(ブラウニー…!)
今日はツイてる、とシロエの顔に浮かんだ笑み。
ステーションの食堂、ティータイムの趣味は無いのだけれど。
暇がある日は欠かさないチェック、どういう菓子が出されているか。
メニューにブラウニーがあればラッキー、これだけは食べていかなければ。
「ブラウニーと…。シナモンミルクも、マヌカ多めにね」
注文したら、渡されたトレイ。
それを手にして向かったテーブル、邪魔をされない隅っこがいい。
丁度いい具合に壁際に空席、今日は本当にツイている。
ストンと座って、早速頬張るブラウニー。
チョコレート味の小ぶりなケーキを、手づかみで。
これはそういう菓子だから。そうやって食べるケーキだから。
(ママのブラウニー…)
とっても美味しかったんだよ、と顔が綻ぶ。
此処のブラウニーはママのと同じ味だと、ママのケーキ、と。
成人検査で消されてしまった沢山の記憶。
ぼやけて霞んでしまった両親、けれどブラウニーの記憶は残った。
母が得意なケーキだったと、いつも出来るのが楽しみだったと。
そのブラウニーがメニューにあるのを発見した時、どれほど嬉しかっただろう。
どんなに心が弾んだだろうか、初めて注文してみた時は。
(ママの方がきっと上手なんだよ、って…)
そう思いつつも、心の何処かで願っていたのが母の味。
ブラウニーが得意だった母は自慢だけれども、あれと同じ味のが食べられたら、と。
料理上手な人がいたなら、同じ味かもしれないと。
(あんまり期待はしてなかったけど…)
マザー・イライザが支配しているステーション。
そんな所に母のような人がいるわけがないし、どうせ美味しくないのだろう。
やたらパサパサしているだとか、チョコレートの味が濃すぎるだとか。
そうだとばかり思っていたのに、食べてみたら同じだった味。
奇跡のように此処で出会えてしまった、懐かしい母のブラウニー。
あれ以来、ずっとチェックを欠かさない。
ブラウニーをメニューに見付けた時には、それを頼んで至福の時。
誰にも邪魔をされない席で。
手づかみで食べる小ぶりなケーキを、頬を緩めて。
今日も美味しい、と大満足だったブラウニー。
顔さえおぼろになった両親、けれども舌は忘れなかった。
母のブラウニーはこの味だったと、ステーションでも出会えた、と。
少し汚れてしまった手を拭き、空になったトレイを返しに行ったのだけれど。
途中で擦れ違った生徒のトレイに、ブラウニー。
さっきまで自分が食べていたケーキ。
そのせいだろうか、耳が捉えたその生徒の声。
並んで歩く友人に向けて言った言葉で、なんということもない言葉。
「美味いんだよな、ここのブラウニー。母さんのと同じ味なんだ」
えっ、と見開いてしまった瞳。
呆然と見送った、トレイを持った生徒。
彼の母もブラウニーが得意だったというのは、まだ分かるけれど。
(……同じ味……)
まさか、と信じられない気持ち。
どうして母のと同じ味のを、彼の母親が作るのだろう?
そんなにありふれたケーキだったろうか、母の得意のブラウニーは?
(誰でも作れて…)
同じ味になるとでも言うのだろうか、あの思い出のブラウニーは?
(ぼくだけの思い出の味なんだ、って…)
思っていたのに、違うかもしれないブラウニー。
それならばそれで、いいのだけれど。
ブラウニーが得意だった母親の子供は、誰でも「この味!」と思うのならば。
大切にしていたブラウニーの記憶。
自分だけだと思った偶然、ステーションで出会った母の味。
けれど、さっきの生徒もそうだと言ったから。
他にもきっといるに違いない、あのブラウニーが大好きな生徒。
(ぼく一人だけじゃなかったんだ…)
まるで特別な儀式のように味わっていたブラウニー。
もう一つの思い出、マヌカ多めのシナモンミルクとセットにして。
その思い出が揺らいだ気がして、ラッキーな気分も減ってしまった感じ。
他にも同じ儀式をしている生徒が何人もいるだなんて、と。
ガッカリしながら戻った部屋。
机の前に座って溜息を一つ、台無しになったラッキーデー。
せっかく母の思い出の味を食べたのに。
ブラウニーに出会えた日だったのに。
(本当に美味しかったんだけどな…)
ママのと同じ味のブラウニー、と頬杖をついて考えていたら、閃いたこと。
料理にも、お菓子作りにも…。
(レシピ…!)
それが同じなら、同じ味にもなるだろう。
さっきの生徒の母のレシピと、自分の母のが偶然にも同じだっただけ。
ついでに、ステーションのレシピも。
きっとそうだ、と救われた気分。
幸運にも同じレシピで作ったブラウニーに出会えた生徒が二人。
自分と、さっき見掛けた生徒。
(ステーションのは…)
レシピを調べられる筈、とアクセスしてみたデータベース。
其処で見付けた、ブラウニーのレシピ。
(ママもこうやって…)
作ったんだ、と懸命に記憶を掻き回すけれど。
後姿しか思い出せなくて、その手元までは分からない。
材料をどう混ぜていたのか、どうやって型に入れていたのか。
でも、これなんだ、と眺めたレシピ。
母の手元を思い浮かべながら、こんな感じ、と粉をふるって。
卵を溶いて、チョコレートを湯煎にして溶かして。
(ママが作っていたブラウニー…)
これを忘れずに覚えておきたい。
いっそ書き抜いて持っておこうか、ピーターパンの本に挟んで。
そしたら何処へ行くにも一緒で、いつか地球まで行った時にも同じ味のを食べられるだろう。
自分で作る機会はなくても、誰かに頼んで。
「この通りに作って」とレシピを渡して、母のと同じブラウニーを。
(それがいいよね…)
書いておくのが一番だから、とメモする紙を取り出したけれど。
はずみに指が滑ってしまって、どうスクロールしたのだか。
(……嘘……)
ズラリと並んだブラウニーのレシピ、それこそ画面を埋め尽くすほどに。
幾つも幾つも、得意とする人の数だけありそうなほどに。
ついでに其処に書かれていたこと。
ブラウニーの由来はハッキリしないと、アメリカ生まれだとも、イギリスだとも。
だからレシピも、「これだ」と決まったものなどは無いと。
(それじゃ、ステーションのブラウニーのレシピは…)
母のと偶然同じだったのか、それとも違うものなのか。
ゾクリと背筋に走った悪寒。
もしかしたら、違うのは自分の方かもしれない。
(マザー・イライザ…)
それに、記憶を消してしまった成人検査。
母の味だと思っていたのは、偽りの記憶だっただろうか。
ステーションに馴染みやすいようにと、機械がわざと作った仕掛け。
ブラウニーが得意な母の子供には、このステーションの味がそれだと思わせる。
さっきの生徒も、それに自分も、まんまと罠にかかっただけ。
本当は違う味のを食べていたのに、これがそうだと思い込まされて。
母の味だと勘違いをして、それは幸せな気分になって。
(……まさか、ママの味……)
違うのだろうか、あのブラウニーは母の味ではないのだろうか。
またしても自分は騙されたろうか、成人検査に引き摺り込まれた時と同じに…?
そんな、と涙が零れたけれど。
本物の母のブラウニーを食べられたら分かることなのだけれど、それは叶わないことだから。
いつか偉くなって、エネルゲイアに戻る日までは、どうすることも出来ないから。
(きっと、違うんだ…)
あれは本当にママのなんだ、と唇を噛んで言い聞かせる。
疑問を覚えた自分の心に、辛くても今は騙されておけ、と。
母の味だと考えておけと、ブラウニーが得意だった母がいたのだから、と。
もしも注文しなくなったら、それまで忘れそうだから。
母の美味しいブラウニーまで、それを作ってくれた母まで。
そうなれば機械の思う壺だから、今は我慢して騙されたふりを。
可能性はとても低いけれども、本当なのかもしれないから。
このステーションで食べるあのブラウニーは、母の味かもしれないから…。
ブラウニーの味・了
※シロエが夢に現れたジョミーに、「美味しいんだよ」と自慢したママのブラウニー。
幸せそうな顔で作る姿を見ていたっけね、と考えていたら…。ごめんね、シロエ。
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