(二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで…)
ずうっと真っ直ぐ。
真っ直ぐ、とシロエは心で繰り返すけれど。
(…まただ……)
また行けやしない、と睨んだコンパス。
円を描くための道具ではなくて、方位磁針の。
それも初期型、磁石を使っただけのもの。
教育ステーションに連れて来られて間もない頃に自分で作った。
これが必要だと思ったから。
コンパスが無いと、見失ってしまいそうだったから。
真っ直ぐに歩いてゆきたいのに。
ネバーランドに続いている道、それを自分は探しているのに。
いつも真っ直ぐ行けはしなくて、気付けば他所へと向いている針。
今日こそは、と決めて歩き出しても。
どんなに真っ直ぐ行こうとしても。
(…パパ、ママ……)
真っ直ぐに歩けないんだよ、と叫び出したくなるけれど。
涙が零れて落ちそうだけれど、それをしたなら…。
(……また呼ばれる……)
ステーションの中を歩く時には、けして外してはならない装置。
手首に嵌まった、マザー・イライザと繋がるそれ。
何処かで見ているマザー・イライザ、不安定な者を呼び出すために。
ツーッと鳴ったら、イライザのコール。
拒むことなど出来はしなくて、入るしかないイライザの居場所。
大抵の者は恐れるけれども、それは自身の評価でのこと。
コールを受ければ評価が下がると噂されるから、皆が怖がる。
けれど、自分が其処を嫌うのは…。
皆とは違う、と噛んだ唇。
今日も呼び出されてしまったから。
母の姿を真似る機械に、忌まわしいマザー・イライザに。
大理石のホールに見える空間、中央の女神を思わせる像。
初めて其処へ呼ばれた時には、マザー・イライザがそれだと思った。
なのに現れた、懐かしい母に似ている誰か。
マザー・イライザと名乗ったそれ。
(…あの時から、ずっと…)
変わらない姿のマザー・イライザ。
母を真似ては、自分の心を覗き見る機械。
「お眠りなさい」と導かれる眠り、それに抗うことは出来ない。
目覚めた時には、一瞬、心が軽いのだけれど。
気が晴れたように思うのだけれど…。
いつだったろうか、心が軽いと思う理由に気付かされた日は。
心から何かが消えていった分、軽くなるのだと気が付いた日は。
(……今日だって……)
きっと何かを失くしてしまった、それが何かは分からないけれど。
何を失くしたか分かるのだったら、幾らか救いはあるのだけれど。
(…分からないよ、ママ…)
パパ、と見詰める小さなコンパス。
今日も真っ直ぐ行けはしなくて、ネバーランドがまた遠くなる。
真っ直ぐ歩いてゆきたいのに。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
たったそれだけで、ネバーランドに行けるのに。
朝まで真っ直ぐ歩きたいのに。
此処のせいだ、と悔しい思いで睨み付ける針。
南と北とを指す筈の磁石、それは役立たないかもしれない。
宇宙に浮かんだステーションだと、北も南も無いだろうから。
人工的に作り出されている磁場、磁石はそれを指すだろうから。
(それに、真っ直ぐ…)
行けやしない、と握ったコンパス。
たとえコンパスが正しいとしても、ステーションの中で真っ直ぐに行けば…。
(……元の所に……)
ぐるりと回って帰り着くだけ、ステーションは円を描いているから。
どんなに真っ直ぐ歩いたとしても、円を描いて戻るだけだから。
今日も行けずに、無駄に一周させられただけ。
朝まで真っ直ぐ歩く代わりに、元の場所へと戻っただけ。
ネバーランドに行けはしなくて、探し物さえ見付からなかった。
コールされたせいで失くしてしまった、きっと大切だったろう何か。
それが何かも思い出せない、けれど確かに何かを失くした。
コールで心が晴れた分だけ、軽くなったと感じた分だけ。
(ママ、パパ…)
教えて、と心で泣きながら歩く。
顔に出したら、コールサインが鳴り響くから。
マザー・イライザの部屋に呼ばれて、また大切な物を失くしてしまうから。
(…ママ、パパ…。教えて、ぼくに教えて…)
何を失くしたのか、奪われたのか。
機械が心から何を消したか、それが知りたくて歩くのに。
二つ目の角を右に曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そうやって歩き続けてゆくのに、ぐるりと回って元の所へ戻ってしまう。
ネバーランドには辿り着けなくて、失くしてしまった何かも見付け出せなくて。
真っ直ぐに歩いてゆけはしないと教えるコンパス。
また真っ直ぐから外れていった、と磁石の針が知らせてくれる。
悲しいけれども、微かに残った希望も示してくれるコンパス。
いつか真っ直ぐ歩けた時には、ネバーランドに行けるだろうと。
そんな奇跡が起こるなら。
円を描いて歩くしかない此処で、真っ直ぐに行ける時が来たなら。
(…二つ目の角を右に曲がって…)
後は朝までずうっと真っ直ぐ、とコンパスを握ってまた歩いてゆく。
そうすれば記憶が戻って来るかと、コールで失くした大切な物を取り戻せるかと。
(…パパ、ママ……)
教えて、と心に零れ落ちる涙。
今日のぼくは何を失くしたろうかと、どうすればそれは戻って来るかと。
(後は朝まで…)
ずうっと真っ直ぐ、と見詰め続けるコンパスの針。
ステーションに来て直ぐ、これが要るからと作ったコンパス。
誰が自分に教えてくれたか、それさえも今は思い出せない。このコンパスの作り方。
(…ママ、パパ…)
何を失くしたか、ぼくに教えて。
マザー・イライザが何をぼくから奪って行ったか、ぼくに教えて。
後は朝まで、真っ直ぐ歩いてゆきたいのに。
歩けないよ、と泣き濡れる心。
コンパスの針を見ながら、真っ直ぐ。
それが出来ないと、どう歩いても円を描いて戻ってしまうと。
(……後は朝まで……)
ずうっと真っ直ぐ、と歩き続ける、コンパスを持って。
その作り方を幼かった日に教えた父さえ、それさえも思い出せないままで…。
後は真っ直ぐ・了
※シロエは機械いじりが得意だったよな、と思った所までは、多分間違っていなかった筈。
お父さんは機械のプロだったよな、とも考えたのに…。なんか色々とスミマセン。