忍者ブログ

(フッ……)
 相変わらず不用心なことだ、とキースは鼻で笑いたくなる。
 深い地の底へ向かうエレベーターには、キースしか乗っていなかった。
 いつも側にいるマツカでさえも、此処までは付いて来られはしない。
 地球の地下深くに座す巨大コンピューター、グランド・マザーは「人を選ぶ」から。
(私よりも前に、この道を降りていた人間が…)
 何人かいたのは確かだけれども、最後は二百年も前のことになる。
 国家主席の地位に就く者は、その後、一人も出なかった。
(相応しい人材がいないのならば、と…)
 グランド・マザーは神の領域に手をつけた。
 遺伝子を操作するならまだしも、生命を無から作り出そうという試み。
(まさに禁断の技なのだがな…)
 機械であるがゆえの決断だったか、あるいは機械の傲慢さなのか。
 SD体制が始まって以来、六百年もの長きにわたって、機械は人を統治して来た。
 逆らう者は全て排除し、機械に都合の悪い記憶や思考の類は、片っ端から消去して。
(そうした挙句に私を作って、見込み通りに育ったからと…)
 グランド・マザーが許したからこそ、今、この道を降りている。
 今のキースは、国家主席の肩書きは持っていないのに。
 パルテノンの元老の中の一人で、特別な役目も称号も何も、まだ手にしてはいないのに。
(…私だったら間違いない、ということか…)
 そうなのだろうな、と分かってはいる。
 自分の生まれを知っているから、グランド・マザーの判断も分かる。
 今の内から慣れさせておけば、国家主席の座に就いた後に、迅速に事が運ぶだろう。
 『グランド・マザー』がある場や姿に臆することなく、いつでも拝謁出来るのだから。


 初めて此処へやって来たのは、パルテノンに入って間もない頃だった。
 人類の聖地、母なる地球。
 其処へ来るよう、グランド・マザーの要請があった。
(誰一人、何も疑いもせず…)
 暗殺計画の一つも立てることなく、キースは無事にノアを飛び立ち、地球へ向かった。
 キース自身も、その時は思いもしなかった。
 まさか直接、グランド・マザーと対面することになろうとは。
(就任した元老が地球に招かれ、視察するのは、よくあることで…)
 さして珍しくもないものだから、足を引っ張る者がいなかったのは当然だろう。
 そうでなくても、元老の地位に就いた後には、暗殺の危機には出会っていない。
(誰もが、保身に懸命だからな…)
 就任前なら必死になっても、就任されたら手を出さないのが一番と言える。
 グランド・マザー直々の人選なのだし、下手をしたなら自分が危うい。
(ある日突然、会議の場から連行されて…)
 そのまま処刑も有り得るのだから、「キース」に構うべきではない。
 嫌味程度に留めておくのが、利口なやり方というものだろう。
(だからこそ、誰も気が付かなくて…)
 キースも全く予想しないまま、地球の宙港に降り立った。
 「人類の聖地」と謳っていながら、まるで再生していない地球。
 地表の多くが砂漠化していて、残った海には毒素が今も貯め込まれている。
(知識としては、知っていたがな…)
 実際、この目で眺めた時には、流石のキースも言葉を失くした。
 機械が「キース」を作り出す時、植え込んでおいた記憶の中には…。
(青く輝く水の星があって、そこまで宇宙を飛んでゆくという、壮大な…)
 それは美しい旅の欠片が、消えることなく煌めいていた。
 何かのはずみに、それが浮かんで、また消えてゆく。
 まるで招いているかのように、地球への道をキースに示して。


 そういう記憶を持っていたから、本物の地球は衝撃だった。
 「何故、此処まで」と驚くと共に、限界を思い知らされた。
 自分自身の限界ではなく、機械とSD体制の。
(どれほど機械が努力しようが、六百年も経って、この有様では…)
 やり方自体が間違いなのだ、と断言するしかないだろう。
 グランド・マザーが何と言おうが、努力して来た道を提示しようが、無駄でしかない。
 今のやり方を続けたところで、何年、何百年と経とうが、青い地球など戻っては来ない。
 何処かで誰かが、全て切り替え、場合によっては、体制ごと倒してしまわない限り…。
(青い星には、けして戻りはしないのだ…)
 しかし…、と懸念は幾らでもある。
 いったい「誰が」、それをするのか。
 グランド・マザーに上申したなら、今のやり方は変わるのか。
(とても、そうとは思えんな…)
 もう何回も、この道を降りて行ったけれども、グランド・マザーは常に高圧的だった。
 広い宇宙で「正しい者」は、グランド・マザー、ただ一人だけ。
 機械を「一人」と数えていいなら、きっと、そういう表現になる。
 グランド・マザーだけが「正しい」以上は、異を唱えるなど許されはしない。
(今のままでは、地球を元には戻せはしない、と…)
 「キース」が直訴してみたとしても、退けられることだろう。
 その場で直ちに「それは正しくありません」と言い返されて、追い返される。
 「ノアに戻って、もう一度、最初から考えなさい」と。
 「あなたの思考が纏まらないなら、私が手を貸してあげますから」と、甘い言葉も添えて。
 その手をウッカリ借りた時には、グランド・マザーのやり方に抱いた疑問は、跡形もなく…。
(消えてしまって、欠片さえも存在しなくなるのだ)
 それが機械のやり口だしな、と嫌というほどよく知っている。
 遠い昔に、キースが「生まれた」、あのステーションで、Eー1077で何度見たことか。
 シロエが乗った船を撃ち落とす前も、それから後も。


 だから機械に意見したことは、一度も無い。
 自分の考えを述べることもしなくて、疑問を向けたことさえも無い。
 ゆえに「キース」は、唯一の「グランド・マザーに期待されている者」。
 いずれは国家主席の座に就き、人類全てを統治してゆくことになる。
 グランド・マザーの代弁者として、理想の代理人として。
(私は、そういう存在だから…)
 こうして地下へ降りてゆく道が開かれ、グランド・マザーの許へと向かう。
 まだ公にはなっていなくて、「キース」を此処へと導いた者は、今日の内にも記憶を消される。
 「キース・アニアンを案内した」ことを、すっかり忘れ去るように。
 直接、先導していた者も、それに関わった者たちも、全部。
(…つくづく用心深いことだが…)
 それは非常に結構だがな、とキースは皮肉な笑みを浮かべる。
 「私自身は、疑わないのか?」と、エレベーターの中で喉をクッと鳴らして。
 監視カメラなどありはしないから、グランド・マザーに聞こえはしない。
 そう、「降りてゆけるのは、選ばれた者」の他には無いから、監視カメラの必要は無い。
(ついでに、私のボディーチェックも…)
 まるで全くしてはいないな、と可笑しくて笑い出したくなる。
 もしも「キース」が爆発物でも抱えていたなら、グランド・マザーはどうするのだろう。
 遠い昔の頃ならともかく、今の時代は「服の下に隠してゆける程度」の爆発物でも…。
(この下にある、あの地下空間を…)
 木っ端微塵に吹っ飛ばすくらいは、充分に出来る。
 グランド・マザーの本体が如何に頑丈だろうと、恐らく、無傷でいられはしない。
 更に言うなら、急いで修理しようにも…。
(外部から人を呼べはしなくて、自力で修復するしかなくて…)
 途方もない時間をかけて直すか、諦めて「人間」の手を借りるのか。
 時間をかけて直す場合は、空白の期間が生まれる可能性がある。
 グランド・マザーが修理で不在で、代理の者が統治するしかない期間。
(…唯一、期待される私は、爆発を起こした張本人で…)
 地下空間と共に微塵に砕けて、グランド・マザーの代理は務まらない。
 第一、反逆者を代理にするなど、人類の長い歴史の中でも、一度も無かったことだろう。
(他を探して立てるしかないが、無能だったら、どうにもならんな)
 クーデターでも起こりそうだ、と容易に想像することが出来る。
 「人間」の手を借りて修理となったら、それに乗じて、何が起きるか分かりはしない。
 グランド・マザーを倒したい者が、キースに続いて、よからぬことを企てる。
 手動で回路を組み替えていって、今とは全く違う思考のグランド・マザーに変えてしまうとか。


(…第二、第三のシロエというのも…)
 実は大勢いるのだろうさ、と思うものだから、もう可笑しくて堪らない。
 「私が爆発物を持っていたなら、何もかも、全て終わりだろうに」と。
 今は従順に見えている者が、牙を剥いたら恐ろしい。
 「キース」がグランド・マザーの側で自爆し、修理が必要になった時には、世界が変わる。
 クーデターで体制が崩壊することもあれば、グランド・マザーが別の思考を始めることも。
(もしも私が、やる時が来たら…)
 手動で回路を組み替える方は、よろしく頼む、と「シロエ」の後継者を頭に描く。
 「上手くやれよ」と、「そうでもしないと、青い地球には戻らんからな」と声援も送る。
 とはいえ、「キース」が自爆しようと企てる前に…。
(ミュウどもが、やって来るのだろうな…)
 奴らなら、きっと上手くやるさ、と期待している「キース」がいる。
 地球の地の底へ降りられる存在のくせに、グランド・マザーを、とうに見放している者が。
 自分の生まれにも愛想を尽かして、全てを自然に返したいと願う、機械に作られた生命体が…。



            期待される者・了


※アニテラのキースも原作同様、ただ一人だけの「グランド・マザーに会える」人間。
 けれど、いつから会えたかが謎。それを考える内に出来たお話、実際の設定が気になります。







拍手[1回]

PR
(…パパ、ママ…。会いたいよ…)
 帰りたいよ、とシロエは心の中で繰り返す。
 Eー1077の夜はとうに更け、候補生たちは皆、寝ているだろう。
 明日も講義があるわけだから、眠って明日に備えるべきだ、と此処では誰もが心得ている。
 よほど課題に詰まっているとか、試験勉強が出来ていないとか、そんな者しか起きてはいない。
(…ぼくも寝なくちゃ…)
 でないとキースに勝てやしない、と分かってはいても、眠れない。
 ベッドの上で膝を抱えて、ついつい、思いは故郷へと飛ぶ。
 「帰りたいよ」と、もう顔さえも霞んでしまった、両親に会いに行きたくて。
(もう、何度目になるんだろう…)
 こんな夜は、と数えてみても、とても両手の指では足りない。
 両足の指を足してみたって、それでも足りるわけがない。
(…此処へ来た頃は、毎晩、家に帰りたくって…)
 泣いていたから、それだけで指が足りなくなるよ、と胸に悲しみが満ちて来る。
 前ほど泣かなくなった自分は、故郷への思いが薄れたろうか。
 機械の魔手から逃げたつもりでも、少しずつ身体に毒が回ってゆくのだろうか。
(……まさかね……)
 きっと目標が出来たからだよ、と自分自身に言い聞かせる。
 優秀なメンバーズ・エリートになって、いつかは国家主席の座に就くことが今の目標。
 実現したなら、「シロエ」が世界のトップに立てる。
 機械に「止まれ」と命じることも、出来るようになるに違いない。
(そしたらシステムは全部崩れて、機械が奪った、ぼくの記憶も…)
 取り戻せると信じているから、それに向かって努力する。
 キースと成績を激しく競い合うのも、その一環と言えるだろう。
 「機械の申し子」と呼ばれるキースを蹴落とせたならば、当然、シロエの評価も上がる。
 マザー・イライザが何と言おうと、結果が全てで、メンバーズとしても「シロエ」の方が上。
(だから今夜も、早く眠って…)
 講義に差し支えないようにしなくちゃ、と思いはしても、今夜は難しいらしい。
 どうしても心が故郷に囚われ、両親と暮らした頃へと思いが飛んでゆくから。


 昼間、偶然、寄ったポートで、新入生たちの群れを見掛けた。
 何処かの育英都市から運ばれて来て、Eー1077に降り立った子たち。
(みんな、怯えたような目をして…)
 ポートの中を眺め回して、見知った顔が無いかどうかと、懸命に探しているようだった。
 身体は動いていなかったけれど、視線だけをあちこち、キョロキョロとさせて。
(…ぼくも、初めて此処へ来た時…)
 ああいう感じだったんだろうな、と胸の何処かがツキンと痛んだ。
 そう、「あの時」には、周りの仲間と「変わらなかった」。
 誰もが此処への不安で一杯、どうすればいいのか何もかも謎で、途惑っていた。
(ぼくはピーターパンの本をしっかり、抱え込んではいたけれど…)
 それが「特別なこと」とは思わず、「あって良かった」という気持ちがあっただけ。
 「他のみんなは、やっぱり何も持ってないんだ」と、手ぶらの仲間を確認して。
(成人検査の日には、荷物は持たずに行くのが決まりで…)
 他の子たちは規則を守って、何も持たずに出て来たのだろう。
 荷物を持っていなかったのなら、此処へも、手ぶらで来ることになる。
 ただそれだけのことなのだ、と「あの日のシロエ」は考えた。
 「宝物の本を持って来られた自分は、うんと頭が良かったのだ」と、自画自賛して。
 「本当に大事な宝物なら、こうして持って来られるんだよ」と得意になって。
(…でも、それは…)
 どうやら勘違いだったらしい、と日が経つにつれて痛烈に思い知らされた。
 仲間たちは「何も持っては来られなかった」けれども、それを少しも悔いてはいない。
 故郷で大切にしていた「何か」も、両親のことも、彼らの心の、ほんの一部に過ぎないらしい。
 過ぎ去った子供時代のことより、これから先の未来が大切、それから「今」という時も。
(此処で新しい友達が出来たり、故郷の友達と再会したり…)
 彼らは「今を生きてゆく」ことに夢中で、過去など少しも振り返らない。
 思い出話に語る程度で、その話だって、瞬く間に「今」に結び付く。
 「今、此処にいる」友と語らい、「ぼくの故郷は…」だの、「君の故郷は?」といった具合に。
(…故郷と言ったら、自分が育った場所、ってだけで…)
 それ以上の意味は持っていなくて、両親も同じ扱いになる。
 「自分を育てた人」というだけ、特別な感情も、「シロエ」ほどには…。
(…誰も持ってはいないんだよね…)
 今日、見た、あの子たちもそう、と唇を噛む。
 「これが機械のやり方なんだ」と、「パパもママも故郷も、大切なのに」と。
 成人検査を受けた子たちは、そういったことを忘れてしまう。
 そうして思い出しもしないで、育って、またしても「それ」が繰り返される。
 Eー1077とは違う何処かで、養父母としての教育を受けた子たちが社会に出て行って。


(SD体制で育った子供は、みんな、親から引き離されて…)
 教育ステーションに連れてゆかれて、其処で新たな教育を受けて、社会の中に散ってゆく。
 Eー1077なら、メンバーズ・エリートを筆頭にして、殆どが軍人の道へと進む。
 一般人向けの教育ステーションだと、専門職やら、仕事をしながら養父母になるコースやら。
(何処に行くかは、機械が成人検査で決めて…)
 勝手に振り分けてゆくのだけれども、何処へ進んでも、故郷の家へは帰れない。
 養父母の家へ帰って「一緒に暮らす」というコースは無い。
(…誰かの養子になる、ってヤツも…)
 あるそうだけれど、一種の契約、仕事のようなものらしい。
 故郷の両親とは違う「誰か」の家に雇われ、「息子」や「娘」として暮らす。
 契約期間が切れるまでの間の関係、気に入られたなら再契約で「親子」が続いてゆくけれど…。
(合わなかったら、まだ契約の期間中でも…)
 もう要りません、と切られてしまって、家から追い出されて終わり。
 「息子」や「娘」の仕事は無くなり、新しい両親と契約するか、別の仕事を始めるか。
(…そんなの、親子とは違うと思うよ…)
 まるで全く違うじゃないか、と解せないけれども、世の中、それで成り立っている。
 社会に出てから「子供が欲しい」と思うのだったら、養父母になるか、養子を迎えるか。
 養父母になると、暮らせる場所は育英都市に限られるから、それが嫌なら養子を取る。
 養子だったら、大人ばかりの社会の中でも、立派に通用する「子供」だから。
(…契約を交わして、親子になって…)
 合わなかったら解消だなんて、どう考えても「狂っている」。
 親子というのは、そういうものではないだろう。
 親は子供に愛情を注ぎ、子供は親に守られて暮らして、幸せに生きて育ってゆくもの。
 愛情を受けて育ったからこそ、次の世代へも愛情を注ぐ。
 血が繋がってはいない子供でも、養父母として。
 機械が「この子を育てなさい」と選んで、配って来た子であろうとも。
(ぼくのパパとママも、うんと優しくて、温かくって…)
 ホントに幸せだったよね、と心は「あの頃」を忘れない。
 両親の顔がおぼろになっても、故郷の家への道筋が思い出せなくなっても。
(やっぱり親子は、そうでなくっちゃ…)
 契約なんかは絶対違う、とキッパリと否定したくなる。
 いくら機械が認めた制度で、この世界には「そういう親子」が、あちこちの星にいようとも。
 きっと「地球」にも、そうした親子が何組も暮らしているのだろう。
 選ばれた者だけが行ける場所だけに、エリート同士の親子限定だろうけれども。


 何かおかしい、という気がする。
 「親子は、そういうものじゃないよ」と、機械に向かって怒鳴りたい。
 契約で親子になるなんて、と拳をギュッと握ったはずみに、違う考えが浮かんで来た。
 「だったら、何故…?」と。
 親が子供に愛情を注いで育てるものなら、何故、その親子を「引き裂く」のか。
 成人検査で「無理やり、離して」、引き離した子を新しく教育し直すのか。
(…みんなは疑問に思っていないし、それでいいのかもしれないけれど…)
 中には「シロエ」のような子もいて、辛い思いをするかもしれない。
 「帰りたいよ」と故郷の家を思い出しては、毎晩のように涙を流す子供たち。
 そういう子供を生み出すよりかは、最初から…。
(引き裂くのとは違う、別れ方をする方向に…)
 持って行ったらいいのでは、と生物の講義を思い出した。
 地球が滅びへと向かう前には、野生の動物が沢山生息していたという。
 彼らは自然の中で育って、次の世代を育てたけれども、その育て方は厳しいもの。
 子供が幼く、自分で餌を取れない間は、愛情をこめて世話をしていた。
 冷えないように温めてやって、餌を運んで、小さい間は親が食べさせたりもした。
 ところが、子供が立派に育って、一人前になったなら…。
(種族によっては、ある日突然、自分の子供を…)
 酷く苛めて、自分たちの縄張りの外へ追い出してしまい、それっきり。
 追われた子供が泣き叫ぼうとも、親は子供を顧みはしない。
 縄張りから追われてしまった子供は、まだ幼くて、親ほど上手に生きられないのに。
 餌を取る技も、生き延びる技も、充分にあるとは言えない子供の間に、放り出される。
 「後は自分で何とかしろ」と、容赦なく。
 「もう一人でも生きてゆける」と、「そのための技は教えた筈だ」と。
(…だけど技術は、うんと未熟で、自然は、とても厳しくて…)
 子供は一人で生きてゆけなくて、命を落とすことも多かったらしい。
 生き延びられた「強い子」だけが大人になって、新しい命を紡いでいった。
 強い遺伝子を子供に伝えて、種族の未来が強固なものになるように。
(…人間だって、同じ仕組みでいい気がするよ…)
 引き裂かれるように別れるよりかは、追い出された方がマシだろう。
 此処でこうして泣き暮らすよりも、「頑張ってやる」という気分になれそう。
 「追い出されたって、ぼくは生きる」と、「絶対、死にやしないんだから」と。


(その方が絶対、前向きになれると思うんだけどな…)
 みんな必死に生きるからね、と思うけれども、機械は、きっと認めはしない。
 それをやったら、SD体制は崩壊の道を辿るから。
 人間には「強く生きられる」道でも、機械にとっては望ましいものとは言えない生き方。
 今の社会のシステムだったら、養父母から引き離された後には…。
(マザー・イライザみたいな機械が、代わりに入り込んで来て…)
 新しい親として心を掴んで、そのまま依存させてゆく。
 「機械」という名の親に縋って、システムに頼り切りになるように。
 けしてシステムに疑問を持たずに、従順に生きてゆくように、と。
(…親が追い出してしまった子供じゃ、独立心が芽生えるだけで…)
 ぼくみたいな子が増えるだけだ、と溜息をついて、「でも…」と心は故郷へと飛ぶ。
 両親と暮らした懐かしい家へ、温かな思い出があった場所へと。
(…引き離されてしまったわけじゃなくって、追い出されてたら…)
 ある日、父から「シロエは立派に大人だからな」と告げられ、放り出されていたら。
 「二度と家へは戻って来るな」と、ピーターパンの本だけを持たされ、蹴り出されたら…。
(こんな本なんか、もう要らない、って…)
 何処かのゴミ箱にポンと投げ込み、成人検査を受けに出掛けていたのだろう。
 「絶対、エリートになってやるんだ」と、自分を捨てた父を見返すために。
 いつの日か、父を鼻で笑って、顎で使える立場になろう、と。
(それはシロエじゃないんだけれども、その方が…)
 きっと人生、楽だったよね、と心から思う。
 「引き裂かれるように別れるよりかは、追い出された方がマシだよ、きっと」と…。



             親との別れ方・了


※SD体制の成人検査って、何かが変。親と無理やり引き離すのは何故なんだろう、と。
 「親の代わりに、機械が入り込むためなのかも?」と考えた所から出来たお話。真相は謎。








拍手[1回]

(…子供時代の記憶か…)
 私には何もありはしないのだ、とキースは深い溜息をつく。
 首都惑星ノアの国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
 マツカが淹れていったコーヒー、それが机の上で微かな湯気を立てている。
(…コーヒーにしても、サムが見たなら…)
 目を輝かせて、「おじちゃん、コーヒー、大好きなの?」と訊くのだろうか。
 「ぼくの父さんも、よく飲んでるよ」だとか、「ママも飲むんだ」などと嬉しそうに。
(サムから直接、聞いたことは一度も無いのだが…)
 そもそも、サムの見舞いに行った時には、コーヒーを飲む機会は無い。
 サムと会うのは食堂ではなく、病室だったり、外の庭だったりすることが多い。
 病院の中の休憩スペース、其処で会うこともあるのだけれども、見舞客には飲み物は出ない。
 あくまで患者のための施設で、来客用ではない場所だから。
(だから私も、サムの前では…)
 コーヒーを飲んだことなどは無くて、サムの主治医と会う時に運ばれて来るだけだった。
 係の者がトレイに載せて持って来るそれは、マツカのコーヒーには敵わない。
 とはいえ、サムが目にしていたなら、コーヒーについての思い出話が聞けそうではある。
 サムにとっては思い出ではなく、「今、生きている世界」の話なのだけれども。
(…カップ一杯のコーヒーだけでも、サムならば、きっと…)
 豊かな記憶を持ち合わせていて、あれこれ語ってくれるのだろう。
 コーヒーが入ったカップを倒して叱られたとか、カップを落として割ったとか。
 あるいは「飲んでみたけど、苦いよね」と、子供時代のサムの味覚のままで顔を顰めるとか。
(Eー1077では、サムもコーヒーが好きで頼んでいたが…)
 子供時代も好きだったとは限らないことは、キース自身も知っている。
 機械が与えた膨大な知識、その中には「子供時代」に関するデータも充分、含まれていた。
 子供と大人では味覚が異なるとか、成長するにつれて好みが変わってゆくとか、様々なことが。
(…しかし私は、「知っている」だけで…)
 本物の「それ」を全く知りはしない、とフロア001で見た光景が頭の中に蘇って来る。
 「キース・アニアン」は、其処で育った。
 強化ガラスの水槽の中に浮かんで、外の世界には、ただの一度も触れてはいない。
 機械が無から作った生命、養父母さえもいなかった。
 そうすることが「キース」を育て上げるためには、最良だと機械が決めたから。
 養父母も教師も、幼馴染も、優秀な人材を育てる上では、不要なものだと切り捨てて。
(だから、私は…)
 全てを機械から学んで育って、子供時代を持ってはいない。
 「子供時代」と呼ばれる時代は、人工羊水の中に漂うだけで、何一つ、経験しなかったから。


 それが果たして正しかったか、どうなのか。
 外の世界に触れることなく、知識だけを得て育った生命、「それ」は本当に優れた者なのか。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
 そうだと信じているのだけれども、沸々と疑問が湧き上がって来る。
 「私は本当に、正しい判断が出来るのか?」と。
 いずれ人類の指導者として立つべき人材、そのように作られ、生まれて来た。
 正確に言えば「作られ、外の世界に出された」。
 フロア001を目にして、自分自身の生まれを知るまで、キース自身も信じていた。
 自分は誰よりも優れていると、疑いもせずに思い込んでいた。
 「機械の申し子」と異名を取るほど、優秀な頭脳と能力を持った「人間」だと。
(…だが、本当の私自身は…)
 真の意味では「人間」と言えず、シロエが揶揄した言葉通りに「人形」でしかない。
 機械が作って、機械が育てた「まがいもの」の人間。
(その上、子供時代の記憶が全く無くて…)
 経験さえもしていないのだ、とサムに会う度、痛烈に思い知らされる。
 サムが懐かしそうに語る「故郷」は、キースには無い。
 水槽の中しか知らずに育って、景色も人も見てはいないし、故郷の星の空気も知らない。
 サムが今でも会いたい両親、それもキースには、いはしなかった。
 育ての親は機械だったし、全てを機械から学んで育って、誰一人、目にすることもなかった。
(…こんな私に、ヒトのことなど…)
 正しく理解出来るのか、と自問自答し、「否」と自分で答えたくなる。
 どう考えても、それは「無理だろう」としか思えない。
 「キース」には「ヒトの想い」は分からず、推測でしか推し量れない。
 機械が与えた知識に基づき、「こういう場合は、この人間の心の中は…」と答えを弾き出す。
 恐らく「キース」は、そうした「精巧な人形」なのだろう。
 お蔭で誰にも怪しまれずに、此処までは巧くやって来た。
 これから先も「そうあるべきだ」と、機械は考えているに違いない。
 自分たちが与えた知識を正しく使って、人類を導いてゆくのが「キース」の使命なのだ、と。
(グランド・マザーは、そう信じていて…)
 マザー・イライザも、最後まで「そのつもり」だったろう。
 自分が作った「キース」は道を誤らない、と。
 誰よりも正しく真実を見極め、人類の指導者として立派に歩んでゆくものだと。


(…なのに、私は…)
 とうの昔に、道を外れつつあるのでは…、とキース自身も自覚している。
 子供時代の記憶を持たないことが「正しいかどうか」自問するのが、既におかしい。
 本当に機械に忠実ならば、そんな疑問は持たないだろう。
 過去の記憶が全く無くても、それを不思議に思いもしない。
(ついでに言うなら、自分の生まれを目にしたところで…)
 そういうものか、と思う程度で、驚きさえもしない気がする。
 「私は此処で育ったのか」と納得するだけ、「知識が一つ増える」だけで。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
 実際の「キース」が「どう思ったか」は、気にしていないに違いない。
 現に探りを入れられもせずに、「前と変わりなく」生きている。
 フロア001を見た後、グランド・マザーに「呼ばれてはいない」。
 何度も「会ってはいる」のだけれども、それは報告や任務のための機会に過ぎない。
(マザー・イライザのコールのように…)
 心を探られることなどは無くて、「キース」の心や記憶を弄られてはいない。
 ならば、機械は「疑ってさえもいない」のだろう。
 キースが「与えられた」道を外れて、外へ踏み出しつつあることを。
 踏み外した先で「ミュウのマツカ」を救って、側近として側に置いていることも。
(…私がマツカを救ったのは…)
 シロエの面影を見たからだけれど、シロエも「過去」にこだわっていた。
 サムと違って、シロエの場合は「忘れさせられた」過去だったけれど、中身は似ている。
 シロエは故郷を、両親のことを忘れ難くて、機械に抗い、宇宙に散った。
 最後までピーターパンの本を抱き締め、自由を求めて飛び立って行って。
(…シロエは最後に、両親を思い出せたのだろうか…?)
 サムのように心が壊れていたなら、きっとシロエも「会えた」のだろう。
 飛んで行った先には、「いる筈もない」両親に。
 遠い日にシロエを育てた養父母、懐かしい父と母とに出会って、幸せの中で逝ったと思う。
 傍目には不幸な最期のように見えても、シロエにとっては最高のハッピーエンド。
 「パパ、ママ、ぼくだよ!」と、両手を広げて。
 「会いたかったよ、帰って来たよ!」と、懸命に駆けて、両親と固く抱き合って。
(…きっとそうだな…)
 会えたのだろう、と心の何処かに確信に満ちた思いがある。
 シロエは幸せの中で旅立ち、両親の許へ帰ったのだ、と。
 サムが「今でも」両親がいる世界で生きているように、シロエも同じ世界へと飛んで。


 見舞いで病院を訪れた時に、サムがよく言う「ママのオムレツ」。
 サムの母が作るオムレツ、それは美味しいものらしい。
 シロエの母はどうだったろうか、やはりオムレツが得意だったのだろうか。
(それとも、他に得意料理があって…)
 飛び去ったシロエは、母が作る「それ」を再び口にし、「美味しい!」と喜んだだろうか。
 「また、これが食べたかったんだ」と。
 「やっぱりママのが最高だよね」と、「ステーションのとは大違いだよ」などと。
(ヒトの想いは、きっとそういうものなのだろうな…)
 私には「それ」が全く無いが、と悔しく、虚しく、寂しくもある。
 この感情も、機械が与えた知識の中には「無かった」だろう。
 過去の記憶を持たないことを、「寂しい」と思う感情など。
 ましてや「悔しい」、「虚しい」だとかは、多分、「あってはならない」感情。
 知識として持ち、駆使することは必要だけれど、こういう場面で用いることは許されない。
 「自分の生まれ」に、疑問や不満を持つことなどは。
 子供時代を持たない「自分」を、欠陥品のように考えることも。
(…そうだな、私は、とうの昔に…)
 道を外れてしまっているな、と自嘲めいた笑みが浮かんで来る。
 今の「キース」は「余計な感情」だらけで、その感情を懸命に隠しているのだけれど…。
(…マツカを側に置いているのも、シロエの面影を見ている他に…)
 「ヒトの想い」に触れるためかもしれないな、と可笑しくなる。
 実際の「キース」は、当のマツカに接する時には、人間扱いしていないのに。
 「化け物」と呼び、道具のように使うばかりで、話すことさえしないのに。
(…それでもマツカは、ただ懸命に…)
 側に仕えて、一途に「キース」を守り続けるから、その「想い」が心地よいのだろう。
 「キース」を人間扱いしていて、同じ「ヒト」として慕い、接してくれるから。
(…私自身は、機械が作った人形なのにな…)
 過去も持たない人形なのだ、と思うけれども、その「過去」を学びつつあるのだと思う。
 もういなくなった「シロエ」から。
 会いに行く度、昔語りを熱心に聞かせてくれるサムから。
(…そしてマツカも、直接、語りはしなくても…)
 どういう風に育って来たのか、何故、あそこまで健気なのか、と気に掛かる「過去」。
 あえて調べるつもりなど無いし、知ろうと思いもしないけれども、マツカにも子供時代はある。
 それがどういうものだったのかと、たまに気になることもあるから、彼からも「学ぶ」。
 こうして「学んで」、「ヒトの想い」を知ったキースは、いつの日か、飛んでゆくのだろうか。
 シロエが飛び去って行った彼方へ、自由という名の翼を広げて。
 行きつく先は死であろうとも、きっと後悔などはしないで…。



             過去が無くても・了


※キースには過去の記憶が無いどころか、子供時代そのものを経験していないわけですが。
 そんなキースは、人類の指導者として相応しいのか、と思った所から生まれたお話。







拍手[1回]


 あの日から、もう十七年も経ったようだね、この世界では。
 そう、十七年前の今日、ぼくが逝ったと、君たちは記憶している筈だ。
 ぼくが暮らしていた世界でも、あれから長い歳月が過ぎて、今では地球も、すっかり青い。
 けれども、そうなるよりも前の時代も、十七年と言えば長かったろう。
 ミュウと人類の間の壁が消えて無くなり、何もかもが急激に変化したから、尚更だ。
 それに、ナスカの悲劇の後には、ジョミーたちまでが、地球で命を落とした。
 燃え上がる地球から去ったシャングリラに、ぼくを昔から知る者は、どれだけ残っていただろう。
 その時点でさえ、そうなのだから、十七年が経った船だと、どうだったのか…。
 ぼくを直接、知らない仲間が、あの懐かしい白い船にも、多かったかもしれないね。
 「ソルジャー・ブルー」がいなくなってから、生まれた子たちが何人も増えて。
 でも、その方が、ぼくは嬉しい。
 いつまでも、ぼくの思い出に縛られるよりも、「今」を見詰めていて欲しいから。


 君たちにしても、この瞬間まで、ぼくを忘れていた人が多いと思う。
 十七年前の七月の末に、テレビ画面の向こうに何を見たのか、そのことさえも。
 今日の日付も、言われて初めて「そういえば…」と気付くくらいに、遠い記憶になったろう。
 十七年が流れる間に、新しい「何か」の記念日が出来て、置き換わった人もいるのだろうね。
 あの日、小学生だった子供たちでも、立派な大人だ。
 七月二十八日という日が、結婚記念日になったりもすれば、子供が生まれた日になりもする。
 今日が、そういう「嬉しい記念日」に変わっているなら、ぼくの、心からの祝福を。
 逆に「悲しい日になってしまった」人がいたなら、その悲しみに寄り添おう。
 今日という日を忘れたままで、何処かで暮らしている人たちにも、ぼくは感謝の言葉を贈る。
 「あの日、ぼくの最期を見届けてくれて、ありがとう」と。
 シャングリラの仲間たちの中の誰一人として、居合わせた者はいなかったからね。


 十七年の月日は、とても長くて、ぼくを忘れるのも不思議ではないし、むしろ当然とも言える。
 君たちは、ぼくと同じ世界に住んではいなくて、今だって、そうだ。
 だから「忘れてた…!」と慌てるよりかは、「そうか、今日だったんだっけ…」の方がいい。
 今、ほんの少しだけ、あの日に戻って、じきに忘れてしまう方がね。
 君たちにも、ミュウの仲間と同じで、「今」という時を生きて欲しいし、それを望むよ。
 見ている画面を閉じた途端に、ぼくのことなど、もう二度と思い出さなくても。


 けれど、今でも忘れていない人がいるなら、「忘れて欲しい」と言ったりはしない。
 思い出を詰めた箱の中身は、それこそ人の数だけあるんだ。
 何を入れるか、いつ取り出して眺めるのかは、誰に強いられるものでもない。
 「ソルジャー・ブルー」を、思い出の箱に仕舞っておきたいのならば、止めはしないよ。
 ただ、一つだけ、注文をしてもいいなら、箱に仕舞うのは「ただのブルー」にしてくれないかな。
 「ただのブルー」なら、いつも、何処ででも、取り出して、そこに置けるから。
 居酒屋で「ブルー」を思い出しても、違和感など、ありはしないしね。
 青い地球の上で、ぼくを連れ歩いて貰えるのならば、嬉しいし、きっと楽しいだろう。
 ぼくは何処へでも、お供するから、思い出の箱の中には、「ただのブルー」を。
 「ソルジャー・ブルー」を入れる代わりに、「ただのブルー」にしてくれたまえ。
 衣装ばかりは、仕方ないけれど。
 「着替えたいから、服も頼めないかな」なんて、そこまで我儘を言えはしないし、今のでいい。
 「ただのブルー」になれるのならば、もうそれだけで、充分だ。
 大袈裟な「ソルジャー」のままでいるより、居酒屋にも入れる「ぼく」でいられればね…。



               青い星の君へ・了


※ブルー追悼、17年目も書きました。もう追悼でもないだろう、と「ただのブルー」です。
 自分でも呆れるほどの歳月、アニテラで走っているわけですけど、もう明らかに少数派。
 今年はテイスト変えてみました、「居酒屋に入るブルー」は、見てみたいかも…。







拍手[1回]

(……友達ね……)
 あのキースには似合わないけどさ、とシロエは蔑むような笑みを浮かべた。
 今日も何度も目にした「友達」、キースの隣に、後ろに何度も見掛けたサム。
 まるで全く似合わないのに、サムはキースの「友達」らしい。
 皆がコソコソ言っている通り、確かに一番近くにいる。
(…キースの役には、立つわけがないと思うけど…)
 自室でクスクス笑うシロエは、サムが以前にキースを救ったことを知らない。
 シロエでなくても、Eー1077で「それ」を知る者は、多くはない。
 スウェナを乗せて来た宇宙船の事故は、曖昧にされてしまっていた。
 マザー・イライザが記憶を処理して、大したことではなかったように思われている。
 だからシロエが「知らない」ことは、至極当然と言えるだろう。
 当時の在籍者の間でさえも、「そういえば、そういう事故があったかな」という程度。
 キースが救助に向かった事実も、その時、サムが一緒だったことも、人の口に上ることは無い。
 サムがいなければ、キースの命が無かったことなど、誰も知らない。
 マザー・イライザは、広く知らせるつもりは全く無いのだから。
(どうしてキースは、サムなんかと…)
 仲良くしていて、友達だなんて言うんだろうか、と考えてみても、よく分からない。
 自分だったら、もっと有能な友達を持つと思うけれども、何故、キースは…。
(あんな冴えないサムを選んで、友達になって…)
 いつも一緒にいるんだろうか、と不思議だとはいえ、二人は確かに仲がいい。
 孤立している「シロエ」と違って、食事の時にも、大抵は…。
(サムが先に来て席を取っているか、キースが座っているトコへ…)
 後からサムが「よう!」とか、「やっと終わったぜ」などと口にしながらやって来る。
 自分の食事や飲み物を載せたトレイを手にして、キースと同じテーブルに着いて…。
(食べ始めることが多いんだよね…)
 他の者たちは、キースの側には近付かないのに、サムだけは違う。
 かつては、其処にスウェナもいた。
(…スウェナにしたって、キースには…)
 似合わなかったと思うけどな、と首を捻りながら顎に手を当てた。
 スウェナはエリート候補生の道を放棄し、結婚を選んでステーションを去った落第生。
 「落第生」とは呼ばれないけれど、シロエや他の候補生から冷静に見れば、そうなるだろう。
 Eー1077に入った以上は、それに相応しい道を歩んでこそなのだから。


 なんとも以外で、似合わない「キース」の友人たち。
 「マザー・イライザの申し子」と異名を取るくらいならば、もっと優れた者を選んで…。
(付き合うべきだし、それでこそ得られるものも多くて…)
 エリートになる近道だろうと思うけどな、と解せないとはいえ、キースのことは笑えない。
 むしろ「キースの方が、まだマシ」な面もあるかもしれない。
 なんと言っても「シロエ」の場合は、「友達」などは一人もいなくて、食事の時も…。
(いつも一人で、講義を受ける時だって…)
 隣に座る者などいないし、キースと同じに「避けられている」。
 キースは「優秀過ぎて、近寄り難い」という理由で避けられ、シロエの方は忌まれていた。
 SD体制に批判的だから、迂闊に「シロエ」に近付いたならば、何が起きるか分からない。
 マザー・イライザの不興を買ってコールされるとか、教授に呼ばれて叱られるとか。
(…理由は全く違うんだけど…)
 ぼくの側にも、誰も近寄っては来ないよね、と改めて思う。
 別に不自由をしてはいないし、寂しさも感じはしないけれども、こと「友達」に関しては…。
(…キース以下ってことになるのかな?)
 友達が一人もいないんじゃあ…、と自嘲めいた笑いを漏らした所で、ハタと気付いた。
 此処に「友達」を持っていないのは、同郷の者が一人もいないせいもある。
 エネルゲイアは技術者を育てる育英都市で、普通は、そのための教育ステーションに行く。
 シロエは例外的に選ばれ、Eー1077に進んだのだし、仲間がいなくても仕方ない。
 とはいえ、他の者の場合は、サムとスウェナが「そう」だったように…。
(此処へ来てから、同じ育英都市で育った人と出会って…)
 幼馴染同士の再会というのも、さして珍しくはないようだ。
 きっとキースも、同郷の者はいるのだろうに、わざわざサムを選んだらしい。
 それはそうだろう、あんなに「付き合いにくそうな」キースに、昔からの友達などは…。
(いるわけがないし、此処でキースを見掛けた誰かも、知らないふりして…)
 他の誰かと友達になって、「キース」は放っておいたのだろう。
 代わりにサムとスウェナが出て来て、友達の地位に収まった。
 何処が「キース」に気に入られたのか、彼らの方でも、「キース」の何処に惹かれたか…。
(分からないけど、とにかく、友達ではあって…)
 ぼくよりはマシな境遇だよね、と忌々しい気分になって来る。
 もっとも、此処で友達が欲しいだなんて思いはしないし、エネルゲイアでもそうだった。
 友達と一緒に遊んでいるより、家に帰って勉強したり、本を読んだりしたかった。
 なにしろ故郷の同級生は、優秀ではなかった者ばかり。
 「こんな奴らと付き合って、何処が楽しいわけ?」と思っていたから、切り捨てた。
 「友達なんて、ぼくは要らない」と、「つまらないよね」と、皆を見下して。
 両親と暮らす家の方がいい、と子供心にキッパリと決めて。


(だから友達は、一人もいなくて…)
 今も一人もいないんだけど、と、その選択を後悔したことは一度も無い。
 けれど、本当に「そう」なのだろうか。
 「友達を一人も作らなかった」のは、正しかったと言えるだろうか。
(…もしも、友達を作っていたら…)
 とても仲のいい友達がいたら、その友達のことを、けして忘れはしなかったろう。
 どんな顔立ちで、何をして過ごして、どういう具合に「仲が良かったのか」という記憶を…。
(……消してしまったら、何処かで再会出来やしないし……)
 機械は、それは消さないよね、と断言出来る。
 消さないからこそ、Eー1077でも、同郷の友と再会する者が多くて、また友達になる。
 どちらかが先に「懐かしいな!」と声を掛けたり、呼び止めたりして出会うのか。
 あるいは同時に「あっ!」と気付いて、駆け寄ったりもするのだろうか。
 「此処にいたのか」と、「また会えたな」と、笑い合い、手を握り合って。
(…そうなるためには、記憶が欠けていたりしたんじゃ、まるで話にならなくて…)
 お互い、同じ思い出を、記憶を持っていてこそ、話も弾むし、友達として付き合ってゆける。
 互いの記憶が食い違っていたら、多分、喧嘩にしかならないだろう。
 「そうじゃないだろ」と、「お前、覚えていないのか?」と大喧嘩の末に、縁までが切れる。
 機械は、それを望みはしない、と容易に分かることだから…。
(…友達の記憶は、弄りはしなくて…)
 消してしまいもしないんだ、と考えるほどに、怖ろしい思いが湧き上がって来る。
 「もしかして、ぼくは、間違えた…?」という、身も凍りそうになる疑問が。
 友達を作らずに過ごしていたのは、間違いだったのではないだろうか、と。
(…ぼくにも仲のいい友達がいて、家に呼んだりしていたら…)
 故郷の家が何処にあったか、今よりも「覚えている」かもしれない。
 学校の授業が終わった放課後、友達を誘って、一緒に家まで帰っていたら…。
(途中でどんな話をしたのか、何があったか、忘れちゃったら…)
 成人検査の後に再会した時、話が噛み合わないことになる。
 友達の方は「あそこの店に寄り道をして…」と言っているのに、店の記憶が無いのでは駄目。
(公園に寄ったりしていても…)
 その時の記憶は必要になるし、歩きながら「あそこに、ほら!」と指差し合って…。
(見上げたビルとか、覚えていないといけないわけで…)
 機械は「そうした記憶」を消さずに、「残しておく」。
 つまりは、それを繋いでいったら、家までの道が出来上がる。
 学校から歩いて帰る途中に、店があって、公園があって、見上げたビルの外観も…。
(ちゃんと記憶にあるんだものね…)
 繋ぎ合わせれば道は出来るし、その道は家の玄関先まで、きっと繋がるのに違いない。


 そうだったかも、と愕然となって、「今の自分」を振り返ってみた。
 学校を出て、家に着くまでの道筋などは「覚えていない」。
 家まで空を飛んだかのように、何も記憶は「残ってはいない」。
 けれど、友達と一緒に帰っていたなら、一本の線を描けたのだろう。
 「学校を出たら公園があって、公園までの間に店があって…」といった具合に。
 高層ビルの谷間を歩く間も、見覚えのあるビルが幾つも、幾つも。
 それらを見上げて、友達と話して、やがて「シロエの家がある」高層住宅に辿り着く。
 友達とエレベーターに乗り込み、家がある階まで上がっていって…。
(ただいま、って玄関を開けて入ったら…)
 母が笑顔で「おかえりなさい」と迎えただろうか、友達の方には「いらっしゃい」と。
 それから「ちょうどブラウニーが焼けた所よ、おやつにどうぞ」と用意してくれる。
 記憶の中に今も残っている、懐かしいテーブルの上にお皿を並べて。
 「飲み物は、何がいいかしら?」と、カップやグラスも出して来てくれて。
(…ママの笑顔も、きっと今より、ずっと鮮やかで…)
 欠けたりなんかはしていないかも、と「友達」の視点を意識する。
 いつか「友達」と再会した時、その友達が母の話を持ち出したならば、顔も重要。
 「お前のお母さん、笑顔がとっても優しくってさ…」と「友達」は「覚えている」筈だから。
(…きっと目の色も、今のぼくは忘れていなくって…)
 友達が「綺麗な色の目だったよな」と口にした時、「うん、海の色」などと相槌を打つ。
 「覚えてないんだ」では、まるで話になりはしないし、忘れることは無かっただろう。
 母の瞳が海の青色だったか、明るい茶色か、「シロエ」と同じ菫色だったか。
(……うん、絶対に……)
 忘れてなんかはいなかった、と思いはしても、友達を家に招くようでは、そんなシロエは…。
(…シロエだけれども、シロエじゃなくて…)
 ネバーランドに行きたくて頑張るような子供じゃないよ、と分かっているから、悲しくなる。
 両親の記憶がどんどん薄れて消えていっても、この道しか「シロエ」は歩めないから。
 「友達がいたなら」残る記憶も、「シロエ」は持っていないから。
(……パパ、ママ……)
 ぼくは覚えていたかったのに、と涙が頬を伝ってゆく。
 「どうして覚えていられないの」と、「忘れないで済む人も、大勢いる筈なのに」と…。



             友達がいたら・了



※シロエは友達がいそうにないんですよね、子供時代にも。友達よりも両親が好きで。
 もしもシロエに友達がいたら、両親の記憶も、家の記憶も残りそう。友達と話す時のために。








拍手[0回]

Copyright ©  -- 気まぐれシャングリラ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]