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「アニアン大佐、おはようございます」
 朝のコーヒーをお持ちしました、とキースの部屋に入ったマツカ。…首都惑星、ノアで。
 とうに起きていたキースの机にカップを置くと、壁の方をチラと横目で眺めて…。
(…今日もやっぱり…)
 此処にいるんだ、と目だけで「そちらに」挨拶をした。「おはようございます」と。
 応えてニコリと微笑む少年。声は聞こえて来ないけれども、「おはようございます」と、きっと言いたいのだろう。そういう顔をしているから。
(…うーん……)
 誰なんだろう、とマツカには今も分からない。この少年が誰なのか。
 黒い髪に紫の瞳の少年。気が強そうにも見えるかと思えば、幼い子供のようにも見える。
(第一、此処に子供なんかは…)
 けして入っては来られない。国家騎士団が入る建物、一般人は立ち入り禁止だから。
 けれど「少年」は「此処に」いるわけで、コソコソ隠れてもいない。キースが何処かへ移動する時は、この少年も「ついて来る」。デスクワークだろうが、任務だろうが。
(…おまけに、誰にも見えていなくて…)
 誰一人として気が付かないし…、と尽きない疑問。この少年の正体は、と。
「…マツカ?」
 まだ何か他に用があるのか、というキースの声に、マツカは慌てて敬礼した。
「い、いえ…! 失礼しました!」
「用がある時は、こちらから呼ぶ。…下がっていい」
 今日も朝から忙しいのでな、とキースに叩き出された部屋。
 去り際に後ろを振り向いてみたら、少年は「ご愁傷様」というような表情だった。肩を竦めて、軽く両手を広げたりして。


 そんな具合に、「キースの部屋に残った」少年。
 側近のマツカが叩き出されても、キースに放り出されはしないで。
(…きっと、今頃は…)
 仕事中のキースを横から覗き込んでいるか、床に座って本でも読んでいるのだろう。今日までに何度も目にした光景。
(興味津々といった感じで…)
 キースの手元を見詰める姿や、本を広げて「自分の世界に」夢中の姿。
 あの少年は、キースにも「見えていない」のだと思う。見えていたなら、自分と同じにキースに放り出されるから。「出て行け!」と書類でも投げ付けられて。あるいは銃を向けられて。
(でも、書類とか…)
 それに銃とかが効くんだろうか、とマツカは首を傾げる。なにしろ「見えない」少年だから。
 誰に訊いても、キースの側には「マツカしかいない」。いつ訊いてみても。
(…誰かいます、と言った途端に…)
 「侵入者か!」と何度も騒ぎになった。少年の姿は見事にスルーで、他の所を捜し回って。
 キースの副官のセルジュもそうなら、パスカルも、他の部下たちも。
 そうやって捜し回ってみたって、「誰も見付からない」ことが重なり、「このヘタレ野郎!」とセルジュに怒鳴られた。
(…ぼくが、ビクビクしているから…)
 いもしない「敵」が「いるように思えて」しまうのだ、と食らった説教。「しっかりしろ!」と叱り飛ばされ、「軍人らしく、もっと度胸を持たないか!」などと。
(……そう言われても……)
 あの少年は、確かに「いる」。
 今日も向けられた、明るい笑顔。「おはようございます」と親しみをこめて。
 部屋から叩き出された時には、同情してくれていた少年。「仕方ないですよ」という風な顔で、けれど「マツカに」向けていたポーズ。「お手上げですよね」と。
(…キースのことを、よく知っていて…)
 なおかつ、平気で側にいられる少年。
 いくら「見えない」少年とはいえ、普通は「キースの」側なんかには、誰も近付いたりしない。冷徹無比な破壊兵器と異名を取るほど、皆に恐れられているのだから。


 けれど、少年は「キースを」怖がらない。
 その仕事ぶりを眺めていたり、「ぼくには関係ない」とばかりに、寛いで本を読んでいたりと。
(……キースという人を、よく知っているから……)
 ああいう風に、キースの側にいられるのだろう。他所へは行かずに、朝も早くから。
 夜にマツカが下がる時にも、少年の姿は「其処にある」。キースの代わりに「お疲れ様」という笑みを湛えて、見送ってくれて。
(…生きた人間ではない…筈なんだし…)
 あの少年が生きているなら、他の者にも見えるだろう。ならば、少年はとっくの昔に…。
(……死んでいる…わけで……)
 マツカが見ているものは「幽霊」。
 SD体制の時代になっても、幽霊という概念くらいはある。「出た」と噂になることも。
(…幽霊というのは…)
 この際だから、とマツカは調べてみることにした。今日のキースは、デスクワークの予定だけ。急に呼ばれはしないだろうから、調べ物には丁度いい。
(…えーっと…?)
 端末の前に座って、データベースから引き出した情報。「幽霊」について。
 一口に「幽霊」と言ってみたって、色々な種類があるらしい。それに「姿を現す」理由の方も。
(この世に未練が残ってしまって、死んだ場所から動けないのが…)
 地縛霊というブツ。あの少年は「自由に動ける」のだから、地縛霊ではないだろう。その反対の「浮遊霊」の方で、何処にでもフラリと現れるヤツ。
(…こっちらしいけど…)
 そう思いながら「姿を現す理由」を読んで、マツカの顔が青ざめた。
(……誰かを恨んでいた時は……)
 幽霊は、その人間に「取り憑く」もの。何処へ行こうと、何処へ逃げようと、逃がしはしない。追って追い続けて、いつか恨みを晴らすまで…。
(子々孫々まで祟り続けて、一族郎党、皆殺しだとか…)
 そんな例まであったという。
 SD体制の今は、血の繋がった親子などはいないし、其処まで祟りはしないとしても…。


(……あの少年は、まさかキースを……)
 取り殺そうとしているのだろうか、とゾクリと冷えたマツカの背筋。
 恨む相手は「キース」だけだし、無関係な「マツカ」の方には、とても愛想がいいだけで…。
(…ぼくがいない時は、キースを取り殺す機会を狙って…)
 鬼のような形相なのかもしれない。それは冷たい表情になって、紫の瞳を凍らせて。
 ただ、幽霊は「強いエネルギーを持った人間」には「弱い」という。生きた人間の方が、死んだ人間よりも「エネルギー」を多めに持っているもの。
(だから、意志の強い人間だったら…)
 幽霊などに負けはしなくて、逆に跳ね返してしまうほど。…キースも、そっちのタイプの筈。
 それなら「安心」なのだろうか、とホッと息をつき、其処で気付いた。
 あの少年がキースに「憑いて」いるのなら、何故「キース」なのか。「冷徹無比な破壊兵器」の異名を取るのがキースだけれども、それはあくまで「軍人として」。
(反乱の鎮圧とか、そういった任務で人を殺しても…)
 子供まで殺しはしないだろう。…ジルベスター・セブンにいた「ミュウ」の場合は、女子供でも殺したのかもしれないけれど。
(……ミュウなのかな……?)
 ジルベスターで殺された恨みを晴らしに来たのだろうか、と考えてみれば辻褄が合う。ミュウの少年なら、「同じミュウ」のマツカに愛想がいいのも当たり前。「お仲間」なのだし、挨拶だってしてくれる筈。「おはようございます」と笑んで。
(…でも…)
 そっちだと時期が合わないな、とマツカは首を捻った。
 ジルベスターから戻って来た時、あの少年は「いなかった」。船の中でも見てはいないし、このノアに帰還した後も「一度も出会ってはいない」。
 初めて姿を見掛けたのは…、と記憶を手繰らなくても分かる。「あの時だ」と。
 キースが「レクイエムを捧げに行く」と言って出掛けた、廃校のE-1077を処分した時。
 あそこから帰って来る船の中で、キースの後ろを歩くのを見た。子供のような人影が。
(…船に子供はいなかったから…)
 気のせいなのだと考えたけれど、それから間もなく「あの少年」が住み付いた。首都惑星ノアの「キースの」部屋に、キースが出掛けてゆく先々に。


 そういうことなら、あの少年は「E-1077から」来たのだろう。
 E-1077はキースが処分したから、地縛霊が行き場を失ったろうか…?
(地縛霊は、誰かが浄化するまで…)
 その場所を離れられないという。あの少年が「E-1077の地縛霊」なら、E-1077さえ消えてしまえば、もう「其処にいる」理由は無くなる。つまりは自由。
(…キースが、彼を自由にしたから…)
 恩を感じて、キースに「ついて来た」かもしれない。何か恩返しでもしたくなって。
 それなら、あの少年がキースを恐れないのも…。
(ぼくと同じで、キースの人柄を知っているからで…)
 幽霊だけに「命の恩人」とは言えないけれども、似たようなもの。
 キースに「自由を貰った」わけだし、「悪い人ではない」のだと分かる。それでキースの人柄に惚れて、ああやって「側にいる」のだろう。いつか「恩返し」をするために。
(E-1077…)
 何かデータは…、と探してみたら、其処の制服の資料が出て来た。候補生たちが纏う制服。
(…あの子の服だ…)
 入学したばかりの候補生の服。それが「あの少年」がいつも着ている服だった。
 やはりE-1077から来た地縛霊だ、とマツカは納得したのだけれど。


「え…?」
 今、なんて…、とマツカは目を丸くした。それから数日経った後に。
 たまたま食堂で出会った、セルジュとパスカル。「一緒に食おう」と手招きされて、二人がいるテーブルに着く羽目になった。…あまり有難くはないのだけれど。
 何故かと言ったら、大抵は「ヘタレ野郎」なマツカへの説教、それが話題になるものだから。
 それは嫌だし、と思ったはずみに思い出したのが「あの少年」。E-1077から来た地縛霊。
 キースはE-1077の出身だから、そっちに話を振ることにした。
 「よく知らないので教えて下さい」と、E-1077時代のキースの逸話を知りたい、と。
 もちろん、セルジュやパスカルたちに「否」などは無い。彼らはキースを尊敬しているだけに、話したいことなら「山のように」ある。
 「機械の申し子」と呼ばれたくらいの成績だとか、入学直後の宇宙船の事故とか、次から次へと聞かせてくれて、締めが「卒業間際の」事件。
「Mのキャリアがいたと言ったろ。…そいつを処分したんだよ」
「卒業間際だった、大佐が一人で追い掛けてな。保安部隊の奴らも倒れていたそうだから」
 逃亡したMのキャリアの船を撃墜したのだ、とセルジュとパスカルは「キース」の武勲を称えているけれど…。
「そのキャリアというのは、どんな人だったんです…?」
「国家機密だぞ。Mのキャリアとしか分からん」
 名前も年も全く知らない、と二人は口を揃えた。分かっているのは「キースの手柄」だけだと。
(…それじゃ、あの子は…)
 その「Mのキャリア」だったのでは…、とマツカが「怖い考え」に陥ったのは言うまでもない。
 やはり「キースのことを」恨んで、E-1077から「憑いて来た」のかと。
「おい、どうした?」
 また気分でも悪いのか、とセルジュとパスカルにどやしつけられ、話はおしまい。
 マツカは一人、キースの所へ「ご用はありませんか?」と戻って行ったのだけれど、その部屋にいた「あの少年」。いつものように床に座って、本を広げて。
(……キースが処分した、Mの少年……)
 気を付けねば、とマツカは気を引き締めた。ミュウの自分には愛想が良くても、キースには害になるかもしれない。この少年が、「Mのキャリア」で合っていたなら。


 マツカは警戒しまくったけれど、時は流れて、キースが国家騎士団総司令の任に就いた後。
(…あっちに、何が…?)
 例の「誰にも見えない」少年、その子が何度も指差す方向。キースが外に出掛けた時に。
 もしや、とマツカが澄ました「サイオンの耳」と、凝らした「瞳」。
『いけません、キース…!』
 そっちに行っては、とキースを思念で引き止め、「暗殺です」とそのまま続けた。思念の声で。
 キースは頷き、セルジュに命じた。「あの方向を調べて来い!」と。
 たちまち捕まった狙撃手と、解除された時限爆弾と。
 暗殺計画は未遂に終わって、文字通り「命を拾った」キース。手柄はセルジュたちのものでも、陰の功労者はマツカ。…その陰には、例の「見えない少年」。
(…あの子は、キースを恨んでいるんじゃなくて…)
 逆に命を助けたのか、とマツカは驚いたわけで、そうなると、やはり…。
(E-1077にいた、地縛霊なだけで…)
 キースに恩返ししたいんだろうな、と結論付けたマツカ。
 それ以降は「少年」と無敵のタッグで、何度もキースの命を救った。少年が知らせて、マツカがキースやセルジュたちに「変です」と知らせたりして。
 最強のタッグはキースを守り続けたけれども、旗艦ゼウスを襲ったミュウには敵わなかった。
 オレンジ色の髪と瞳のトォニィ、彼はあまりに強すぎたから。
 そうしてマツカは、少年と同じ世界の住人になって…。


「…セキ・レイ・シロエ…?」
 そういう名前だったんですか、と知らされた例の少年の名前。
 ついでに少年は、思った通りに「キースが処分した」Mのキャリアでもあったのだけれど。
「ちょっとした、恩返しなんですよ。…本を返して貰いましたから」
「…本?」
「この本です。ぼくの大切な宝物の本で、失くしてしまって、ずっと悲しくて…」
 それをキース先輩が、ちゃんと返しに来てくれたので…、と少年が手にするピーターパンの本。
 そういえば、いつも読んでいたな、とマツカはようやく合点がいった。
 この少年が読んでいた本は、いつでも同じだったから。いつ見掛けても、ピーターパンで。
「…その本を、キースが…?」
「ええ。E-1077の、ぼくの部屋まで届けに来てくれたんです」
 だから御礼に頑張りました、とシロエは微笑む。「死んでいたって、出来ることを」と。
「そうだったんですか…。ぼくもキースの役に立てるといいんですけど…」
「役に立ったじゃないですか。キース先輩を生き返らせたでしょう?」
 あれだけでも本当に凄いですよ、とシロエが褒める。「ぼくには出来ませんでした」と。
 こうして二人は「死後の世界」で再びタッグを組んだけれども、残念なことに「見える人間」が誰もいなかったせいで、活躍の機会は二度と無かった。
 キースの部下たちは、悉く「霊感ゼロ」だったから。
 後に地球までやって来たミュウも、もれなく「霊感ゼロ」の集団だったから…。

 

           少年は守護霊・了

※いったい何処から降って来たのか、自分でもサッパリ分からないネタ。いや、本当に。
 「マツカで書こう」とも、「シロエで書こう」とも思っていなかった筈なのに…。何故だ。








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(……サム……)
 相変わらず、今も「子供」なのだな、とキースが零す溜息。
 マツカを下がらせ、夜更けの部屋に一人きりで。
 昼間はサムの見舞いに出掛けた。
 マツカとスタージョン中尉だけを連れて、久しぶりに。
(…国家騎士団総司令様か…)
 この厄介な肩書きさえ無かったら、と思わないでもない。
 昔馴染みの友の見舞いに行くだけのことに、どれほど制約が増えたろう。
 任務やデスクワークはともかく、「キース・アニアン」の身を守るための「それ」。
 「見舞いに行こう」と思い立っても、その日の内には、けして行けない。
 サムが入院している病院、其処までに通ってゆく道順。
(…それをパスカルたちが調べて…)
 狙撃手や爆弾、そういったものが入れないよう、念には念を入れてのチェック。
 更には当日、「いきなりルートを変更する」。
 もちろん「用心」のためのルートで、そちらも「とうに調査済み」。
 万一、狙撃手や爆弾などが「本来のルート」に潜んでいても…。
(まさか道順を変えるとは、思わないからな…)
 一向に来ない「キース・アニアン」、それを狙って待ち伏せるだけ無駄。
 其処までしないと、「見舞いにさえも行けない」のが「自分」。
 国家騎士団総司令の命を狙う輩は、何処にでもいるものだから。
 ノアばかりでなく、他の惑星や基地に出向いても。
(…ただの上級大佐なら…)
 もう少し楽に動けたものを、と思ってはみても、詮無いこと。
 この先はもっと、「動きにくく」なってゆくのだろう。
 ミュウとの戦いが続いているのに、「愚かしい人類」が後を絶たないから。
 「キース・アニアン」を失ったならば何が起こるか、気付いてもいない者たちが。
 彼らの力で、「侵略者」を防げはしないのに。
 ミュウの版図は今も拡大し続けるだけで、「防ぐ手立て」は見付からないのに。


 もちろん、「手をこまねいて」見ているだけではない。
 打てる手は打つし、サイオンに対抗して動ける兵士も「開発中」。
(APDスーツか…)
 アンチ・サイオン・デバイススーツ。
 それを着たなら、「ただの兵士」でも、「対サイオンの訓練を受けた」者と同じに動ける。
 全軍きってのゴロツキだろうが、「ろくに使えない」兵士だろうが。
 頼みの綱は、もはや「その程度」。
 後は「戦略次第」というのが、「ミュウとの戦い」。
 けれど、「分かっていない」者たち。
 「キース・アニアン」が「力をつけてゆく」のを嫌って、暗殺を試みる輩。
 そうして「キース」を殺したならば、自分の首を絞めるのに。
 ミュウがノアまで攻めて来た時、彼らは「殺される」だろうに。
 降伏を伝えた者たちにさえも、容赦しないのが「ジョミー・マーキス・シン」。
 武装していない救命艇をも、端から爆破してゆくほどに。
 そんな「ジョミー」が現れたならば、「愚かな人類ども」は殺されて終わり。
 そうとも思わず、彼らは今も「画策している」ことだろう。
 「邪魔なキース」をどうやって消すか、ノアで、あるいは他の惑星や基地などで。
(…厄介なことだ…)
 あの連中のせいで、サムの見舞いにも出掛けられない、と腹立たしい。
 以前だったら、気軽に出掛けられたのに。
 ジルベスターに向かった頃なら、それこそ自分一人ででも。
 部下の一人も連れさえしないで、自分で車を運転して。
 「元気だったか?」と、サムの所へ。
 「赤のおじちゃん!」としか呼んで貰えなくても。
 サムの心は子供に戻って、「キース」を覚えていなくても。
 それでもサムは「ただ一人の友」。
 サムに会うだけで、「昔に戻れた」気がするのに。
 そのサムにさえも、今の自分は「思い立っても」会いに行けないのか、と。


 サムの病院を見舞う時には、いつも何処かで期待している。
 「昔のサム」に会えはしないかと、「キース!」と呼んで貰えないかと。
 けれども、今日も自分は「赤のおじちゃん」。
 昔馴染みの「サム」は戻って来なかった。
 笑顔は昔と変わらなくても、サムは「子供」で、「キース」を知らない。
(…難しいとは、承知なのだが…)
 病院の医師も、そう告げたから。
 サムの心は壊れてしまって、「元通りに戻す」方法は無い。
 恐らく、「サムを壊した」ミュウにも、それは出来ないだろう、とも。
(…サムは、すっかり壊れてしまって…)
 どうして、そんなことが出来る、と「ミュウ」という生き物が、ただ憎い。
 ミュウの長の「ジョミー・マーキス・シン」も。
 サムとは幼馴染だったと聞くのに、彼はそのサムを「壊してしまった」。
 降伏して来た救命艇さえ、爆破するのと「まるで同じに」。
(……サム……)
 ジルベスターにさえ行かなかったら、と何度、思ったことだろう。
 サムと、チーフパイロットとが乗っていた船。
 その船が「他所を」飛んでいたなら、サムは壊れなかったのに、と。
 ジルベスター・セブンに近付かなければ、サムは「壊されはしなかった」。
 ミュウと出会わず、他の所を飛んでいたなら。
 「ジョミー・マーキス・シン」が「いない」航路を、選んで飛んでいたならば。
(…どうして、あそこを飛んだのだ…)
 よりにもよって、何故、と思って、不意に背筋がゾクリと冷えた。
 「サム・ヒューストン」が乗っていた船。
 それが向かった、「ジョミー・マーキス・シン」が「いる」ジルベスター・セブン。
 ただ「通り過ぎる」だけにしたって、あまりに「出来過ぎて」いないかと。
 偶然にしては、揃いすぎている幾つものピース。
 サムとジョミーと、それに「キース」と。


(……私は、マザー・イライザが……)
 無から作り上げた生命体。
 三十億もの塩基対を合成して繋ぎ、DNAという鎖を紡いで。
 E-1077でサムやスウェナと過ごした頃には、「知らなかった」真実。
 シロエが「それ」を知った後にも、それに「近付けずに」卒業して行ったステーション。
 けれども、今は「知っている」。
 自分が何かも、何のために「作り出された」生命なのかも。
 それを知った日、マザー・イライザは何と言っていたろう…?
(…サムも、シロエも…)
 彼らとの出会いも、シロエの船を「撃ち落とした」ことも、全て「計画」。
 マザー・イライザの計算通りに、全ては進められたという。
 「キース・アニアン」を、「理想の子」として育てるために。
 何もかもが全て「決められた」ことで、自分は「プログラム通りに」生きただけ。
 自分では、何も知らないままで。
 「生まれ」のことさえ、少しも「変だ」と思いはしないで。
(…マザー・イライザが、それをやったなら……)
 サムを、シロエを「糧」に「キース」を育てたならば。
 E-1077ごと処分されたような、マザー・イライザでも「出来た」のならば…。
(……グランド・マザー……)
 人類の聖地、地球の地の底にある巨大コンピューター。
 今の宇宙を統べている「それ」、マザー・システムの頂点に立つ機械。
 グランド・マザーには、きっと容易いことだろう。
 「サムを乗せた船」を、「ジルベスター・セブンに向かわせる」ことは。
 其処で「ジョミー・マーキス・シン」に出会わせ、「壊させる」ように仕向けることも。
(…そうしておけば……)
 「キース・アニアン」は、「必ず」任務を受けるだろう。
 昔馴染みの友の仇を取りに、ジルベスター・セブンに向かう「任務」を。
 他の者たちには、けして「譲りもせずに」。


 まさか、と凍り付く心。
 「私のせいか」と、「そのせいで、サムは壊されたのか」と。
 サムを乗せた船が、あの忌まわしい星へ向かったのは、「キース・アニアン」のせいなのかと。
(…グランド・マザーなら、充分、出来る…)
 そのように「航路設定しておく」ことも、「航路設定させる」ことも。
 サムが乗った船を直接操り、「ジルベスター・セブンに向かう」航路を組み込むことも。
(…ジルベスター・セブンには、ジョミー・マーキス・シンがいて…)
 彼とサムとが出会った時には、どうなるのかも「グランド・マザー」だったなら…。
(…何もかも、計算ずくだったのか……?)
 最初から仕組まれたことだったろうか、サムが「壊れてしまった」ことは。
 「キース・アニアン」をミュウの拠点に向かわせ、彼らを「殲滅させる」ために。
 ジョミー・マーキス・シンを、ミュウどもを「根こそぎ滅ぼす」ために。
(…そして、私は……)
 グランド・マザーの計算通りに、メギドを持ち出しただろうか?
 ジルベスター・セブンごと「ミュウを」滅ぼし、焼き尽くすために。
(……まさか、其処まで……)
 計算されたことだったのか、と恐ろしいけれど、きっと「答え」は聞けないだろう。
 この戦いが済むまでは。
 宇宙からミュウを滅ぼし尽くして、グランド・マザーの称賛を得られるまでは。
(…もっとも、それで…)
 褒められ、真実を告げられるよりは、「知らない」方がマシだけれども。
 もしも「自分が」、サムを巻き込んだ「事故」の引き金になっていたのなら。
 ただ一人きりの「友」が壊れた、原因が「自分」だったなら…。

 

         出来過ぎた偶然・了

※原作だと「偶然」だったサムの事故。アニテラだと、絡んでいるのがグランド・マザー。
 それならキースも気付いたかも、と思ったんですけど…。キースには酷な真実だよね、と。








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(真面目に色々、限界だってば…)
 もう疲れたよ、とジョミーはベッドに倒れ込んだ。
 ソルジャー候補として、日々、追い回される猛特訓。サイオンも座学も、容赦しないで。
 半殺しと言ってもいいほどの毎日、部屋に戻れるのも夜遅い時間。シャワーを浴びたら、もはや気力は残っていない。体力だって。
(明日の朝には、死んでいるかも…)
 本気で死にそう、と手放した意識。パジャマを着込んで、ベッドに潜った所あたりで。
 後はグーグー、夢も見ないで深く眠って、目を覚ましたら次の日の朝で…。
(……まだ生きてる……)
 おまけに回復しちゃってるし、と泣きたいキモチ。
 此処で高熱を発していたなら、流石に今日は休みだろうに。いくら相手が鬼の長老でも、病人となれば話は全く違うだろうから。
(無駄に元気な身体が憎いよ…)
 コレのお蔭でスカウトされたようなものだし、と募る悲しさ。現ソルジャーのブルーみたいに、虚弱で今にも死にそうだったら、ソルジャー候補ではなかった筈。
(…ホントに限界…)
 起きたくない、とベッドに転がっていたら、「キューッ!」と小さな声がした。
(キューって…?)
 誰、とキョロキョロ見回す間も、「キューッ! キューッ!」で、切羽詰まった気配が漂う。
(えーっと…?)
 これはどうやら普通じゃない、と起き上がって声のする方を探してみたら…。
「あっ、お前…!」
 何してるんだよ、とポカンと開いた口。
 なんと部屋の壁に、「ナキネズミが生えていた」ものだから。青い毛皮を纏ったお尻と後ろ足、フサフサの尻尾。そいつが壁に「刺さっていた」。もうズッポリと。


 何事なのか、と頭の中は一瞬、真っ白。
 状況と事態が把握出来たら、けたたましく笑い出すしかなかった。「馬鹿だな、お前」と。
「お前さあ…。ちゃんと考えて入ったわけ?」
 ぼくがいないとおしまいだよ、とベッドから下りて、壁際に椅子を運んで行った。それを踏み台代わりに使って、壁に刺さったナキネズミを両手でガシッと掴んで…。
(エイッ! ってね…!)
 抜けた、と通気口から引っこ抜いた。悲鳴を上げていたナキネズミの、哀れな身体を。
「キューッ!」
 一声叫んで、走り去って行ったナキネズミ。御礼も言わずに、まっしぐらに部屋の外の通路へ。
 きっと一晩中詰まっていたのか、あるいは昨夜、部屋に戻った時にはもう…。
(刺さってたかもね?)
 疲れ果てていたから気付きもしないで、シャワーを浴びて寝たかもしれない。
 ナキネズミの方では、「ヘルプミー!」と絶叫していても。「誰か助けて」と、「もう死ぬ」と壁に刺さって喚いていても。
(それなら逃げても仕方ないかあ…)
 お腹も減っているのだろうし、逃げて行くのも無理はない。「ありがとう」とも言わないで。
 恩知らずだとは思うけれども、ナキネズミにとっては「悲惨な一夜」だったのだから。
(でも、あいつ…)
 馬鹿じゃなかろうか、と椅子から下りて見上げた通気口。
 自分の身体が通るのかどうか、それも考えずに入った結果が、さっきのアレ。
(何処へ行く気だったのかは、知らないけどさ…)
 不精しないで通路から行けば良かったのに、とナキネズミの馬鹿さ加減に呆れる。誰にも秘密で移動するなら、通気口でもいいけれど…。
(普通は通路を使うよね?)
 ホントに馬鹿だ、と思った所で閃いた。「そうだ、ソレだ!」と。


 ナキネズミが刺さった通気口には、本来、蓋がついていた。それを器用に外して入って、自分で刺さったナキネズミ。後ろ足とお尻と、尻尾を残して。
(あの蓋は元に戻したけれど…)
 他にも蓋ってヤツはあるよね、とジョミーは部屋を眺め回した。
 一見、普通の部屋に見えるし、窓の外には庭だってある。けれども、此処はシャングリラという巨大な宇宙船の中。
(通気口があるってだけじゃなくって…)
 もっと他にも、色々な「穴」が部屋にある筈。ごく平凡な家よりも、ずっと沢山の穴が。
(エネルギー系統のメンテナンス用とか、ケーブル用のヤツだとか…)
 ダテに習っていないんだから、と日頃の「座学」を思い返すジョミー。
 機関長のゼルが、ガンガンと叩き込んでくれた船の構造。右から左へ聞き流したけれど、幾らか残っていた知識。「船の中には、通路が一杯」と。
(メンテナンス用だと、人が通るから…)
 自分も通れるに違いない。通路を見付けて入り込んだら、その先は…。
(シャングリラ中を、縦横無尽に…)
 駆け巡っている通路なわけで、其処に逃げれば、そう簡単には「見付からない」。この部屋なら何処に隠れても無駄で、他の倉庫や公園などでも即バレだけれど。
(メンテナンス用の通路なんかは…)
 係の者しか通らないから、係さえ上手くやり過ごしたなら、一日中だって…。
(安全地帯で、訓練も座学も無しの天国…!)
 そうと決まれば善は急げ、と部屋中の壁を叩いて回った。「この辺かな?」と。床も同じに足で踏んでは、怪しそうな箇所を手でコンコンと。
 頑張って端から端まで探して、やっと見付けた目的の通路。床板を一ヵ所外した先に。


(よーし…!)
 行くぞ、と小さなライトを手にして、中に入った。床板はそうっと元に戻して、中から閉じて。
(…真っ暗だけどさ…)
 この先はぼくの天国なんだ、とジョミーはライトを頼りに進む。早く部屋からトンズラしないとヤバイから。「床板を上げて逃亡した」とバレたら、追手がかかりそうだから。
(そうなる前に、うんと遠くへ…)
 とにかく逃げろ、と狭い通路をひたすら先へ。幸い、誰にも出会っていない。
(かなり来たけど、此処、何処だろう?)
 確かめたいのは山々だけれど、サイオンを使って調べようとすれば…。
(そのサイオンでバレちゃいそう…)
 誰が使ったサイオンなのかを、エラ女史あたりに感知されて。「ジョミーは其処です!」と。
 それは困るし、ただ闇雲に進むだけ。来た方向も、とうに謎だけれども…。
(訓練は無しで、丸一日もゆっくり出来たら…)
 体力も気力もゲージは満杯、そうなれば「外に」出ればいい。適当な場所で蓋を外して、通路の外へ。公園だろうが、厨房だろうが、もう見付かっても平気だから。
(まさか夜中に、「これから訓練の時間です」とは言わないもんね?)
 叱られるのだって明日なんだよ、とガッツポーズで、更に前進。
 時にはコロンと寝転んだりして、気力と体力をしっかり身体に蓄えながら。「訓練が無い日」を心ゆくまで満喫しながら、前へ、前へと。
 そうして進んで、出くわしたのが分岐点。どっちに進んでも行けそうだけれど…。
(こっちの通路は、ちょっと狭くて…)
 冒険心をくすぐられる。
 楽々と身体が通る場所より、スリリングな道を行きたいもの。同じ通路を進むなら。
(やっぱり人間、楽しまなくちゃ…)
 こっち、と決めて狭い通路に入り込んだ。ナキネズミのことは綺麗に忘れて、どうしてこういう場所にいるかも忘れ果てて。


 座学を「右から左へ」聞き流すのが常のジョミーは、思い切りスルーしたのだけれど。
 このシャングリラで暮らすミュウの殆ども、まるで知らないことだったけれど。
 ソルジャー・ブルーの私室とも言える、広い青の間。
 其処は「神秘の世界」で「空間」、仕掛けの方も半端なかった。やたらとデッカイ貯水槽やら、妙に薄暗い照明やら。
 その実態は半ば「演出」、総仕上げとばかりに、舞台裏までが…。
(……ジョミーが来たか……)
 しかも墓穴を掘る方向で、とソルジャー・ブルーがベッドの上でほくそ笑む。
 「来るがいい」と天蓋の遥か上の方を思念で眺めて、「ナキネズミのように刺さるがいい」と。
 青の間の周りを走る通路には、何本も混ぜてあるのがダミー。
 熟練の仲間は「ダミーか」と瞬時に見抜くけれども、そうでなければ気付かない。少しだけ狭い通路なのだと思う程度で、それを進んで行ったなら…。


「うわあっ!?」
 ジョミーの足元の床が、いきなり外れた。
 下に向かって放り出されたと思ったけれども、止まった落下。身体が半分落ちた所で。
「なんだよ、これ!?」
 慌てて上がろうと足をバタバタ、なのに少しも這い上がれない。床はツルツル、掴むことさえも出来ないから。サイオンを使って上がりたくても、それすらも上手くいかないから。
「だ、誰か…!!!」
 助けて、と声を上げた所で、下から聞こえたブルーの声。「其処にいたまえ」と。
「えっ、ブルー!?」
 じゃあ、此処は…、と青ざめたけれど、生憎と何も見えない有様。穴は自分の身体が刺さって、もうそれだけで一杯だから。隙間から下を覗けはしなくて、サイオンの目も使えないから。
「…君が逃げたのは知っていた。ゼルたちが探しているけどね…」
 此処に来るとは、とブルーはクスクス笑っている。「ゼルの講義を聞かなかっただろう?」と。
「ぜ、ゼルって…。この穴、何なんですか!?」
 叫んだジョミーに、「忍び返しと聞いたけれどね?」と呑気な声が返った。
「詳しい仕組みは、ぼくも知らない。ただ、忍び込もうとした人間は…」
 今の君のように刺さるらしい、とソルジャー・ブルーは可笑しそう。
 「初めて見たよ」と、「後でゼルたちにも教えてやろう」と。
「ちょ、ブルー…!」
 ぼくって、どう見えているんですか、と怒鳴りながらも、ジョミーにはもう分かっていた。朝に目にした「アレ」と同じで、「とても情けない格好」だと。
 今の自分は壁の代わりに天井に刺さって、後ろ足とか尻尾の代わりに…。
(…マントも上着もめくれてしまって、腰から下だけ…)
 そういう間抜けな格好なんだ、と後悔したって、もう遅い。忍び返しにかかった後では。


 かくして「青の間の天井に刺さった」ジョミーは、ゼルたちどころか…。
「へええ…。あれが未来のソルジャーねえ…」
「情けねえよな、あんなので地球に行けるのかよ?」
 見物に来た仲間がワイワイガヤガヤ、子供たちだって上を見上げて…。
「ねえねえ、クマのプーさんみたい!」
「ソルジャー、後でジョミーのお尻を飾って遊んでもいい?」
 天井だから花瓶は難しいけど、とキャイキャイはしゃがれ、それは恥ずかしい状況で…。
(…なんで、こういうことになるのさ…!)
 誰か助けて、と泣けど叫べど、自業自得の集大成。
 ナキネズミまでが下でキューキュー言うから、穴に刺さったジョミーは呻くしかない。
 「お前、助けてくれないのか?」と。
 「朝に助けてやったのに」だとか、「なんで、お前も見てるんだよ!」と。
 座学をスルーしなかったならば、穴には落ちなかったのに。
 真面目に訓練に出掛けていたなら、こんな所で晒されてなんかいないのに。
 けれど人生、結果が全てで、ジョミーには「プーさん」という渾名がついた。もちろん、由来は「クマのプーさん」。
 「ソルジャー・プー!」とまで呼ばれる毎日、「プーさん」で済めば、まだマシな方。
 ソルジャー候補と呼ばれる代わりに、「ソルジャー・プー!」になるのだから。
 「これで立派にソルジャーだよな」と、「名前だけなら、もうソルジャーだぜ」と…。

 

            刺さった少年・了

※ナキネズミが壁に刺さったネタ元は、「欄間に刺さった猫」なツイート。でも、その先は…。
 やっぱり自分が考えたわけで、ジョミーには「マジでスマン」としか。ソルジャー・プー。








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(ぼくの本…)
 これだけしか残っていないけれど、とシロエが抱き締める大切な本。
 E-1077の中の個室で、一人きりの夜に。
 たった一冊、故郷から持って来られた宝物。
 両親に貰った、ピーターパンの本。
 成人検査を受けた後にも、この本だけは残ってくれた。
 子供時代の記憶を奪われ、両親の顔すら、おぼろにぼやけてしまっても。
 懐かしい故郷のエネルゲイアの、風も光も、空気も霞んでしまっても。
(この本だけは、此処にあるから…)
 きっといつかは帰ってみせる、と誓う故郷の両親の家。
 今は住所さえ忘れてしまって、もう書くことも出来ないけれど。
 エネルゲイアの映像も、地図も、少しもピンと来ないのだけれど。
(…いつか必ず、思い出してやる…)
 機械が記憶を奪ったのなら、その機械から取り戻して。
 「ぼくの記憶を返せ」と、機械に命令して。
(…パパとママの家に帰れる日まで…)
 この本は、けして手放さない。
 何があっても守り続けて、何処へ行こうと、この本と一緒。
 メンバーズとして船に乗り込む時が来たって、戦地へ赴く日が来たって。
(何処へでも、持って行くんだから…)
 絶対に離してたまるもんか、と本を膝の上に置いて広げる。
 其処に書いてある、自分の名前。
 「セキ・レイ・シロエ」と、自分の字で。
 これが「自分の持ち物」の証。
 この本は誰にも渡しはしないし、いつまでも「セキ・レイ・シロエ」の本。
 誰にも書き換えさせない、その名。
 本の持ち主は自分一人だけで、何処までゆこうと「セキ・レイ・シロエ」。
 いつか命尽きる時が来たなら、その時は「失くす」かもしれないけれど。


 ぼくの本だ、と見詰める「セキ・レイ・シロエ」の文字。
 命ある限り、この本は自分だけのもの。
 こうして名前も書いてあるから、誰も「寄越せ」と奪えはしない。
 それをしたなら、責められるだけ。
 此処でなら、マザー・イライザに。
 E-1077を離れた後なら、グランド・マザーや、マザー・システムに。
(人の物を盗ったら泥棒だしね?)
 そういう時にはマザー・システムも役に立つよ、とクックッと笑う。
 「泥棒」は明らかに「規則違反」で、罰せられるもの。
 だから、この本を奪う者はいない。
 奪った途端に「泥棒」になって、評価が下がるだけなのだから。
(…渡すもんか…)
 この本は「ぼくの本」なんだから、と指で持ち主の名前をなぞる。
 「セキ・レイ・シロエ」と、一文字、一文字、自分の筆跡を追うように。
 それを辿って、指で書こうとするかのように。
(…セキ・レイ……)
 シロエ、と続けようとして、ふと止まった指。
 「シロエ」は自分の名前だけれども、今、書いた「レイ」。
 これも同じに「シロエ」の名前。
 「セキ」の後には「レイ」と続いて、最後に「シロエ」。
(……セキ・レイ・シロエ……)
 何度も自分でそう名乗った。
 そして誇らしげに、こう続けもした。
 「シロエと呼んで下さい」などと。
 お蔭で誰もが「シロエ」と呼ぶ。
 教官たちなら、「セキ・レイ・シロエ」と名簿を読みもするのだけれど。


(…ぼくはシロエで…)
 セキ・レイ・シロエ、と心の中で繰り返す。
 本に書いた文字を目で追ってみても、やはり「セキ・レイ・シロエ」とある。
 けれども、止まってしまった指。
 「セキ・レイ」までをなぞって、其処の所で。
 続けて「シロエ」と辿る代わりに、まるで縫い留められたかのように。
(……ぼくの名前は……)
 「セキ」なら両親の名前と同じ。
 父は「ミスター・セキ」でもあったし、「セキ」がファミリーネームになる。
 養父母とはいえ、子供時代の自分は「セキ」という家の子。
 今でも「セキ・レイ・シロエ」を名乗って、「セキ」の名を継いでいるけれど…。
(…シロエは、シロエで…)
 ファーストネームで、何も思わず口にしていた。
 名を問われたなら「セキ・レイ・シロエ」と、「シロエと呼んで下さい」と。
 だから自分でも「シロエ」のつもり。
 自分の名前は「シロエ」なのだと、ずっと信じていたのだけれど。
(……セキ・レイ……)
 「レイ」も「ぼく」だ、と今頃になって気が付いた。
 それはいわゆるミドルネームで、「セキ・レイ・シロエ」の名前の一部。
 「セキ・シロエ」ではなくて、「セキ・レイ・シロエ」。
 自分の名前はそれで全部で、「レイ」が無ければ、まるで別人。
 「セキ・シロエ」なんかは知らないから。
 自分はあくまで「セキ・レイ・シロエ」で、「他の名前」ではないのだから。


 どうして今日まで、不思議に思わなかったのだろう。
 「レイ」も自分の名前なのだと、考えさえもしなかったろう…?
(…それも忘れた…?)
 まさか、と背中がゾクリと冷える。
 あの忌まわしい成人検査で、「忘れなさい」と命じた機械。
 記憶の全てを捨てるようにと強いた、憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブ。
 あれが自分から「奪った」だろうか、「レイ」の名前を…?
 どうして「セキ・レイ・シロエ」なのかを、「レイ」の名は何処から来たのかを。
 それならば、分からないでもない。
 むしろピタリと合う符号。
 機械が「忘れさせた」なら。…記憶を「奪い去った」のならば。
(…パパの名前にも、ママの名前にも……)
 「レイ」という名は入ってはいない。
 そのことは今もハッキリしている。
 顔さえおぼろになった今でも、「セキ・レイ・シロエ」のパーソナルデータは健在。
 E-1077のデータベースにアクセスしたなら、即座に弾き出されるそれ。
 其処には、養父母の名前も書かれているのだから。
(…パパもママも、「レイ」じゃないのなら…)
 きっと「レイ」には意味がある筈。
 ミドルネームを持っている者は、そう沢山はいない時代。
(パパか、それともママだったのか…)
 あるいは二人で、そう決めたのか。
 とにかく「子供にミドルネームをつけよう」と、父と母とは考えた。
 そうして生まれた「セキ・レイ・シロエ」という名前。
 「セキ・シロエ」にはならないで。
 「レイ」を加えて、「セキ・レイ・シロエ」と。


(…「レイ」の名前に、意味があったんだ…)
 きっとそうだ、と今なら分かる。
 自分は「何も覚えていなくて」、両親の名前に「レイ」の名は無い。
 父か母かが選んだ名前で、何らかの意味がこもっていた筈。
 「セキ・シロエ」よりも響きがいいから、と「レイ」を加えてくれたのか。
 それとも「レイ」という名の知り合いでもいて、その人の名に因んだものか。
(…知り合いじゃなくて、パパの尊敬する人だとか…?)
 遠く遥かな昔の学者か、あるいは偉人や、英雄などや。
 そうした名前を貰っただろうか、「セキ」の名を持つ息子のために…?
(ママが選んだ名前ってことも…)
 有り得るのだから、「レイ」というのは、母が好んだ画家や作家の名前とか。
 母の友人に「レイ」の名を持つ、親しい誰かがいただとか。
(……パパかママかは、分からないけど……)
 二人で決めたかもしれないけれども、「レイ」は「選んで貰った」名前。
 「この名がいい」と、わざわざミドルネームにして。
 本当だったら「セキ・シロエ」だけで充分なのに、「レイ」を加えて。
(…だから、忘れた……)
 ぼくは覚えていないんだ、と「レイ」の名前の部分をなぞる。
 この名に何の意味があったかと、それを名付けたのは父か母か、と。
(…何回も聞いて、「また聞かせて」って…)
 幼い自分は両親にせがんだのだろうか。
 「どうして、ぼくはシロエの他にも名前があるの?」と、「レイって誰?」と。
 その度に答えを聞かされたろうか、「それはね…」と母に、懐かしい父に。
 何度も何度も繰り返し聞いて、きっと心に刻んだ名前。
 「ぼくの名前はセキ・レイ・シロエ」と、「レイの名前は、パパたちが…」と大切に。
 宝物のように思っただろうに、「それ」を忘れた。
 「レイ」の名前は何処から来たのか、誰が名付けてくれたのかを。


 酷い、と涙が零れ落ちる。
 「名前を忘れてしまうだなんて」と、「パパたちがくれた名前なのに」と。
 名前は残っているのだけれども、意味を忘れたら、記号にすぎない。
 「セキ・レイ・シロエ」と名乗ってみたって、「レイ」の名前は謎のまま。
 「セキ」ならば、ファミリーネームなのに。
 「シロエ」の方ならファーストネームで、誰にでもあるものなのに。
(……ミドルネームは、持っている人が少なくて……)
 大抵は、それに意味があるもの。
 母の姓だったり、両親の名前の一部をそのまま使っていたりと。
(…だけど、ぼくのは……)
 両親の名前と繋がらないから、ただ、悲しい。
 それを贈ってくれた両親、その「思い」ごと忘れたから。
 「レイ」の名に何の意味があったか、どうしても思い出せないから。
(……セキ・レイ・シロエ……)
 レイって誰なの、と顔もおぼろな両親に問う。
 「どうして、ぼくの名前はレイなの」と。
 涙が頬を伝うけれども、それに答えは返らない。
 「セキ・レイ・シロエ」の「レイ」が何かは、何処から名付けられたのかは…。

 

         奪われた名前・了

※セキ・レイ・シロエの名前って、ある意味、色々、反則。「セキ」が姓だったり、と。
 ミドルネームも、ジョミーしか持っていないんですよねえ…。なので捏造。









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(ブルー…。私は、どうなってしまうのでしょう…)
 教えて下さい、とフィシスは日々、悲しみに暮れていた。
 ナスカが崩壊して、ソルジャー・ブルーが二度と戻って来なかった、あの日。
 ブルーの形見になってしまった、補聴器をジョミーに渡した時。その時は、まだ知らなかった。自分を待ち受けている運命のことも、自分の忌まわしい生まれのことも。
 けれど、衰え始めたサイオン。まるで読めなくなってゆく未来。
 何度タロットカードを繰っても、意味を成してはいないものばかり。呪いでもかかっているかのように。…あの時、ブルーは「呪いを解く時が来たようだ」と告げていたのに。
(長年、私にかけられていた呪い…)
 それが何だったか、今では分かっている。
 水槽の中に浮かんでいたのを、思い出したから。「ブルーと初めて出会った」日を。
(…私は、キース・アニアンと…)
 同じ生まれで、「ミュウではない」者。サイオンなどは「無くて当然」。
 この先、まだまだ衰えてゆくことだろう。思念波さえも使えなくなる日が、いずれ訪れるのかもしれない。そうなった時に、どうやって生きて行けばいいのか。
(…それに、私は……)
 ブルーと大勢の仲間たちを殺してしまった、とフィシスは自分を責める。
 「地球の男」に近付かなければ、キースが逃げ出すことは無かった。メギドの炎が赤いナスカを滅ぼすことも、ブルーが「いなくなってしまう」ことも。
(…ブルー、私はどうすれば…)
 もう行く道が見えないのです、と嘆き悲しむフィシスだったけれど。
「…フィシス?」
 失礼します、と天体の間に入って来たのは、シャングリラのキャプテン、ハーレイだった。
(……キャプテン……?)
 キャプテンが私に何の御用で…、とフィシスは訝しむ。
 「未来を読まない」ソーシャラーなど、長老たちにも、とうに見放されているというのに。


 だから、ハーレイが側に来るのを待たずに言った。
 「占いでしたら、今日は気分が優れないので…」と、いつも通りの言い訳を。
 サイオンを失ったことが知れたら、きっと大変なことになる。「生まれの秘密」は、トォニィが知っているのだから。
 けれど、ハーレイは「いえ」と真っ直ぐ近付き、直ぐ側に立った。
「…フィシス。正直に答えて貰いたい。…あなたは、未来を読まないのではなくて…」
 読めないのでは、と投げ掛けられた問い。フィシスは声を失った。それは真実なのだから。
(……知られているの!?)
 トォニィが船のみんなに話して回ったの、と怯え、椅子に腰掛けたままで凍り付いたけれど。
「やはり、思った通りだったか…。ブルーから聞いていた通りに」
「…えっ?」
 何を、とハーレイを見上げたフィシス。「キャプテンは何を知っているの?」と。
「フィシス、あなたのことなのだが…。ブルーは全て、私に話した」
 そして私は、誰にも話してはいない、とハーレイはフィシスを安堵させるように言葉を選んで、続きを口にしてゆく。
 「何もかも」知っていたことを。フィシスの生まれも、ブルーがフィシスにサイオンを与えて、ミュウにしたことも。
 ハーレイはソルジャー・ブルーの右腕だったから、最初から全て承知だった、と。
「…では、私は…。これから、どうすればいいのですか?」
 この船の中で…、とフィシスの閉じた瞳から涙が零れてゆく。ミュウではないなら、この船にはとてもいられない。皆が知らなくても、自分自身が「それを許さない」から。
 ナスカの滅びを、ソルジャー・ブルーの死をもたらした「災いの女」。
 ミュウでさえもなくて、「地球の男」と同じ生まれで、これからも災いを呼ぶだろうから。
 そうして自分を責めて責め続けて、行く道は今も見えないまま。…誰も教えてくれないまま。
「…フィシス。あなたは、何を望んでいる…?」
 望みは何だ、と訊き返された。「望みがあるなら、それを聞こう」と。
 キャプテンとして、叶えることが出来そうだったら、そのように努力してゆこう、とも。


(……私の望み……?)
 考えたことも無かったわ、とフィシスは心の中を探った。
 ブルーが戻らなかった時から、まるで失くしてしまった希望。その上、道さえ見えはしなくて、望みなど持てはしなかった日々。
 けれども、それを問われたからには、答えなくてはならないだろう。
 問い掛けたのは、「全てを知る」ハーレイ。キャプテン自ら、此処まで足を運んでの問い。
(……私に、何か出来るとしたら……)
 何をしたいか、どうしたいのか。
 答えは直ぐに見付かった。「これだわ」と直ぐに分かったけれども、あまりに非現実的なそれ。いくらハーレイが努力したとて、叶いはしない。
 そう思ったから、「望みなどは……何もありません」と答えたのに。
「…本当に? ブルーからは、あなたのことを何度も頼まれていたので…」
 力になれるものだったら、とハーレイの方も譲らない。天体の間を去ってゆこうともしない。
(…こんな望みが、叶うわけがないのに…!)
 どうして分かってくれないの、とフィシスは声を荒げてしまった。
「あなたに何が分かるのです! 私には決して出来ないことです、敵討ちなど…!」
 ブルーの仇を取りたいのに…、と叫ぶようにして明かした「望み」。
 それは「絶対に」叶いはしない。
 ブルーを殺したキース・アニアン、彼は叩き上げのメンバーズ。「ただの女」が太刀打ち出来る相手はなくて、返り討ちに遭うに決まっている。どう考えても、どう転んでも。
 だから「あなたに、何が出来ると言うのです…!」と、ハーレイに怒りをぶつけたのに。
「…そんな所だと思っていた。ならば、あなたの努力次第だ」
「……努力?」
 どういう意味です、とフィシスは見えない瞳でハーレイを見詰めた。努力とは何のことだろう?
「そのままの意味だが?」
 ブルーの仇を討ちたいのだろう、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
 「そうしたいのなら、私も努力を惜しまない」と、「早速、今日から始めるとしよう」と。


(…今日からって…。何を始めると言うの?)
 途惑うフィシスに、ハーレイが「これなのだが…」と取り出して「見せた」もの。
「……ナイフ……ですか?」
 木彫り用の、とフィシスは尋ねた。キャプテン・ハーレイの趣味は木彫りで、よくブリッジでも彫っていた。「ナイフ一本で出来る趣味だから」と、それは楽しそうに。
 ただし、木彫りの腕前の方は、お世辞にも上手くなかったけれど。
「確かに、私が趣味に使っているナイフだが…」
 これには別の顔があって…、とハーレイはシュッと空気を「斬った」。ナイフがキラリと光った瞬間、床に落ちていた「斬られた」リンゴ。
 さっきまでテーブルの上の器に盛られていたのに、真っ二つ。いつハーレイがそれを取ったか、まるで分かりもしなかったのに。
「…キャプテン、今のは…?」
「こちらがナイフの「本当の顔」だと言うべきか…。ナイフを使った戦闘術だ」
 極めれば、このようなことも出来る、とハーレイは笑った。
 曰く、シャングリラがまだ「白い鯨」になるよりも前は、満足に無かった「武器」というもの。人類軍に船を襲われ、白兵戦になったらマズイ。
 ゆえに誰もが「自分に適した」ものを選んで、「戦える自分」を作り上げた。
 ゼルの場合は、レンチを持ったら「向かう所は敵なし」らしい。ヒルマンはペンで、相手の目にそれを突き立てる。エラは縫い針で首の後ろの急所を狙って、一撃必殺。
 そんな具合に皆が「必殺技を持つ」のだけれども、ハーレイはナイフの達人だった。キッチンにあったナイフを手にして、鍛えまくった自慢の腕。
 もっとも、今ではシャングリラも立派な船になったし、武器も豊富に揃っている。身近なもので戦わなくても、何の問題も無いものだから…。
「…戦闘用から、木彫り用のナイフになったのですか?」
「そうなのだが…。腕は全く鈍っていない」
 ブルーの仇を討ちたいのならば、教えよう、とハーレイはフィシスに向かって笑んだ。
 「私で良ければ、いくらでも稽古に付き合うが」と、「あなたでも、やれば達人になれる」と。


 ナイフ一本で「戦える」術。フィシスに「否」がある筈がない。
 「教えて下さい!」とハーレイに頼んだわけで、その日から稽古が始まった。ハーレイが持って来ていた「練習用の」ナイフを使って、天体の間で。
「行くぞ、上! 中! 次、下!」
 ハーレイが繰り出すナイフを相手に、フィシスは懸命に稽古を続けた。
 自分のナイフが弾き飛ばされても、急いで拾って「お願いします!」と。「まだまだ!」などと諦めないで、来る日も、来る日も。
 そうやって稽古を続けまくって、ついに目出度く免許皆伝。
「この腕なら、メンバーズ相手でもいける。…よく頑張った、フィシス」
「ありがとうございます、キャプテン!」
 キースに会ったら、きっとブルーの仇を討ちます、と誓うフィシスは、愛用のナイフをドレスの下に隠していた。スリットから直ぐに取り出せるように、太腿にナイフホルダーをつけて。
 今やフィシスは最強のアサシン、盲目の女暗殺者。
 殺気を殺して敵に近付き、ナイフで頸動脈を掻っ切る。心臓を一撃で貫くのもアリ。
 そんなフィシスが、ジョミーたちと地球に降りたものだから…。


 ミュウと人類との会談の前夜、ユグドラシルで窓の向こうの月を見上げていたキース。
 其処へフィシスが現れたわけで、キースは余裕たっぷりに言った。背を向けたままで。
「…銃なら其処に置いてある」
「いえ、結構です」
 私には、これで充分です、とキースの喉元でギラリ光ったナイフ。月明かりに照らされ、それは冷たく、禍々しく。
 動けば喉を掻き切られるから、キースは全く身動き出来ない。フィシスに後ろを取られたまま。
「き、貴様……!」
 それがキースの精一杯で、フィシスはナイフをキースの喉に当てながら…。
「…ブルーの最期を教えて下さい。あなたが殺めたのですか?」
「ち、違っ…! あ、あいつはメギドの爆発で…!」
 死んだ筈だ、とキースは逃げを打ったけれども、フィシスのナイフは揺るぎもしない。
「本当に? …あなたは本当に何もしていないのですか、あの人に…?」
「う、うう…。う、撃った…。撃ったが、殺す所までは…!」
「そうですか…。何処を撃ったと言うのです…?」
 全部話して頂きます、とフィシスは凄んで、キースは吐かざるを得なかった。ブルーに向かって何発撃ったか、命中したのは何処だったか。
「さ、最後に撃ったのが右目だった…!」
「…分かりました。では、あなたにも死んで頂きましょう」
 安心なさい、とフィシスはキースの耳元に囁いた。「右目は、あなたの死体から抉ることにして差し上げますから」と。
「し、死体からだと…!?」
「ええ。…生きている間に抉り出すほど、私は鬼ではありませんから」
 覚悟の方はよろしいですか、とフィシスはキースを「殺す気満々」だったのだけれど、何故だか憎めない「ブルーの仇」。どうしたことか、どういうわけだか。
(…この人の頸動脈を切ったら…)
 ブルーの仇が討てるのに、と思いはしても、出来ない「それ」。
 やはり生まれが同じだからか、同じ「青い地球」の映像を持っているからか…。


 仕方ない、とフィシスはナイフを下ろして、寂しそうな顔で微笑んだ。
「…殺すつもりで来たというのに…。何故か、あなたへの憎しみが湧かない」
 あなたを見逃すことにします、とナイフを足のホルダーに仕舞った。
(…ごめんなさい、ブルー…。あなたの仇を討てなくて…)
 でも、此処までは来ましたから、とキースを見詰めて、こう告げた。
「…忘れないで。あの人の最期を」
 忘れたら、その時は殺してあげます、とフィシスはキースに背を向け、その部屋を去った。来た時と同じに、足音もさせずに。
 こうして最強のアサシンは去ったけれども、キースはと言えば…。
(……た、助かった……)
 この身体のお蔭で命を拾った、とガクガクブルブル。
 キースの身体は、フィシスの遺伝子データを元に作られたものだった。言わば親子で、キースの母がフィシスに当たるわけだから…。
(あれが母親でなかったら…)
 殺されていた、とキースの恐怖は尽きない。「なんて女だ」と、「流石は私の母親だな」と。
 ソルジャー・ブルーも凄かったけれど、フィシスも半端なかったから。
 フィシスが見逃してくれなかったら、もう確実に死んでいた。
(でもって、右目を抉り出されて…)
 それを、あの女が踏み潰すのか、握り潰すのか…、とキースは震え続ける。
 最強のアサシン、それが自分の命を消しに現れたから。
 「ソルジャー・ブルーの最期」をウッカリ忘れた時には、きっと命が無いだろうから…。

 

          最強のアサシン・了

※自分はオチを知っているんで、サクサク書いてたわけですけれど。途中でハタと思ったこと。
 前半だけを見たら、「立派なシリアス、ブルフィシ風味」。どうしてこうなった…。








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