(……パパ、ママ……。会いたいよ…)
帰りたいよ、とシロエの瞳から涙が溢れそうになる。
E-1077の夜の個室で、ベッドの端に腰を下ろして。
両親から貰った宝物の本、ピーターパンの本を膝の上に置いて。
懐かしい故郷を奪われた日から、もうどのくらい経っただろうか。
優しかった両親も、エネルゲイアで暮らした家も、どちらも、とうに記憶の彼方。
過ぎた月日の数だけで言えば、さほど遠くはないのだけれど。
半年も経ってはいないけれども、十年も昔のように思える。
(…十四年しか生きていないのに…)
十五歳にもなっていないのに、それほどに故郷の記憶は遠い。
四歳の頃と思しき記憶と、変わらないほどに。
何故なら、「思い出せない」から。
(……全部、機械が奪って、消して……)
忘れさせてしまった、故郷のこと。
両親の顔も、家があった場所も、今の自分は覚えてはいない。
おぼろにぼやけて薄れてしまって、とても「鮮明」とは言えない記憶。
懸命に思い出そうとしたって、浮かんで来るのは「焼け焦げた写真」のような両親の顔。
家の中の部屋は覚えてはいても、扉の向こうは思い出せない。
「高層ビルの中にあった」としか。
玄関の扉を開けて外に出たなら、何処に行けるのか分からない自分。
此処まで薄れてしまった記憶は、本当に「遠い過去」のよう。
四歳の頃の幼い自分が体験したことと、変わらない重さ。
(……それに、そっちの記憶にしたって……)
本物かどうかは怪しいものだ、と疑い始めればきりが無い。
記憶を奪った成人検査は、偽の記憶を植え付けるから。
SD体制のシステムに向いた、機械に都合のいいものを。
それでも機械が奪えないもの。
どんなに消しても、白紙にすることは出来なかったもの。
それを「自分」は持っている。
膝の上のピーターパンの本。
幼かった日に両親がくれた、夢の国へと飛び立てる本。
(二つ目の角を右に曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ…)
そうやって進んで行った先には、ネバーランドがあるという。
子供が子供でいられる世界、成人検査も忌まわしい機械も存在しない夢の国。
いつの日か行きたいと強く憧れ、今でも願い続けて追い続けている、そういう「自分」。
他の者たちは「持ってはいない」過去の「持ち物」を、今も、こうして持っているから。
成人検査の前と後とを、確かに繋いでいるものを。
(……持って来て、良かった……)
成人検査を受ける日の朝、持って出た「荷物」。
「これだけは」と大事に鞄に詰め込み、両親の家を後にした。
(成人検査に、荷物は禁止…)
そう教わってはいたのだけれども、本当に駄目なら、その時のこと。
検査の間だけ、係官にでも預ければいい、と考えていたのが幸運だった。
(係官なんかは、いやしなくって…)
突然、テラズ・ナンバー・ファイブに捕まり、過去の記憶を奪われた。
何処で成人検査を受けたか、それさえも思い出せないほどに。
気が付いた時は宇宙船の中で、故郷の星さえ、もう見えなかった。
けれど、大切に持っていた本。
検査の間も離すことなく、ずっと抱き締めていたのだろうか。
ピーターパンの本は、そうして自分と「一緒に来た」。
過去のものなど「誰も持っていない」、このE-1077まで。
記憶は失くしてしまったけれども、形を持った「思い出」として。
だから自分は「忘れない」。
両親も故郷も、けして忘れてしまいはしない。
必ず記憶を奪い返して、両親の許へと帰ってみせる。
此処で優れた成績を出して、メンバーズ・エリートに選ばれて。
国家主席の座に昇り詰めて、機械に「止まれ」と命令して。
(…パパ、ママ、待ってて…)
ぼくは必ず帰るからね、と記憶の欠片を追っている内に、ハタと気付いた。
自分はこうして「忘れない」けれど、両親の方は、どうだろうか、と。
養父母の内では年配だったし、恐らくは自分が「最後の子供」。
それだけに「強く心に残る子供」だと思うけれども、そうなる保証は何処にも無い。
(……新しい子を、育てることになったなら……)
きっと「シロエ」の記憶は薄れて、新しい子に愛情を注ぐことだろう。
機械もそれを後押しするから、記憶を処理することも有り得る。
もう戻らない「シロエ」などより、新しく育てる子供が大切。
「シロエのこと」を忘れられずに、比べたりするなど、言語道断。
(……それだと、新しい子供は可愛がっては貰えないから……)
機械にとっては「まずい」状態、そんな養父母では話にならない。
ならば、両親に新しい子供を託すより前に…。
(…パパとママから、ぼくの記憶を…)
抜き去り、ゼロにするかもしれない。
あるいは今の自分と同じに、「ぼやけて思い出せない」ように。
子供がいたことは覚えていたって、どんな子だったか、記憶にあるのは名前くらいで…。
(他はすっかり、真っ白になって…)
家に在る筈の「シロエの思い出」も、ユニバーサルが処分するのだろうか。
両親と撮った沢山の写真や、シロエが持っていたものなどを。
アルバムも本も全部纏めて、残らず廃棄してしまって。
(…そういえば…)
自分は、両親の「前の子供」のことを知らない。
成人検査で忘れてしまったわけではなくて、最初から。
エネルゲイアで暮らした頃から、まるで知らない「自分の前に」両親が育てていた子供。
家には「何も無かった」から。
その子の思い出の品などは無くて、両親も話しはしなかった。
本当に、ただの一度でさえも。
年齢からして、「育てていた」のは確かなのに。
名前も知らない兄か姉かが、間違いなく「存在した」筈なのに。
(……ぼくには、話さないにしたって……)
養父母として教わることの一つに、「それ」も含まれているかもしれない。
新しい子供を養育する時、「前の子」のことは話さないこと。
SD体制というシステムにおいて、好ましいとは思えないから。
(子供は、取り替えてゆくものだ、って…)
現に自分は知らなかったし、目にしたという記憶も無い。
成人検査で卒業していった学校の先輩、彼らの両親の「その後」のことも。
(…新しい子を育ててるな、って思ったんなら…)
それで仕組みに気付くだろうから、機械は細工をしていたのだろう。
新しい子供を育てる時には、別の家に引っ越しさせるとか。
あるいは周囲の記憶を処理して、「新しい子供を育てている」事実を隠すだとか。
(……パパとママの時も、そうだったの?)
自分の前に育てていた子の、痕跡さえも残らないように…。
(機械が忘れさせてしまっていたとか、引っ越したとか…)
引っ越しと同時に、前の子供の持ち物も処分したかもしれない。
前の子供が存在したこと、それを「シロエ」が「気付かないまま」育ってゆくように。
両親の子供は「シロエだけだ」と、疑いもせずに信じるように。
そうだとしたなら、両親の家に、新しい子供が来ていたとしたら…。
(…ぼくを育てていたことを…)
両親は忘れてしまっただろうか、「シロエの前の子」を忘れたように。
あるいは「忘れていない」にしたって、自分と同じに記憶が薄れて、おぼろになって…。
(シロエっていう名前だったことだけ…)
覚えているというのだろうか、あれほど優しかったのに。
今も懐かしくてたまらないのに、両親の方では「そうではない」とか。
「シロエの持ち物」も全て処分し、新しい子供に愛を注いでいるのだろうか。
養父母の愛は、ただ一人だけの「子供」に向けられるものかもしれない。
機械が記憶を処理しなくても、そのように教育されていて。
養父母向けの教育ステーションでは、「子供は常に一人きりだ」と考えるように叩き込まれて。
新しい子を迎えた時には、前の子供のことを「忘れる」。
意識して自分の気持ちを切り替え、前の子供の痕跡を家から消し去って。
新しく来た「我が子」たちには、「私たちの子は、お前だけだ」と思い込ませて。
(……どっちにしたって……)
パパもママも忘れてしまうんだよね、と零れた涙。
機械が記憶を処理するにしても、自ら記憶を追い出すにしても。
「新しい子供」を迎えるのならば、その前にいた「シロエ」のことは。
そして家からは「シロエ」という子が存在していた、あらゆる証が全て消え去る。
アルバムも持ち物も、何もかもが。
(…そんなの、嫌だ…)
酷すぎるよ、と思うけれども、現実はきっと、そうなのだろう。
両親が「新しい子」を育てているなら、「シロエ」は消えてしまっただろう。
そう考えると胸が痛くて、本当に消えてしまいたくなる。
「いつか帰りたい」気持ちまでもが、粉々に砕けてしまいそうだから…。
(……パパ、ママ、お願い……)
新しい子を育てないで、と手を組んで、ただ祈るしかない。
どうか自分が「最後の子供」であるように。
両親が「シロエ」を忘れることなく、年を重ねてくれるようにと…。
次の子が来たら・了
※SD体制のシステムからして、こういう話は充分にあると思うのです。忘れ去られる子供。
機械がやるにせよ、自発的にせよ、子供にとっては惨すぎる現実。気付いた子供だけですが。