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「シナモンミルク、マヌカ多めでね」
 いつものように注文したのは、シロエのお気に入りのドリンク。
 Eー1077に連れて来られる前から、その飲み物が好きだった。
 マヌカハニーとシナモン入りのミルクを飲むと、今も心が落ち着く気がする。
 ハードな訓練をこなした後には、食堂まで来て、人が少ない静かな席を選んで味わう。
(騒がしいのは嫌いだよ)
 マザー牧場の羊の群れの中なんかは御免だね、と目だけで空いている席を探した。
 何処がいいかと、ザッと食堂を見渡して。
(あの辺りかな?)
 あそこにしよう、と見当をつけて、カウンターの方に視線を戻す。
 注文の品は出来て来たかと、何の気なしに眺めた先に、メニューがあった。
 普段は気にも留めない「それ」。
 この時間帯にだけ提供されるスイーツ、甘い菓子類に特に興味は無い。
 シナモンミルクがあれば充分、余計なカロリーは摂らない主義を貫いている。
 カロリーなんかは、必要な量があればいい。
 余分に摂取したのだったら、その分、何かして消費しないと太るだけ。
 体調管理もエリートの条件の一つなだけに、マイナスになる要素は少ない方がいい。
 間食を取る習慣などは、無駄なものだとシロエは考えていた。
 シナモンミルクに入っているマヌカ、その独特な甘味があれば、それでいい。
 だから菓子類などはどうでもよくて、スイーツのメニューも見ないのだけれど…。
(ブラウニー…!)
 メニューに、母が得意だった菓子の名前があった。
 幼い頃から何度も食べた、母がキッチンで作ってくれたブラウニー。
 「これは食べねば」と、心が跳ねた。
 カロリーだの菓子だの、そういったことは抜きでいい。
 故郷の母が作っていた菓子、その味を、この舌で確かめてみたい。
 もう早速に、カウンターの向こうへ身を乗り出した。
「あっ、これ! ブラウニーもお願い!」
 一つね、と頼んで頬を緩める。
 「ママのお菓子が食べられるよ」と、「太ったって、構わないんだから」と。


 注文の品が増えたお蔭で、少し余分に待つことになった。
 それも全く気にならないけれど、其処へ後からやって来た客が、こう注文した。
「アップルパイ、一つ。テイクアウトでお願いね」
 客はエリート候補生の制服の少女で、店員が「はい」と返して箱を取り出す。
 アップルパイを入れる箱だ、と直ぐに分かった。
(スイーツなんか、ぼくは頼まないから…)
 他のメニューと同じように「食堂で」食べるものだと、シロエは思い込んでいた。
 食べ終わったら食器を返して、自分の部屋へ帰るのが食堂のルール。
 朝、昼、夜の三度の食事も、体調を崩していない限りは、食堂で食べるという決まり。
 「持ち帰り」があるとは、考えさえもしなかった。
(…だけど、よくよく考えてみたら…)
 テイクアウトは、あって当然だろう。
 夜遅くまで、自分の個室で勉強している候補生は多い。
 彼らの勉強の効率を思うと、食堂へ出て来て何か夜食を食べるよりかは…。
(ピザとか、サンドイッチとか…)
 自室で手軽に食べられるものを、持って帰った方がいいのに決まっている。
 どうして今まで、全く気付きもしなかったのか。
(食べることに執着してないからかな?)
 栄養ドリンクや栄養剤などで補えばいい、というのが此処でのシロエのスタイル。
 食堂で他人の姿を見るより、自室に籠っていたいタイプなゆえの考え方。
(夜食なんかを食べに来るのは、面倒なだけで…)
 部屋に帰ったら、次の日まで外に出る気もしないや、と今の今まで思って来た。
 その気持ちは変わらないのだけれども、テイクアウトを知ったのは…。
(大収穫だよ!)
 これを使わない手などは無い、とカウンターの向こうへ声を張り上げた。
 丁度、注文の品を載せたトレイを持った店員が、こちらへやって来るところ。
 その店員に、「ごめん、ブラウニー、テイクアウトで!」と。
 テイクアウトを知ったばかりだとは顔にも出さずに、たった今、思い付いたかのように。
 「アップルパイね」と頼んだ少女に釣られて、自分もその気になったんだ、という風情で。
 店員は「お待ち下さい」と返すと、嫌な顔一つしないでシロエの注文に応じてくれた。
 もう白い皿に載せてあったブラウニー、それを箱へと詰め替えて。
 シナモンミルクのカップの隣に、その紙箱を並べて置いて。


 こうしてシロエは、ブラウニーを「個室に持って帰る」ことに成功した。
 シナモンミルクを飲んでいる間も、何度、紙製の箱を眺めたことか。
 「ふふっ」と、「部屋で食べられるんだ」と、心の中では「幼いシロエ」が笑っていた。
 ただし、食堂に座っていたシロエは、まるで笑っていなかったけれど。
 あくまで冷静、いつもと少しも変わらない顔で、黙ってカップを傾けていただけ。
 もしも誰かが見ていたとしても、不審には思わなかったことだろう。
 テイクアウト専用の紙箱がトレイに載っているのも、気にしなかったに違いない。
 「彼ら」にとっては、テイクアウトは「見慣れた光景」、さして珍しくもない代物。
 注意を引くようなものではないから、それをシロエが持っていたって…。
(今夜は徹夜で機械弄りか、って…)
 勘違いをする程度だよね、とシロエは夜の個室でクスリと笑う。
 「生憎と、そうじゃないんだな」と。
 「誰も考えもしないことだよ」と、紙箱の中身を覗き込んで。
(…自分の故郷のことなんか…)
 此処では、誰も深く考えてみたりはしない。
 成人検査で記憶を手放し、機械に書き換えられた後では、誰もがマザー牧場の羊。
 故郷に思いを馳せはしないし、養父母を懐かしんだりもしない。
 彼らが食堂で、故郷の母の得意料理に出会ったとしても…。
(こういう料理を食べたっけ、って思うだけのことで…)
 母や故郷の家のことなど、しみじみ思って食べたりはしないことだろう。
 どんなテーブルで食べていたのか、両親と囲んでいた食卓を思い返すことさえ。
 けれど「シロエ」は、彼らとは違う。
 今も故郷を、両親のことを、忘れはすまいと努力している。
 機械がどんなに消しにかかろうとも、懸命に抵抗を続ける戦士。
(忘れさせるんなら、こっちは忘れないように…)
 残った記憶を守って戦い、手放さないように心を強くするだけ。
 機械の力に負けてしまえば、端から消されてしまうのだから。
(ぼくは今でも忘れないから…)
 忘れてないからブラウニーだって手に入るんだ、と菓子を紙箱から取り出した。
 この部屋に皿の類は無いから、手掴みで食べることにする。
 行儀なんかは気にしない。
 マザー・イライザが叱りに来ることも、この程度ならば無いだろうから。


(…そうだ、こういう味だったっけ…)
 懐かしいな、とブラウニーを一口齧って味わう。
 チョコレートの味がする、何処かケーキを思わせる菓子。
(でも、ケーキほどしっとりしてはいなくて…)
 焼き菓子に近い感じだっけ、と懐かしい。
 そう、この菓子が大好きだった。
 母が作ってくれる時には、大喜びで焼き上がるのを待っていたもの。
 「出来たわよ、シロエ」という声を聞いたら、何処にいたって走って行った。
 甘い香りがしているキッチン、焼き立てのブラウニーが待っている場所へ。
 熱いオーブンから出て来たばかりで、母が切り分けている所へと。
(大きな天板で、いっぺんに焼いて…)
 それを食べやすいサイズに切って、母は「シロエ」の皿に載せてくれた。
 「まだ熱いから、火傷しないでね」と微笑みながら。
 「冷ましたブラウニーも美味しいけれども、焼き立てもいいでしょ?」と言っていた母。
(…ママの顔は、もう思い出せなくなっちゃったけど…)
 あちこち焼け焦げた写真みたいに、欠け落ちてしまった母の顔の記憶。
 そうなってしまった今の「シロエ」でも、ブラウニーが詰まった天板のことは忘れていない。
 「大きな天板に一杯だったよ」と、「そこから切り分けるんだっけ」と。
(このブラウニーも、そうやって…)
 食堂の厨房で焼いたんだよね、と思いを巡らせ、ハタと気付いた。
 ブラウニーの記憶は、何処も欠けてはいないのだ、と。
 オーブンで焼くことも、天板一杯に焼いて切り分けることも、今も鮮明に覚えている。
 材料を混ぜていた母の後ろ姿も、ボウルなどが置かれたキッチンだって。
(…ブラウニーは、ぼくのママとか家のこととは…)
 密接に結び付いてはいなくて、母の得意な菓子だというだけ。
 更に言うなら「ありふれた菓子」で、知らない方が「おかしい」だろう。
 食堂にあったメニューにだって、注意書きの類は見当たらなかった。
 「エネルゲイアの名物です」とも、「アルテメシアの郷土料理です」とも。
(…誰でも知ってて当たり前のお菓子で、食べたことだってあるだろうから…)
 機械は「ブラウニー」にまつわる記憶を「消さなかった」に違いない。
 消す必要も無かっただろうし、消した方が後で困ったことになりそうだから。


(……だったら、これの作り方とかも……)
 何処でもきっと共通なんだ、と母の手順を知りたくなって、データベースを検索してみた。
 ブラウニーはどうやって作るものかと、詳しく思い出したくなって。
 母の顔は欠けてしまっていたって、手元は思い出せそうだから、と記憶の欠片を追い掛けて。
(絶好のチャンス…)
 これを手掛かりにしてやるんだ、と意気込んで挑んだシロエだけれども、突き当たった壁。
 意気揚々と検索した先に、ズラリと並んだブラウニーのレシピ。
 「オススメです」とか「簡単です」とか、ありとあらゆる短い言葉を纏った「それ」。
(…こんなにあるわけ?)
 これじゃ分からない、と頭を抱えて、次に思い付いたものは「材料」。
 その部分はどれも共通だろう、と考えてレシピを眺めていったのだけれど…。
(…バターを入れるか、マーガリンにするか…)
 材料からして違ってるんだ、と絶望的な気持ちになった。
 母のレシピがどれだったのかは、これではとても分かりはしない。
 天板一杯に焼いていたことも、捏ねていたことも、今も忘れていないのに。
 ボウルがあったキッチンだって、記憶に残っているというのに。
(……ママの手伝いをしていたら……)
 一緒にブラウニーを焼いていたなら、ぼくは覚えていたのかも、と悲しくなる。
 「シロエ、次はマーガリンを量ってくれる?」と言われて、量っていたら。
 あるいはバターだったのだろうか、それを量って、他の材料も加えていたら。
(ママと一緒に、捏ねて、天板に入れて、オーブンに…)
 入れて温度も調節していたら、鮮やかに思い出せたのだろうか。
 そして今でも此処で作れただろうか、小さなオーブンを自作して。
 機械弄りの合間の時間に、材料も食堂で調達して。
(…手伝って作っていればよかった…)
 どうして手伝わなかったんだろう、と悔しくて涙が頬を伝って落ちる。
 ブラウニーの記憶は、残ったろうに。
 母と作った懐かしい味を、自分で再現出来ただろうに、と…。



           ブラウニーの記憶・了


※機械が消す記憶と残しておく記憶、境目は紙一重かもね、と思った所から生まれたお話。
 以前、『ブラウニーの味』というのを書いていますが、それとは違うシロエになりました。







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(…マザー・イライザの最高傑作…)
 地球のためだけに作られた者か、とキースが浮かべた自嘲の笑み。
 国家騎士団総司令を務めて来たけれど、もうすぐパルテノン入りすることになる。
 初の軍人出身の元老として、SD体制を、地球を導く者の一人に選び出されて。
(目障りだから、と暗殺しようとする者たちもまた、多いのだがな…)
 生憎と、まだ私は死ねん、と夜の自室でコーヒーのカップを傾ける。
 このコーヒーを淹れた「マツカ」が側にいる限り、誰も「キース・アニアン」を殺せはしない。
 挑むだけ無駄で、挑戦者の命が逆に奪われて終わるというだけ。
(…しかし、グランド・マザーでさえも…)
 マツカの正体を知りはしないし、「キース」の能力の一つだと思っていることだろう。
 数多の暗殺計画を退け、無事に生き延びている「強運」でさえも。
(なんと言っても、最高傑作なのだからな)
 全くの無から作った命だ、と自分自身でも笑うことしか出来ない。
 「地球を導く」目的のために作られたのなら、優秀であって当然だろう。
 数々の失敗作を作り続けて、ようやく生まれた「機械の申し子」。
 シロエに言わせれば「機械に作られた人形」、そのくせに、やたら傲慢な「キース」。
 性格が傲慢、というわけではない。
 「キース」を立派に育て上げるために、幾つもの命が弄ばれた。
 人形なのだ、と正体を暴いた「シロエ」もそうだし、サムも、スウェナもそうだった。
 幸い、スウェナは今でも何事もなく生きている。
 けれども、サムは狂ってしまった。
 サムが「狂った」事件の裏には、人類の宿敵、「ミュウ」が潜んでいたのだけれど…。
(…ミュウがいるのも、ジョミー・マーキス・シンとサムとの関係も…)
 全て承知で、サムを現場へ向かわせたのは、恐らく機械の陰謀だろう。
 偶然ということになってはいても、グランド・マザーには容易い小細工なのだから。
(そんな具合に、ヒトの命や人生を土足で踏みにじりながら…)
 「キース・アニアン」は育ち続けて、今は此処まで昇って来た。
 なんと傲慢な命だろうか、と唇を歪めて、ふと思ったこと。
 「最高傑作だと、いつ決まったのだ?」と心に浮かんで来た疑問。
 マザー・イライザは、何処で判断したのだろうか、と。


 かつてシロエが命懸けで調べた、「キース・アニアン」の生まれと「ゆりかご」。
 Eー1077の立ち入り禁止区画に在った、フロア001という名の実験室。
(…私が其処まで辿り着いたのは、かなり後のことで…)
 その時には、もうEー1077は、とうに廃校になっていた。
(シロエがMのキャリアだったからだ、と言われてはいるが…)
 人がいなくなって長い年月を経ていた其処には、サンプルしか残っていなかった。
 「キース・アニアン」と同じ顔立ちの、様々な年齢の「標本」たち。
 それと、モビー・ディックの中で出会った、ミュウの女に瓜二つな者たちのサンプル。
 どちらの「実験」も、廃棄されて久しいと一目で分かる状態だった。
 「キース」が作り出された後には、実験室は閉鎖になっていたのだろう。
 最高傑作が出来たからには、実験を続ける必要は無い。
 速やかに閉鎖し、研究者たちも全て処分か、記憶処理をして他所へ行かせたか。
(…恐らく、そんなところだろうが…)
 では、実験は、「いつ」終わったのか。
 どの段階で「今、此処にいる」、「キース」が「最高」だという判断が下されたのか。
(…水槽から出した時なのか?)
 一介の候補生として、他の生徒たちの間に送り込んだ時か、と考えるのが妥当だけども…。
(そうだったならば、シロエやサムは…)
 それにスウェナは、何のために選び出されて「キース」の前に現れたのか。
 「最高傑作」を更に素晴らしいものにするためか、あるいは、結果を確かめるためか。
 彼らと「キース」が接触した時、「キース」が理想的な行動を取るかどうかを…。
(…確認するためでもあったのか?)
 シロエはともかく、サムとスウェナには、その可能性がある、と気が付いた。
 すっかり忘れていたのだけれども、スウェナがEー1077に来た時に起こった事件。
(…スウェナたちを乗せて来た宇宙船が…)
 軍の船との接触事故を起こして、危うく宇宙の藻屑になりかねなかった、あの時のこと。
 先輩だったグレイブたちは、事故処理をマザー・イライザに任せて、退避を決めた。
 「諸君も、私たちについて来るのが賢明だぞ」と、後輩たちに助言をして。
(あの時、それに従っていたら…)
 スウェナを乗せた船は、どうなっていたか。
 もしも「キース」が、違う判断をしていたならば。



 事故が起きた時、「キース」も、グレイブも、同じ情報を「同時に」得た。
 隣同士で端末を操作し、何が起きたか把握したのも、全く同時。
 グレイブは「退避」を決めたけれども、「キース」は違う決断をした。
 マザー・イライザが「対応出来なかった場合」を考慮した上で、「救助に向かおう」と。
 そのためのルートを確認してから出ようとした時、サムが一緒について来た。
 お蔭で、救助活動の終盤、「キース」の命綱が切れてしまった時に…。
(サムが助けに来てくれて…)
 命を拾って、Eー1077に生きて戻って来ることが出来た。
 もしかしたら、サムは「そのために」選ばれた者だったろうか。
 「キース」が救出に向かった先で、何かあった時に「助ける」ための救助要員。
(…充分、有り得る話だな…)
 宇宙船の事故が「キースのために」仕組まれたものなら、救助要員も選んでおくだろう。
 せっかくテストに合格したのに、不慮の事故で死んで貰っては困る。
 そう、あの事故は「テスト」の一つ。
 「キース」が完成体かどうかを、「マザー・イライザ」が調べるためにやった「実験」。
 あそこで「キース」が救助に向かわず、グレイブたちと一緒に退避していたら…。
(…失敗作だと判断されたか、軌道修正を試みたのか…)
 どちらだろうな、と顎に手を当て、「イライザなら…」と思考してみて背筋が冷えた。
 マザー・イライザは、所詮は巨大コンピューター。
 機械にとっては、どんな事象も「0」か「1」でしかないだろう。
 多少は幅があったとしたって、結果が全て。
 「キース」が「取るべき行動」を取らず、「違う行動」をしたのなら…。
(…失敗作というヤツだ…)
 軌道修正などは「するだけ無駄」で、次の「キース」を作り出そうとしたのだと思う。
 先の「キース」の失敗を踏まえて、次は失敗しないようにと、検討を重ねて、取りかかって。
 新たにDNAを紡いで、先の「キース」と同じ顔に育つ「次の人形」を作り始めただろう。
 それが育って「水槽から出せる」年になるまで、十五年以上もかかったとしても構わない。
 理想的な指導者を作るためなら、機械は手間を惜しみはしない。
 「失敗作」などにかまけているより、「次」にかかった方がいい。
 より良い者を作った方が、遥かに建設的なのだから。


 そうなっていたら、「キース」は「今、此処に」生きてはいない。
 どんな形で処分されたか、その方法は分からないけれど…。
(…失敗作だと決まった時点で、マザー・イライザに殺されて…)
 フロア001に並ぶ「サンプルたち」の列に加わり、虚ろな目をしていたことだろう。
 その目には、もう何も映すことなく、この「魂」も何処かへ飛び去った後で。
(……あの事故が起きた時点では……)
 グランド・マザーは、まだミュウを「脅威」とは認識していなかった。
 アルテメシアで「ジョミー・マーキス・シン」を取り逃がした件は、些細なこと。
 ミュウたちが「モビー・ディック」という巨大な母船を持っていようと、それだけのこと。
 「異分子どもが、勝手に何かしている」けれども、SD体制は、そう簡単に揺るぎはしない。
 何かするようなら、いつでも殲滅出来る程度の、宇宙海賊と変わらない存在がミュウ。
(…そう考えていたのだろうな)
 でなければメギドを持ち出している、と考えるまでもなく答えを出せる。
 「モビー・ディック」を持つミュウが「脅威」なら、あそこで星ごと消していたろう。
 アルテメシアの住民たちまで巻き添えにしても、それだけの価値はあるのだから。
 ミュウどもを全て滅ぼせるのなら、一般市民など、どうでもいい。
(…メギドを使ったことさえも伏せて、何か事故でもあったことにして…)
 機械は全ての帳尻を合わせ、ミュウの存在を「無かったこと」にしていたと思う。
 モビー・ディックが消えてしまえば、脅威は無くなり、平和な世界が戻って来た筈。
 その選択をしなかった以上、あの時点では、機械が考える「世界」は平穏そのもので…。
(…何の脅威も無いのだったら、次のキースを作り出すのに長い時間がかかっても…)
 グランド・マザーは、ゆったり構えて、「完成」を待っていたことだろう。
 「彼女」が欲する「理想の指導者」、それが生まれて来る時まで。
 フロア001で実験を続け、マザー・イライザから「成功」の報が届くまで。
(…私を処分し、次のキースを作る間に…)
 ミュウどもが侵攻して来たとしても、機械は手札を持ってはいない。
 失敗作だった「キース」は処分した後で、次の「キース」は出来ていないか、若年すぎるか。
 それでは勝負になりはしなくて、人類は早々に負けていたろう。
 なにしろ「キース」がいないのだから、ジルベスター・セブンを調査しようにも…。
(適切な者が一人もいなくて…)
 そこで敗北が決定だぞ、と思ったけれども、一人いたことを思い出した。
 失敗作に終わった「キース」が処分されたのなら、優秀な人材がいたのだ、と。


(…セキ・レイ・シロエ…)
 あいつなら、上手くやっただろうさ、と可笑しくなる。
 「キース」が失敗作で終わって、宇宙船の事故の時点で処分されたら、シロエは「自由」。
 選び出されて連れて来られることなどは無くて、「実力で」Eー1077に入っただろう。
 ミュウの因子を持っていたって、それを巧みに隠し続けて。
 システムに反抗的な面はあっても、他の点では「抜きん出ている」実力者。
(…「キース」のために選ばれなければ、シロエは自由で、めきめきと頭角を現して…)
 ジルベスター・セブンに調査に向かって、その先で、何を得て来たろうか。
 その前に出会う「マツカ」との縁も、「キースの場合」とは違った筈。
 人類とミュウは手を取り合っていたかもしれない。
 シロエが調査に向かっていたなら、「キース」のようにメギドを選びはしないから。
 「キース」に劣らず優秀な頭脳、それで考え、別の選択肢を導き出して。
(……もしかしたら、私は失敗作で終わっていた方が……)
 良かったのかもしれないな、と思いはしても、もう遅すぎる。
 「キース」は「テスト」に見事に合格、その後も順調だったから。
 失敗作だと判断されずに生き延びた挙句、とうとう此処まで来てしまったから…。



             失敗作なら・了

※キースはマザー・イライザの最高傑作ということですけど、そう決まったのはいつなのか。
 水槽から出す前に決定していたら、宇宙船の事故は必要無いのでは、と思ったわけで…。









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(滅びの呪文かあ……)
 そういうものがあったっけね、とシロエが緩ませた頬。
 Eー1077の夜の個室で、突然、心の中に「それ」が浮かんで来た。
 懐かしさと、遠く温かな日々と、微かな痛みを伴った記憶。
(…パパと一緒に見た映画なのか、それともママ…?)
 大切な部分が思い出せないから、懐かしくても痛みが湧き上がって来る。
 「もう、あの日には帰れないんだ」と、両親と故郷を失ったことを思い知らされるから。
 まだ幼かった頃の記憶も、学校に通っていた頃の記憶も、共に危うい。
 教師や友人、そういったものは覚えているのに、両親や家の記憶を失くした。
 「大人になるには不要だから」と、成人検査で消し去られて。
 思い出そうと努力してみても、自力ではどうすることも出来ない。
 出来ることと言ったら、思い出せる記憶を懸命に手繰り寄せることだけ。
 今夜も、それを試みていた。
 ベッドに腰掛け、心の中を空っぽにして、魂だけを子供時代に飛ばして。
 頭を掠める記憶の断片、泡沫のように浮かんでは消える、記憶を宿したシャボン玉たち。
 膨らんだと思って掴む間も無く、シャボン玉たちは消えてゆく。
 キラリと一瞬、虹色の光を放っただけで、儚く消える。
 それでも追わずにはいられない。
 シャボン玉たちの一つ一つが、大切な記憶を秘めているから。
 上手く捕まえることが出来たら、懐かしい出来事を少しだけでも…。
(思い出すことが出来るんだものね…)
 機械が残しておいた記憶なのだし、本当に欲しくて必要な記憶は、其処には無い。
 そうだと充分、承知していても、やはり追い掛け、掴みたくなる。
 どんな記憶が残っているのか、どんな思い出があったのか。
 こうして「追い掛ける」ことをしなければ、それらは消えてしまうのだろう。
 機械が改めて消去しなくても、自分自身が忘れていって。
 不要な記憶を切り捨てるように、大切な筈のことを忘れて。
(そんなの、嫌だ…)
 つまらないことでも忘れたくない、と追い掛けて掴んだ、今夜の小さなシャボン玉。
 掴んでパチンと弾けた中には、「滅びの呪文」が入っていた。
 幼かった日に見に行った映画、あるいは家で鑑賞したのか、そこまでは分からないけれど。


 映画の筋は、今となっては思い出せない。
 機械が消してしまったものか、幼すぎて忘れてしまったのかも、定かではない。
(…その頃のぼくは、とても小さいみたいだから…)
 自分で忘れちゃったのかな、と残念だけれど、幼いなら仕方ないだろう。
 それも「思い出」の一つではある。
 「せっかく楽しい映画を見たのに、どんな話か忘れちゃった」という失敗談。
 幼い子供にありがちなことで、機械は介在していない。
(そういうことなら、思い出せなくても…)
 かまわないよね、と大きく頷く。
 此処に両親がいたとしたって、「シロエ」を責めはしないだろう。
 父ならば、きっと苦笑しながら頭を撫でてくれると思う。
 「おやおや、忘れちゃったのかい?」と、「とても喜んでいたんだがね」と。
 母にしたって、「あらまあ…」と少し驚いた後で、クスクス笑うに違いない。
 「勉強のために使う頭と、そういう頭は違うみたいね」と、可笑しそうに。
(…うん、きっとそう…)
 だからいいんだ、と映画の筋は、どうでもいい。
 大切なのは「滅びの呪文」という言葉を思い出したこと。
(映画の中で、それを唱えたら…)
 古の王国が崩れ始めて、瞬く間に滅びていった。
 誰も滅ぼすことの出来ない、恐ろしい力を持っていたのに、呆気なく。
 内側からバラバラと分解されて、戦力も全て失われて。
(映画の他にも、色々なヤツがあったっけ…)
 すっかり忘れてしまってたけど、と次々に「滅びの呪文」が心に浮かび上がって来る。
 夢中で遊んだゲームの中にも、それは鏤められていた。
(絶対勝てない、っていう敵を相手に…)
 大賢者が命を捨てて唱えるとか、勇者が危険を冒して呪文を手に入れるとか。
 そうした「滅びの呪文」を使えば、敵はたちまち滅びてしまう。
 映画に出て来た古の王国、それが崩壊したように。
 どんなに強い敵であろうと、「滅びの呪文」に勝つことは出来ない。
(呪文は、忘れちゃったけど…)
 あったんだよね、と、懐かしい思い出が一つ蘇った。
 幼かった頃の映画の記憶と、故郷で遊んだゲームたちと。


(…呪文まで思い出すっていうのは…)
 流石に無理かな、と頭をトントンと叩く。
 機械が消去していなくても、自分自身が忘れてしまっていそうな「呪文」。
 学校で新たな知識を得たなら、そちらの方が新鮮だから。
 「もっと勉強しなくっちゃ」と、知識を増やしてゆきくなって。
(…そうなっちゃったら、ゲームなんかより…)
 ゲームを作る仕組みの方とか、そちらに関心を抱いただろう。
 エネルゲイアは、技術系のエキスパートを育成するのが目的だった育英都市だから。
(ぼくでもゲームを作れるのかも、って…)
 思い始めたら、もう止まらない。
 あれこれ調べて、本を読み込んで、勉強する間に「つまらないこと」は忘れてしまう。
 ゲームに出て来た呪文などより、本物の「呪文」が重要だから。
 様々なゲームを構成している、門外漢には全く意味の掴めない無数の「呪文」たち。
 それを覚えて使いこなせば、ゲームを作るだけではなくて…。
(ああいう端末だって作れて…)
 自分で好きにカスタマイズが出来るんだよね、とチラリと机の上を眺めた。
 其処に置かれた携帯用の端末、此処で自作した小型のコンピューター。
 マザー・イライザとは繋がっていない、安心して使える「シロエだけの」もの。
 他の候補生たちも、携帯用の端末はもちろん持っている。
 シロエにも配布されたけれども、けして愛用してなどはいない。
(…使えば、全部、マザー・イライザに…)
 情報が届いて、どう使ったかも知られてしまう、スパイのような代物なのだから。
(おまけに、うんと単純すぎて…)
 ハッキングとかも出来ない仕組みだ、と端末の出来には笑うしかない。
 自作も出来る者から見たなら、子供だましのオモチャ並み。
 とても単純な仕組みになっているのに、使いこなせない候補生だって大勢いる。
(普通に使えている間ならば、何も問題無いけれど…)
 端末がエラーを引き起こした時、対処出来ない者たちは多い。
 「壊れました」と慌てふためいて、修理して貰おうと走る者たち。
 ちょっと弄ってやりさえすれば、エラーくらいは直るのに。
 ごくごく初歩の初歩の呪文で、きちんと動き始めるのに。


 「馬鹿な奴らだ」と思うけれども、知識が無いのも当然だろう。
 彼らが故郷で受けた教育と、エネルゲイアでのそれは大きく異なる。
 「シロエ」にとっては当たり前でも、彼らは「呪文」を学んではいない。
 学んでいない者に向かって「使え」と言っても、無茶な注文というものだと分かる。
 勇者も大賢者も、「滅びの呪文」を努力して手に入れていた。
 大賢者は長く学び続けて、勇者は冒険の旅を続けて。
 並みの人間には不可能なことを成し遂げた末に、ようやく「呪文」を知ることが出来る。
(端末用に使う呪文は、滅びの呪文みたいに危険な呪文じゃないけどね…)
 一般人が知っていたって、何の問題も無いんだけれど、と思いはしても、知識は別。
 そのための学びをしていなければ、呪文に触れる機会さえ無い。
 機会が無ければ、興味を抱きもしないだろう。
 端末の仕組みがどうなっているか、エラーが出たなら、どうやって修復するのかにも。
(…此処はメンバーズ・エリートを目指す場所だし、その内に…)
 基本は叩き込まれるだろう。
 単独で任務に出掛けた先では、修理も自分でせねばならない。
 任務の途中で事故に遭ったりして、一人きりになってしまった時でも状況は同じ。
(壊れてどうにもならないんです、って叫んでたって…)
 誰も修理に来てくれないから、自力で直すことが出来なかったら、もうおしまい。
(それじゃ困るし、基本は覚えるしかないだろうけど…)
 もっと学ぼうって奴は多分いないね、と鼻で笑って、ハタと気付いた。
 「マザー・イライザだって、機械じゃないか」と。
 Eー1077を支配し、君臨してはいるのだけれども、正体は巨大なコンピューター。
 つまりは、機械。
 地球にいると聞くグランド・マザーも、SD体制の世界を統治しているけれど…。
(…やっぱり、機械に過ぎないわけで…)
 元は人間が作った「モノ」。
 「シロエ」が自作した携帯用の端末、それと全く変わりはしない。
 その性能がずば抜けて高く、「シロエ」如きに作れはしない、というだけのこと。
 違う部分は性能だけで、「人間が作った機械」な事実は、何処も違いはしないのだ。


(…マザー・イライザも、グランド・マザーも、人間が作った機械なら…)
 それを構成している呪文は、恐らく、「シロエ」も知っているもの。
 細かく切り分けて分析したなら、「なるほど」と理解可能な部分もあるだろう。
(そして、人間が作ったんなら…)
 滅びの呪文が、必ず設けられている筈。
 崩壊させるための呪文ではなくて、停止させるために設置するモノ。
(端末がエラーを起こすみたいに…)
 マザー・コンピューターが、けしてエラーを起こさないとは言い切れない。
 自動修復機能があっても、それが万全とは言えないことなど、機械を作る者には常識。
(…マザー・イライザにも、グランド・マザーにも…)
 緊急停止のコマンドは「絶対に」あるし、組み込まれている。
 誰がいつ、それを行使するかは、最高機密で、ごく一握りの者だけが知っている呪文。
 メンバーズ・エリートになった者でも、その生涯に出会えるかどうか。
(……滅びの呪文ね……)
 それが分かれば、何もかも一瞬で終わらせるのに、と唇を噛む。
 「勇者になるしかないじゃないか」と、道のりの長さを思わされて。
 厳しい冒険の旅を続けて、国家主席になれる時まで、呪文は手に入りそうもないから。
(何処かに、絶対、ある筈なのに…)
 気が付いたって手に入らないんだ、とそれが悔しい。
 今の「シロエ」は、一介の候補生だから。
 大賢者でも勇者でもなくて、此処を卒業出来る時さえ、まだ先だから…。



             滅びの呪文・了


※シロエが幼い頃に見た映画のモデルは、もちろん『ラピュタ』。筋は忘れたようですけど。
 機械には緊急停止のコマンドが無いと困る筈だ、と思った所から出来たお話。








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(御用があったら呼んで下さい、か…)
 呼ばれなくとも駆け付けるくせに、とキースは扉の方へ目を遣る。
 たった今、其処から出て行った者は、もう見えない。
 ジルベスター・セブン以来の忠実な側近、キース・アニアンに仕え続けるジョナ・マツカ。
 「今夜は、もういい」と言われた通り、自分の部屋へ下がったのだろう。
 国家騎士団総司令のために設けられた個室、それがある区画の部下のための部屋へ。
(…皮肉なものだな…)
 一番の部下がミュウだとはな、とキースは視線を机に戻した。
 マツカが淹れて行ったコーヒー、そのカップが湯気を立てている。
 「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と、マツカは皆に揶揄されていた。
 実際、そうとしか見えないのだから、仕方ない。
 マツカが「キースの命を受けてしていること」は、ただ、コーヒーを淹れることだけ。
 「コーヒーを頼む」と言われた時だけ、「はい」と返事して動くのだから。
(それ以外の用は、他の者たちがしているからな…)
 マツカは彼らへの伝達係を務めるだけで、実務は何もこなしていない。
 国家騎士団員だとはいえ、そのための教育は何一つ受けていないのだから。
(宇宙海軍の一兵卒では、やれと言われても、出来ない方が当然なのだが…)
 他の部下たちは、そうは思っていない。
 キース自ら選んだ側近、しかも宇宙海軍からの転属という破格の昇進がマツカの経歴。
 「もっと役に立つ筈なのに、何故」と、冷ややかにマツカを眺めている。
 「閣下の見込み違いだったか」と、「能無し野郎」の烙印を押して。
(気付けという方が無理な話で…)
 マツカの正体を知らないのだし、と分かってはいても、苦笑が漏れる。
 「お前たちより、よほど役に立つ部下なのだが」と。
 「私の命を何度救ったか、お前たちは何も知らないだけだ」と。
 マツカがミュウでなかったならば、不可能だった救出劇は数知れない。
 ジルベスター・セブンからの脱出に始まり、今も功績は増え続けている。
 「キース・アニアン」の暗殺計画が、次から次へと立てられるせいで。
 移動経路に爆弾が仕掛けられたり、いきなり銃撃されたりもした。
 それらをマツカは全て防いで、キースの命を守り続ける。
 他の部下たちは何も知らずに、「閣下はとても強運だから」と、いつも称賛しているけれど。
 加えて自分たちの働き、機敏に動いて「閣下をお守りしているのだ」と誇りに思って。


 勘違いされている、ジョナ・マツカ。
 コーヒーを淹れることしか出来ない、「能無し野郎」。
(美味いコーヒーを淹れているのも、また事実だが…)
 他の奴らではこうはいかん、とキースはコーヒーのカップを傾ける。
 「これも才能の一つではある」と、絶妙な苦味を味わいながら。
 マツカに命を救われた後に、何度、彼が淹れたコーヒーを飲んだだろうか。
 「どうぞ」と差し出される湯気の立つカップ、その度に何処かホッとする自分を知っている。
 けして顔には出さないけれども、「また生き延びた」と心に湧き上がるものは…。
(……感謝の気持ちと言うのだろうな)
 マツカに伝えたことは無いが、と頬が微かに緩む。
 「私にだって、感情はある」と。
 「サムにしか向けていないようでも、確かにあるのだ」と。
 その有能な「マツカ」のお蔭で、命を拾って、美味いコーヒーも飲める。
 マツカがミュウであるからこそで、彼が人類なら、こうはいかない。
 「キース・アニアン」は、とうの昔に殺されているか、失脚していたことだろう。
 暗殺計画を防ぐことが出来ずに、犠牲になって。
 あるいは命は助かったものの、任務を続けることが出来ない身体にされて。
(そうはならずに、この先も生きていけそうだが…)
 問題はミュウの侵攻だな、と思考をそちらに向けた瞬間、ハタと気付いた。
 人類の宿敵、今も進軍中のミュウ。
 彼らと相対している自分は、対ミュウ戦略の筆頭と目されているけれど…。
(そもそも私が、ミュウの巣から生きて逃げ延びられたのは…)
 マツカが助けに来たからこそで、そのマツカは、元は暗殺者だった。
 暗殺者の顔をしてはいなくて、気の弱い「ただのミュウ」だったけれど。
 ソレイド軍事基地に隠れて、ひっそりと生きていたミュウの青年。
(私が、あそこに行かなかったら…)
 マツカは自分が「ミュウ」だとも知らず、虐げられて今もソレイドにいただろう。
 何の役にも立たない上に、気が弱く、身体も弱い「軍人」などに価値は無い。
 きっと役職なども貰えず、下手をしたなら…。
(掃除係にされていたかもしれないな…)
 実にありそうな結末だ、と司令官だったグレイブの姿を思い浮かべる。
 「奴なら、そうする」と、「使えない者など、左遷だろう」と。


 あのままソレイドに残っていたなら、掃除係になりそうなマツカ。
 ところが、彼がソレイドで仕出かしたことは、立派な暗殺計画そのもの。
 未遂に終わって、暗殺対象だった「キース」に抜擢されて、今は暗殺を防ぐのが役目。
 有能な部下になっているけれど、元々、マツカは「暗殺者」なのだ。
 自分の命を守るためにと、「キース・アニアン」を殺そうとした。
 それはあまりにも無謀に過ぎて、失敗に終わったマツカの企て。
 殺されかけたキースの方でも、「愚かな」と、せせら笑ったくらいに無謀。
 優位に立って、「後ろに立つな」と銃で脅して、いい気になっていたのだけれど…。
(…あの時、マツカが、もっと追い詰められていたなら…)
 サイオン・バーストを起こすくらいの状態だったら、結果は違っていただろう。
 今の今まで、全く思いもしなかったけれど、マツカの潜在能力は高い。
(……私を、メギドの制御室から助け出した時……)
 マツカは確かに、瞬間移動をしてのけた。
 そんな力は、タイプ・ブルーにしか無い筈なのに。
 更に言うなら、マツカは「必死になっていた」だけで、暴走状態ではなかったのに。
(…サイオン・バーストの寸前だったら、他のミュウでも有り得るのかもしれないが…)
 そうでもないのに、マツカは凄まじい能力を見せた。
 彼が「暗殺者」の顔だった時に、同じ力を発揮していたら…。
(……私の命は、其処で終わっていたな……)
 間違いなく殺されていたことだろう、と背筋がゾクリと冷たくなる。
 「私は運が良かっただけか」と、今頃になって思い知らされた。
 運良く「たまたま」助かっただけで、「死んでいたかもしれないのだ」と。
 もしも、あそこで「キース・アニアン」がマツカに殺されていたら…。
(…その後の歴史は、今とは全く違ったものに…)
 なったことだろう、と恐ろしくなる。
 ジルベスター・セブンは焼かれることなく、ミュウは生き延びたに違いない。
 そしてあそこを拠点に据えて、地球への侵攻を始めただろう。
 そうなった時も、キースの暗殺に成功したマツカは、あのソレイドで…。
(いつミュウどもが攻めて来るのか、日々、怯えながら…)
 掃除係をやっているのだ、と容易に想像がつく。
 自分がミュウだと知らないのだから、「ぼくは生き延びられるだろうか」とビクビクして。


 マツカが「キース」を殺したとしても、誰も「マツカ」の仕業などとは思わない。
 ジルベスター・セブンの調査にやって来たキースは、突然死として片付けられたことだろう。
 心臓発作を起こして死んで、マツカがそれを発見した、と上層部に報告されるだけ。
(…いくらグランド・マザーであっても、こればかりはな…)
 どうすることも出来はしなくて、代わりの者を派遣するより他はない。
 「キースにしか、ミュウの相手は出来ない」と承知していても、死人に任務の遂行は不可能。
 他の誰かを選ぶしかなく、選ばれた者には、キースと同じ働きなど出来ない上に…。
(マツカの助けも、ありはしなくて…)
 あえなく戦死を遂げてしまって、ミュウは直ちに反撃に出る。
 自分たちの拠点を知られた以上は、先手必勝。
 ジルベスター・セブンが焼かれていないのであれば、戦力は充分、持っている筈。
 なんと言っても、九人ものタイプ・ブルーがいるのが、ミュウたちの船。
 伝説のタイプ・ブルー・オリジンまでが健在、これでは人類に勝ち目など無い。
(…おまけに、拠点が無傷なのだし…)
 あの厄介なタイプ・ブルーが、もっと増える可能性もある。
 自然出産の効率がいくら悪くても、生まれて来る子がタイプ・ブルーであったなら…。
(効率以前の問題だ…)
 生まれた子供は全て戦力、並みのミュウとは比較にならない力の持ち主。
 一人増えただけでも、艦隊一つを破壊することが出来るだろう。
 艦隊どころか、星さえ落とせるかもしれない。
 そんなミュウたちが押し寄せて来ても、「キース」の代わりはいないのだから…。
(…人類は降伏する以外には…)
 道が無いな、とキースは溜息をつく。
 「あの実験は私で終わりになっていたし」と、「次の者など用意していない」と。
 そして人類が負け戦を戦い続ける間に、ソレイドも陥落することだろう。
 マツカは「ミュウ」が何者なのかも知らずに、怯えながら基地の掃除を続けて…。


(ミュウどもの船が攻めて来た時、かつて自分を苛めた誰かが…)
 砲撃を受けて吹っ飛ぶ所を、命を捨てて守りそうだ、と心から思う。
 「だからこそ今、マツカは此処にいるのだ」と、「そういう心の持ち主だから」と。
 ソレイドを落としたミュウたちの方は、そんなマツカに気付くだろうか。
 人類を庇って死んでいったミュウ、悲しいまでに優しい者に。
 自分がミュウだったことも知らずに、人類の中で生きていたミュウが存在したことに。
(…それにマツカは、ジルベスター・セブンを「キース」から救った…)
 真の英雄だったのだがな、と思うけれども、歴史はそちらへ進まなかった。
 マツカは「キース」を殺し損ねて、「キース」に仕え続けているから。
 ミュウの英雄だったと気付かれる日も、讃えられる時も来ないのだから…。



           気弱な暗殺者・了


※キースがソレイドにやって来た時、マツカに返り討ちにされていたら、と思ったわけで。
 アニテラのマツカなら、能力的にも有り得た筈。歴史は確実に変わってましたね…。










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 十五年。
 そう言われても、まるで実感が無い。
 そんなに長く眠っていたというのか、ぼくは…?


 けれど確かに、そうなのだろう。
 星の瞬きのように一瞬だった、ぼくにとっての十五年。
 目を閉じて眠って、そして目覚めたら、世界はまるで違っていた。
 そもそも、ぼくを「起こした」人間、その存在が既に、このシャングリラの中では異物。


(皮肉なものだな…)
 ぼくを眠りから引き戻した者、「此処」では「異物」だった人間。
 その人間は、ミュウを「異分子」と呼んだ。
 彼にとっては、ミュウこそが異物なのだから。
(どちらが異物か、それは歴史が決めるのだろうが…)
 結果が出るのを、ぼくは見届けることは出来ない。
 ぼくの目覚めには必然があって、役目を果たさなくてはならない。
 残り僅かな命を使って、シャングリラを、仲間を守らなくては。


 出来るものなら、この肉眼で地球を見たかった。
 眠りに落ちるよりも前から、ずっとそういう夢を見ていた。
 けして叶わないと分かってはいても、望まずにいられなかったけれども…。


(今のぼくには、地球よりも、ずっと…)
 この目で見てみたい「未来」が出来た。
 「地球の男」、キース・アニアンが人質に取っていた、小さなトォニィ。
 自然出産で生まれたと聞いた、ミュウの未来を継ぐだろう子供。
 あのトォニィが育ってゆくのを、彼と同じに生まれた子たちが育つ姿を見たい。
 長い年月、夢に見て来た、青く輝く地球よりも、ミュウの未来を側で見たいと願ってしまう。
 そんなこと、出来はしないのに。
 本当に残り少ない命を「捨てて」彼らを守らない限り、トォニィたちも消えてしまうのに。


 まさか、人生の終わり近くに、夢が出来るとは思わなかった。
 焦がれ続けた青い地球より、この目で見たい「もの」が生まれるとは。
 そう、文字通りに、彼らは「生まれた」。
 SD体制が始まって以来、初めての自然出産児として。
 人工子宮ではなく、母の胎内で育ち、赤い星、ナスカで生を享けて。
 青い地球より、眩しく輝く「新しい命」。
 ミュウの未来を紡いでくれる、思いもしなかった子供たち。
 彼らを、ずっと見ていたいけれど、その夢は、けして叶いはしない。
 この夢を「命」ごと捨ててゆくこと、それが目覚めた「ぼく」の務めだから。


(…十五年か…)
 眠ってしまっていたのが、とても惜しいけれども、夢が出来たからいいだろう。
 叶わない夢でも、新しい夢を心に持つことが出来たから。


(ありがとう、ジョミー…)
 あの子供たちを、この世に生み出してくれて。
 思いがけないミュウの未来を、新しい夢を、このぼくにくれて。
 「ありがとう」と、君に言える時間が、それがあればいいと思うけれども…。
(…そればかりは、地球の男次第か…)
 彼がナスカに戻って来るまでに、ぼくの命が燃え尽きる前に、ほんの少しの時間が欲しい。
 新しい夢が叶わないのは、充分に承知しているから。
 地球よりも、ずっと見たい「未来」は、この目で見届けられないから。


(せめて、ジョミーに…)
 「ありがとう」と言える時間があったらいい、と、願うことくらい許されるだろう。
 その願いが叶わずに終わったとしても、悔いなどは無い。
 あの子供たちを守れるのならば、それだけでいいと思ってしまう。
 ぼくには、新しい夢が出来たから。
 青い地球よりも「見たくなったもの」を、命と引き換えに守れるから。
 だから…。


 ジョミー、君たちは、未来を生きていって欲しい。
 それにトォニィ、他の子たちも、どうか元気で。
 君たちが生きて未来を紡いでゆくのを、ぼくは心から祈り続ける。
 ぼく自身の夢は叶わなくても、それでいいから。
 君たちが地球へ、未来へと歩んでゆくのが、ぼくの「新しい夢」なのだから…。




           青い地球よりも・了


※ブルー追悼作品、「来年は書かずに済むことを希望」と昨年、言ったわけですが。
 コロナ禍も、第7波とか言われる割には、さほど騒がれなくなったのですが…。
 アニテラでブルーが眠り続けたのと同じ年数、15年が経ったのが今年なのです。
 「節目の年だし、書いておくかな」というわけで、2022年7月28日記念作品。
 作中のブルーの夢は叶いませんでしたけど、最後の願いが叶ったのは、皆様ご存じの通り。









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