(…マザー・イライザの最高傑作…)
地球のためだけに作られた者か、とキースが浮かべた自嘲の笑み。
国家騎士団総司令を務めて来たけれど、もうすぐパルテノン入りすることになる。
初の軍人出身の元老として、SD体制を、地球を導く者の一人に選び出されて。
(目障りだから、と暗殺しようとする者たちもまた、多いのだがな…)
生憎と、まだ私は死ねん、と夜の自室でコーヒーのカップを傾ける。
このコーヒーを淹れた「マツカ」が側にいる限り、誰も「キース・アニアン」を殺せはしない。
挑むだけ無駄で、挑戦者の命が逆に奪われて終わるというだけ。
(…しかし、グランド・マザーでさえも…)
マツカの正体を知りはしないし、「キース」の能力の一つだと思っていることだろう。
数多の暗殺計画を退け、無事に生き延びている「強運」でさえも。
(なんと言っても、最高傑作なのだからな)
全くの無から作った命だ、と自分自身でも笑うことしか出来ない。
「地球を導く」目的のために作られたのなら、優秀であって当然だろう。
数々の失敗作を作り続けて、ようやく生まれた「機械の申し子」。
シロエに言わせれば「機械に作られた人形」、そのくせに、やたら傲慢な「キース」。
性格が傲慢、というわけではない。
「キース」を立派に育て上げるために、幾つもの命が弄ばれた。
人形なのだ、と正体を暴いた「シロエ」もそうだし、サムも、スウェナもそうだった。
幸い、スウェナは今でも何事もなく生きている。
けれども、サムは狂ってしまった。
サムが「狂った」事件の裏には、人類の宿敵、「ミュウ」が潜んでいたのだけれど…。
(…ミュウがいるのも、ジョミー・マーキス・シンとサムとの関係も…)
全て承知で、サムを現場へ向かわせたのは、恐らく機械の陰謀だろう。
偶然ということになってはいても、グランド・マザーには容易い小細工なのだから。
(そんな具合に、ヒトの命や人生を土足で踏みにじりながら…)
「キース・アニアン」は育ち続けて、今は此処まで昇って来た。
なんと傲慢な命だろうか、と唇を歪めて、ふと思ったこと。
「最高傑作だと、いつ決まったのだ?」と心に浮かんで来た疑問。
マザー・イライザは、何処で判断したのだろうか、と。
かつてシロエが命懸けで調べた、「キース・アニアン」の生まれと「ゆりかご」。
Eー1077の立ち入り禁止区画に在った、フロア001という名の実験室。
(…私が其処まで辿り着いたのは、かなり後のことで…)
その時には、もうEー1077は、とうに廃校になっていた。
(シロエがMのキャリアだったからだ、と言われてはいるが…)
人がいなくなって長い年月を経ていた其処には、サンプルしか残っていなかった。
「キース・アニアン」と同じ顔立ちの、様々な年齢の「標本」たち。
それと、モビー・ディックの中で出会った、ミュウの女に瓜二つな者たちのサンプル。
どちらの「実験」も、廃棄されて久しいと一目で分かる状態だった。
「キース」が作り出された後には、実験室は閉鎖になっていたのだろう。
最高傑作が出来たからには、実験を続ける必要は無い。
速やかに閉鎖し、研究者たちも全て処分か、記憶処理をして他所へ行かせたか。
(…恐らく、そんなところだろうが…)
では、実験は、「いつ」終わったのか。
どの段階で「今、此処にいる」、「キース」が「最高」だという判断が下されたのか。
(…水槽から出した時なのか?)
一介の候補生として、他の生徒たちの間に送り込んだ時か、と考えるのが妥当だけども…。
(そうだったならば、シロエやサムは…)
それにスウェナは、何のために選び出されて「キース」の前に現れたのか。
「最高傑作」を更に素晴らしいものにするためか、あるいは、結果を確かめるためか。
彼らと「キース」が接触した時、「キース」が理想的な行動を取るかどうかを…。
(…確認するためでもあったのか?)
シロエはともかく、サムとスウェナには、その可能性がある、と気が付いた。
すっかり忘れていたのだけれども、スウェナがEー1077に来た時に起こった事件。
(…スウェナたちを乗せて来た宇宙船が…)
軍の船との接触事故を起こして、危うく宇宙の藻屑になりかねなかった、あの時のこと。
先輩だったグレイブたちは、事故処理をマザー・イライザに任せて、退避を決めた。
「諸君も、私たちについて来るのが賢明だぞ」と、後輩たちに助言をして。
(あの時、それに従っていたら…)
スウェナを乗せた船は、どうなっていたか。
もしも「キース」が、違う判断をしていたならば。
事故が起きた時、「キース」も、グレイブも、同じ情報を「同時に」得た。
隣同士で端末を操作し、何が起きたか把握したのも、全く同時。
グレイブは「退避」を決めたけれども、「キース」は違う決断をした。
マザー・イライザが「対応出来なかった場合」を考慮した上で、「救助に向かおう」と。
そのためのルートを確認してから出ようとした時、サムが一緒について来た。
お蔭で、救助活動の終盤、「キース」の命綱が切れてしまった時に…。
(サムが助けに来てくれて…)
命を拾って、Eー1077に生きて戻って来ることが出来た。
もしかしたら、サムは「そのために」選ばれた者だったろうか。
「キース」が救出に向かった先で、何かあった時に「助ける」ための救助要員。
(…充分、有り得る話だな…)
宇宙船の事故が「キースのために」仕組まれたものなら、救助要員も選んでおくだろう。
せっかくテストに合格したのに、不慮の事故で死んで貰っては困る。
そう、あの事故は「テスト」の一つ。
「キース」が完成体かどうかを、「マザー・イライザ」が調べるためにやった「実験」。
あそこで「キース」が救助に向かわず、グレイブたちと一緒に退避していたら…。
(…失敗作だと判断されたか、軌道修正を試みたのか…)
どちらだろうな、と顎に手を当て、「イライザなら…」と思考してみて背筋が冷えた。
マザー・イライザは、所詮は巨大コンピューター。
機械にとっては、どんな事象も「0」か「1」でしかないだろう。
多少は幅があったとしたって、結果が全て。
「キース」が「取るべき行動」を取らず、「違う行動」をしたのなら…。
(…失敗作というヤツだ…)
軌道修正などは「するだけ無駄」で、次の「キース」を作り出そうとしたのだと思う。
先の「キース」の失敗を踏まえて、次は失敗しないようにと、検討を重ねて、取りかかって。
新たにDNAを紡いで、先の「キース」と同じ顔に育つ「次の人形」を作り始めただろう。
それが育って「水槽から出せる」年になるまで、十五年以上もかかったとしても構わない。
理想的な指導者を作るためなら、機械は手間を惜しみはしない。
「失敗作」などにかまけているより、「次」にかかった方がいい。
より良い者を作った方が、遥かに建設的なのだから。
そうなっていたら、「キース」は「今、此処に」生きてはいない。
どんな形で処分されたか、その方法は分からないけれど…。
(…失敗作だと決まった時点で、マザー・イライザに殺されて…)
フロア001に並ぶ「サンプルたち」の列に加わり、虚ろな目をしていたことだろう。
その目には、もう何も映すことなく、この「魂」も何処かへ飛び去った後で。
(……あの事故が起きた時点では……)
グランド・マザーは、まだミュウを「脅威」とは認識していなかった。
アルテメシアで「ジョミー・マーキス・シン」を取り逃がした件は、些細なこと。
ミュウたちが「モビー・ディック」という巨大な母船を持っていようと、それだけのこと。
「異分子どもが、勝手に何かしている」けれども、SD体制は、そう簡単に揺るぎはしない。
何かするようなら、いつでも殲滅出来る程度の、宇宙海賊と変わらない存在がミュウ。
(…そう考えていたのだろうな)
でなければメギドを持ち出している、と考えるまでもなく答えを出せる。
「モビー・ディック」を持つミュウが「脅威」なら、あそこで星ごと消していたろう。
アルテメシアの住民たちまで巻き添えにしても、それだけの価値はあるのだから。
ミュウどもを全て滅ぼせるのなら、一般市民など、どうでもいい。
(…メギドを使ったことさえも伏せて、何か事故でもあったことにして…)
機械は全ての帳尻を合わせ、ミュウの存在を「無かったこと」にしていたと思う。
モビー・ディックが消えてしまえば、脅威は無くなり、平和な世界が戻って来た筈。
その選択をしなかった以上、あの時点では、機械が考える「世界」は平穏そのもので…。
(…何の脅威も無いのだったら、次のキースを作り出すのに長い時間がかかっても…)
グランド・マザーは、ゆったり構えて、「完成」を待っていたことだろう。
「彼女」が欲する「理想の指導者」、それが生まれて来る時まで。
フロア001で実験を続け、マザー・イライザから「成功」の報が届くまで。
(…私を処分し、次のキースを作る間に…)
ミュウどもが侵攻して来たとしても、機械は手札を持ってはいない。
失敗作だった「キース」は処分した後で、次の「キース」は出来ていないか、若年すぎるか。
それでは勝負になりはしなくて、人類は早々に負けていたろう。
なにしろ「キース」がいないのだから、ジルベスター・セブンを調査しようにも…。
(適切な者が一人もいなくて…)
そこで敗北が決定だぞ、と思ったけれども、一人いたことを思い出した。
失敗作に終わった「キース」が処分されたのなら、優秀な人材がいたのだ、と。
(…セキ・レイ・シロエ…)
あいつなら、上手くやっただろうさ、と可笑しくなる。
「キース」が失敗作で終わって、宇宙船の事故の時点で処分されたら、シロエは「自由」。
選び出されて連れて来られることなどは無くて、「実力で」Eー1077に入っただろう。
ミュウの因子を持っていたって、それを巧みに隠し続けて。
システムに反抗的な面はあっても、他の点では「抜きん出ている」実力者。
(…「キース」のために選ばれなければ、シロエは自由で、めきめきと頭角を現して…)
ジルベスター・セブンに調査に向かって、その先で、何を得て来たろうか。
その前に出会う「マツカ」との縁も、「キースの場合」とは違った筈。
人類とミュウは手を取り合っていたかもしれない。
シロエが調査に向かっていたなら、「キース」のようにメギドを選びはしないから。
「キース」に劣らず優秀な頭脳、それで考え、別の選択肢を導き出して。
(……もしかしたら、私は失敗作で終わっていた方が……)
良かったのかもしれないな、と思いはしても、もう遅すぎる。
「キース」は「テスト」に見事に合格、その後も順調だったから。
失敗作だと判断されずに生き延びた挙句、とうとう此処まで来てしまったから…。
失敗作なら・了
※キースはマザー・イライザの最高傑作ということですけど、そう決まったのはいつなのか。
水槽から出す前に決定していたら、宇宙船の事故は必要無いのでは、と思ったわけで…。
地球のためだけに作られた者か、とキースが浮かべた自嘲の笑み。
国家騎士団総司令を務めて来たけれど、もうすぐパルテノン入りすることになる。
初の軍人出身の元老として、SD体制を、地球を導く者の一人に選び出されて。
(目障りだから、と暗殺しようとする者たちもまた、多いのだがな…)
生憎と、まだ私は死ねん、と夜の自室でコーヒーのカップを傾ける。
このコーヒーを淹れた「マツカ」が側にいる限り、誰も「キース・アニアン」を殺せはしない。
挑むだけ無駄で、挑戦者の命が逆に奪われて終わるというだけ。
(…しかし、グランド・マザーでさえも…)
マツカの正体を知りはしないし、「キース」の能力の一つだと思っていることだろう。
数多の暗殺計画を退け、無事に生き延びている「強運」でさえも。
(なんと言っても、最高傑作なのだからな)
全くの無から作った命だ、と自分自身でも笑うことしか出来ない。
「地球を導く」目的のために作られたのなら、優秀であって当然だろう。
数々の失敗作を作り続けて、ようやく生まれた「機械の申し子」。
シロエに言わせれば「機械に作られた人形」、そのくせに、やたら傲慢な「キース」。
性格が傲慢、というわけではない。
「キース」を立派に育て上げるために、幾つもの命が弄ばれた。
人形なのだ、と正体を暴いた「シロエ」もそうだし、サムも、スウェナもそうだった。
幸い、スウェナは今でも何事もなく生きている。
けれども、サムは狂ってしまった。
サムが「狂った」事件の裏には、人類の宿敵、「ミュウ」が潜んでいたのだけれど…。
(…ミュウがいるのも、ジョミー・マーキス・シンとサムとの関係も…)
全て承知で、サムを現場へ向かわせたのは、恐らく機械の陰謀だろう。
偶然ということになってはいても、グランド・マザーには容易い小細工なのだから。
(そんな具合に、ヒトの命や人生を土足で踏みにじりながら…)
「キース・アニアン」は育ち続けて、今は此処まで昇って来た。
なんと傲慢な命だろうか、と唇を歪めて、ふと思ったこと。
「最高傑作だと、いつ決まったのだ?」と心に浮かんで来た疑問。
マザー・イライザは、何処で判断したのだろうか、と。
かつてシロエが命懸けで調べた、「キース・アニアン」の生まれと「ゆりかご」。
Eー1077の立ち入り禁止区画に在った、フロア001という名の実験室。
(…私が其処まで辿り着いたのは、かなり後のことで…)
その時には、もうEー1077は、とうに廃校になっていた。
(シロエがMのキャリアだったからだ、と言われてはいるが…)
人がいなくなって長い年月を経ていた其処には、サンプルしか残っていなかった。
「キース・アニアン」と同じ顔立ちの、様々な年齢の「標本」たち。
それと、モビー・ディックの中で出会った、ミュウの女に瓜二つな者たちのサンプル。
どちらの「実験」も、廃棄されて久しいと一目で分かる状態だった。
「キース」が作り出された後には、実験室は閉鎖になっていたのだろう。
最高傑作が出来たからには、実験を続ける必要は無い。
速やかに閉鎖し、研究者たちも全て処分か、記憶処理をして他所へ行かせたか。
(…恐らく、そんなところだろうが…)
では、実験は、「いつ」終わったのか。
どの段階で「今、此処にいる」、「キース」が「最高」だという判断が下されたのか。
(…水槽から出した時なのか?)
一介の候補生として、他の生徒たちの間に送り込んだ時か、と考えるのが妥当だけども…。
(そうだったならば、シロエやサムは…)
それにスウェナは、何のために選び出されて「キース」の前に現れたのか。
「最高傑作」を更に素晴らしいものにするためか、あるいは、結果を確かめるためか。
彼らと「キース」が接触した時、「キース」が理想的な行動を取るかどうかを…。
(…確認するためでもあったのか?)
シロエはともかく、サムとスウェナには、その可能性がある、と気が付いた。
すっかり忘れていたのだけれども、スウェナがEー1077に来た時に起こった事件。
(…スウェナたちを乗せて来た宇宙船が…)
軍の船との接触事故を起こして、危うく宇宙の藻屑になりかねなかった、あの時のこと。
先輩だったグレイブたちは、事故処理をマザー・イライザに任せて、退避を決めた。
「諸君も、私たちについて来るのが賢明だぞ」と、後輩たちに助言をして。
(あの時、それに従っていたら…)
スウェナを乗せた船は、どうなっていたか。
もしも「キース」が、違う判断をしていたならば。
事故が起きた時、「キース」も、グレイブも、同じ情報を「同時に」得た。
隣同士で端末を操作し、何が起きたか把握したのも、全く同時。
グレイブは「退避」を決めたけれども、「キース」は違う決断をした。
マザー・イライザが「対応出来なかった場合」を考慮した上で、「救助に向かおう」と。
そのためのルートを確認してから出ようとした時、サムが一緒について来た。
お蔭で、救助活動の終盤、「キース」の命綱が切れてしまった時に…。
(サムが助けに来てくれて…)
命を拾って、Eー1077に生きて戻って来ることが出来た。
もしかしたら、サムは「そのために」選ばれた者だったろうか。
「キース」が救出に向かった先で、何かあった時に「助ける」ための救助要員。
(…充分、有り得る話だな…)
宇宙船の事故が「キースのために」仕組まれたものなら、救助要員も選んでおくだろう。
せっかくテストに合格したのに、不慮の事故で死んで貰っては困る。
そう、あの事故は「テスト」の一つ。
「キース」が完成体かどうかを、「マザー・イライザ」が調べるためにやった「実験」。
あそこで「キース」が救助に向かわず、グレイブたちと一緒に退避していたら…。
(…失敗作だと判断されたか、軌道修正を試みたのか…)
どちらだろうな、と顎に手を当て、「イライザなら…」と思考してみて背筋が冷えた。
マザー・イライザは、所詮は巨大コンピューター。
機械にとっては、どんな事象も「0」か「1」でしかないだろう。
多少は幅があったとしたって、結果が全て。
「キース」が「取るべき行動」を取らず、「違う行動」をしたのなら…。
(…失敗作というヤツだ…)
軌道修正などは「するだけ無駄」で、次の「キース」を作り出そうとしたのだと思う。
先の「キース」の失敗を踏まえて、次は失敗しないようにと、検討を重ねて、取りかかって。
新たにDNAを紡いで、先の「キース」と同じ顔に育つ「次の人形」を作り始めただろう。
それが育って「水槽から出せる」年になるまで、十五年以上もかかったとしても構わない。
理想的な指導者を作るためなら、機械は手間を惜しみはしない。
「失敗作」などにかまけているより、「次」にかかった方がいい。
より良い者を作った方が、遥かに建設的なのだから。
そうなっていたら、「キース」は「今、此処に」生きてはいない。
どんな形で処分されたか、その方法は分からないけれど…。
(…失敗作だと決まった時点で、マザー・イライザに殺されて…)
フロア001に並ぶ「サンプルたち」の列に加わり、虚ろな目をしていたことだろう。
その目には、もう何も映すことなく、この「魂」も何処かへ飛び去った後で。
(……あの事故が起きた時点では……)
グランド・マザーは、まだミュウを「脅威」とは認識していなかった。
アルテメシアで「ジョミー・マーキス・シン」を取り逃がした件は、些細なこと。
ミュウたちが「モビー・ディック」という巨大な母船を持っていようと、それだけのこと。
「異分子どもが、勝手に何かしている」けれども、SD体制は、そう簡単に揺るぎはしない。
何かするようなら、いつでも殲滅出来る程度の、宇宙海賊と変わらない存在がミュウ。
(…そう考えていたのだろうな)
でなければメギドを持ち出している、と考えるまでもなく答えを出せる。
「モビー・ディック」を持つミュウが「脅威」なら、あそこで星ごと消していたろう。
アルテメシアの住民たちまで巻き添えにしても、それだけの価値はあるのだから。
ミュウどもを全て滅ぼせるのなら、一般市民など、どうでもいい。
(…メギドを使ったことさえも伏せて、何か事故でもあったことにして…)
機械は全ての帳尻を合わせ、ミュウの存在を「無かったこと」にしていたと思う。
モビー・ディックが消えてしまえば、脅威は無くなり、平和な世界が戻って来た筈。
その選択をしなかった以上、あの時点では、機械が考える「世界」は平穏そのもので…。
(…何の脅威も無いのだったら、次のキースを作り出すのに長い時間がかかっても…)
グランド・マザーは、ゆったり構えて、「完成」を待っていたことだろう。
「彼女」が欲する「理想の指導者」、それが生まれて来る時まで。
フロア001で実験を続け、マザー・イライザから「成功」の報が届くまで。
(…私を処分し、次のキースを作る間に…)
ミュウどもが侵攻して来たとしても、機械は手札を持ってはいない。
失敗作だった「キース」は処分した後で、次の「キース」は出来ていないか、若年すぎるか。
それでは勝負になりはしなくて、人類は早々に負けていたろう。
なにしろ「キース」がいないのだから、ジルベスター・セブンを調査しようにも…。
(適切な者が一人もいなくて…)
そこで敗北が決定だぞ、と思ったけれども、一人いたことを思い出した。
失敗作に終わった「キース」が処分されたのなら、優秀な人材がいたのだ、と。
(…セキ・レイ・シロエ…)
あいつなら、上手くやっただろうさ、と可笑しくなる。
「キース」が失敗作で終わって、宇宙船の事故の時点で処分されたら、シロエは「自由」。
選び出されて連れて来られることなどは無くて、「実力で」Eー1077に入っただろう。
ミュウの因子を持っていたって、それを巧みに隠し続けて。
システムに反抗的な面はあっても、他の点では「抜きん出ている」実力者。
(…「キース」のために選ばれなければ、シロエは自由で、めきめきと頭角を現して…)
ジルベスター・セブンに調査に向かって、その先で、何を得て来たろうか。
その前に出会う「マツカ」との縁も、「キースの場合」とは違った筈。
人類とミュウは手を取り合っていたかもしれない。
シロエが調査に向かっていたなら、「キース」のようにメギドを選びはしないから。
「キース」に劣らず優秀な頭脳、それで考え、別の選択肢を導き出して。
(……もしかしたら、私は失敗作で終わっていた方が……)
良かったのかもしれないな、と思いはしても、もう遅すぎる。
「キース」は「テスト」に見事に合格、その後も順調だったから。
失敗作だと判断されずに生き延びた挙句、とうとう此処まで来てしまったから…。
失敗作なら・了
※キースはマザー・イライザの最高傑作ということですけど、そう決まったのはいつなのか。
水槽から出す前に決定していたら、宇宙船の事故は必要無いのでは、と思ったわけで…。
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(滅びの呪文かあ……)
そういうものがあったっけね、とシロエが緩ませた頬。
Eー1077の夜の個室で、突然、心の中に「それ」が浮かんで来た。
懐かしさと、遠く温かな日々と、微かな痛みを伴った記憶。
(…パパと一緒に見た映画なのか、それともママ…?)
大切な部分が思い出せないから、懐かしくても痛みが湧き上がって来る。
「もう、あの日には帰れないんだ」と、両親と故郷を失ったことを思い知らされるから。
まだ幼かった頃の記憶も、学校に通っていた頃の記憶も、共に危うい。
教師や友人、そういったものは覚えているのに、両親や家の記憶を失くした。
「大人になるには不要だから」と、成人検査で消し去られて。
思い出そうと努力してみても、自力ではどうすることも出来ない。
出来ることと言ったら、思い出せる記憶を懸命に手繰り寄せることだけ。
今夜も、それを試みていた。
ベッドに腰掛け、心の中を空っぽにして、魂だけを子供時代に飛ばして。
頭を掠める記憶の断片、泡沫のように浮かんでは消える、記憶を宿したシャボン玉たち。
膨らんだと思って掴む間も無く、シャボン玉たちは消えてゆく。
キラリと一瞬、虹色の光を放っただけで、儚く消える。
それでも追わずにはいられない。
シャボン玉たちの一つ一つが、大切な記憶を秘めているから。
上手く捕まえることが出来たら、懐かしい出来事を少しだけでも…。
(思い出すことが出来るんだものね…)
機械が残しておいた記憶なのだし、本当に欲しくて必要な記憶は、其処には無い。
そうだと充分、承知していても、やはり追い掛け、掴みたくなる。
どんな記憶が残っているのか、どんな思い出があったのか。
こうして「追い掛ける」ことをしなければ、それらは消えてしまうのだろう。
機械が改めて消去しなくても、自分自身が忘れていって。
不要な記憶を切り捨てるように、大切な筈のことを忘れて。
(そんなの、嫌だ…)
つまらないことでも忘れたくない、と追い掛けて掴んだ、今夜の小さなシャボン玉。
掴んでパチンと弾けた中には、「滅びの呪文」が入っていた。
幼かった日に見に行った映画、あるいは家で鑑賞したのか、そこまでは分からないけれど。
映画の筋は、今となっては思い出せない。
機械が消してしまったものか、幼すぎて忘れてしまったのかも、定かではない。
(…その頃のぼくは、とても小さいみたいだから…)
自分で忘れちゃったのかな、と残念だけれど、幼いなら仕方ないだろう。
それも「思い出」の一つではある。
「せっかく楽しい映画を見たのに、どんな話か忘れちゃった」という失敗談。
幼い子供にありがちなことで、機械は介在していない。
(そういうことなら、思い出せなくても…)
かまわないよね、と大きく頷く。
此処に両親がいたとしたって、「シロエ」を責めはしないだろう。
父ならば、きっと苦笑しながら頭を撫でてくれると思う。
「おやおや、忘れちゃったのかい?」と、「とても喜んでいたんだがね」と。
母にしたって、「あらまあ…」と少し驚いた後で、クスクス笑うに違いない。
「勉強のために使う頭と、そういう頭は違うみたいね」と、可笑しそうに。
(…うん、きっとそう…)
だからいいんだ、と映画の筋は、どうでもいい。
大切なのは「滅びの呪文」という言葉を思い出したこと。
(映画の中で、それを唱えたら…)
古の王国が崩れ始めて、瞬く間に滅びていった。
誰も滅ぼすことの出来ない、恐ろしい力を持っていたのに、呆気なく。
内側からバラバラと分解されて、戦力も全て失われて。
(映画の他にも、色々なヤツがあったっけ…)
すっかり忘れてしまってたけど、と次々に「滅びの呪文」が心に浮かび上がって来る。
夢中で遊んだゲームの中にも、それは鏤められていた。
(絶対勝てない、っていう敵を相手に…)
大賢者が命を捨てて唱えるとか、勇者が危険を冒して呪文を手に入れるとか。
そうした「滅びの呪文」を使えば、敵はたちまち滅びてしまう。
映画に出て来た古の王国、それが崩壊したように。
どんなに強い敵であろうと、「滅びの呪文」に勝つことは出来ない。
(呪文は、忘れちゃったけど…)
あったんだよね、と、懐かしい思い出が一つ蘇った。
幼かった頃の映画の記憶と、故郷で遊んだゲームたちと。
(…呪文まで思い出すっていうのは…)
流石に無理かな、と頭をトントンと叩く。
機械が消去していなくても、自分自身が忘れてしまっていそうな「呪文」。
学校で新たな知識を得たなら、そちらの方が新鮮だから。
「もっと勉強しなくっちゃ」と、知識を増やしてゆきくなって。
(…そうなっちゃったら、ゲームなんかより…)
ゲームを作る仕組みの方とか、そちらに関心を抱いただろう。
エネルゲイアは、技術系のエキスパートを育成するのが目的だった育英都市だから。
(ぼくでもゲームを作れるのかも、って…)
思い始めたら、もう止まらない。
あれこれ調べて、本を読み込んで、勉強する間に「つまらないこと」は忘れてしまう。
ゲームに出て来た呪文などより、本物の「呪文」が重要だから。
様々なゲームを構成している、門外漢には全く意味の掴めない無数の「呪文」たち。
それを覚えて使いこなせば、ゲームを作るだけではなくて…。
(ああいう端末だって作れて…)
自分で好きにカスタマイズが出来るんだよね、とチラリと机の上を眺めた。
其処に置かれた携帯用の端末、此処で自作した小型のコンピューター。
マザー・イライザとは繋がっていない、安心して使える「シロエだけの」もの。
他の候補生たちも、携帯用の端末はもちろん持っている。
シロエにも配布されたけれども、けして愛用してなどはいない。
(…使えば、全部、マザー・イライザに…)
情報が届いて、どう使ったかも知られてしまう、スパイのような代物なのだから。
(おまけに、うんと単純すぎて…)
ハッキングとかも出来ない仕組みだ、と端末の出来には笑うしかない。
自作も出来る者から見たなら、子供だましのオモチャ並み。
とても単純な仕組みになっているのに、使いこなせない候補生だって大勢いる。
(普通に使えている間ならば、何も問題無いけれど…)
端末がエラーを引き起こした時、対処出来ない者たちは多い。
「壊れました」と慌てふためいて、修理して貰おうと走る者たち。
ちょっと弄ってやりさえすれば、エラーくらいは直るのに。
ごくごく初歩の初歩の呪文で、きちんと動き始めるのに。
「馬鹿な奴らだ」と思うけれども、知識が無いのも当然だろう。
彼らが故郷で受けた教育と、エネルゲイアでのそれは大きく異なる。
「シロエ」にとっては当たり前でも、彼らは「呪文」を学んではいない。
学んでいない者に向かって「使え」と言っても、無茶な注文というものだと分かる。
勇者も大賢者も、「滅びの呪文」を努力して手に入れていた。
大賢者は長く学び続けて、勇者は冒険の旅を続けて。
並みの人間には不可能なことを成し遂げた末に、ようやく「呪文」を知ることが出来る。
(端末用に使う呪文は、滅びの呪文みたいに危険な呪文じゃないけどね…)
一般人が知っていたって、何の問題も無いんだけれど、と思いはしても、知識は別。
そのための学びをしていなければ、呪文に触れる機会さえ無い。
機会が無ければ、興味を抱きもしないだろう。
端末の仕組みがどうなっているか、エラーが出たなら、どうやって修復するのかにも。
(…此処はメンバーズ・エリートを目指す場所だし、その内に…)
基本は叩き込まれるだろう。
単独で任務に出掛けた先では、修理も自分でせねばならない。
任務の途中で事故に遭ったりして、一人きりになってしまった時でも状況は同じ。
(壊れてどうにもならないんです、って叫んでたって…)
誰も修理に来てくれないから、自力で直すことが出来なかったら、もうおしまい。
(それじゃ困るし、基本は覚えるしかないだろうけど…)
もっと学ぼうって奴は多分いないね、と鼻で笑って、ハタと気付いた。
「マザー・イライザだって、機械じゃないか」と。
Eー1077を支配し、君臨してはいるのだけれども、正体は巨大なコンピューター。
つまりは、機械。
地球にいると聞くグランド・マザーも、SD体制の世界を統治しているけれど…。
(…やっぱり、機械に過ぎないわけで…)
元は人間が作った「モノ」。
「シロエ」が自作した携帯用の端末、それと全く変わりはしない。
その性能がずば抜けて高く、「シロエ」如きに作れはしない、というだけのこと。
違う部分は性能だけで、「人間が作った機械」な事実は、何処も違いはしないのだ。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも、人間が作った機械なら…)
それを構成している呪文は、恐らく、「シロエ」も知っているもの。
細かく切り分けて分析したなら、「なるほど」と理解可能な部分もあるだろう。
(そして、人間が作ったんなら…)
滅びの呪文が、必ず設けられている筈。
崩壊させるための呪文ではなくて、停止させるために設置するモノ。
(端末がエラーを起こすみたいに…)
マザー・コンピューターが、けしてエラーを起こさないとは言い切れない。
自動修復機能があっても、それが万全とは言えないことなど、機械を作る者には常識。
(…マザー・イライザにも、グランド・マザーにも…)
緊急停止のコマンドは「絶対に」あるし、組み込まれている。
誰がいつ、それを行使するかは、最高機密で、ごく一握りの者だけが知っている呪文。
メンバーズ・エリートになった者でも、その生涯に出会えるかどうか。
(……滅びの呪文ね……)
それが分かれば、何もかも一瞬で終わらせるのに、と唇を噛む。
「勇者になるしかないじゃないか」と、道のりの長さを思わされて。
厳しい冒険の旅を続けて、国家主席になれる時まで、呪文は手に入りそうもないから。
(何処かに、絶対、ある筈なのに…)
気が付いたって手に入らないんだ、とそれが悔しい。
今の「シロエ」は、一介の候補生だから。
大賢者でも勇者でもなくて、此処を卒業出来る時さえ、まだ先だから…。
滅びの呪文・了
※シロエが幼い頃に見た映画のモデルは、もちろん『ラピュタ』。筋は忘れたようですけど。
機械には緊急停止のコマンドが無いと困る筈だ、と思った所から出来たお話。
そういうものがあったっけね、とシロエが緩ませた頬。
Eー1077の夜の個室で、突然、心の中に「それ」が浮かんで来た。
懐かしさと、遠く温かな日々と、微かな痛みを伴った記憶。
(…パパと一緒に見た映画なのか、それともママ…?)
大切な部分が思い出せないから、懐かしくても痛みが湧き上がって来る。
「もう、あの日には帰れないんだ」と、両親と故郷を失ったことを思い知らされるから。
まだ幼かった頃の記憶も、学校に通っていた頃の記憶も、共に危うい。
教師や友人、そういったものは覚えているのに、両親や家の記憶を失くした。
「大人になるには不要だから」と、成人検査で消し去られて。
思い出そうと努力してみても、自力ではどうすることも出来ない。
出来ることと言ったら、思い出せる記憶を懸命に手繰り寄せることだけ。
今夜も、それを試みていた。
ベッドに腰掛け、心の中を空っぽにして、魂だけを子供時代に飛ばして。
頭を掠める記憶の断片、泡沫のように浮かんでは消える、記憶を宿したシャボン玉たち。
膨らんだと思って掴む間も無く、シャボン玉たちは消えてゆく。
キラリと一瞬、虹色の光を放っただけで、儚く消える。
それでも追わずにはいられない。
シャボン玉たちの一つ一つが、大切な記憶を秘めているから。
上手く捕まえることが出来たら、懐かしい出来事を少しだけでも…。
(思い出すことが出来るんだものね…)
機械が残しておいた記憶なのだし、本当に欲しくて必要な記憶は、其処には無い。
そうだと充分、承知していても、やはり追い掛け、掴みたくなる。
どんな記憶が残っているのか、どんな思い出があったのか。
こうして「追い掛ける」ことをしなければ、それらは消えてしまうのだろう。
機械が改めて消去しなくても、自分自身が忘れていって。
不要な記憶を切り捨てるように、大切な筈のことを忘れて。
(そんなの、嫌だ…)
つまらないことでも忘れたくない、と追い掛けて掴んだ、今夜の小さなシャボン玉。
掴んでパチンと弾けた中には、「滅びの呪文」が入っていた。
幼かった日に見に行った映画、あるいは家で鑑賞したのか、そこまでは分からないけれど。
映画の筋は、今となっては思い出せない。
機械が消してしまったものか、幼すぎて忘れてしまったのかも、定かではない。
(…その頃のぼくは、とても小さいみたいだから…)
自分で忘れちゃったのかな、と残念だけれど、幼いなら仕方ないだろう。
それも「思い出」の一つではある。
「せっかく楽しい映画を見たのに、どんな話か忘れちゃった」という失敗談。
幼い子供にありがちなことで、機械は介在していない。
(そういうことなら、思い出せなくても…)
かまわないよね、と大きく頷く。
此処に両親がいたとしたって、「シロエ」を責めはしないだろう。
父ならば、きっと苦笑しながら頭を撫でてくれると思う。
「おやおや、忘れちゃったのかい?」と、「とても喜んでいたんだがね」と。
母にしたって、「あらまあ…」と少し驚いた後で、クスクス笑うに違いない。
「勉強のために使う頭と、そういう頭は違うみたいね」と、可笑しそうに。
(…うん、きっとそう…)
だからいいんだ、と映画の筋は、どうでもいい。
大切なのは「滅びの呪文」という言葉を思い出したこと。
(映画の中で、それを唱えたら…)
古の王国が崩れ始めて、瞬く間に滅びていった。
誰も滅ぼすことの出来ない、恐ろしい力を持っていたのに、呆気なく。
内側からバラバラと分解されて、戦力も全て失われて。
(映画の他にも、色々なヤツがあったっけ…)
すっかり忘れてしまってたけど、と次々に「滅びの呪文」が心に浮かび上がって来る。
夢中で遊んだゲームの中にも、それは鏤められていた。
(絶対勝てない、っていう敵を相手に…)
大賢者が命を捨てて唱えるとか、勇者が危険を冒して呪文を手に入れるとか。
そうした「滅びの呪文」を使えば、敵はたちまち滅びてしまう。
映画に出て来た古の王国、それが崩壊したように。
どんなに強い敵であろうと、「滅びの呪文」に勝つことは出来ない。
(呪文は、忘れちゃったけど…)
あったんだよね、と、懐かしい思い出が一つ蘇った。
幼かった頃の映画の記憶と、故郷で遊んだゲームたちと。
(…呪文まで思い出すっていうのは…)
流石に無理かな、と頭をトントンと叩く。
機械が消去していなくても、自分自身が忘れてしまっていそうな「呪文」。
学校で新たな知識を得たなら、そちらの方が新鮮だから。
「もっと勉強しなくっちゃ」と、知識を増やしてゆきくなって。
(…そうなっちゃったら、ゲームなんかより…)
ゲームを作る仕組みの方とか、そちらに関心を抱いただろう。
エネルゲイアは、技術系のエキスパートを育成するのが目的だった育英都市だから。
(ぼくでもゲームを作れるのかも、って…)
思い始めたら、もう止まらない。
あれこれ調べて、本を読み込んで、勉強する間に「つまらないこと」は忘れてしまう。
ゲームに出て来た呪文などより、本物の「呪文」が重要だから。
様々なゲームを構成している、門外漢には全く意味の掴めない無数の「呪文」たち。
それを覚えて使いこなせば、ゲームを作るだけではなくて…。
(ああいう端末だって作れて…)
自分で好きにカスタマイズが出来るんだよね、とチラリと机の上を眺めた。
其処に置かれた携帯用の端末、此処で自作した小型のコンピューター。
マザー・イライザとは繋がっていない、安心して使える「シロエだけの」もの。
他の候補生たちも、携帯用の端末はもちろん持っている。
シロエにも配布されたけれども、けして愛用してなどはいない。
(…使えば、全部、マザー・イライザに…)
情報が届いて、どう使ったかも知られてしまう、スパイのような代物なのだから。
(おまけに、うんと単純すぎて…)
ハッキングとかも出来ない仕組みだ、と端末の出来には笑うしかない。
自作も出来る者から見たなら、子供だましのオモチャ並み。
とても単純な仕組みになっているのに、使いこなせない候補生だって大勢いる。
(普通に使えている間ならば、何も問題無いけれど…)
端末がエラーを引き起こした時、対処出来ない者たちは多い。
「壊れました」と慌てふためいて、修理して貰おうと走る者たち。
ちょっと弄ってやりさえすれば、エラーくらいは直るのに。
ごくごく初歩の初歩の呪文で、きちんと動き始めるのに。
「馬鹿な奴らだ」と思うけれども、知識が無いのも当然だろう。
彼らが故郷で受けた教育と、エネルゲイアでのそれは大きく異なる。
「シロエ」にとっては当たり前でも、彼らは「呪文」を学んではいない。
学んでいない者に向かって「使え」と言っても、無茶な注文というものだと分かる。
勇者も大賢者も、「滅びの呪文」を努力して手に入れていた。
大賢者は長く学び続けて、勇者は冒険の旅を続けて。
並みの人間には不可能なことを成し遂げた末に、ようやく「呪文」を知ることが出来る。
(端末用に使う呪文は、滅びの呪文みたいに危険な呪文じゃないけどね…)
一般人が知っていたって、何の問題も無いんだけれど、と思いはしても、知識は別。
そのための学びをしていなければ、呪文に触れる機会さえ無い。
機会が無ければ、興味を抱きもしないだろう。
端末の仕組みがどうなっているか、エラーが出たなら、どうやって修復するのかにも。
(…此処はメンバーズ・エリートを目指す場所だし、その内に…)
基本は叩き込まれるだろう。
単独で任務に出掛けた先では、修理も自分でせねばならない。
任務の途中で事故に遭ったりして、一人きりになってしまった時でも状況は同じ。
(壊れてどうにもならないんです、って叫んでたって…)
誰も修理に来てくれないから、自力で直すことが出来なかったら、もうおしまい。
(それじゃ困るし、基本は覚えるしかないだろうけど…)
もっと学ぼうって奴は多分いないね、と鼻で笑って、ハタと気付いた。
「マザー・イライザだって、機械じゃないか」と。
Eー1077を支配し、君臨してはいるのだけれども、正体は巨大なコンピューター。
つまりは、機械。
地球にいると聞くグランド・マザーも、SD体制の世界を統治しているけれど…。
(…やっぱり、機械に過ぎないわけで…)
元は人間が作った「モノ」。
「シロエ」が自作した携帯用の端末、それと全く変わりはしない。
その性能がずば抜けて高く、「シロエ」如きに作れはしない、というだけのこと。
違う部分は性能だけで、「人間が作った機械」な事実は、何処も違いはしないのだ。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも、人間が作った機械なら…)
それを構成している呪文は、恐らく、「シロエ」も知っているもの。
細かく切り分けて分析したなら、「なるほど」と理解可能な部分もあるだろう。
(そして、人間が作ったんなら…)
滅びの呪文が、必ず設けられている筈。
崩壊させるための呪文ではなくて、停止させるために設置するモノ。
(端末がエラーを起こすみたいに…)
マザー・コンピューターが、けしてエラーを起こさないとは言い切れない。
自動修復機能があっても、それが万全とは言えないことなど、機械を作る者には常識。
(…マザー・イライザにも、グランド・マザーにも…)
緊急停止のコマンドは「絶対に」あるし、組み込まれている。
誰がいつ、それを行使するかは、最高機密で、ごく一握りの者だけが知っている呪文。
メンバーズ・エリートになった者でも、その生涯に出会えるかどうか。
(……滅びの呪文ね……)
それが分かれば、何もかも一瞬で終わらせるのに、と唇を噛む。
「勇者になるしかないじゃないか」と、道のりの長さを思わされて。
厳しい冒険の旅を続けて、国家主席になれる時まで、呪文は手に入りそうもないから。
(何処かに、絶対、ある筈なのに…)
気が付いたって手に入らないんだ、とそれが悔しい。
今の「シロエ」は、一介の候補生だから。
大賢者でも勇者でもなくて、此処を卒業出来る時さえ、まだ先だから…。
滅びの呪文・了
※シロエが幼い頃に見た映画のモデルは、もちろん『ラピュタ』。筋は忘れたようですけど。
機械には緊急停止のコマンドが無いと困る筈だ、と思った所から出来たお話。
(御用があったら呼んで下さい、か…)
呼ばれなくとも駆け付けるくせに、とキースは扉の方へ目を遣る。
たった今、其処から出て行った者は、もう見えない。
ジルベスター・セブン以来の忠実な側近、キース・アニアンに仕え続けるジョナ・マツカ。
「今夜は、もういい」と言われた通り、自分の部屋へ下がったのだろう。
国家騎士団総司令のために設けられた個室、それがある区画の部下のための部屋へ。
(…皮肉なものだな…)
一番の部下がミュウだとはな、とキースは視線を机に戻した。
マツカが淹れて行ったコーヒー、そのカップが湯気を立てている。
「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と、マツカは皆に揶揄されていた。
実際、そうとしか見えないのだから、仕方ない。
マツカが「キースの命を受けてしていること」は、ただ、コーヒーを淹れることだけ。
「コーヒーを頼む」と言われた時だけ、「はい」と返事して動くのだから。
(それ以外の用は、他の者たちがしているからな…)
マツカは彼らへの伝達係を務めるだけで、実務は何もこなしていない。
国家騎士団員だとはいえ、そのための教育は何一つ受けていないのだから。
(宇宙海軍の一兵卒では、やれと言われても、出来ない方が当然なのだが…)
他の部下たちは、そうは思っていない。
キース自ら選んだ側近、しかも宇宙海軍からの転属という破格の昇進がマツカの経歴。
「もっと役に立つ筈なのに、何故」と、冷ややかにマツカを眺めている。
「閣下の見込み違いだったか」と、「能無し野郎」の烙印を押して。
(気付けという方が無理な話で…)
マツカの正体を知らないのだし、と分かってはいても、苦笑が漏れる。
「お前たちより、よほど役に立つ部下なのだが」と。
「私の命を何度救ったか、お前たちは何も知らないだけだ」と。
マツカがミュウでなかったならば、不可能だった救出劇は数知れない。
ジルベスター・セブンからの脱出に始まり、今も功績は増え続けている。
「キース・アニアン」の暗殺計画が、次から次へと立てられるせいで。
移動経路に爆弾が仕掛けられたり、いきなり銃撃されたりもした。
それらをマツカは全て防いで、キースの命を守り続ける。
他の部下たちは何も知らずに、「閣下はとても強運だから」と、いつも称賛しているけれど。
加えて自分たちの働き、機敏に動いて「閣下をお守りしているのだ」と誇りに思って。
勘違いされている、ジョナ・マツカ。
コーヒーを淹れることしか出来ない、「能無し野郎」。
(美味いコーヒーを淹れているのも、また事実だが…)
他の奴らではこうはいかん、とキースはコーヒーのカップを傾ける。
「これも才能の一つではある」と、絶妙な苦味を味わいながら。
マツカに命を救われた後に、何度、彼が淹れたコーヒーを飲んだだろうか。
「どうぞ」と差し出される湯気の立つカップ、その度に何処かホッとする自分を知っている。
けして顔には出さないけれども、「また生き延びた」と心に湧き上がるものは…。
(……感謝の気持ちと言うのだろうな)
マツカに伝えたことは無いが、と頬が微かに緩む。
「私にだって、感情はある」と。
「サムにしか向けていないようでも、確かにあるのだ」と。
その有能な「マツカ」のお蔭で、命を拾って、美味いコーヒーも飲める。
マツカがミュウであるからこそで、彼が人類なら、こうはいかない。
「キース・アニアン」は、とうの昔に殺されているか、失脚していたことだろう。
暗殺計画を防ぐことが出来ずに、犠牲になって。
あるいは命は助かったものの、任務を続けることが出来ない身体にされて。
(そうはならずに、この先も生きていけそうだが…)
問題はミュウの侵攻だな、と思考をそちらに向けた瞬間、ハタと気付いた。
人類の宿敵、今も進軍中のミュウ。
彼らと相対している自分は、対ミュウ戦略の筆頭と目されているけれど…。
(そもそも私が、ミュウの巣から生きて逃げ延びられたのは…)
マツカが助けに来たからこそで、そのマツカは、元は暗殺者だった。
暗殺者の顔をしてはいなくて、気の弱い「ただのミュウ」だったけれど。
ソレイド軍事基地に隠れて、ひっそりと生きていたミュウの青年。
(私が、あそこに行かなかったら…)
マツカは自分が「ミュウ」だとも知らず、虐げられて今もソレイドにいただろう。
何の役にも立たない上に、気が弱く、身体も弱い「軍人」などに価値は無い。
きっと役職なども貰えず、下手をしたなら…。
(掃除係にされていたかもしれないな…)
実にありそうな結末だ、と司令官だったグレイブの姿を思い浮かべる。
「奴なら、そうする」と、「使えない者など、左遷だろう」と。
あのままソレイドに残っていたなら、掃除係になりそうなマツカ。
ところが、彼がソレイドで仕出かしたことは、立派な暗殺計画そのもの。
未遂に終わって、暗殺対象だった「キース」に抜擢されて、今は暗殺を防ぐのが役目。
有能な部下になっているけれど、元々、マツカは「暗殺者」なのだ。
自分の命を守るためにと、「キース・アニアン」を殺そうとした。
それはあまりにも無謀に過ぎて、失敗に終わったマツカの企て。
殺されかけたキースの方でも、「愚かな」と、せせら笑ったくらいに無謀。
優位に立って、「後ろに立つな」と銃で脅して、いい気になっていたのだけれど…。
(…あの時、マツカが、もっと追い詰められていたなら…)
サイオン・バーストを起こすくらいの状態だったら、結果は違っていただろう。
今の今まで、全く思いもしなかったけれど、マツカの潜在能力は高い。
(……私を、メギドの制御室から助け出した時……)
マツカは確かに、瞬間移動をしてのけた。
そんな力は、タイプ・ブルーにしか無い筈なのに。
更に言うなら、マツカは「必死になっていた」だけで、暴走状態ではなかったのに。
(…サイオン・バーストの寸前だったら、他のミュウでも有り得るのかもしれないが…)
そうでもないのに、マツカは凄まじい能力を見せた。
彼が「暗殺者」の顔だった時に、同じ力を発揮していたら…。
(……私の命は、其処で終わっていたな……)
間違いなく殺されていたことだろう、と背筋がゾクリと冷たくなる。
「私は運が良かっただけか」と、今頃になって思い知らされた。
運良く「たまたま」助かっただけで、「死んでいたかもしれないのだ」と。
もしも、あそこで「キース・アニアン」がマツカに殺されていたら…。
(…その後の歴史は、今とは全く違ったものに…)
なったことだろう、と恐ろしくなる。
ジルベスター・セブンは焼かれることなく、ミュウは生き延びたに違いない。
そしてあそこを拠点に据えて、地球への侵攻を始めただろう。
そうなった時も、キースの暗殺に成功したマツカは、あのソレイドで…。
(いつミュウどもが攻めて来るのか、日々、怯えながら…)
掃除係をやっているのだ、と容易に想像がつく。
自分がミュウだと知らないのだから、「ぼくは生き延びられるだろうか」とビクビクして。
マツカが「キース」を殺したとしても、誰も「マツカ」の仕業などとは思わない。
ジルベスター・セブンの調査にやって来たキースは、突然死として片付けられたことだろう。
心臓発作を起こして死んで、マツカがそれを発見した、と上層部に報告されるだけ。
(…いくらグランド・マザーであっても、こればかりはな…)
どうすることも出来はしなくて、代わりの者を派遣するより他はない。
「キースにしか、ミュウの相手は出来ない」と承知していても、死人に任務の遂行は不可能。
他の誰かを選ぶしかなく、選ばれた者には、キースと同じ働きなど出来ない上に…。
(マツカの助けも、ありはしなくて…)
あえなく戦死を遂げてしまって、ミュウは直ちに反撃に出る。
自分たちの拠点を知られた以上は、先手必勝。
ジルベスター・セブンが焼かれていないのであれば、戦力は充分、持っている筈。
なんと言っても、九人ものタイプ・ブルーがいるのが、ミュウたちの船。
伝説のタイプ・ブルー・オリジンまでが健在、これでは人類に勝ち目など無い。
(…おまけに、拠点が無傷なのだし…)
あの厄介なタイプ・ブルーが、もっと増える可能性もある。
自然出産の効率がいくら悪くても、生まれて来る子がタイプ・ブルーであったなら…。
(効率以前の問題だ…)
生まれた子供は全て戦力、並みのミュウとは比較にならない力の持ち主。
一人増えただけでも、艦隊一つを破壊することが出来るだろう。
艦隊どころか、星さえ落とせるかもしれない。
そんなミュウたちが押し寄せて来ても、「キース」の代わりはいないのだから…。
(…人類は降伏する以外には…)
道が無いな、とキースは溜息をつく。
「あの実験は私で終わりになっていたし」と、「次の者など用意していない」と。
そして人類が負け戦を戦い続ける間に、ソレイドも陥落することだろう。
マツカは「ミュウ」が何者なのかも知らずに、怯えながら基地の掃除を続けて…。
(ミュウどもの船が攻めて来た時、かつて自分を苛めた誰かが…)
砲撃を受けて吹っ飛ぶ所を、命を捨てて守りそうだ、と心から思う。
「だからこそ今、マツカは此処にいるのだ」と、「そういう心の持ち主だから」と。
ソレイドを落としたミュウたちの方は、そんなマツカに気付くだろうか。
人類を庇って死んでいったミュウ、悲しいまでに優しい者に。
自分がミュウだったことも知らずに、人類の中で生きていたミュウが存在したことに。
(…それにマツカは、ジルベスター・セブンを「キース」から救った…)
真の英雄だったのだがな、と思うけれども、歴史はそちらへ進まなかった。
マツカは「キース」を殺し損ねて、「キース」に仕え続けているから。
ミュウの英雄だったと気付かれる日も、讃えられる時も来ないのだから…。
気弱な暗殺者・了
※キースがソレイドにやって来た時、マツカに返り討ちにされていたら、と思ったわけで。
アニテラのマツカなら、能力的にも有り得た筈。歴史は確実に変わってましたね…。
呼ばれなくとも駆け付けるくせに、とキースは扉の方へ目を遣る。
たった今、其処から出て行った者は、もう見えない。
ジルベスター・セブン以来の忠実な側近、キース・アニアンに仕え続けるジョナ・マツカ。
「今夜は、もういい」と言われた通り、自分の部屋へ下がったのだろう。
国家騎士団総司令のために設けられた個室、それがある区画の部下のための部屋へ。
(…皮肉なものだな…)
一番の部下がミュウだとはな、とキースは視線を机に戻した。
マツカが淹れて行ったコーヒー、そのカップが湯気を立てている。
「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と、マツカは皆に揶揄されていた。
実際、そうとしか見えないのだから、仕方ない。
マツカが「キースの命を受けてしていること」は、ただ、コーヒーを淹れることだけ。
「コーヒーを頼む」と言われた時だけ、「はい」と返事して動くのだから。
(それ以外の用は、他の者たちがしているからな…)
マツカは彼らへの伝達係を務めるだけで、実務は何もこなしていない。
国家騎士団員だとはいえ、そのための教育は何一つ受けていないのだから。
(宇宙海軍の一兵卒では、やれと言われても、出来ない方が当然なのだが…)
他の部下たちは、そうは思っていない。
キース自ら選んだ側近、しかも宇宙海軍からの転属という破格の昇進がマツカの経歴。
「もっと役に立つ筈なのに、何故」と、冷ややかにマツカを眺めている。
「閣下の見込み違いだったか」と、「能無し野郎」の烙印を押して。
(気付けという方が無理な話で…)
マツカの正体を知らないのだし、と分かってはいても、苦笑が漏れる。
「お前たちより、よほど役に立つ部下なのだが」と。
「私の命を何度救ったか、お前たちは何も知らないだけだ」と。
マツカがミュウでなかったならば、不可能だった救出劇は数知れない。
ジルベスター・セブンからの脱出に始まり、今も功績は増え続けている。
「キース・アニアン」の暗殺計画が、次から次へと立てられるせいで。
移動経路に爆弾が仕掛けられたり、いきなり銃撃されたりもした。
それらをマツカは全て防いで、キースの命を守り続ける。
他の部下たちは何も知らずに、「閣下はとても強運だから」と、いつも称賛しているけれど。
加えて自分たちの働き、機敏に動いて「閣下をお守りしているのだ」と誇りに思って。
勘違いされている、ジョナ・マツカ。
コーヒーを淹れることしか出来ない、「能無し野郎」。
(美味いコーヒーを淹れているのも、また事実だが…)
他の奴らではこうはいかん、とキースはコーヒーのカップを傾ける。
「これも才能の一つではある」と、絶妙な苦味を味わいながら。
マツカに命を救われた後に、何度、彼が淹れたコーヒーを飲んだだろうか。
「どうぞ」と差し出される湯気の立つカップ、その度に何処かホッとする自分を知っている。
けして顔には出さないけれども、「また生き延びた」と心に湧き上がるものは…。
(……感謝の気持ちと言うのだろうな)
マツカに伝えたことは無いが、と頬が微かに緩む。
「私にだって、感情はある」と。
「サムにしか向けていないようでも、確かにあるのだ」と。
その有能な「マツカ」のお蔭で、命を拾って、美味いコーヒーも飲める。
マツカがミュウであるからこそで、彼が人類なら、こうはいかない。
「キース・アニアン」は、とうの昔に殺されているか、失脚していたことだろう。
暗殺計画を防ぐことが出来ずに、犠牲になって。
あるいは命は助かったものの、任務を続けることが出来ない身体にされて。
(そうはならずに、この先も生きていけそうだが…)
問題はミュウの侵攻だな、と思考をそちらに向けた瞬間、ハタと気付いた。
人類の宿敵、今も進軍中のミュウ。
彼らと相対している自分は、対ミュウ戦略の筆頭と目されているけれど…。
(そもそも私が、ミュウの巣から生きて逃げ延びられたのは…)
マツカが助けに来たからこそで、そのマツカは、元は暗殺者だった。
暗殺者の顔をしてはいなくて、気の弱い「ただのミュウ」だったけれど。
ソレイド軍事基地に隠れて、ひっそりと生きていたミュウの青年。
(私が、あそこに行かなかったら…)
マツカは自分が「ミュウ」だとも知らず、虐げられて今もソレイドにいただろう。
何の役にも立たない上に、気が弱く、身体も弱い「軍人」などに価値は無い。
きっと役職なども貰えず、下手をしたなら…。
(掃除係にされていたかもしれないな…)
実にありそうな結末だ、と司令官だったグレイブの姿を思い浮かべる。
「奴なら、そうする」と、「使えない者など、左遷だろう」と。
あのままソレイドに残っていたなら、掃除係になりそうなマツカ。
ところが、彼がソレイドで仕出かしたことは、立派な暗殺計画そのもの。
未遂に終わって、暗殺対象だった「キース」に抜擢されて、今は暗殺を防ぐのが役目。
有能な部下になっているけれど、元々、マツカは「暗殺者」なのだ。
自分の命を守るためにと、「キース・アニアン」を殺そうとした。
それはあまりにも無謀に過ぎて、失敗に終わったマツカの企て。
殺されかけたキースの方でも、「愚かな」と、せせら笑ったくらいに無謀。
優位に立って、「後ろに立つな」と銃で脅して、いい気になっていたのだけれど…。
(…あの時、マツカが、もっと追い詰められていたなら…)
サイオン・バーストを起こすくらいの状態だったら、結果は違っていただろう。
今の今まで、全く思いもしなかったけれど、マツカの潜在能力は高い。
(……私を、メギドの制御室から助け出した時……)
マツカは確かに、瞬間移動をしてのけた。
そんな力は、タイプ・ブルーにしか無い筈なのに。
更に言うなら、マツカは「必死になっていた」だけで、暴走状態ではなかったのに。
(…サイオン・バーストの寸前だったら、他のミュウでも有り得るのかもしれないが…)
そうでもないのに、マツカは凄まじい能力を見せた。
彼が「暗殺者」の顔だった時に、同じ力を発揮していたら…。
(……私の命は、其処で終わっていたな……)
間違いなく殺されていたことだろう、と背筋がゾクリと冷たくなる。
「私は運が良かっただけか」と、今頃になって思い知らされた。
運良く「たまたま」助かっただけで、「死んでいたかもしれないのだ」と。
もしも、あそこで「キース・アニアン」がマツカに殺されていたら…。
(…その後の歴史は、今とは全く違ったものに…)
なったことだろう、と恐ろしくなる。
ジルベスター・セブンは焼かれることなく、ミュウは生き延びたに違いない。
そしてあそこを拠点に据えて、地球への侵攻を始めただろう。
そうなった時も、キースの暗殺に成功したマツカは、あのソレイドで…。
(いつミュウどもが攻めて来るのか、日々、怯えながら…)
掃除係をやっているのだ、と容易に想像がつく。
自分がミュウだと知らないのだから、「ぼくは生き延びられるだろうか」とビクビクして。
マツカが「キース」を殺したとしても、誰も「マツカ」の仕業などとは思わない。
ジルベスター・セブンの調査にやって来たキースは、突然死として片付けられたことだろう。
心臓発作を起こして死んで、マツカがそれを発見した、と上層部に報告されるだけ。
(…いくらグランド・マザーであっても、こればかりはな…)
どうすることも出来はしなくて、代わりの者を派遣するより他はない。
「キースにしか、ミュウの相手は出来ない」と承知していても、死人に任務の遂行は不可能。
他の誰かを選ぶしかなく、選ばれた者には、キースと同じ働きなど出来ない上に…。
(マツカの助けも、ありはしなくて…)
あえなく戦死を遂げてしまって、ミュウは直ちに反撃に出る。
自分たちの拠点を知られた以上は、先手必勝。
ジルベスター・セブンが焼かれていないのであれば、戦力は充分、持っている筈。
なんと言っても、九人ものタイプ・ブルーがいるのが、ミュウたちの船。
伝説のタイプ・ブルー・オリジンまでが健在、これでは人類に勝ち目など無い。
(…おまけに、拠点が無傷なのだし…)
あの厄介なタイプ・ブルーが、もっと増える可能性もある。
自然出産の効率がいくら悪くても、生まれて来る子がタイプ・ブルーであったなら…。
(効率以前の問題だ…)
生まれた子供は全て戦力、並みのミュウとは比較にならない力の持ち主。
一人増えただけでも、艦隊一つを破壊することが出来るだろう。
艦隊どころか、星さえ落とせるかもしれない。
そんなミュウたちが押し寄せて来ても、「キース」の代わりはいないのだから…。
(…人類は降伏する以外には…)
道が無いな、とキースは溜息をつく。
「あの実験は私で終わりになっていたし」と、「次の者など用意していない」と。
そして人類が負け戦を戦い続ける間に、ソレイドも陥落することだろう。
マツカは「ミュウ」が何者なのかも知らずに、怯えながら基地の掃除を続けて…。
(ミュウどもの船が攻めて来た時、かつて自分を苛めた誰かが…)
砲撃を受けて吹っ飛ぶ所を、命を捨てて守りそうだ、と心から思う。
「だからこそ今、マツカは此処にいるのだ」と、「そういう心の持ち主だから」と。
ソレイドを落としたミュウたちの方は、そんなマツカに気付くだろうか。
人類を庇って死んでいったミュウ、悲しいまでに優しい者に。
自分がミュウだったことも知らずに、人類の中で生きていたミュウが存在したことに。
(…それにマツカは、ジルベスター・セブンを「キース」から救った…)
真の英雄だったのだがな、と思うけれども、歴史はそちらへ進まなかった。
マツカは「キース」を殺し損ねて、「キース」に仕え続けているから。
ミュウの英雄だったと気付かれる日も、讃えられる時も来ないのだから…。
気弱な暗殺者・了
※キースがソレイドにやって来た時、マツカに返り討ちにされていたら、と思ったわけで。
アニテラのマツカなら、能力的にも有り得た筈。歴史は確実に変わってましたね…。
十五年。
そう言われても、まるで実感が無い。
そんなに長く眠っていたというのか、ぼくは…?
けれど確かに、そうなのだろう。
星の瞬きのように一瞬だった、ぼくにとっての十五年。
目を閉じて眠って、そして目覚めたら、世界はまるで違っていた。
そもそも、ぼくを「起こした」人間、その存在が既に、このシャングリラの中では異物。
(皮肉なものだな…)
ぼくを眠りから引き戻した者、「此処」では「異物」だった人間。
その人間は、ミュウを「異分子」と呼んだ。
彼にとっては、ミュウこそが異物なのだから。
(どちらが異物か、それは歴史が決めるのだろうが…)
結果が出るのを、ぼくは見届けることは出来ない。
ぼくの目覚めには必然があって、役目を果たさなくてはならない。
残り僅かな命を使って、シャングリラを、仲間を守らなくては。
出来るものなら、この肉眼で地球を見たかった。
眠りに落ちるよりも前から、ずっとそういう夢を見ていた。
けして叶わないと分かってはいても、望まずにいられなかったけれども…。
(今のぼくには、地球よりも、ずっと…)
この目で見てみたい「未来」が出来た。
「地球の男」、キース・アニアンが人質に取っていた、小さなトォニィ。
自然出産で生まれたと聞いた、ミュウの未来を継ぐだろう子供。
あのトォニィが育ってゆくのを、彼と同じに生まれた子たちが育つ姿を見たい。
長い年月、夢に見て来た、青く輝く地球よりも、ミュウの未来を側で見たいと願ってしまう。
そんなこと、出来はしないのに。
本当に残り少ない命を「捨てて」彼らを守らない限り、トォニィたちも消えてしまうのに。
まさか、人生の終わり近くに、夢が出来るとは思わなかった。
焦がれ続けた青い地球より、この目で見たい「もの」が生まれるとは。
そう、文字通りに、彼らは「生まれた」。
SD体制が始まって以来、初めての自然出産児として。
人工子宮ではなく、母の胎内で育ち、赤い星、ナスカで生を享けて。
青い地球より、眩しく輝く「新しい命」。
ミュウの未来を紡いでくれる、思いもしなかった子供たち。
彼らを、ずっと見ていたいけれど、その夢は、けして叶いはしない。
この夢を「命」ごと捨ててゆくこと、それが目覚めた「ぼく」の務めだから。
(…十五年か…)
眠ってしまっていたのが、とても惜しいけれども、夢が出来たからいいだろう。
叶わない夢でも、新しい夢を心に持つことが出来たから。
(ありがとう、ジョミー…)
あの子供たちを、この世に生み出してくれて。
思いがけないミュウの未来を、新しい夢を、このぼくにくれて。
「ありがとう」と、君に言える時間が、それがあればいいと思うけれども…。
(…そればかりは、地球の男次第か…)
彼がナスカに戻って来るまでに、ぼくの命が燃え尽きる前に、ほんの少しの時間が欲しい。
新しい夢が叶わないのは、充分に承知しているから。
地球よりも、ずっと見たい「未来」は、この目で見届けられないから。
(せめて、ジョミーに…)
「ありがとう」と言える時間があったらいい、と、願うことくらい許されるだろう。
その願いが叶わずに終わったとしても、悔いなどは無い。
あの子供たちを守れるのならば、それだけでいいと思ってしまう。
ぼくには、新しい夢が出来たから。
青い地球よりも「見たくなったもの」を、命と引き換えに守れるから。
だから…。
ジョミー、君たちは、未来を生きていって欲しい。
それにトォニィ、他の子たちも、どうか元気で。
君たちが生きて未来を紡いでゆくのを、ぼくは心から祈り続ける。
ぼく自身の夢は叶わなくても、それでいいから。
君たちが地球へ、未来へと歩んでゆくのが、ぼくの「新しい夢」なのだから…。
青い地球よりも・了
※ブルー追悼作品、「来年は書かずに済むことを希望」と昨年、言ったわけですが。
コロナ禍も、第7波とか言われる割には、さほど騒がれなくなったのですが…。
アニテラでブルーが眠り続けたのと同じ年数、15年が経ったのが今年なのです。
「節目の年だし、書いておくかな」というわけで、2022年7月28日記念作品。
作中のブルーの夢は叶いませんでしたけど、最後の願いが叶ったのは、皆様ご存じの通り。
(成人検査では、機械が記憶を消すけれど…)
今だって、消され続けているけれど、とシロエが睨み付けた先。
Eー1077で与えられた個室は、マザー・イライザに監視されている。
部屋にいる時は、恐らく、常に。
普段は何も起こらなくても、心を乱せば、彼女の幻影が現れるから。
「どうしました?」と、猫なで声で。
さっきも、そんな風に出て来て、優し気な笑みを湛えていた。
「迷いがあるなら、導きましょう」と、「いつでも、待っていますからね」と。
慈母の言葉のようだけれども、それは警告。
心が乱れたままでいたなら、たちまちコールされるだろう。
(…コールされたら、ぼくの中から、また何か…)
大切な記憶が消えていくんだ、と唇を強く噛み締める。
「ぼくは嫌だ」と、「忘れたくない」と。
(あれが、機械のやり口で…)
このステーションで暮らす候補生たちは、おとなしい羊にされてゆく。
成人検査でも消えずに残った、「機械に都合の悪い記憶」を消去されて。
反抗心を消され、牙を抜かれて、無害な子羊になってゆくけれど…。
(…あんな機械が出来る前から…)
人間の記憶は、消えてしまうことがあったんだよね、と思考を別の方へと向ける。
そうすれば、心が落ち着くから。
憎い機械を忘れてしまえば、心を乱さないで済むから。
(コールなんか、されてたまるもんか)
今回は無事に逃げてみせるさ、とマザー・イライザの幻影も心から切り捨てた。
そうしておいたら、思い出さずにいられて、心が波立つこともなくなる。
一種の現実逃避とはいえ、有効な手段であることは、既に経験済み。
(……心の中では、何を考えるのも自由だしね?)
それにコールもされやしないし、とクスリと笑う。
「ぼくは自由だ」と、「機械なんかに、簡単に支配されやしないよ」と。
そうは思っても、逆らえずに消されてしまった記憶。
成人検査でゴッソリ失くして、その後も、かなり消えたと思う。
なんとも憎い機械だけれども、機械が関与しなくても…。
(……記憶喪失……)
遠い昔から、そういう病があるらしい。
文字通り、記憶を失う病気。
病気と呼んでいいのかどうかは、医者ではないから、分からないけれど。
(大きなショックが引き金になって…)
頭の中から、記憶がストンと抜け落ちるのが、記憶喪失。
何もかも消えてしまうケースも、一部だけというケースもある。
(自分の名前も忘れてしまって、別人になって…)
知り合いにも見付けて貰えないまま、家から遠く離れた所で、長く暮らした例なども。
つまり、機械が関わらなくても…。
(…人間の脳は、何かのショックで…)
記憶を手放してしまう構造になっている。
そして、失くしてしまった記憶は…。
(…消えてしまったままで、戻らないこともあるけれど…)
記憶を失くした時と同じに、突然、戻ったりもする。
もちろん機械は何もしないし、治療の成果というわけでもない。
記憶が戻って来る仕組み自体も、今の時代でも、ハッキリ解明されてはいない。
(…精神的にショックを受けたり、同じような事故に遭ったりして…)
その衝撃で戻ることが多い、と言われてはいても、同じことをしても駄目な場合もある。
人間の脳はデリケートだから、計算通りにはいかないらしい。
機械が記憶を消したり植えたり、そういうことは容易く出来る世の中でも。
成人検査で記憶を消すのが、当たり前になっている時代でも。
(…機械は、まだまだ、人間に敵いやしないってね)
記憶喪失の患者も治せないようじゃ、とクッと喉を鳴らした。
「人間様の方が、ずっと上だよ」と、「機械も、人間が作ったんだから」と。
今も機械が「どうにも出来ない」、記憶喪失。
人間の脳は複雑すぎて、機械といえども、隅々までは把握出来ないから。
(…でもって、記憶を失くした人が…)
記憶を取り戻すことがあるなら、自分にも起こり得るかもしれない。
機械が消してしまった記憶が、記憶喪失の人と同じに…。
(何かのショックで、ある日、いきなり…)
全て戻って来る可能性だって、けしてゼロではないだろう。
機械によって「意図的に」引き起こされたものであっても、今の自分は…。
(昔だったら、記憶喪失みたいなもので…)
子供時代の記憶が欠落していて、両親の顔なども朧げなもの。
その状態で「大きなショック」を受けたら、その衝撃で…。
(思い出すかもしれないよね?)
故郷のこととか、パパとママの顔を、と顎に当てる手。
「出来るのかも」と、「有り得ないことでは、ないと思う」と。
もしも記憶が戻って来たなら、どんなに嬉しいことだろう。
どう頑張っても思い出せない大切な過去が、この手に戻って来たならば。
記憶喪失の人が「再び思い出す」ように、自分も思い出せたなら。
(…訓練の途中で、大事故に遭って…)
目の前が真っ暗になってしまって、ふと目覚めたら、頭の中に戻っている記憶。
Eー1077の医療センターの、ベッドの上で目を覚ましたら…。
「パパとママは、何処?」と、此処にはいない両親の姿を、探し求めるのに違いない。
記憶が戻って来ているのだから、一番に探すのは、誰よりも頼りになる両親。
(…でも、パパもママも、いなくって…)
ベッドも家のベッドではなくて、まるで全く違う場所。
それに気付いたら、とても悲しくなるだろうけれど…。
(…思い出せたんだ、って嬉しい気持ちも…)
きっと心で弾けると思う。
「ぼくの記憶が戻って来たよ」と、「パパとママの顔も思い出せたよ」と。
懐かしい故郷の風景だって、鮮やかに蘇っていることだろう。
今は全く思い出せない、家に帰ってゆくための道も。
(…ぼくの記憶が戻ったことを…)
マザー・イライザに気付かれたならば、全て、振り出しに戻ってしまう。
此処には、憎い成人検査用の機械、テラズ・ナンバー・ファイブは「いない」けれども…。
(……マザー・イライザだったら、アレと同じに……)
もう一度「成人検査」を施し、「シロエの記憶」を消すことだろう。
「偶然、取り戻してしまった記憶」は、機械にとっては「不要なもの」。
SD体制のシステムに向かない、不都合な「それ」。
だから「消す」のが「彼女」の役目で、元の通りに消されてしまう。
此処へ連れて来られた時と同じに、機械が残した記憶しか無い「シロエ」にされて。
(…そんなの、ぼくは御免だから…!)
機械にバレたら終わりだなんて、と肩をブルッと震わせた。
せっかく記憶が戻って来たのに、再び消されてしまうなんて、と。
(ぼくは、絶対に消させない…!)
バレないように、上手くやってみせる、と自信なら、ある。
意識を取り戻した直後だったら、「パパとママは?」と、キョロキョロしたって…。
(…しっかりと目が覚めたなら…)
自分が置かれた「今の状況」を、冷静に把握出来るだろう。
エリート候補生としての訓練、その数々は伊達ではない。
精神的にも鍛えられるから、意識が明瞭になるまでの時間も短い筈。
(そうしたら、直ぐに…)
朦朧としていた時の「自分の言動」、それらを「無かったことにする」。
医師や看護師が訝しんでいたら、「大丈夫、何でもありません」と。
「おかしなことでも言いましたか?」と、「少し、混乱していたようです」と。
(…今だって、夢を見ている時は…)
ちゃんと両親が出て来るのだから、意識を失くした間に「見ても」おかしくはない。
医師も看護師も、それで納得するだろう。
「両親の夢を見ていたんだな」と、「それで、探してしまったわけか」と。
まさか「記憶を取り戻した」なんて、彼らも、思いはしないだろう。
そんなケースは、きっと多くはないだろうから。
あったとしたって、その後の言動、それでアッサリ、バレるのが普通。
エリート候補生とは違う一般人なら、その場で咄嗟に「取り繕う」ことは出来ないから。
自分なら、上手くやれると思う。
運良く、記憶が戻った時は。
事故のショックで、過去の全てを思い出せたら。
(記憶が戻るくらいの事故なら、ぼくの身体も…)
酷いダメージを受けてしまって、もう「エリート候補生」は務まらないかもしれない。
足が片方、動かないとか、腕が一本、無かったりとか。
(それくらいで済めばいいけれど…)
重度の麻痺が残ってしまって、一生、車椅子かもしれない。
そういう身体になってしまったら、一般市民の道に行っても、制約を受けることだろう。
子供を育てる養父にはなれず、教師くらいしか出来ないだとか。
(でも、そうなっても…)
車椅子でしか動けなくても、腕が一本無くなっていても、きっと自分は後悔はしない。
「事故に遭う前に戻りたいよ」と、嘆く日々など、絶対に来ない。
車椅子の身になってしまっては、会いに行くことさえ叶わなくても…。
(…パパもママも、ちゃんと覚えているから…)
機械に知られてしまわないよう、隠し続けて生きるしかなくても、持っている記憶。
両親の顔も、故郷の家も、朧ではなくて、しっかりと。
子供時代の記憶さえあれば、息を引き取る時が来るまで、心は幸せに羽ばたいてゆける。
「シロエ」は「シロエ」に戻れたから。
二度と会うことは叶わなくても、懐かしい両親を鮮やかに思い出せるから。
(…もしも、そういう事故に遭ったら…)
幸せだよね、と思うけれども、こればかりは運。
けれど、記憶が戻ったならば…。
(ぼくは必ず、上手くやるよ)
また消すなんて、させやしない、と夢に見る未来。
身体の自由を奪われようとも、心が自由な方がいいから。
メンバーズになることは出来なくなっても、記憶が戻ってくれるのならば、と…。
思い出せたら・了
※SD体制の時代でも、サムを治すことは不可能。だったら、記憶喪失も、と思ったわけで…。
シロエの記憶が、勝手に戻ってしまう可能性もあるよね、という所から生まれたお話。
今だって、消され続けているけれど、とシロエが睨み付けた先。
Eー1077で与えられた個室は、マザー・イライザに監視されている。
部屋にいる時は、恐らく、常に。
普段は何も起こらなくても、心を乱せば、彼女の幻影が現れるから。
「どうしました?」と、猫なで声で。
さっきも、そんな風に出て来て、優し気な笑みを湛えていた。
「迷いがあるなら、導きましょう」と、「いつでも、待っていますからね」と。
慈母の言葉のようだけれども、それは警告。
心が乱れたままでいたなら、たちまちコールされるだろう。
(…コールされたら、ぼくの中から、また何か…)
大切な記憶が消えていくんだ、と唇を強く噛み締める。
「ぼくは嫌だ」と、「忘れたくない」と。
(あれが、機械のやり口で…)
このステーションで暮らす候補生たちは、おとなしい羊にされてゆく。
成人検査でも消えずに残った、「機械に都合の悪い記憶」を消去されて。
反抗心を消され、牙を抜かれて、無害な子羊になってゆくけれど…。
(…あんな機械が出来る前から…)
人間の記憶は、消えてしまうことがあったんだよね、と思考を別の方へと向ける。
そうすれば、心が落ち着くから。
憎い機械を忘れてしまえば、心を乱さないで済むから。
(コールなんか、されてたまるもんか)
今回は無事に逃げてみせるさ、とマザー・イライザの幻影も心から切り捨てた。
そうしておいたら、思い出さずにいられて、心が波立つこともなくなる。
一種の現実逃避とはいえ、有効な手段であることは、既に経験済み。
(……心の中では、何を考えるのも自由だしね?)
それにコールもされやしないし、とクスリと笑う。
「ぼくは自由だ」と、「機械なんかに、簡単に支配されやしないよ」と。
そうは思っても、逆らえずに消されてしまった記憶。
成人検査でゴッソリ失くして、その後も、かなり消えたと思う。
なんとも憎い機械だけれども、機械が関与しなくても…。
(……記憶喪失……)
遠い昔から、そういう病があるらしい。
文字通り、記憶を失う病気。
病気と呼んでいいのかどうかは、医者ではないから、分からないけれど。
(大きなショックが引き金になって…)
頭の中から、記憶がストンと抜け落ちるのが、記憶喪失。
何もかも消えてしまうケースも、一部だけというケースもある。
(自分の名前も忘れてしまって、別人になって…)
知り合いにも見付けて貰えないまま、家から遠く離れた所で、長く暮らした例なども。
つまり、機械が関わらなくても…。
(…人間の脳は、何かのショックで…)
記憶を手放してしまう構造になっている。
そして、失くしてしまった記憶は…。
(…消えてしまったままで、戻らないこともあるけれど…)
記憶を失くした時と同じに、突然、戻ったりもする。
もちろん機械は何もしないし、治療の成果というわけでもない。
記憶が戻って来る仕組み自体も、今の時代でも、ハッキリ解明されてはいない。
(…精神的にショックを受けたり、同じような事故に遭ったりして…)
その衝撃で戻ることが多い、と言われてはいても、同じことをしても駄目な場合もある。
人間の脳はデリケートだから、計算通りにはいかないらしい。
機械が記憶を消したり植えたり、そういうことは容易く出来る世の中でも。
成人検査で記憶を消すのが、当たり前になっている時代でも。
(…機械は、まだまだ、人間に敵いやしないってね)
記憶喪失の患者も治せないようじゃ、とクッと喉を鳴らした。
「人間様の方が、ずっと上だよ」と、「機械も、人間が作ったんだから」と。
今も機械が「どうにも出来ない」、記憶喪失。
人間の脳は複雑すぎて、機械といえども、隅々までは把握出来ないから。
(…でもって、記憶を失くした人が…)
記憶を取り戻すことがあるなら、自分にも起こり得るかもしれない。
機械が消してしまった記憶が、記憶喪失の人と同じに…。
(何かのショックで、ある日、いきなり…)
全て戻って来る可能性だって、けしてゼロではないだろう。
機械によって「意図的に」引き起こされたものであっても、今の自分は…。
(昔だったら、記憶喪失みたいなもので…)
子供時代の記憶が欠落していて、両親の顔なども朧げなもの。
その状態で「大きなショック」を受けたら、その衝撃で…。
(思い出すかもしれないよね?)
故郷のこととか、パパとママの顔を、と顎に当てる手。
「出来るのかも」と、「有り得ないことでは、ないと思う」と。
もしも記憶が戻って来たなら、どんなに嬉しいことだろう。
どう頑張っても思い出せない大切な過去が、この手に戻って来たならば。
記憶喪失の人が「再び思い出す」ように、自分も思い出せたなら。
(…訓練の途中で、大事故に遭って…)
目の前が真っ暗になってしまって、ふと目覚めたら、頭の中に戻っている記憶。
Eー1077の医療センターの、ベッドの上で目を覚ましたら…。
「パパとママは、何処?」と、此処にはいない両親の姿を、探し求めるのに違いない。
記憶が戻って来ているのだから、一番に探すのは、誰よりも頼りになる両親。
(…でも、パパもママも、いなくって…)
ベッドも家のベッドではなくて、まるで全く違う場所。
それに気付いたら、とても悲しくなるだろうけれど…。
(…思い出せたんだ、って嬉しい気持ちも…)
きっと心で弾けると思う。
「ぼくの記憶が戻って来たよ」と、「パパとママの顔も思い出せたよ」と。
懐かしい故郷の風景だって、鮮やかに蘇っていることだろう。
今は全く思い出せない、家に帰ってゆくための道も。
(…ぼくの記憶が戻ったことを…)
マザー・イライザに気付かれたならば、全て、振り出しに戻ってしまう。
此処には、憎い成人検査用の機械、テラズ・ナンバー・ファイブは「いない」けれども…。
(……マザー・イライザだったら、アレと同じに……)
もう一度「成人検査」を施し、「シロエの記憶」を消すことだろう。
「偶然、取り戻してしまった記憶」は、機械にとっては「不要なもの」。
SD体制のシステムに向かない、不都合な「それ」。
だから「消す」のが「彼女」の役目で、元の通りに消されてしまう。
此処へ連れて来られた時と同じに、機械が残した記憶しか無い「シロエ」にされて。
(…そんなの、ぼくは御免だから…!)
機械にバレたら終わりだなんて、と肩をブルッと震わせた。
せっかく記憶が戻って来たのに、再び消されてしまうなんて、と。
(ぼくは、絶対に消させない…!)
バレないように、上手くやってみせる、と自信なら、ある。
意識を取り戻した直後だったら、「パパとママは?」と、キョロキョロしたって…。
(…しっかりと目が覚めたなら…)
自分が置かれた「今の状況」を、冷静に把握出来るだろう。
エリート候補生としての訓練、その数々は伊達ではない。
精神的にも鍛えられるから、意識が明瞭になるまでの時間も短い筈。
(そうしたら、直ぐに…)
朦朧としていた時の「自分の言動」、それらを「無かったことにする」。
医師や看護師が訝しんでいたら、「大丈夫、何でもありません」と。
「おかしなことでも言いましたか?」と、「少し、混乱していたようです」と。
(…今だって、夢を見ている時は…)
ちゃんと両親が出て来るのだから、意識を失くした間に「見ても」おかしくはない。
医師も看護師も、それで納得するだろう。
「両親の夢を見ていたんだな」と、「それで、探してしまったわけか」と。
まさか「記憶を取り戻した」なんて、彼らも、思いはしないだろう。
そんなケースは、きっと多くはないだろうから。
あったとしたって、その後の言動、それでアッサリ、バレるのが普通。
エリート候補生とは違う一般人なら、その場で咄嗟に「取り繕う」ことは出来ないから。
自分なら、上手くやれると思う。
運良く、記憶が戻った時は。
事故のショックで、過去の全てを思い出せたら。
(記憶が戻るくらいの事故なら、ぼくの身体も…)
酷いダメージを受けてしまって、もう「エリート候補生」は務まらないかもしれない。
足が片方、動かないとか、腕が一本、無かったりとか。
(それくらいで済めばいいけれど…)
重度の麻痺が残ってしまって、一生、車椅子かもしれない。
そういう身体になってしまったら、一般市民の道に行っても、制約を受けることだろう。
子供を育てる養父にはなれず、教師くらいしか出来ないだとか。
(でも、そうなっても…)
車椅子でしか動けなくても、腕が一本無くなっていても、きっと自分は後悔はしない。
「事故に遭う前に戻りたいよ」と、嘆く日々など、絶対に来ない。
車椅子の身になってしまっては、会いに行くことさえ叶わなくても…。
(…パパもママも、ちゃんと覚えているから…)
機械に知られてしまわないよう、隠し続けて生きるしかなくても、持っている記憶。
両親の顔も、故郷の家も、朧ではなくて、しっかりと。
子供時代の記憶さえあれば、息を引き取る時が来るまで、心は幸せに羽ばたいてゆける。
「シロエ」は「シロエ」に戻れたから。
二度と会うことは叶わなくても、懐かしい両親を鮮やかに思い出せるから。
(…もしも、そういう事故に遭ったら…)
幸せだよね、と思うけれども、こればかりは運。
けれど、記憶が戻ったならば…。
(ぼくは必ず、上手くやるよ)
また消すなんて、させやしない、と夢に見る未来。
身体の自由を奪われようとも、心が自由な方がいいから。
メンバーズになることは出来なくなっても、記憶が戻ってくれるのならば、と…。
思い出せたら・了
※SD体制の時代でも、サムを治すことは不可能。だったら、記憶喪失も、と思ったわけで…。
シロエの記憶が、勝手に戻ってしまう可能性もあるよね、という所から生まれたお話。