「キース先輩に助けられたな、シロエ」
そういう嫌味を言われたけれど。
シロエの耳には届いていないのと同じ。
意識はキースに向いていたから、歩み去る後姿を見ていたから。
(…キース・アニアン…)
あれがそうか、と睨んだ瞳。
視線で射殺したいかのように。
教育ステーション始まって以来の秀才、マザー・イライザの申し子のキース。
噂は前から聞いていたから。
嫌でも耳に入って来たから、何度となく。
(…キース…)
あんな奴か、と部屋に帰って思い返す顔。
何故、調べてもいなかったろうか、キースの顔を。
今日の諍いを止められるまで。
(あれにしたって…)
どうでも良かった、班のリーダーが誰であろうと。
「いつも勝手なことをしやがって」と怒ったリーダー。
採点がどうのと言っていたけれど、それは自分が言いたいこと。
「足を引っ張って欲しくないね」と。
実際、言ってやったのだけれど。
あんな連中と組まされていたら、ろくな成績にならないから。
(あいつらのせいで、ぼくが出せない点の分まで…)
余計な努力が必要になる。
高い評価を得たいなら。優秀な成績を収めたいなら。
このステーションでトップに立つこと、それが目標。
けれども、それはほんの手始め。
(…いつか地球まで…)
行ってやること、そして自分が地球のトップにまで昇り詰めること。
そう決めて、自分で思い定めて、今では思い詰めているほど。
それよりも他に道は無いから。
他に方法は無さそうだから。
(…このステーションも、マザー・イライザも…)
マザー・システムも、全てが憎い。
このシステムは、世界は歪んで狂ったもの。
機械が人間を支配するなど、どう考えてもおかしいから。
命さえ持っていない機械が、それが世界を我が物顔で支配するなどは。
(……ぼくの本……)
これしか持って来られなかった、と抱き締め、眺める大切な本。
両親がくれたピーターパンの本。
子供が子供でいられる世界が、ネバーランドが描かれた本。
其処へ行けると信じていた。
ネバーランドよりも素敵な地球へと、行ける方法があると言うなら。
きっとネバーランドにも行けるのだろうと、いつか行けると。
(…でも、ぼくは…)
騙されたんだ、と今も悔しくてたまらない。
地球へ行くための切符は手に入れたけれど、あまりにも大きすぎた代償。
このステーションに来られた代わりに、かけがえのないものを失った。
両親も、家も、育った故郷も。
思い出も、記憶も、懐かしい過去も。
何もかも機械が消してしまった、自分の中から。
何の役にも立ってくれない、頼りない欠片だけを残して。
いっそ、それすらも無かったならば、と何度思ったことだろう。
全てを忘れてしまっていたなら、どんなに楽に生きられたかと。
(でも、ぼくは…)
忘れたくなかったし、忘れられなかった。
陽炎のように儚くゆらめく、今は幻かとさえ思いそうな過去を。
其処に自分が生きていたことを、両親と共に暮らしたことを。
こうして懸命に繋ぎ止める日々、失くしてしまいそうなそれ。
ともすれば手放したくなるほどの苦しみと辛さ、消えてくれていたらと思うほどの記憶。
けれど、自分は忘れはしない。
こうして此処まで持って来た本、それが「特別」な証だから。
きっと自分は、他の者とは違うのだから。
どう違うのかと、どう特別かと、ピーターパンの本を抱き締めては考え続けて。
(…子供が子供でいられる世界…)
それを自分が作ろうと決めた。
機械に騙され、陥れられる憐れな子供たち。
そんな子供が生まれない世界、子供が幸せに生きてゆける世界。
本当に本物のネバーランドを作ってやろうと、そのために地球のトップに立とうと。
もう長いこと、空席だという国家主席。
それになったなら、システムを変える力だってきっと手に入る。機械を止めてしまえる力。
だから自分がトップに立つ。
まずは教育ステーションから。
最高の成績で此処を後にし、メンバーズへの道を歩んでゆく。
そう決めた時から、成績が全て。
友達は要らない、仲間だって。
自分よりも劣る人間たちと一緒にいたって、何の得にもならないから。
高みへと駆ける邪魔になるだけ、そうに決まっているのだから。
ステーションのトップに、そしてメンバーズに。
いずれは国家主席の地位に就こうと、がむしゃらに上げてゆく成績。
勉強することは苦ではなかった、それが一番の早道だから。
一日でも早く国家主席になること、このシステムを変えてやること。
そうすれば全て、後からついてくるのだから。
「ぼくの記憶を返せ」と機械に命令したなら、機械はそれを返すしかない。
国家主席の地位に就いたら、それが自分の最初の命令。
次は機械を止めること。
歪んだ世界を支配する機械、全てを歪める根源の悪を。
そして、自分のような可哀相な子供が二度と出来ない世界を作る。
本当に本物のネバーランドを、子供が子供でいられる世界を。
順調に上がり続ける成績、これでいいのだと思ったけれど。
もっと上をと、更に上をと目指す間に、何度も耳に入った名前。
(…キース・アニアン…)
教育ステーション始まって以来の秀才、マザー・イライザの申し子という呼び名。
彼を抜かねば、自分は地球のトップになれない。
国家主席の地位を目指すなら、キース・アニアンよりも上の成績を。
「ステーション始まって以来の秀才」は自分の方でなくてはならない、キースではなくて。
ネバーランドを作りたければ、このシステムを変えたければ。
(…あいつがキース…)
取り澄ました顔の上級生。
視線で敵を射殺せるならば、あの場で射殺したかったキース。
トップに立つのは自分だから。
マザー・イライザの、機械の申し子などとは違って、機械を嫌う自分がトップに立つのだから。
そうなった時の…。
(あいつの顔が楽しみ、かな…)
一日でも早く、それを見てみたい。
きっとそんなに遠い日ではない、彼の成績を抜いたなら。
彼が「負けた」と跪いたなら、彼を踏み台にして高みへと飛ぼう。
このステーションから、メンバーズの道へ。その先の国家主席の地位へ。
(……ネバーランド……)
ぼくが作る、とピーターパンの本を抱き締める。
いつか必ず、きっと、この手で。
システムを変えて、機械を止めて。
子供が子供でいられる世界を、自分の望みも叶う世界を。
懐かしい過去を、失くした記憶を、両親を、家をこの手に取り戻せる世界。
それを自分は作らなければ、それが自分の使命だから。
きっと自分は「特別」だから。
キース・アニアンなどよりも、ずっと。
あの取り澄ましただけの上級生より、きっと選ばれた存在だから。
(…今日まで顔も知らなかったし…)
調べようとさえ思わなかったのも、キースなど、きっと敵ではないから。
自分よりも劣る者のことなど、気にしなくていいということだろう。
それでも今はキースの方が一応は、上。
(…今の間だけね?)
今だけだよ、とクックッと笑う。
自分は特別な人間だから。
このシステムを変えるためにだけ、自分は生まれて来たのだから。
成績を上げて、メンバーズになって、きっといつかは地球のトップに。
国家主席の地位に就いたら、真っ先に憎い機械を止める。
ネバーランドを創り出すために、本当に本物の、子供が子供でいられる世界のために。
きっと、と抱き締めるピーターパンの本。
その世界をぼくが作ってみせる、と…。
作りたい世界・了
※成績優秀なのに、システムに対して反抗的。そんなシロエが優秀な理由が何かある筈。
システムを変えたいなら国家主席になることだよね、と思っただけです、ゴメンナサイ…。