(…機械仕掛けの冷たい操り人形…)
シロエは自分にそう言ったけれど。
「人の気持ちが分からない」と、「分からないから怖くて逃げているだけなんだ」と。
まさかシロエが言った通りに、この肌の下が冷たい機械で出来ているなど…。
(有り得ないんだ)
そんなことは、とキースは呟く。自分の部屋で、心の中で。
シロエの言葉に掻き乱された心、カッとなった怒り。
思わずシロエを殴った一発、繰り出した拳は確かに自分のものだったから。
ただ…。
(あの切れ味…)
中途半端な一撃だったのに、ナイフのように思えた切れ味。
それが恐ろしいような気がする、自分はいったい何者なのかと。
(…機械でも怒るんだ、と…)
皮肉っぽく聞こえたシロエの声。
あの時は自分に手を上げさせたシロエの意志の強さに、思わず飲まれていたけれど。
こうして部屋で思い返せば、忍び寄って来る自分への恐れ。それから恐怖。
何故なら、機械も怒るのだから。
そのことを自分は知っているから。
ステーションの皆が恐れるコール。マザー・イライザからの呼び出し。
恐れられる理由は、コールされたら叱られるから。
成績不良や、素行などで。
(叱るのも、怒りも…)
何処か似ている、考えれば分かる。
シロエと初めて出会った時には、自分もシロエを叱ったから。
下級生たちの争い事を収めるために、その場にいた者を纏めて叱った。
(もしも、彼らが逆らっていたら…)
今日のように手を上げることはなくても、怒鳴っただろう。
怒鳴ったならば、それは怒りへの第一歩。
(マザー・イライザも…)
同じように怒るのかもしれない。
コールされた者が、まるで反省しなければ。
繰り返しコールをすることになれば、声を荒らげて、きつい表情で。
(…ぼくが見たことが無いだけで…)
そういうマザー・イライザに出会った者も、少なくないのかもしれない。
皆がコールを恐れるからには、叱ることから、怒りへと進むことだってあるに違いない。
つまり、機械も怒るということ。
シロエが言っていたように。面白そうに、嘲りの笑みで。
機械も人と同じに怒る。怒ることは出来る。
ならば自分も、機械仕掛けで…。
(…今、こうやって考えているのも…)
人間が持つ頭脳ではなくて、人工知能の仕業だろうか?
マザー・イライザさながらに機械、良く出来たアンドロイドが自分の正体だろうか…?
(…それは有り得ない…)
有り得ないと思う、握った手首を流れてゆく血。
心臓から送り出された血液、それが打つ脈。
規則正しく脈打つ心臓、アンドロイドにそこまで凝った仕掛けをするわけがない。
(…気のせいだ…)
こんな風に乱れてしまう感情、それも機械には無いだろうから。
怒ったとしても、機械だったら即座に修正するだろうから。
次の段階に向けて計算し直し、きっと元通りに直すのだろうプログラム。
そうでなくては意味を成さない機械。
マザー・イライザが怒ったままでは、このステーションは立ちゆかない。
だから自分が同じ機械なら、シロエに乱された感情だって…。
(…とうに修正されている筈…)
そして落ち着いた自分がいる筈。
自分が恐れるナイフのようだった切れ味の拳、あれは訓練の賜物だろう。
中途半端に放った一撃、それが優れていただけのこと。
(何もかも、気のせい…)
機械仕掛けの心だったら、乱れたままなど有り得ないから。
ようやく緩んだ、自分への恐怖。
人であるなら、それでいい。
過去の記憶を持っていなくても、「機械の申し子」と嘲られても。
二度とシロエの手には乗るまい、どんな攻撃を仕掛けられても。
乱れ、落ち着かなかった感情。
そんなものは二度と御免だから。
負の感情を抱いて生きてゆくのは、愚の骨頂というものだから。
自分で答えを出した後には一晩眠って、すっきりしたつもりだったのだけれど。
講義のためにと出掛けて行ったら、不意に耳へと飛び込んだ声。
「おいっ!」
「サム?」
声に釣られて向けた顔。其処にサムがいて、サムだけではなくて。
「元気でチューかぁ? …って」
ヒョコッと自分に頭を下げた、サムが持っているぬいぐるみ。
「聞くだけ野暮か」と、ぬいぐるみを投げ上げてオモチャにするサム。
「宇宙の珍獣シリーズ、ナキネズミ。癒し系グッズのレア物だぜ?」とも紹介された。
サムは心配してくれたらしい、自分のことを。
昨日の事件で落ち込んでいないか、大丈夫かと。
サムらしいな、と思った励まし。
それを嬉しく思う心も、機械は持っていないだろう。…きっと。
(機械だったら、計算して、直ぐに適した答えを…)
サムに返すのだろうから。
なんと答えればいいのだろう、と見ていただけの自分と違って。
ホッとした所へ、響いたコール。
マザー・イライザからの呼び出し。
立ち上がり、教室を出ようとしたのを「キース!」と後ろから呼び止めたサム。
用があるのかと振り返ってみたら、「グッドラック!」と投げて寄越したぬいぐるみ。
癒し系グッズのレア物がポンと飛んで来たから、受け取った。
これもまた、サムの励ましだから。
「元気出せよ」と。
イライザのコールは怒りではなくて、叱られたというわけでもなくて。
むしろ褒められ、途惑ったほど。
ナキネズミのぬいぐるみを持っていたことも、何も言われはしなかった。
「そういう物は持たずに来なさい」とも、「あなたらしくもないですね」とも。
コールで少し疲れたけれども、きっとサムが食堂辺りで待っているから。
(…行ってこないと…)
とはいえ、ナキネズミのぬいぐるみ。
これを持ったまま歩き回るのも変な話だ、とサムに返すのは後でと決めた。
そうしておいて良かったと思う。
食堂で他の生徒が「お前のマザーは誰に似ているんだ?」などと、絡んで来たから。
あんなロクでもない連中にかかれば、サムの心遣いのナキネズミだって…。
きっと値打ちが下がるから。
からかいの種にされてしまって。
サムと二人で食堂を出た後、「今朝のアレ…」と詫びたナキネズミ。
部屋に置いて来たから、明日、返すと。
そうしたら…。
「やるよ、お前に。…元気でチューか、って言ったぜ、俺」
それにさ、グッドラックって渡しちまったし…。お前のだよ、アレは。
もうお前のだ、とサムは笑っているのだけれど。
「いや、しかし…。レア物だろう?」
貰うわけには、と断った。
お返しになりそうな物も無いから、と繰り返す自分は困った顔に見えたのだろうか。
「そういうことなら…」と、ニッと親指を立てたサム。
「だったら、こういうことにしようぜ。貸しってことで」
「貸し…?」
「そう、貸し! いつか俺がさ、元気を失くすようなことがあったら…」
アレ、その時に返してくれよ。「元気でチューか?」って。
でもよ、俺はいつでも元気だからさ…。
そんな日、来ねえと思うけどな?
(…元気でチューか、か…)
確かにそんな日は来そうにないな、と部屋で眺めたぬいぐるみ。
きっとサムには返せないまま、卒業することになるのだろう。
(このぬいぐるみをシロエが見ても…)
それでも彼は言うのだろうか?
「機械仕掛けの冷たい操り人形」だと。
ぬいぐるみを持って、「元気でチューか?」と自分がやってみせたとしても。
(…それもプログラムで出来るんですよ、と笑いそうだが…)
きっと自分は機械ではない、今は心が温かいから。
サムに貰ったぬいぐるみ。
此処を卒業してゆく時には、きっと荷物に入れるから。
機械だったら、きっと余計な物は持たずに行くだろうから。
(お前と一緒に卒業らしいな?)
相棒が出来てしまったようだ、とチョンとぬいぐるみをつついてみる。
サムにはきっと、返せないまま。
「元気でチューか?」とサムを励ます日などは、きっと来ないから。
けれど来たなら、頑張ってみよう。
プログラム通りにやるのではなくて、人間らしく。
精一杯の励ましをこめて、サムに向かって「元気でチューか?」と…。
友の励まし・了
※キースがやってた「元気でチューか?」を思い浮かべたら、こういう話になったオチ。
あの芸をサムに披露するまで、ぬいぐるみを律儀に持ってたんだよ、と。