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幸福な生命

(幸福なキース…)
 あの時、シロエがそう言ったんだ、とキースの胸を掠めた言葉。
 首都惑星ノアで与えられた部屋。其処で一人で迎えた夜更け。
 遠い昔に、E-1077でシロエが口にしていた。
 「あの憎むべき成人検査を知らない、幸福なキース」と。
 聞かされた時は、何のことだか分からなかった。
 「成人検査を受けていない」と畳み掛けられても、「お人形さんだ」と嘲られても。
 けれど今なら、その意味が分かる。
 廃校になったE-1077、其処で全てを知ったから。
 マザー・イライザの忌むべき実験、無から作られた生命が自分。
 成人検査などは必要なかった、「目覚めた」時が生まれた時だったから。
 E-1077に入る年まで、水槽の中だけで育って来たのだから。
(…あれでは何も知るわけがない…)
 マザー・イライザが教える知識以外は、何一つとして。
 故郷も両親もあるわけがなくて、過去さえ持っていないも同然。
 成人検査よりも前の記憶は、けして「失くした」わけではなかった。
 最初から無くて、持つことさえも出来なかったもの。
 けれども自分は幸福だろうか、あの時、シロエが言っていたように…?
 本当に「幸福なキース」だろうか、過去さえ持たない生命でも…?


 フロア001にあった標本、一つ間違えたら自分も標本だった筈。
 それとも標本にさえもならずに、廃棄されて終わりだっただろうか?
 マザー・イライザは、「サンプル以外は処分しました」と事もなげに言っていたのだから。
 標本にするだけの価値すらも無いと、打ち捨てられて終わりの命。
 そうなっていたかもしれない自分が、今、此処に生きていることの皮肉。
 フロア001を覗いたシロエは殺されたのに。
 何もかもマザー・イライザの罠で、自分がシロエを殺したことさえ…。
(…指導者としての、私の資質を…)
 開花させるための計算だったという。
 ならば確かに、「幸福なキース」なのだろう。
 標本にもならず、捨てられもせずに、「理想の子」として育った自分。
 傍から見たなら、誰もが羨む「幸福なキース」。
 きっと未来も、約束されているだろうから。
 自ら反旗を翻さぬ限り、人類の指導者への道を歩んでゆくだろうから。
 …グランド・マザーの導きのままに。
 言われるままに任務をこなして、敷かれたレールの上を歩いて。
(いつかは国家主席様か…)
 軍人からは出ない指導者、そう、今まではそうだった。
 国家主席になれる元老、其処に至るには違う道から行かねばならない。
(行ってやろうとは思っていたが…)
 恐らく自分が努力せずとも、されるのだろうお膳立て。
 グランド・マザーが陰で動いて、パルテノン入りするよう、巧みにシナリオを書いて。


 自分では努力してきたつもり。
 上級大佐の今はともかく、ジルベスター星系での事故調査に出発するまでは。
 Mの拠点へサムの仇を討ちに行かねば、と決意を固めた所までは。
(…ソレイドでミュウのマツカを生かして…)
 グランド・マザーの鼻を明かしてやった、と嗤ったけれど。
 「シロエの二の舞は演じなかった」と、「マツカを必ず生かしてみせる」と考えたけれど。
 その一方で自分は何をしたのか、本当に正しかったのか。
 ジルベスター・セブンを砕いたこと。
 伝説と言われたタイプ・ブルー・オリジン、ソルジャー・ブルーを殺したこと。
(…私はとどめを刺していないが…)
 むしろ、ソルジャー・ブルーに逆に殺されかけたけれども、撃ったことは事実。
 彼を狩ろうと、モビー・ディックでの負け戦の借りを返そうと。
 けれど、自分は正しいことをしたのだろうか…?
 実はシロエもミュウだったのだ、と知っていながらミュウの拠点を滅ぼそうとした。
 メギドまで持ち出し、跡形も無く。
 それが正しい道だったのか、あるいは「幸福なキース」に生まれたせいで…。
(…自分では、まるで自覚が無くても…)
 ミュウを敵視し、殲滅するよう、与えられた使命があるかもしれない。
 シロエが「ゆりかご」と呼んだ所で、水槽の中で育つ間に。
 こうあるべきだ、と教え込まれて、そのように動くプログラムが。
 もしもそうなら、何処までが自分の意志なのか。
 何処からが機械の命令なのか、それを自分は見分けることが出来るのか。


(…幸福なキース……)
 シロエは「幸福」と言ったけれども、きっと真実なのだろう。
 あれから時が流れたお蔭で、自分にも出来た「過去」というもの。
 シロエが失くした「目覚めの日」までの十四年間に匹敵するほど、今の自分も生きて来た。
 E-1077で「目覚めて」から。
 あの水槽を後にしてから、外の世界に出て来てから。
(…E-1077にいた間だけでも…)
 二度も見せられた記憶処理。
 サムは「幼馴染のジョミー」を忘れて、シロエは「皆から忘れられた」。
 どちらもマザー・イライザの仕業、あれを大々的にやるのが成人検査というものだろう。
 シロエは酷く憎んでいたから。
 故郷も両親も、何もかも機械が、成人検査が「忘れさせた」と。
 それが成人検査の正体ならば、自分は間違いなく「幸福なキース」。
 何も失くさず、忘れることなく、此処にこうして生きているから。
 「幸福なキース」を育て上げた全てを、あまさず覚えているのだから。
 マザー・イライザが計算ずくで、殺すように仕向けたシロエのことも。
 ミュウの長のジョミーと幼馴染だから、と出会わせたサムやスウェナのことも。
(…何処までが機械の計算なのか、命令なのかは掴めないが…)
 それでも「何一つ忘れていない」のは、「幸福」なことと言えるだろう。
 サムの、シロエの、記憶が薄れて曖昧になれば、どれほど悔しく辛く思うか。
 今だから分かる、シロエが口にした「幸福なキース」の「幸福さ」が。
 シロエは過去を奪われたから。
 …忘れたくなかった過去を奪われ、両親も故郷も失ったから。


 そうならなかった自分は「幸福」だと思う。
 「幸福なキース」は確かに今も幸福だけれど、本当に自分は「幸福」だろうか?
 機械が無から作った生命、最初から過去など持たなかったもの。
 故郷も両親も持ちはしないで、幼馴染もいないまま。
 その上、機械に育てられたから、何処までが自分の本当の意志か、それさえも掴めない自分。
(…ジルベスター・セブンを滅ぼしたのも…)
 自分の意志だと思うけれども、ミュウから見たならただの虐殺。
 メギドを持ち出し、焼き払うほどの必要が果たしてあったのかどうか。
 …止めに現れたソルジャー・ブルーを、狩りの獲物のように扱い、何発も撃ったことさえも…。
(勝ちたかった、というだけではなくて…)
 ミュウを殺せ、という機械のプログラムが働いていたかもしれない。
 自分の意志だと考えた「あれ」に、機械が仕組んだ何かが絡んでいなかったとは…。
(…言い切れないし、そうでないとも、また言えない…)
 機械が自分を作ったことは本当だから。
 シロエを、サムを「部品のように」使って、自分を育てたのだから。
 そんなことまでやった機械が、何を自分に教えたか。
 何をするよう育て上げたか、それさえも今は分からない。
 それでも自分は「幸福」だろうか、「幸福なキース」と言えるだろうか?
 自分の意志さえ、本物かどうか怪しいのに。
 いつか反旗を翻さない限り、「私の意志だ」と自信を持っては言えないのに。
 機械に敷かれた道を歩んでゆく間は。
 グランド・マザーの意志と自分の意志とが、重なり合っている間は。


(いくらマツカを生かしていても…)
 その程度では、とても持てない自信。
 「これが私の意志だ」とは。…「何もかも自分で決めたのだ」とは。
 どう足掻いても、今の自分は「幸福なキース」。
 何も知らない者が見たなら、あの時のシロエが此処にいたなら。
 約束された指導者の未来、それに「知らない」成人検査。
 傍から自分を眺めるだけなら、きっと幸福だろうから。
 自分の意志さえ危ういままでも、皆に羨まれる「幸福なキース」が確かに自分なのだから…。

 

         幸福な生命・了

※シロエが言っていた「幸福なキース」。あの意味をキースが知るのが、遅すぎるアニテラ。
 本当に幸福な奴だったよな、と思っていたら、こういう話に。幸福すぎても不幸だよね、と。






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