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「パパ、ママ、早くぅ!」
 そう叫んだ声で、シロエは目を覚ました。
「……パパ?」
 ママ、と飛び起きて見回したけれど、両親の姿は何処にも無かった。
 代わりに視界に入って来たのは、見慣れてしまった牢獄の景色。
 教育ステーション、E-1077で割り当てられた「シロエ」の個室。
(……夢……)
 夢だったんだ、とシロエはベッドの上で膝を抱えて座り込んだ。
 確かに両親と過ごしていたのに、見ていたものは、ただの幻。
 自分はこうして囚われていて、故郷に帰ることさえ出来ない。
 その上、懐かしい両親の面影さえも…。
(…もう覚えてはいないんだ…)
 機械に消されてしまったから、と涙が頬を伝ってゆく。
 成人検査で過去を奪われ、このステーションに送り込まれた。
 その日からずっと牢獄暮らしで、機械に監視される毎日。
(……いつか必ず、国家主席に昇り詰めて……)
 SD体制を破壊してやる、と心に誓っているのだけれども、そう出来る日は遥か先。
 何年かかるか見当もつかない、気の遠くなるような未来のこと。
(…それまでに何度、泣くんだろう…)
 今夜のように、夜中に目を覚まして。
 夢に見ていた両親のことや、故郷の景色を懐かしんで。
(……懐かしむ?)
 あれっ、と引っ掛かった「それ」。
 夢の世界で「パパ、ママ、早くぅ!」と両親を呼んでいた自分。
 其処で「自分」が呼んだ相手は、顔がぼやけて定かではない、そんな状態ではなかった筈。
 今の自分が思い出そうと頑張ってみても、「そういう顔」しか思い出せないけれど。
 まるで焼け焦げた写真みたいに、あちこちが欠けておぼろな両親の顔。
 幼い自分が「それ」を見たなら、きっと怖くて声さえも出ない。
 両親ではなくて、「オバケ」だから。
 オバケが両親に化けて出て来て、両親のふりをしているだけで。


(……うん、絶対に……)
 小さい「ぼく」は怖がるだけ、と確信を持って言い切れる。
 今の自分が記憶している「両親の顔」は、幼い自分には恐ろしいだけ。
 「どうして顔が欠けちゃってるの」と、「これはオバケに違いないよ」と。
(…怖がることを知らないくらいに小さくっても…)
 そういう顔の両親を見たら、きっと無邪気に尋ねるだろう。
 「パパもママも、お顔、どうしちゃったの?」と。
 「どうしてあちこち欠けちゃってるの」と、「お目々や、お鼻は?」と。
(……でも、怖がってはいなかったんだ……)
 夢の中の世界にいた「ぼく」は、と頬を伝う涙をグイと拭って、顎に当てた手。
 幼かった日の自分が見たなら、恐ろしい筈の両親の顔。
 それを「怖い」と思いもしなくて、「変だ」と感じもしなかった。
 どちらかになる筈なのに。
 自分の記憶の中の両親、その顔が「欠けている」からには。
(それなのに、ぼくは怖がってなくて…)
 怖がるどころか、その両親に呼び掛けていた。
 「パパ、ママ、早くぅ!」と。
 早く一緒に何処かへ行こう、と幼い心を弾ませて。
 プレイランドにでも向かっていたのか、あるいはピクニックの途中だったか。
 とにかく楽しい「何処か」へ向かって、幼い自分は走っていた。
 両親よりも一足お先に、張り切って。
 転びそうなくらいの勢いで駆けて、「パパ、ママ、早くぅ!」と。
 両親の歩みが、じれったくて。
 もっと急いで走って欲しくて、後ろを振り返って叫んだ自分。
(…手も振ってたよね?)
 早く、と大きな声で叫んで。
 「ぼくの所まで早く来てよ」と、精一杯に。


 両親の顔を「怖い」と思わず、はしゃいで手まで振っていた自分。
 「パパ、ママ、早くぅ!」と呼び掛けた自分。
 幼かった日の自分にとっては、絶対に「怖い」筈なのに。
 「怖い」と感じられないくらいに幼かったら、「変だよ」と思う筈なのに。
(……それなのに、怖がってなかったってことは、もしかして……)
 夢で自分が見ていた両親、その顔は「本物」だったのだろうか。
 何処も全く欠けてはいなくて、おぼろでもなくて、幼かったシロエが「見た通り」の。
 今も懐かしくてたまらない顔、どうしても思い出せない「それ」。
(…それを見ていた?)
 夢の中で、と暗い部屋の中で目を凝らす。
 「もしかしたら」と。
(……夢の中の世界で、ぼくが見たのは……)
 機械が消してしまった記憶の世界で、其処では全てが「昔のまま」。
 優しかった両親の顔はもちろん、故郷の景色も「そっくりそのまま」。
 そうだったのなら、納得がいく。
 「怖い」とも「変だ」とも思いもしないで、両親に向かって呼び掛けた自分。
 小さな手を振り、「パパ、ママ、早くぅ!」と、元気一杯に。
 なにしろ自分が叫んだ先には、ちゃんと両親がいたのだから。
 記憶の中から消される前の、温かい笑顔そのままで。
 あのまま夢を見続けていたら、きっと…。
(そんなに走ると転ぶぞ、シロエ、って…)
 父が追い付いて来たのだろうか、幼い「シロエ」が転ぶ前に、と。
 それとも「シロエ」は転んでしまって、痛くて大泣きしたのだろうか。
 母が慌てて駆け寄る姿が目に見えるよう。
 「ケガしちゃったの?」と、「血は出ていない?」と。
(……ケガしちゃってたら、パパが背中に背負ってくれて……)
 大きな背中で揺られながら「何処か」へ向かったろうか。
 まだ、おんおんと泣きじゃくりながら、それでも「何処か」へ行きたくて。
 諦めて帰ることなど出来ずに、「行くんだもん」と。


(…その可能性は高いよね…)
 夢の中では、両親も故郷も、変わってはいない可能性。
 「怖い」と思っていなかったのだし、その可能性は大いにある。
 そうだとしたなら、機械が消してしまった過去の記憶は…。
(……自分では見付けられない場所に……)
 今もそのまま深く埋まって、起きている時は取り出せない。
 機械にそういう暗示をかけられ、ロックされている状態になって。
(だけど、眠っている間には…)
 意識して取り出すわけではないから、機械が施した暗示は効かない。
 だから「昔のままの両親」の姿や、故郷の景色が顔を出す。
 そして其処では、懐かしい世界で自由に過ごせるのだけれど…。
(夢から覚めたら、ロックがかかって…)
 見ていた筈の過去の全ては、おぼろなものへと変わってしまう。
 どう頑張っても、自力では思い出せないものに。
 確かに「この目で見た」筈だけれど、その記憶さえも曖昧になって。
(…よく考えたら、記憶を消去するよりは…)
 暗示をかけてロックした方が、何かと便利なのかもしれない。
 いくら不要な記憶とはいえ、それらが「シロエ」を作り上げて来た。
 他の候補生たちや教師や、一般市民や軍人にしても、其処の所は変わらない。
 個々の個性や人格などを形成した過去、それを完全に消去したなら…。
(……何処かに大きな歪みが生まれて……)
 立派な大人に生まれ変わる代わりに、廃人になるとか、狂うだとか。
 そういう危険がある気がする。
 全員がそうはならないとしても、リスクはゼロではないだろう。
(…暗示をかけて、ロックだけなら…)
 恐らくリスクは遥かに低くて、機械の手間も少ない筈。
 暗示をかけるだけとなったら、催眠術のようなものだから。
 わざわざ脳を弄らなくても、簡単な作業で済むのだから。


(そうなると、夢の中でなら……)
 シロエは「シロエ」のままなのだろうか、エネルゲイアで暮らした頃の。
 両親の顔を忘れてはいない、記憶を奪われる前の状態。
(…夢の中では、ロックが外れるんだから…)
 何も失くしてはいない「シロエ」が、以前と変わらずに駆け回っている。
 時には幼い子供に戻って、「パパ、ママ、早くぅ!」と。
 楽しい「何処か」に早く行こうと、両親に向かって手を振ったりして。
(……あのまま、夢が終わらなかったら……)
 今頃はきっと、目的地に着いていただろう。
 プレイランドで遊んでいるのか、ピクニックに出掛けてはしゃいでいるか。
 幸せな夢の「続き」の世界を、じっくりと見てみたかった。
 目覚めた途端に、それらはぼやけて、おぼろになってしまったとしても。
 「いったい何処へ行ったんだっけ?」と、定かには思い出せなくても。
(…それでもいいし、本当に夢の中でなら…)
 記憶を失くしていないというなら、永遠に目覚めなくてもいい。
 お伽話の眠り姫みたいに、百年も目覚めないままでも。
 機械の魔女の呪いにかかって、SD体制が終わる時まで、昏々と眠り続ける身でも。
(…目が覚めた時には、何もかもが…)
 元の通りに戻っているなら、いったいどれほど幸せなことか。
 けれど、目覚めずに眠り続けて、永い永い時を費やしたならば…。
(パパもママも、とっくに死んでしまって…)
 懐かしい故郷に戻ってみたって、どうにもならないことだろう。
 今でも会いたくてたまらない両親、その二人ともが「いない」なら。
 いくら記憶が戻っていたって、両親が死んでしまっていたら。


(……眠り姫になれたら、うんと幸せで楽なんだけど……)
 そうやって逃げてしまった先には、両親のいない世界があるだけ。
 夢の中では両親がいても、目覚めた時には、とっくに死んでしまっていて。
 「めでたし、めでたし」で終わってはくれず、ただ悲しみに暮れるしかない。
(…逃げられないよ…)
 やっぱり機械と戦って勝つしか道は無いみたい、と拳を固く握りしめる。
 両親を、記憶を取り戻すためには、それしか無いから。
 気が遠くなるほど長い道でも、それを歩いてゆくしかないから。
 国家主席の座に昇り詰めて、この手で機械を止める時まで。
 SD体制が終わる時まで、奪い去られた記憶の全てが、再びこの身に戻る時まで…。

 

            夢の中でなら・了

※サムが子供に戻ったということは、子供時代の記憶は「完全に消えてはいない」筈。
 だったら、夢の中では過去の記憶が顔を出すかも、と思った所から生まれたお話。











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(……サム……)
 やはり一生、あのままなのか、とキースが一人、零した溜息。
 首都惑星ノアの、国家騎士団総司令の部屋で。
 部下たちは皆、下がった夜更けに、執務用の机の前で。
 今日、病院に出掛けてサムを見舞った。
 「赤のおじちゃん!」と嬉しそうだったサム。
 すっかり子供に戻っているから、両親の話などをして。
 「父さんに叱られた」だとか、「母さんがオムレツ作ってくれるんだよ」だとか。
 そういうサムにも慣れたけれども、もう一度会いたい、かつてのサム。
 E-1077で、他愛ない話をしていた頃の。
 「元気でチューか?」と、たった一言だけでもいいから。
(…なのに、覚えていないんだ…)
 サムは何一つ覚えていない、と会う度に思い知らされる。
 成人検査を受けた後のサムは、もはや何処にもいないのだ、と。
 アルテメシアで暮らしていたサム、子供時代のサムしか残っていない、と。
(……どんな治療を受けさせても……)
 無駄に終わった、と今日までに流れた月日を数える。
 ジルベスター・セブンから後、此処まで出世して来た年月、それが治療に費やした日々。
 最初は普通の病院にいたのを、出世するに従って転院させた。
 地位が上がれば上がってゆくほど、いい病院に入れる世界。
 つまり、其処への紹介も出来る。
 自分が入院するのでなくても、友達のサムを。
 「私の親しい友人だから」と一言告げれば、何処も断わることは出来ない。
 心が壊れてしまう前のサムが、一介のパイロットであろうとも。
 E-1077にはいたというだけ、メンバーズに選ばれていなかろうとも。


 そうやって長い歳月が経って、今のサムは最高の病院にいる。
 最高の治療もさせているのに、一向に良くなる気配さえも無い。
(…治る見込みは無い、としか…)
 どの病院の医者も言わなかったし、今の主治医も同じことを言った。
 心を治すことは不可能、せめて体力の維持だけでも、と。
 壊れた精神に引き摺られて弱くなりがちな身体、それを管理するのが精一杯だ、と。
(……サムが、ミュウどものせいで壊れたのならば、と……)
 同じミュウなら、治す手立てがあるのかも、と、密かにマツカに試させてもみた。
 病室に伴い、サムの心を読ませてみて。
 「お前ならば、何か分かるのでは」と、殆ど縋るような気持ちで。
(しかし、それでも…)
 何も起こりはしなかった。
 マツカが「見た」のは、子供に戻ってしまったサム。
 E-1077にいた頃のサムも、パイロットをしていたサムも「いなかった」。
 もしも「いた」なら、手の打ちようもあったのに。
 サムとは直接話せなくても、マツカを介して、「表には出られないサム」と話すとか。
 あるいは「キースからの伝言」を伝えて貰って、徐々に正気に戻すだとか。
(……私の声さえ、伝えられたら……)
 きっと、どうにかなったのだろうに、伝えようにも、そのサムが「いない」。
 アルテメシアで暮らしていたサム、彼はキースを「知らない」から。
 どれほど言葉を尽くしてみたって、「赤のおじちゃん」でしかない「キース」。
 今の病院でも駄目だと言うなら、本当に一生、会えないのだろう。
 友達だった頃のサムには。
 「元気でチューか?」と笑っていたサム、あの懐かしい笑顔にさえも。


(……こんなことになってしまうのなら……)
 どうしてサムに会わなかった、と何回、悔いたことだろう。
 E-1077を卒業した後、機会はいくらでもあったのに。
(メンバーズになった私はともかく、サムは普通のパイロットだから…)
 時間の都合は、どうとでもなった筈だった。
 「メンバーズのキース」が連絡したなら、サムの上司は便宜を図ってくれたろう。
 サムが「キース」に会いに行けるように。
 メンバーズ・エリート直々の呼び出しとなれば、一般人には光栄の至り。
(たとえ休暇を、何日も与えることになろうとも…)
 サムの上司も、サムの代わりに勤務する者も、喜んで送り出したと思う。
 「行って来いよ」と、「メンバーズの友達によろしくな」と。
 運が良ければ、それを切っ掛けに、自分たちにも幸運が巡って来るかもしれない。
 「メンバーズ・エリートの御指名」を受けて、何処かへお供するだとか。
 ごくごくプライベートな用事で、民間船を利用する時などに。
(なのに、私は……)
 自分自身の任務に追われて、サムをすっかり忘れていた。
 たまに思い出す時があっても、「今頃は、何処にいるのだろう」という程度。
 放っておいても、「いつか会える」と思っていたから。
 サムはパイロットで、自分はメンバーズで軍人。
 どちらも宇宙を飛び回るのだし、広い宇宙で、いつか出会える。
 わざわざ機会を作らなくとも、偶然に。
 辺境で会うのか、首都惑星の周辺なのかは謎だけれども。
(……会えたら、一緒にコーヒーでも飲んで……)
 時間があったら食事などもして、「またな」と再び別れてゆく。
 そんな出会いを、勝手に思い描いていた。
 「友達だから」と。
 何処でバッタリ会ったとしたって、前と同じに仲良くやれる、と。


 それなのに、サムは壊れてしまった。
 友達だったサムは何処にもいなくて、「キース」に懐いているサムがいる。
(…それでも、サムはサムだから……)
 会えば自分も嬉しくなるのに、それと同じだけ悲しくもなる。
 「どうしてなのだ」と。
 「あの頃のサムは何処へ行った」と、「何故、こうなる前に会わなかった」と。
 悔いても、時は戻らないのに。
 「いつか会えるさ」と楽天的に構えていた頃、動かなかった自分が悪いのに。
(…私という人間は、いつもこうなんだ…)
 シロエの時もそうだった、と過ぎ去った時の彼方を思う。
 E-1077を卒業する前、この手で自分が殺したシロエ。
 彼が乗っている船を追い掛け、レーザー砲の照準を合わせて、ボタンを押して。
 マザー・イライザの命令のままに、撃墜して。
(……ああなる前に、もっと話していたなら……)
 違う道もあっただろうか、と今でも時々、考えてしまう。
 シロエとの出会いが「仕組まれたもの」であった以上は、違う道など有り得ないのに。
 あそこで撃墜するしかないのに、それでも「もしも」と悔やまれる過去。
 そういう別れになったとしたって、もう一人、友を得られたかも、と。
 サムのように失くしてしまうとしたって、セキ・レイ・シロエという名の友を。
(…シロエが嫌った、SD体制…)
 機械が統治している世界を、自分も今は嫌悪している。
 いや、当時から「そうだった」。
 「何かが違う」という気がして。
 人間を機械が管理するなど、何処かおかしいように思えて。
(あの時、シロエと、もっと親しくしていたら…)
 夜を徹してでも話せただろうか、歪んだ仕組みの世界について。
 「SD体制は間違っている」と、「変えるべきだ」と議論が白熱して。
 そうだったろう、と思うけれども、もう、あの時に戻れはしない。
 シロエが生きていた時代には。
 E-1077があった頃には、サムと友達だった時には。


(いつもこうして、悔やむばかりで…)
 どうにも出来ない、「失った」痛み。
 友達だったサムは戻らず、友になれただろうシロエは消えた。
 そういう巡り合わせの自分は、この先も、何かを失くすのだろうか。
 失くすような友はいないけれども、心当たりは一つだけある。
(……マツカ……)
 誰が見たって、恐らくマツカ本人でさえも、まるで気付いていないだろう。
 「キース」が唯一、心にかけている存在であることを。
 ただの便利な側近だとしか、誰も考えてはいない筈のマツカ。
 けれども、マツカを失ったならば、恐らくは、またも後悔する。
 「どうして、こうなってしまったのだ」と。
 「まだ何一つ話せていない」と、「話したいことが山ほどあったのに」と。
 ジルベスター・セブンから、ずっと「キース」に仕えるマツカ。
 彼に命を救われたことは、本当に数え切れないほど。
 自分の方では、一度きりしか、命を救っていないのに。
 ペセトラ基地での出会いの時に、殺さずに助けてやったというだけ。
(…それなのに、何故…)
 今も私の側にいるのだ、と訊きたいけれども、出来ないでいる。
 いつもいつも、悔やむだけだから。
 元気だった頃のサムに連絡しなかったことも、シロエと話をしなかったことも。
(……こんな調子で……)
 またしても失うくらいだったら、いっそ「痛み」など無ければいい。
 機械が無から作った生命、それならば、それに相応しく。
 感情さえもプログラムされた、アンドロイドのような人間。


(いっそ、そうなら、楽だったものを…)
 どうして感情などがあるのだ、と唇を強く噛み締める。
 人類を統治してゆくためだけなら、プログラムされたものでいいのに。
 機械が感情を与えなければ、今の歪んだSD体制、それを疑問にも思わないのに。
 なんとも悔しい限りだけれども、このままで生きてゆくしかない。
 計算ずくで与えられたものでも、感情を持っているのだから。
 失った痛みに苛まれようと、それが「キース」の心だから。
(……いつか、後悔するがいい)
 私に感情を与えたことを…、とマザー・イライザを思い浮かべる。
 マザー・イライザにそれを命じた、地球の地下にあるグランド・マザーも。
 こうして失い続けた痛みは、いつの日か、爆発するだろうから。
 その時、キースが味方するのは、SD体制に反旗を翻したミュウ。
 そうなることが分かっているから、今は冷たく微笑むだけ。
 いつか来るだろう、その時に向けて。
(…その時までに、もう一人…)
 失くさなければいいのだがな、と恐ろしい予感を振り払う。
 サムを、シロエを失くしたように、失うかもしれない者がいるから。
 失くしたら悔やむ者がいるから、それなのに何も、彼と話せてはいないのだから…。

 

           いつも失くす者・了

※記憶を機械が処理できるのなら、感情も消してしまえるかも、と思った所から出来たお話。
 原作にしても、アニテラにしても、キースが感情を持っていなければ、展開は別物かと。












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(行きたかったな、ネバーランド……)
 本当に行きたかったのに、とシロエの唇から零れた溜息。
 E-1077の夜の個室でベッドに腰掛け、ピーターパンの本を広げて。
 挿絵に描かれた、夜空を駆けてゆくピーターパンたちを眺めて。
 幼い頃から夢に見ていた、憧れの世界がネバーランド。
 いつか行けると思っていたのに、何処で失敗したのだろうか。
(……ピーターパンは、来てくれなくて……)
 夢の国へと旅立つ代わりに、このステーションに連れて来られた。
 しかも記憶を奪われて。
 大好きだった両親の顔も、故郷の景色もおぼろになって。
(…いったい、何がいけなかったの?)
 ちゃんと準備もしてたのに、と忘れてはいない「準備したこと」。
 中身はすっかり忘れたけれども、そうしていたことは覚えている。
(……ピーターパンが、いつ迎えに来てもいいように……)
 幼かった自分は「準備していた」。
 何の準備をしたのだろうか、持ってゆくための荷物だろうか。
 それとも夜空を駆けてゆく時、あまりの高さに身が竦んだりしないように…。
(心の準備をしていたのかな?)
 子供だしね、と考えてみる。
 高層ビルで暮らしていたから、高さには慣れていたけれど…。
(ピーターパンたちは、もっと高く飛ぶし、おまけに、そんな高さから…)
 真っ逆様に墜落したなら、命が無いのは知っていた。
 幼い頃から、何度も注意されていたから。
 ピーターパンが飛んで来ないか、夜のベランダに出る度に。
 「そこから落ちたら、死んでしまう」と、父か母かが声を掛けて。
(…ぼくが背伸びをしていたら…)
 肩を押さえに出て来たこともあった両親。
 その顔は、もう思い出せないけれど。
 とても大きかった父の手のことも、優しかった母の手も、おぼろだけれど。


 そうやって待っていたというのに、来てくれなかったピーターパン。
 もしも迎えに来てくれていたら、今頃は、此処にいないのに。
 いつまでも子供の姿を保って、きっと楽しく暮らせていた筈。
 ネバーランドは、そういう国だから。
 子供が子供でいられる世界で、ピーターパンだって、永遠に年を取らないから。
(…ぼくの準備が足りなかった?)
 夢見るだけでは駄目だったろうか、とも思うけれども、どうなのだろう。
 今だって夢は忘れていないし、未来に向けて努力もしている。
 機械が治める歪んだ世界に、あるべき姿を取り戻そうと。
 SD体制を全て破壊し、成人検査も消し去るのだと。
(ぼくは、そのために選ばれた子で…)
 そうするためには、今の世界に暫くは甘んじるしかない。
 候補生の身で世界は変えられないから、もっともっと上に行くように。
 まずは候補生たちのトップに立って、メンバーズ・エリートに選ばれること。
 そして順調に出世してゆき、いつか元老にならなくては。
 パルテノン入りして、更に出世し、国家主席の座に昇り詰める。
(…そこまで行ったら、もう機械なんか…)
 恐れる必要は何も無いから、隠しておいた牙を剥き出しにして…。
(地球にあるって言う、グランド・マザーに……)
 止まってしまえ、と一言、命令すればいい。
 SD体制の要はグランド・マザーで、それさえ止めれば全てが止まる。
 成人検査を行っているテラズ・ナンバーも、教育ステーションのコンピューターも。
 機械の統治が終わってしまえば、人間のための世界が戻る。
 記憶を消されることは無くなり、消された記憶も戻って来て。
 懐かしい故郷や両親の元に、誰もが帰ってゆくことが出来て。


(……そうするためには……)
 今は耐えるしかないし、選ばれたのなら名誉ではある。
 ネバーランドに逃げてゆくより、「ネバーランドを勝ち取る」ための勇者の方が…。
(ピーターパンだって、期待してくれているんだし…)
 頑張らなくちゃ、と思うけれども、先は長くて険しい道。
 途中で挫けてしまったならば、そこで機械に屈するしかない。
(…マザー牧場の、大人しい羊…)
 そう呼んで自分が軽蔑している、このステーションの候補生たち。
 自分が機械に膝を折ったら、彼らと同じに羊になる。
 いいように使われ、洗脳されて。
 歪んだ世界を「変だ」と感じることもなくなり、何の疑いも持たなくなって。
(…そんなの、嫌だ!)
 ぼくは絶対、そうはならない、と握り締める拳。
 ピーターパンの期待に応えるためにも、自分は勇者にならなければ。
 「準備していたのに、迎えが来なかった」ことを、誇らしく自分の胸に掲げて。
 子供が子供でいられる世界を、ネバーランドを「勝ち取る」のだと。
 けして機械に、屈することなく。
 どんなに長くて辛い道でも、ただ真っ直ぐに前を見詰めて。


(……真っ直ぐ……)
 真っ直ぐといえば、とパラパラとめくった大切なピーターパンの本。
 其処に書かれている、ネバーランドに行くための道。
(二つ目の角を右に曲がって、あとは朝まで、ずっと真っ直ぐ……)
 そうやって真っ直ぐ進んで行ったら、ネバーランドに行けるという。
 同じ「真っ直ぐ」な道と言うなら、断然、そちらの方がいい。
 いくら選ばれた勇者の道でも、長くて辛い道よりは。
 「選ばれた子」ではなくてもいいから、ネバーランドに行けたらいい。
 機械に屈して膝を折る前に、ただ真っ直ぐに歩いて行って。
 二つ目の角を右に曲がって、あとは朝まで、ずっと真っ直ぐ。
(……そういう曲がり角があったら……)
 きっと自分は、其処を曲がってゆくだろう。
 ピーターパンに呆れられてもいいから、勇者の道を投げ捨てて。
 「セキ・レイ・シロエ」が挫折したって、新しい勇者が現れる筈。
 勇者というのは、何処でも、そうしたものだから。
 過酷な試練に何人もの勇者が挑み続けて、乗り越えた者が真の勇者になるのだから。
(…ぼくが勇者になれなくっても…)
 誰かが代わりになると言うなら、自分は勇者でなくてもいい。
 歩むべき道は、長すぎるから。
 気が遠くなるほど辛く長い道で、いつ果てるとさえ見えはしないから。
(……二つ目の角が……)
 見付かったんなら、きっと曲がるよ、と本の表紙に目を落とす。
 夜空を駆けてゆくピーターパンと、ティンカーベルと、ウェンディたち。
 こんな風に飛んでは行けなかったけれど、歩いて行けるなら、それもいい。
 二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ。
 その曲がり角が、見付かったなら。
 何処かで運良く「それ」に出会って、曲がってゆくことが出来たなら。


(…でも、曲がり角…)
 いったい何処に在るのだろうか、ネバーランドに続いている道は。
 二つ目の角を右に曲がれば、夢の国へと繋がる道は。
(……ネバーランドがあるのは、何処?)
 何処なんだろう、と顎に手を当て、考えてみた。
 幼い頃には、「地球にあるのだ」と思い込んでいたこともある。
 何故なら、父がこう言ったから。
 「ネバーランドより素敵な所さ」と、宇宙の何処かにある地球のことを。
 地球が素敵な星だと言うなら、ネバーランドも、地球の上にあるに違いない。
 ピーターパンの本を書いた作者は、ネバーランドを見ただろうから。
 作者が本を書いていたのは、地球という星の上なのだから。
(…だけど、作者が生きていた頃の地球は…)
 一度、滅びて死んでしまった。
 何も棲めない星に成り果て、人類は宇宙に去るしかなかった。
 機械が治めるSD体制、そんなシステムに身を委ねて。
 青い地球を再び取り戻すために、人の生き方まで改革して。
(……そんな時代も、ネバーランドは……)
 滅びることなく命を繋いで、今も何処かに存在している。
 だったら、其処は「地球ではない」。
 ネバーランドが地球にあるなら、とうに滅びている筈だから。
 ピーターパンたちも消えてしまって、この本だって、消えている筈。
 夢の国が「無い」というのなら。
 ネバーランドが青かった地球と共に滅びて、何処にも存在しないのならば。
(…ということは、ネバーランドは、地球じゃなくって…)
 亜空間にあるのだろうか、未だ全貌が分からない世界。
 ワープ航法で飛び越えられても、どれほど広いかも謎の空間。
(きっと、其処だよ)
 あるとしたなら、とポンと打った手。
 ネバーランドが存在するのは、亜空間の中の何処かなのだ、と。


 そうだとしたなら、「曲がり角」に出会えるかもしれない。
 このステーションを卒業した後、メンバーズ・エリートの道に進んで。
 任務で宇宙を旅する間に、何度もワープを繰り返す内に。
(…何処かの星へと、ワープした時に…)
 亜空間を越えて飛んでゆく内に、その「曲がり角」が現れる。
 二つ目の角を右に曲がって、あとは朝まで、ずっと真っ直ぐ進める道が。
 宇宙に角など無さそうだけれど、ある日、バッタリ出くわす「それ」。
(……一つ目の角は、やり過ごして……)
 二つ目の角で、舵を大きく右に切る。
 右に曲がらねばならないから。
 二つ目の角を右に曲がって、あとは朝まで、ずっと真っ直ぐ飛んでゆかねば。
(宇宙船でネバーランドに着いたら、ピーターパンもビックリだよね)
 だけど行かなきゃ、という気がする。
 勇者の務めは放り出しても、道半ばにして捨てることになっても。
 真の勇者になることは出来ず、「ただのシロエ」のままになっても。
(……ついでに、メンバーズのシロエの方も……)
 ワープの事故で死亡した、という結末を迎えるわけだけれども、それでもいい。
 ネバーランドに行けるなら。
 真の勇者の辛い道より、遥かに希望があるだろうから…。

 

           二つ目の角を・了

※「ワープで事故ったら、ネバーランドに行けるのかな?」と思った所から生まれたお話。
 もしも二つ目の角があったら、シロエなら、きっと曲がる筈。迷いもしないで舵を切って。












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「大佐、昼間はすみませんでした」
 途中で抜けてしまうことになって…、とキースに頭を下げた部下。
 夜の個室に、いつものようにコーヒーを運んで来たマツカ。
 けれど、その顔には怯えたような不安が見える。
「構わん、よくあることだからな。それよりも早く休んでおけ」
 明日からも役に立って貰わないと困る、とキースは顎をしゃくった。
 「有能な部下に寝込まれたのでは、私の命が危ういからな」と。
「はい! 本当に、申し訳ありませんでした!」
 次からは気を付けますから、と詫びて、マツカは下がっていったのだけれど…。
(…まあ、これからも何度もあるだろうさ)
 今まで何度もあったのだしな、とキースの口元に苦笑が浮かぶ。
 国家騎士団に所属しているとはいえ、マツカは、実は人類ではない。
 排除するべき異分子のミュウ、たまたま人類に紛れていただけ。
 成人検査を運良くパスして、教育ステーションでも上手くやり過ごして。
 ミュウは虚弱な生き物なのだし、こういうことも無理はないのだ、と承知している。
 サイオンを使い過ぎた時には、体調不良を起こして倒れる。
(傍目には、ただの貧血だしな…)
 他の部下たちは「体調管理がなっていない」と、顔を顰めて呆れるだけ。
 「よくもあれで、総司令の側近が務まるものだ」と。
(…あれでなくては、務まらんのだが…)
 キース・アニアン総司令の側近などは、と可笑しいけれども、そのことは極秘。
 グランド・マザーさえも知らない、「キースだけの秘密」。
 「ミュウの部下を持っている」ことは。
 マツカが操るサイオンのお蔭で、何度も難を逃れたことも。
(……一番最初は……)
 ミュウの巣だった、ジルベスター・セブンからの脱出劇。
 もしもマツカがいなかったならば、あの時、死んでいただろう。
 モビー・ディックに撃墜されるか、ジョミー・マーキス・シンに船を破壊されて。
 あえなく宇宙の藻屑と消えて、それきり、消息不明になって。


 ところが自分は、生き残った。
 ソレイド軍事基地に戻って、メギドを持ち出し、再びジルベスター・セブンへ向かった。
(そしてミュウどもを焼き払うつもりが…)
 伝説のタイプ・ブルー・オリジン、ミュウの前の長、ソルジャー・ブルー。
 彼がメギドを沈めに出て来て、自分は、それを狩ろうとして…。
(危うく、道連れにされる所を……)
 またもマツカに救われた。
 彼が救いに来なかったならば、間違いなく失せていた命。
 あそこで死ななかったからこそ、国家騎士団総司令という地位にいる。
 ジルベスター・セブンの時には少佐だったのが、二階級特進で、上級大佐。
 そこからトントン拍子に出世し、今では国家騎士団のトップ。
 そういう「キース」が、邪魔で仕方ない者たちも多い。
 パルテノン入りが噂され始めてから、失脚を狙う者たちも増えた。
(……失脚だけでは生温い、と……)
 暗殺を企む者もいるわけで、マツカの能力は「そこで」役立つ。
 人の心を読むことが出来る特殊能力、いわゆるサイオン。
(その上、並みの人間よりも…)
 感覚などが優れているから、危険を察知するのも早い。
 「そちらの方に行っては駄目です」と、車のコースを変えさせたり、といった具合に。
 マツカのお蔭で「拾った命」は、もう幾つほどになったろう。
(たかが化物…)
 そう考えては、意識から弾き出すのだけれども、実際、誰よりも「大切な部下」。
 何も知らない他の部下には、「使えない奴だ」と思われていても。
 「コーヒーを淹れるしか能のない奴」と、陰口を叩かれてばかりでも。


(……もう少し、身体が丈夫だったら……)
 部下たちの評価も違ったろうか、と少しは思わないでもない。
 精鋭揃いの国家騎士団、体調不良を起こす者などは…。
(自分の体調も管理出来ない、無能な輩で…)
 クビになっても不思議ではないし、事実、そうした前例もある。
 国家騎士団に配属された者でも、「飛ばされる」こと。
 まずは辺境送りになって、それでも駄目なら、宇宙海軍に行くしかない。
 もっとも、そうして転属になれば…。
(…国家騎士団出身のエリートという扱いで…)
 海軍では一目置かれるのだから、考えようによっては栄転。
 とはいえ、国家騎士団から飛ばされるなどは…。
(不名誉の極みと言えるのだがな)
 マツカの場合は、その逆だったが…、とコーヒーのカップを指で弾いた。
 ソレイド軍事基地で拾った、宇宙海軍所属だったマツカ。
 「宇宙海軍から転属だとは」と、セルジュが敵意を剥き出しにしたほど。
 「どれほど使える部下が来たのか」と、身構えて。
 「ポッと出の新人に負けてたまるか」と、事あるごとに睨み付けて。
 なのにマツカは「無能だった」。
 コーヒーを淹れるしか能が無い上、直ぐに倒れる。
 まるで全く「使えない」から、敵意は、じきに軽蔑になった。
 「あんな野郎に、何が出来る」と。
 「他の者の足を引っ張るだけだ」と、「何故、転属にならないのか」と。
 国家騎士団から飛ばされる者は、病気が理由になることも多い。
 配属された時には欠片も無かった、後に発症した病。
(こればかりは、マザー・システムでさえも…)
 完璧に予見出来はしないし、仕方ないことと言えるだろう。
 ミュウどもでさえも、「成人検査で初めて」発覚する者が少なくないほど。
 まして人類の発病などは、どれほど検査し尽くしてみても…。
(読み切れまいな)
 元々の因子だったらともかく、環境などにも、大いに左右されるのだから。


 だからこそ、「呆れられている」マツカ。
 ジルベスター・セブンで見出された時には、分からなかった「欠点」なのだ、と。
 たった数日、共にいただけでは、虚弱かどうかは、分かりにくいもの。
 ましてや「ミュウの殲滅」という重大な局面、少しばかり弱い兵士でも…。
(ここぞとばかりに、奮い立って…)
 勇んで戦線に出てゆくだろうし、見た目だけでは判断出来ない。
 マツカも「それだ」と思う者は多くて、仕方なく受け入れられている。
 「運のいい奴だ」と、「バレる前に、お目に留まったとはな」と。
(…それはいいのだが…)
 本当に、もう少し丈夫だったら、というのが自分の本音でもある。
 マツカが「直ぐに倒れる」ことが分かっているから、ハードな予定は最初から組めない。
 もしもマツカが倒れてしまえば、「キース」の周りは「がら空き」だから。
 腹心の部下たちが固めていたって、マツカ一人に敵いはしない。
 なにしろマツカは、銃の弾さえ、その手で受け止めてしまえるくらい。
 他の部下では、暗殺者に向かって「銃撃する」のがせいぜいなのに。
 撃たれた後から撃ってみたとて、既に「キース」は倒れた後。
(狙撃手の腕が確かだったら…)
 最初の一発、それでキースは死んでいる。
 眉間に風穴を開けられるだとか、心臓を撃ち抜かれるとかして。
(……マツカにしか、ああいう輩は防げんからな)
 もっと丈夫でいてくれたなら、と願うのは「無い物ねだり」だろう。
 ミュウは大概、虚弱だから。
 ジョミー・マーキス・シンのようなミュウは、あくまで例外だから。


(……それに、マツカも……)
 きっと思いは同じだろうな、と想像がつく。
 いじらしいほどに尽くすマツカも、歯痒い思いをしている筈。
 「ぼくさえ倒れなかったならば」と、今日のようなことになる度に。
 「もっと身体が丈夫だったら」と、「キース」の期待に応えられない「弱さ」を悔やんで。
(…さっきにしても…)
 まだまだ身体が辛いだろうに、ちゃんとコーヒーを淹れて来た。
 「これは自分の役目だから」と、寝ていた部屋から起きて出て来て。
 きちんと騎士団の制服に着替えて、普段と同じに香りの高いコーヒーを。
(……体調不良か……)
 私とは縁が無いのだがな、と小さく笑って、けれど笑いは凍り付いた。
 自分の記憶に「そういったこと」が無かったから。
 「ここで倒れるわけにはいかない」と、歯を食いしばったことは多くても…。
(…体力や気力の限界だっただけで…)
 体調不良というものではない。
 そう、E-1077の頃から、そうだった。
 厳しい訓練や授業が続く四年間、大抵の者は一度くらいは医務室に行く。
 何処か、具合が悪くなって。
(…しかし、私は…)
 ただの一度も行きはしなくて、ステーションを卒業した後も同じ。
 それだけに、不思議に思いもした。
 教官をやっていた頃にしても、第一線に立っていた時も。
(…どうして、こんな大事な時に…)
 休めるのだろう、と思ったけれども、体調不良なら仕方ない。
 「きっと、たるんでいるからだ」と溜息をついて、それで終わった。
 自分の生まれを「全く知らなかった」から。
 機械が無から作った生命、「優秀であるよう」作られた身体。
 ならば、体調不良を引き起こすような要因は…。
(最初から、取り除かれていて…)
 何処にも在りはしないのだろう。
 後天的な環境でさえも、病などは忍び寄れないように。


(…きっと、そうだな…)
 そうに違いない、と自分の生まれが恐ろしい。
 虚弱なマツカの心の内は分かったとしても、他の者たちはどうなのか。
 いつか導くだろう人類、彼らの「心」が分かるだろうか。
 「ちょっとした病」さえも知らない、これからも「知らないまま」だろう者に。
 「体調を崩す」ことなど知らない、機械が作った生命体に。
(……分からないなら、想像するしかないのだが……)
 そんな自分が指導者となる、「人類」は不幸なのだと思う。
 「他人の痛みが分からない」者は、優れた者ではないと言うから。
 それを知るための手掛かりさえをも、持っていないのが「キース」だから…。

 

           持っていない者・了

※「マツカは虚弱だけど、キースは寝込むなんて無さそう」と思った所から生まれたお話。
 訓練次第で強くなれても、人間、限界があるわけで…。キースはそれも無いだろうな、と。











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(……パパ、ママ……。会いたいよ…)
 帰りたいよ、とシロエの瞳から涙が溢れそうになる。
 E-1077の夜の個室で、ベッドの端に腰を下ろして。
 両親から貰った宝物の本、ピーターパンの本を膝の上に置いて。
 懐かしい故郷を奪われた日から、もうどのくらい経っただろうか。
 優しかった両親も、エネルゲイアで暮らした家も、どちらも、とうに記憶の彼方。
 過ぎた月日の数だけで言えば、さほど遠くはないのだけれど。
 半年も経ってはいないけれども、十年も昔のように思える。
(…十四年しか生きていないのに…)
 十五歳にもなっていないのに、それほどに故郷の記憶は遠い。
 四歳の頃と思しき記憶と、変わらないほどに。
 何故なら、「思い出せない」から。
(……全部、機械が奪って、消して……)
 忘れさせてしまった、故郷のこと。
 両親の顔も、家があった場所も、今の自分は覚えてはいない。
 おぼろにぼやけて薄れてしまって、とても「鮮明」とは言えない記憶。
 懸命に思い出そうとしたって、浮かんで来るのは「焼け焦げた写真」のような両親の顔。
 家の中の部屋は覚えてはいても、扉の向こうは思い出せない。
 「高層ビルの中にあった」としか。
 玄関の扉を開けて外に出たなら、何処に行けるのか分からない自分。
 此処まで薄れてしまった記憶は、本当に「遠い過去」のよう。
 四歳の頃の幼い自分が体験したことと、変わらない重さ。
(……それに、そっちの記憶にしたって……)
 本物かどうかは怪しいものだ、と疑い始めればきりが無い。
 記憶を奪った成人検査は、偽の記憶を植え付けるから。
 SD体制のシステムに向いた、機械に都合のいいものを。


 それでも機械が奪えないもの。
 どんなに消しても、白紙にすることは出来なかったもの。
 それを「自分」は持っている。
 膝の上のピーターパンの本。
 幼かった日に両親がくれた、夢の国へと飛び立てる本。
(二つ目の角を右に曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ…)
 そうやって進んで行った先には、ネバーランドがあるという。
 子供が子供でいられる世界、成人検査も忌まわしい機械も存在しない夢の国。
 いつの日か行きたいと強く憧れ、今でも願い続けて追い続けている、そういう「自分」。
 他の者たちは「持ってはいない」過去の「持ち物」を、今も、こうして持っているから。
 成人検査の前と後とを、確かに繋いでいるものを。
(……持って来て、良かった……)
 成人検査を受ける日の朝、持って出た「荷物」。
 「これだけは」と大事に鞄に詰め込み、両親の家を後にした。
(成人検査に、荷物は禁止…)
 そう教わってはいたのだけれども、本当に駄目なら、その時のこと。
 検査の間だけ、係官にでも預ければいい、と考えていたのが幸運だった。
(係官なんかは、いやしなくって…)
 突然、テラズ・ナンバー・ファイブに捕まり、過去の記憶を奪われた。
 何処で成人検査を受けたか、それさえも思い出せないほどに。
 気が付いた時は宇宙船の中で、故郷の星さえ、もう見えなかった。
 けれど、大切に持っていた本。
 検査の間も離すことなく、ずっと抱き締めていたのだろうか。
 ピーターパンの本は、そうして自分と「一緒に来た」。
 過去のものなど「誰も持っていない」、このE-1077まで。
 記憶は失くしてしまったけれども、形を持った「思い出」として。


 だから自分は「忘れない」。
 両親も故郷も、けして忘れてしまいはしない。
 必ず記憶を奪い返して、両親の許へと帰ってみせる。
 此処で優れた成績を出して、メンバーズ・エリートに選ばれて。
 国家主席の座に昇り詰めて、機械に「止まれ」と命令して。
(…パパ、ママ、待ってて…)
 ぼくは必ず帰るからね、と記憶の欠片を追っている内に、ハタと気付いた。
 自分はこうして「忘れない」けれど、両親の方は、どうだろうか、と。
 養父母の内では年配だったし、恐らくは自分が「最後の子供」。
 それだけに「強く心に残る子供」だと思うけれども、そうなる保証は何処にも無い。
(……新しい子を、育てることになったなら……)
 きっと「シロエ」の記憶は薄れて、新しい子に愛情を注ぐことだろう。
 機械もそれを後押しするから、記憶を処理することも有り得る。
 もう戻らない「シロエ」などより、新しく育てる子供が大切。
 「シロエのこと」を忘れられずに、比べたりするなど、言語道断。
(……それだと、新しい子供は可愛がっては貰えないから……)
 機械にとっては「まずい」状態、そんな養父母では話にならない。
 ならば、両親に新しい子供を託すより前に…。
(…パパとママから、ぼくの記憶を…)
 抜き去り、ゼロにするかもしれない。
 あるいは今の自分と同じに、「ぼやけて思い出せない」ように。
 子供がいたことは覚えていたって、どんな子だったか、記憶にあるのは名前くらいで…。
(他はすっかり、真っ白になって…)
 家に在る筈の「シロエの思い出」も、ユニバーサルが処分するのだろうか。
 両親と撮った沢山の写真や、シロエが持っていたものなどを。
 アルバムも本も全部纏めて、残らず廃棄してしまって。


(…そういえば…)
 自分は、両親の「前の子供」のことを知らない。
 成人検査で忘れてしまったわけではなくて、最初から。
 エネルゲイアで暮らした頃から、まるで知らない「自分の前に」両親が育てていた子供。
 家には「何も無かった」から。
 その子の思い出の品などは無くて、両親も話しはしなかった。
 本当に、ただの一度でさえも。
 年齢からして、「育てていた」のは確かなのに。
 名前も知らない兄か姉かが、間違いなく「存在した」筈なのに。
(……ぼくには、話さないにしたって……)
 養父母として教わることの一つに、「それ」も含まれているかもしれない。
 新しい子供を養育する時、「前の子」のことは話さないこと。
 SD体制というシステムにおいて、好ましいとは思えないから。
(子供は、取り替えてゆくものだ、って…)
 現に自分は知らなかったし、目にしたという記憶も無い。
 成人検査で卒業していった学校の先輩、彼らの両親の「その後」のことも。
(…新しい子を育ててるな、って思ったんなら…)
 それで仕組みに気付くだろうから、機械は細工をしていたのだろう。
 新しい子供を育てる時には、別の家に引っ越しさせるとか。
 あるいは周囲の記憶を処理して、「新しい子供を育てている」事実を隠すだとか。
(……パパとママの時も、そうだったの?)
 自分の前に育てていた子の、痕跡さえも残らないように…。
(機械が忘れさせてしまっていたとか、引っ越したとか…)
 引っ越しと同時に、前の子供の持ち物も処分したかもしれない。
 前の子供が存在したこと、それを「シロエ」が「気付かないまま」育ってゆくように。
 両親の子供は「シロエだけだ」と、疑いもせずに信じるように。
 そうだとしたなら、両親の家に、新しい子供が来ていたとしたら…。


(…ぼくを育てていたことを…)
 両親は忘れてしまっただろうか、「シロエの前の子」を忘れたように。
 あるいは「忘れていない」にしたって、自分と同じに記憶が薄れて、おぼろになって…。
(シロエっていう名前だったことだけ…)
 覚えているというのだろうか、あれほど優しかったのに。
 今も懐かしくてたまらないのに、両親の方では「そうではない」とか。
 「シロエの持ち物」も全て処分し、新しい子供に愛を注いでいるのだろうか。
 養父母の愛は、ただ一人だけの「子供」に向けられるものかもしれない。
 機械が記憶を処理しなくても、そのように教育されていて。
 養父母向けの教育ステーションでは、「子供は常に一人きりだ」と考えるように叩き込まれて。
 新しい子を迎えた時には、前の子供のことを「忘れる」。
 意識して自分の気持ちを切り替え、前の子供の痕跡を家から消し去って。
 新しく来た「我が子」たちには、「私たちの子は、お前だけだ」と思い込ませて。
(……どっちにしたって……)
 パパもママも忘れてしまうんだよね、と零れた涙。
 機械が記憶を処理するにしても、自ら記憶を追い出すにしても。
 「新しい子供」を迎えるのならば、その前にいた「シロエ」のことは。
 そして家からは「シロエ」という子が存在していた、あらゆる証が全て消え去る。
 アルバムも持ち物も、何もかもが。
(…そんなの、嫌だ…)
 酷すぎるよ、と思うけれども、現実はきっと、そうなのだろう。
 両親が「新しい子」を育てているなら、「シロエ」は消えてしまっただろう。
 そう考えると胸が痛くて、本当に消えてしまいたくなる。
 「いつか帰りたい」気持ちまでもが、粉々に砕けてしまいそうだから…。
(……パパ、ママ、お願い……)
 新しい子を育てないで、と手を組んで、ただ祈るしかない。
 どうか自分が「最後の子供」であるように。
 両親が「シロエ」を忘れることなく、年を重ねてくれるようにと…。

 

           次の子が来たら・了

※SD体制のシステムからして、こういう話は充分にあると思うのです。忘れ去られる子供。
 機械がやるにせよ、自発的にせよ、子供にとっては惨すぎる現実。気付いた子供だけですが。













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