「ようこそ、ジョミー・マーキス・シン。私はこのシャングリラの船長、ハーレイ」
君を心から歓迎する、とジョミーの前に出て来たオッサン。やっとの思いで追撃を逃れ、逃げ込めたらしい船の格納庫で。
(…え、えっと…?)
なんかゾロゾロ人がいるし、と思ったジョミー。船長だと名乗ったオッサンの他にも、偉そうにマントを纏ったジジイたちやら、あまり年の変わらない若者たちやら。
(此処って、何さ…?)
シャングリラって、と考えた途端に、ハーレイが笑顔でこう言った。
「此処は君の家だ。大いに寛いでくれることを、我々は心から願っている」
「…はあ?」
このオッサンは何が言いたいんだ、とジョミーが失った言葉。「家」なら、ちゃんとアタラクシアに「自分の家」を持っている。成人検査で出て来たとはいえ、家は家。
(…こんな連中がいる船なんて…)
家じゃないから! と顔を顰めた途端に、頭の中で響いた声。この船まで連れて来てくれたリオ、彼が使うのと同じ思念波で。
『…今の、聞いたか? こいつ、挨拶も出来やしないぞ!』
『ソルジャーは、凄いミュウだと言ったのに…。挨拶くらい、一瞬で分かる筈だよな?』
『当たり前だろ、ミュウの特徴は思念波だぜ! ツーと言えばカーで!』
どんな情報でも、一瞬の内に共有してモノにしてこそだよな、と露骨な罵倒。彼らの顔に浮かぶ嘲笑、そうでなければガックリな感じ。
(な、なに…?)
ぼくが何をしたわけ、とジョミーが慌てふためいていたら、白い髭のジジイが進み出た。
「ジョミー、君は挨拶の作法がなっていないのだよ。…おっと、私の名前はヒルマンだ」
船の子供たちの教育係を務めている、とジジイがやった自己紹介。彼が言うには、このシャングリラで、誰かの部屋などに招かれた時は…。
(……此処は、あなたの家ですから、って……)
向こうが言うから、それに対して返す言葉に「決まり」がある。「ありがとうございます」というのはともかく、その後に続く「お約束」。
「おお、私にとって、この世でこの場しかありません。此処は最後の希望です」とヨイショ、それがシャングリラの流儀。人間関係を「とても円滑に」するために。
なんだか「とんでもない」、やたらと長い挨拶の言葉。それを「ジョミーも」言うべきだったらしい。しかも「処分されそうだった所を助けられた」のだから、もう文字通りに…。
(この世でこの場しか無くて、最後の希望で…)
心をこめて「ありがとうございます」と称えまくりで、この場にいる皆を「いい気分」にさせるべきだったとか。「ジョミーを助けられて良かった」と、皆が笑顔になるように。
「そんなの、ぼくは知らないから! 第一、ぼくはミュウなんかじゃない!」
そう叫んだら、ドヨッと起こったざわめき。思念波で「なんて野蛮な」とか、「全く文化的じゃない」とか、それは散々に。
(…何なんだよ、此処…!)
やってられっか! とジョミーは怒りMAX、リオに案内されて個室に入った。ジョミーのためにと用意されていた部屋だけれども、リオは其処へと足を踏み入れるなり…。
『とても小さくて、お恥ずかしい限りなのですが…。我々に出来る精一杯のおもてなしです』
どうぞ寛いで下さいね、と思念が来たから、「もしかしたら」とピンと来た。さっき聞かされたばかりの、べらぼうに長ったらしかった挨拶。アレで応えるべきなのだろうか、と。
(此処が最後の希望だっけか…?)
『そう、そうです、ジョミー! もうマスターしてくれたのですね!』
その調子で覚えていって下さい、とリオは大感激で「例の挨拶」を思念波で繰り返してくれた。「おお、私にとって、この世でこの場しかありません。此処は最後の希望です」というヤツを。
このシャングリラで生きてゆくには、基本の基本な挨拶だとか。何処へ招かれても欠かせないブツで、これが言えないようなミュウだと…。
(…礼儀知らずの田舎者って言うか、無粋って…!?)
なんで、とジョミーは思ったけれども、リオの話では、シャングリラは「文化的な船」。粗野で野蛮な人類などとは「全く違って」、高い文化を誇るもの。
『言葉の代わりに、思念波で通じてしまいますからね…。そういう意味でも必要なんです』
コミュニケーション能力を失わないよう、「言葉」は常に飾るものです、とリオは説明してくれた。とても急いでいるならともかく、それ以外の時は盛大に「飾り立てる」のが「言葉」。
部屋に誰かを招いた時には、「此処は、あなたの家ですから」と相手をヨイショで、招かれた方も「この世でこの場しかありません」とヨイショで返す。
一事が万事で、「慣れれば、じきに使えますよ」とリオは請け合ってくれたのだけれど…。
なんだかんだで「食事にしませんか?」と連れて行かれた食堂。其処でトレイに載せた料理を受け取っているミュウと、食堂の係のやり取りが…。
「今日はあんまり食べられないんで、申し訳ないけど、控えめの量でよろしく」
せっかくの料理を無駄にして、なんとも心苦しい次第で…、とトレイを受け取る一人に、係は笑顔でこう応じた。
「いえいえ、大した料理も出せずにすみません。粗末な料理で恐縮ですが、ご遠慮なく」
心ゆくまでお召し上がり下さい、とスマイル、ゼロ円といった具合にナチュラルに。
(…ちょ、アレって…!)
此処でも「ああいう挨拶」が…、とビビるジョミーに、リオは「覚えが早くて助かります」と、にこやかな笑み。「あんな風に挨拶するんですよ」と。
(うわー…)
出来なかったら「粗野で野蛮」で確定なのか、と思いはしても、そんなスキルは持たないのがジョミー。先に注文したリオは「お手数をかけてすみません。いつも美味しい料理をどうも」と係をヨイショで、係の方でも「今日も粗末ですみませんねえ…。果たしてお口に合いますかどうか」とやったのだけれど…。
「…ぼくも、同じの」
それ下さい、としかジョミーは言えなかった。アタラクシアの学校の食堂、其処では毎度、そうだっただけに。
係はポカンと呆れてしまって、あちこちから飛んで来た思念波。
『聞いたかよ? 注文の仕方も知らないらしいぜ』
『無駄、無駄! あいつの頭は、まるっきり野蛮で人類並みだし』
このシャングリラの高い文化に適応できるわけがない、と食堂中でヒソヒソコソコソ、その思念にすら「混じっている」のが「文化の高さ」。
「まるっきり野蛮で人類並みだし」と囁く思念は、「遥か昔の石器時代の人類」並みだ、と言葉を「飾っていた」し、「注文の仕方を知らない」の方も、「とても垢抜けて洗練された注文」と「飾りまくっていた」言い回し。
(……なんか、色々と……)
あらゆる意味でハードすぎるかもよ、とジョミーは早くも「めげそう」だった。どう考えても、自分は「ミュウとは違うっぽい」と、あまりの運の無さに打ちのめされて。
(……こんな船になんか、来たくなかったのに……)
ぼくに合うとは思えないや、と愚痴りながらも眠った夜。悪い夢だったら、明日の朝にはスッパリと消えているかも、などと微かな望みを抱いて。
けれど翌朝、目覚めてみたら、其処はキッチリ、ミュウの船の中で…。
『おはようございます、ジョミー。昨夜は、最高の絹に包まれたように眠れましたか?』
「え? あ、ああ…、うん…」
リオの言葉に途惑いながらも、「よく眠れたか」訊いているのだろう、と頷くと…。
『それは良かったです。私はあなたの下僕、いえ、それ以下の小さな存在ですから…』
あなたのためなら、どんなことでも犠牲になります、とリオが言い出すから驚いた。「下僕」で「犠牲」って、何も其処までしなくても、と。
「ちょ、ちょっと…! リオは、ぼくの命の恩人で…!」
『いえいえ、私は、あなたの靴底の埃に過ぎませんから』
…というのも覚えておいて下さいね、とリオはニッコリ微笑んだ。このシャングリラで「お世話になっている人」に挨拶するなら、こうです、と人の好さが滲み出る顔で。
曰く、「いずれ、ソルジャーに挨拶する」なら、この手の挨拶は欠かせないもの。これからヒルマンの授業でも「教わる」ことになるだろう、と。
「それも言葉を飾るってヤツ…!?」
『そうですよ? この船で文化的に暮らしてゆくなら、必須ですね』
きちんと覚えて下さいよ、と念を押されても、納得がいかない言い回し。
(この船じゃ、普通かもしれないけどさ…!)
なんだって「ソルジャー・ブルー」なんぞに会うのに、仰々しく飾り立てた言葉が必須なのか。覚えるだけでも大変そうだし、そうでなくても中身がキツイ。
(…「あなたの下僕」だけでも、思いっ切り抵抗があるんだけど…!)
下僕どころか、「それ以下の小さな存在」と来た。その上、「あなたのためなら、どんなことでも犠牲になります」なんて、言いたくもない。
(言ったら、きっと人生、終わりで…)
ソルジャー・ブルーの言いなりにされて、いいようにコキ使われるのだろう。いくら定型文だと言っても、まるで全く信用できない。「揚げ足を取る」という言葉だってある。
かてて加えて「あなたの靴底の埃に過ぎませんから」だなんて、どう転がったら言えるのか。こちらにだってプライドがあるし、「ミュウの文化」とは無縁なだけに。
いったい、此処はどういう船なんだ、と嘆きながらも、ジョミーが連れてゆかれた教室。ミュウについての教育を受けに、ヒルマンの所へ行ったのだけれど…。
「ようこそ、ジョミー。我々の粗末で小さな船では、出来ることはとても少ないのだが…」
まずは必須の「言葉」について話をしよう、とヒルマンが始めた「本日の授業」。
このシャングリラでは、言葉が非常に大切にされる。言葉は「やたらと飾ってなんぼ」で、「大袈裟に飾り立てる」のがミソ。
思念波だけで意思の疎通が可能になる分、失ってはならない「言葉」の文化。それをしっかり生かすためにと、船で決まったのが…。
(……この、とんでもない言い回し……)
最初は「もっとソフトだった」らしい。SD体制が始まるよりも、遥かに遠い昔の時代。地球の東洋にあった小さな島国、「日本」のやり方が導入された。「イエス」か「ノー」かをハッキリ言わずに、持って回った言い回しをする、「言葉が大事」な国だったから。
ところが、それから進んだ研究。船のデータベースを漁る間に、「もっと凄い国」が見付かった。アラビアンナイトで知られたペルシャが、「日本以上に半端ないらしい」と分かった真実。
滅多やたらと言葉を飾って、「それが出来ない」ような人間は、アウトだった世界。誰かの家に出掛けて「留守」なら、後でその相手に、こう詫びる。
「私には、あなたの家に巡礼できるほどの、人徳がありませんでした」と低姿勢で。
そう言われた方は、「そうですか…。それでは、あなたを恥から解放させられるように努めます。是非、いらして下さい」と次の訪問を待って、招いた時には…。
(此処はあなたの家ですから、で、呼ばれた方は、その家が最後の希望で…)
ジョミーが「船に来るなり」受けた洗礼、それが自然に「行われていた」のが、かつてのペルシャ。これ以上に「言葉遣いが面倒な国」は他に無いから、即、シャングリラもそれに倣って…。
「いいかね、ジョミー。…君がソルジャーに、直々に呼ばれた場合はだね…」
通信にせよ、思念波にせよ、こう答えなさい、とヒルマンが教えた言葉は強烈だった。
ソルジャー直々の「お呼び出し」には、「はい」ではいけない。「ジョミーです」でも駄目で、正解は「私は、あなたの生贄になります」。
「い、生贄って…!?」
「安心したまえ、これはペルシャの普通の挨拶だから。ソルジャーも、こう仰る筈だ」
いえ、そのようなことを、神様はお許しになりません、とね、とヒルマンは笑っているのだけれども、ジョミーは既にパニックだった。ますますもって「後が無さそう」な挨拶なのだから。
(……ソルジャー・ブルーから、呼び出しが来たら……)
シャングリラの流儀に従うのならば、「私は、あなたの生贄になります!」と颯爽と。
そして「呼び出されて」青の間とやらに到着したなら、「お会い出来て光栄です」の代わりに、「あなたの所に巡礼できて、幸運の絶頂です」と、ソルジャー・ブルーを褒め称えて…。
(散々お世話になって来たから、「あなたの下僕」で、「それ以下の小さな存在」で…)
あなたのためなら、どんなことでも犠牲になります、と「自分で宣言する」死亡フラグ。「生贄になります」と答えて出掛けて、「犠牲になります」と畳み掛けるだけに。
(でもって、靴底の埃に過ぎません、って…)
あんまりだから! とジョミーは真っ青なわけで、「シャングリラ流」を「覚えた時」には、もう完璧に「後が無い」。
船の「普通のミュウ」にとっては「定型文」でも、ソルジャー・ブルーの「後継者」にされそうな「自分」は、その限りではなくて…。
(もう文字通りに生贄で、犠牲…)
覚えたら負けだ、と固めた決意。ゆえに「覚えずに」スルーしまくったけれど、船からもトンズラ出来たのだけれど…。
(……ソルジャー・ブルー…。今は、あなたを信じます…)
靴底の埃だの、生贄だのから「逃げたかったら」、船の頂点に立つことですね、とジョミーは「上を目指す」ことにした。
アルテメシアの成層圏まで逃げた挙句に、船に戻ってしまっただけに。
今は「ソルジャー候補」だけれども、ソルジャーになったら「あなたの下僕」だの「生贄」だのは、言わなくて済むらしいから。「靴底の埃に過ぎません」だって。
(…ソルジャーが一番、偉いんだから…)
普通に「言葉を飾る」程度で、もう要らないのが「低姿勢」。「下僕」や「生贄」を卒業するには、「それを言われる方」になること。
たとえ訓練が茨道でも、「靴底の埃」になるよりはいい。プライドをかけて頑張るのみだ、とジョミーは高みを目指してゆく。
やたらと言葉が「飾られた」船で。高い文化を誇るミュウたち、彼らが貫く「ペルシャ流」の言い回しが「強烈すぎる」世界で…。
文化的な言葉・了
※原作だと「重んじられている」のが、「きちんと言葉で話す」こと。思念波じゃなくて。
それならハードルをグンと上げたらどうだろう、というお話。ペルシャの件はマジネタです。
(……ピーターパン……)
こんな所へは来られないよね、とシロエが広げる本。
E-1077の個室で、夜が更けた頃に。
ベッドの端に一人座って、ただ懐かしい本を膝の上に乗せて。
宇宙に浮かぶステーションでは、ピーターパンが来る「本当の夜」は無いけれど。
外はいつでも暗い宇宙で、朝日が昇りはしないのだけれど。
此処の昼と夜は、銀河標準時間の通りに照明が作り出すだけのもの。
夜になったら落とされる明かり、昼は煌々と照らし出す「それ」。
ピーターパンが駆けて来るような「夜」などは無いステーション。
「二つ目の角を右に曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ」、そう進む道も見えない場所。
それの通りに歩いて行ったら、ネバーランドに行けるのに。
真っ直ぐに行ける「朝」があるなら、ネバーランドに繋がる道があるのだろうに。
(…ピーターパンは来られなくって、ぼくが行くことも出来なくて…)
なんて酷い所なんだろう、と何度溜息を漏らしたことか。
ピーターパンの本だけを持って、此処へと連れて来られた日から。
両親も故郷も全て失くして、子供時代の記憶も機械に奪い去られた時から。
(……でも、忘れない……)
ピーターパンもネバーランドも、と本のページをめくってゆく。
故郷の記憶が薄れた後にも、この本は「ここに在る」のだから。
両親の顔さえおぼろになっても、失くしてはいない大切な本。
これがあったら、きっといつかは「飛んでゆける日」も来るだろう。
ネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵だと父に聞かされた地球へ。
こうして忘れないでいたなら、「ピーターパンの本」を持っていたならば。
ピーターパンが「此処へ来る」ことは出来なくても。
朝まで真っ直ぐ行く道が無くて、ネバーランドまで歩いてゆくことは出来なくても。
いつか、と夢を抱いた時から忘れない場所。
子供が子供でいられる世界で、ピーターパンが住むネバーランド。
幼い頃から憧れ続けて、迎えが来るのを待ち続けた。
「いい子の所には、ピーターパンが来てくれる」から。
ピーターパンが迎えに来たなら、一緒に夜空を駆けてゆこうと。
(…ぼくが大人になっていたって…)
子供の心を忘れなければ、行ける日がやって来るだろう。
「ピーターパンの本」の作者が、その目で「其処を見て来た」ように。
大人になっても「子供の心を持っていた」人が、ネバーランドを見られたように。
(…ぼくだって、いつか行けるんだから…)
みんなのようにならなかったら、と思い浮かべる自分以外の候補生たち。
システムに何の疑問も抱かず、子供時代を捨ててしまった「マザー牧場の羊」たちの群れ。
彼らと同じに「忘れてしまう」ことが無ければ、いつの日か道は開ける筈。
E-1077を離れて、夜空がある場所に行ったなら。
朝には本物の太陽が昇る、「朝がある場所」に行けたなら。
(卒業までは、夜も朝も無いけど…)
此処を卒業しさえしたなら、夜も朝もある場所に行ける筈。
もしかしたら、いきなり地球にさえも行けるかもしれない。
とても素晴らしい成績を収め続けて、メンバーズに選ばれた者のトップに立てたなら。
(……地球には、ピーターパンが生まれた場所があるから……)
本が書かれた場所も同じに地球にあるから、ネバーランドは直ぐ側にあることだろう。
一度滅びてしまった地球には、作者の家も、本に出てくる場所も無くても。
「此処にあった」という場所だけしか、探し当てることは出来なくても。
それでも、ピーターパンは「きっと、いる」筈。
朝まで真っ直ぐ歩いて行ったら、ネバーランドも見付けられる筈。
子供の心を忘れないまま、地球に降り立つことが出来たら。
地球に配属されはしなくても、夜と朝さえある場所に行けば、夢は叶ってくれるだろう。
ピーターパンが夜空を駆けて来てくれて、朝まで真っ直ぐ歩いてゆけて。
(…その時までの我慢なんだから…)
あと三年と何ヶ月だろう、と指を折っては、卒業までの日を数えてみる。
ピーターパンの本を広げて、「それまでの我慢」と自分自身に言い聞かせながら。
(ぼくは絶対に忘れない…)
両親や故郷の記憶は薄れてしまったけれども、子供の心を忘れはしない。
ネバーランドに行ける資格を手放すだなんて、とんでもない。
メンバーズに抜擢されていようと、いつでも「それ」を捨ててしまえる。
ネバーランドに行くためだったら、地位も名誉も、何もかもを。
(今すぐだって、捨ててしまえるもんね…?)
教育の最高学府と名高いE-1077も、此処で収めた「いい成績」も。
そんなものなど要りはしないし、ネバーランドの方がいい。
ピーターパンさえ来てくれるならば、「セキ・レイ・シロエ」はいつでも「行ける」。
幼い頃から夢に見た場所へ、ピーターパンが住むネバーランドへ。
(いい子の所には、ピーターパンが…)
きっと迎えに来てくれるから、と思った所で、ハタと気付いた。
「セキ・レイ・シロエ」は「いい子」だろうか、と。
ピーターパンが迎えに来るのに、相応しいだけの人間なのか、と。
(……いい子って……)
いい子というのは、言葉通りに「良い子供」。
誰もが褒めてくれる子供で、悪いことなどしない子のこと。
(パパやママの言うことを、ちゃんと聞く子で…)
約束だって破りはしなくて、叱られることなど無い子供。
もちろん喧嘩をするわけがないし、我儘だって、けして言わない。
それが「いい子」で、ピーターパンは「いい子」を迎えに来るのだけれど…。
(……パパとママはもう、いないけど……)
いない両親の「言い付け」を聞くことはもう出来ないから、そのことはいい。
けれども、他の「いい子」の条件。
そちらの方はどうだろうか、と思った途端に震えた身体。
「ぼくは、いい子じゃなくなってる」と。
ピーターパンが迎えに来てくれる「いい子」。
約束をしたら破らない子で、叱られることなどしないのが「いい子」。
喧嘩もしないし、我儘を言いもしない子供が「いい子」なのだけれど…。
(…マザー・イライザにコールされたら…)
その度に叱られ、色々と約束させられる。
E-1077の秩序を乱さないよう、「此処のルールに従いなさい」と。
何回、それを繰り返したろうか。
約束を何度、破って「コールを受けた」だろうか。
その上、喧嘩も当たり前のように売ってばかりで、売られた喧嘩は受けて立つもの。
同級生たちと口を利く度、喧嘩になると言っていいほどに。
(我儘だって…)
今この瞬間にも、心に抱いている有様。
E-1077で「するべきこと」は山とあるのに、それを「捨てたい」と。
ネバーランドに行けるものなら、何もかも捨ててしまっていい、と。
「いい子」だったら、そう考えはしないのに。
消された記憶やシステムのことは、この際、置いておくとしたって…。
(…他のみんなの目から見たなら、ぼくなんかは…)
いい子どころか、「悪い子」なだけ。
マザー・イライザが見ている「シロエ」も、間違いなく「悪い子」のシロエ。
「いい子のシロエ」は、何処にもいない。
両親と故郷で暮らした頃には、確かに「いい子」だったのに。
たまに喧嘩もしてはいたけれど、「今よりは、ずっと」いい子だった「シロエ」。
それが「いい子でなくなった」のなら、ピーターパンは…。
(…いくら待っても、来てくれない…?)
悪い子になった「シロエ」なんかを、迎えに来てはくれないだろうか。
ピーターパンが迎えに来る子は、「いい子」だけ。
「いい子」のシロエは迎えに来たって、「悪い子」のシロエは駄目なのだろうか…?
今のシステムがどうであろうと、其処ではシロエは「悪い子」だから。
誰が見たって「いい子」ではなくて、「悪い子」でしかないのだから。
(……まさか、今のぼくは……)
ピーターパンと夜空を駆ける資格を持ってはいないだろうか。
朝まで真っ直ぐ歩いてゆけても、ネバーランドには「行けない」子供になっただろうか。
子供の心を忘れずにいても、「シロエ」が「悪い子供」なら。
けして「いい子」ではないと言うなら、夢が叶う日は来ないかもしれない。
「悪い子」になってしまった子供は、もう「いい子」ではないだけに。
ピーターパンは「悪い子」の所に、迎えに来ることはないだけに。
(…だとしたら……)
どうすればいいと言うのだろう。
システムに従う「いい子」になったら、「子供の心」を失くしそうなのに。
子供の心を抱き締めたままで「いい子」になるなら、生きるのはとても辛いだろうに。
(喧嘩もしなくて、マザー・イライザの言い付けを聞いて…)
そうやって「いい子」でいようとするなら、「子供の心」を持ったままでは辛すぎる。
けれど、ピーターパンが「いい子」を迎えに来るのなら…。
(…どんなに辛くて、苦しくっても…)
いい子でいないと駄目だろうか、と眺める本。
その道は、とても辛そうなのに。
此処で「いい子」で生きてゆくことは、「シロエ」には、きっと出来ないのに…。
いい子の所に・了
※幼い日のシロエは、「いい子の所に迎えに来てくれる」ピーターパンを待っていたわけで…。
それをE-1077でも覚えているなら、こういう考えに陥る時もあるかもね、と。
(……理想の子……)
今度こそは、とマザー・イライザが続ける思考。
E-1077のシークレット・ゾーン、フロア001での「実験」。
三十億もの塩基対を合成し、それを繋いでDNAという名の鎖を紡ぐ。全くの無から生命を生み出すために、何度となく実験を続けて来た。
その「基礎」は既に出来上がっている。強化ガラスの水槽の中に並んだ「サンプル」たち。
彼らと同じにDNAを紡いでゆけば、「外見」だけは立派に完成するのだけれど…。
(…足りないのは、押し…)
今のままでは、どう作っても「ただのヒト」しか出来ない。とても優秀な「人類」が一人、出来上がるというだけのこと。そう、「人類」。
(いずれは、時代遅れになる筈の種族で…)
より「優れた者」を作り出すなら、人類ではなくて「ミュウ」でなければならない。SD体制の異分子とされる、「M」と呼ばれる生き物たち。
彼らは排除するべき存在だけれど、進化の必然でもあった。宇宙を統べるグランド・マザーが、ひた隠しにしている「ミュウの真実」。
もちろんマザー・イライザにも「内緒」で、知られたとは気付いていないだろう。こんな末端の「たかが教育ステーション」のコンピューター風情が、最高機密を「掴んだ」とは。
ところがどっこい、それが「現実」。
このプロジェクトを任された時から、マザー・イライザは常に「上」を目指して来た。要求された内容以上の成果を上げてゆかなければ、と。
そうするためなら、手段を選びはしない。グランド・マザーの意向を知ろうと、ハッキングさえもやらかす勢い。「従っている」ふりをしたなら、容易に侵入可能なだけに。
(…どう考えても、ミュウ因子を加えた方がお得で…)
優秀な人材が「生まれる」だろうに、それは御法度。
なんとも惜しい限りの話で、どうにかして「そこ」をクリアしたいもの。「理想の子」を見事に作り上げるなら、欠かせないブツがミュウ因子。
何か方法はないものだろうか、とマザー・イライザは思考し続ける。
「人類」であるべき「理想の指導者」、それと「ミュウ因子」とは並び立たないのか、あるいは抜け道があるものなのか。
(…普段は人類、場合によってはミュウというのは…)
どうだろうか、と考えたものの、その切り替えが難しい。何かのはずみにスイッチオンで、人類からミュウにパッと変身するなら、ともかく。
(…変身……?)
これは使えるかもしれない、とメモリーバンクを探ってゆく。遥か昔から、人間たちは「それ」を夢見て来た。変身して戦うヒーローやヒロイン、そういったモノを。
(……データは、山ほど……)
ならば私の「好み」で決めて…、とマザー・イライザは「観始めた」。SD体制が始まるよりも遠い昔に、人間が「作った」変身モノの様々な映像などを。
(…美少女戦士セーラームーン…)
少女の話は必要ない、と思ったものの、参考のために観てもいいだろう、と全話を確認した後、マザー・イライザは「コレだ!」と考えた。
人類の聖地、母なる地球。ソル太陽系の第三惑星、そこが肝心。
戦う美少女セーラームーンは、地球にある「月」の名前を持っていて…。
(セーラー・マーキュリー、セーラー・マーズ…)
他の美少女戦士たちには、ソル太陽系の惑星の名がついていた。後の時代に「準惑星」へと転落していった冥王星までが、バッチリ入って、セーラー・プルート。
(…これだけ揃っても、無いのが地球…)
地球の名を持つ「美少女戦士」は、いなかった。
だったら、名前だけを拝借、セーラー・アースか、セーラー・ガイアとでも。
(据わりがいいのは、セーラー・ガイア…)
それにしよう、とマザー・イライザが決めた「理想の子」にして、「理想の戦士」。この際、美少女の件はサラッと無視して、「要は、セーラー戦士でいい!」と。
もうちょっとばかり思考していたら、「タキシード仮面」が「地球担当」だと気付いただろうに、どこか抜けていたマザー・イライザ。
勝手に決めたのが「セーラー・ガイア」で、ミュウ因子が発動した時は「ソレ」。
(…変身して、華麗に戦うのなら…)
人類以上の能力があってもオールオッケー、きっと問題ナッシング。
これで「理想の子」を作れる、とマザー・イライザは頑張った。「理想の子」が変身を遂げた時には、服までが変わるようにして。
(本当に変えられるわけがないから…)
其処の所は、ミュウの得意技でいいだろう。サイオニック・ドリームで「服」を作れば。
美少女戦士たちのパクリで、セーラーカラーにミニスカートの「戦士」でかまわない。なんと言っても「セーラー・ガイア」を名乗るからには、あくまで「本家」に忠実に。
(ガイア・ミラクルパワー…)
メイクアップ! という「掛け声」も組み込むことにした。
かてて加えて、忘れちゃいけない決め台詞。「地球に代わって、おしおきだ!」と。
「理想の子」は男性なのだからして、「おしおきよ!」では、流石にアウトっぽいから。
(…同じミュウなら…)
最強のタイプ・ブルーと洒落込みたいけれど、如何せん、データが足りなさすぎた。最初に発見された一人を除いて、タイプ・ブルーのミュウなどは「いない」。
仕方ないから、攻撃力だけはタイプ・ブルーに匹敵すると噂の、タイプ・イエロー。それで代用しておこう、とマザー・イライザが固めた方針。
(強ければ、それでいいのだし…)
無い物ねだりをしているよりは、現実的な選択をすべき。
人類の指導者となるべき「理想の子」。その正体は、タイプ・イエローのミュウでもあって、それゆえに「人類以上の能力」を持つ。
もっとも、「彼」が変身する機会があるかどうかは、別の話で。
こうして無から作り出された、「セーラー・ガイア」。
人類としての名前は「キース・アニアン」、彼はフロア001で成人検査の年まで育った。養父母や教師に情緒を曲げられることなく、強化ガラスの水槽の中で、無垢な者として。
E-1077の候補生となった後には、「機械の申し子」の異名を取るほど、優れたエリート。人類以上の能力は「頭脳にも」影響を与えてゆくだけに。
(ようやく、生まれた…)
理想の子が、とマザー・イライザは御満悦。
E-1077では、さしたる事件も無かったお蔭で、「セーラー・ガイア」の出番は無かった。やがてメンバーズに抜擢された「キース」は、自分の「真の能力」を知らないままで卒業してゆき、「冷徹無比な破壊兵器」とも呼ばれ続けて…。
「…ジルベスターへ飛んでくれるかね?」
上官からの、そういう命令。
ジルベスター星域での事故調査と言いつつ、ミュウの拠点を見付けるのが任務。キースは早速にジルベスターへ飛び、其処の第七惑星で…。
「メンバーズ・エリート…。グランド・マザーの犬というわけか」
そう言い放った、キースの船を落とした青年。ミュウの長、ジョミー・マーキス・シン。それは恐ろしいオーラを背負った「彼」の登場で、キースは危機を悟ったわけで…。
(…こいつを相手に、ナイフ一本で勝つことが出来るのか…!?)
無理なのでは、と思った瞬間、口をついた叫び。まるで意識はしなかったのに。
「ガイア・ミラクルパワー…。メイクアーップ!!」
それが引き金、キースは華麗に「変身」を遂げた。地球の名を持つ「セーラー・ガイア」に。
サイオニック・ドリームとはいえ、凄いミニスカのセーラー戦士。
ジョミーは「え!?」とビビりまくりで、キースはビシィ! とポーズを決めた。
「貴様、ミュウの長か…! 地球に代わって、おしおきだ!」
「ちょ、ちょっと…! 君はミュウだ!」
もう絶対にミュウなんだけど、とジョミーはオタオタ、キースもハッと我に返った。さっきから自分が何を叫んだか、自分の「見た目」はどうなのか、などと。
「…わ、私は…? な、なんだ、これは…!?」
「いや、だから…。君はミュウだと思うわけでさ…」
セーラー・ガイアが君の正体だろう、と突っ込んだジョミー。「人類」としての名前は何であっても、ミュウとしての名前は「セーラー・ガイア」だ、と。
「……セーラー・ガイア……」
私がか…、とキースも「目が点」だったのだけれど、実際、やってしまった変身。それに決め台詞やら決めポーズまでがセットものだし、そういうことなら…。
(……実は私は、キース・アニアンではなくて……)
セーラー・ガイアだったのか、とキースも認めざるを得ない現実。「そうだったのか」と。
かくして、キースは「事故調査」から戻りはしなかった。
マザー・イライザが作った「理想の子」キース、それは優れた頭脳を活かして、ミュウの側につくことになる。
何と言っても「セーラー・ガイア」で、変身したなら戦士なのだし…。
「ソルジャー・シン。…アルテメシアは陥落させたが…」
いよいよ地球を目指すのか、とキースはサックリ「ミュウの世界」に馴染んで、メギドは出番も無いままだった。
ソルジャー・ブルーは今も存命、青の間で昏々と眠り続けている。
ナスカの子たちも急成長を遂げないままで、シャングリラは地球へと進んでゆく。地球の名を持つセーラー戦士、「セーラー・ガイア」と共に戦いながら。
「彼」を作ったマザー・イライザが、グランド・マザーに「消された」ことさえ知らないで。
そのラスボスのグランド・マザーですら、呆気なく倒されてしまったという。
「地球に代わって、おしおきだ!」と叫ぶ「セーラー・ガイア」と、ソルジャー・シンに。
無から作った「優れた人材」、その正体が実は「ミュウだった」せいで…。
地球の戦士・了
※「誰か変身しないモンかねえ?」と、ふと思ったのがネタ元ですけど…。セーラー戦士…。
いや、「ガイア、いないな…」なんて気付いちゃったら、やるっきゃない…ような…?
(…なんと傲慢な生命だろうな…)
この私は…、とキースが心で零す溜息。
それほどの価値があるのだろうか、と夜が更けた部屋で、ただ一人きりで。
「キース・アニアン」という存在。
国家騎士団上級大佐、叩き上げのメンバーズ・エリートでもある。
冷徹無比な破壊兵器と呼ばれようとも、「それが私だ」と歯牙にもかけはしなかった。
むしろ誇りを持ってさえいた。
グランド・マザーが直々に指名するほど、優れたエリート。優れた軍人。
「私は選ばれた存在なのだ」と自信に溢れて、疑いさえもしなかった。
どんな任務を任されようとも、そうして受けた任務の結果がどうなろうとも。
反乱軍を一人残らず地獄へ送ってしまおうと。
SD体制から生まれる異分子、ミュウを星ごとメギドで殲滅しようとも。
(…軍人ならば、それが当然だろうと…)
思ってもいたし、確固たる信念でもあった。
SD体制に異を唱える者、逆らう者は全て滅ぼすべきだと。
その考えが少し揺らいだのが、伝説のタイプ・ブルー・オリジンとの出会い。
長でありながら、命まで捨てて同胞のためにメギドを沈めた男。
(あいつのように、躊躇いもせずに…)
命さえも捨ててしまえる生き方、それを羨ましいと思った。
自分が置かれた地位も立場も、何もかもを顧みることさえもせずに死んでゆけたら、と。
けれど、その時は「そう思った」だけ。
直ぐに「馬鹿な」と冷静になって、「あいつはミュウだ」と、異分子なのだと切り捨てた。
SD体制の枠の中から弾き出された異分子がミュウ。
ならば、そのようにも生きるだろう。
秩序を重んじる「人類」とは違う種族なのだし、組織などには縛られないで。
「長」を失った者たちの混乱、其処まで考えたりはしないで。
そうして思った、「私は違う」という自覚。
ソルジャー・ブルーがどうであろうが、自分は自分。
異分子などには惑わされずに、真っ直ぐに前を見るべきだろう、と。
ジルベスター・セブンで上げた功績、それに相応しく二階級特進したのだから。
(…しかし、私は……)
異分子でさえもなかったのだ、と握り締める拳。
今、握り締めた拳さえもが、「人間」のそれとは違ったもの。
そう、文字通りに「違っていた」。
「キース・アニアン」という存在は。
遠い昔に「機械の申し子」と異名を取った、「グランド・マザーのお気に入り」は。
(まさか、ああして作られたなど…)
誰が思うものか、と腹立たしいだけ。
かつてシロエが「お人形さんだ」と言ったけれども、ただの比喩だと思っていた。
シロエが見て来たE-1077のフロア001、其処が「どういう場所」であろうと。
機械が並んだ改造室でも、「キース」の「元」はあると思った。
何らかの方法で「キースを改造していた」にせよ。
脳に直接、大量の情報を送り込んだりして、「優れた人材」を作っていても。
あるいは体術に秀でるようにと、肉体に手を加えていても。
その程度だろう、と高をくくっていた。
廃校になったE-1077、それの「処分」を命じられるまでは。
フロア001を「見て来る」ように、グランド・マザーに言われるまでは。
(…プロジェクト自体が極秘なだけに…)
大勢の部下を連れては行けない。
マツカだけを伴い、E-1077に近付き、其処から先は単独だった。
人工重力さえも失っていたステーション。
それを蘇らせ、一人きりで目指したフロア001という場所。
其処に並んだ幾つもの水槽、強化ガラスの中に浮かんでいた「サンプル」たち。
何人もの「キース・アニアン」がいた。
胎児から、「今のキース」と「さほど変わらない」キースまでが。
マザー・イライザが無から作った生命体。
三十億もの塩基対を合成した上、それを繋いでDNAという鎖を紡いで。
「キース」は「無から作られた」もの。
ミュウでさえも「無からは」生まれて来なくて、人工子宮で育ってゆくのに。
彼らの「元になった」モノなら、ちゃんと存在するというのに。
けれど、「そうではなかった」キース。
シロエが言った通りに「人形」。
人形だったら、それらしくしていれば良かったものを…。
(…水槽から出されて、育て上げられて…)
いつの間にやら上級大佐で、この先も昇進してゆくのだろう。
グランド・マザーの導きのままに、彼らの「人形」に相応しい道を歩み続けて。
そのこと自体は、どうでもいい。
「そうするために」作られたのなら、「そのようにしか」生きられない。
ただ、問題は「キース」そのもの。
今の「キース」を作り上げるために、マザー・イライザが用いた手段。
(……サムと知り合うように、仕向けていって……)
スウェナの場合は、知り合うどころか、その命さえも弄ばれた。
E-1077までスウェナを乗せて来た船、それを見舞った衝突事故。
それも「仕組まれたもの」だったから。
「キース」が上手く処理するかどうか、その能力を試すためだけに。
(…私が失敗していたら…)
あの船はE-1077の区画ごとパージされていた。
反物質が漏れ出すことで発生する、対消滅からE-1077を守り抜くために。
そうはならずに済んだけれども、スウェナや、あの船に乗っていた者の命。
それを「握っていた」のが「キース」で、失敗したなら、彼らは「死んだ」。
「キース・アニアン」とは、「そういう生命」。
マザー・イライザの「理想の子」とやらを育てるために、人の命さえ弄んだ末に出来たモノ。
スウェナもそうなら、「シロエ」も同じ。
シロエの場合は、人類ではなくてミュウだったけれど。
(…そのシロエもだ…)
もしも「キース」と出会わなかったら、「マツカ」のように生き延びたろう。
少し毛色の変わったエリート、そのように生きたに違いない。
マザー・イライザに選び出されて、「キースに殺されなかったら」。
「キース」を育てる「糧」として贄にされなかったら。
(…反乱軍の奴らを殲滅しようが…)
ジルベスター・セブンを焼き滅ぼそうが、それは「任務」の一環ではある。
「キース・アニアン」が「そうしなくても」、他の誰かが「やるだろう」こと。
成功するか、失敗するかは、また別のことで。
だから、そういう「命」を幾つ踏みにじろうとも、「軍人として」罪の意識は無い。
そんなものなど感じていたなら、とても軍人にはなれない。
けれど、「軍人になる」よりも前。
E-1077を卒業してから、メンバーズ・エリートになるよりも前。
その頃から「キース」は「人の命」を弄んでいた。
「無から生まれた生命体」であって、「人間でさえもない」というのに。
ミュウにさえも及ばない生命のくせに、預けられた「スウェナの船の乗員」の命。
まだ水槽から出されて間もない、候補生としては「ヒヨコ」の頃に。
そう、グレイブもそう言った。
あの日、救助に向かおうとしたら、「ヒヨコは鶏についてくるものだ」と。
ただの「ヒヨコ」であったというのに、幾つの命を預かったのか。
救助に失敗していたならば、何人の命が失われたのか。
(…そうなっていたら、何十人か、あるいは百人ほどもいたのか…)
それが「キース」を育てるための生贄になっていただろう。
マザー・イライザは「懲りることなく」、次の事故を起こしたに違いない。
その時点での「キース」に相応しい事故を、「上手く処理して」戻るようにと。
全ての仕上げに、「シロエ」の船を撃墜させた時と同じに。
「撃ちなさい」と冷たい声で命じて、シロエが乗った練習艇を落とさせたように。
つまり、「キース」は「そういう生命」。
任務とはまるで無関係な場所で、人の命を弄びながら「育った」者。
シロエの命も「キース」が奪った。
キースと出会っていなかったならば、シロエは「死ななかった」のだから。
(…何処の世界に、こんな人間がいるというのだ…)
育つためには「人の命」を欲するような…、と心で零して、漏らした失笑。
「私は、人ではなかったのだな」と。
人間の姿と変わらなくても、「作られた者」が「キース・アニアン」。
ならば、「人」ではないのだろう。
「人の命」を弄びながら、踏みにじりながら「育った」化け物。
化け物ではないと言うのだったら、傲慢なだけ。
自分以外の者の命を糧にして「出来上がった」のならば。
スウェナを乗せていた船の者や、シロエの命。
そういった「全て」を「糧にして育って」、今の「キース」がいるのなら。
(……遠い昔は、そういった者も……)
まるでいなかったわけではない。
王と呼ばれた者の中には、人を虫けらのように扱い、栄華を誇った者たちもいる。
彼らが犯した罪に比べれば、「キースの罪」は遥かに軽そうなのだけれども…。
(…人間でさえもないのが、私だ……)
人の物差しでは測れまいな、と分かっているから、自分自身が呪わしい。
「なんと傲慢な生命なのか」と、「人でもないのに、人の命を糧にしたか」と。
この世に神がいるというなら、神の目にはどう映るのだろう。
それとも「映りもしない」のだろうか、「人間ではない」生命などは。
いくら傲慢に育てられようとも、「神が作っていない」のならば。
(…どちらでもいいことなのだがな…)
今更どうにもなりはしない、と拳を握り締めるだけ。
行き着く所まで行かない限りは、きっと「終わり」の日さえも来ない。
そういう風に「作られた」者は、「そのようにしか」生きてゆけないから…。
傲慢な生命・了
※キースを育てるための計画、アニテラだと半端ないんですよね…。原作以上に。
だったら「自分の正体」に気付いたキースが、こう思うこともあるだろうか、というお話。
(……うーん……)
こういった生き物もいるのだった、とソルジャー・ブルーが零した溜息。
青の間のベッドで観ていた映像、アルテメシアで人類が放映している番組の一つ。ミュウの船は娯楽が少ないからして、こんな具合に傍受して流すニュースやドラマ。
ソルジャー・ブルーが眺めていたのは、愛らしい動物たちの紹介番組。心癒されるからと、よく観るもの。今日の主役は鴨なのだけれど…。
(…刷り込みというのを忘れていたな…)
仕方ないが、と見詰める画面は、飼育係の後ろをチョコチョコ歩く雛たち。
鴨だけに限らないのだけれども、「刷り込み」と呼ばれる現象がある。卵から孵化して、最初に目にした「モノ」が「親だ」と思い込むこと。
飼育係の人間だろうが、たまたま居合わせた犬であろうが、それが「親」。まるっと親だと思う雛たち、「本物の親」には見向きもしない。「初めて出会った」モノを親だと信じたままで。
(……ぼくとしたことが……)
三百年以上も生きたくせに、とブルーは悔やんでも悔やみ切れない。
人類の放送を傍受し続け、何度この手の映像を鑑賞して来たことか。刷り込みで「親だ」と思い込む雛も、「思い込まれて」雛の世話をする犬や猫なども。
本当だったら、ヨチヨチ歩きの雛鳥なんかは、犬や猫から見たなら「餌」。
けれども、「親だ」と思われた場合、「育て始める」こともある。毛繕いならぬ、羽繕いまでも舌でしてやって、自分の毛皮を寝床代わりに使わせもして。
(…鴨の雛でも、こうなんだから…)
ぼくも頑張れば良かったんだ、とブルーは後悔しきり。
何故かと言うに、只今、船で何かと話題のソルジャー候補。ジョミー・マーキス・シンが問題。
彼は「ブルーの後継者」なのに、大変な暴れ馬だった。船から逃げて行ったくらいに。
今でこそ観念したようだけれど、そうなるまでが長かった上に…。
(…ジョミーを追い掛けて、成層圏まで飛んで行ったから…)
ブルーも半殺しの目に遭ったわけで、未だ本調子ではない身体。寿命のことは抜きにしたって。
もしもジョミーが「鴨の雛」よろしく、ブルーに懐いていたならば…。
(同じように船に連れて来たって…)
流れは全く違った筈だ、とヒシヒシと思う。
成人検査を妨害した時点で、既に違っていただろう出会い。刷り込みが起こっていたならば。
失敗だった、とブルーが悔やむ「刷り込み」のこと。
ジョミーのことなら、生まれた時から「ずっと」見て来た。
正確に言うなら、人工子宮から外に出されて、養父母たちの家に来た時。アタラクシアで感じた「強い思念」に引かれて「見付けた」赤ん坊。
(あの時から、何度も思念体になって…)
ジョミーを眺めに行ったわけだし、もっと捻っておけば良かった。
養父母たちの隙を狙って、「幼いジョミー」に接触しては、「悪い人じゃない」と覚えて貰う。夢の世界に入り込んで行って、「一緒に遊ぶ」という手もあった。
(そうしておいたら、ジョミーは、ぼくにすっかり懐いて…)
「夢の中でしか会えない人だ」と思っていたって、きっと嫌いはしなかったろう。鴨の雛たちの刷り込みよろしく、「この人も親だ」といった具合で。
ジョミーが「親だ」と思い込んでいたら、成人検査を妨害した時も、嫌われる代わりに、助けに来たと分かって貰えた。「あの人だよ!」と、顔を輝かせたりもしてくれて。
そうやってジョミーを救っていたなら、「家に帰せ」とも言われてはいない。
(…ぼくがジョミーの「新しい親」で…)
次期ソルジャーに指名したって、文句の一つも無かっただろう。
ジョミーは進んで訓練を受けて、「次期ソルジャー」を目指した筈。シャングリラで出会った、「新しい親」が「そう言う」のなら。
(……思い付きさえしなかったなんて……)
つくづく馬鹿だ、とブルーの嘆きは尽きない。
「刷り込み」という言葉も、それが起こった結果の方も、映像などでお馴染みだったのに。
おまけに、ブルーは「ソルジャー・ブルー」。
ミュウたちの長で、ただ一人きりの、タイプ・ブルーというヤツでもあった。
ジョミーが船にやって来るまでは、もう本当に唯一無二。それだけにサイオンの方も最強、刷り込みをやってみたいのだったら、いくらでも出来た。
思念体での接触も、夢で出会うという方法も、意識の下に刷り込むことも。
いつかジョミーと生身で会ったら、「親だ」と思って貰えるように。
ジョミーを育てた養父母の代わりに、「今日からは、この人を頼ればいいんだ」と、心の底から信じて貰えて、すっかり懐いてくれるようにと。
一生の不覚、とブルーが悔やんだ、「ジョミーに刷り込み損ねた」失敗。
それでも「ジョミーが可愛い」わけだし、とても大切なソルジャー候補で、後継者。
だからブルーは、その夜、早速、ジョミーを呼んだ。「話があるから」と、青の間へ。
「…何の用です?」
訓練で疲れているんですけど、と仏頂面で現れたジョミー。愛想も何もまるで無かった。
この辺からして、激しく悔やまれる「ジョミーに刷り込まなかった」こと。
きちんと「刷り込んで」おきさえしたなら、ジョミーは「青の間に呼ばれた」だけでも、最高に御機嫌だったろうから。「ブルーに会える」と、犬なら尻尾を振らんばかりに。
(……ジョミーには、ぼくの轍を踏んで欲しくない……)
いつの日か、次のソルジャーを指名するのだったら、ジョミーは「その子」に好かれて欲しい。それがブルーの切なる願いで、ジョミーのためにもなるだろう話。
ゆえに、重々しく切り出した。
「…ジョミー。ぼくの遺言だと思って聞いておきたまえ」
「遺言ですって?」
聞き飽きました、とジョミーは素っ気なかった。取り付く島もない状態。
なにしろ「死ぬ死ぬ詐欺」というのが、ジョミーの「ブルーに対する」評価。養父母の家にいた頃に見せた夢でも、アルテメシアの遥か上空でも、「残り少ない」と告げていたブルーの寿命。
けれど、一向、死にはしなくて、今も現役で「ソルジャー」な人。
それで「遺言」などと言っても、ジョミーの耳には白々しいだけ。「また言い出した」といった感じで、右から左へスルーされても「文句は言えない」のだけれど…。
「いいから、聞いておくんだ、ジョミー。…ぼくのようなことに、なりたくなければ」
「…どういう意味です?」
「今の君だよ。ぼくを嫌っているのは分かるし、それも仕方がないとは思うが…」
負のスパイラルを背負って欲しくはない、とブルーは説いた。
自分の件なら、もう諦めているのだけれども、ジョミーは「同じ道を行くな」と。
次のソルジャーを選ぶ時には、「刷り込み」をやっておくように、と。
「刷り込みって…?」
訝しむジョミーに、ブルーは鴨の雛たちの話を聞かせた。
卵から孵って最初に出会えば、天敵だろうと「親なのだ」と思い込む、鴨の雛たち。ヨチヨチと後ろをついて歩いて、本物の親よりも「好きになる」ほど。
ブルーも「ジョミーに」それをしておくべきだった、と本当に後悔していることを。
ジョミーが「次のソルジャー」を見付けた時には、そうならないよう「刷り込むべきだ」と。
そうは言われても、まだ若いのがジョミー。全くピンと来はしない。
(…なに言ってんだろ…?)
死ぬ死ぬ詐欺の次はコレか、と思った程度で、お義理で「はい」と頷いただけ。少しも真面目に考えはせずに、「遥か未来のことなんか」とサラリ流して。
(ぼくが後継者を探す日なんて、三世紀以上も先のことだよ)
三百年も覚えていられるもんか、というのがジョミーの感想で本音。ブルーの気持ちは、まるで伝わりはしなかった。「ぼくの轍を踏んでくれるな」という「親心」も。
お蔭でジョミーはスッパリ忘れて、やがてシャングリラは宇宙へ出た。長く潜んだ雲海を離れ、アルテメシアを後にして。
それから間もなく、昏睡状態に陥ったブルー。
必然的にジョミーが「ソルジャー」になって、シャングリラは宇宙を彷徨う日々。地球の座標は未だ分からず、人類軍の船に追われて、思考機雷の群れに突っ込んだりもして。
希望も見えない船の中では、人の心も疲弊してゆく。
新しいミュウの子供も来ないし、諦めムードが漂うばかり。
けれど、見付けた赤い星。ジルベスター星系の第七惑星、ジルベスター・セブン。
「赤い星」、そして「輝く二つの太陽」。
フィシスが占った希望と未来に、まさにピタリと当て嵌まる星。
遠い昔に破棄された植民惑星なのだし、人類も来ないことだろう。ジョミーは其処に降りようと決めて、反対意見も、さほど無かった。ゼルがブツブツ言った程度で。
ジルベスター・セブンは、フィシスに「ナスカ」と名付けられた。ミュウの星として。
其処に入植するにあたって、もう一つあった大きな目的。
「ミュウの未来を築いてゆくこと」、すなわち、SD体制の時代には無い「自然出産」で子供を産み育てること。
たとえ倫理に反していようが、非効率的な手段だろうが。
そして最初の「命」を宿したのがカリナ。何ヶ月か経てば「子供」が生まれる。
(……男の子なんだ……)
元気な子供が生まれるといいな、とジョミーは思った。
ミュウは何かと虚弱な種族で、「何処かが欠けている」のが普通。ジョミーは例外中の例外。
そんな種族では「未来が無い」から、生まれてくる子は「健康で強い子供」がいい。ジョミーは心からそれを望んで、「そうなるといい」と願い続けて、ある日、気付いた。
ずっと昔に、ソルジャー・ブルーが「遺言だ」と告げた、鴨の子の話。確か、刷り込み。
(…卵から孵って、最初に見たものを親だと思って…)
人間だろうが、犬猫だろうが、懐きまくるのが鴨の雛たち。後ろをヨチヨチついて歩いて。
ブルーも「それをするべきだった」と、あの日、滾々と聞かされた。
いずれジョミーを「船に迎える」なら、幼い頃から「刷り込んでおいて」、懐くようにと。
(…カリナが生む子が、強い子だったら…)
ソルジャー候補は、まるで必要ないのだけれども、いつか役立つ日が来るかもしれない。人類と戦う時が来たなら、戦力として。
(そうなってくると、ブルーが言っていたように…)
刷り込んでおくのがいいのだろう。
生まれてくる子の本当の親は、カリナとユウイ。SD体制始まって以来の、本物の「親」。
彼らが子供の「親」になるなら、刷り込むには「親」になるよりも…。
(…親よりも上の立場の方が、もう絶対に有利だよね?)
「親の親」だと「おじいちゃん」か、とジョミーは大きく頷いた。「それでいこう」と。
ただ、「おじいちゃん」という言葉は「嬉しくない」。
今も昏睡状態の「ジジイ」、ブルーでさえも「おじいちゃん」と呼ばれはしない。
(…おじいちゃん、って意味の言葉で、もっと響きがマシなのは…)
無いだろうか、とジョミーは懸命に調べまくって、「グランパ」という言葉を見付けた。意味は「おじいちゃん」そのものだけれど、これならダメージ低めではある。
カリナが生む子に、「グランパ!」と呼び掛けられたって。
「おじいちゃん!」と懐かれるよりは、断然、そっちの方がいい。「グランパ!」の方が。
(……よーし……)
頑張るぞ、とジョミーが固めた決意。「刷り込まなくちゃ」と。
ジョミーはせっせとカリナを見舞って、名前も無い胎児に思念を送った。「グランパだよ」と、「生まれて来たら、ぼくと一緒に遊ぼう」などと。
その子が無事に生まれた後には、「トォニィ」と呼び掛け、抱っこもして。
ジョミーの努力は立派に実って、喋れるようになったトォニィは…。
「グランパ!」
大好き、と見事に「懐いた」わけで、鴨の雛のように「ジョミーに夢中」。
実の両親が側にいたって、ジョミーの方にトコトコ歩いて来て。「グランパ!」と呼んで。
こうしてジョミーは、トォニィの「グランパ」になった。
遠い昔にブルーから聞いた、「刷り込み」を、きちんと実行して。
タイプ・ブルーの強い子供を、すっかりと「ジョミーに」懐かせて。
これのお蔭で、後に人類は、ミュウに敗れることになる。
トォニィが率いるナスカの子たちは、半端ない戦力だったから。揃いも揃って最強の子で。
しかもトォニィの「グランパ」はジョミー、どんな命令でもトォニィは「聞く」。
鴨の雛と同じで、実の親よりジョミーが「大好き」なのだから。
ジョミーが一言「やれ」と言ったら、降伏して来た人類軍の船も、平然と爆破するのだから…。
最初が肝心・了
※アニテラでは、全く語られなかった「グランパ」の由来。トォニィがジョミー好きな理由も。
だったら「仕掛け人」はジョミーでもいいじゃない、というお話。刷り込み、最強。
