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(ぼくの本…)
 これだけしか残っていないけれど、とシロエが抱き締める大切な本。
 E-1077の中の個室で、一人きりの夜に。
 たった一冊、故郷から持って来られた宝物。
 両親に貰った、ピーターパンの本。
 成人検査を受けた後にも、この本だけは残ってくれた。
 子供時代の記憶を奪われ、両親の顔すら、おぼろにぼやけてしまっても。
 懐かしい故郷のエネルゲイアの、風も光も、空気も霞んでしまっても。
(この本だけは、此処にあるから…)
 きっといつかは帰ってみせる、と誓う故郷の両親の家。
 今は住所さえ忘れてしまって、もう書くことも出来ないけれど。
 エネルゲイアの映像も、地図も、少しもピンと来ないのだけれど。
(…いつか必ず、思い出してやる…)
 機械が記憶を奪ったのなら、その機械から取り戻して。
 「ぼくの記憶を返せ」と、機械に命令して。
(…パパとママの家に帰れる日まで…)
 この本は、けして手放さない。
 何があっても守り続けて、何処へ行こうと、この本と一緒。
 メンバーズとして船に乗り込む時が来たって、戦地へ赴く日が来たって。
(何処へでも、持って行くんだから…)
 絶対に離してたまるもんか、と本を膝の上に置いて広げる。
 其処に書いてある、自分の名前。
 「セキ・レイ・シロエ」と、自分の字で。
 これが「自分の持ち物」の証。
 この本は誰にも渡しはしないし、いつまでも「セキ・レイ・シロエ」の本。
 誰にも書き換えさせない、その名。
 本の持ち主は自分一人だけで、何処までゆこうと「セキ・レイ・シロエ」。
 いつか命尽きる時が来たなら、その時は「失くす」かもしれないけれど。


 ぼくの本だ、と見詰める「セキ・レイ・シロエ」の文字。
 命ある限り、この本は自分だけのもの。
 こうして名前も書いてあるから、誰も「寄越せ」と奪えはしない。
 それをしたなら、責められるだけ。
 此処でなら、マザー・イライザに。
 E-1077を離れた後なら、グランド・マザーや、マザー・システムに。
(人の物を盗ったら泥棒だしね?)
 そういう時にはマザー・システムも役に立つよ、とクックッと笑う。
 「泥棒」は明らかに「規則違反」で、罰せられるもの。
 だから、この本を奪う者はいない。
 奪った途端に「泥棒」になって、評価が下がるだけなのだから。
(…渡すもんか…)
 この本は「ぼくの本」なんだから、と指で持ち主の名前をなぞる。
 「セキ・レイ・シロエ」と、一文字、一文字、自分の筆跡を追うように。
 それを辿って、指で書こうとするかのように。
(…セキ・レイ……)
 シロエ、と続けようとして、ふと止まった指。
 「シロエ」は自分の名前だけれども、今、書いた「レイ」。
 これも同じに「シロエ」の名前。
 「セキ」の後には「レイ」と続いて、最後に「シロエ」。
(……セキ・レイ・シロエ……)
 何度も自分でそう名乗った。
 そして誇らしげに、こう続けもした。
 「シロエと呼んで下さい」などと。
 お蔭で誰もが「シロエ」と呼ぶ。
 教官たちなら、「セキ・レイ・シロエ」と名簿を読みもするのだけれど。


(…ぼくはシロエで…)
 セキ・レイ・シロエ、と心の中で繰り返す。
 本に書いた文字を目で追ってみても、やはり「セキ・レイ・シロエ」とある。
 けれども、止まってしまった指。
 「セキ・レイ」までをなぞって、其処の所で。
 続けて「シロエ」と辿る代わりに、まるで縫い留められたかのように。
(……ぼくの名前は……)
 「セキ」なら両親の名前と同じ。
 父は「ミスター・セキ」でもあったし、「セキ」がファミリーネームになる。
 養父母とはいえ、子供時代の自分は「セキ」という家の子。
 今でも「セキ・レイ・シロエ」を名乗って、「セキ」の名を継いでいるけれど…。
(…シロエは、シロエで…)
 ファーストネームで、何も思わず口にしていた。
 名を問われたなら「セキ・レイ・シロエ」と、「シロエと呼んで下さい」と。
 だから自分でも「シロエ」のつもり。
 自分の名前は「シロエ」なのだと、ずっと信じていたのだけれど。
(……セキ・レイ……)
 「レイ」も「ぼく」だ、と今頃になって気が付いた。
 それはいわゆるミドルネームで、「セキ・レイ・シロエ」の名前の一部。
 「セキ・シロエ」ではなくて、「セキ・レイ・シロエ」。
 自分の名前はそれで全部で、「レイ」が無ければ、まるで別人。
 「セキ・シロエ」なんかは知らないから。
 自分はあくまで「セキ・レイ・シロエ」で、「他の名前」ではないのだから。


 どうして今日まで、不思議に思わなかったのだろう。
 「レイ」も自分の名前なのだと、考えさえもしなかったろう…?
(…それも忘れた…?)
 まさか、と背中がゾクリと冷える。
 あの忌まわしい成人検査で、「忘れなさい」と命じた機械。
 記憶の全てを捨てるようにと強いた、憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブ。
 あれが自分から「奪った」だろうか、「レイ」の名前を…?
 どうして「セキ・レイ・シロエ」なのかを、「レイ」の名は何処から来たのかを。
 それならば、分からないでもない。
 むしろピタリと合う符号。
 機械が「忘れさせた」なら。…記憶を「奪い去った」のならば。
(…パパの名前にも、ママの名前にも……)
 「レイ」という名は入ってはいない。
 そのことは今もハッキリしている。
 顔さえおぼろになった今でも、「セキ・レイ・シロエ」のパーソナルデータは健在。
 E-1077のデータベースにアクセスしたなら、即座に弾き出されるそれ。
 其処には、養父母の名前も書かれているのだから。
(…パパもママも、「レイ」じゃないのなら…)
 きっと「レイ」には意味がある筈。
 ミドルネームを持っている者は、そう沢山はいない時代。
(パパか、それともママだったのか…)
 あるいは二人で、そう決めたのか。
 とにかく「子供にミドルネームをつけよう」と、父と母とは考えた。
 そうして生まれた「セキ・レイ・シロエ」という名前。
 「セキ・シロエ」にはならないで。
 「レイ」を加えて、「セキ・レイ・シロエ」と。


(…「レイ」の名前に、意味があったんだ…)
 きっとそうだ、と今なら分かる。
 自分は「何も覚えていなくて」、両親の名前に「レイ」の名は無い。
 父か母かが選んだ名前で、何らかの意味がこもっていた筈。
 「セキ・シロエ」よりも響きがいいから、と「レイ」を加えてくれたのか。
 それとも「レイ」という名の知り合いでもいて、その人の名に因んだものか。
(…知り合いじゃなくて、パパの尊敬する人だとか…?)
 遠く遥かな昔の学者か、あるいは偉人や、英雄などや。
 そうした名前を貰っただろうか、「セキ」の名を持つ息子のために…?
(ママが選んだ名前ってことも…)
 有り得るのだから、「レイ」というのは、母が好んだ画家や作家の名前とか。
 母の友人に「レイ」の名を持つ、親しい誰かがいただとか。
(……パパかママかは、分からないけど……)
 二人で決めたかもしれないけれども、「レイ」は「選んで貰った」名前。
 「この名がいい」と、わざわざミドルネームにして。
 本当だったら「セキ・シロエ」だけで充分なのに、「レイ」を加えて。
(…だから、忘れた……)
 ぼくは覚えていないんだ、と「レイ」の名前の部分をなぞる。
 この名に何の意味があったかと、それを名付けたのは父か母か、と。
(…何回も聞いて、「また聞かせて」って…)
 幼い自分は両親にせがんだのだろうか。
 「どうして、ぼくはシロエの他にも名前があるの?」と、「レイって誰?」と。
 その度に答えを聞かされたろうか、「それはね…」と母に、懐かしい父に。
 何度も何度も繰り返し聞いて、きっと心に刻んだ名前。
 「ぼくの名前はセキ・レイ・シロエ」と、「レイの名前は、パパたちが…」と大切に。
 宝物のように思っただろうに、「それ」を忘れた。
 「レイ」の名前は何処から来たのか、誰が名付けてくれたのかを。


 酷い、と涙が零れ落ちる。
 「名前を忘れてしまうだなんて」と、「パパたちがくれた名前なのに」と。
 名前は残っているのだけれども、意味を忘れたら、記号にすぎない。
 「セキ・レイ・シロエ」と名乗ってみたって、「レイ」の名前は謎のまま。
 「セキ」ならば、ファミリーネームなのに。
 「シロエ」の方ならファーストネームで、誰にでもあるものなのに。
(……ミドルネームは、持っている人が少なくて……)
 大抵は、それに意味があるもの。
 母の姓だったり、両親の名前の一部をそのまま使っていたりと。
(…だけど、ぼくのは……)
 両親の名前と繋がらないから、ただ、悲しい。
 それを贈ってくれた両親、その「思い」ごと忘れたから。
 「レイ」の名に何の意味があったか、どうしても思い出せないから。
(……セキ・レイ・シロエ……)
 レイって誰なの、と顔もおぼろな両親に問う。
 「どうして、ぼくの名前はレイなの」と。
 涙が頬を伝うけれども、それに答えは返らない。
 「セキ・レイ・シロエ」の「レイ」が何かは、何処から名付けられたのかは…。

 

         奪われた名前・了

※セキ・レイ・シロエの名前って、ある意味、色々、反則。「セキ」が姓だったり、と。
 ミドルネームも、ジョミーしか持っていないんですよねえ…。なので捏造。









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(ブルー…。私は、どうなってしまうのでしょう…)
 教えて下さい、とフィシスは日々、悲しみに暮れていた。
 ナスカが崩壊して、ソルジャー・ブルーが二度と戻って来なかった、あの日。
 ブルーの形見になってしまった、補聴器をジョミーに渡した時。その時は、まだ知らなかった。自分を待ち受けている運命のことも、自分の忌まわしい生まれのことも。
 けれど、衰え始めたサイオン。まるで読めなくなってゆく未来。
 何度タロットカードを繰っても、意味を成してはいないものばかり。呪いでもかかっているかのように。…あの時、ブルーは「呪いを解く時が来たようだ」と告げていたのに。
(長年、私にかけられていた呪い…)
 それが何だったか、今では分かっている。
 水槽の中に浮かんでいたのを、思い出したから。「ブルーと初めて出会った」日を。
(…私は、キース・アニアンと…)
 同じ生まれで、「ミュウではない」者。サイオンなどは「無くて当然」。
 この先、まだまだ衰えてゆくことだろう。思念波さえも使えなくなる日が、いずれ訪れるのかもしれない。そうなった時に、どうやって生きて行けばいいのか。
(…それに、私は……)
 ブルーと大勢の仲間たちを殺してしまった、とフィシスは自分を責める。
 「地球の男」に近付かなければ、キースが逃げ出すことは無かった。メギドの炎が赤いナスカを滅ぼすことも、ブルーが「いなくなってしまう」ことも。
(…ブルー、私はどうすれば…)
 もう行く道が見えないのです、と嘆き悲しむフィシスだったけれど。
「…フィシス?」
 失礼します、と天体の間に入って来たのは、シャングリラのキャプテン、ハーレイだった。
(……キャプテン……?)
 キャプテンが私に何の御用で…、とフィシスは訝しむ。
 「未来を読まない」ソーシャラーなど、長老たちにも、とうに見放されているというのに。


 だから、ハーレイが側に来るのを待たずに言った。
 「占いでしたら、今日は気分が優れないので…」と、いつも通りの言い訳を。
 サイオンを失ったことが知れたら、きっと大変なことになる。「生まれの秘密」は、トォニィが知っているのだから。
 けれど、ハーレイは「いえ」と真っ直ぐ近付き、直ぐ側に立った。
「…フィシス。正直に答えて貰いたい。…あなたは、未来を読まないのではなくて…」
 読めないのでは、と投げ掛けられた問い。フィシスは声を失った。それは真実なのだから。
(……知られているの!?)
 トォニィが船のみんなに話して回ったの、と怯え、椅子に腰掛けたままで凍り付いたけれど。
「やはり、思った通りだったか…。ブルーから聞いていた通りに」
「…えっ?」
 何を、とハーレイを見上げたフィシス。「キャプテンは何を知っているの?」と。
「フィシス、あなたのことなのだが…。ブルーは全て、私に話した」
 そして私は、誰にも話してはいない、とハーレイはフィシスを安堵させるように言葉を選んで、続きを口にしてゆく。
 「何もかも」知っていたことを。フィシスの生まれも、ブルーがフィシスにサイオンを与えて、ミュウにしたことも。
 ハーレイはソルジャー・ブルーの右腕だったから、最初から全て承知だった、と。
「…では、私は…。これから、どうすればいいのですか?」
 この船の中で…、とフィシスの閉じた瞳から涙が零れてゆく。ミュウではないなら、この船にはとてもいられない。皆が知らなくても、自分自身が「それを許さない」から。
 ナスカの滅びを、ソルジャー・ブルーの死をもたらした「災いの女」。
 ミュウでさえもなくて、「地球の男」と同じ生まれで、これからも災いを呼ぶだろうから。
 そうして自分を責めて責め続けて、行く道は今も見えないまま。…誰も教えてくれないまま。
「…フィシス。あなたは、何を望んでいる…?」
 望みは何だ、と訊き返された。「望みがあるなら、それを聞こう」と。
 キャプテンとして、叶えることが出来そうだったら、そのように努力してゆこう、とも。


(……私の望み……?)
 考えたことも無かったわ、とフィシスは心の中を探った。
 ブルーが戻らなかった時から、まるで失くしてしまった希望。その上、道さえ見えはしなくて、望みなど持てはしなかった日々。
 けれども、それを問われたからには、答えなくてはならないだろう。
 問い掛けたのは、「全てを知る」ハーレイ。キャプテン自ら、此処まで足を運んでの問い。
(……私に、何か出来るとしたら……)
 何をしたいか、どうしたいのか。
 答えは直ぐに見付かった。「これだわ」と直ぐに分かったけれども、あまりに非現実的なそれ。いくらハーレイが努力したとて、叶いはしない。
 そう思ったから、「望みなどは……何もありません」と答えたのに。
「…本当に? ブルーからは、あなたのことを何度も頼まれていたので…」
 力になれるものだったら、とハーレイの方も譲らない。天体の間を去ってゆこうともしない。
(…こんな望みが、叶うわけがないのに…!)
 どうして分かってくれないの、とフィシスは声を荒げてしまった。
「あなたに何が分かるのです! 私には決して出来ないことです、敵討ちなど…!」
 ブルーの仇を取りたいのに…、と叫ぶようにして明かした「望み」。
 それは「絶対に」叶いはしない。
 ブルーを殺したキース・アニアン、彼は叩き上げのメンバーズ。「ただの女」が太刀打ち出来る相手はなくて、返り討ちに遭うに決まっている。どう考えても、どう転んでも。
 だから「あなたに、何が出来ると言うのです…!」と、ハーレイに怒りをぶつけたのに。
「…そんな所だと思っていた。ならば、あなたの努力次第だ」
「……努力?」
 どういう意味です、とフィシスは見えない瞳でハーレイを見詰めた。努力とは何のことだろう?
「そのままの意味だが?」
 ブルーの仇を討ちたいのだろう、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
 「そうしたいのなら、私も努力を惜しまない」と、「早速、今日から始めるとしよう」と。


(…今日からって…。何を始めると言うの?)
 途惑うフィシスに、ハーレイが「これなのだが…」と取り出して「見せた」もの。
「……ナイフ……ですか?」
 木彫り用の、とフィシスは尋ねた。キャプテン・ハーレイの趣味は木彫りで、よくブリッジでも彫っていた。「ナイフ一本で出来る趣味だから」と、それは楽しそうに。
 ただし、木彫りの腕前の方は、お世辞にも上手くなかったけれど。
「確かに、私が趣味に使っているナイフだが…」
 これには別の顔があって…、とハーレイはシュッと空気を「斬った」。ナイフがキラリと光った瞬間、床に落ちていた「斬られた」リンゴ。
 さっきまでテーブルの上の器に盛られていたのに、真っ二つ。いつハーレイがそれを取ったか、まるで分かりもしなかったのに。
「…キャプテン、今のは…?」
「こちらがナイフの「本当の顔」だと言うべきか…。ナイフを使った戦闘術だ」
 極めれば、このようなことも出来る、とハーレイは笑った。
 曰く、シャングリラがまだ「白い鯨」になるよりも前は、満足に無かった「武器」というもの。人類軍に船を襲われ、白兵戦になったらマズイ。
 ゆえに誰もが「自分に適した」ものを選んで、「戦える自分」を作り上げた。
 ゼルの場合は、レンチを持ったら「向かう所は敵なし」らしい。ヒルマンはペンで、相手の目にそれを突き立てる。エラは縫い針で首の後ろの急所を狙って、一撃必殺。
 そんな具合に皆が「必殺技を持つ」のだけれども、ハーレイはナイフの達人だった。キッチンにあったナイフを手にして、鍛えまくった自慢の腕。
 もっとも、今ではシャングリラも立派な船になったし、武器も豊富に揃っている。身近なもので戦わなくても、何の問題も無いものだから…。
「…戦闘用から、木彫り用のナイフになったのですか?」
「そうなのだが…。腕は全く鈍っていない」
 ブルーの仇を討ちたいのならば、教えよう、とハーレイはフィシスに向かって笑んだ。
 「私で良ければ、いくらでも稽古に付き合うが」と、「あなたでも、やれば達人になれる」と。


 ナイフ一本で「戦える」術。フィシスに「否」がある筈がない。
 「教えて下さい!」とハーレイに頼んだわけで、その日から稽古が始まった。ハーレイが持って来ていた「練習用の」ナイフを使って、天体の間で。
「行くぞ、上! 中! 次、下!」
 ハーレイが繰り出すナイフを相手に、フィシスは懸命に稽古を続けた。
 自分のナイフが弾き飛ばされても、急いで拾って「お願いします!」と。「まだまだ!」などと諦めないで、来る日も、来る日も。
 そうやって稽古を続けまくって、ついに目出度く免許皆伝。
「この腕なら、メンバーズ相手でもいける。…よく頑張った、フィシス」
「ありがとうございます、キャプテン!」
 キースに会ったら、きっとブルーの仇を討ちます、と誓うフィシスは、愛用のナイフをドレスの下に隠していた。スリットから直ぐに取り出せるように、太腿にナイフホルダーをつけて。
 今やフィシスは最強のアサシン、盲目の女暗殺者。
 殺気を殺して敵に近付き、ナイフで頸動脈を掻っ切る。心臓を一撃で貫くのもアリ。
 そんなフィシスが、ジョミーたちと地球に降りたものだから…。


 ミュウと人類との会談の前夜、ユグドラシルで窓の向こうの月を見上げていたキース。
 其処へフィシスが現れたわけで、キースは余裕たっぷりに言った。背を向けたままで。
「…銃なら其処に置いてある」
「いえ、結構です」
 私には、これで充分です、とキースの喉元でギラリ光ったナイフ。月明かりに照らされ、それは冷たく、禍々しく。
 動けば喉を掻き切られるから、キースは全く身動き出来ない。フィシスに後ろを取られたまま。
「き、貴様……!」
 それがキースの精一杯で、フィシスはナイフをキースの喉に当てながら…。
「…ブルーの最期を教えて下さい。あなたが殺めたのですか?」
「ち、違っ…! あ、あいつはメギドの爆発で…!」
 死んだ筈だ、とキースは逃げを打ったけれども、フィシスのナイフは揺るぎもしない。
「本当に? …あなたは本当に何もしていないのですか、あの人に…?」
「う、うう…。う、撃った…。撃ったが、殺す所までは…!」
「そうですか…。何処を撃ったと言うのです…?」
 全部話して頂きます、とフィシスは凄んで、キースは吐かざるを得なかった。ブルーに向かって何発撃ったか、命中したのは何処だったか。
「さ、最後に撃ったのが右目だった…!」
「…分かりました。では、あなたにも死んで頂きましょう」
 安心なさい、とフィシスはキースの耳元に囁いた。「右目は、あなたの死体から抉ることにして差し上げますから」と。
「し、死体からだと…!?」
「ええ。…生きている間に抉り出すほど、私は鬼ではありませんから」
 覚悟の方はよろしいですか、とフィシスはキースを「殺す気満々」だったのだけれど、何故だか憎めない「ブルーの仇」。どうしたことか、どういうわけだか。
(…この人の頸動脈を切ったら…)
 ブルーの仇が討てるのに、と思いはしても、出来ない「それ」。
 やはり生まれが同じだからか、同じ「青い地球」の映像を持っているからか…。


 仕方ない、とフィシスはナイフを下ろして、寂しそうな顔で微笑んだ。
「…殺すつもりで来たというのに…。何故か、あなたへの憎しみが湧かない」
 あなたを見逃すことにします、とナイフを足のホルダーに仕舞った。
(…ごめんなさい、ブルー…。あなたの仇を討てなくて…)
 でも、此処までは来ましたから、とキースを見詰めて、こう告げた。
「…忘れないで。あの人の最期を」
 忘れたら、その時は殺してあげます、とフィシスはキースに背を向け、その部屋を去った。来た時と同じに、足音もさせずに。
 こうして最強のアサシンは去ったけれども、キースはと言えば…。
(……た、助かった……)
 この身体のお蔭で命を拾った、とガクガクブルブル。
 キースの身体は、フィシスの遺伝子データを元に作られたものだった。言わば親子で、キースの母がフィシスに当たるわけだから…。
(あれが母親でなかったら…)
 殺されていた、とキースの恐怖は尽きない。「なんて女だ」と、「流石は私の母親だな」と。
 ソルジャー・ブルーも凄かったけれど、フィシスも半端なかったから。
 フィシスが見逃してくれなかったら、もう確実に死んでいた。
(でもって、右目を抉り出されて…)
 それを、あの女が踏み潰すのか、握り潰すのか…、とキースは震え続ける。
 最強のアサシン、それが自分の命を消しに現れたから。
 「ソルジャー・ブルーの最期」をウッカリ忘れた時には、きっと命が無いだろうから…。

 

          最強のアサシン・了

※自分はオチを知っているんで、サクサク書いてたわけですけれど。途中でハタと思ったこと。
 前半だけを見たら、「立派なシリアス、ブルフィシ風味」。どうしてこうなった…。








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(……理想の子、キース……)
 厄介なものを作ってくれた、とキースは深い溜息をつく。
 国家騎士団、総司令。その肩書きに相応しい部屋。
 其処でただ一人、夜が更けてから。
 側近のマツカはとうに下がらせ、「明日の朝まで用などは無い」と告げてある。
 だから朝まで誰も来ないし、通信も入らないだろう。
 その部屋の中で、思い返してみる自分の生まれ。それから、マザー・イライザの言葉。
 E-1077を処分してから、ずいぶんと経った。
 「キース・アニアン」の正体は、誰も知らない。
 これから先も知られはしないし、いつの日か、SD体制が崩壊する日が来ない限りは…。
(…誰も気付きはしないのだ…)
 マザー・イライザが「無から作った」生命、言わば「人形」なのだとは。
 三十億もの塩基対を繋ぎ、DNAという鎖を紡いで生み出されたもの。
 人の姿で、「人のように」考え、こうやって生きているのだけれど。
 「真実を知った」日よりも出世し、いずれ「人類の指導者」として立つだろうけれど…。
(……所詮は、人形ではないか……)
 遠い日に、シロエが言った通りに。
 「お人形さんだ」と、「マザー・イライザの可愛い人形」だと嘲り笑ったように。
 自分では「人」のつもりではいても、「人形」でしか有り得ないモノ。
 機械が作った、「理想の指導者」たる人間。
 それが「人形」でなければ何だと言うのか、「自分の意志では歩めない」のに。
 今更、違った道を行こうにも、その道がありはしないのに。
(……国家騎士団総司令の次は……)
 パルテノン入りだ、と分かっている。
 初の軍人出身の元老、そう呼ばれる日が来るのだろう。
 そうして歩んで、いつかは「国家主席」になる。
 それが自分の歩むべき道で、其処から「外れる」ことは出来ない。
 もう、そのように「歩いた」から。この先も「歩いて」ゆくだけだから。


 ふとした時に、そう気付かされる。
 自分は「歩まされている」のだと。
 機械が自分を「作った」時から、定められていたレールの上を。
 自分にはまるで自覚が無くても、最初からそうなっていた。
(…水槽から出されて、その日の内に…)
 サムと出会って、後には親友。ただ一人きりの「友」だと今も思っているサム。
 その「サム」さえも、マザー・イライザが「用意した」。
 人類の敵であるミュウの長、ジョミー・マーキス・シン。
 彼と同郷で、幼馴染なのが「サム」だったから。
 「キース・アニアン」が、いつか「人類の指導者」として立つのなら…。
(…ジョミー・マーキス・シンとの出会いは、避けられはしない…)
 真っ向から戦いを挑むのにせよ、「ミュウの殲滅」を命じるにせよ。
 ならば、布石は打っておくべき。
 早い間に、「ジョミー・マーキス・シン」を知る者たちと接触させて。
 折があったら、彼の名前を耳にするように。
(…実際、サムは何も知らずに…)
 ジョミーのことを聞かせてくれた。
 E-1077で、誰かを探しているようだったサム。
 「誰か探しているのか?」と訊いたら、「友達がいないかと思って…」と答えが返った。
 アタラクシアで友達だった、ジョミー・マーキス・シン。
 それが「ジョミー」の名を聞いた最初。
(…マザー・イライザは、何処まで計算していたのか…)
 あの話だけで終わる筈だったか、その先まで読んでいたと言うのか。
 サムは「ジョミーに会う」ことになった。
 訓練飛行の時に受けた思念波攻撃、それは「ジョミー」が放ったもの。
 サムは悲しみ、混乱した。「どうして、ジョミーがミュウの長に」と、悲嘆にくれて。
 なのに、「忘れてしまった」サム。
 次にジョミーのことを訊いても、「よく覚えていない」と怪訝そうな顔をしたほどに。


 マザー・イライザが、サムに施した記憶処理。
 「ジョミーを忘れさせる」こと。
 それは「必要なこと」だったのか、あれも「計算の内」だったのか。
(…あのタイミングで、ミュウが思念波攻撃をしてくるなどは…)
 マザー・イライザはもちろん、グランド・マザーにも「予測不可能」だったと思う。
 ミュウは「SD体制の枠から外れた」異分子なのだし、どう動くのかは読めない筈。
 そうは思っても、マザー・イライザのことだから…。
(ありとあらゆる可能性を考え、それの答えを…)
 あらかじめ準備していなかったとは、とても言えない。
 現にシロエも、「あの時」に「消された」のだから。
 二度目の思念波攻撃を受けて、混乱していたE-1077。
 保安部隊の者たちさえもが、一人も動けはしなかった。心だけが子供に戻ってしまって。
 そうした中で、練習艇で逃亡したシロエ。
 それを追い掛け、撃ち落とした。
 シロエは呼び掛けに応えることなく、真っ直ぐに飛び続けたから。
 連れ戻すことは不可能だったし、命ぜられるままに「撃った」のが自分。
 けれど、シロエが、「あの時に」逃げなかったなら…。
(…追跡するのも、撃ち落とすのも…)
 保安部隊の仕事になっていただろう。
 いくら自分が「メンバーズ」に決まって、卒業の日が迫っていても。
 じきに「本物の軍人」になる身で、配属先までが決められていても、所詮は「生徒」。
 武装した船で飛び出して行って、「逃亡者」を処分する権限などを持ってはいない。
 「非常事態だからこそ」許されたことで、通常だったら「有り得ない」こと。
 けれども、マザー・イライザは言った。
 「全ては計算通り」だったと。
 「キース・アニアン」の指導者としての資質を、開花させるための。
 サムに、スウェナに出会ったことも、ミュウ因子を持つシロエに出会ったことも。
 …そのシロエを「この手で」処分させたことも。


 何処までが「計算」だったのか。
 いくら優れたコンピューターでも、「未来を予知する」ことは出来ない。
 ありとあらゆる「可能性」なら予測できても、それに対する「答え」を導き出せたとしても。
 機械は、けして「神」などではない。
 神でないなら、未来を「読める」筈などがない。
 それでも「計算通り」だったと、マザー・イライザは言ったのだから…。
(……私の人生も、既に計算済みなのだろうな……)
 とうの昔に、先の先まで。
 シロエが遺した「ピーターパンの本」さえ、機械は「計算済み」だったろうか。
 「E-1077を処分せよ」と、グランド・マザーが告げて来たのと、本が姿を現したのは…。
(…同時だと言ってもいいほどで…)
 自分が「見た」シロエのメッセージ。
 あれさえも機械は「知って」いたのか、全て承知で「計算を続けていた」ものなのか。
 だとすれば、自分に「自由」などは無い。
 人生の先の先まで決められ、そのように「歩いて行く」というだけ。
 「自分の意志」では何も出来ずに、「歩まされて」。
 国家騎士団総司令の次は、パルテノン入りして元老になって、更には国家主席の地位へと。
 …其処から「外れる」ことは出来ない。
 「そうなるように」と作り出された生命体には、「他の選択」など許されはしない。
 せいぜい、「ミュウのマツカを生かしておく」だけ、その程度の自由。
 何一つとして、「自分の自由」にはならない人生、その道を歩んでゆくしかない。
 「そのように」機械が「作った」から。
 「理想の子」として、三十億もの塩基対を繋いで。
(…それ以外の道など、私には無い…)
 この先も選ぶことなど出来ない、と思う傍ら、ふと寒くなる。
 今、「これを」考えている「思考」。
 それは自分のものなのか、と。
 この思考もまた、「機械がプログラム」してはいないか、と。


 E-1077にあった水槽、あそこで見て来た「サンプル」たち。
 「キース・アニアン」にそっくりなモノ。
 マザー・イライザは「彼ら」を育てて、途中で廃棄し、標本にした。
 それを「免れた」のが「キース・アニアン」で、「たまたま選び出された」だけ。
 彼らと同じに育ったのなら、機械が「全てを」教えて、育て上げたなら…。
(…この考えまで、私に組み込んでいないだなどと…)
 どうして言える、と恐ろしくなる。
 マザー・イライザが「先の先までを」読んで、サムを、シロエを用意したなら。
 シロエの「最期」まで「読んでいた」なら、「キース・アニアン」の「思考」くらいは…。
(……容易くプログラム出来そうではないか…)
 可能性など計算せずとも、「そのように」教え込みさえすれば。
 幼い子でさえ、養父母次第で、どうとでも変わるらしいのだから。
(……本当に、実に厄介なものを……)
 作ってくれた、と呪いたくなる「自分の生まれ」。
 この思考でさえ、「自分のもの」だと自信が持てない時があるから。
 何処までが「自分自身の思考」で、何処からが「機械のプログラム」なのか、謎だから。
 せめて「思考」は、「自分のもの」だと思いたい。
 機械が作った生命でも。
 「無から作られた」生命体でも、「思考くらいは自由なのだ」と…。

 

          持たない自由・了

※原作キースだと、最後の最後にグランド・マザーに「操られる」わけで、なんとも気の毒。
 アニテラには「無い」設定ですけど、キースが心配になるのも当然だよな、と。








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「ソルジャー、何と仰いました!?」
 ハーレイは思い切り、目を剥いた。ソルジャー・ブルーを前にして。
 此処は青の間、余命僅かなソルジャー・ブルーはベッドの住人。その枕元に立つキャプテンと、四人の長老たちと。
 ブルーの赤い瞳が瞬き、ハーレイたちをゆっくりと見渡す。「言った通りだ」と。
「三年間、ぼくの死を隠せ。…そう言ったんだが」
「そ、それはどういう…」
 意味でしょうか、とハーレイが皆の代表で尋ねた。なんと言ってもキャプテンだから。
 ブルーは再び瞬きをすると、「そのままの意味だ」と大真面目な顔。
「ぼくはもうすぐ燃え尽きる。…しかし、あまりに時間が足りない」
 ジョミーはまだまだ不安定すぎる、とブルーがついた深い溜息。
 ソルジャー候補に据えられたジョミーは、只今、サイオンその他の猛特訓中。けれども、何かと足りない自覚。それに集中力。
 いつ正式に「ソルジャー」を継げるか、その目途さえも立ってはいない。ブルーの寿命が残っている間に、ちゃんとお披露目できるのだったらいいけれど…。
 それも危ういから、「三年間、ぼくの死を隠せ」となった。
 ジョミーがソルジャーを引き継げないまま、ブルーの命が潰えた時には、そうしろと。
 船の仲間の不安を煽らないよう、「ソルジャー・ブルーはご健在だ」と嘘をつくのが、ハーレイその他の長老の役目。
「で、ですが…。そのようなことをしても、直ぐバレるのでは…」
 そもそも、元ネタの方でもバレております、と返したキャプテン・ハーレイ。
 今どきレトロな羽根ペンなんぞを愛用するほどだから、ハーレイは密かに「歴史ヲタ」だった。ゆえに知っていた、「三年間」の元ネタ。
 遥かな昔の地球にいた武将、武田信玄なる人物。彼の遺言がそれだったけれど、死んだら死んだ事実は即バレ、遺言の意味は全くなかった。
 よって「ソルジャー・ブルーの死を隠しても」無駄、というのがハーレイの意見だけれど。
「其処を頑張って貰いたい。…君たちは有能だと思うんだが?」
 それとも、ぼくの勘違いだったろうか、という駄目押し。ハーレイたちは「ハハーッ!」と礼を取るしかなかった。「お言葉、しかと承りました」と。


 ソルジャー・ブルーに万一があれば、「三年間」彼の死を隠す。
 それがソルジャーの御意志だから、とハーレイたちの努力の日々が始まった。
「…キャプテン。青の間に誰も入れないようにするというのは、いいんじゃが…」
 技術的には可能なんじゃが、と会議の席で考え込むゼル。
 「果たして、それでいいんじゃろうか」と、「もっと他にも手の打ちようが…」などと。
「では、どうすると言うのです?」
 ソルジャーはおいでにならないのに、とエラが疑問を呈したけれども、ゼルは「其処じゃな」と髭を引っ張った。
「おいでになるよう、見せかけることは出来るじゃろう!」
 立体映像を使っても良し、そっくりなアンドロイドを作って寝かせておくのも良し、と。
「その必要があるのかね?」
 立ち入り禁止の方が早いのでは、とヒルマンは立ち入り制限派。下手な小細工を施してみても、バレる時にはバレるだろう、と。
「それが甘いんじゃ! こういうことはな、堂々とするのが上策じゃて!」
 ソルジャーはあそこにおいでなのじゃ、と分かればいい、というのがゼルの言い分。
 幸か不幸か、青の間は「べらぼうに」広い部屋だし、入口から入っても、ソルジャーが寝ているベッドがスロープの上に見えるだけ。
 だから「ソルジャーは今はお休み中だ」と言いさえすれば、訪問者は黙って帰ってゆく。用件を後で伝えて欲しい、と伝言だけを青の間に残して。
「なるほどねえ…。あたしもゼルに賛成だ」
 堂々と隠せばいいじゃないか、とブラウが賛成、ハーレイも「否」とは思わなかった。
 エラとヒルマンも、半時間ほど考えた末に…。
「それがいいかもしれません。下手に隠すと、勘ぐる者も出るでしょうから…」
「そうだね…。では、その方向でやってゆくことにしよう」
 技術などはゼルに任せておいて…、と決まった方針。
 万一の時も、青の間をけして閉鎖したりはしないこと。訪れた者には用件を訊いて、返事は皆で検討する。「ソルジャー・ブルーなら、どう答えるか」と、それっぽいのを。


 やるべきことは他にも色々。
 急がなければいけないことが、「ソルジャー・ブルーの真似」だった。
 三年間も死を隠すとなったら、影武者までは要らないとしても…。
「…これはハーレイの仕事だねえ…」
 あんたが一番器用じゃないか、とブラウが名指ししたキャプテン。「あんたしかいない」と。
「そうじゃな、木彫りの腕は最悪なんじゃが…」
 ペンの扱いには慣れておるじゃろうが、とゼルも大きく頷いた。「お前の仕事じゃ」と、それは重々しく。
「私なのか!?」
「そうなるでしょう。…ソルジャーのサインを真似るとなったら」
「日々、研鑽を積んでいるのが君だろう?」
 航宙日誌を羽根ペンで書いて、ペン習字に余念がないじゃないかね、とエラとヒルマンも同意。
 シャングリラで重要なことを決定するには、ソルジャー・ブルーの署名が必須。
 「三年間、ソルジャーの死を隠す」のだったら、当然、「代わりのサイン」が要る。そっくりに書かれた、「本物」が。誰が見たってバレないヤツが。
「…分かった。真似られるよう、努力しよう」
 まずはサインの写しをなぞる所から、とハーレイは腹を括ったのだけれど。
「努力じゃと? サッサと結果を出さんかい!」
「まったくだよ。トロトロしていて、間に合わなかったらどうするんだい!」
 無駄口を叩く暇があったら練習しな、とゼルもブラウも容赦なかった。そうする間も、サインの複製を何枚も印刷しているのがエラ。船のデータベースから引き出して。
 その隣では、ヒルマンが「筆跡の癖」を分析しながら…。
「エラ、もう少しこのパターンのヤツを出してくれないかね。何事も完璧を期さなければ」
「そうですね…。ソルジャーも人間でらっしゃいますから…」
 体調によってサインも変わってこられますし、と山と積まれる「サインのお手本」。ハーレイが真似て練習するよう、なぞって「そっくりに」サインが出来るプロになるよう。
 ソルジャーのサインが存在するなら、思念波の方は「どうとでもなる」。
 「思念波も紡げないくらいに、弱っていらっしゃる」と言えばオールオッケー。


 そんな具合で、ソルジャー候補のジョミーにさえも「極秘で」進んだプロジェクト。
 「敵を欺くには、まず味方から」は鉄則だから。
 ソルジャー・ブルーも「そうしたまえ」と背中を押して、ハーレイたちを大いに励ました。
 「ぼくが死んでも、よろしく頼む」と、「ジョミーだけでは心許ない」と。
 ゼルはせっせと立体映像を作り、ハーレイは「そっくりなサインをする」ために練習の日々。
 元ネタの武田信玄みたいに即バレしたなら、ソルジャー・ブルーに顔向け出来ない。
 「君たちは有能だと思うんだが」という言葉を寄越した、偉大なミュウの長に。
 彼らは根性で頑張りまくって、ついにプロジェクトは完成した。
「ソルジャー、これをご覧下さい! 私がサインしたのですが…」
 似ておりますでしょうか、とハーレイが差し出した紙に、ブルーは満足の笑みを浮かべた。
「素晴らしいよ。…ぼくが書いたとしか思えないね、これは」
「立体映像の方も完璧じゃ! ソルジャー、いつでもいけますぞ!」
 いや、これは失礼を…、と慌てたゼル。「逝ってよし」と言ったつもりでは…、とワタワタと。
「そのらいのことは分かっているよ。ぼくも頑張って生きるつもりではいるけれど…」
 安心したら眠くなった、とソルジャー・ブルーは上掛けを被って目を閉じた。「少し眠る」と、「とてもいい夢が見られそうだ」と。
 其処までは良かったのだけど…。


「なんだって!?」
 ソルジャーがお目覚めにならないだと、とキャプテンが愕然としたのが翌日。
 その朝、ノルディが診察に行ったら、ソルジャー・ブルーは既に昏睡状態だった。診察の結果、当分は目覚めそうにないと言う。軽く一ヶ月は眠りっ放しになるのでは、と。
(…ま、まずい…)
 こんな時に、とハーレイが青ざめるのも無理はない。
 シャングリラはアルテメシアを追われて、放浪の旅を始めたばかり。船の仲間たちは、今の時点ではまだ落ち着いているけれど…。
(此処でソルジャー不在となったら…)
 たちまち船はパニックだぞ、と考えた所で気が付いた。例のブルーの「遺言」に。
(三年間、ぼくの死を隠せと…)
 ブルー自身が言ったわけだし、今は非常時。
 ソルジャー・ブルーは存命とはいえ、昏睡状態で何をすることも出来ないのなら…。
(全部の書類に私がサインで、青の間に来た者にはだな…!)
 ゼルの立体映像ならぬ、「本物の」ブルーが寝ている姿を遠目に見せておけばいい。
 「ソルジャーは今はお休みだから」と、「用があるのなら、代わりに聞いておこう」と。
(よし…!)
 それで行くぞ、と決断したのがキャプテン・ハーレイ。
 キャプテンが決断を下したからには、ゼルたちだって異存はない。「今こそ、その時!」と皆が頷いたわけで、ソルジャー・ブルーが昏睡状態なことはバレないままで…。


「人類に向かって思念波通信じゃと!?」
 とんでもないわい、とゼルが蹴り飛ばしたジョミーの提案。
 「後でソルジャーにも伺っておく」と、ソルジャー・ブルーは「あくまで健在」。
 ジョミーが青の間を訪れた時は、プロジェクトに巻き込まれたフィシスが応対していた。寝台で眠るブルーを見守り、「ソルジャーは、とてもお疲れなのです」とバックレて。
 これではジョミーも気付かないから、「人類に向けての思念波通信」は行われなかった。
 よってE-1077やキースやシロエを巻き込まないまま、シャングリラは当該宙域を通過。
 余計なことをしなかったお蔭で、ミュウたちの船は全く違う歴史を辿って…。
「グラン・パ! ブルーは、まだ起きないの?」
 今日も寝てるの、と赤いナスカで生まれた幼いトォニィがブルーの寝顔を覗き込む。
 ようやく地球まで来たというのに、今日も寝ているものだから。
「うーん…。これって狸寝入りじゃないのかな…」
 今日のはソレだという気がする、と答えるジョミー。
 何故なら、地球は「赤かった」から。
 ずっと昔にブルーに「行け」と命じられた地球、その星は「青い」筈だったから。
「ふうん…? 狸寝入りじゃ、まだまだ起きない?」
「うん、多分…。ぼくたちの前では、ずうっと狸寝入りじゃないかな…」
 まあいいけどね、とトォニィを連れて青の間を出てゆくジョミーは、今も「ソルジャー候補」のまま。重要な案件は全てブルーが決めるし、サインもブルーがするのだから。


(………ヤバイ………)
 生きて地球までは来られたんだが、とソルジャー・ブルーは内心ガクガクブルブルだった。
 迂闊な「遺言」をかましたばかりに、ある日、目覚めたら、ソル太陽系。
 シャングリラは人類軍を全て蹴散らし、地球の衛星軌道上に停泊中で、グランド・マザーまでが倒された後。
 「何もかも片が付いていた」わけで、その間、ずっと「健在だった」のがソルジャー・ブルー。
 今更「全部、代理がやっていたんだ」と言えはしないし、どのタイミングで起きればいいのか。
 どうやって復帰すればいいのか、それさえも謎。
(……ハーレイは、即バレすると言ったが……)
 バレなかった代わりに、もっと困ったことになった、とソルジャー・ブルーの悩みは尽きない。
 「三年間、ぼくの死を隠せ」と命じた結果がコレだから。
 どんな顔をして「起きれば」いいのか、もう本当にピンチだから…。

 

           健在な人・了

※ふと「狸寝入り」と思った途端に、何故か出て来た武田信玄。「三年、ワシの死を隠せ」と。
 そしてこういうネタになったわけで、まさかのブルー生存ED。これで幾つ目だ?









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(此処からは、何も…)
 見えやしない、とシロエが見渡した部屋。
 教育ステーション、E-1077で与えられた個室。
 とうに夜更けで、「外」だったならば星が瞬いていることだろう。
 宇宙に浮かんだステーションではなくて、何処かの惑星の上だったなら。
 けれど、此処では瞬かない星。
 真空の宇宙に光る星たちは、それぞれの場所で「輝く」だけ。
 大気が無ければ、星はそうなる。
 チラチラと瞬くことさえ忘れて、ただ光だけを放ち続けて。
 その星たちの中に、クリサリス星系もあるのだろうか。
 エネルゲイアがあった育英惑星、アルテメシア。
 それを擁するクリサリス星系、その中心で輝く恒星。
 「あれが故郷だ」と分かる光は、星たちの中にあるのだろうか…?
(…あったとしたって…)
 たとえ此処から見えたとしたって、「この部屋」からは何も見えない。
 個室には「窓が無い」ものだから。
 そういう構造になっているから、誰の部屋にも窓は無い筈。
 覗きたくても覗けない外、窓の向こうにあるだろう宇宙。
 漆黒のそれを目にするチャンスは、ステーションの外での無重力訓練などを除けば…。
(…食堂の窓くらいしか…)
 候補生が見られる場所も、機会も無いと言っていいだろう。
 星が瞬かない宇宙。
 何処までも暗い闇の色が続く、果てしなく深い宇宙を見ることが出来る場所は、あそこだけ。
 だから、此処から宇宙は見えない。
 故郷があるだろう星も見えない、「あれがそうだ」と探したくても。


 このステーションに連れて来られた直後。
 成人検査で記憶を奪われ、ピーターパンの本だけが支えだった頃。
 窓の有無など、どうでも良かった。
 どうせ故郷には「帰れない」から、「見えはしない」とも思ったから。
 …あまりに悲しすぎたから。
 失ったものがとても大きくて、帰れない過去が多すぎて。
 まるで心に穴が開いたよう、何もかも失くしてしまったかのよう。
 呆然と日々を過ごす傍ら、懸命に勉学に打ち込んだ。
 そうすればいつか、道が開けるかもしれないと。
 今の世界が「おかしい」のならば、「ぼく自身が、それを変えてやる」と。
 いつの日か地球のトップに立つこと、機械に「止まれ」と命じること。
 それだけを夢見て、自分を何度も叱咤する中、ある日、気付いた。
 「此処は牢獄だったんだ」と。
 マザー・イライザが見張る牢獄、けして此処からは逃れられない。
 何処へ逃げようとも、マザー・イライザの手のひらの上。
 このステーションにいる限り。
 E-1077で生きてゆく限りは。
(……牢獄ね……)
 それなら窓があるわけもない。
 囚人に「外」の世界は要らない、見せない方がマシというもの。
 見せれば、出ようとするだろうから。
 自由を求めて足掻き始めて、きっとろくでもないことをする。
(ずっと昔は…)
 食事のためにと渡されたスプーン、それで脱獄した者さえもいた。
 独房の床を、スプーンで少しずつ掘って。
 掘った穴はいつも巧妙に隠し、掘り出した土は…。
(外で作業をする時に…)
 衣服の中に隠して運んで、捨てたという。穴の存在が知られないように。


(……此処じゃ、スプーンで掘ったって……)
 外の世界に出られはしない。
 出られたとしても、その瞬間に潰える命。
 真空の「外」で、人間は生きてゆけないから。
 一瞬の内に死んでしまって、屍が残るだけなのだから。
(…それでも、此処に窓があったら…)
 きっと故郷が見えただろう。
 今も両親が暮らしている星、アルテメシアを連れた恒星。
 その輝きが窓の向こうにあったのだろう、瞬かない星たちの中に混じって。
(…パパ、ママ……)
 家に帰りたいよ、と心の中で呟いてみても、届きはしない。
 クリサリス星系が此処から見えても、其処に声など届けられない。
 けれど見えたら、どんなにか…。
(……懐かしくて、あそこにパパとママがいる、って……)
 毎夜のように、そちらばかりを見るのだろう。
 スプーンで掘っても、外に出ることは出来なくても。
 遠い故郷へ帰りたくても、其処へ飛んでゆく術が無くても。
 きっと焦がれて焦がれ続けて、ある日、割りたくなるかもしれない。
 故郷の星が見えている窓を。
 真空の宇宙と中を隔てる、強化ガラスで作られた窓を。
(割った途端に…)
 中の空気は吸い出されるから、投身自殺をするようなもの。
 死ぬと承知で、高層ビルの窓から外へ飛ぶのと同じ。
 自由になれたと思う間もなく、命は潰えているのだろう。
 ほんの僅かな自由を手に入れ、それと引き換えるようにして。
 空を舞ってから地面に落下するように、真空の宇宙に押し潰されて。


 それでも、と思わないでもない。
 もしもこの部屋に窓があったら、「ぼくは飛ぶかもしれない」と。
 懐かしい故郷に近付けるなら、と漆黒の宇宙へ身を投げて。
(…そのために窓が無いのかも…)
 ぼくのような生徒が外へ飛ばないように、と考える。
 その気になったら、強化ガラスを叩き割ることは出来るから。
 現に自分が持っている工具、それの一つで殴り付ければ、ガラスは微塵に砕けるから。
(…自殺防止って…?)
 ふざけるなよ、と言いたい気分。
 自分は「自殺」などしない。
 この牢獄から「逃げたい」だけで、「自由になった」結果が「死」になるだけ。
 強化ガラスの窓を割っても、きっと後悔などしないだろう。
 「ぼくは自由だ」と夢見るように、瞬かない星を見るだけで。
 「あそこにパパとママがいるんだ」と、「ぼくはこれから帰るんだから」と。
 帰ってゆくのが魂だけでも、自由があるならそれでい。
 この牢獄から逃げ出せるのなら、何処までも飛んでゆけるのならば。
(飛んで行ったら、家に帰れて…)
 もっと飛んだら、ネバーランドに着けるだろうか。
 ネバーランドよりも素敵な地球へも、此処から飛んでゆけるのだろうか。
 この部屋に「窓」がありさえしたら。
 窓の向こうに故郷を見付けて、焦がれ続けて、ある日、「飛んだ」ら。
 強化ガラスの窓を叩き割り、その向こうへと。
 高い窓から身を投げるように、漆黒の宇宙(そら)へ飛び出したなら。
(……きっと、飛べるに違いないんだ……)
 そんな気がしてたまらない。
 窓の向こうには、「自由」が待っているだろうから。
 牢獄の外に、マザー・イライザはいないのだから。


 叩き割ったら外に出られるのは、食堂にある窓でも同じ。
 とても大きな窓を割ったら、たちまち宇宙に放り出されることだろう。
(…でも、あそこだと…)
 死んで終わりで、宇宙を何処までも飛んでゆけはしない。
 あの場所だったら、大勢が見ているのだから。
 「セキ・レイ・シロエが何かしている」と、「まさか、あの窓を割るのでは」と。
(どうせ、あいつらなんかには…)
 逆立ちしたって分かりはしない。
 どうして自分が窓を割るのか、窓の向こうに何があるのか。
 騒ぐ生徒は野次馬ばかりで、誰も分かってなどくれない。
 どんなに自分が「飛んで」ゆきたいか、どうして「窓を割りたい」のか。
(…そんな所で宇宙に放り出されても…)
 無駄に屍を晒すだけのことで、きっと「自由」は手に入らない。
 本当に自由が欲しいのだったら、「誰もいない」場所で飛び立つこと。
 「誰も止めない」、「誰も騒ぎはしない」所で。
 ただ一人きりの場所で窓を割ったら、迎えが飛んで来るのだろう。
 幼い頃から、待って、待ち焦がれたピーターパンが。
 背に翅を持ったティンカーベルが。
(妖精たちは宇宙を飛べなくたって…)
 「窓を割った向こう」にある宇宙ならば、彼らもきっと自由に飛べる。
 そうして、此処に来るのだろう。
 「ネバーランドへ、地球へ行こう」と。
 クリサリス星系にも寄ってゆこうと、「お父さんとお母さんにも会って行こう」と。
(……此処に窓さえあったなら……)
 ぼくは自由を手に入れるのに、と「ありもしない窓」に恋い焦がれる。
 「此処は牢獄なんだから」と、だから窓さえありはしない、と唇を噛んで。
 窓の向こうは、きっと自由な世界だから。
 其処に向かって身を投げたならば、何処までも飛んでゆけそうだから…。

 

           逃れたい窓・了

※いや、E-1077の個室って「窓」が無いよな、と思ったわけで。多分、構造上の問題。
 けれど「無い」なら、見えないのが「外」。こういう話になりました、はい…。









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