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スプーンに一杯半


 アルフレートが用意してくれたティーセット。彼の退室を待って白磁のカップに紅茶を注ぐ。シュガーポットの蓋を開け、銀のティースプーンで砂糖を掬ってサラサラと…。最初に一杯、そして。
「…フィシス?」
 手を止めたフィシスにブルーが「どうしたんだい?」と微笑みかける。
「いえ…。なんでもありませんわ」
 ふふ、と微かに笑って更にティースプーン半分の砂糖を紅茶に加えると、それをブルーに。自分のカップに砂糖を入れるフィシスをブルーの赤い瞳が見詰めた。
「…本当に? それにしては楽しそうだね、フィシス」
「昔のことを…。少し」
 私が此処に来た頃のことを、とフィシスはクスッと小さく笑った。


 紫のマントの王子様。
 シャングリラに来る前の記憶はブルーが消してしまったために無かったけれども、ブルーはフィシスの王子様だった。
 何処とも知れない恐ろしくも悲しい世界から救い出してくれた王子様。
 フィシスがシャングリラでの生活に馴染んでいるか、何か不自由はしていないかと一日に何度も訪ねて来てくれる優しい人。
 自分よりも遙かに背が高く、軽々と抱き上げてくれるけれども、ミュウたちの中では年若い部類に入るであろうスラリとした立ち姿の美しい人。
 その王子様が外見通りの年齢ではなく、王子様ならぬ王様だったと気付くまでにはかなりかかった。そのくらいにブルーはフィシスの所に入り浸っていたし、それを止める者も無かったから。
 今にして思えば王様だったからこそ、そんな自由があったのだけれど。


「ハーレイ。ソルジャーはまた、あのお嬢ちゃんの所かい?」
「…そのようだ。地球を見に行くと仰っていた」
 ハーレイがブラウの問いに答える。彼らの居る場所はブリッジではなく、専用の休憩室だった。
「フィシスの地球は鮮やかだ。ソルジャーが夢中になっておられるのも無理はない」
「どうだかねえ…。地球はオマケで、お嬢ちゃんの御機嫌を取りたいだけだと思うけどねえ?」
 いつ行ったって二人で仲良くお茶を飲んだり遊んだりだよ、とブラウが言えば、ゼルが重々しく同意した。
「その通りじゃ。ぼくの女神だとか言っておるがの、何処から見ても惚れ込んだとしか思えんわい」
「地球にだろう? ソルジャーの憧れの星を抱く女神だ」
 あのような神秘の力は並みの者には持ち得ない、と至極真面目に返すハーレイにゼルが苦笑する。
「相変わらずの堅物じゃのう。それじゃから未だに恋人の一人も出来んのじゃ」
「まったくだよ。…分からないかねえ、ブルーが恋をしてるってことも」
 ちょいと次元が違うけどね、とブラウが軽く片目を瞑る。
「色恋沙汰ってヤツとブルーは無縁さ、そういう世界に住んでるヤツだ。それでも見付けちまったんだよ、運命の相手というヤツを」
「…あのフィシスが?」
 そうなのか、と驚くハーレイの姿にブラウとゼルが大きな溜息を吐き出した。
「ホントに気付いていなかったのかい…。まあ、お嬢ちゃんが育った所で進展することは無いんだけどね。おままごとの夫婦ごっこがせいぜいさ」
「うむ。…幸か不幸か、ブルーには欠落しておるからのう。その手の感情というものが」
 あったらあったで大変じゃったろうが、というゼルの言葉は決して大袈裟なものではなかった。
 ブルーはミュウを束ね導くソルジャーであり、ただ一人だけの戦える者。
 それに加えて人並み外れた美しい容姿を持っているとなれば周りのミュウたちが放っておかない。しかしブルーは女性にも、ましてや男性にも一切の興味を示さず、誰もを等しく愛し続けた。かけがえのない仲間、同じシャングリラに住む家族として。
 そんなブルーが幼く小さな少女に恋をし、女神と呼んで慈しんでいる。
 それは喜ぶべきことであったが、アルタミラからの長い長い時を共に過ごしてきた者たちからすれば、些か寂しい気持ちが芽生えてくるのも仕方なく無理のないことで…。


「来る日も来る日も、フィシス、フィシス、フィシス。…あたしたちの所に顔を見せても、口を開けば惚気話だ。ちょいと苛めたくならないかい?」
 年甲斐もなく恋に夢中になってるブルーを、とブラウがオッドアイの瞳を煌めかせた。
「あの年の差を考えてごらんよ、ロリコンだなんてレベルじゃないよ? そういう恋じゃないと分かっていてもさ、あてられっ放しの長老としちゃあ一矢報いたくなるってもんだよ」
「何をするんじゃ? そう簡単にブルーはやられはせんぞ」
 わしは命が惜しいんじゃが、と逃げ腰になるゼルの耳にブラウはコソコソと耳打ちをする。聞き終えたゼルは「いけそうじゃの」と髭を引っ張った。
「ハーレイ、早速作戦会議じゃ。ヒルマンとエラの協力が必要じゃでな」
「な、何をする気だ、ブラウ、ゼル! ソルジャーに万一のことがあっては…」
「なーにがソルジャーじゃ、恋にかけては若造じゃ! しかし年寄りには違いないでな」
 その方面から攻めるまでじゃ、と勢いづいたゼルと発案者のブラウの二人がかりの攻撃の前にハーレイは白旗を揚げる羽目になった。ややあって呼び出しを受けたヒルマンとエラが休憩室に現れ、計画が練り上げられてゆく。
 ハーレイもいつしか乗り気になってしまっていたのは、やはりブルーが長老と呼ばれる自分たちよりもフィシスを選んで行ってしまったからだろう。
 ブルーが自分の心と感情に素直になったことは喜ばしくても、寂しさは生まれるものなのだ…。


 その翌朝。
 ブルーが訪ねて来るよりも早い時間に、フィシスはヒルマンとエラの訪問を受けた。
「…いいかね、フィシス。これは大切なことなのだよ」
 よく聞いて理解してくれないと、とヒルマンが真摯な瞳を向ける。
「ブルーが見た目どおりの年でないことは知っているね?」
「……??? はい…」
 それで? と首を傾げるフィシスにエラが応じた。
「私たちミュウは、ソルジャーの御健康に気を配らねばなりません。ソルジャーは毎日、この部屋においでになるようですが…。その度に紅茶をお出していますね?」
「はい。…アルフレートが用意してくれます」
「……やっぱり……」
 私たちが心配したとおりでした、とエラは額に手をやった。
「ソルジャーは紅茶がお好きですから、アルフレートの選択は間違っていません。けれど…」
「砂糖の量が問題なのじゃよ」
 紅茶一杯にスプーンに一杯半じゃろう、とヒルマンが続け、フィシスが「はい」と答える。
「…それがいけない。年寄りが甘いものを摂取し過ぎると病気になるのだ。ソルジャーにしても、そこは変わらない。ブルーの健康を考えるのなら、砂糖はスプーン半分にしなさい」
「…えっ…」
 でも、とフィシスは口ごもった。
 ブルーの好みの砂糖の量は紅茶一杯にスプーン一杯半。なのにスプーンに半分だなんて、それでは甘さが足りなさすぎる。
「いいですか、フィシス。ソルジャーの御健康が第一なのです」
 どうしても一杯半を入れたいのなら、紅茶は三度の御訪問につき一度だけにしておくことです、とエラが厳しい口調で告げた。
「ですが、ソルジャーにお茶を出さないというのも失礼なこと。…お砂糖はスプーン半分にしておきなさい」
「そうだよ、フィシス。…これはブルーの健康のためなのだからね」
 ブルーに長生きして欲しかったら今日から言い付けを守りなさい、とヒルマンに肩に両手を置かれて、フィシスはコクリと頷いた。
 全てはブルーの健康のため。紅茶一杯にスプーン半分の砂糖、砂糖はスプーンに半分だけ…。


 そんなこととも知らないブルーは、いつものようにフィシスの許を訪ねた。小さな手を握って青い地球を眺め、堪能した後に休憩を兼ねて一杯の紅茶。
 まだティーポットを上手く扱えないフィシスの代わりにアルフレートが二人分の紅茶を恭しく注ぐと、一礼して退出していった。
 ここから先はフィシスの役目。シュガーポットを開け、添えられたスプーンで砂糖を掬って…。
「どうぞ、ブルー」
 幼い手つきで差し出されたカップに、ブルーは赤い瞳を見開いた。
「…フィシス? 砂糖が足りないようなんだけど…」
「……あの……。お砂糖の摂りすぎは良くないって……」
 だからスプーンに半分なの、とフィシスは盲いた瞳でブルーを見上げて懸命な口調で訴えた。
「…ブルーはお年寄りだから……。甘いものを食べ過ぎたら病気になるから、いつまでも元気でいて欲しかったら半分にしなくちゃいけないの!」
 美味しくないかもしれないけれど我慢して、という健気な主張に、ブルーは「分かったよ」と降参の印に軽く両手を上げ、渡された紅茶を口に含んだ。
 甘みの足りない、香りだけは高いその味わいに違和感を覚えつつ、それをフィシスには悟られないよう柔らかく笑む。
「美味しいよ、フィシス。…健康にいい紅茶というのも嬉しいものだね、ありがとう」
「本当? 本当に美味しくなかったりしない?」
 甘くないのに、と心配そうなフィシスに「大丈夫」とブルーは重ねて微笑んだ。
「君と一緒に飲めるだけでも何倍も美味しいものなんだよ。それにぼくの身体のことを考えてくれた紅茶となったら不味いなんてことがある筈もない」
 本当に美味しくて素晴らしいよ、とフィシスの不安を消してやりながら、ブルーは彼女の心にそっと思念を滑り込ませる。スプーンに半分だの、年寄りだのと吹き込んだのは誰だろう? ブラウか、はたまたゼルあたりか。…いずれにしても、やってくれたものだ……。


 幼くて純真なフィシスは長老たちの悪戯を真に受け、それから長いことブルーの紅茶に入れる砂糖を減らし続けた。ブルーの苦情を聞かされた長老たちは笑うばかりで訂正をしに行ってはくれず、ブルー自身も真剣な表情で砂糖を入れるフィシスにはどうも真実を告げにくい。
「…フィシス。今日はもう少しだけ、砂糖をおまけしてくれないかな?」
 長老たちには内緒で半分だけ、と懇願すれば「いけません!」と即座に答えが返る。
「半分も入れたらスプーンに一杯分になってしまうわ。それじゃ多いの」
 多すぎるの、とフィシスは一所懸命だ。
「ブルーの身体に悪いのよ? だから絶対、半分だけなの!」
 美味しくないならお紅茶の量を三分の一に減らすとか…、とブルーの好みと健康のバランスを取るべく小さな頭を悩ませるフィシスの姿も、また可愛い。
 本当はスプーン半分どころか二杯入れても身体には全く問題無いのだが、こんな時間も悪くはないか、とブルーは甘さの足りなさすぎる紅茶を口に含んだ。
 この埋め合わせは後で、休憩室で。長老たちの誰が居るかは分からないけれど、居合わせた誰かにうんとたっぷり文句を言って自分のために紅茶を淹れさせよう。
 砂糖は勿論、スプーンにたっぷり一杯と半分。
 捕まえたのがゼルかヒルマンだったら秘蔵のブランデーを出させて少し落として飲むのもいいな、などと考えながら味わう唇に自然と笑みが浮かぶ。
「ブルー、今日のは美味しいの?」
 顔を輝かせるフィシスに「美味しいよ。フィシスがぼくを思ってくれる気持ちがたっぷり入っているから」と言えば、それは嬉しそうに笑みが弾けた。
 可愛い、可愛い、ぼくの女神。
 君が喜んでくれるのだったら、いつでも紅茶を飲みに来よう。
 たとえ一生、甘さが足りない紅茶であっても、君さえいれば其処が最高のティールームだから…。


「…ブルー? お茶のお代わりは如何ですか?」
 美しい女神へと成長を遂げたフィシスが白くしなやかな手をティーポットに伸ばす。
「ありがとう。頂くよ」
 白磁のカップに注がれた紅茶は濃くなっていて、フィシスは熱いお湯を入れたポットを手に取り、ブルーの好みの濃さに薄めた。
 長い年月を共に生きる内にそんな所までフィシスは把握し、幼かった頃には持てなかったティーポットをも優雅に扱えるようになっていて。
「お砂糖はいつもどおりですわね?」
「ああ。…でも、たまには昔の味もいいかな」
 スプーン半分でお願いするよ、と懐かしそうな目をしたブルーにフィシスは鈴を転がすような声で笑った。
「まあ、やっぱり…! 酷いわ、読んでいらしたのですね、私の心を」
「そうじゃない。そうじゃないけれど、分かるものだよ」
 どれだけの間、君と一緒にお茶を飲んできたと思っているんだい、とブルーも笑う。
 フィシスの手がシュガーポットを開けた。
 添えられたスプーンで砂糖を半分、きっちり計ってブルーのカップにサラサラと落とす。
「…どうぞ。お身体にいい紅茶ですわ」
「そうだったね。…甘い物の摂り過ぎは厳禁、健康で長生きをしなくてはね」
 君と一緒に青い地球をこの目で見るためにも…、とブルーはカップを掲げてみせた。
「フィシス、青い地球を抱くぼくの女神。君の抱く地球に……。乾杯」
君も、と促されてフィシスも自分のカップを手にする。
 白磁のカップがカチン、と微かな音を立てて触れ合い、持ち主の唇へと運ばれた。
 地球は遠い。
 まだ遠いけれど、いつか二人で青い地球を見ながら、こんな幸せなひと時を………きっと。




           スプーンに一杯半・了

※ハレブル転生ネタを始めるよりも前に書いたブルフィシ。
 何処にも出さずに仕舞っていたというのがね…。





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