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身を守る鎧

(…ぼくって、嫌な奴だ…)
 本当に嫌な奴だよね、とシロエが抱えた自分の膝。
 E-1077の中の個室で、自分の部屋で。
 灯りを控えめに落とした部屋。
 其処のベッドで、まだ制服は着込んだままで。
 着替えようかとも思ったけれども、此処での私服は与えられたもの。
 自分の好みで選べるとはいえ、マザー・イライザが職員に託して寄越すもの。
 制服とあまり変わりはしない。
 どちらも機械が関わって来るし、此処に来る前とは全く違う。
 これが故郷なら、母が選んでくれたのに。
 「こんなのはどう?」と買って来てくれて、「似合うわね」と言ってくれたのに。
 今は顔すら霞んでしまった、はっきりとは思い出せない母。
 けれども、母が買ってくれた服、それは確かで間違いないこと。
 此処では機械が寄越すのに。
 制服も私服も、全て機械が人に命じて、部屋まで届けさせるのに。
 だから大して変わらない。
 制服だろうが、私服だろうが。
(……機械なんか……)
 どれも嫌いだ、と憎くてたまらない機械。
 マザー・イライザも嫌いだけれども、記憶を消してしまった機械。
 「捨てなさい」と命じたテラズ・ナンバー・ファイブも、絶対に許しなどしない。
 成人検査がどんなものかも、まるで知らなかった目覚めの日。
 あの日を境に世界は変わって、子供時代も故郷も消えた。
 大好きだった両親が暮らす、エネルゲイアに在った家。
 其処から引き離されてしまって、何も残りはしなかった。
 子供時代の記憶を奪われ、こんな所に放り込まれて。
 エリート育成のためのステーション、E-1077に連れて来られて。


 SD体制の要になる者、エリートたちを育てる最高学府。
 それが此処だと聞かされたけれど、教えられても来たのだけれど。
(……来たくなかった……)
 両親や故郷と引き換えにするだけの価値は、自分には見付けられないから。
 同級生たちは「来られて良かった」と口にするけれど、故郷の方がいいと思うから。
 機械に消されて、ぼんやりとなった記憶の中でも懐かしい故郷。
 顔さえ思い出せなくなっても、会いたい気持ちが募る両親。
 あのまま故郷で暮らしたかった。
 エリートなどにはなれなくても。…地球に行く道が閉ざされても。
(…ネバーランドだけで良かったのに…)
 幼い頃から夢に見た国、子供が子供でいられる世界。
 辿り着くことは叶わなくても、ずっと夢見ていたかった。
 …こんな現実が来るのなら。
 機械に記憶を消された上に、監視される世界に来るくらいなら。
(…一生、辿り着けないままでも…)
 ピーターパンと一緒に空を飛ぶ夢、それを持ち続けていたかった。
 いつかはネバーランドへと。
 ピーターパンが迎えに来たなら、高い空へと舞い上がるのだと。
(…二つ目の角を右に曲がって…)
 後は朝までずっと真っ直ぐ。
 そうすれば行けるのがネバーランドで、行き方だけが残った手元。
 ピーターパンの本だけは持って来られたから。
 今も膝の上に乗っているから、膝を抱えれば抱き込めるから。
 「此処にあるよ」と、大切な本を。
 両親に貰った宝物の本を、此処まで一緒に来てくれた本を。


 たった一冊の、古ぼけた本。
 それしか残ってくれはしなくて、それを頼りに思い出す故郷。
 この本を家で読んだ筈だと、両親だっていたのだと。
 何もかも全部本当のことで、けして幻ではなかったのだと。
 …二度と戻れはしない過去でも。
 今の自分には戻れない場所で、手を伸ばすだけ無駄だとしても。
(…それを平気で手放すだなんて…)
 どうして故郷を、家を手放せたのだろう。
 「此処に来られて良かった」と言う者たちは。
 自分と同じに此処へ来た者、エリートを目指す同級生は。
 信じられない思いだけれども、上級生たちを見れば分かること。
 「そちらの方が普通なのだ」と。
 誰も過去にはこだわりが無くて、見ている先は未来だけ。
 地球に行こうと、出来るものならメンバーズ・エリートに選ばれたいと。
 輝かしい道を掴み取ろうと、きっといつかは手に入れようと。
 …過去も故郷も、何もかも捨てて。
 自分を育ててくれた養父母、その記憶さえも捨ててしまって。
(みんな機械の言いなりになって…)
 監視されていても、命令されても、誰も不思議に思いはしない。
 相手はコンピューターなのに。
 人間ではなくて、ただの機械の塊なのに。
(…機械は答えを弾き出すだけ…)
 プログラム通りに計算するだけ、その通りに思考してゆくだけ。
 人間のように生きていないし、感情などもあるわけがない。
 なのに、誰もが懐いてゆく。
 まるで本物の、生きた母親がいるかのように。
 自分を育てた親の代わりに、マザー・イライザが現れたように。


 そうなってゆく者を何人も見たし、こうする間にも増えてゆく。
 一人、また一人と増えてゆくのが「マザー牧場の羊」たち。
 いつから彼らをそう呼んでいたか、呼び始めたかは忘れたけれど。
 それは些細なことだけれども、自分は混ざれない羊たちの群れ。
 マザー・イライザが、機械が与える牧草などは食べられないから。
 とても口には合わないから。
 口に合うどころか、自分にとっては毒草と言ってもいいくらい。
 一度食べたら、きっと全身が麻痺してしまう。
 心も身体も損ねてしまって、きっと自分はいなくなる。
 他の者たちと全く同じに、マザー牧場の羊になって。
 両親も故郷も捨ててしまって、マザー・イライザの望み通りの羊。
 なまじ成績がいいものだから、それは素晴らしいメンバーズ。
 そんな存在、自分でも気付かない内に。
 ピーターパンの本も、両親のことも、故郷もいつしか忘れ果てて。
(……そんなの、嫌だ……)
 絶対になってたまるものか、と噛んだ唇。
 同級生たちのようになりはしないと、何としてでも踏み止まろうと。
 たとえ誰もに背を向けられても、孤立してゆくだけであっても。
 …とうに、そうなり始めているから。
 彼らと同じに歩けはしなくて、行く先々で衝突だから。
(…みんなと同じに考えるなんて…)
 出来はしないし、やりたくもない。
 皆が等しく仲間だろうが、そうだと教えられようが。
 手を取り合えと、全ての者たちが「地球の子」なのだと、背を押されようが。
(…ぼくには、とても出来っこない…)
 皆と同じに生き始めたなら、破滅するしかないのだから。
 機械が与える毒の牧草、それを食べたら、自分は消えてしまうのだから。


 嫌だ、と抱え込んだ膝。…丸めた背中。
 「ぼくは同じになれやしない」と。
 どんなに孤独で独りぼっちでも、自分を失くしたくはない。
 マザー牧場の羊は御免で、選ぶのは皆と逆の生き方。
 機械が「右へ」と命じるのならば、左へと。
 「手を取り合いなさい」と促すのならば、手を振り払う方向へ。
 そうしていないと、流されるから。
 自分でも全く気付かない間に、毒の牧草を食べてしまうから。
(…それが機械のやり口なんだ…)
 成人検査で思い知らされた、機械の手口。
 何も知らなかった自分を捕えて、消してしまった記憶と故郷。…かけがえのない両親さえも。
 たった一冊の本を残して、消えてしまった本当のこと。
 エネルゲイアで生きていた子供、あそこで育ったセキ・レイ・シロエ。
 だから機械は、これからもやる。
 自分が隙を見せたなら。
 マザー牧場の羊たちと一緒に、餌場に姿を現したなら。
 言葉巧みに誘い出すのか、無理やりに口を開けさせるのか。
 どちらにしたって、毒の牧草を食べさせられることだろう。
 …全てを忘れ去らせるために。
 とびきり上等のマザー牧場の羊、メンバーズ・エリートになれる羊を作り出すために。
(…一緒に行ったら、おしまいなんだ…)
 羊になってしまった者と。
 いつか羊になるだろう者や、半分羊になっている者。
 そんな者たちと一緒にいたなら、きっと自分も羊にされる。
 「丁度いい」と機械に捕まえられて。
 機械の手下の羊飼いたち、彼らに餌を食べさせられて。


(絶対に嫌だ…)
 ぼくは羊になんかならない、と抱える膝。
 両親のことを忘れはしないし、育った家も、懐かしい故郷も忘れない。
 ピーターパンの本を抱えて、このまま取り残されたって。
 上等な羊になり損なって、マザー・イライザに嫌われたって。
(…羊になりたくなかったら…)
 けして餌場に近付かないこと。
 「一緒に行こう」と誘う者たち、餌場に行く仲間を作らないこと。
 油断したなら終わりだから。
 誘った仲間に悪気が無くても、結果が全てなのだから。
 「いいよ」と一緒に出掛けたが最後、「シロエ」はいなくなるかもしれない。
 両親が、故郷が、ピーターパンの本が大切だった、今のシロエは。
 何もかも全部捨ててしまった、別のシロエになるかもしれない。
 毒の牧草を食べたなら。
 知らずにウッカリ食べてしまうとか、餌場で無理やり喉の奥へと突っ込まれて。
(そんなの、嫌だよ…)
 自分がいなくなるなんて。
 …別の自分になってしまって、両親も故郷も忘れるなんて。
 その方が正しい道だとしたって、楽に歩いてゆくことの出来る道だって…。
(…ぼくは行かない…)
 羊たちと一緒に行きたくないから、振り払うしかない仲間。
 「みんな嫌いだ」という顔をして。
 友達なんか要りはしないと、欲しいと思っていやしない、と。
 羊と一緒にいたら終わりで、いつか餌場に行くだろうから。
 自分でもそれと気付かないままで、毒の牧草を食べる日が来てしまうから。


 分かっているから、振り払う。
 同級生たちは悪くなくても。
 マザー・イライザに、機械に騙されただけの、ただの善良な羊でも。
(…ぼくを餌場に誘うから…)
 誘いそうだから、嫌いなふりをするしかない。
 「いい奴なんだ」と分かっていても。
 懐かしい故郷にいた頃だったら、友達になれたような者でも。
 羊と一緒に過ごしていたなら、きっと訪れる破滅の時。
 それを避けるには嫌うしかなくて、端から払いのけるしかない。
 「嫌な奴だ」と思われても。
 …「なんて奴だ」と嫌われても。
 自分でも「嫌な奴だ」と思うけれども、そうしないと身を守れない。
 毒の牧草から逃げられない。
(……パパ、ママ……)
 ぼくはみんなに嫌われてるよ、と零れる涙。
 きっとパパたちもビックリだよねと、「シロエはこんな子じゃない」と。
 けれど他には道が無いから、今は鎧を身に纏うだけ。
 羊たちに近付かないように。
 一緒に餌場に出掛けないように、独りぼっちで立ち続けて…。

 

          身を守る鎧・了

※子供時代は可愛かったシロエが、生意気なシロエになってしまった理由。
 今でも中身は同じなのにね、というのを真面目に書いたら、こういう話になっちゃいました。





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