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底に少しだけ

(あ…)
 今日も、とマツカが零した溜息。
 また今日もだ、と。
 キースが去って行った後。
 下げに出掛けたコーヒーのカップ、底に少しだけ残ったコーヒー。
 本当にほんの少しだけ。
 多分、一口で飲める程度の。
(…今度は何が…)
 あったんだろう、と心の中だけで一人呟く。
 キースの心を占めるのは何か、何が心を覆うのかと。
 こういう風に残ったコーヒー、たまにキースが飲み残す時。
 きっとキースは、何かに捕まってしまっている筈。
 それの中身は分からないけれど。
 苛立ちなのか、頭を悩ませるような何かか。
 それとも悲しみ、あるいは後悔。
(…ぼくには何も分からないけれど…)
 キースの心は読めないけれども、カップの底に残ったコーヒー。
 今夜のように残っている日は、そうだから。
 此処にキースの心は無いから、何処かへと飛んでいる筈だから。


 初めてそれを目にした時には、自分が失敗したと思った。
 キースの口には合わないコーヒー、不味いコーヒーを淹れたのだと。
(てっきりそうだと…)
 考えたから、自分を叱った。
 「次は、気を付けて淹れなければ」と。
 そうして心を砕いているのに、キースのカップに残るコーヒー。
 ほんの一口か二口分だけ、すっかり冷めてしまったものが。
 これでは駄目だ、と懸命に覚えたコーヒーの淹れ方。
 「美味いコーヒーを飲ませる店だ」と耳にしたなら、休暇の時に出掛けて行った。
 国家騎士団にいるコーヒー好きにも、それとなく淹れ方を聞いたりした。
(キースが美味しそうに飲んだ時だって…)
 どう淹れたのかを書き留めておいた。
 キースは顔に出さないけれども、美味しそうに飲めば分かるから。
 後姿を見ているだけでも、なんとなく分かるものだから。
 それが自分がミュウだからなのか、そうでないかは分からない。
 けれど、理由はどうでもいいこと。
 キースが「美味い」と思うコーヒー、それを淹れられたら嬉しいから。
 「役に立てた」と、心がほどけてゆくのだから。


 そうやって覚えていったコーヒー。
 キースの好む豆や淹れ方、そういったものを一つずつ。
 なのに、キースはコーヒーを残す。
 いつも通りに淹れた筈なのに、けして不味くはない筈なのに。
 だから「変だ」と思った自分。
 キースがコーヒーを残す理由は、味のせいではないかもしれない、と。
 ならば、理由は何なのだろう?
 コーヒーを運んだ自分の態度が気に入らないとか、気に障ったとか。
 その可能性だって考えた。
 自分が淹れたコーヒーなのだし、原因はきっと自分だろうと。
(ぼくのせいなら…)
 少しもキースの役に立たない。
 憩いのひと時の筈のコーヒー、それを「不味い」と思わせたなら。
 「今日のコーヒーは美味くなかった」と、キースがカップに残すなら。
 もっと、もっと気を配らねば。
 コーヒーの味にも、「どうぞ」とキースに差し出す時にも。
 指の先まで、神経をピンと張り詰めて。
 声を出す時も、柔らかな声になるように。
 キースが不快に思わない声、それから態度。
 視線はもちろん、コーヒーを置いて去ってゆく時の背中にだって。
 どれも気を付けて、キースの機嫌を損ねないように。
 コーヒーを飲んで、心からホッと出来る時間を置いてゆけるように。


 それなのに、やはり残るコーヒー。
 たまにだったり、何日もそれが続いたり。
 いったい何がいけなかったかと、何度も悩んだ。
 「昨日のぼくは…」と思い返して、今日の自分と重ねてみたりと。
 けれど解けない、分からない理由。
 キースが飲まずに残すコーヒー、カップの底にほんの少しだけ。
 もしかしたら、と気付いた日は…。
(…サムの病院…)
 いつものように、キースについて出掛けた病院。
 自分は病室に行かないけれども、外で帰りを待っていた時。
 出て来たキースの顔に感じた、微かな曇り。
 普段だったら、此処へ来た後、キースの心は晴れているのに。
 心をわざわざ覗かなくても、凪いでいるのが分かる病院。
 サムに会ったら、キースの心は晴れるのだと。
 ステーション時代からの友人、サムは今でも、たった一人のキースの大切な友なのだ、と。
(…でも、あの時は…)
 晴れる代わりに曇った心。
 キースは何一つ、自分に話しはしなかったけれど…。
(きっと、サムの具合が…)
 良くなかったに違いない、と直ぐに分かった。
 風邪でも引いて熱があったか、薬で眠らされていただとか。
 酷く興奮していたのならば、そういう治療もあるだろうから。
(その夜、キースは…)
 コーヒーをカップに残していった。
 ほんの少しだけ、まるで飲むのを忘れたかのように。


 次の日も、同じに残ったコーヒー。
 サムの病院から連絡が入って取り次いだ日まで、コーヒーはカップに残り続けた。
 連絡があった日、下げに行ったら綺麗に飲んであったコーヒー。
 それでようやく「そうか」と気付いた。
 心に重い何かがある時、キースはコーヒーを残すのだと。
 最後まで飲むことを忘れているのか、残っていることに気付きもしないで立ってゆくのか。
(…どっちなのかは分からないけれど…)
 コーヒーを飲んでも、キースが心から安らげない日。
 そういう時にはコーヒーが残る。
 どんなに美味しく淹れてみたって、心を配って差し出したって。
 一度気付けば、ピタリと嵌まり始めたピース。
 「まただ」と、「今日も何かあった」と。
 そう思ってキースを見ていたならば、纏う空気が違うのが分かる。
 心の中身は分からなくても、「今日のキースは、いつもと違う」と。
 コーヒーを残すほどだから。
 心が何処かに行ってしまって、一口か二口、置いてゆくから。


 今日もそうだ、と溜息をついてカップを下げる。
 いったい何がキースの心を占めるのだろうと、あの人に何があったろう、と。
(…任務のことは、ぼくには何も…)
 分からないから、何も出来ない。
 キースの心を軽くするための手伝いは無理で、何の役にも立てない自分。
(…サムの具合が悪い時だって…)
 やっぱり自分は役に立てない。
 「大丈夫ですよ」と気休めなどは言えないから。
 「元気を出して下さい」とも。
 自分はキースの友達ではなくて、部下の一人で、部下の中でも…。
(ぼくが一番、役に立たない…)
 「コーヒーを淹れることしか能が無い、ヘタレ野郎だ」と言われるほどに。
 面と向かって言わない者でも、そう思っていることだろう。
 だからキースに何も言えない、掛けられる言葉を自分は持たない。
 こうして心配することだけ。
 「明日はコーヒーが残らないように」と願うしかない、たったそれだけ。
 自分は何も出来ないから。
 キースに言葉も掛けられないから。


(ぼくに出来ることは…)
 ただコーヒーを淹れることだけ。
 「コーヒーを頼む」と言われたら。
 キースがそれを望んだならば。
 精一杯に、心をこめて。
 キースの心が此処に無いなら、せめて舌だけでも安らぎを覚えて欲しいから…。
(…美味しく淹れて、丁度いい熱さで…)
 明日もキースにコーヒーを。
 そのコーヒーが、カップの底に少しだけ残らないといい。
 明日は綺麗に飲んで貰えて、空のカップを下げられたらいい。
 キースの心が軽くなったら、コーヒーが残りはしないから。
 それを祈るしか出来ないのだから、明日は空になったカップを下げたい。
 少しでも早く、キースの心が晴れればいい。
 自分は何も手伝えないから。
 ほんの小さな気の利いた言葉、それさえも言えはしないから。
 だから、心から祈ることだけ。
 明日はカップが空になるように、キースの心を覆う何かが消えるようにと…。

 

        底に少しだけ・了

※「コーヒーを淹れることしか能の無い、ヘタレ野郎」と、セルジュが言うほどのマツカ。
 それだけではない筈なんですけど…。コーヒーに気を配っているのは確かだよね、と。





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