(もう駄目っぽい…)
着替えも無理ならシャワーも無理、とベッドにパタリと倒れたジョミー。
もう動けない、と。
ソルジャー候補の日々はハードで、シゴキの方も半端なかった。来る日も来る日も、長老たちに引き摺って行かれるサイオン訓練。
かてて加えて、新たな試練が降って来た。
(舞台衣装じゃないんだからさー…)
なんだってコレで訓練なわけ、と泣きたいキモチになったブツ。それは仰々しい衣装。
白地に金をあしらった上着、それから手袋、ついでにブーツ。おまけに赤いマントまで。全部が揃ってこそのソルジャー、この船ではそういう考え方。
つい数日前に出来たばかりのソルジャーの衣装、フルセットでガッツリ着せられた。
あまつさえ、それの着こなしチェックが入る有様、あらゆる場面で。
「マントはそうじゃありません!」だとか、「品が無いのう…」という冷笑だとか。
ああだこうだと長老たちが文句三昧、歩き方まで指導付き。マントが品よく靡くよう。ブーツの踵がカッコ良く音を立てるよう。
(…指の先まで神経を配れって言われても…)
その状態でサイオン訓練だなんて無理すぎだから、と愚痴を言ってもどうにもならない。自分はソルジャー候補なのだし、現ソルジャーのブルーはといえば…。
(…完璧に着こなすらしいしね…)
流石はカリスマ、と嘆きたくても、いつかは継がねばならないソルジャー。
考えただけで疲れがドッと来るから、起き上がる気力も出なかった。もう駄目ぽ、と。
遠い昔のネットスラング、それと被ったのは偶然なだけ。
其処で意識は途切れてしまって、眠りの淵へと落ちたのだけれど…。
「ジョミー・マーキス・シン!!」
凄い怒声で破られた眠り。
ハッと気付けば、長老たちが立っていた。鬼の形相で、ベッドの側に。
「…え、えっと…?」
寝過ごしたのか、と慌てたけれども、時計が指している時刻は真夜中。
なんだってこんな深夜に長老たちが集っているのか、キャプテンも込みで。こんな所に。
(…何が起こったわけ…?)
まさか緊急事態じゃないよね、と眠い目をゴシゴシ擦っていたら。
「なんということをしているのです!」
自分の姿をよく御覧なさい、とエラに言われた。思いっ切り眉を吊り上げて。
(……???)
何か変かな、と自分の身体に目を向けてみたら、ソルジャー候補の服を着たままだった。倒れてそのまま寝てしまったから、ブーツまで履いていたわけで…。
「ご、ごめんなさい…!!」
直ぐに脱ぎます、と慌てて脱ごうとしたブーツ。途端に飛んで来た罵声。
「何も分かっておらんのか! 馬鹿者めが!」
これじゃから若いのは駄目なんじゃ、と頭から湯気を立てているゼル。他の面子も苦い顔。
「…分かってないって…?」
何がでしょうか、と低姿勢で出たら、ピシャリと足を叩かれた。ブーツの上から、ヒルマンに。
「これだよ、寝るならこのままでだね…」
きちんと寝たまえ、と入った指導。ソルジャーたるもの、この制服で寝てこそだ、と。
そんな馬鹿な、とガクンと落ちたジョミーの顎。
けれども長老たちは真面目で、キャプテンだって大真面目だった。
曰く、「ソルジャー・ブルーは、そうしておられる」。
ミュウのカリスマたる超絶美形は、そのイメージを保ってなんぼ。まるで王侯貴族のように。
「たとえ具合が悪くったってね、面会したい仲間もいるしさ…」
そういう時にパジャマではねえ…、とブラウが振っている頭。パジャマや部屋着で面会したなら値打ちも何も、と。
ソルジャーの威厳がまるで台無し、それでは話になりはしないと。
「そうなのです。ですから、ソルジャーは常にマントも含めて、全てお召しで…」
ブーツも履いてお休みになっておられるでしょう、とエラがズズイと押し出して来た。言われてみれば、ソルジャー・ブルーはそうだった。
(…ぼくが初めて会った時にも、今だって…)
ソルジャーの衣装をフルセットで着けて、その状態で寝ているブルー。マントもブーツも、手袋だって。上着もキッチリ着込んだままで。
ということは、もしかしなくても…。
「…本当にコレで寝ろってこと!?」
今日まで何も言われなかったのに、と反論したら、ハーレイにジロリと睨まれた。
「我々は待っていたのだが? 君が自覚を持ってくれるまで」
「そうじゃぞ、ワシらにも多少の情けはあるからのう…」
しごくばかりが能ではないわい、と恩着せがましく言ってくれたゼル。
どうやらソルジャー候補の制服については、猶予期間があった模様。着たままで寝ようと、自分自身で決めるまで。…そういう覚悟が生まれるまで。
ジョミーが全く知らない間に、部屋の何処かに監視カメラが仕込まれていた。ソルジャー候補の制服での寝相、それを子細にチェックするために。
長老たちの部屋から見られるモニター、今夜ようやく出番と相成ったらしい。
もう駄目ぽ、とベッドに倒れ込んだから。シャワーも着替えもとても出来ない、と服を着たまま眠りに落ちてしまったから。
「いいかね、君の寝方はこんな具合で…」
我々が見ていた光景はこうだ、とヒルマンが出して来た録画。それの中には、右へ左へと転がる姿が映っていた。マントはグシャグシャ、足に絡まったりもしているし…。
(……なんだかヒドイ……)
自分で見たって、まるで救いの無い寝相。此処で誰かが入って来たなら、幻滅するに違いない。なんて寝相の悪い人かと、これがソルジャー候補なのかと。
(ブルーの寝相が凄くいいから…)
比べられて馬鹿にされるよね、と言われなくても分かること。長老たちが怒る筈だと、部屋まで突撃して来たのだって、至極もっとも、ごもっともです、と。
「…ジョミー?」
お分かりですか、と睨んでいるエラ。「こんなことではいけません」と。
「……分かってます……」
もうションボリと項垂れるしかなくて、指導付きでの就寝の儀。
マント捌きから足の運び方まで、口うるさくチェックが入りまくりで。「いいですか?」と。
ベッドに上がる時にはこう、と。横になる時はこういう具合で、上掛けをかける時はこう、と。
そして翌日から、完全に無くなってしまった自由。
サイオンの特訓でヘロヘロになっても、ベッドまで監視つきだから。たまにはパジャマで寝たい気持ちでも、そうしようとしたら…。
「ジョミー・マーキス・シン!」
ソルジャー候補の自覚はどうしたのです、とエラが走って来る始末。直ぐに着替えて、あっちの衣装で寝るように、と。
エラが走って来ない時には、他の面子がやって来る。ゼルもヒルマンも、ブラウだって。
こんなに遅い時間だったら大丈夫、と高を括ってパジャマを着たって、恐ろしい顔のハーレイが入って来るだとか。
(…あれって、シフトを組んでいるんだ…)
絶対そうだ、と分かるけれども、自分の方では組めないシフト。
あちらは五人もいるというのに、「ジョミー」は一人だけだから。別のジョミーに後を任せて、ぐっすり眠れはしないから。
(…叱られずに寝ようと思ったら…)
安眠できる夜が欲しかったら、マスターするしかない寝方。
マントも上着もブーツまで込みで、まるっと着たままグッスリ眠れる行儀良さ。
(……なんで、こういうトコまでカリスマ……)
別にこだわらなくっても、と思ってはいても言えない文句。ソルジャー・ブルーは、同じ寝方で楽々と寝ているのだから。…生きた手本がいるのだから。
(…もう駄目っぽい…)
ぼくの人生、マジで終わった、と泣きそうだったジョミーだけれど。
寝る時間さえも奪われたんだ、とブツブツ愚痴を零したけれども、慣れというのは怖いもの。
いつの間にやらマスターしていた、ソルジャー候補の服で寝ること。
それは遥かな後の時代に、大いに役立つことになる。
人類軍との激しい戦闘の最中、ソルジャー・シンは常にキリッと寝ていたから。
トォニィが「グランパ!」と夜の夜中に飛び込んで行っても、「どうした!?」とソルジャーの衣装を纏って起き上がったから。
最初はジョミーを舐めていたナスカの子供たちだって、それには恐れ入るばかり。
「ソルジャー・シンは凄い人だ」と、「寝ている時も気を抜かない」と。
あんな人には勝てやしないと、生まれながらの戦士でソルジャー、と。
それを着たまま寝ている理由も知らないで。
遠い昔にはとても寝相が悪かったなんて、夢にも思わないままで…。
ソルジャーの寝相・了
※ソルジャー・ブルーがあの服装で寝ていたんなら、ソルジャー・シンも引き継ぐ筈、と。
あの服装で寝るのが一番楽、というネタでも書いてますけどね。「ソルジャーの制服」を。
(…我々はもう、時代遅れの人種なのだというのか…!)
またか、とキースが噛んだ唇。あの屈辱をまたも味わうのか、と。
遠い昔に、時代遅れだと知った人類。…自分が属している種族。
世界はとうにミュウのものだと、時代はミュウに味方したのだと思い知らされた時。
(あの時は仕方なかったが…)
そういう風に生まれついたし、自分の生まれは変えられない。
覚悟したから、ブチかましたのが大演説。マザー・システムを否定すること。
(あれで一気に株が上がって…)
敵だったミュウの長とも一緒に戦い、ますます上がった自分の株。
命はパアになったけれども、それを補ってなお余りある栄光を手に入れた。大勢のファンたちにチヤホヤされて。行く先々で追い掛けられて。
(少々、迷惑な目にも遭ったが…)
身に覚えのないゴシップと言うか、スキャンダルとでも呼ぶべきか。
「実はマツカと深い仲」だの、「ステーション時代はシロエとデキていた」だの、それは迷惑な噂がドッサリ。それを本にしてバラ撒かれた。薄い本とかいうヤツで。
(絵には描かれるわ、小説になるわ…)
ミュウの長との仲まで取り沙汰されたほど。ソルジャー・ブルーとか、ジョミーだとか。
迷惑極まりなかったけれども、栄華の絶頂ではあった。「我が世の春」といった具合で、誰もが萌えてくれたのに…。
気付けば、時代は変わっていた。
自分たちは忘れ去られた人種で、時代遅れなものでしかない。それは重々、承知している。
(…盛者必衰、諸行無常と言うそうだからな…)
栄華を誇った絶頂の時代、あれから流れた九年もの歳月。「十年ひと昔」と言うのだからして、忘れられても仕方ない。
だから黙って耐え忍んで来た。世の荒波が激しかろうと、自分たちの栄光が色褪せようと。
(巨人が壁を越えて来ようが、立体機動が話題だろうが…)
そういう世界に住んでいないから、諦めの境地でいるしかなかった。
もしも巨人が人を食べまくる世界にいたなら、華麗に活躍出来ただろうに。立体機動装置を使いこなして、今をときめく人だったろうに。
(…相手がソレなら、まだ諦めも…)
つくというものだ、と握った拳。
かつて自分たちが人気を誇ったように、あの世界にもいる美形たち。ありとあらゆる美形が選り取り見取りな世界で、ファンがつくのも当然のこと。薄い本がバンバン出されるのも。
(時代が移るのは、世の習いだしな…)
他の美形に人気が移れば、「まあ、仕方ない」と諦めもする。
けれど、世界は「時代遅れ」という嫌な言葉を突き付けて来た。
もはや美形の時代ではないと、「顔だけで売れる」時代は終わりを告げたのだと。
(…我々はアレに敗れるのか…!)
どう見ても美形とは言えない六つ子。それが今では最先端で、自分たちは見事に取り残された。
九年前にミュウにやられたように。「もう人類の時代ではない」と思い知らされたように。
(……どうして歴史は繰り返すのだ……)
世の中、「松」さえ付けばいいのか、と愚痴りたいほど。
あっちを向いても、こっちを向いても、絵も小説も「松」だらけだから。とにかく「松」だ、と言わんばかりに、「松」さえ付けば女性が群がるのだから。
(…だが、生憎と…)
我々の世界には松が無いのだ、と零れる溜息。
宇宙船が飛び交う世界の景色に、松は全く似合わないから。アルテメシアだろうが、首都惑星のノアであろうが、似合わない「松がある風景」。
(E-1077の中庭ともなれば、もう致命的に…)
松は駄目だ、と分かっている。黒松だろうが赤松だろうが、盆栽向きの五葉松だろうが、けして似合ってくれない世界。
どう転がっても「松」などは無くて、時代の流れについて行けない。
(……せめて、一本でも……)
我々にも松があったなら、と歯噛みした所で聞こえたノック。「失礼します」と。
そして、コーヒーのカップをトレイに載せて、部屋に入って来た者は…。
(…マツカ…!)
いたじゃないか、と気付いた「松」。
神は我々を見捨てなかったと、我々の世界にも今をときめく人気の「松」が、と。
此処にあった、と見詰めた「マツカ」。
松は松科の植物なのだし、マツカはガチで「松」な人物。多分、この世界では唯一の「松」。
これを逃してなるものか、とコーヒーを「どうぞ」と置いたマツカに頭を下げた。
「頼む、私を養子にしてくれ!!」
「えっ!?」
何故ですか、とマツカが目を真ん丸にするものだから、「我々には松が必要なのだ!」と叫んでやった。「松はお前しか持っていない」と、「お前が唯一の希望なのだ」と。
「いいか、今の世の中、松が人気だ。…それは分かるな?」
「は、はい…。それが何か…?」
「お前なら「ジョナ松」になることが出来る!」
ジョナ・マツカだから「ジョナ松」だろうが、と指摘した名前。それと同じに、自分が養子縁組したなら「マツカ」な名前が手に入る、と。
「……キースがマツカになるんですか?」
「そうだ、キース・アニアン改め、キース・マツカになれるのだ!」
そうすれば私は「キス松」になる、と畳み掛けた。
時代遅れの人種にならないためには、とにかく「松」。「ジョナ松」に「キス松」、養子縁組で松が二人に増えるのだ、と。
「…わ、分かりました…!」
ぼくの名前が役に立つなら、とマツカは快諾してくれた。直ぐに書類を取り寄せます、と。
(よし、これでいける…!)
我々も松を手に入れたぞ、とキースの唇に浮かんだ笑み。ジョナ松にキス松、松が二人も。
この世界に松は無いから無理だ、と絶望的な気分だったのに。
時代遅れの人種になったと、ミュウの次には「松」にやられたと悔しさMAXだったのに。
(マツカは元から松だったわけだが、その価値に気付いていなかったからな…)
きっと「マツカ」で話が大きすぎたのだ、と頷く「松」を束ねる「松科」。
どんな松でも松科なのだし、「松科」というのが大前提。つまりマツカは…。
(松の総本山なのだ…!)
もっと養子を取らせてやろう、と考える。人気の「松」は六つ子なのだし…。
(あと四人いれば、もう充分に対抗できるぞ…!)
しかもこっちは正統派の美形揃いだからな、と巡らせる策。誰を養子に取らせるべきか、其処の所が重要だ、と。
(…シロエとセルジュは確定だな…)
あの二人は人気があった筈だ、と「シロ松」と「セル松」は迷わない。残る二人は…。
(サム松にグレ松、そんな所か…?)
グレイブも地味に人気だったし、サムは大切な親友だからな、と選んでゆく残り二人の松。
顔だけだったら、ジョミ松もブル松もアリだけれども…。
(せっかく、我々に分があるのだしな?)
ミュウの奴らには泣いて貰おう、と切り捨てた美形なミュウの長たち。
今をときめく「松」が六人、その美味しさは人類だけで頂いておくべきだろう。
遠い昔に「時代遅れ」にされた人類、それが今度はミュウどもを抜いて最先端を突っ走る。
こちらには「松」の総本山がいるのだから。
マツカの養子になりさえしたなら、誰もが「松」になれるのだから。
(ジョナ松、キス松、それにシロ松…)
セル松にサム松、グレ松で「松」が六人だぞ、とキースが確信した勝利。
「松」を持たないミュウの連中、彼らは時代遅れになる。
こちらには「松」が六人だから。
ジョナ松、キス松、シロ松、セル松、サム松、グレ松、六人ものマツカが揃うから。
そのためだったら、「アニアン」の名はドブに捨てられる。
今をときめく「松」になれるなら。「時代遅れの人種」にサヨナラ出来るのならば…。
六人のマツカ・了
※久しぶりに疑った自分の頭。「気は確かか?」と。…確かにマツカは「松」なんだけど。
時代が「松」になってしまっても、まだアニテラな管理人。「時代遅れな人種」そのもの…。
ぼくの名前は、セキ・レイ・シロエ。
(…本当は、セキ君なんだけれどね…)
うんと平凡に、「関」なんだけど。
関って苗字で、名前がシロエ。こっちは片仮名。
だけど、学校ではセキ・レイ・シロエで通ってる。先生にだって。
(入って直ぐの、英語の時間に…)
日本語は一切、喋っちゃいけないハードな授業。ネイティブの先生がやって来る。
「自己紹介も英語でプリーズ」って言われたから、ちょっと凝りたくなった。
この高校に入学する時、ツイッターとかの名前を全部、「セキレイ」で統一してたから。
それまでの緩かった私立中学校から進学校へ、公立だけど特進コース。
(心機一転といきたいもんね?)
だからセキレイ、何故セキレイかは、また後で。
とにかくセキレイ、その名前もアピールしたかったから…。
(自己紹介の英語で、思いっ切り…)
ミドルネームと洒落込んだ。
本当だったら「シロエ・セキです」と言うべき所を、「セキ・レイ・シロエ」。
ネイティブの先生と、クラスのみんなに、そう言った。
「セキ・レイ・シロエと呼んで下さい」って。
他の英語もパーフェクトだったし、先生が思わず「ワンダホー!」って叫んだほど。
お蔭で、ぼくは「セキ・レイ・シロエ」。
担任の先生も、他の教科の先生だって、「関君」よりも「シロエ君」。
出席を取る時も、茶目っ気のある先生だと…。
(セキ・レイ・シロエ! って…)
やってくれるから、面白い。
生粋の日本人なのに、関君なのに、セキ・レイ・シロエ。
ちょっぴり有名人の、ぼく。
この春に入った今の高校、実は其処では…。
(入った時から、ちょっと有名…)
首席で入って、新入生代表の挨拶をしたのも、理由の一つなんだけど。
もう一つ、かなり知られたネタ。
(ひき逃げ事故の被害者だしね?)
去年の暮れに、塾の帰りにはねられた。
乗ってた自転車ごと、大型バイクに衝突されてしまった夜。
ぼくはショックで意識不明で、何も覚えていないんだけど…。
(はねた男が消えちゃったんだよ)
そういう、ミステリアスな事故。
ぼくを自転車ごとはねた犯人、バイクに乗ってた若い男は溜池に落ちた。
たまたま冬で水を抜いてて、犯人は溺れはしなかったけれど…。
(泥まみれになって、警察官に手錠をかけられて…)
其処までは何人もの人が見ていた。警察官だって、しっかり見てた。
だけど、パトカーに乗せようとしたら…。
(そいつ、何処にもいなかった、って…)
パパとママからも、警察の人からも、そう聞かされた。
病院で読んだ新聞の記事にも、おんなじことが書かれていた。
「消えたひき逃げ犯」って見出しで、死亡事故ってわけじゃないのに、とても大きく。
ぼくの町では、凄く有名になった事故。
犯人捜しの似顔絵ポスター、それは今でも貼ってある。
事故現場を扱う警察署の玄関前にある掲示板と、事故現場に立ってる目撃情報を募る看板。
(犯人が消えたのも、不思議だけれど…)
バイクが盗まれたヤツだったことも、話題になった理由かも。
最初の間は、消えた犯人は、バイクの持ち主の大学生だと思われてたから。
そいつなんだ、って警察が学生アパートに出掛けて捕まえようとしたら、まるで別人。
しかもバイクが盗まれてたから、盗難届を出しに行こうとしていた所。
(盗んだバイクで事故を起こして、おまけにドロンと消えちゃうなんてね?)
ミステリー作家もビックリな事故で、ぼくが死んでたら、きっと小説になってたと思う。
ぼくは何かの組織に属する、裏の顔がある中学生。
それを消しに来たのが別の組織とか、でなきゃSF小説みたいな設定。
(でも、ぼく、死んでいないから…)
有名人になったというだけ、「あの事故に遭った中学生だ」って。
今の高校に入った時にも、アッと言う間に広がった噂。
(でもって、今じゃ、セキ・レイ・シロエで…)
上級生だって知っている。
クラブの先輩じゃない人だって、気軽に声を掛けて来る。
「シロエ、犯人、見付かったか?」って。
夏休みになったら、犯人捜しをしようって動きもあるくらい。
高校生が犯人を見付け出したら、表彰されて大手柄。
新聞にだって載せてくれるし、今の世の中、ツイッターとかで…。
(全国区のニュースで、時の人だし…)
やりたい生徒は、とても沢山。
男子も女子も、夏休みになったら謎解きしようと思ってるみたい。
ぼくと一緒に現場に出掛けて、遺留品探しとか、ちょっとオカルトもどきとか。
「霊の仕業だ」って言ってる子だって多いから。
夏休みは肝試しにもってこいだし、「はねられた時間に行ってみようぜ」って声だとか。
ぼくの学校、特進コースでも「塾に行かない」のが売りの学校。
「授業をきちんと聞いていたなら、何処の大学でも合格出来ます」って。
クラブ活動だって楽しく、それでホントに名門大学に受かっちゃう。
だから夏休みも全力投球、犯人捜しも遊びの内。
そんなこんなで、毎日、充実してるけど。
(パパとママにしか言ってないけど…)
あの事故の時に、ぼくは不思議な体験をした。
はねられて意識が無かった間に、見ていた夢がSFなんだ。
(ぼくは宇宙船で…)
何処かを目指して飛んでいた。
それが何処かは分からないけど、とても素敵な場所に向かって。
(いつまでも、何処までも飛び続けるんだ、って…)
幸せ一杯で飛び続けてたら、真っ白な光に包まれた。
着いたんだ、って思った途端に、目が覚めた場所が病院のベッド。
ぼくの腕には点滴の針で、頭は包帯でグルグル巻きで。
(変な夢を見たよ、って話したら…)
パパは笑ってこう言った。
「個性的な臨死体験だな、シロエ」って。
ママも泣きながら笑ってた。
「三途の川とか、お花畑は無かったの?」って、「無事で良かった」って。
もしも光に包まれたままで飛んで行ったら、ぼくは死んでたかもしれない。
パパとママとが病院に着くのが、もう少しだけ遅かったら。
「シロエ!」って呼ぶ声が聞こえて来なかったなら。
(…ホントに不思議で…)
だけど気持ちが良かった夢。
宇宙船の中でも、あの真っ白な光の中でも、ぼくは飛んでた。
まるで鳥みたいに飛び続けていて、とても幸せだった夢。
(…だから、セキレイ…)
ふと思ったんだ、「夢の中のぼくは、ホントに鳥みたいだった」って。
鳥になるなら何がいいかな、って漠然と思い始めてて…。
今の学校に合格した後、自転車で行ってみた事故現場。
溜池にはまだ水が少しだけ、殆ど底が見えてる状態。
乾いてひび割れた泥だらけのトコを、一羽の鳥が跳ねてった。
小さな魚が残っていないか探しに来ていた、尻尾の長い可愛い小鳥。
(セキレイだよね、って…)
眺めていたら、閃いた名前。
ぼくは「関」だし、「セキレイ」がいい、って。
高校に行ったら、そういう名前で色々やるのが素敵だよね、って。
そう思ったから、ぼくは「セキレイ」。
英語の時間にカッコ良くキメて、今は「セキ・レイ・シロエ」だけれど…。
(…あれ?)
まただ、と眺めた、ぼくの左側。
(誰もいないよね…?)
今は放課後でクラブ活動の時間、弓道部に入っているのが、ぼくなんだけど。
こうして弓を構えてる時や、矢を射た後の瞬間とか。
(ぼくの左に…)
とてもよく知っていた誰かが立ってる、そんな気がする時がある。
ぼくと同じに弓を構えて、真剣な顔で的を射ている誰か。
弓道なんか、中学じゃやっていないのに。
やりたかったけれど無かったクラブで、剣道部所属だったのに。
(でも、左側…)
確かにいたんだ、って気がする誰か。
その誰かの顔が、例のひき逃げ犯の似顔絵にとても似ているだなんて…。
(…ウッカリ話したら、オカルト研究会の出番で…)
もう間違いなく、夏休みは引っ張り出されるから。
「お前も来いよ」って、毎日のように犯人捜しに連れて行かれて、大変だから。
(黙っていなくちゃ…)
でないと弓道の大会に行けるメンバーに選ばれないよ、って目の前の的を真っ直ぐに睨む。
勉強もクラブも全力投球、弓も一位を目指すんだから。
(集中、集中…)
左側なんて気にしない。
ぼくと弓道で競った相手は、クラブの先輩しかいないわけだし…。
(同級生よりは、ぼくが上だよ)
大会に行くのはぼくなんだから、って弓を構えて放った矢。
的のド真ん中、見事に当たった。
(ふふっ、実力…)
大会出場メンバーの一人は、絶対に、ぼくで決まりだと思う。
セキ・レイ・シロエで、大会でも、きっといい成績。
光の加減で紫に見える、瞳のぼくが。
「関君」だけれど「セキ・レイ・シロエ」で、「セキレイ」を名乗る、このぼくが。
(夏休みだって…)
うんと頑張る、朝早く起きて、クラブ活動。
それに勉強、ひき逃げ犯を捜しに行くよりも。
ぼくをバイクではねた犯人、それが誰でも気にしない。
(…もしも、SFの世界だったら…)
弓を射る時、ぼくの左側に立っているような気がする誰か。
黒髪にアイスブルーの瞳の、ハーフかもしれない犯人は、きっと、ぼくの知り合い。
(そうだったら、とても面白いけど…)
有り得ないから、犯人捜しをやっているより、断然、クラブ。
そっちの方がいいに決まってる。
弓道部代表、セキ・レイ・シロエ。
いつかは主将になってみたいし、全国大会一位の座だって、ぼくの大きな夢なんだから…。
奇跡のその後・了
※「師走の奇跡」の後日談を、というリクエストを貰ったら、こうなったオチ。
弓道部に入ったシロエの左にいるのは、もちろんキース。ステーション時代の記憶です。
イロモノ時代からの最古参の読者様、リク主でらっしゃるI様に捧ぐv
「相変わらず、何も吐きそうにないな」
こいつの心理防壁はどうなっているというんだ、とジョミーが睨んだ地球の男。
ナスカで捕えたキース・アニアン、人類統合軍の犬。
グランド・マザーの命令を受けて、ミュウを殲滅しに来たメンバーズ・エリート。
分かっているのは、たったそれだけ。
意識を取り戻す瞬間に読んだ、ほんの僅かな情報だけ。
知りたいことは山ほどあるのに、まるで破れない心理防壁。読めない心。
(…こいつの心が読めさえしたら…)
歯噛みするだけの自分が悔しい。
もっと力があったなら、と。もっとサイオンが強かったならば、読めるのにと。
こうする間にも、人類の方では着々と…。
(…ミュウの殲滅計画を…)
きっと進めているのだろう。
先日、送り込まれて来たサム。アタラクシアでの幼馴染。
あの時点でもう、ナスカには目を付けられていた。
だから欲しいのが地球の情報、どう対処するのがベストなのか。
このままナスカに隠れるべきか、ナスカから一時撤退するか。
(…本当に、こいつが使えさえすれば…)
情報が手に入るのに、と思うけれども、心理防壁はどうにもならない。今日も駄目か、と溜息をついて、居住区へ戻って行ったのだけれど…。
銀河標準時間ではとうに夜更けで、照明暗めのシャングリラの通路。
其処を一人で歩いていたらば、「ちょいと」とブラウに手招きされた。「こっちに来な」と。
「ブラウ?」
何か用でも、と尋ねたら、「シーッ!」とブラウが唇に当てた人差し指。「声を立てるな」と。
なんだかアヤシイ雰囲気だけれど、呼ばれたからには行かねばなるまい。
(…ブラウの部屋じゃないようだけど…)
あそこはヒルマンの部屋だったんじゃあ…、と招かれるままに入った部屋。
案の定、其処はヒルマンの部屋で、「ようこそ、ソルジャー」と迎えてくれたのが部屋の住人。それにブラウとゼル機関長に、エラとキャプテン・ハーレイまでいる。
なんとも豪華な面子だからして、「えっと…?」とポカンと突っ立っていたら。
「まあ、座りたまえ」
秘密会議をしようじゃないか、と妙な提案。そう言われたって、会議なんかは聞いてもいない。
「…秘密会議だって?」
「ええ、そうです」
捕えた例の捕虜のことで…、とエラが大きく頷いた。「心が読めなくてお困りでしょう」と。
私たちも色々考えました、という言葉が少し頼もしい。
ヒルマンもエラも博識なのだし、その上、こういう豪華な面子。もしかしたら、何か解決策でも見付かったろうか、亀の甲より年の功とも言うのだから。
嫌が上にも高まる期待。ワクワクしながら椅子に座ったジョミーだったのだけれど。
「…びーえる…?」
なんだ、それは、と見開いた瞳。「びーえる」とは何のことだろう?
「BLだよ。…ボーイズラブとも言ったらしいね」
ずっと昔の地球で人気を博した代物なのだ、とヒルマンは言った。BL、すなわちボーイズラブとも呼ばれるブツ。なんでも男同士の恋愛、それが大いに人気だったらしい。
「…お、男同士…?」
ちょっとコワイ、と震えたジョミー。まるで分からない世界だから。
けれど、ヒルマンやエラの説明によれば、今の時代も好きな人間は後を絶たないとのこと。男にしか興味を持たないゲイとか、女もいけるバイなどの人種。
そういった人種に大人気なのが、その手の動画などの「お宝」。プロのものより、素人のヤツが好まれる傾向があったりもする。
「そこでだね…。あのメンバーズの男もだね…」
お宝映像を撮ってやってはどうだろうか、というヒルマンの言葉で腰が抜けそうになった。
今までの話の流れからして、撮るという「お宝」はBLな動画。それもメンバーズな地球の男を撮った代物、おまけにモノがBLだけに…。
「そ、その動画は…。あの男だけでは撮れない筈だな?」
男同士と言わなかったか、と返した質問、ヒルマンが「うむ」と振った首。それも縦に。
「もちろん、相手は必要だとも。…我々だよ」
君も当然含まれている、と聞いてガクンと外れた顎。「ぼくもだって!?」と。
想像もつかないBLの世界、其処へ飛び込んで行けと言うのかと。第一、BLと地球の男の心を読むこと、その二つがどう繋がるのかと。
そうは言っても、秘密会議には違いないから、震えながらも座り続けて…。
なるほど、と納得したジョミー。
地球の男の心理防壁は半端ないけれど、BLなら破れるかもしれない。
少々、いや、とんでもなく恥ずかしいけれど、やってみる価値はあるだろう。それにヒルマンやハーレイもいるし、ゼルだっているわけだから…。
「よし、その作戦を採用しよう」
やって良し! と出したゴーサイン。名付けてBL大作戦で、資料はドッサリ揃っていた。作戦開始までに頭にガッツリ叩き込むのが自分の仕事。
(うーん…)
ディープすぎる、と自分の部屋で唸った世界。ホントにコワイと、恐ろしすぎると。
(でも、やらないと…)
あいつの心は読めないからな、と腹を括って学んだBL。まさに未知との遭遇な世界。
(…やっぱり兄貴はハーレイだろうか…)
きっとハーレイが適役だよな、と思った兄貴。BLの世界で「攻め」とかいうキャラ。
ついでに自分も、「攻め」でいかなくてはならない。地球の男はタメ年っぽい感じだけれども、外見の年では自分の方が若いから…。
(年下攻め…)
でもって鬼畜の方がいいよね、と組み立ててゆく自分のキャラ。ただの年下では、インパクトが不足しているから。
年下の方が鬼畜で攻めだと、俄然、人気が出そうな世界。…BLワールド。
これでいこう、と鬼畜で年下攻めな自分を作ってゆく。サッパリ謎な世界ながらも、道具なども使うキャラにしようと。年上の男を泣かせて苛め抜こうと、それでこそ鬼畜なんだから、と。
同じ頃、ハーレイやゼルやヒルマン、彼らも自分の役作りというのに燃えていた。
ハーレイはジョミーが読んだ通りに「兄貴」の道を探究中。色々な「兄貴」がいるようだから、どういう兄貴がいいだろうかと。
ゼルとヒルマンも、自分のキャラを生かせる道を探っていた。BLの世界で演じるべきキャラ、自分を最高に生かせるキャラ。それを掴むべく、資料を広げて。
「むっ、これは…」だとか、「ワシのキャラじゃ!」だとか、鼻息も荒く。
エラとブラウも、それぞれの部屋で一人作戦会議。
どうやって場を盛り上げるべきか、地球の男をBLの世界に蹴り込むべきか。
心理防壁を破るためには、きっとBLが最適だから。お宝な動画に出演しろと言ってやったら、プライドも何も砕け散るのに違いないから。
こうして次の日、キースの尋問に出掛けて行ったのが秘密会議のメンバーたち。
「私は兄貴でいってみますよ」と自信に溢れるハーレイがいれば、「ぼくは年下攻めの鬼畜で」などと薄笑いを浮かべるジョミーも。
キースはと言えば、椅子に拘束されていたけれど、其処でヒルマンが取り出した注射器。
「フン…。自白剤か?」
そんなものが効くと思っているのか、と嘲笑うキースの腕に針がブスリで、薬液注入。キースは余裕の顔だったけれど、その前に進み出たジョミー。
「自白剤などは使っていない。…今のは気分が良くなる薬だ」
「なんだって?」
何を、とキースが睨み付けるから、ジョミーはフッと鼻で嗤った。「BLだが?」と。今の薬で気分が高揚するだろうから、その勢いで楽しもうと。お宝を撮影しようじゃないか、と。
「お宝だと?」
「そうだ。君はBLを知らないのか? 男同士の愛の世界で…」
今も人気だと聞いているが、とジョミーがペロリと舐めた唇。君を相手に撮影する、と。撮った動画は思念波通信で宇宙にバラ撒き、大々的に宣伝すると。
「わ、私でBLな動画を撮る気か…!?」
「いけないか? ちなみに、ぼくの役どころは年下攻めの鬼畜なキャラで…」
道具も色々使うんだけどね、と言った横から出て来たハーレイ。「私は兄貴で」と。ヒルマンやゼルも自分が組み立てた自慢のBLキャラを、熱く語ったものだから…。
「貴様ら、私にいったい何を…!!」
本気なのか、とキースがブルッた途端に、心に開いた僅かな隙間。心理防壁に入った亀裂。
さっきヒルマンが打った注射は、生理食塩水なのに。媚薬ですらも無かったのに。
BL作戦は見事に成功、地球の男はBLがよほど嫌らしい。恥ずかしい動画をバラ撒かれるのが好きな人間など、多分いないだろうけれど。
(今だ…!)
いける、とキースの心に飛び込んだジョミー。「お前の心を明け渡せ!」と、勢いをつけて入り込んだのに…。
(えーっと…?)
其処にいた若き日のキース。恐らく、メンバーズ・エリートになって間もない頃。
「ほほう…。いい尻をしてるじゃないかね」
私の部屋に来ないかね、とキースの尻を撫でている男。どう見ても本物のゲイな軍人。
「お、お断りします…!」
「いいのかね? 君の出世は私次第だと思うのだがねえ…?」
グランド・マザー直々に、お声が掛かるくらいになるまではねえ、と触りまくりのキースの尻。他にも色々、キースが過去に受けたセクハラてんこ盛りだから…。
(…こんな記憶を見せて貰っても…!)
何の役にも立たないと思う、とジョミーは大慌てで戻って来た。「これは酷い」と。
けれどキースは呆然自失で、目の焦点が合っていないような状態だから…。
(…そうか、BLだと、こうなるだけで…)
この作戦は使いようだな、と閃いたのがジョミーのアイデア。
BLでなくても、キースの心に凄いショックを与えてやったら、きっと中身が読めるんだ、と。
そんなわけだから後日、ジョミーが出直したことは言うまでもない。
自然出産児のトォニィを抱えて、颯爽と。
今度こそキースの本音を読むぞと、ミュウについての考え方を吐いて貰おうと…。
秘密の尋問・了
※ジョミーがトォニィを使って読んでた、キースの心。あれで読めると何故、知ってたのか。
前段階があるなら長老絡みかもよ、と思っていたらBLな尋問が来てしまったオチ…。
「まずは人質を一人、解放しよう。受け取れ!」
そう言ってキースがブン投げた人質、片手でも投げられるトォニィ。
シャングリラの格納庫から逃亡するべく、やったのだけれど。
(その手には乗るか!)
年寄りを舐めるんじゃねえ、若造が! とキッと睨んだのがソルジャー・ブルー。
ダテに長生きしてはいないし、ソルジャーの看板を背負ってもいない。
あまりにも長く眠っていたから、身体にガタは来ているものの、判断力は至って正常。
キースがポイと投げ捨てた子供、そっちに行ったら見えている負け。人質はもう一人残っているから、何の解決にもならない結末。
だから一瞬で飛ばしたサイオン、まだその程度は使えるから。
(床に落ちたら、これでガードだ!)
何処から落ちても守れる筈だ、とトォニィの周りに張ったシールド。
それが済んだらマッハの速さで振り向いた先に、逃げてゆく地球の男が見えた。明らかに勝ちを確信している様子で、フィシスの手首を引っ掴んで。
「ブルー! ソルジャー・ブルー!」
フィシスが悲鳴を上げているから、「落ち着け」と思念で送った合図。ついでに「黙れ」と。
『ブルー?』
サッと思念波に切り替えたのがフィシス、「いいから黙れ」とリピートした。あまり消耗したくないから、これ以上は御免蒙りたい。
でもって急いだ、キースが乗ろうとしているギブリへ。
さっきトォニィの方へと行かなかった分、なんとか残っていた体力。
キースは前しか見ていないから、余裕で追えた。自分も後から乗り込んだ後は、座席の陰に身を隠した次第。隙間からキースが見える場所へと。
馬鹿め、と眺めた「逃げ切ったつもりの」地球の男、キース。
ギブリはミュウが開発した船だからして、人類の船とは少しばかり違う。いくらメンバーズでも初見でサクッと発進は無理で、手間取っているのが面白い。
(しかし、マニュアルに忠実な奴…)
わざわざフィシスにシートベルトを着けてやるのが、傑作の極みと言うべきか。どうせ生かしておく気も無いのに、もう人質の価値も無い筈なのに。
このシャングリラから逃げさえしたなら、関係無いのが人質の生死。誰も確認しては来ないし、これが自分だとしたならば…。
(…ぼくだけシートベルトだな)
人質の世話までやってられるか、と呆れてしまったマニュアル男。
なにしろキースは、シートベルトの着け方だけでも四苦八苦していたものだから。
自分の席のを着けるだけでも「なんだ、これは?」と悩みまくりで、やっと着けても他人の分を着けるとなったら、また一苦労。
(思いっ切りの時間ロスだし…)
フィシスは放っておけばいいのに、と漏らした苦笑。「本当に馬鹿だ」と。
そのキースはと言えば、今はエンジンと格闘中。「これか?」「こうすればかかるのか?」と。
まあ、間違ってはいないけれども、なんとも命知らずな男。
エンジンの掛け方も分からないような謎の機体で、宇宙に向かって逃げようだなんて。
(一つ間違えたら、死ねるんだけどね?)
ただの人類なんだから、と思うけれども、あちらも必死なのだろう。
此処で宇宙に逃げ損なったら、捕まって捕虜に逆戻りだから。
フィシスには「黙れ」と言ってあるから、これから先はこっちのターン。
余計なのが一人乗り込んだことに、キースは気付いていないのだから余裕は充分。かてて加えてミュウの特性、それが有利に働いてくれる。
(サイオンは、貸し借り可能なわけで…)
その上、地球の男と同じ生まれなフィシス。元はミュウではなかった存在。ミュウに変えたのは自分のサイオン、だから余計に借りやすい。こうして隠れている間にも…。
『聞こえるか!?』
シャングリラのブリッジに飛ばしたのが思念、直ぐに返って来た返事。
「ソルジャー・ブルー!?」と、仲間たちのがドッサリと。それに応えてサクサク送信。
『格納庫に医療スタッフを寄越してくれ。子供が一人倒れている』
『子供ですか!?』
あなたは何処に、と届いたキャプテンの思念、「まだ格納庫だ」と返してやった。
『もうすぐギブリが発進する。ぼくとフィシスも乗っているから、撃つんじゃない』
『どういうことです?』
『地球の男が、フィシスを人質に取った。ぼくは勝手に乗り込んだだけで…』
まだ気付かれていないから、と送った途端に、やっと掛かったらしいエンジン。とはいえ、まだ開かないのが格納庫の出口、またまた苦労しているキース。
『まだ暫くはかかりそうだが…。地球の男と行ってくる』
『しかし、あなたは…!?』
『大丈夫。ダテにソルジャーをやってはいないよ』
ジョミーは何処に、と訊いてみたらば、シャングリラにはいないとのこと。
そういうことなら臨機応変、出たトコ勝負でいいだろう。サイオンは充分、使えるのだから。
かくしてキースは、フィシスを人質に取ったつもりで逃げ出した。…シャングリラから。
格納庫に置いて来たつもりのタイプ・ブルーが、乗り込んだとは気付かないままで。
それも伝説のタイプ・ブルー・オリジン、彼に「ヤバイ」と思わせたミュウ。手段を選んでいる余裕など無いと、人質の子供をブン投げておいて逃げるべきだ、と。
その厄介なタイプ・ブルーが乗っていた上、只今、順調にサイオンを回復中だというのが怖い。
(人質がフィシスだったというのが好都合…)
他の誰よりも、ぼくとサイオンの相性がいいわけだから、とニンマリ笑っているブルー。
そうとも知らないのが地球の男で、彼に何処からかコンタクトして来たのがミュウらしき部下。これは使えると思ったのだろう、地球の男は船の動力炉を暴走させた。
早い話がギブリを爆破で、それに紛れて逃げる算段。部下のサイオン・シールドで。もう絶好のチャンス到来、颯爽と立ち上がったブルー。座席の陰から。
「…その辺で止まって貰おうか」
格納庫でさっき自分が言われた台詞を、まるっとパクッて決め台詞。
「き、貴様は…!?」
何故だ、と顎が外れそうになったのがキース、慌ててフィシスの首を掴もうとしたけれど。
先刻ブルーが張ったシールド、フィシスに手出しは不可能だった。地球の男はまさにリーチで、動力炉は絶賛暴走中。
「この船から逃げるつもりのようだが…。せっかくだから、選ばせてやろう」
此処に残って爆死するのか、ぼくと大人しく船に戻るか。
選ばないなら、こちらで決める、とブルーが浮かべた笑み。「死んで貰うのが良さそうだ」と。
「ま、待て…!」
少し考えさせてくれ、と地球の男が慌てる間に、船は爆発したものだから…。
『ブルー!?』
其処へ折よく飛んで来たジョミー、実にナイスなタイミング。丁度いいから、フィシスは任せることにした。ブルーはと言えば、地球の男をガッツリ捕獲で、首に縄ならぬ自分の両手。
「さて…。このままギリギリ絞められたいか?」
多分、絞め殺せると思うが、とグッと入れた力、動けないのが憐れなキース。
そうする間に逃げてゆくのが、ミュウらしき部下が乗っている船。アレもあった、と思い出したから、「やってしまえ」とジョミーに顎をしゃくった。「アレを逃がすな」と、先のソルジャーの冷静さでもって。
「はいっ!」と威勢よく返事したジョミー、フィシスをしっかり抱えたままで追い掛けて…。
やや間があって起こった爆発、じきにジョミーは戻って来た。
「やっぱりミュウが乗っていました」と、気絶している乗員をフィシスとセットで抱えて。
「マ、マツカ…!?」
地球の男は部下を見るなり顔面蒼白、心拍数もドッと跳ね上がったけれど。
ブルーがガシッと掴んだ首から、もうドクドクと血流の音が伝わるけれども、地球の男が諸悪の根源。ガクブルだろうが、心臓バクバクだろうが、知ったことではないわけで…。
「ジョミー、細かい話は後だ。とにかく、こいつを連れて戻ろう」
「そうですね! 利用価値があるかどうかは知りませんけど…」
心が全く読めないもので、と困り顔のジョミー、「そうなのかい?」とキョトンとしたブルー。
自分にかかればサクッと読めたし、生まれも分かってしまったから。
きっとこの先も色々と読めて、利用価値だって、たっぷりだから。
そんな最強のタイプ・ブルーに、捕獲されたのがキースの運の尽き。
シャングリラに連れ戻された地球の男は、それはエライ目に遭わされた。
地球の機密を吐かされた挙句、人質に取られてしまったオチ。
「人質を一人解放しよう」と逃げた筈の船で、今度は自分と部下が人質。
ミュウにしてみれば棚からボタモチ、もう早速にかけた脅しはこうだった。
グランド・マザー宛てに、堂々と。
「未来の指導者を捕獲しているが、これを処分していいだろうか?」と。
グランド・マザーはビビッたけれども、キースの代わりに新しいのを育成するには、三十年近くかかるという悲しい現実。
これではどうにもならないからして、飲まざるを得なかったミュウの要求。
彼らが何処かへトンズラするまで、一切、攻撃しないこと。
おまけに、ナスカことジルベスター・セブンで、シェルターに閉じ込められているキース。彼とマツカを回収するのは、ミュウの船が消えてから一週間後という条件も。
グランド・マザーが歯噛みする間に、悠々と無傷で逃げてしまったシャングリラ。
一週間が経って、もう良かろうと、グレイブことマードック大佐が救助に駆け付けてみたら…。
シェルターの中のキースとマツカは、まるっとサクッと、身ぐるみ剥がれていたらしい。
「縛るよりかは人道的だ」という、ソルジャー・ブルーの判断で。
一週間も放置プレイなのだし、縛っておくのも気の毒だろうと、温情たっぷりの命令で。
こうしてシャングリラはナスカから消えて、暫くの間は静かな日々が続いたけれど。
後に人類が、ミュウにアッサリ敗北したのは、当然と言えば当然の結果。
国家主席になったキースは、ミュウの怖さを嫌というほど、味わい尽くしていたわけだから。
ソルジャー・シンの背後で院政を敷いた、伝説の男、ソルジャー・ブルー。
彼に歯向かったら何が起こるか、知っていたから掲げた白旗。
仰せにキッチリ従いますと、ノアでも地球でも、ご自由にお持ち下さいと…。
ミスった人質・了
※ブルーがトォニィの方に行かなかったら、流れは変わっていたんじゃあ…、と。
サイオンの貸し借りは多分出来る筈、ジョミーも「ソルジャー、生きて!」だったしね。