「付き合っている人間を見れば、その人間の程度が分かる」
あんな人と行動を共にしていたようじゃ、あなたも大したことないのかも…。
ぼくの敵じゃあ……なかったかな?
フッ、と皮肉に笑ったシロエ。
その顔が、声が頭から消えてくれない。…何故、と自分に問い掛けても。
(分からない…。スウェナの気持ちも、サムの気持ちも)
ちゃんと分かっているつもりなのに、とキースが噛んだ自分の唇。
いっそシロエの言葉通りに、切り捨てられたら楽なのだろうに。
スウェナは「あんな人」だったから、結婚して去って行ったのだと。
エリートコースを自ら外れるような人間、ただ挫折しただけなのだと。
(だが、スウェナは…)
挫折するような心の弱い人間ではない、それだけは確か。
芯が強くて意志も強くて、勝ち気で、それに男勝りで。
高く評価をしていたからこそ、友だと思っていたスウェナ。
なのに、彼女に投げ付けられた言葉。
「あなたには、分かってなんか貰えないわよね」と。
サムもスウェナと同じに怒った、「スウェナの気持ち、お前には分かんねえのかよ!」と。
肩を震わせて憤っていたサム。
「この間は言い過ぎた」と今日、謝ってくれたけれども。
スウェナを乗せてステーションを離れてゆく船、それを二人で見送った時に。
同郷だったスウェナが、思い出そのものだったかのように語ったサム。
微かに残った故郷の記憶が、スウェナと一緒に消えてゆくような気がすると。
(…記憶は、やはり大切なのか…)
自分は持たない、故郷や幼馴染の記憶。
何かが欠けているような気持ちが、胸をチクリと刺した瞬間。
…飛び込んで来たのがシロエの言葉。
「結婚なんて所詮、ただの逃げ」と、「挫折でしょ」と。
まるでスウェナを侮辱するように。
あからさまな挑発、それに乗りかけたサムを制したら、ぶつけられた嘲笑。
「ぼくの敵じゃあ、なかったかな?」と。
シロエが自分を敵視しようが、それまでは無視していられたけれど。
あまりに悪すぎた、あのタイミング。
自分の心が揺れていた時に、余裕の笑みを浮かべたシロエ。
「あんな人」とスウェナを評価して。
スウェナと直接話したことさえ無いのだろうに、見下し、馬鹿にし切った声で。
(…あいつには分かるとでも言うのか?)
自分には分からない、スウェナの気持ちが。
スウェナが「結婚する」と打ち明けるよりも前に、「あなたの彼女は?」と訊いて来たシロエ。
「機械の申し子だから分からないのかな」とも言われた、同じ時に。
ならばシロエには分かるのだろうか、スウェナの、それにサムの気持ちが。
「あんな人」とスウェナを嘲笑うくせに、心は分かると言うのだろうか。
だとしたら、シロエの方が上。
人の心を知るというのも、エリートには必須の能力だから。
相手の気持ちを推し量ることも出来ないようでは、部下など持てはしないのだから。
(…ただの部下なら持てるだろうが…)
優秀な者はついては来ない、と何の講義で聞いたのだったか。
エリートたる者、部下の心を掴めなければ、けして昇進出来はしないと。
自分を補佐する有能な部下を使いこなすのも、メンバーズの出世の条件なのだと。
ならば自分はエリート失格、スウェナの気持ちも、サムの気持ちも分からないから。
シロエには分かるらしいのに。
…遥かに年下の候補生でも、ちゃんと分かっているらしいのに。
その日から乱れ始めた心。
夜には早速、マザー・イライザが部屋に現れた。
「何か悩み事でもあるのですか?」と。
コールよりかはマシだけれども、その前段階とも言える出現。
自分の脳波はそんなに乱れていたのだろうか、と愕然とさせられたイライザの姿。
(…落ち着かないと…)
でないと本当にエリート失格、自分の心も上手くコントロール出来ないようでは。
シロエが言った通りの結末、「ぼくの敵じゃあ、なかったかな?」と。
本当に全てシロエに抜かれる、ステーションでの成績や評価。
先に卒業してゆく自分は、その時点でのトップだったということになってしまうだけ。
シロエが卒業するよりも前に、教官たちは挙って彼を称え始めることだろう。
「ステーション始まって以来の秀才」と、「マザー・イライザの申し子のようだ」と。
そしてシロエは勝ち誇るだろう、いくらシステムを嫌っていても。
反抗的だと言われていようが、要注意人物とされていようが、優秀ならば許されるから。
現に自分も、システムの全てを信頼してはいないから。
(…シロエに抜かれる…)
もしも自分が、乱れた心のままならば。
スウェナの、サムの気持ちが分からず、シロエに劣るようならば。
これではシロエの思う壺だ、と自分でも分かっているのだけれど。
どうにも抑えられない苦しさ、解けないままで抱えた難問。
スウェナは、サムは、何を思って、どう考えて自分を詰ったのか。
何をどうやったら、自分はそれを読み解けるのか。
分からないから、駆け巡る疑問。それに引き摺られて乱れる心。
抑え切れない自分の感情、けして表には出さないけれど。
(…どうして、シロエにも分かるような事が…)
自分には全く分からないのか、自分には何が足りないのか。
知識か、それとも自分は持たない過去の記憶が鍵なのか。
記憶だったら手も足も出ない、自分は持っていないのだから。
過去に戻って取り戻そうにも、タイムマシンと呼ばれる機械はまだ無いのだから。
(タイムマシンか…)
何処で知ったか、お伽話のような機械の名前を。
本で読んだか、サムに聞いたか、小耳に挟んだ言葉を自分で調べたか。
それがあったら乗って行きたい、自分が忘れた過去を探しに。
落としてしまった大切な鍵を、解けない疑問を解くための小さな鍵を拾いに。
タイムマシンがあったなら、と思ったはずみに浮かんだ気晴らし。
何か本でも読めばいい。
まだ読んだことのない本を何か、勉強ではなくて娯楽用の本。
そんな本など、自分から読みはしないから。読みたいと思うことも無いから。
(適当に…)
ステーションで人気の作品でも、と部屋からアクセスしたライブラリー。
一番人気の一冊がいいと、それでも読めば気分が変わると。
タイトルさえも確認しないで、表示された文字を追い始めて。
非現実の世界に入り込んでいたら、主人公の少女がこう言った。
「可哀相な人。…自分の尺度でしか物事を測れないのね」と。
その瞬間に引き戻されてしまった現実。
図らずも、現実にはいない少女に言い当てられた、自分の現状。
(…自分の尺度でしか…)
それが真実なのだろう。
自分の尺度で測っているから、スウェナの、サムの心が見えない。
シロエでさえも、自分の尺度と違う尺度で測れるのに。
器用にやってのけているのに、それが出来ない劣った自分。
マザー・イライザは何も言っては来ないけれども、薄々気付いているかもしれない。
自分よりもシロエの方が上だと、言動はともかく能力では、と。
(どうすれば…)
測れるというのか、別の物差しで。自分の尺度以外のもので。
それが分かれば苦労はしない。
非現実の世界の少女さえもが、サラリとそれを言ったのに。
驚いたはずみに消してしまって、本のタイトルも分からないけれど。
疑問は解けずに、抱え込んだまま。
違う物差しは見付からないまま、気晴らしの本もウッカリ読めない。
迂闊に読んだら、別の言葉で心を抉られそうだから。
たまたま選んだ一冊でさえも、主人公の少女に憐れまれたから。
(分からないままでシロエに負けるのか…?)
いつか追い抜かれてしまうのだろうか、ステーションでの成績を。
メンバーズになったシロエが自分を使うのだろうか、より重要なポストに就いて。
(そんな馬鹿な…!)
有り得ない、と思うけれども、日毎に大きくなってゆく焦り。
明らかに落ち着きを失った自分、幸い、誰も気付かないけれど。
今の所はまだ表れていない影響、けれどもいずれ出始めるだろう。
このまま心が乱れ続けたら、落ち着かない日々が続いたら。
(…心理的ストレス…)
それだ、と自分で下した診断。
ならば解消すればいい。
あの日は本を選んだばかりに、失敗して酷くなっただけ。
もっと自信を持てそうなもので、気晴らしが出来ることといったら…。
(何があるんだ…?)
気晴らしなどに馴染みが無いから、調べてみたら「ゲーム」という文字。
(レクリエーション・ルームか…!)
あそこへ行けば、と思い出した場所。
確かエレクトリック・アーチェリーのゲームがあった筈。
明日にでも行こう、ゲームではなくて訓練でやって、好成績を出したことがあるから。
的を射抜いたら、爽快な気分になれるから。
(あのゲームがいい…)
それにしよう、と決めた気晴らし。
きっと心が晴れるだろう。
幾つもの的を射抜いていったら、ゲームに夢中になったなら。
(考えても分からないことも…)
解けるかもしれない、無心に的を射抜いていたなら、思わぬヒントが降って来て。
皆が興じるゲームをしたなら、違う物差しが見えて来て。
そうなればいいと、自信を取り戻して強くあろうと、部屋で構えを取ってみる。
こう引き絞って、こう放って、と。
的に向かって飛んでゆく矢を、わだかまる疑問を打ち砕く一矢を思い描きながら…。
解けない疑問・了
※なんだってキースがゲームなんかをやっていたんだ、と考えていたらこうなったオチ。
ストレス解消、なのにシロエがノコノコと…。そりゃあ勝負を始めるよね、と。