(…シロエ。いったい誰に…何をされた?)
覗き込んだベッドの上。苦痛のためか、汗の浮かんだシロエの顔。
灯りが落とされたステーションの中庭、自分を呼び止めたのはシロエだけれど。
「とうとう見付けましたよ、キース。…あなたの秘密をね」と。
けれど、意識を失ったシロエ。
続きを口にする前に。
それにシロエが座っていた場所、外された通風孔の蓋。
シロエは其処から出て来たのだろう、誰かに追われて。
このステーションで追われることがあるなら、追っている者は…。
(…マザー・イライザ…)
他には誰も思い付かない。マザー・イライザしかいない。
だからシロエを連れて戻った。自分の部屋に。
シロエが口にした「あなたの秘密」も、気掛かりでならないことだけれども。
それよりも気に懸かるシロエのこと。
いったい誰に何をされたか、どうして追われることになったか。
(…マザー・イライザに…)
逆らいすぎただろうか、シロエは。
優等生のくせに、システムに対して反抗的。要注意人物の指示さえ出ていたシロエ。
彼ならば何かやるかもしれない、マザー・イライザの不興を買いそうなことを。
こうして追われることになろうとも、自らの意志を貫き通して。
(…目を覚まさない内は、何も分からないか…)
少しでも身体が楽になるよう、注射と、額に冷却シート。
後は目覚めを待つよりは無い。
シロエの意識が戻って来るまで。
そうしてベッドの脇に座って、ふと目を留めたシロエの枕元。
何の気なしに置いてやった本、シロエがしっかりと抱えていた本。
(…ピーターパン…?)
そんなに大事な本なのだろうか、ずいぶんと古いこの本が。
作られてから何年経っているのか、何度も繰り返し読まれたらしい古び方。
いつから持っていたのだろうか、と眺めたけれど。
(…馬鹿な…!)
有り得ない、と見詰めたシロエの持ち物。
自分は覚えていないけれども、成人検査を受ける時には、荷物を持ってはいけない決まり。
身に着けていた服や小物などなら、そのまま通過出来るのだけれど…。
(こんな本だと…)
成人検査を通過出来るとも思えない。
それともシロエは懸命に抱え、手放すまいとしたのだろうか。
彼を此処まで連れてくる時、意識は無くとも、本を抱えたままだったように。
(…まさか…)
本当にそうやって持って来たのか、と手に取った本。
ステーションでこれほどの時を経て来た本だというなら、ライブラリーの蔵書だから。
背表紙にそれを示す印が刻み込まれている筈だから。
(……無い……?)
其処に見慣れた印は無かった。
ライブラリーの本の現在位置をも知らせる筈の、その刻印は。
(…やはり、シロエの…)
本だったのか、と驚いたそれ。
興味が出て来た、古びた本。
どうしてシロエは今も大切に持っているのか、ステーションまで持って来たのか。
どういう中身の本なのだろうか、ピーターパンは。
(…だが、シロエのだ…)
これは読むまい、と枕元へと戻してやった。
シロエが大切にしている本なら、勝手に中を見てはいけない。
幼い頃から持っていたなら、なおのこと。
中を見ずとも、答えは得られる。
ライブラリーのデータベースにアクセスしたなら、恐らくはきっと。
(…マザー・イライザに気付かれないよう…)
注意せねば、と心を落ち着け、呼び出した画面。
「ピーターパン」とタイトルを打ち込み、出て来たデータを読み進めたら…。
(…子供たちだけの世界で生きる少年…)
永遠に年を取らない少年、それがピーターパンだった。
なんと危険な本なのだろうか、この社会では大人になることを拒めはしない。
そういう意思を表示したなら危険思想で、心理検査も免れないのではなかったか。
(……要注意人物……)
それでは、シロエはこの本のために、禁を犯して追われたろうか。
大人にならない永遠の少年、ピーターパンのように生きていたいと願ったろうか。
シロエがその目を覚まさない内は、その胸の中は分からないけれど。
心の中まで覗き見ることは、人間の身では出来ないけれど。
(…マザー・イライザなら…)
人の心を覗けるのだった、だからシロエも見付かったろうか。
ピーターパンのように生きてゆこうと、逆らい続けて、何かをして。
「見付けましたよ」と言った秘密とやらを、ステーションの何処かで掘り起こして。
そして追われて、それでも離さなかった本。
幼い頃から大切に持って、成人検査も本を持ったままくぐり抜けて来て、そして今まで。
何があろうとも離すものかと、懸命に本を抱え続けて。
(…そんなに大切な本だったのか…)
開いて読まなくて良かったと思う、あの本はシロエの宝物だから。
もしかしたら命さえも投げ出すくらいに、あの本と共にとシロエは願っているだろうから。
(……シロエが起きたら……)
訊いてみようか、「その本はとても面白いのか?」と。
シロエが暴いた秘密とやらも気になるけれども、それよりも、本。
やっとシロエの心の欠片を掴んだように思えるから。
システムに逆らい続ける理由を、垣間見たような気がするから。
…訊いてみようか、シロエの意識が戻ったならば。
彼に話す気があったとしたら。
「その本はずっと持っているのか?」と、「いつから持っていたんだ?」と。
自分の秘密も気になるけれども、シロエの心も気に懸かるから。
機械を、システムを憎み続けるシロエの心。
それが何故なのか、訊きたいから。
システムへの疑問は自分も同じに持っているから、それをシロエと話してみたい。
「その本はとても面白いのか?」と、「危険思想に見える本だが、楽しいのか?」と。
シロエの意識が戻ったら。
彼が自分と話してもいいと、そう考えてくれるのならば…。
訊いてみたい本・了
※ピーターパンの本、キースが渡した筈なんですよね、逮捕しに来た警備員たちに。
大切な本だと気付いたからこそだよな、と考えていたら、こんな結果に…。