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「バースデープレゼントだ。やるよ」
 お前、凄く欲しがってただろ。俺の名前、入ってるけど…。
 そう言ってサムが渡してくれたプレゼント。
 ドリームワールドの百周年記念パス。
 「俺たち、ずっと友達だぜ」と、「大人になって、また会えるといいな」と。
(ずっと友達…)
 それが本当ならいいんだけど、とジョミーがついた大きな溜息。
 帰り着いた家で、自分の部屋で。
 明日の今頃には、もういない部屋。二度と戻って来られない部屋。


 「成人検査でいい結果が出ることを祈っているわ」と、スウェナが贈ってくれたキス。
 「グッドラック」と。
 そしてサムからは、ずっと欲しかったドリームワールドの百周年記念パス。
(…二人とも、きっと正しい筈で…)
 何も間違ってはいないと思う。
 明日は目覚めの日で、十四歳の誕生日。
 その日になったら、大人の世界へ向けて旅立つと教えられた日。
 いつも通った学校の教室、一人、二人と減っていった生徒。
 持ち主が消えてしまった机。
 誰もおかしいと思いはしなくて、それが普通だと思っていて。
(…自分の番が来るのを、待ってる奴だって…)
 珍しくないし、サムもスウェナも、多分、待ち侘びているのだろう。
 彼らの机が空になる日を、目覚めの日が彼らに訪れるのを。


(グッドラックって言われても…)
 どう幸運を祈ると言うのか、明日になったら戻れないのに。
 今日まで両親と暮らして来た家、自分のものだと信じていた部屋。
 どちらにも、もう戻れはしない。
 考えるほどに寂しいばかりで、不幸だとしか思えない明日と、明日行われる成人検査と。
(…今朝はこんなじゃなかったのに…)
 ここまで酷くはなかったと思う、父の言葉が嬉しかったから。
 早めに帰るよ、と笑顔で仕事に出掛けた父。
 「目覚めの日の前祝いだ」と、「みんなでパーティーでもしよう」と。
 あの時は本当に嬉しかったから、「やった!」と叫んでしまったけれど。
 心が躍っていたのだけれども、そのパーティー。
(…お別れパーティー…)
 そうなるのだった、考えてみれば。
 両親と一緒の最後のパーティー、次にパーティーがあるとしたなら…。
(…何処になるわけ?)
 それすらも分からないのが今。
 きっと誰にも答えられない、次のパーティーの場所などは。


 サムには「性格に問題ありすぎ」と笑われてしまった、メンバーズ。
 それを目指してエリートコースに進んで行くなら、次のパーティーはそういう所。
 両親のような一般人になるのだったら、そうしたコースの何処かでパーティー。
 他にもコースはあると聞いたし、もう本当に分からない。
 明日の今頃、自分が何処にいるのかは。
 次のパーティーに出るとしたなら、その場所が何処になるのかは。
(…こんなので、ずっと友達だなんて…)
 サムの顔には「約束だぜ」と書いてあったのだけれど。
 本当にそうだと信じているから、プレゼントを渡してくれたのだけれど。
(…これだって…)
 あの時は嬉しかったけれども、今、眺めたら不安でしかない。
 ブレスレットの形をしている、ずっと欲しかった記念パス。
 サムの名前が入ったそれ。
(…これだと、腕に嵌められるから…)
 成人検査の時も着けて行けるし、そのまま持って旅立って行ける。大人の世界へ。
 もう間違いなく、そこまできちんと考えてくれてのプレゼント。
 目覚めの日には、荷物を持っては出られないから。
 そういう決まりになっているから。


(…他のものは全部…)
 駄目なんだった、と見回した部屋に、幾つも思い出。
 家族写真のフォトフレームやら、本やら、壁に飾ったポスター。
 アルバムだって持って行けない、この部屋に置いて出掛けるしかない。
(また見たいって気分になっても…)
 家に戻って見られはしないし、全てに別れを告げるしかなくて。
 そんな状況に追い込まれる日に、どうして「グッドラック」なのか。
 前祝いに「お別れパーティー」なのか。
(大人になっても、ずっと友達…)
 サムの言葉が本当だったら、両親もずっと両親だろうと思うのに。
 どうやらそれは違うらしくて、明日でお別れらしいから。
 なんとも不安で、寂しくて。
 考えるほどに怖くなるから、明日など要らない気持ちさえする。
 朝は「やった!」と叫んでしまった、パーティーさえも。
 お別れパーティーになるくらいならば、パーティーなどは無くていいから。
 普段通りの食事でいいから…。


(時間、止まってくれないかな…)
 明日の誕生日は来ないままで。
 いつまでも今日を繰り返せたらいい、平凡な日でかまわないから。
 パーティーも、あんなに欲しいと思った百周年記念パスも要らないから。
(明日の誕生日…)
 消えてなくなれ、と呪文を唱えたい気分。
 それで誕生日が消えるなら。明日という日が来なくなるなら。
 明日なんか、消えてしまえばいい。
 誕生日なんか、来なくてもいい。
(大人になっても、ずっとパパとママの子供でいられないなら…)
 そんな日なんか、消えてなくなってしまえばいい。
 ずっと今日だけを繰り返せばいい、時間が止まってしまえばいい。
 パーティーなんか、要らないから。
 御馳走も、ドリームワールドの百周年記念パスも、何も欲しいと思わないから…。

 

       要らない誕生日・了

※「成人検査の日に荷物は駄目」が基本設定になっちまった、と自分に溜息。
 ジョミーとシロエは対らしいんですよね、アニテラが作られるよりもずっと前から…!





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「スウェナが決めたことだ。仕方ない」
 その言葉の何処が悪かったのか。
「あなたには分かってなんか貰えないわよね」
 スウェナは言うなり去ってしまって、サムも肩まで震わせて怒った。
 「他に言い方あるだろう」と。
 「仕方がないって…。仕方がないって、何なんだよ!」と。
(スウェナの気持ち…?)
 お前には分かんねえのかよ、と言い捨てて走り去ったサム。
 まるで分からない、自分の何処が悪かったのか。
 何処がいけなかったというのか、自分の、キース・アニアンの…?


 どうして、と一人ポツンと残されたテーブル。
 いつも三人でやってきた、というサムの言葉は分かるけれども。
 こうして一人で残されてみたら、三人と一人が違うことくらいは分かるけれども。
(…何を分かれと…?)
 本当にまるで分からない、と一人考え込むしかなかった。
 スウェナの気持ちとは、何のことだろう?
 他の言い方とは何のことだろう、自分は何を間違えたのか。
 いったい何が悪かったのか…。


「ふられましたね、キース先輩。…聞こえてましたよ」
 そこ、空いてますか、と現れたシロエ。
 どういう風の吹き回しなのか、手にしたトレイに二つのカップ。
 「キース先輩はコーヒーですよね?」と目の前に一つ、コトリと置かれた。
 さっきまでスウェナが座っていた場所、其処には別のカップが一つ。
 そしてストンと腰掛けたシロエ、「これ、ぼくのお気に入りなんです」と。
(…シナモンミルク…?)
 そういう好みだったのか、とシロエのカップを眺めていたら。
「あなたには分からないんでしょうね、この意味だって」
 謎かけのようにシロエが口にした言葉。
 またも耳にした「分からない」という響きの声。
 自分は何を分かっていないと、サムは、スウェナは言ったのだろうか。
 シロエも同じに言うのだろうか、「分からないんでしょうね」と。


 今日の自分はどうかしている、思考が上手くいかないらしい。
 昨夜、眠りが浅かったろうか?
 そのくらいのことしか思い付かない、頭が働かない理由としては。
「ふうん…? あなたらしくもないですね」
 だんまりなんて、と唇を笑みの形に歪めたシロエ。
 「やっぱり、あなたは分かっていない」と。
「…何が分かっていないと言うんだ?」
 何故だか、自然と口にしていた。
 下級生のシロエに分かるわけがない、とは何故か少しも思わなかった。
「そうですね…。例えば、ぼくのカップの中身」
「シナモンミルクがどうかしたのか?」
「ほらね、分かっていないんですよ。…お気に入りだと言いましたよね、ぼくは?」
 お気に入りの意味も分かっていない、とシロエは笑った。
 さも可笑しそうに。


(お気に入りだと…?)
 そのくらいは分かる、「お気に入り」の意味は。
 気に入っていると、好物なのだと分からないほどに、馬鹿でも無知でもないのだから。
「いや、分かるが…。好きなのだろう、それが?」
 その飲み物が、と至極真面目に答えたのだけれど。
 シロエはますます笑うだけだった、面白い見世物を見たかのように。
 「機械の申し子でも分からないことがあるんですね」と、前に聞いた言葉を繰り返して。
「いえ、機械の申し子だからこそ、分からないのかな…。これも前にも言いましたっけ」
 他に適切な言い回しが無いものですから、と皮肉に満ちたシロエの声音。
 「これでも頭はいいんですけど、言葉の数にも限りがあって」と。
「…キース先輩、あなたは分かっていないんですよ。簡単なことが」
 お気に入りだとか、好きだとか。
 そういう言葉に詰まった感情、あなたはそれを読み取れない。
 読み解く力を持っていないと言えばいいかな、ぼくには出来るんですけどね…?


 分かりませんか、とシナモンミルクを口に運ぶシロエ。
「これね、ただのシナモンミルクじゃないんです。…マヌカが多めなんですよ」
「…マヌカ・ハニーが好きなのか」
 なるほど、と理解したのだけれども、シロエはクッと喉を鳴らした。
「流石ですね、知識はありますか…。でも、そこまでしか分からないでしょう?」
 あなたに出来るのは其処までですよ、とシロエが傾けているカップ。
(…何が分からないと…?)
 自分は正しく理解し、答えたと思う。
 シロエが蜂蜜を好むらしいことを、それもマヌカの蜂蜜らしい、と。
 なのにシロエは、「あなたには分からない」と挑戦的な瞳を向けてくる。
 シナモンミルクが入ったカップを傾けながら。
 本当に何が分かっていないのだろうか、考えるほどに解けないパズル。
 踏み込んでしまった思考の迷宮、「分からない」という言葉が分からない。
 いったい自分はどうしたのだろう、何にでも答えはあるものなのに。
 どんな時でも正しく思考し、正しい答えを弾き出すのに。


 それじゃ、とシロエが立ち上がる時に、ニッと笑って投げ掛けた言葉。
「キース先輩、あなたには欠けているんですよ」
 誰にでもある筈の感情が…、ね。
 やっぱり機械の申し子だからかな、あなたの心は機械仕掛けになってるのかな…?
(…欠けているだと…?)
 何が、と見詰めた自分の両手。
 完璧な筈の自分に何が欠けているのか、感情だってあるというのに。
 こうして途惑い、シロエが残した言葉に波立つ心は、確かに自分のものなのに。
 いったい何が欠けているのか、そう言われても分からない。
(…まただ…)
 また「分からない」という言葉に出会った、あの迷宮に閉じ込められた。
 謎かけのような言葉のパズルに、自分には解けないパズルの檻に。


(…欠けているから分からない…?)
 シロエの言葉がぐるぐると回る、自分の部屋に帰った後も。
 ベッドに横になった後にも、絡んだままで縺れたパズル。
 「分からない」という言葉の迷宮、どうすればこれが解けるのか。
(…いったい何が…)
 欠けているのか、そのせいで分からないのだろうか。
 明日になったら解けるのだろうか、一晩眠って、思考がクリアになったなら…。


「…前日の記憶消去、四十パーセントまで完了」
 この作業だけは何度やっても嫌なもんだな、と愚痴を零し合う職員たち。
 モニターに映し出された人影の中に、眠るキースと、シロエの姿と。
 指示を下したマザー・イライザ、機械の思考はいつも正しい。
(…今日のは少し早すぎました。忘れなさい、キース…)
 次の機会があるでしょうから、とマザー・イライザは優しく微笑む。
 「あなたの心は、私が正しく導きましょう」と。
 シロエと話したことは全て忘れておしまいなさいと、シロエの記憶も消しましたから、と…。

 

        早すぎた語らい・了

※やっちまった感が半端ないな、と思ってしまう記憶処理ネタ。本当にあったかもですが。
 「マヌカの呪文」を読んで下さった方には、シロエの嫌味が美味しいかも…?





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(ぼくの本…)
 ちゃんと此処まで持って来られた、とシロエがギュッと抱き締めた本。
 ステーション、E-1077。
 選ばれた一部のエリートだけが来られる場所だと説明された。
 此処へ来る途中の船の中で。
 ステーションに着いたら、エリート候補生に相応しく行動するように、と。
(…そんなの、ぼくには関係ない…)
 エリートだろうが、一般人向けのステーションだろうが。
 一緒の船で着いた者たち、彼らは喜んでいたけれど。
 素晴らしい場所に来ることが出来たと、憧れの地球が近くなったと。


 宇宙港で船を降りた彼らは、何も持ってはいなかった。
 成人検査の規則通りに、荷物は一つも持たずに家を出たのだろう。
(…何もかも置いて来たヤツばかり…)
 荷物も、それに大切な物も。
 かけがえのない記憶、養父母と過ごした日々の思い出。
 それを素直に手放してしまい、機械の言うなりになった者たち。
 …自分も偉そうなことは言えないけれど。
 かなりの記憶を消されてしまって、曖昧になってしまったけれど。
(でも、ぼくの本は…)
 こうして今も手の中にある。
 幼い時から何度も何度も、繰り返し読んだピーターパンの本。
 これだけは置いて来られなかった。
 規則なのだと言われても。
 両親に困った顔をされても。


 成人検査があんなものだとは知らなかったけれど、自分は賢明だったと思う。
 宝物の本を鞄に詰め込み、大切に持って家を出たこと。
 お蔭で記憶を失くさずに済んだ、ピーターパンの本に詰まった記憶は。
 顔がぼやけてしまった両親、けれど今でも覚えている。
 この本をソファで読んでいた時、「もっといい所へ行けるよ」と教えてくれた父。
 ネバーランドよりも素敵な地球へ、と。
 父は自分を抱き上げてくれた、両腕で高く差し上げてくれた。
 ピーターパンの本を持った幼い自分を、「ただいま、シロエ」と、高く、高く。
 キッチンにいた母とも何度も話した、この大切な本を読みながら。
 幾つも、幾つも、思い出の欠片。
 幼かった自分が幸せな日々を、温かな日々を過ごしていた。
 ピーターパンの本と一緒に、大好きだった父と母も一緒に、遠くなってしまった懐かしい家で。


 失くさなかった、と両腕で強く胸に抱き締める、宝物の本を。
 自分の記憶を繋ぎ止めてくれた、あの家の思い出が詰まった本を。
 もう離さないと、離れないと。
 二度とこの本を離しはすまいと、何処までも、いつまでも一緒だからと。
(…誰にも渡さないんだから…)
 触らせだってしないんだから、とキッと睨んだ側に来た大人。
 部屋はこちらだと案内しに来た、教育ステーションの職員の一人。
 絶対に渡してたまるものかと。
 もう絶対に騙されはしないと、成人検査の二の舞になってはならないと。


 そうして案内された部屋。
 一人に一つずつ、あてがわれた個室。
 まるで馴染みの無い部屋だけれど、今日からは此処で暮らすしかない。
 この部屋で生きてゆくしかない。
(…だけど、この本は持って来たから…)
 大切な宝物の本。
 思い出が幾つも詰まっている本。
 この本を部屋に置いておいたら、もう一度築き直せるだろう。
 何度も何度も読んでいたなら、記憶の欠片もいつか組み立て直せるだろう。
 ネバーランドへ行こうと夢見た自分を、今も忘れていないから。
 本をしっかりと抱え直したら、あの思い出が蘇るから。
 何処かぼやけてしまっていても。
 頼りなく、儚く消えそうなほどに、細く危うく揺らめいていても。


(此処がぼくの部屋…)
 全く馴染みが無い部屋だけれど、また最初から作り直そう。
 ピーターパンの本を繰り返し読んで、記憶の欠片を組み立ててゆこう。
 気の遠くなるような作業だけれども、自分は皆と違うのだから。
 機械が書き換えてしまった偽の記憶を、素直に信じはしないのだから。
(…負けてたまるもんか…)
 二度と負けない、機械などには。
 此処まで自分を乗せて着た船、あれで一緒に来た者のように機械の言いなりなどにはならない。
 いつか必ず、何もかもきっと取り戻す。
 父の記憶も母の記憶も、自分が育った家の記憶も。
 此処まで持って来た大切な本が、きっと助けてくれるから。
 宝物の本に詰まった思い出、それが自分の戦う力になるだろうから。


 ぼくは負けない、と大切な本を部屋にあった勉強机に置いた。
 多分、勉強机なのだと思える机。
 記憶の彼方に微かに残った、自分のものとは違ったけれど。
 両親と暮らした家で使った机とは違っていたけれど。
(今日からは、此処で暮らすんだから…)
 そしていつかは、この本と一緒に全て取り戻して帰ってゆこう。
 父と母とが住んでいる家へ、自分が育ったエネルゲイアへ。
 その日まで、本を失くさないように。
 誰かに盗られてしまわないように。
(…名前、書かなきゃ…)
 ぼくの本だ、と初めて本に書き込んだ名前。
 セキ・レイ・シロエと、ぼくのものだと、机に置かれていたペンで。


 この本と一緒に、いつまでも、何処までも戦ってゆこう。
 いつか記憶を取り戻す日まで。
 懐かしい家に帰れる日まで。
 ちゃんと名前を書いておいたから、もう大丈夫。
 誰かに盗られてしまうことはなくて、自分一人だけの宝物。
 セキ・レイ・シロエと、ペンできちんと書いたから。
 きっといつかは、本を抱えて帰ってゆこう。
 山ほどの思い出と記憶を抱えて、全部取り戻して帰ってゆこう。
 大好きだった家へ。
 父と母とが住んでいる家へ、ネバーランドへ、地球へ行こうと何度も夢を描いた家へ…。

 

       名前を書いた本・了

※ピーターパンの本に書いてあったシロエの名前。文字がやたらと綺麗だったな、と。
 子供の字にしては綺麗すぎです、それとも書道をやってましたか?





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「あと、シナモンミルクも。マヌカ多めにね」
 教育ステーションの朝の食堂、そう注文をしたシロエ。
 トレイの上に置いてゆかれるトーストやサラダ。それに…。
 最後にコトリとカップが一つ。シナモンの入ったホットミルク。
(…今日も言えた…)
 覚えていた、と手に持ったトレイ。
 空いた席はと、人の少ないスペースに向かう。
 誰にも邪魔をされたくないから、朝食はいつも一人きりで。
 声を掛けられても、無視するだけ。
(キースなら話は別だけれどね)
 他の連中はお断りだ、と座った席。望み通りに一人のテーブル。


 朝食のメニューは色々だけれど、その日の気分で変えるのだけれど。
 まるで何かの呪文のように口にするのが、シナモンミルク。
 「マヌカ多めに」と付け加えるのも忘れずに。
 初めてこれを頼んだ時には、心が震えた。
 「覚えていた」と。
 やっと一つだけ取り戻せたと、二度と忘れてはならないと。
 多分、自分が好きだったものの一つだから。
 そうでなければ母のお勧め、もしくは父のお気に入り。
 いずれにしたって、あの家にあった飲み物の一つ。
 目覚めの日までの十四年間を過ごした、両親の家に。
 雲海の星、アルテメシアの、エネルゲイアで暮らした家に。


 今ではまるでピンと来ない星、ぼやけてしまったアルテメシアにエネルゲイア。
 それと同じにぼやけた両親、どうしても思い出せない顔。
 あの日を境に過去を失くした、宝物だったピーターパンの本を除いて。
 持っては行けない筈の荷物を用意してまで、本だけは持って来られたけれど。
 ステーションまで持ち込めたけれど、他の記憶は霞んでしまった。
(全部、消された…)
 機械に都合のいいように。「忘れなさい」という冷たい声で。
 落として失くしてしまった過去。
 両親の顔や、暮らした家や。
 取り戻したくて、何度も本のページをめくった、ピーターパンの。
 何処かに欠片が落ちていないかと、手掛かりになりはしないかと。


 そうやって懸命にもがいていた中、ある朝、空から降って来た欠片。
 ステーションに空は無いけれど。
 見上げても、宇宙があるだけだけれど。
 けれども、それは本当に空から降って来たとしか思えなかった。
 「シナモンミルク、マヌカ多めに」。
 朝の食堂、自分の前でそう注文をした候補生。
 雷に打たれたような気がした、その瞬間に。
 何かが身体を貫いていった、「自分はこれを何処かで聞いた」と。
 シナモンミルクの方はともかく、「マヌカ多めに」とは何だろう?
 分からないままに注文してみた、自分の番が来た時に。
 さっきの候補生と同じ口調で、さも慣れた風に。
 「シナモンミルク、マヌカ多めに」と。


 口に出した途端、震えた身体。
 全身の細胞が「これだ」と叫んだ、「自分はこれを知っていた」と。
 シナモンミルクにはマヌカ多めに、これはそういうものだったのだ、と。
 マヌカが何かは謎だけれども、自分は確かに知っていた筈。
 逸る心を懸命に抑え、見ていた先。
 係の女性が手に取った瓶で、蜂蜜だったと思い出した。マヌカは蜂蜜の名前だった、と。
 もう間違いなく記憶の欠片で、かつて自分が持っていたもの。
 嬉しさのあまり叫び出したくなるのを堪えて、やっと席まで運んだトレイ。
 蜂蜜入りのホットミルクを、胸を高鳴らせて飲んでみた。
 もっと記憶が戻らないかと、何か覚えていはしないかと。


(結局、あれっきりだけど…)
 マヌカ多めのシナモンミルクは、少し癖のある優しい味で。
 懐かしい味に思えたけれども、舌に記憶は戻らなかった。
 機械に消されてしまった記憶は、そう簡単にはきっと戻って来ないのだろう。
 幼い自分が飲んでいたのか、それとも父の気に入りだったか。
 母がマヌカを「多めがいいのよ」と入れてくれたか、それすらも今は思い出せない。
 ただ、あの家にあったというだけ、誰かがそれを好んでいただけ。
 「シナモンミルク、マヌカ多めに」と。
 その通りの言葉で言っていたのか、何処か違ったかは分からないけれど。
 確かにあった、と思い出したから、忘れないように呪文を唱える。
 朝の食事を頼む時には、「好物なんです」という顔をして。
 「シナモンミルクも。マヌカ多めにね」と、きちんと自分らしい言い回しで。


 今日も忘れてはいなかった。
 魔法の呪文を、あの日、空から降って来てくれた、大切な記憶の欠片のことを。
 ちゃんと頼めた、いつものように。
 シナモンミルクを、マヌカ多めのホットミルクを。
(…キース、あなたには分かるわけがない)
 この注文の意味も、どうして自分がこだわるのかも。
 呪文を唱えるように頼む意味さえ、きっとキースには分からない。
 だから、機会があったなら。


(キースだったら、一緒に食べてもいいんだけどね?)
 過去の記憶を持っていないらしい機械の申し子、キースとならば。
 彼が持たない過去というものを、自分は一つ取り戻したから。
 そう、彼にならば自慢してみたい。
 けして口には出さないけれども、優越感に浸ってみたい。
 自分は思い出したから。機械に消された記憶の欠片を、今もこうして持っているから。
(シナモンミルク、マヌカ多めに…)
 それを好んだのが誰だったのかは、未だに思い出せないけれど。
 自分だったか、母なのか、父か、それすらも今は謎なのだけれど…。

 

         マヌカの呪文・了

※「シナモンミルク、マヌカ多め」を耳にしてから8年経ったら、こうなったオチ。
 あの時は「通だな」と思っていたのに、どう間違えたら「魔法の呪文」に…?





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「マザーには選りすぐりを、と上申したが…」
 見た顔も多いな、とキースが見渡した国家騎士団所属の新たな部下たち。
 補佐官を拝命したと名乗ったセルジュ・スタージョンはもちろん、他にも大勢。
 けれど、中でも…。
「以後、スローターハウス作戦の指揮権は少佐に。ご無沙汰しております、アニアン教官」
 セルジュの隣に進み出た男。長身で眼鏡のパスカル・ヴォグ。
(…此処まで来たか)
 顔には出さなかったけれども、フッと心の中で笑った。
(面白い顔ぶれになりそうだ…)
 マツカもそうだが、無精髭の男。
 きっと面白くなることだろう。
 …このスローターハウス作戦は、な…。


 マツカに着替えを取りに行かせて、引き揚げた部屋。
 其処でさっきの男を思った、無精髭を生やしたパスカル・ヴォグ。
 階級は少尉、ヴォグ少尉の名前は知っている。
 補佐官のセルジュには、「貴様は?」と尋ねた自分だけれど。
 他の者たちも顔を覚えているという程度で、名前とは一致しないのだけれど。
(…いくらメンバーズでも、いちいち覚えていられるものか)
 面倒な、と自分で淹れたコーヒー。
 着替えが未だに見付からないのか、マツカはやって来ないから。
 けれど、「面倒な」という言葉はマツカに向けたものではなくて。
 向けた相手は自分の頭脳で、「教え子など覚えていられるか」の意味。
 星の数ほど教えたのだし、第一、覚える必要も無い。
 大抵の者は自分の所へ辿り着くことすら出来ないから。
 よほど優秀な者でなければ、自分の部下など務まらないから。


 訓練課程を終えた後には、恐らくは二度と出会わないだろう教え子たち。
 頭の片隅であっても記憶に留めておくのさえ無駄で、顔だけ覚えておけば充分。
 いつか何処かで部下になるような者がいたなら、「あの時の奴か」と分かれば充分。
 そうして多くの者たちを忘れ、気にも留めてはいなかったけれど。
(パスカルか…)
 やはり来たか、という印象。
 ついに私の所まで、と。
(…あいつなら来ると思っていたが…)
 思った以上に早く来たな、と唇に微かに浮かべた笑み。
 パスカルならば、きっと上手くやってくれることだろう。
 スローターハウス作戦には欠かせないメギド、それを任せるには似合いの人材。
 セルジュなどより、ずっと面白い男だから。
 ミュウの拠点を焼き払うメギド、最終兵器とも呼ばれるメギド。
 どうせだったら、ただ優秀なだけの者より、面白い者に任せたい。
 自分の心に入り込んだ男、ソルジャー・ブルーとやり合うのだから。
 伝説と言われたタイプ・ブルー・オリジン、その喉元に突き付けてやるのがメギドだから。


(…あいつが来ないわけがない)
 パスカルもやって来たのだけれども、ソルジャー・ブルー。
 あのミュウの長も出て来るだろう。
 自分の読みが正しかったら、きっと自ら。
 それを屠るには、狩場に向かって追い込んでやるには必要なメギド。
 まさかパスカルに任せられるとは思わなかった。
 きっと最高の狩りになる。
 無精髭のパスカルが操るメギドと、伝説のタイプ・ブルー・オリジンと。
 こんな顔合わせがまたとあろうか、自分が唯一、顔と名前を覚え続けていた男。
 そのパスカルにメギドを任せる、ソルジャー・ブルーを燻し出すための。
 自分の心に入り込んだ男の喉元に突き付けて抉り、屠る刃を。
 スローターハウス作戦とはよくも名付けた、我ながら素晴らしい名だったと思う。
 その名の通りに屠殺場だから。
 スローターハウスは、屠殺場の意味を持つのだから。


 無精髭の男、パスカル・ヴォグ。
 最初に彼を教えた日のことを忘れてはいない、今も鮮やかに思い出せる顔。
 訓練の場へと出て来た者たち、その中に一人、無精髭の男。
 軍人ならば、髭は綺麗に剃るものなのに。
 そうでなければ手入れするもの、無精髭など許されないのに。
 だから自分も注意した。
 部屋に戻れと、髭を剃ってから出直して来いと。
 その時に、彼が返した言葉。
 「外見で人を判断するなと、軍人は誰でも教わりますが」と。
 中身まで無精な自分ではない、と不敵な笑みさえ浮かべていた彼。
 ふと思い出した、シロエの面影。
 マザー・イライザに逆らい続けて、シロエは散っていったけれども。
 上手に乗り切る奴もいるのかと、軍の厳しさは教育ステーションの比ではないのだが、と。


 規律違反を堂々と犯す態度が面白かったから。
 何処かシロエを思い出させる男だったから、無精髭の男を放っておいた。
 彼は何処までゆくのだろうかと、言葉通りに優秀なのかと。
 それならばいいと、そういう輩が一人くらいいる世界もいいと。
(ヴォグ少尉か…)
 パスカルが訓練を終えた後にも、折に触れて探していた名前。
 今はどういう階級なのかと、どんな戦果を挙げているかと。
 そうして、ついにパスカルは来た。
 この晴れ舞台に、スローターハウス作戦の場に。
 ソルジャー・ブルーと自分の戦いになるだろう場所に、メギドを操る責任者として。


(…本当に面白くなりそうだ…)
 パスカルが来たというだけでもな、とクックッと笑う、この作戦は最高だと。
 スローターハウス作戦は面白くなると、とてもいい役者が揃ったものだと。
 狩り出す獲物はタイプ・ブルー・オリジン、伝説の獲物。
 自分の手駒の一人はミュウだし、それだけでも充分、楽しめるのに。
 マツカだけでも面白いのに、パスカルまでがやって来た。
 何処かシロエを思わせた男、けれどシロエよりも遥かに上手に世間を渡って来た男。
 無精髭のパスカルが操るメギドで、ソルジャー・ブルーを燻し出す。
 きっと最高に面白い狩りに、ゲームになるのに違いない。
 あのパスカルがやって来たから。
 自分が唯一覚えた教え子、無精髭の男が加わったから…。

 

         無精髭の男・了

※セルジュやパスカルが出て来た瞬間、「風と木の詩」の面々が来た、と驚いた自分。
 あれから8年経ったんですけど、なんで今頃パスカルを書いてるんですか…?





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