(…デカイ顔をしていられるのも、今だけだよ)
キース・アニアン、とシロエが浮かべた皮肉な笑み。
視界の端に、キースの姿を捉えたから。
講義を終えて自分の部屋へと戻る途中で、すました顔で立つ彼の姿を。
「機械の申し子」と異名を取るのが、キース・アニアン。
E-1077始まって以来の秀才、教官たちも挙って彼を誉めるけれども。
(いずれ、このぼくが…)
あいつの成績を全て抜き去ってやる、と心に決めている。
だから今だけ、「キースがトップに立っていられる」のは。
未来のエリート気取りのキースは、いつか「セキ・レイ・シロエ」に敗れる。
(ぼくがE-1077を卒業したら…)
もうその時は、ぼくの方が上だ、と自信を持っている成績。
キースなどには負けないから。
キースでなくても、他の誰にも自分は負けない。
(…誰よりも上に立たない限りは…)
立つことが出来ない、この世界のトップ。
今は空席の国家主席の地位に就くには、キースよりも、誰よりも上に立つこと。
それが絶対、そうでなければ「機械の手駒」にされるだけ。
メンバーズの肩書きを持っていようと、機械に使い捨てられるだけ。
(ぼくが機械に命令するには…)
とにかく、最高の地位が必要。
地球にあると聞くグランド・マザーと対等の立場、それに意見を述べられる地位。
「お前は要らない」と命令したなら、グランド・マザーをも止められる力。
それが欲しいから、ひたすらに上を目指すだけ。
最初に蹴落とし、抜き去る目標、それに決めたのが「キース・アニアン」。
いずれ自分は彼を抜くのだと、此処を卒業したならば、と。
そうして戻った自分の部屋。
ベッドに座って、広げたピーターパンの本。
今の自分の、ただ一つきりの宝物。
成人検査が奪い損ねた、故郷の思い出を形にしたもの。
(…ぼくが忘れてしまっても…)
両親の顔も、故郷の風や光もおぼろになっても、この本は消えずに此処にある。
幼い日に両親に貰った時から、ずっと自分のお気に入りのままで。
(子供が子供でいられる世界を、もう一度…)
歪んでしまった今の世界に取り戻したければ、自分がトップに立たねばならない。
ピーターパンの本を愛する自分が、ネバーランドを夢見た自分が。
(他の奴らや、キースが国家主席になっても…)
何も変わりはしないだろう。
世界は変わらず機械が治めて、子供たちは過去を奪われ続ける。
十四歳になったなら。
「目覚めの日」などと、立派な名前がついている日を迎えたら。
(…何処が目覚めの日なんだか…)
いったい何に目覚めるんだ、と毒づきたい気分。
目覚めるどころか、永遠の眠りに突き落とされてしまったかのよう。
あの日を境に、自分は全てを失ったから。
両親も故郷も、何もかもを。
宝物だったピーターパンの本の他には、何も残らなかったから。
(ぼくみたいな子供が、これ以上、生まれないように…)
いつか自分が機械を止める。
子供たちから両親を、故郷を奪う機械を。
成人検査のための機械も、それを束ねるグランド・マザーも。
ぱらり、と本のページをめくる。
永遠の少年、夜空を駆けるピーターパン。
行けると信じたネバーランドは、今の自分の目には見えない。
子供時代の記憶を失ったせいか、夢見る力を奪われたせいか。
(…でも、それも…)
いつの日か、きっと取り戻す。
地球のトップに立ちさえしたなら、国家主席になったなら…。
(機械がぼくから奪った記憶を、戻させることも…)
出来る筈だし、それだけが励み。
たとえ茨の道であろうと、歩んで地球のトップに立つこと。
まずはキースの成績を抜いて、最高の成績でE-1077を後にすること。
そうしてメンバーズの道に入れば、上には上がいるだろうけれど…。
(キースが今しか、デカイ顔をしていられないのと同じことで…)
誰であろうと、抜き去るだけ。
自分よりも上の地位に立っている者、そういった者を一人残らず。
出来るだけ早く、出来る限りの力を尽くしてトップに立つ。
(ぼくには目標があるんだから…)
そのためだったら、何だって出来る、と繰ってゆくページ。
こうして「宝物の本」を此処まで持って来られたように、努力したなら道は開ける。
そのことを、この本が示しているから。
本当だったら、この本は「此処に無い」筈だから。
(…成人検査の日は、何も持っては行けない、って…)
そう教わるから、誰もが信じる。
何も持たずに家を出たせいで、何も持っては来られない。…故郷からは。
けれど、自分はピーターパンの本と一緒に此処まで来た。
「持って行こう」と手にして出たから、きちんと努力したものだから。
それと同じで、どんな道でも開ける筈。
国家主席に昇り詰めるまでは、けして自分は諦めない。
投げ出しもしない、「努力する」ことを。
どんなに機械が「忘れなさい」と囁こうとも、記憶を消そうと試みようとも。
(…ぼくは忘れない…)
機械に与えられた屈辱、奪われた子供時代の記憶。
両親も故郷も奪った機械を、憎い機械を忘れはしない。
いつか復讐するために。…機械が治める時代を終わらせ、奪われた記憶を取り戻すために。
(…E-1077を卒業したら…)
其処からが本当の戦いになる、と卒業の日を頭に描く。
メンバーズとして此処を出てゆく時を。
候補生の制服に別れを告げて、国家騎士団に入るだろう日を。
(その時までには…)
いろんな意味で抜き去ってやる、と思う「キース・アニアン」。
最上級生のキースは、年相応に背だって高い。
側に来たなら、嫌でも自分は「見下ろされる」形になるけれど…。
(あいつの背だって…)
出来ることなら抜いてやりたい、自分が上から「見下ろせる」ように。
口では「キース先輩」と呼ぼうが、メンバーズとしての役職名で呼び、敬礼しようが。
(ぼくの方が、背が高かったなら…)
もう、それだけで最高の気分になれるだろう。
「この背と同じに、お前だって、じきに抜いてやる」と。
メンバーズの世界では上官だろうと、出世したなら自分が上になる世界。
その日を頭に思い描いて、上からキースを「見下ろして」みたい。
E-1077で暮らす間は、そうすることは無理だけれども。
(あいつの方が、先に卒業して行くから…)
自分の背丈が伸びた時には、もういない「キース」。
今のキースが着ている制服、ああいう上着を自分が纏える頃には、もう。
E-1077に「キース」はいなくて、残念なことに「見下ろせはしない」。
メンバーズとして顔を合わせるまで、自分が此処を卒業するまで。
(……残念だね……)
あいつを見下ろしてやりたいのに、と考えた時に、ふと掠めた思い。
キースが着ているような制服、それを纏った「セキ・レイ・シロエ」は、どんなだろう、と。
背が伸びた自分はどんな姿か、どんな顔立ちの人間なのか。
(今のぼくより…)
大人びていることは確かだけれども、そういう自分を思い描けない。
此処を卒業してゆくくらいの、「大人」の自分。
今よりも大人になった「シロエ」を、「少年ではない」自分の姿を。
(……国家主席になるほどだったら……)
今のキースどころではない、その年齢。
いったいどういう顔なのだろうか、そうなった時の自分の顔は?
「セキ・レイ・シロエ」は、自分は、どういう姿形になってゆくのか。
(…今のぼくなら…)
両親と別れた時の姿と、それほど変わっていないと思う。
此処では「下級生」の立場で、キースたちのような制服もまだ似合わないから。
けれども、あれが似合う年頃に成長したなら、自分の姿はどうなるのだろう?
今の「シロエ」は消えるのだろうか、子供時代の記憶が消えてしまったように…?
(……ぼくの姿も……)
消えてしまったらどうしよう、と捕まった思い。
ピーターパンの本が似合わないような、「大人」の姿になるだろう自分。
此処を卒業してゆく頃には、もうそうなっているかもしれない。
少年の姿を失くしてしまって、「大人」になって。
今のキースを見下ろせるほどの、背丈の高い男になって。
(…そんなのは、今のぼくじゃない…)
今のシロエのままでいたい、と覚えた恐怖。
子供の心を失くした上に、姿まで自分は失くすのかと。
今なら姿は、「子供」時代の面影があるし、まだ失くしてはいないのに。
(でも、いつか…)
それも失くす、と気が付いたから恐ろしい。
自分は未来を目指すけれども、それと引き換えに失くすもの。
いつかキースを蹴落とす時には、もはや持ってはいないだろう「もの」。
(……子供が子供でいられる世界……)
このまま子供でいられたならば、とピーターパンの本の世界に逃げ込みたい。
それでは未来は掴めなくても、「失う」よりは幸せだから。
子供の姿を失くすよりかは、今の姿でネバーランドに行く方が幸せに思えるから…。
いつか失くすもの・了
※「大人になったシロエって、思い浮かばないな…」と、考えた所から出来たお話。
原作ワールドには該当者なしで、どんな顔だか、マジで想像つかないんですけど…!