(……まさか、こんなモノが……)
何故、とシロエは愕然とする。
フロア001、ようやく入り込んだEー1077の奥深く。
此処で自分が目にするものは、こんなモノでは無かった筈だ、と。
(…精密機械が沢山並んだ、クリーンルームで…)
塵一つ存在してはならない空間、冷たく無機質な研究室。
そういった場所を頭に思い描いていたのに、これは一体、何なのか、と。
(……どう見ても、キース……)
ズラリと並べられたガラスケースに、何人ものキースが収まっていた。
明らかに保存用の標本、既に死体となったモノが。
(…元々は、生きて育っていたモノ…)
そうだとしか思えないけれど、とガラスケースを端から見てゆく。
様々な成長過程の「ソレ」。
胎児から乳児、それから幼児に、少年、青年。
(…それに、あっちは…)
知らない女だ、と向かい側に並ぶケースも眺めた。
キースと同じに、成長過程が揃った標本。
此処では全く見かけない顔で、心当たりが無い女性。
(……何なんだ、これは?)
キースも、知らない顔の女も、「生物」でしか有り得ない。
今は死体になっていようと、かつては生きて成長していただろう「生き物」。
此処にあるのは、アンドロイドを作る部屋だと思ったのに。
皮膚の下に冷たい機械を隠した、人間の姿になぞらえたモノ。
マザー・イライザが作り上げた人形、意のままに動く精密な機械。
(…てっきり、そうだと…)
考えていたし、その証拠を握ろうと目論んでいた。
「キース・アニアン」を蹴落とすために。
完膚なきまでに叩き潰して、這い上がれないようにしてやるのだ、と。
(……でも、これは……)
何処から見たって、機械ではない。
細胞分裂を経て育った人間、それ以外には考えられない。
キースも、それに「知らない女」も。
胎児から順に揃った標本、そういうモノがある以上は。
(…もしかして、選び抜かれた血統…?)
そうなのだろうか、キースも、記憶に無い女も。
SD体制の世界においては、子供は母親から生まれはしない。
(提供された卵子と精子を…)
機械が掛け合わせて、作り出される受精卵。
それを人工子宮に移して、「誕生日」まで其処で育てられる。
人工羊水の中から出されて、養父母の手に託される日が訪れるまで。
(…どういった風に掛け合わせたかは…)
全て記録にある筈なのだし、「選び出す」ことは可能だろう。
「優秀な者」に成長するのが、最初から分かっている卵子。
それから、それに掛け合わせるのに、相応しい因子を持った精子も。
(…最高に優秀なのが確かな卵子と…)
とても優れた精子を組み合わせて、この標本たちを作ったろうか。
「キース」と「知らない女」の二種類、そういったモノを。
(……そうなのかもね?)
此処でこっそり育てていたなら、誰も気付きはしないだろう。
赤子の声も、子供の声も、何処にも漏れない環境ならば。
(そうやって育てて、データを集めて…)
研究目的を果たした時点で、彼らは「処分」されたのだろうか。
次の実験にかかるためには、もはや必要ないモノだから。
たとえ彼らが泣き叫ぼうとも、容赦なく。
あるいは彼らが眠っている間に、致死量のガスを吸い込ませるとか。
(…やりそうだよね…)
マザー・イライザなんだから、と肩を竦める。
機械にとっては、「ヒト」は「どうでもいい」ものだから。
世界を構成しているモノとはいえ、いくらでも代わりがいるのだから。
そういうことか、と納得しながら「キース」の標本を眺めてゆく。
胎児や乳児の頃はともかく、少年や青年に育ったモノは…。
(…流石に、可哀想なのかも…)
Eー1077しか知らずに育って、友達もいなかったとしても。
養父母の代わりに研究者たちが、彼らを育て上げたとしても。
(見ていた世界や、信じていたもの…)
ある日、突然、それらを奪われ、標本にされた「キース」たち。
いくら機械が育てていたって、唐突に終わった彼らの人生。
(…キースみたいに、感情なんか無い奴だって…)
機械でないなら、思考はヒトと変わらない筈。
感情が無いように見えてはいても、「思考する」のは人間と同じ。
(…この続きは、明日、考えよう、って…)
思って眠りに就いてそのまま、二度と目覚めなかったとしたら…。
(……成人検査と、それほど変わらないような……)
それとも、もっと悲惨だろうか、奪われるものは過去だけではない。
来る筈だった未来までをも、彼らは奪い去られたのだから。
(…目覚めの日だと、過去を消されて…)
養父母も故郷も失くすけれども、命を失ってはいない。
機械に奪い去られた記憶を、再びこの手に取り戻そうと…。
(足掻くことだって、出来るけれども…)
標本にされた「キース」たちには、それは無かった。
彼らが何を考えていたか、どう生きたのかは分からないけれど。
(…どう育つのかの実験だったか、知識を与え続けていたのか…)
自分が知っている「キース」みたいに、疑いもせずに学んで生きるだけの日々だったろうか。
それにしても、未来が「断ち切られた」のには違いない。
次の日、目覚めて学ぶつもりでいただろう「何か」。
それを学ぶ日は二度と来なくて、いきなり終わってしまった人生。
(…やっぱり、可哀想だよね…)
そんな最期じゃ…、と瞳を瞬かせる。
「可哀想だ」と、「キースは運が良かっただけか」と。
恐らく自分と出会ったキースは、研究の集大成なのだろう。
「この組み合わせならば間違いはない」と、機械が選んで交配したモノ。
そして理想の教育を施し、Eー1077の候補生として送り出した。
優れたエリートになれる人材、誰よりも優秀な存在として。
(…エリートの中のエリートね…)
生まれからして違ったのか、と噛んだ唇。
最初から「優れている」のだったら、並みの者では太刀打ち出来ない。
その上、機械や研究者たちが育てて来たなら、知識なども人並み以上だから。
(…ぼくは、健闘した方なんだろうな…)
そんな化物とトップ争いしてたんだから、と零れた溜息。
アンドロイドと争った方が、まだマシだったような気がする。
生まれ持って来た資質自体が、比較にならない相手よりかは。
星の数ほどの卵子と精子の交配の中から、選び抜かれた存在よりは。
(……どう頑張っても、ぼくじゃ敵いっこないってね……)
機械だったら、諦めもつくというものだけど、と情けない気分。
「同じ人間に敗れるなんて」と、「持って生まれた資質の差なんて」と。
(…腹が立つったら…)
いったい、どんな組み合わせだろう、と「キース」と「知らない女」を眺める。
彼らを「誕生させた」卵子と、それから精子。
(…こうして、一緒にあるってことは…)
卵子と精子の組み合わせは同じで、男性と女性を作ったのか。
あるいは「キース」と「知らない女」は、組み合わせからして違うのか。
(優秀な男性と、優秀な女性…)
どちらも生み出せるような血統、それがあるのか。
それとも、卵子だけが同じで、精子の方が別になるとか。
(…その逆だって、有り得るしね…?)
ついでに調べさせて貰うよ、と持って来たコンピューターを繋いだ。
どうやって「彼ら」が生まれて来たのか、データを見ようと。
せっかく此処まで入ったからには、とことん調べ上げてみるのがいい、と。
ハッキングならば手慣れたものだし、此処に来るにも、その手を使って来たのだから。
(…この先だよね…)
よし、と首尾よく引き出したデータ。
それを見た時、直ぐには意味が分からなかった。
あまりにも、予想と違い過ぎて。
微塵も考えていなかった事実、背筋も凍るような真実。
(……この標本は、全部……)
人間じゃない、と全身の血がショックで逆流してゆくよう。
何処から見たって「人間」だけれど、「キース」も「知らない女」の方も…。
(…人間を、作り上げただけ…)
卵子も精子も関係なく、と込み上げる恐怖にも似た「何か」。
「キース」は確かに「人形」だった。
アンドロイドなどより、遥かに精巧に出来上がったモノ。
なにしろ、「人間」なのだから。
機械が完全な無から作った、ヒトのように育って、ヒトのように思考する存在。
(…おまけに、キースは…)
ヒトのようには育っていない、とデータを見詰めて顔を歪める。
成人検査の年に至るまで、水槽の中で育った生命。
(……この標本たちも、全部、そう……)
可哀想だなんて、とんでもない、と消し飛んでしまった憐みの気持ち。
彼らは「何も知らないままで育って」、「何も知らずに」生涯を終えた。
外の世界に出ていないから。
水槽の中が世界の全てで、何を見ることも無かったから。
(…だから、キースも…)
成人検査も知らずに、この世に出て来たんだ、と噴き上げる怒り。
「なんて幸せな奴なんだろう」と。
アンドロイドなら、腹など立たなかったのに。
生まれながらに優れた存在、それでも、まだしもマシだったろうに。
(……幸福なキース……)
あいつは、何も分かっちゃいないし、知りもしない、と、ただ腹立たしい。
アンドロイドでも、ヒトでもなかったから。
機械が無から作った人間、まさしく「人形」だったのだから…。
予想外の真実・了
※シロエが「キースは、どうやって生まれて来たのか」を知った時点は、と考えてみたお話。
最初から知っていたようでもなし、見て分かりそうなものでもなし、と。その結果です。