「結婚なんて言ったって、所詮、ただの逃げ。挫折でしょ?」
あるのはせいぜい、慰めだけ。
そう言って悪ければ…、心の平穏かな。
キースに投げ付けた自分の言葉。
結婚するために教育ステーションを去った、スウェナの船を見送った後で。
キースとサムが其処にいたから、ぶつけてやった正直な思い。
本当にそう思っていたから、心の底から。
去って行ったスウェナは負け犬なのだと、自分はそうはなりはしないと。
あんな人間と付き合っていたキース、彼の程度も知れたものだと。
「ぼくの敵じゃあ…なかったかな?」と皮肉な笑みを浮かべてやった。
お前なんかに負けはしないと、自分の方が上なのだと。
下級生の今は、まだまだ敵わないけれど。
キースが築いたステーション始まって以来の秀才の地位は、まだ覆せはしないのだけれど。
自分が卒業するまでは。
四年間の教育課程の全てを終えて、キースの記録を塗り替えるまでは。
結婚して去ってゆく者は敗者、せせら笑って部屋に戻ったシロエだけれど。
逃げでしかないと、エリートにもなれない負け犬なのだと、スウェナを思い浮かべたけれど。
(…あの宇宙船…)
遠ざかり、青い光の点になって消えていった船。
スウェナと、彼女の未来の夫を乗せていた船。
あの宇宙船は何処へ行くのだろうか、幾つもあると聞いた一般人向けの教育ステーション。
(まさか…)
宇宙港の技師をしている男だと聞いた、スウェナの相手。
そういう男と結婚するなら、技術系の人間が暮らす育英都市が向いているのだろう。
いつか二人が一般人として養父母になるなら、きっとそういう都市に行く。
(…エネルゲイア…)
自分の故郷もその一つだった、技術系のエキスパートを育てるための育英都市。
ならばスウェナを乗せた宇宙船は…。
(パパとママがいた教育ステーション…)
其処へと向かって行ったのだろうか、何も聞いてはいないけれども。
あの船が直接向かわなくても、二人は乗り換えて行くのだろうか。
今では顔も思い出せない両親、あの優しかった二人が出会った場所へ。
結婚しようと決めた所へ、そういう教育ステーションへと。
(…そんな…)
もしもスウェナが、スウェナの相手が、其処へ向かって行ったなら。
ステーションでの教育課程を終えた後には、エネルゲイアへ行くかもしれない。
自分が育った、懐かしい町へ。
すっかり記憶が薄れてしまった、曖昧になった故郷へと。
(挫折したくせに…)
メンバーズの道を諦めたくせに、途中で投げ出してしまったくせに。
慰めどころか、スウェナは本物のエネルゲイアを手に入れる。
それこそ心の平穏そのもの、自分にとっては何と引き換えにしてでも帰りたい場所。
其処にスウェナは帰ってゆくのか、自分の代わりに。
宇宙港の技師と結婚するから、その結果として。
自分のようにエネルゲイアが出身地の子供、そういう子供を育てるために。
(…たった四年で…)
もしかしたら、もっと短いかもしれない。
スウェナは卒業間近だったし、結婚相手は既に何処かを卒業している男だから。
四年も勉強しないでも済んで、ほんの二年か三年ほどで養父母になるのかもしれない。
(そうでなくても…)
たった四年でエネルゲイアに行けそうなスウェナ。
卒業した後の配属先が、エネルゲイアになったなら。
其処へ行くよう、ステーションのマザーが命じたならば。
負け犬だとばかり思ったスウェナ。
挫折なのだと思った結婚。
けれども、それは間違いだろうか、そんなにも早くエネルゲイアに行けるなら。
行ける可能性が高いのだったら、スウェナがいつか手に入れるものは…。
(…ぼくが帰りたくても帰れない場所…)
育った家が何処にあったかも忘れてしまって、戻れない場所。
記憶を失くしてしまった場所。
其処にいたという実感さえも薄れたけれども、もしもその場所に立てたなら…。
(思い出すかも…)
どう歩いたら、両親の家へ行けるのか。
懐かしい家の扉を叩いて、もう一度両親に会えるのか。
スウェナの代わりに、自分が其処に立ったなら。
故郷の土を踏めたとしたら。
(…たった四年で行けるんだ…)
あるいはもっと短い期間で、エネルゲイアへ。
機械が行き先に選びさえすれば、スウェナは其処へと辿り着く。
どんなに遅くても、自分が此処を卒業する頃、スウェナはエネルゲイアに着く。
自分は行けはしないのに。
行きたいと願い続けたところで、どうにもなりはしないのに。
エリート候補生の道に入った時点で、遠くなった故郷。
恐らく地球のトップに立つまで、チャンスは巡って来ないだろうに。
なんてことだ、と愕然として、それから思い浮かべた両親。
今は顔さえぼやけてしまって、どんな顔だか分からないけれど。
多分、マザー・イライザに似ている母。
そして大きな身体だった父。
(パパもママも…)
スウェナが行くだろう教育ステーションで出会った筈。
父は技術系のエキスパートだったけれども、母と結婚していたのだから。
独身のままでいてもいいのに、養父の道を選んだ父。
(…パパもそうだった…?)
何処かで母とバッタリ出会って、恋をして、勉強し直して。
ひょっとしたら母もそうかもしれない、コースを途中で変更して。
スウェナがその道を選んだように、卒業間近で別の道へと。
(…そういうことも…)
無いとは言えない、養父母としては年配だった両親。
自分は何人目かの子供だろうけれど、スタート自体が遅いかもしれない。
最初から一般人向けのコースに入った者よりも。
途中で進路変更したなら、スウェナのような道を歩んだのなら。
(挫折で、逃げで…)
自分はキースにそう言ったけれど、本当に結婚は挫折だろうか。
本当にただの逃げなのだろうか、スウェナが選んだあの道は。
ステーションから遠くへ去って行った船、あの船がスウェナを連れてゆく道は。
(…ママみたいに優しいお母さんになって…)
子供を愛して育てるのならば、それは挫折と言うのだろうか?
逃げたと言ってもいいのだろうか、両親が辿って来たかもしれない道を。
何処かで出会って、恋をして、進路を二人して変えて。
その先で自分を育てたのなら、それでも挫折で逃げなのだろうか…?
(ママは挫折なんか…)
していないと思う、優しかった父も。
二人とも自分の自慢の両親、今では顔も忘れていても。
育てられたことは忘れていないし、温かい手だって覚えている。
どんなに機械が消していっても、おぼろげなものになってしまっても。
いつか二人に会いに行きたいし、あの家に帰り着くのが夢。
その両親が負け犬だなんて、もしも誰かが口にしたなら…。
(ぼくはきっと…)
酷く怒って罵るのだろう、それを言った者を。
言葉だけではとても済まなくて、拳を振り上げるかもしれない。
殴り飛ばして、掴み掛かって、声の限りに怒鳴るのだろう。
「お前なんかに何が分かる」と、「ぼくのパパとママを馬鹿にするな」と。
最高の両親だったから。
今も誰よりも愛しているから、きっと自分は許さない。
両親を馬鹿にした者を。…負け犬なのだと言い捨てた者を。
(結婚なんて…)
ただの逃げだ、と思うけれども、それも機械の仕業だろうか。
本当はメンバーズよりも素晴らしい道で、両親はそれを歩いただろうか。
(…パパ、ママ…)
どうだったの、と訊きたいけれども、今は会うことも出来ない両親。
スウェナの方が先に会うのだろう、街の何処かですれ違って。
同じ建物に住むかもしれない、隣の住人になることだって。
(…逃げじゃなかった…?)
挫折したわけではなかっただろうか、このステーションを去ったスウェナは。
両親と同じ場所に行くなら、同じ道を選んで行ったのならば。
(分からないよ、ママ…)
パパ、と心で呼び掛けるけれど、返らない答え。
それに自分はきっと行けない、スウェナが歩いて行った道へは。
エネルゲイアへの近道なのだと分かっていても。
それを選べば、と気付いていても。
(…待ってて、パパ、ママ…)
いつか必ず会いに行くから、と零れた涙。
その時はぼくに教えて、と。
何処で出会って、どうして養父母になったのか。
その道は幸せな道だったのかを、自分を育てて幸せだったかを。
(…きっと幸せに決まってる…)
そういう答えが返るだろうから、自分の心が憎らしい。
結婚なんてただの逃げだと、挫折だと思う、この考えが。
その道を行けないらしい自分が、きっと行けないだろう自分が。
パパもママも最高だったのに、と溢れ出す涙が止まらない。
ぼくは何処かで間違えたろうかと、どうしてこうなってしまったのかと…。
選べない道・了
※「結婚なんて…」と馬鹿にしたシロエ。原作シロエも同じでしたけど、甘めなアニテラ。
あのシロエなら、後でドツボにはまりそうだな、と…。こういうのを自業自得と言うかも?