。
 上司の指示が無くても動けて、命じた以上の成果を上げることが出来るのに。
(……そう、それこそが問題なのだ……)
 今の世界には一人もいない、と溜息を漏らすしかない「優秀な人材」という代物。
 そういった者が全く「生まれて来なくなった」惨い現実。
 無限大の精子と卵子の交配、それを繰り返し続けても。
 人工子宮で育てては世に出し、様々な場所で育ててみても。
(……国家主席の座は、二百年も空位……)
 つまり二百年も「出て来なかった」、指導者の座に就ける人材。
 二百年前までは、その座に就ける者がいたのに。
 ミュウが宇宙に現れた頃にも、国家主席はいたというのに。
(…アルタミラ事変で、ミュウの殲滅を命じた者も…)
 その時の国家主席の筈。
 アルタミラを擁したジュピターの衛星、ガニメデをメギドで破壊させた命令。
 計画自体は、グランド・マザーが立案した。
 けれど命令を実行するには、軍を動かさなければならない。
 当時の国家主席が自ら、その命令を下しただろう。
 「全ては偉大なる母、グランド・マザーの導きのままに」と。


 そうした決断を下すことが出来た、人類の指導者。
 彼らが座った国家主席の座は、いずれ「キース」のものになる。
 二百年もの長い空位の時代を経て。
 そうなる予定なのだけれども、どうして「キース」になるというのか。
 誰一人として気付かなくても、「キース」自身が知っている。
 「キース」は、「ヒトではない」ものだと。
 機械が無から作った存在、それも「指導者になるために」。
 作った理由は、「人類の中から、優秀な人材が出て来ないから」。
 無限大の精子と卵子の交配、機械が延々と続けてきたこと。
 二百年前までは、そのやり方は有効だった。
 国家主席になれる者が出て、人類を上手く纏め上げられた。
 ところが何がいけなかったか、生まれなくなった「優秀な者」。
 いくら交配を繰り返しても。
 かつては優秀な者が生まれた、仕組み自体は変わらなくても。
(……機械は、それに業を煮やして……)
 ついに「キース」を作り上げた。
 神の領域に足を踏み入れ、幾つもの実験体を生み出した末に。
 ミュウの船で見た盲目の女や、E-1077の廃墟で目にしたサンプルたち。
 彼らの遺伝子データをベースに、三十億もの塩基対を合成して。
 DNAという名の鎖を紡いで、無から作った生命が「キース」。
 しかも「ヒト」とは思えぬ期間を、胎児の状態で育成して。
 成人検査を迎える年まで、人工羊水の中に浮かべて。
 そうやって「キース」は出来たけれども、本当に、それでいいのだろうか。
 機械が作った「ヒトではないモノ」、そんな存在が国家主席でも。
 人類を纏める者となっても、指導者の座に就いたとしても。


(……そもそも、SD体制下でも……)
 機械がヒトの出産を管理しているとはいえ、制限はある。
 優秀な人材が生まれなくなることが予想出来ても、それを防げなかった理由が。
 「キース」のようなモノを作らなくても、方法は他にあったのに。
 無から生命を作り出さずとも、「既にあるモノ」をコピーすればいい。
 最後に国家主席の座に就いた者は、ちゃんと優秀だったのだから。
 彼の遺伝子データを継いだら、同じく優秀な者が生まれる。
(…いわゆる、クローンというヤツだ…)
 遺伝子レベルでの生命体の複製、それを作れる技術ならある。
 ヒトには使っていないけれども、クローンの動物や植物は多い。
 何故なら、彼らは「優秀」だから。
 同じ遺伝子を持った彼らの複製、それらも、もれなく優秀なモノ。
 だからクローンの技術があるのに、グランド・マザーは「使わなかった」。
 最後の国家主席でもいいし、その前の国家主席であっても、かまわないのに。
 間違いなく優秀な者がいたなら、彼らのクローンを作りさえすれば…。
(……人類の指導者は、絶えることなく続いて……)
 国家主席の座は空位にならずに、今も彼らが占めていたろう。
 「キース」を作り出す必要も無くて、E-1077も、ただの教育ステーション。
 けれども、そうならなかった原因、それがSD体制の「禁忌」。
 機械に与えられた制限、「ヒトのクローンを作り出すこと」。
 いくら優秀な者が生まれても、彼らのクローンを生み出すことは許されない。
 グランド・マザーを作った者たち、SD体制の前の世界を生きた者。
 彼らは機械に命令を出した。
 「ヒトのクローンだけは、決して作ってはならない」と。
 それは禁断の技だから。
 神の領域を侵す行為で、神への冒涜。
 ヒトはヒトらしく生まれ出るべきで、クローンなどでは有り得ない。
 だから「禁ずる」と下した命令。
 そのせいで、機械は作れなかった。
 優秀な者が生まれなくなると分かってはいても、彼らのクローンというものを。


(……それなのに……)
 グランド・マザーが見付けた抜け穴、「禁止されてはいなかった」こと。
 SD体制を作った者さえ、まるで考えなかった行為。
(…クローンが許されないのなら…)
 無から生命を生み出せばいい、とグランド・マザーは考えた。
 そのことは禁止されてはいないし、「許されるのだ」と。
 神の領域を侵すことなど、考えもせずに。
(…機械の世界に、神というものは…)
 概念さえも存在しなくて、ただデータだけが存在する。
 機械は神を恐れはしないし、神の怒りを考えもしない。
 だから「キース」を作り出せた。
 クローンですらも禁忌な世界で、それを遥かに上回る禁忌を犯してまで。
 しかも、そのことを悔いてさえもいない。
 「とても優秀な者が生まれた」と、自画自賛しても。
 自分たちが無から生み出した「キース」、彼のためにあらゆる手を尽くしても。
(……おおよそ、ろくな結果には……)
 ならないだろうな、と思う「機械の暴走」。
 そのような機械が治める世の中、それは滅びるべきだと思う。
 機械が作った「キース」が言うのも変だけれども、「滅びて貰おう」と。
(…もっとも、私が手を下さずとも…)
 滅びるのは時間の問題だがな、と唇に浮かべた皮肉な笑み。
 「その時」は、もう見えているから。
 機械がどんなに抗おうとも、歴史の流れは変えられないから。
 劣等人種のミュウが勝ったら、自然と機械の世界は滅ぶ。
 「キース」も一緒に滅ぶけれども、それで少しも悔しくはない。
 何故なら、滅ぶべきだから。
 機械も、機械が作った「キース」も、滅びるのが正しい道なのだから…。

 

          滅ぶべきもの・了

※国家主席の座に就いた人間も、ずっと昔には存在した筈。それを考えたら出来たお話。
 かつての「優秀な者」のクローンだったら優秀なのに、と。クローン禁止は、もちろん捏造。











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(…これも、これも…)
 これも違う、とシロエが机に叩き付ける拳。
 E-1077の個室で、唇を噛んで。
 モニター画面をきつく睨んで、その画面をも憎むかのように。
(畜生…!)
 どうして見付からないんだろう、と悔しくて、ただ堪らない。
 とても簡単そうに思えて、けれど決して出て来ない「それ」。
 探し続けて、ひたすらに求め続ける情報。
(……記憶を繋ぎ止める方法……)
 それが知りたい。
 成人検査で子供時代の記憶を奪われ、このステーションに送り込まれた。
 両親の顔さえおぼろにぼやけて、故郷の記憶も曖昧になって。
 酷い衝撃を受けたけれども、まだそれだけでは終わらなかった。
(…マザー・イライザ…)
 E-1077を統治している巨大コンピューター。
 地球にいると聞くグランド・マザーの、多分、直属だろうと思う。
(……ママそっくりな格好をして……)
 彼女が「シロエ」を呼び出す度に、記憶から「何か」が欠け落ちてゆく。
 「コール」と呼ばれる心理療法、それを施される度に。
 深い眠りの淵に落とされ、心を分析された末に。
(…目が覚めた時は、すっきりした気がするけれど…)
 そう感じるのは「大切な何か」を失くしたからだ、と気付いたのは、いつだったろう。
 自分の中から大事な記憶が、今も消されてゆく真実に。
 成人検査だけでは終わらず、折を見ては記憶を消してゆく機械。
 その目的は、もう分かっている。
 システムに逆らう気を起こさぬよう、従順な「羊」を作り上げること。
 マザー牧場で暮らす羊を。
 大人しく草を食んで育って、大人の社会に出てゆく者を。


 そんな「羊」になりたくはない。
 過去を奪われ、歯車にされて、どうして幸せになれるだろうか。
 いくら憧れの地球に行けても、「自分自身」を失くしたならば。
 記憶を奪われ、根無し草になって、機械が与える暮らしに甘んじる人間。
 「そうされたのだ」とは、気が付かないで。
 自分でも「幸せなのだ」と信じて、何一つ疑わないままで。
(……それでいい奴らも、いるんだけどね……)
 殆どの奴はそうじゃないか、と分かってはいても、馴染めはしない。
 彼らの仲間になりたくはないし、「自分自身」を失くしたくない。
 心からそう願っているのに、どうして忘れてゆくのだろう。
 記憶力には自信があるのに、コールされる度に。
 決して頭は悪くないのに、大切なことを忘れていって。
(…忘れない方法さえあれば…)
 それがあれば、と向かう端末。
 モニター画面を食い入るように見詰めて、検索ワードを打ち込んでゆく。
 「忘れない方法」だとか、「しっかり記憶する方法」とか。
 けれど、どうしても見付けられない。
 求める情報は出てはこなくて、代わりに見付かる「記憶術」。
 習った知識を忘れないよう、脳味噌に刻み付ける方法。
 どう頑張っても、そればかり。
 「これも違う」とキーを叩いて、別の情報を表示させても。
 検索ワードの切り口を変えて、新しい角度から調べてみても。
(……此処が教育ステーションだから……)
 そういう情報ばかり出るのか、他所でやっても「同じ」なのか。
 何度も疑念が生じたけれども、恐らくは「何処でやっても」同じ。
 機械は「それ」を望まないから。
 システムにとっては不都合な記憶、それを「人間」が持ち続けては困るから。


(くそっ…!)
 なんて世の中なんだろう、と反吐が出そうで、憎しみの炎が噴き上げる。
 どうして世界は「こう」なのだろう、と。
 マザー牧場の羊でなくても、皆、従順に「忘れてゆく」。
 機械が記憶を操作する度、何の疑問も抱かずに。
 忘れ、失くした過去のことなど、振り返ろうとさえもしないで。
(……一人残らず、そうなんだから……)
 此処の奴らを見てれば分かる、と握り締める拳。
 たまに聞こえてくる故郷の話や、養父母たちの話。
(…懐かしそうに話してるけど…)
 話の最後を締めくくる言葉は、判で押したように「同じ」だった。
 「もう、はっきりとは覚えていない」と、穏やかに笑んで。
 そう言った者も、聞いていた者も、それを「変だ」とも思わないで。
(……子供時代の記憶は、消されて当たり前……)
 機械が「そうだ」と教え込むから、大人しい羊たちは信じる。
 それが正しい道だと思って、ただ真っ直ぐに歩んでゆくだけ。
 コールされる度、更に記憶を奪われても。
 「大切な何か」が消えていっても、それも「当然なのだ」と素直に納得して。
 何故なら、過去は不要だから。
 もう戻れない「過去」のことなど、覚えていたって意味などは無い。
 機械は彼らに、こう教える。
 「成長は過去を捨て去ること」だと。
 過去の自分を捨ててゆくことで、人は成長してゆくのだと。
(……大嘘つき……!)
 そんな筈などあるものか、と信じる気には、とてもなれない。
 本当に「それ」が正しいとしたら、SD体制が始まる前の時代には…。
(偉い人間など、いやしないさ)
 遠い昔には、成人検査も、コールも無かった。
 誰もが記憶を失くすことなく、「過去」を糧にして育った筈。
 英雄と呼ばれて今の時代まで名が残る者も、学者も、それに哲学者だって。


 「過去」は大事なものだと思う。
 それが「個人」を作り上げる核で、けして忘れてはならないもの。
 「自分自身」を持っていたいのなら、「羊」になりたくないのなら。
 だから懸命に探し続ける。
 薄れてゆく記憶を繋ぎ止める術を、なんとかして見付けられないかと。
 なのに出るのは記憶術ばかり、「教わった知識」を頭に刻む方法ばかり。
(……こうする間にも、またコールされて……)
 きっと何かを失うのだろう、「失った」ことを知ったら愕然とするものを。
 失くして直ぐには気が付かなくて、後でショックを受ける「何か」を。
(…ぼくはこんなに、忘れたくないのに…)
 マザー牧場の羊たちは皆、幸せそうな顔。
 子供時代の記憶が薄れて、故郷や養父母たちのことさえ、霞んでいても。
 そうなったことを嘆きもしないで、ただ従順に受け入れている。
 成長を遂げて「社会」に出るには、それが正しい道だから。
 機械が彼らに教える通りに、丸ごと鵜呑みにしてしまって。
(……忘れたくない……)
 忘れたくないよ、と叩いたキー。
 「ぼくの記憶を消させないで」と、何かに縋るような気持ちで。
 この世に神がいると言うなら、どうか祈りが届くようにと。
 そうして表示された結果に、瞳を大きく見開いた。
 「信じられないもの」が出たから。
 本当だとはとても思えず、食い入るように見入った「それ」。
(……忘却は、神が与えた恩恵……)
 モニター画面には、そういう文字列があった。
 「忘れたくない」と神に祈ったのに、まるで全く逆の言葉が。
 忘却が神の恩恵だなどと、機械に都合の良さそうなことが。
(……これも、機械が……!)
 何か操作をしているんだよ、と眉を吊り上げ、文字を追ってゆく。
 きっと見出しは「そう」であっても、中身の方は違うだろうと。
 詳しく読んだら答えは逆で、神は「忘却」など、人に与えはしなかったろうと。


 何度も何度も、読み返した「それ」。
 他に引っ掛かって来た「似たようなもの」も、端から読んだ。
 背筋が冷えてゆく中で。
 「嘘だ」と何度も心で叫んで、「機械が弄った情報なんだ」と否定しながら。
 けれども、残酷すぎた結末。
 機械は「操作していなかった」。
 何故なら、遥か昔の文献、それを引き出して確認したって「同じ」だったから。
 「忘却は神が与えた恩恵」、その考え方に間違いは無い。
 人間が地球しか知らなかった頃から、「そのように」考えられて来た。
 辛くて苦しいだけの過去やら、心を責める罪の意識やら。
 「そういったもの」を抱えたままでは、人の心は壊れてしまう。
 だからこそ、神は「忘却」というものを与えた。
 抱え込み過ぎて壊れないよう、過去を忘れてゆけるようにと。
 どんなに辛いことがあっても、再び「未来」を描けるように、と。
(……成長は過去を捨て去ること……)
 機械が言うのと同じじゃないか、と氷の手で心臓を掴まれたよう。
 神は「忘れろ」と言うのだろうか、「忘れたくない」大切な過去を。
 繋ぎ止めたいと願う記憶を、いつまでも持っていたいものを。
(…確かに、此処で生きてゆくなら…)
 過去などは、不要なのだろう。
 抵抗しないで忘れた方が、きっと生き易くはあるだろうけれど…。
(……忘れてしまったら、「ぼく」はいなくなる……)
 別のシロエになってしまう、と分かっているから、その「恩恵」は欲しくない。
 神が与えたものであろうと、逆らう者には神の恵みが無くなろうとも。
(…ぼくにとっては、忘却なんかは…)
 神じゃなくて悪魔の贈り物さ、と心で吐き捨て、端末に向かう。
 「記憶を繋ぎ止める方法」、それを知ろうと。
 そうすることが神に逆らうことでも、悪魔が用意した道であろうと…。

 

           忘却の意味・了

※「忘却は神の恩恵」という考え方は、本当にあるんですけれど…。SD体制でもないのに。
 シロエが聞いたら怒るだろうな、と思った所から生まれたお話。シロエが可哀想ですが。











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(……そういえば、明日は……)
 インタビューがあるのだったな、とキースは心で独りごちる。
 元老として与えられた個室で、「厄介なことだ」と溜息をついて。
 とうに夜更けで、側近のマツカも下がらせた後。
 彼が淹れていったコーヒーだけが、カップで湯気を立てていた。
(明日はマツカにも、余計な仕事が…)
 一つ増えるな、と眺めるコーヒーのカップ。
 たかが取材に来る記者とはいえ、何も出さずにいられはしない。
 そういった輩にコーヒーを出すのも、マツカの役目。
 もっとも、有能なセルジュ辺りに言わせれば…。
(コーヒーを淹れるしか能が無いヘタレ野郎だ、と…)
 酷評されるのが「マツカ」でもある。
 彼の真価は、そんな所には無いというのに。
 今までの数々の暗殺計画、それを未然に防げた陰には、彼がいるのに。
(だが、表向きはコーヒー係…)
 そうしておくのが無難でもある。
 マツカの「機転」や「暗殺を阻止する力」の源、それを知られるわけにはいかない。
 人類には決して持ち得ない力、「サイオン」はミュウの特徴だから。
 異分子のミュウは抹殺すべきで、現にそうして来たのだから。
(明日のインタビューの内容も、どうせ…)
 キース・アニアンの対ミュウ戦略、そういったことについてだろう。
 国家騎士団総司令から、元老に抜擢された男。
 ミュウと戦う最前線にいた、初の軍人上がりの元老。
 どういう信条を持っているのか、この先、どのようにやってゆくのか。
(…インタビューして、記事を書くのが…)
 ジャーナリストたちの仕事の一つで、こうして取材を申し込まれる。
 もう幾つ目の取材なのかは、忘れたけれど。
 「申し込みは広報部を通してくれ」という逃げ口上も、何度言ったか記憶には無い。
 そんなものの数を数えるほど、暇ではないから。
 やるべき仕事が山と積まれて、「キース」を待っているのだから。


 そうは言っても、取材を逃れることは出来ない。
 インタビューに来る記者がいるなら、そういうこと。
 自分はともかく、地球にいる偉大なグランド・マザー。
 彼女が「不要」と判断したなら、取材の許可など決して下りない。
 なにしろ「キース」は多忙なのだし、つまらない取材に時間は割けない。
(以前だったら、本当にくだらん取材も多くて…)
 実に辟易させられたがな、と苦笑する。
 あれはいつ頃だっただろうか、国家騎士団で名を馳せた時代。
(ジルベスター星系の演習の事故で、大勢の部下たちの命を救って…)
 二階級特進という、異例の出世を遂げたりもした。
 本当の所は、「演習の事故」ではなかったのに。
 ジルベスター・セブンに巣食うミュウたち、彼らを星ごと殲滅しようと試みたのに。
(モビー・ディックには逃げられたが…)
 あの赤い星をメギドで砕いて、グランド・マザーに称賛された。
 それゆえの特進、少佐から上級大佐へと。
(そうなる前から、つまらん取材が…)
 多かったな、と思い出す。
 どう考えても「軍人向け」でも、「一般人向け」でもない取材。
 記者が差し出す名刺を見なくても、申し込みの時点で気が付いていた。
 インタビューを読むのは、「女性たち」だと。
 軍事にも政治にも興味など無い、ごくごく平凡な一般女性。
 それも若くて未婚の者たち。
 普段はスターを追い掛けるような、「頭の軽い」女性が相手の記事。
(インタビューよりも、私の写真を撮る方が…)
 大事だったらしい、その手の記者たち。
 プロのカメラマンを連れて来て。
 「こちらを向いて頂けますか?」などと、ポーズを取らせて切ったシャッター。
 「もう一枚」だとか「次は、あちらで」だとか、何枚も。
 そうした写真を幾つも鏤め、くだらない記事が書き上げられた。
 届いた記事など読む気もしなくて、右から左へ捨てさせていただけだけれども。


(ああいう時代に比べたら…)
 ずいぶんと楽になったものだ、と分かっているから、文句は言わない。
 つまらない質問をされるようでも、その取材には意味がある。
 グランド・マザーが許可するだけの、充分な価値が。
 ミュウの侵攻に恐れ慄く者たち、彼らを落ち着かせるための「何か」。
(……キース・アニアンさえいれば……)
 SD体制も人類も安泰なのだ、と思わせる記事を、記者たちは書いてくれるのだろう。
 多忙な自分は、それを読む暇など無いだろうけれど。
 見本誌が部屋に届けられても、「処分しておけ」とマツカに言うだろうけれど。
(まあ、くだらない取材よりはな…)
 遥かにマシだ、と今の状態には満足している。
 いつから「彼ら」は来なくなったろうか、「キース」をスター扱いした記者たち。
 写真を何枚も撮られた上に、質問の内容も呆れるようなものばかり。
 「お好きな食べ物は何ですか?」だとか、「休日は何をして過ごしますか?」だとか。
 そんなことを知っても、いいことなど何も無さそうなのに。
(……若い女性は、大いに興味があるのだろうが……)
 生憎と私はどうでもいいのだ、と何度欠伸を噛み殺したろう。
 記者の頭まで「軽そう」ではあっても、彼らも大切なピースの一つ。
 「社会」を上手く組み立てたいなら、そういった者たちも取り込まなければ。
 広い視野など持っていなくて、「軍人」と「スター」を同列に扱う者であろうと。
 まるでスターを追い掛けるように、「キース・アニアン」に夢中だろうと。
(…あの頃よりかは、厳選されたな…)
 くだらん取材に来る連中も、とグランド・マザーに感謝する。
 「元老」という肩書きにも。
 パルテノン入りした元老ともなれば、スターのように追い掛けるには…。
(かなり敷居が高くなるだろうさ)
 国家騎士団時代のようにはいかん、と可笑しくなる。
 いくら記者たちが申し込もうと、端から拒絶されるだろうから。
 どう頑張っても許可は下りずに、全て門前払いだろうから。


 若い女性が喜ぶことなど、自分は言えない。
 根っからの軍人、それに加えて「特別な」生まれ。
(養父母などいないし、生物としての両親もいないのだからな…)
 機械が無から作った生命、それゆえに「完璧な」存在となった。
 誰もが羨望の眼差しを注ぐ、エリートの中のエリートとして。
 E-1077で育った頃から、異例の出世を続けて来て。
(……だからこそ、スターと混同されるのだがな……)
 あちらも似たようなものだからな、と思い浮かべるスターたち。
 彼らは「人目を集めるように」育て上げられた、プロフェッショナル。
 俳優も歌手も、選りすぐりの美形や、素晴らしい才を持った者たち。
 ただ「居る」だけで華があるから、人の目を惹く。
(…スター扱いされるというのは、光栄の至りなのかもしれんが…)
 私は好かん、と窓の外へと目を遣った。
 宵闇に覆われた高層ビル街、其処に「キース」の姿も映る。
 窓は光を反射するから、ガラスが鏡のようになって。
(……キース・アニアン……)
 もう「スター扱い」の取材は来ない、とホッと吐息をついたけれども。
 窓に映る自分の姿を眺めて、元老の制服に目を細めたけども…。
(………今の私は………)
 あの頃の私の姿ではない、と愕然とした。
 多忙な日々に追われ続けて、鏡など見てはいなかった。
 もちろん「鏡」には向かうのだけれど、ただ身だしなみを整えるだけ。
 「自分の顔」をじっくり見詰めはしないし、観察もしない。
 女性と違って化粧は必要ないのだから。
(…ジルベスター・セブンから、何年経った……?)
 あれから過ぎた歳月の分だけ、重ねた齢。
 「それ」が自分の顔に出ていた。
 隠しようもない、年相応の面差しとなって。
 あの時代には無かった皺が、何本か、肌に刻まれていて。


(……これでは、たとえ断らなくても……)
 若い女性が相手の記事など、誰も書かないことだろう。
 書いても、「誰も読まない」から。
 もしも読む者がいたとしたって、ほんの僅かな女性たちだけ。
 遠い昔を思い返して「懐かしいわね」と、「老けたキース」を見る者たち。
 つまりは、長い年月が過ぎた。
 今ではすっかり、人類の敗色が濃くなるほどに。
 ジルベスター・セブンで収めた勝利が、まるで幻だったかのように。
(……そして、ミュウどもは……)
 全く年を取らないのだ、と冷えてゆく背筋。
 普段から「マツカ」に接しているのに、ついつい忘れ果てていたこと。
 ミュウの長、「ジョミー・マーキス・シン」は、今なお若い。
 彼の肉体は衰えを知らず、その寿命もまた…。
(人類の三倍以上もあるのだ…!)
 伝説と謳われたタイプ・ブルー・オリジン、彼が身をもって示したように。
 死の影が差すほどに年を重ねた後にも、身一つでメギドを破壊したのがソルジャー・ブルー。
(…私が老いて、指揮が覚束なくなった時でも…)
 若きミュウの長は健在だろう。
 その上、更に若い世代のタイプ・ブルーたちが何人もいる。
(……人類とミュウの戦いの……)
 行く末は見えているではないか、と、ただ恐ろしい。
 明らかにミュウの方が有利で、人類は不利な立場だから。
 それでも「キース」は戦うしかなく、「勝ちに行く」以外に道は無いから。
(……これが私の運命なのか……)
 肉体的にも「敵うわけがない」敵と戦い、敗れるのが。
 あるいは敗北するよりも先に、老いさらばえて死んでゆくのが。
 「キース」は、そのように「作られた」から。
 機械はミュウを認めないから、ミュウはあくまで「異分子」だから…。

 

           敵わない敵・了

※このお話、絶対、途中で「敵」は「老化」だと勘違いした人がいるな、という気がします。
 ミュウの寿命は人類の三倍、それだけで勝ち目が無さそうだよね、と思うんですけど…。











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「いたか、そっちは!?」
「捜せ、探せ!」
 緊迫した男たちの声が聞こえる。
 それに複数の荒々しい足音、あちこちの扉を開け放つ音。
 バスルームやら、クローゼットやら。
(……どうして……)
 どうしてこんなことになったのだろう、とシロエは息を潜める。
 個室の床下にもぐり込んで。
 たった一人で暗闇の中で、男たちが床下に気付かないよう、祈りながら。
(…ピーターパン……)
 ぼくを助けて、と心で叫ぶけれども、ピーターパンに届くだろうか。
 漆黒の宇宙にポツンと浮かんだ、ステーションなどで祈っても。
 遠い故郷の星ならともかく、E-1077では。
(……此処で見付かったら……)
 おしまいなのだ、と自分でも充分、承知している。
 頭上で歩き回る足音の主は、全員がマザー・イライザの手下。
 E-1077の保安部隊員で、武装していることは確実。
(このまま此処で撃ち殺されるか…)
 連行されて処刑されるか、道は二つに一つしかない。
 最高に運が良かったとしても、「シロエ」はいなくなるだろう。
 記憶を全て消されてしまって、全く別の人間にされて。
 「セキ・レイ・シロエ」の姿形は変わらなくても、中身はまるっきりの別人。
 他の候補生たちが「シロエ!」と呼んだら、振り向いても。
 笑顔で手を振り、応えたとしても。
(…そんなのはもう、ぼくじゃない…)
 ただの「シロエ」という名のエリート候補生、そう、あのキースと競い合ったほどの。
 E-1077始まって以来の秀才、彼とさえ肩を並べられるほどの。
 そんな形で生き延びたとして、いったい何になるだろう。
 自分が自分でなくなるのならば、それは「死んだ」も同然なのに。


(……キース・アニアン……)
 そう、発端は、その「キース」だった。
 過去の記憶を持たないエリート。
 「マザー・イライザ」の申し子と呼ばれる、まるで感情を見せない男。
 だから「アンドロイドなのだ」と思った。
 マザー・イライザが作った機械仕掛けの人形、「人間のように思考する」だけの。
(あの皮膚の下は、冷たい機械で…)
 赤い血などは流れていない、と確信したから、彼の秘密を暴きたくなった。
 目の前に真相を突き付けられたら、彼は壊れると考えたから。
 機械は所詮は機械なのだし、予測していない事象には弱い。
 「真実を知れば」、暴走するだろう「キースの思考プログラム」。
 狂ったように喚き散らして自滅するのか、瞬時に沈黙して「壊れる」か。
 どちらにしても見物なのだし、それを「この目で」見届けたくなった。
 憎い「機械」への仕返しとして。
 成人検査で記憶を奪った、マザー・システムへの意趣返しに。
 記憶を奪ったテラズ・ナンバー・ファイブと、マザー・イライザとは別物でも。
 全く違う機械であっても、コンピューターには違いない。
(…どっちも、マザー・システムの手下…)
 地球にあると聞くグランド・マザーが、統括しているコンピューターたち。
 機械が統治するSD体制、そのシステムに異を唱えたいなら…。
(…イライザの申し子を、壊してやろうと…)
 決心したのに、何処で計算が狂ったろうか。
 こんな床下で息を潜めて、見付からないように祈るしかないなんて。
 保安部隊に発見されたら、殺されるしかないなんて。
(……そんなのは、嫌だ……)
 ピーターパンに会えもしないで、死んでゆくなど。
 あの憎らしいマザー・イライザが命じるままに、処刑されるなど。


 出来ることなら、ステーションから逃げ出したい。
 E-1077を遠く離れて、故郷の星へと飛んでゆきたい。
 此処で殺されてしまうよりかは、少しでも望みのある方へ。
(……地球の座標は分からないから……)
 夢の星へは行けないけれども、アルテメシアになら行けるだろう。
 ステーションでは、宇宙船の操縦も教わったから。
 まだ実地では飛んでいないだけで、シミュレーションなら何度もやった。
 宇宙船さえ手に入ったなら、アルテメシアへ飛ぶことは…。
(…絶対に、出来る筈なんだ…)
 座標を打ち込んでやりさえすれば、オートパイロットで飛ぶことも出来る。
 そこそこ優秀な宇宙船なら、ワープも自分一人で可能。
 E-1077の宙港に行けば、飛んでゆける船は、きっとある筈。
 民間船は立ち入れなくても、それに準ずる船は来るから。
(……新入生を乗せて来る船……)
 それを奪えば、宇宙に出られる。
 上手く立ち回れば、新入生たちが下船する前に…。
(船を制圧して、乗員を全員、人質に取って…)
 新入生たちの命を盾に、アルテメシアへと漕ぎ出せるだろう。
 マザー・イライザが如何に冷徹でも、候補生たちの命は失えない。
 将来を嘱望されるエリートの卵、彼らの命を失ったなら…。
(グランド・マザーが、何と言うかな…?)
 お咎め無しでは済まないだろうし、歯噛みしながら見送ることしか出来ないだろう。
 ステーションから離れてゆく船、それに「シロエ」が乗っていたって。
 そうして、アルテメシアの方でも、着陸を拒否することは出来ない。
 海賊船にも等しい船でも、人質を大勢乗せているから。
 もしも自爆でもされようものなら、グランド・マザーに叱責される。
 誰も責任を取りたくないなら、着陸許可は下りるだろう。
 下船した「シロエ」は殺すにしたって、乗員は生かさねばならないから。


(……そうすれば、帰れる……)
 アルテメシアに、故郷のエネルゲイアに。
 もう顔さえも思い出せない両親、けれど片時も忘れてはいない。
 こんな時でも「帰りたい」のが故郷の星で、「会いたい」人が両親だから。
 人質を取って帰った「シロエ」は、両親に再会出来るだろうか。
 下船したなら、即座に殺されそうだけれども…。
(…まだ人質を取っていたなら…)
 アルテメシアの上層部だって、考えざるを得ないだろう。
 「セキ・レイ・シロエ」の要求通りに、かつての養父母を連れて来ることを。
 彼らを船に乗船させるか、ただ宙港へ呼んで「顔を見せる」だけかは謎だけれども。
(……運が良ければ、パパとママを……)
 人質と交換に出来るだろうか。
 全員を解放してしまわずに、一部の者だけ船から出せば…。
(代わりに、ぼくのパパとママを乗せて…)
 残りの人質は確保したまま、更に要求を突き付けられる。
 船にエネルギーを補給しろとか、「地球の座標を教えろ」だとか。
 候補生たちの命が惜しい上層部は、その要求を飲むしかない。
 「シロエが逃げる」と分かっていても。
 まんまと再会を遂げた両親、彼らを連れて地球に向かうと、承知していても。
(…撃墜しようにも、人質がいるしね…)
 手も足も出ない筈なんだ、と考えるけれど。
 ステーションの宙港に行きさえすれば、その選択肢があるのだけれど…。
(……キース・アニアン……)
 その前に、あいつの歪んだ顔を、と思ってしまう。
 いつも取り澄ましたトップエリート、彼が醜く取り乱すのを。
 ピーターパンの本に隠した真実、それを目の前に突き付けてやって。
 フロア001で撮影して来た、キースの「ゆりかご」。
 胎児や「キース」の標本を見せて、あのエリートを追い詰めたい、と。


 それは破滅だと分かっている。
 その道を行けば、もう故郷には戻れはしない。
 キースに会う方を選んだならば、確実に保安部隊に捕まる。
 なにしろ個室は監視されていて、この床下のようにはいかない。
 どの個室にもある「マザー・イライザ」の端末、それが「いつでも見ている」から。
 個室でキースを捕まえなくても、それ以外の場所も、条件は同じ。
 「キース・アニアン」がいるような場所は、何処だって「見られている」だろう。
 完璧な「機械の申し子」の彼は、日の当たらない場所に行くことはない。
 こんな床下に入りはしないし、通気口を伝ってゆくこともない。
 だから「キースに会ったら」終わり。
 其処でマザー・イライザの瞳に捕まり、保安部隊が追って来る。
 「セキ・レイ・シロエ」を処分するために。
 キースの前では撃たないにしても、引き摺ってゆかれて殺されるだけ。
 それが嫌なら、故郷に帰りたいのなら…。
(…通気口を伝って、宙港に行って…)
 新入生を乗せた船が無くても、めぼしい船を奪えばいい。
 そのための手段は、いくらでもある。
 武器が無くても、頭を使いさえすれば。
(……でも、ぼくは……)
 キースを追い詰めてやりたいんだ、と握り締める拳。
 それで命を失おうとも、それもまた自分の選んだ道には違いないから。
 「機械の申し子」を嘲笑うことで、機械に復讐してやりたいから。
(……キース・アニアン……)
 今に見てろ、と息を潜めて、笑みを浮かべるシロエは知らない。
 そう「考える」思考そのものが、マザー・イライザの狙いなことを。
 そのためにシロエが「選ばれた」ことも、破滅までがイライザの目的なことも。
 自由なのだと信じているから。
 彼が「自由」を忘れないことも、全ては機械の手の中なのに…。

 

           仕組まれた自由・了

※キースの正体を知ったシロエは、捕まってサイオンチェックされたわけですが…。
 脱出した後、どうしてステーションから逃げなかったか、それが気になって書いたお話。











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