(ジョミー…。辿り着けないのを、許して下さい…)
もうこれ以上は進めないので、とリオは心でジョミーに詫びた。
燃え上がり、崩れゆく地球を前にして、シドが決断した救出作戦。大気圏突入可能な船は全て、地球に残っている人間たちを救うために降下させること。
(あの船は、他に一人しか…)
乗せられないから数に入らない筈、と小型艇で後にして来たシャングリラ。二人乗りでは、医療班の者を乗せたら定員。とても怪我人など救えはしないし、これならば、と。
(ジョミーを乗せて戻るだけなら…)
誰も咎めはしないだろう。他の何機ものシャトルに紛れて発進しても。…「発進します」という報告も無しに、無断で船を出て来ていても。
けれども、果たせなかった目的。
ジョミーを捜して下りた階段、其処で出会った人類の女性。崩れて来た岩の下敷きになる所を、体当たりして突き飛ばした。
(…ジョミーを助けに下りて来たのに…)
代わりに救った人類の女性。それは後悔していないけれど、とても見殺しには出来ないけれど。
奪われたのが自分の身体の自由で、やがて命も消えるのだろう。岩の下敷きなのだから。此処でこうして動けないまま、意識が薄れてゆくのだから。
(……ジョミー……)
すみません、と詫びる言葉を最後に消え失せた意識。後は闇へと落ちてゆくだけ。死の淵へと。
その頃、地下へと続く階段の上の方では、他の船で降りたミュウたちが救助を続けていた。
次々に現れる人類たちを船に振り分け、自力で歩けない者たちを担架で運んだりして。医療班の者たちも大忙しで、懸命に手当てをしていたけれど。
「誰か、助けて…!」
お願い、と駆け上がって来た女性が一人。息を切らせて、涙をポロポロ零しながら。
「どうした!?」
下に誰かいるのか、と掛けられた声に、涙交じりに答えた彼女。岩の下敷きになった青年が一人いるという。「ぼくはミュウだ」と名乗った青年、口が利けないようだった、とも。
「リオさんだ!」
「そういえば、姿を見ていないぞ!」
大騒ぎになる中、医療班の者たちが目と目を交わして頷き合った。「下に下りるぞ」と。
彼らが担いだ医療カプセル、重傷者がいるようならば、とシャングリラから持って来たもの。
「あと、何人か応援を頼む!」
岩を動かさなきゃいけないからな、との声に応じた力自慢のミュウたち。肉体の力ではなくて、サイオンの力。それを使えば岩くらいは、という猛者揃い。
彼らは懸命に階段を下りて、リオの所に辿り着いた。まだ辛うじて息はあるから…。
「仮死状態にして、それから岩を取り除く!」
「分かった、そっちの方は任せる!」
実に素早い役割分担、医療班がリオを仮死状態に。…力自慢のミュウたちの方は岩の除去。
リオはテキパキと救い出されて、医療カプセルに入れられた。後は担いで階段を上へ上るだけ。とにかく急げ、と走るミュウたち。階段ごと岩の下敷きになれば、二次遭難になるのだから。
医療カプセルが地上に向かって突き進む中、リオはといえば…。
(……花畑だ……)
死んだらこういう場所に来るのか、と花畑の中に立っていた。すぐ側に大きな虹の橋もあって、橋を渡ればきっと天国なのだろう。それは綺麗で清らかな色の橋だから。
さて、と歩こうとしたのだけれども、何故だか先に進めない。虹の橋は其処にあるというのに。
(見えない壁があるみたいだ…)
シールドのようなものだろうか、と手で探っても何も無い。けれど渡れない虹の橋。
これは困った、と橋のたもとに立ち尽くしていたら、後ろからやって来たのがジョミー。
『ジョミー…!』
すみません、と申し訳ない気持ちがMAX、もう心から謝った。
ジョミーが天国に来るなんて。自分が助けに行けていたなら、きっとジョミーはシャングリラに生きて戻れたのに。
けれどジョミーは怒るどころか、逆に心配してくれた。「どうして君が」と。
「君はシャングリラに残った筈だ。何故、此処にいる?」
『いえ、それが…。あなたを助けに行こうとして…』
こういうことに、と改めて詫びたら、ジョミーに謝られた。「ぼくのせいだ」と、思いっ切り。
「来るなと言っておけば良かった。でも、もう遅いみたいだし…」
一緒に行こうか、と指差された先に虹の橋。ジョミーと渡って行けるなら、と喜んだけれど。
やっぱり先には進めないわけで、歩き出していたジョミーが振り返った。
「どうしたんだ、リオ?」
『…普通に歩いて行けるんですか? ぼくは此処から動けないようで…』
地縛霊になってしまったでしょうか、と項垂れた。ずっと昔に誰かに聞いた「地縛霊」。思いを残したままで死んだら、その場所に縛られる魂。何処へも行けずに、幽霊になって。
ジョミーを助けに行けなかった、と後悔しながら死んだわけだし、あの階段に残った魂。
それで虹の橋を渡る資格が無いのだろうかと、此処で居残り組だろうかと。
そうしたら…。
「其処から動けないだって?」
まじっと見詰めるジョミーの瞳。こちらはと言えば地縛霊だし、本当に情けない気持ち。
『はい…。ですから、一人で行って下さい』
ぼくにはかまわず、あの橋を…、と眺める先に虹の橋。妙にデジャヴがあると思ったら、まるで全く同じ展開。女性を庇って岩の下敷き、「行くんだ」と階段を上らせた時と。
二度あることは三度ある、と聞いているから、次はいったい何が来るやら。
天国に来てまでこうなるなんて、とリオの気分はドン底だけれど。
「なるほどね…。ちょっと相談なんだけど」
君の身体に入っていいかな、と斜め上なことを言ったジョミー。いったいどういう意味だろう?
『…なんですか、それは?』
「君は死んではいないらしい。…かなり危ないけど、助かると見た」
その身体を貸してくれないか、というのがジョミーの頼み。
曰く、「トォニィに後を託したけれども、まだまだ危なっかしいから」。
身体を貸して貰えるのならば、それで戻れるシャングリラ。要は間借りで、一つの身体に二つの魂、普段はリオで時々ジョミー。
『ああ、そういう…。ぼくの身体が役に立つなら…』
喜んで、と受けたジョミーの申し出。ジョミーの役に立てるのだったら、「時々ジョミー」でもかまわない。時々どころか毎日だって、とジョミーと並んで歩き始めた。
天国に向かう虹の橋とは反対に。ジョミーが「こっちだ」と言う方向へ。
其処を暫く歩いて行ったら、バッタリ出会った長老の四人。それにキャプテン。
(…みんな、ジョミーを助けようとして…)
死んだと言うから、今度は自分から持ち掛けた。「ぼくと一緒に帰りませんか」と。
『ぼくの方なら、時々リオでいいですから。…普段はジョミーやキャプテンたちで』
「それは有難い。シドもいいキャプテンにはなりそうだが…」
直接指導をしてやれるなら、と乗り気になったキャプテン・ハーレイ、長老たちも頷いた。若い者たちだけの船では、何かと付き纏うのが不安。
それを一気に払拭するなら、「時々キャプテン」だの、「時々ゼル」がいいだろう、と。
そんなこんなでワイワイガヤガヤ、賑やかに戻って行った道中。
「グランド・マザーは往生際が悪かった」だの、「いやいや、油断し過ぎじゃろ」だのと、地の底で起きた出来事なんかをネタにしながら。
どうしたわけだか、キースには出会わなかったのだけれど。
人類だから別のルートで行ったか、あるいはサムやマツカの迎えで直行便で…。
「あたしたちみたいに歩いてないって言うのかい?」
天使様のお迎えで空を飛んでったかねえ…、とブラウが笑って、皆で振り返る虹の橋。キースは空を飛んで行ったかと、「人類のくせに、セコイ手を」と。
もっとも、こっちはテクテク真面目に歩いたお蔭で、魂だけは戻れそうだけど。
一人の身体に魂が七つ、間借り人が全部で六人だから…。
『時々ジョミーもいいんですけど…。いっそ一日ジョミーなんかはどうでしょう?』
ぼくも含めて七人ですから、とリオが考え付いたこと。
七人がそれぞれ一日ずつなら、上手い具合に一週間。「時々ジョミー」だの「時々キャプテン」だので仲間が無駄に混乱するより、一日交替でどうだろうか、と。
「そりゃいいわい。ワシなら一日ゼルなんじゃな?」
「私は一日エラなのですね。確かに効率が良さそうです」
そのやり方に賛成です、とエラも言ったし、ヒルマンたちも異存は無かったものだから…。
「シャトル、全機、回収しました」
仮死状態のリオが入った医療カプセル、それも乗っけて地球を離れたシャングリラ。
「百八十度回頭」というトォニィの声で、燃え盛っている星を後にして。
リオの治療はノルディが頑張り、身体の方もリハビリをすれば元通りに動くことだろう。当分は意識が戻らなくても、もう安心だと医療班たちもホッと一息。
そうやってリオの身体が昏々とベッドで眠る間に…。
『ジョミーは何曜日を希望ですか?』
一日ジョミーは何曜日が一番いいでしょうか、と意識の底でリオが予定を調整中。目が覚めたら七人で一人なのだし、今の間にキッチリ決めておかないと、と。
「うーん…。何曜日にしようかなあ…。ハーレイ、君は何曜日がいい?」
「そうですね…。ブリッジの普段の様子からして…」
この辺で、と真面目にやっているのがソルジャーとキャプテン、その一方で…。
「ワシは当分はサボリじゃ、サボリ! この年でリハビリはキツイわい!」
「私もだよ。…ゼルと私は曜日だけ決めて、リハビリ中はリオに任せてだね…」
当分の間、「一日ヒルマン」は出番無しでいい、という怠惰な面子が現れるのも、平和になった証拠だろう。これが地球に行く前の段階だったら、そんな我儘など言えないから。
『分かりました。リハビリ、頑張ります!』
一日も早く車椅子とか松葉杖から卒業します、とキリッと敬礼、真面目なリオ。
やがてシャングリラは、その温厚なリオに支配されてゆくことになる。
「本日、ジョミー」だとか、「本日、キャプテン」と書かれた名札を付けた青年に。
思念波でしか喋らないけれど、誰が聞いてもソルジャー・シンだの、キャプテン・ハーレイその人としか思えない喋りをするリオに。
リオの中には、七人もいるものだから。
ソルジャーを継いだトォニィでさえも絶対服従、そんな「グランパ」までいるのだから。
「グランパ、明日の会議のことなんだけど…」
『すまんのう、今日はワシの日なんじゃ』
ほれ、と胸の名札を指差すリオ。其処には「本日、ゼル」の名札が。
「で、でも…。ぼくはグランパに…」
『そういうことなら、分かっておるじゃろ?』
世の中、上手く渡りたかったら袖の下じゃ、と「一日ゼル」が欲しがる酒。合成物はいかんと、他人にものを頼むのだったら、上等のを、と。
「分かったよ…!」
これでいいかな、とトォニィが渡したブランデーのボトル、それを受け取るなり…。
『トォニィ、今日は何なんだ?』
ぼくにもオフの日があって…、と登場したのがソルジャー・シン。
これまた「オフに呼び出されたから」と賄賂を要求、至極当然という顔をして。
それでも誰もが頼りまくりの、「リオの中の人」。
訊きさえしたなら、何でも答えが返るから。
ソルジャー・シンにキャプテン・ハーレイ、長老の四人と、生き字引のような人間だから。
本家本元のリオの日にだって、バンバンと入る「他の誰かを出してくれ」というリクエスト。
もちろんリオは断らないから、もうシャングリラの影の支配者。
温厚なリオに、そういう自覚は無いけれど。…いつもひたすら腰が低くて、譲りまくりの自分の身体。「ぼくでお役に立つんなら」と。
「どうぞ遠慮なく使って下さい」と、「お役に立てて嬉しいです」と…。
人のいいリオ・了
※イロモノ時代からの最古参の読者、I様の素朴な疑問。「リオ、忘れられていませんか?」。
「シャトルを全機回収したなら、いないとおかしい」という最終話。
そういう風にも見えるわな、と思ったトコから出来たお話。これも一種の生存ED…。
「セキ・レイ・シロエが逃亡しました」
その声で我に返ったキース。
いつの間にやら消え失せていた、マザー・イライザが紡ぐ幻影。それに姿も。
「追いなさい」と命じる冷たい声。
いったいシロエは何処へ逃げたのか、此処から何処へ行けるというのか。
E-1077の周りは宇宙で、行ける場所など無いのだから。
それにシロエはまだ…、と考えたけれど。
「反逆者を逃がすわけにはいきません。…命令です」
マザー・イライザの声で気が付いた。
シロエが逃げ出した先は「宇宙」なのだと。
(……シロエ……)
そんな、とグッと握り締めた拳。
マザー・イライザが言う「反逆者」。
もうそれだけで決まったも同じな、シロエの運命。
反逆者という言葉が指すのは、「SD体制に逆らう者」。
そうなったならば、ただ「処分」されるだけ。
まして逃亡したとなったら、言い逃れる術は無いだろう。
…どんなに庇い立てしても。
メンバーズに決まった自分の将来、それを振りかざして庇おうとも。
(…マザー・イライザ…)
仰いでも、其処にあるのは彫像。さっきまでの幻影とは違う。
消えてしまったマザー・イライザ、「話を聞く気は無い」ということ。
ただ命令に従えとだけ、その彫像が無言で告げる。
それが使命だと、「行きなさい」と。
ならば、行くしかないのだろう。
心は「否」と拒否していても。…この身がそれを拒絶していても。
誰かが代わってくれればいい。誰でもいいから、と乱れる心。
マザー・イライザのいる部屋を出た後、格納庫へと向かう途中で。
(…反逆者を追うだけならば…)
なにも自分でなくともいい筈、もっと相応しい者たちが存在している筈。
シロエを逮捕し、連れ去って行った保安部隊の隊員たち。
彼らだったら迷うことなく、シロエを追ってゆけるだろう。
飛び去った船を見付け出したら、容赦なく処分出来るのだろう。一瞬の内に。
(…マザー・イライザは……)
あの場では何も言わなかったけれど、シロエを「処分」するつもり。
シロエが戻らなかったなら。
E-1077に戻ることを拒み、そのまま宇宙を飛び続けたら。
(……戻ってくれれば……)
あるいは道があるのだろうか、望みが残っているのだろうか。
皆の記憶から消されたシロエが、反逆者になったシロエが生き残れる道。
生涯、幽閉されようとも。
厳重に監視された部屋から、一歩も出ることは叶わなくても。
(…メンバーズなら…)
何か手立てがあるのだろうか、候補生の身では無理なことでも。
此処を卒業してメンバーズの道に足を踏み入れたら、打つ手が見付かるのだろうか…?
(…今のぼくには…)
まだ分からない、メンバーズのこと。
どれほどの権限が与えられるのか、マザー・イライザにも命令できるのか。
そうだと言うなら、全ての希望が潰えてはいない。
もしもシロエを連れ戻せたら。
…自分がメンバーズの道を歩み始めるまで、シロエが生きていてくれたら。
夢物語だ、と自分でも分かる。
マザー・イライザは、其処まで甘くはないだろうと。
たとえシロエが戻ってくれても、即座に奪われるだろう命。
保安部隊に引き渡したなら、その日の内に。
候補生たちの目には入らない何処か、其処で撃ち殺されてしまって。
(…今のぼくには、まだ止められない…)
いくら将来が決まっていたって、今の身分は候補生。
保安部隊の者たちの方が、遥かに力を持っているから。…このE-1077では。
(どうして、彼らが行ってくれない…!)
自分よりも力を持つというなら、彼らがシロエを追えばいい。
そして仕事をすればいいのに、どうして自分が選ばれるのか。
他に適任者が大勢いるのに、一介の候補生などが。
(…マザー・イライザ…!)
何故、と苛立ち、歩く間に、通路に倒れた者を見付けた。
明らかに保安部隊の所属だと分かる、その制服。
(さっきの精神攻撃で……)
そういえば皆、倒れたのだった。…自分以外は一人残らず。
過去の幻影に囚われたように、誰もが子供に返ってしまって。
目には見えないオモチャで遊んで、無邪気な笑顔で床へと座り込んだりして。
精神攻撃が遮断されたら、糸が切れたように倒れた彼ら。
今のE-1077には、自分の他には誰一人いない。
シロエを追ってゆける者は。
逃亡者を乗せて宇宙をゆく船、それを追い掛けて飛び立てる者は。
(…そういうことか…)
誰もいないのか、と噛んだ唇。
一人でも残っていたのだったら、捕まえて押し付けるのに。
「反逆者を追う」という自分の役目。
お前がすべき仕事だろうと、「直ぐに飛び立て」と、張り飛ばしてでも。
(…後で、コールで叱られても…)
その方が遥かにマシに思える、自らシロエの船を追うよりは。
シロエを連れて戻ってみたって、彼の命を救えはしない。
微かな望みに賭けるしかなくて、自分が正式にメンバーズになるまで彼が生きていたなら…。
(救い出せる道があるかもしれない、というだけで…)
その道も本当にあるかどうかは、メンバーズになってみないと何も分からない。
マザー・イライザのそれを越える権限、逆に命令できる力を得られるか否か。
(…連れて戻って、それでどうする…?)
処分されると承知の上で、保安部隊にシロエを引き渡すのか。
それとも彼らとやり合った末に、自分の部屋へと匿うのか。
(…二人くらいなら…)
多分、一人で倒せるだろう。
けれど束になって来られたならば、武器を持たない自分は勝てない。
候補生の身では持てない武器。
使い方は何度も教わったけれど、腕は彼らより上なのだけれど。
(……くそっ……!)
駄目だ、と通路の壁へと叩き付けた拳。
どう考えても、シロエを生かす術など持っていないから。
連れて戻れても、シロエ自身の運に賭けるしかなさそうだから。
それでも幾らかは残った望み。
シロエが此処に戻ってくれたら、微かな希望があるかもしれない。
即座に殺されなかったら。…幽閉される道であろうと、生きてくれたら。
(…だが、シロエが…)
素直に戻ってくれるとは、とても思えない。
「機械の言いなりになって生きる人生」、そんなものに意味は無いとシロエは言ったから。
命など惜しくないとばかりに、言い捨てたのがシロエだから。
(……戻らないなら……)
どうなると言うのか、自分がシロエを追って行ったら。
保安部隊の者たちの代わりに、武装した船で飛び立ったなら。
(……ぼくが、シロエを……)
殺すしかないと言うのだろうか、シロエの船を撃ち落として…?
訓練では何度も使ったレーザー砲でロックオンして、発射ボタンを押し込んで。
(…それだけは…)
嫌だ、と叫び出したくなる。
そのくらいなら連れて戻ると、なんとしてでもシロエの船を、と。
シロエは船には慣れていない筈で、拙いだろう操船技術。
まだ訓練飛行が出来る年ではないから、どうやって宇宙へ飛び立てたのかも不思議なほど。
ただ、「やりかねない」と思うだけ。
E-1077を、マザー・イライザを嫌い続けた彼ならば、と。
自分の年では乗れない船でも、夢見て一人で重ねた訓練。
公式なシミュレーターさえも使わず、恐らくは個人練習用の…。
(シミュレーションゲーム…)
それで習得したのだろう。
航路設定も、発進準備も、何もかもを。
今日が初めての宇宙なのだろう、自分の力で飛んでゆくのは。
(…停船してくれ…!)
そう呼び掛けたら、シロエは応じてくれるだろうか。
闇雲に先へと飛んでゆかずに、船は停まってくれるだろうか…?
(…撃ち落とすよりは…)
船を連行して戻れたら、と願いながら着けてゆく宇宙服。
シロエもこれを着けただろうか、操縦するなら必須とされている宇宙服を。
それとも着けずに飛び出したろうか、此処から逃げることに夢中で。
(…とにかく、シロエを連れ戻せたら…)
答えは出る、と無理やり思考を前へと向ける。
でないと、とても追えないから。
最悪のケースばかりが浮かんで、発進準備も出来ないから。
(…頼む、停まってくれ…!)
シロエ、と船に乗り込んでゆく。
武装している物騒な船に。
その気になったらシロエの船を、一瞬で落とすことが可能な保安部隊の船に。
微かな望みに賭けるしかない、今の自分。
シロエの船を連れて戻れて、シロエが直ぐに処分されずに生き延びること。
それにメンバーズが得られる権限、自分の力がマザー・イライザを超えること。
全ては夢物語だけれども、そうでもしないとシロエを追えない。
(…いくら未来のメンバーズでも…)
こんなケースは習っていない、と整えてゆく発進準備。
シロエが停まってくれたらいい。…最悪のケースを免れたなら、と。
戻る時には、船が二隻に増えていたならいい。
微かな望みをそれに繋ぐから、シロエの船を連れて此処へと戻りたいから…。
追いたくない船・了
※シロエの船を追う前のキース。「追いなさい」の時点で既に拳が震えていたわけで…。
追ったらどうなるか分かっていた筈、と思ったら書きたくなったお話。若き日のキース。
(…なんか、気味悪いことになってる…)
この船、こんなだったっけ、とジョミーが見回したシャングリラの中。
ソルジャー候補になって長いけれども、今日は船の中の様子が違う。
あっちもこっちもカボチャだらけで、カボチャだけなら、まだいいけれど。
(どのカボチャにも、顔…)
ゲラゲラ笑っている顔だとか、悪魔みたいに裂けた口とか。
そういうカボチャが船にドッサリ、通路にも、広い公園にだって。
かてて加えて、オバケだとしか思えない飾りが沢山。骸骨にゾンビ、どう見てもオバケ。
昨日は普通の船だったのに、と首を捻りながら通路を歩いていたら…。
「うわあぁぁっ!?」
いきなり頭から赤いケチャップをぶっかけられた。…それもバケツで。
顔さえ見えない仮面を被った、魔法使いみたいな衣装の誰かに。
何するんだよ、と怒鳴り付けたら…。
「なんじゃ、ハロウィンを知らんのか?」
仮面の人物がゼルの声で喋った。ケチャップのことなど、謝りもせずに。
「……ハロウィンって?」
「ヒルマンに聞いておらんようじゃな、日頃、サボッてばかりじゃからのう…」
講義をサボるからそうなるんじゃ、とゼルは説教をかましてくれた。トマトケチャップが入ったバケツを抱えたままで。
曰く、ハロウィンというのは10月31日のイベント。
人間が地球しか知らなかった時代に生まれた行事で、大晦日のようなものだと言う。
「…大晦日?」
それは12月31日のことを言うんじゃあ…、と不思議だけれど。
「人類の世界ではそうなっておるな、奴らは野蛮人じゃから」
文化とは無縁な奴らなのじゃ、と胸を張ったゼル。
その点、ミュウは文化的だと、遠い昔の文化をきちんと守っていると。
ハロウィンと言ったらカボチャにオバケで、新年を迎えるための清めの行事なのだと。
ヒルマンの代わりに、延々とゼルが垂れた講釈。
ハロウィンはシャングリラの一大イベント、暦は此処で切り替わるもの。
(…明日になったら、この船の中では新年で…)
年内の穢れを持ち越さないよう、互いに穢れを祓うのだという。
出会い頭に色のついた水や、赤いケチャップなどを浴びせて。…だから頭からぶっかけられた。
(…ソルジャーでも、ヒラでも、関係なくて…)
とにかく派手にぶっかけるべし、と皆が用意をしているらしい。色つきの水や、ケチャップを。
気合の入った輩になったら、緑色に染めたビールなんかも。
(…船中に飾った、カボチャのランタンとか骸骨とかは…)
新年になって日付をまたぐ前に、公園で焚火に投げ込むものだと教えられた。
船中の穢れを吸い取ったカボチャ、それに骸骨なんかの気味悪い飾り。
(気味が悪いほど、うんと沢山…)
穢れを吸い取ってくれるらしいし、カボチャのランタンは「大きいほど」穢れがよく取れる。
ゆえに「より大きな」カボチャを求めて、皆がカボチャを育てる船。
一年に一度のハロウィンのために、素晴らしい新年を迎えるための日に備えて。
(……うーん……)
シャングリラにはこんな行事があったのか、とケチャップまみれの服を着替えに戻ろうと通路を歩いていたら…。
「「「トリック・オア・トリート!」」」
子供たちの可愛い声が響いて、ドパアッ! と食らった色つきの水。
赤に黄色に、緑に青に。…もうとりどりに激しい色のを、子供たちが持ったバケツの数だけ。
「え、えっと…?」
今のはなに、と目を丸くしたら、子供たちは一斉に手を差し出した。「お菓子、頂戴」と。
(…お菓子?)
なんでお菓子、と瞳をパチクリ、さっぱり意味が分からない。
頭から浴びた色水の意味なら、さっきゼルから聞いたけれども、お菓子は知らない。
そうしたら…。
「知らないの、ジョミー? 子供は天使みたいなもので…」
大人よりもずっと穢れを祓うパワーが強いの、と得意そうなニナ。
だから子供に色つきの水をかけて貰ったら、お礼にお菓子を渡すもの。「ありがとう」と。
「…そ、そうなんだ…。でも、ぼくは今…」
お菓子なんかは持ってなくて、と慌てるしかない今の状況。
(ヒルマンの講義、真面目に聞いておけば良かった…)
このシャングリラの年中行事について、馬鹿にしないで、全部きちんと。
大晦日が10月31日だとか、ハロウィンとやらに関するあれこれ。
「ジョミー、お菓子を持っていないの?」
せっかく水をかけてあげたのに、と不満そうな顔の子供たち。「かけて損した」と。
「ご、ごめん…。ツケにしといて!」
次に会った時に渡すから、と謝った途端、子供たちはパアアッと笑顔になった。
「やったね、ツケだとトイチなんだよ!」
「十日で一割の利子がつくのがトイチなの!」
「ハロウィンのお菓子をツケにした時は、一時間で一割の利子になるから!」
じゃあねー! と走り去った子供たち。
一時間ごとに一割の利子で、あの数の子供たちだから…。
(……ぼくの立場、メチャメチャ、ヤバイんじゃあ……?)
それだけの菓子を食堂で調達したなら、今月の小遣いは消し飛ぶだろう。今から着替えて、また食堂まで出直す間に時間が経ってゆくのだから。
なんて船だ、と思うけれども、講義を聞かなかった自分が悪い。
シャングリラはミュウの箱舟なのだし、人類の世界とは違って当然。
(ハロウィンなんかは、聞いたこともないから…!)
本当に意味が不明だってば、と重たい足を引き摺る間に、次から次へと浴びせられる水。それにケチャップ、緑色に染めたビールもあったし、ワケワカランといった感じの水かけイベント。
(おまけに全員、仮装していて…)
誰が誰だか分からないのが、また悲しい。
真っ青に染めた合成ラムをかけて行ったのは、体格からしてハーレイだけれど。
(…あの格好も謎だってば…)
首にぶっといボルトが刺さって、顔に縫い目があるなんて…、とジョミーには謎な、ハーレイの仮装。いわゆるフランケンシュタインなるもの、遠い昔で言ったなら。
(ケチャップを思い切りぶっかけてくれて、白いシーツを被ってたのは…)
ソルジャー・ブルーじゃなかろうか、と思うけれども、確証は無い。
とにかく船中がお祭りムードで、ハロウィンを知らない自分一人だけが…。
(仮装用の服も持っていないし、水かけ用のバケツも、それにケチャップも…)
無いんだってばー! と叫んでみたって、既に手遅れ。
船はすっかりカボチャまみれで、あちこちに飾られた骸骨などの不気味な飾り。
新年を迎える焚火に火を点け、ああいったものを投げ込んで穢れを祓い終えるまでは…。
(…ぼくだけ、普通の格好で…)
色水やケチャップなどにまみれて、子供たちには菓子という名の借りが山ほど。
人類の世界には無かったハロウィン、もっと勉強するべきだった、と泣きの涙で。
10月31日が終わる時まで、受難が続いてゆくフラグ。
何処か間違って伝わったらしい、ミュウたちが盛大に行うハロウィン。
新年を迎えるためのイベント、船中がカボチャや骸骨にまみれる一日が幕を閉じるまで…。
ハロウィンの船・了
※シャングリラで行われているハロウィン。人類の世界には無かった文化に途惑うジョミー。
何か色々と間違えまくりのイベントですけど、資料を収集している間に事故ったのかも。
(ジョミー…。みんなを頼む!)
それがブルーの最期の思念。メギドの制御室で起こしたサイオン・バーストの中で。
キースは逃がしてしまったけれども、メギドは沈められる筈。「これでいい」と満足しながら、意識は闇へと落ちて行って…。
(…なに?)
ぼくは、とキョトンと見詰めた両手。その手から消えていた白い手袋。
素手だというのも驚きだけれど、自分の手にしては小さいような…、と見詰めていたら。
「助けて! 殺さないで!」
そう聞こえた悲鳴、反応したのがソルジャーとして鍛えた精神。「誰か危ない」と、急いで助けなければと。女性の声だ、と顔を上げたら向こうで震えている看護師。「殺さないで」と。
(……成人検査?)
それもぼくのだ、と気が付いた。どうしたわけだか、遡った時間。死ぬ前に見る走馬灯なのか、あるいはこれが現実なのか。
(…どっちにしても…)
同じ轍を踏んではたまらないから、急いで逃げることにした。此処にいたなら、じきに警備員がやって来る。銃を手にして、撃ち殺そうと。「何もしない」と言っても問答無用で。
(その前に…!)
飛ぶなら上だ、と一瞬でかました瞬間移動。サイオンは鈍っていなかった。いや、なまじ身体が若い分だけ、前よりも強いかもしれない。
楽々と飛べた建物の屋上、監視カメラは無いようだから…。
(やたらとリアルな走馬灯だ…)
こういう風に生きたかったという夢だろうか、と上半身に貼られたパッドを剥がしてポイ捨て。こんなパッドまで貼ったりするから、健康診断の一種だと思い込んだんだ、と。
(まさか記憶を消去だなんて…)
誰が気付くか、と探った自分の記憶。成人検査の前の記憶は無かった。いくら夢でも、そうそう上手くはいかないのだろう。奪われた過去を取り戻すなんて。
仕方ないな、と溜息をついて、屋上の隅っこに座り込んでいたら…。
「そっちにいないか!?」
「早く見付けて取り押さえろ!」
ガヤガヤと声が聞こえて来たから、これはヤバイと逃げ出した。空を飛ぶより瞬間移動、と遥か離れた建物へと。
(…夢じゃなかったのか!?)
どうやらこれは現実らしい、と見回した周り。とりあえず飛び込んだ建物の中は、普通の会社の類っぽいもの。サイオンでザッと見た感じでは。
(ぼくは時間を遡って…)
アルタミラまで戻ったのか、と眺めた壁のカレンダー。どう見ても年号がそうだから。
神の悪戯か、それとも奇跡か、過去の時空で生きている自分。メギドで死んだと思ったのに。
ついでにすっかり若返っていて、十四歳だった頃の子供の身体。色素は記憶と一緒に失くして、アルビノになってしまったけれど。
(そういうことなら…)
人生、此処からやり直しだ、と固めた決意。
成人検査を受けてそのまま捕まるコースは免れたのだし、暫くは潜伏するべきだろう。何処かに隠れて様子見の日々、人類がどう動くのか。
(…その前に…)
何か食べたい、と覚えた空腹。成人検査の待ち時間には絶食だったし、メギドで死んだと思った自分も体力を使い果たしていたし…。
(……会社だったら……)
ある筈なんだ、とサイオンで探って見付けた食堂。幸い昼時、次から次へとトレイを並べているようだから…。
(一つ貰って、食べて返しておいても…)
バレるわけがない、と失敬した社員食堂のランチ。トレイごと瞬間移動で運んで、潜んだ部屋で美味しく食べた。なかなかにいける味だったから…。
(この建物で暮らしていたなら、食べ物の心配は無さそうで…)
二十四時間、誰かが働いているらしい大きな会社。空き部屋も倉庫も幾つもあるから、コッソリ住むには丁度いい。これだけの規模ならバスルームだって…。
(誰が使ったか、細かくチェックはしない筈…)
此処に決めた、と定めた根城。そうと決まれば衣類も欲しいし、あれもこれも、と手に入れた。潜伏生活に必要な物を、瞬間移動で調達して。
(ぼくが隠れている部屋には…)
誰も近付く気を起こさないよう、きっちりシールド。お蔭で夜はぐっすり眠れて、次の日の朝も目覚めスッキリ。数日経っても、まるでバレない居候。
(ぼくが逃げ出した件は、どうなったかな?)
ちょっと調べに、と成人検査を受けた建物に忍び込んだら、まだ捜してはいたものの…。
「あのガキ、何処かで死んだんじゃないか?」
「そうかもなあ…。宇宙に飛び出しちまったんなら、死体も見付からないだろうし…」
面倒だからそれでいいか、と報告書を書くつもりの職員たち。「ミュウらしき者」が成人検査に引っ掛かったものの、行方不明で恐らく死亡、と。
(…ふうん?)
そうなると、この先の流れも変わる、と踏んだブルーの考え通り。
何年も次のミュウは出なくて、成人検査をしている人類の方も至ってのんびり。お蔭でブルーも潜伏生活を平和に生きて、見た目がソルジャー・ブルーだった頃と同じ姿に育ったから…。
(此処で年齢を止めないと…)
よし、と若さを保つことにした。これだけ育てば、いつでもソルジャー・ブルーになれる。服や小道具さえ揃ったら、と考えたものの、一向に来ない殺伐としていたアルタミラ時代。
(…三食昼寝付きで、おやつもオッケー…)
いったいどんな天国なんだ、と自分でも溜息が漏れるほど。
同じアルタミラでも、こうも違うかと。人体実験の欠片も無い上、本当に三食昼寝付き、と。
そうやって何年も暮らし続けて、ようやく二人目のミュウが出た。若き日のゼルが引っ掛かってしまった成人検査。けれど「危険に見えた一人目」は死んでいるわけだから…。
(…人体実験の代わりに、経過観察…)
しかも檻にも入れていないし、とブルーも驚くゼルの待遇。成人検査を受けた施設に留め置き、教育ステーションに進めないだけのゼルの毎日。これまた三食昼寝付きで。
やがてヒルマンが、ハーレイが、エラがブラウがと検査に引っ掛かったけれども、ゼルと同じく経過観察。「ミュウと人類は何処が違うのか」と見ているだけの人類たち。
(…これだと、ぼくが疫病神だったみたいな感じで…)
「死んだ」方へと行っていたなら、他のミュウたちに「アルタミラの地獄」は無かったらしい。それを思うと申し訳なくて、一日も早く「仲間たち」を地球へ連れて行きたいところ。
自分が「下手をこいた」ばかりに、苦労をかけたゼルやハーレイたち。ジョミーの時代はアテにしないで、自分の代で地球に行き着いてこそ。
(まずはシャングリラをゲットしないと…)
あの船だな、と既に狙いはつけてある。コンスティテューションという、聞き覚えのある名前を持った船。それが宙港に出入りしているから、いずれ頂戴する予定。
(面子が揃いさえしたら出発だ!)
ゼルの弟のハンスが来たら、と待っている内に、ハンスも検査に引っ掛かったから決行の時。
コンスティテューション号の入港を待ち、乗組員の意識を操作して色々な物資を積み込ませた。当分は補給要らずで生きてゆけるよう、たっぷりと。
それが済んだら「ご苦労」と船から降りて貰って、お次は仲間を迎える番。
ミュウの仲間たちが経過観察中の建物、其処へ瞬間移動で飛び込んで行って、思念で一瞬の内に伝えた行動。「脱出する!」と、「ぼくに続け」と。
人類の方では「ミュウの集団脱走」などは想定外だし、「待て、止まれ!」などと右往左往する内に逃げられたというオシャレな展開。銃さえ向ける暇も無いまま。
建物の外は普通の道路で、そんな所で発砲したら一般人を巻き込んでしまうわけだから…。
「早く、こっちだ!」
急いで、と皆を引き連れて走って、大型バスに乗り込ませた。これまた用意してあったバスで、運転手の意識は支配済み。バスは何台もあるのだけれど。
それを連ねての宙港入りで、そちらにも手を回しておいた。「ミュウが逃げた」という連絡など入らないよう、通信機器に細工をして。
お蔭でバスは全て宙港のターミナルビルに横付け、皆、悠々と降りて船へと移動。乗り込んだら次は役の割り振り、「操縦は君に任せる」だとか。
必要な知識は既にゲットで、思念波で相手にコピーするだけ。ハーレイが、ゼルが、ブラウがと順に持ち場に着いたら、その後は…。
「行こう、キャプテン!」
「はい! シャングリラ、発進!」
船の名前まで立派に変わって、コンスティテューション改めシャングリラは離陸して行った。
メギドの炎を食らいもしないで、悠然とアルタミラの空に向かって。
脱出したら、お次は船の改造なのだけど…。
「あんた、やるねえ…。名前はなんて言うんだい?」
ブラウが利いてくれたタメ口、そう言えば見た目は彼らと変わらない年だった。ウッカリ下手に訂正したなら「年寄り」確定、それは嫌だから「ブルー」と名乗って年齢のことは知らんぷり。
「少し前に成人検査を受けたかもね」と誤魔化した。
それでもやっぱり「ソルジャー・ブルー」で、船の改造も手順は頭に入っていたから、サクサク進んで白い鯨が見事に完成。
「ソルジャー、次はどうするんです?」
この船だったら、もう何処へでも行けますが、とキャプテン・ハーレイが言うものだから…。
「手近な星を一つ落とそう。其処で地球の座標を手に入れる!」
あの星がいい、と指示した雲海の星、アルテメシア。
なにしろ長年馴染んだ星だし、テラズ・ナンバー・ファイブの手の内だって分かる。今なら若い身体だからして、ジョミーに負けてはいないから…。
いきなり現れたミュウの母船に、アルテメシアの人類軍はアッサリ敗北した。
ソルジャー・ブルーが知り尽くしていた彼らの戦法、頼みの綱の衛星兵器は破壊された後で手も足も出ない。爆撃機だって、シールドとステルス・デバイスのお蔭で役立たずだから。
「これが地球の座標か…」
よろしく頼む、とキャプテンの肩を叩いたブルーは、テラズ・ナンバー・ファイブを壊した後。人類軍の情報は山ほど手に入ったから、もうこの先は負け知らずで行ける。
「ソルジャー、他にも船を貰って行きませんか?」
艦隊を組んで行きましょう、というキャプテンの案に頷き、使えそうな船を頂いて…。
それからの道は行け行けゴーゴー、なんと言ってもフィシスさえ生まれていない時代のこと。
フィシスの遺伝子データを元にしてキースを作っているわけがないし、人類の指導者はヘタレな元老たちだけ。「ミュウの艦隊が来た」と聞いたら、もう我先に逃げ出すような。
そんなわけだから、見る間に地球まで行けてしまって、グランド・マザーの方だって…。
(…ぼく一人でも、やれば出来るということか…)
どうやら勝ってしまったようだ、とブルーが溜息で見下ろす瓦礫の山。
グランド・マザーは倒したけれども、憧れの地球が無かったから。青い筈の地球が。
(……人生、やり直してみても……)
最後の最後でズッコケるのか、と失望しか覚えない死の星な地球。
けれども肉眼で見られたわけだし、「地球を見たかった」という悲願は叶ったのだから…。
(…これでフィシスさえ生まれていれば…)
幻とはいえ青い地球にトリップ出来たのに、と心で愚痴るブルーを乗せてシャングリラは地球を離れて行った。
「百八十度回頭!」というブルーの号令で。「もう、ぼくたちに出来ることは何も無い」と。
グランド・マザーを失った地球は鳴動しているけれども、人的被害はゼロだから。人類はとうに逃げ出した後で、ミュウの方でも、降りたのはブルーだけだったから。
(…行こう、ぼくたちの…。人の未来へ)
行くしかないんだ、とブルーは前を見詰め続ける。
きっといつかは、地球だって青く蘇るから。
自分が人生やり直したように、死の星の地球も、青い水の星に戻れる日が来るのだろうから…。
やり直した人生・了
※タイムリープはジョミーで書いたし、ブルーだったらどうなるんだろう、と考えただけ。
そしたらメギドも出なかったというオチ、やっぱり「ブルー最強」なわけ…?
(…何もかも、此処に書いてあるのに…)
だけど見えない、とシロエが見詰める本。
E-1077の個室で、与えられた机の前に座って。
成人検査で奪われた過去と、優しかった両親と、懐かしい故郷。
子供時代は消えてしまって、一冊の本が残っただけ。
この本は宝物だから、と鞄に詰めて家を出た本。両親に貰った大切な本。
(……ピーターパン……)
幼かった頃から夢見た少年、永遠に年を取らない子供。
ネバーランドから夜の空を駆けて、子供たちを迎えに来る少年。
いつか会えると信じていた。
「いい子の所には、ピーターパンが迎えに来るんだよ」と。
その日に備えて準備したこと、それは覚えているけれど。
ピーターパンと一緒に夜空を駆けてゆこうと夢を描いたのも、確かに自分なのだけど。
(……ピーターパンも、ネバーランドも……)
見えてこない、と穴が開くほどに見詰め、ページをめくってゆく。
ピーターパンの本に書いてあること、それが鮮やかに見えてくれない。
空を駆けてゆくピーターパンの姿を、自分はいつでも夢に見られた筈なのに。
背に翅を持ったティンカーベルも、悪い海賊のフック船長だって。
(この本を開きさえしたら…)
其処にあった、と思う夢の国がネバーランド。
今も昔と同じに夢見て、出来ることなら行きたい場所。
牢獄のようなE-1077から夜空を駆けて、ピーターパンと一緒に飛んで。
…残念なことに、此処に夜空は無いけれど。
漆黒の闇が広がる真空の宇宙、そんな場所では誰も飛べないのかもしれないけれど。
ピーターパンも、背に翅を持つ小さな妖精のティンカーベルも。
そういうことなら、それも仕方ないと諦めるけれど。
此処からネバーランドに繋がる道は無いのだ、と諦めるしか無さそうだけども。
なにしろ、此処には無い太陽。
中庭に人工の夜はあっても、人工の朝が訪れはしても、無いのが「夜明け」。
太陽は何処からも昇って来なくて、ただ照明が灯るだけ。
夜の間は暗かった中庭、其処を明るく照らし出すように。
まるで本物の朝が来たように、徐々に明るさを増してゆく光。
けれども何処にも太陽は無くて、訪れはしない「夜明け」というもの。
つまり「本物の朝」が無いわけで、本物の朝が来ないなら…。
(…二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ…)
そうやって進んでゆけはしないのだし、開かないネバーランドへの道。
ネバーランドへの行き方はこう、とピーターパンの本に書いてあるから。
「二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ」と。
(…朝が無いから、いくら歩いても…)
けして着けない「朝」という場所。
「朝まで真っ直ぐ」進んで行ったら、ネバーランドに行けるのに。
二つ目の角を右へ曲がって、朝まで真っ直ぐ行くだけなのに。
(…それが出来ない場所だから…)
ピーターパンもティンカーベルも飛んで来ない、と思うことは出来る。
朝が無い上に、夜空でもない真空の闇に包まれていては。
そんな所に囚われていては、ピーターパンも来られないのだと。
出来ることなら、そう思いたい。
ネバーランドへの道も閉ざされた、呪われた場所に囚われの自分。
朝が来ないから自分で歩いてゆけはしないし、空が無いからピーターパンも来られない。
どう頑張っても辿り着けない夢の国だから、ネバーランドも見えないのだと。
…こうやって本を開いてみても。
穴が開くほどピーターパンの本を見詰めても、夢の国は其処に無いのだと。
(…ティンカーベルも、フック船長も…)
何も見えない、と胸が塞がれるよう。
故郷では、この本を広げただけで飛べたのに。
身体は故郷の家にあったソファ、その上にコロンと転がっていても。
床の絨毯に座っていたって、心は自由に羽ばたいてゆけた。
本の向こうのネバーランドへ、ピーターパンが飛んでゆく国へ。
(…本当に全部、其処にあるんだ、って…)
信じられたし、信じてもいた。
だから夢見て憧れ続けて、いつか行こうと準備していた。
ピーターパンが迎えに来たなら、一緒にふわりと舞い上がる夜空。
そのまま朝までずっと真っ直ぐ、ピーターパンと飛んでゆこうと。
本物のネバーランドにきっと行けると、本で見るよりも素敵な場所に、と。
(…ちゃんと見えたよ、ネバーランド…)
ぼくは見ていた、と覚えているのに、今では何も見えては来ない。
こうして本を開いてみたって、懸命に文字を追ったって。
挿絵のページに見入ってみたって、開いてくれない世界の扉。
今の自分には、ネバーランドがもう見えない。
…どんなに探し求めても。
この本のページから行ける筈だと、行けた筈だと頑張っても。
そうなったのは、自分が捕まったから。
E-1077という名の牢獄、其処に閉じ込められたせいだと思いたいけれど…。
違う、と分かっている悲しい答え。
懐かしい故郷や優しい両親、子供時代の幸せな記憶。
それと一緒に、自分は失くしてしまったのだと。
ネバーランドを見付ける力を、本の向こうに夢の世界を読み取る力を。
(……テラズ・ナンバー・ファイブ……)
あいつが奪った、と噛んだ唇。
「ぼくの翼まで奪って行った」と、「今のぼくは夢も見られやしない」と。
もちろん夢は見るけれど。
悪夢も幸せな夢も見るけれど、それとは違った「夢見る力」。
目を覚ましていても見える夢の世界を、今の自分は捉えられない。
…もう子供ではなくなったから。
自分では子供のつもりでいたって、機械が「大人」にしてしまったから。
ネバーランドは子供の世界で、其処に行った子は「いつまでも」子供。
ピーターパンの本を書いた作者は、そんな子の一人だったのだろう。
だからこそ書けた夢の国。
きっと本当に何処かにある国、ピーターパンたちが暮らすネバーランド。
あの時、機械が自分の力を奪わなければ、今もこの本を開いたら…。
(…ピーターパンも、ティンカーベルも…)
フック船長も、昔と同じに鮮やかに目の前に見えた筈。
エネルゲイアの家でそうしていたように。
成人検査の前の日の夜も、この本を開いて夢見たように。
いい成績で成人検査を通過したなら、ネバーランドよりも素敵な地球に行ける筈。
その道を進んで行けたらいいと、いつか地球にも行ってみたいと。
ネバーランドは、こんなに素敵な国なのだから。
もっと素敵な地球となったら、どれほど素晴らしい場所なのかと。
(……あれが最後で……)
それきり、見てはいない国。
ピーターパンの本を開いても、今の自分には…。
(…ネバーランドへの行き方だけしか…)
分からないんだ、と胸の奥から湧き上がる悲しみ。
「二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ」、その意味ならば分かるから。
一つ、二つと数えた二つ目、そういう角を「右」へと曲がる。
「右か、左か」と尋ねられる右で、自分の右手がある方へ。
そう曲がったなら、後は「朝」まで「ずっと真っ直ぐ」。
E-1077には無い夜明けまで。
太陽が昇る朝に着くまで、ただ「真っ直ぐ」に歩くだけ。
そうやって行けばネバーランドに着くのだけれども、ただそれだけしか分からない。
「二つ目の角」を「右へ」曲がって、後は「朝」まで「ずっと真っ直ぐ」。
それは単語の連なりだけで、魔法の道はもう見えない。
子供の頃は見えたのに。
「こうやって行けば、ちゃんと着くんだ」と、本当に分かっていた筈なのに。
本を開けば、ピーターパンが見えていたように。
ティンカーベルが、フック船長が、ネバーランドが鮮やかに見えていたように。
(…ぼくが失くしたのは…)
夢の世界を捉える力か、それとも「信じる心」なのか。
ピーターパンの本に描き出された本当の夢を「信じる」心。
それを失くして、今は見えなくなっただろうか。
ピーターパンもネバーランドも、背に翅を持つティンカーベルも。
夢の世界を捉える力も、本物の夢を「信じる心」も、多分、此処では要らないもの。
E-1077では不要だろうし、この先の道でもきっと要らない。
メンバーズになるのに野心は要っても、夢など要りはしないから。
「メンバーズになりたい」と夢見るようでは、道は開けはしないから。
他人を蹴落とすほどの勢い、そんな野心を抱えてひたすら駆けてゆくのが似合いの道。
だから機械は消したのだろう。
夢の世界を捉える力か、あるいは夢を「信じる心」。
それを失くしてしまった自分に、ネバーランドはもう見えない。
いつの日か、それを取り戻すまで。
メンバーズへの道を駆けて駆け抜けて、国家主席に昇り詰めるまで。
(…そして機械に、ぼくの記憶を…)
返せ、と命じて子供時代を取り戻すまでは、見えないのだろうネバーランド。
分かってはいても、やはり悔しくて零れる涙。
「此処は牢獄だから、見えないだけなら良かったのに」と。
空がある場所へ、朝が来る場所へ移り住んだら、また見えるだろうネバーランド。
その方がずっと良かったのにと、「今は見えない」だけなら泣かずにいられたのに、と…。
見られない夢・了
※シロエの宝物の本。「両親に貰った」ことも大きいだろうけど、他にもありそう。
子供の目には「ちゃんと見える」筈のネバーランド。成人検査の後は見えないのかも…。