(フッ……)
相変わらず不用心なことだ、とキースは鼻で笑いたくなる。
深い地の底へ向かうエレベーターには、キースしか乗っていなかった。
いつも側にいるマツカでさえも、此処までは付いて来られはしない。
地球の地下深くに座す巨大コンピューター、グランド・マザーは「人を選ぶ」から。
(私よりも前に、この道を降りていた人間が…)
何人かいたのは確かだけれども、最後は二百年も前のことになる。
国家主席の地位に就く者は、その後、一人も出なかった。
(相応しい人材がいないのならば、と…)
グランド・マザーは神の領域に手をつけた。
遺伝子を操作するならまだしも、生命を無から作り出そうという試み。
(まさに禁断の技なのだがな…)
機械であるがゆえの決断だったか、あるいは機械の傲慢さなのか。
SD体制が始まって以来、六百年もの長きにわたって、機械は人を統治して来た。
逆らう者は全て排除し、機械に都合の悪い記憶や思考の類は、片っ端から消去して。
(そうした挙句に私を作って、見込み通りに育ったからと…)
グランド・マザーが許したからこそ、今、この道を降りている。
今のキースは、国家主席の肩書きは持っていないのに。
パルテノンの元老の中の一人で、特別な役目も称号も何も、まだ手にしてはいないのに。
(…私だったら間違いない、ということか…)
そうなのだろうな、と分かってはいる。
自分の生まれを知っているから、グランド・マザーの判断も分かる。
今の内から慣れさせておけば、国家主席の座に就いた後に、迅速に事が運ぶだろう。
『グランド・マザー』がある場や姿に臆することなく、いつでも拝謁出来るのだから。
初めて此処へやって来たのは、パルテノンに入って間もない頃だった。
人類の聖地、母なる地球。
其処へ来るよう、グランド・マザーの要請があった。
(誰一人、何も疑いもせず…)
暗殺計画の一つも立てることなく、キースは無事にノアを飛び立ち、地球へ向かった。
キース自身も、その時は思いもしなかった。
まさか直接、グランド・マザーと対面することになろうとは。
(就任した元老が地球に招かれ、視察するのは、よくあることで…)
さして珍しくもないものだから、足を引っ張る者がいなかったのは当然だろう。
そうでなくても、元老の地位に就いた後には、暗殺の危機には出会っていない。
(誰もが、保身に懸命だからな…)
就任前なら必死になっても、就任されたら手を出さないのが一番と言える。
グランド・マザー直々の人選なのだし、下手をしたなら自分が危うい。
(ある日突然、会議の場から連行されて…)
そのまま処刑も有り得るのだから、「キース」に構うべきではない。
嫌味程度に留めておくのが、利口なやり方というものだろう。
(だからこそ、誰も気が付かなくて…)
キースも全く予想しないまま、地球の宙港に降り立った。
「人類の聖地」と謳っていながら、まるで再生していない地球。
地表の多くが砂漠化していて、残った海には毒素が今も貯め込まれている。
(知識としては、知っていたがな…)
実際、この目で眺めた時には、流石のキースも言葉を失くした。
機械が「キース」を作り出す時、植え込んでおいた記憶の中には…。
(青く輝く水の星があって、そこまで宇宙を飛んでゆくという、壮大な…)
それは美しい旅の欠片が、消えることなく煌めいていた。
何かのはずみに、それが浮かんで、また消えてゆく。
まるで招いているかのように、地球への道をキースに示して。
そういう記憶を持っていたから、本物の地球は衝撃だった。
「何故、此処まで」と驚くと共に、限界を思い知らされた。
自分自身の限界ではなく、機械とSD体制の。
(どれほど機械が努力しようが、六百年も経って、この有様では…)
やり方自体が間違いなのだ、と断言するしかないだろう。
グランド・マザーが何と言おうが、努力して来た道を提示しようが、無駄でしかない。
今のやり方を続けたところで、何年、何百年と経とうが、青い地球など戻っては来ない。
何処かで誰かが、全て切り替え、場合によっては、体制ごと倒してしまわない限り…。
(青い星には、けして戻りはしないのだ…)
しかし…、と懸念は幾らでもある。
いったい「誰が」、それをするのか。
グランド・マザーに上申したなら、今のやり方は変わるのか。
(とても、そうとは思えんな…)
もう何回も、この道を降りて行ったけれども、グランド・マザーは常に高圧的だった。
広い宇宙で「正しい者」は、グランド・マザー、ただ一人だけ。
機械を「一人」と数えていいなら、きっと、そういう表現になる。
グランド・マザーだけが「正しい」以上は、異を唱えるなど許されはしない。
(今のままでは、地球を元には戻せはしない、と…)
「キース」が直訴してみたとしても、退けられることだろう。
その場で直ちに「それは正しくありません」と言い返されて、追い返される。
「ノアに戻って、もう一度、最初から考えなさい」と。
「あなたの思考が纏まらないなら、私が手を貸してあげますから」と、甘い言葉も添えて。
その手をウッカリ借りた時には、グランド・マザーのやり方に抱いた疑問は、跡形もなく…。
(消えてしまって、欠片さえも存在しなくなるのだ)
それが機械のやり口だしな、と嫌というほどよく知っている。
遠い昔に、キースが「生まれた」、あのステーションで、Eー1077で何度見たことか。
シロエが乗った船を撃ち落とす前も、それから後も。
だから機械に意見したことは、一度も無い。
自分の考えを述べることもしなくて、疑問を向けたことさえも無い。
ゆえに「キース」は、唯一の「グランド・マザーに期待されている者」。
いずれは国家主席の座に就き、人類全てを統治してゆくことになる。
グランド・マザーの代弁者として、理想の代理人として。
(私は、そういう存在だから…)
こうして地下へ降りてゆく道が開かれ、グランド・マザーの許へと向かう。
まだ公にはなっていなくて、「キース」を此処へと導いた者は、今日の内にも記憶を消される。
「キース・アニアンを案内した」ことを、すっかり忘れ去るように。
直接、先導していた者も、それに関わった者たちも、全部。
(…つくづく用心深いことだが…)
それは非常に結構だがな、とキースは皮肉な笑みを浮かべる。
「私自身は、疑わないのか?」と、エレベーターの中で喉をクッと鳴らして。
監視カメラなどありはしないから、グランド・マザーに聞こえはしない。
そう、「降りてゆけるのは、選ばれた者」の他には無いから、監視カメラの必要は無い。
(ついでに、私のボディーチェックも…)
まるで全くしてはいないな、と可笑しくて笑い出したくなる。
もしも「キース」が爆発物でも抱えていたなら、グランド・マザーはどうするのだろう。
遠い昔の頃ならともかく、今の時代は「服の下に隠してゆける程度」の爆発物でも…。
(この下にある、あの地下空間を…)
木っ端微塵に吹っ飛ばすくらいは、充分に出来る。
グランド・マザーの本体が如何に頑丈だろうと、恐らく、無傷でいられはしない。
更に言うなら、急いで修理しようにも…。
(外部から人を呼べはしなくて、自力で修復するしかなくて…)
途方もない時間をかけて直すか、諦めて「人間」の手を借りるのか。
時間をかけて直す場合は、空白の期間が生まれる可能性がある。
グランド・マザーが修理で不在で、代理の者が統治するしかない期間。
(…唯一、期待される私は、爆発を起こした張本人で…)
地下空間と共に微塵に砕けて、グランド・マザーの代理は務まらない。
第一、反逆者を代理にするなど、人類の長い歴史の中でも、一度も無かったことだろう。
(他を探して立てるしかないが、無能だったら、どうにもならんな)
クーデターでも起こりそうだ、と容易に想像することが出来る。
「人間」の手を借りて修理となったら、それに乗じて、何が起きるか分かりはしない。
グランド・マザーを倒したい者が、キースに続いて、よからぬことを企てる。
手動で回路を組み替えていって、今とは全く違う思考のグランド・マザーに変えてしまうとか。
(…第二、第三のシロエというのも…)
実は大勢いるのだろうさ、と思うものだから、もう可笑しくて堪らない。
「私が爆発物を持っていたなら、何もかも、全て終わりだろうに」と。
今は従順に見えている者が、牙を剥いたら恐ろしい。
「キース」がグランド・マザーの側で自爆し、修理が必要になった時には、世界が変わる。
クーデターで体制が崩壊することもあれば、グランド・マザーが別の思考を始めることも。
(もしも私が、やる時が来たら…)
手動で回路を組み替える方は、よろしく頼む、と「シロエ」の後継者を頭に描く。
「上手くやれよ」と、「そうでもしないと、青い地球には戻らんからな」と声援も送る。
とはいえ、「キース」が自爆しようと企てる前に…。
(ミュウどもが、やって来るのだろうな…)
奴らなら、きっと上手くやるさ、と期待している「キース」がいる。
地球の地の底へ降りられる存在のくせに、グランド・マザーを、とうに見放している者が。
自分の生まれにも愛想を尽かして、全てを自然に返したいと願う、機械に作られた生命体が…。
期待される者・了
※アニテラのキースも原作同様、ただ一人だけの「グランド・マザーに会える」人間。
けれど、いつから会えたかが謎。それを考える内に出来たお話、実際の設定が気になります。
相変わらず不用心なことだ、とキースは鼻で笑いたくなる。
深い地の底へ向かうエレベーターには、キースしか乗っていなかった。
いつも側にいるマツカでさえも、此処までは付いて来られはしない。
地球の地下深くに座す巨大コンピューター、グランド・マザーは「人を選ぶ」から。
(私よりも前に、この道を降りていた人間が…)
何人かいたのは確かだけれども、最後は二百年も前のことになる。
国家主席の地位に就く者は、その後、一人も出なかった。
(相応しい人材がいないのならば、と…)
グランド・マザーは神の領域に手をつけた。
遺伝子を操作するならまだしも、生命を無から作り出そうという試み。
(まさに禁断の技なのだがな…)
機械であるがゆえの決断だったか、あるいは機械の傲慢さなのか。
SD体制が始まって以来、六百年もの長きにわたって、機械は人を統治して来た。
逆らう者は全て排除し、機械に都合の悪い記憶や思考の類は、片っ端から消去して。
(そうした挙句に私を作って、見込み通りに育ったからと…)
グランド・マザーが許したからこそ、今、この道を降りている。
今のキースは、国家主席の肩書きは持っていないのに。
パルテノンの元老の中の一人で、特別な役目も称号も何も、まだ手にしてはいないのに。
(…私だったら間違いない、ということか…)
そうなのだろうな、と分かってはいる。
自分の生まれを知っているから、グランド・マザーの判断も分かる。
今の内から慣れさせておけば、国家主席の座に就いた後に、迅速に事が運ぶだろう。
『グランド・マザー』がある場や姿に臆することなく、いつでも拝謁出来るのだから。
初めて此処へやって来たのは、パルテノンに入って間もない頃だった。
人類の聖地、母なる地球。
其処へ来るよう、グランド・マザーの要請があった。
(誰一人、何も疑いもせず…)
暗殺計画の一つも立てることなく、キースは無事にノアを飛び立ち、地球へ向かった。
キース自身も、その時は思いもしなかった。
まさか直接、グランド・マザーと対面することになろうとは。
(就任した元老が地球に招かれ、視察するのは、よくあることで…)
さして珍しくもないものだから、足を引っ張る者がいなかったのは当然だろう。
そうでなくても、元老の地位に就いた後には、暗殺の危機には出会っていない。
(誰もが、保身に懸命だからな…)
就任前なら必死になっても、就任されたら手を出さないのが一番と言える。
グランド・マザー直々の人選なのだし、下手をしたなら自分が危うい。
(ある日突然、会議の場から連行されて…)
そのまま処刑も有り得るのだから、「キース」に構うべきではない。
嫌味程度に留めておくのが、利口なやり方というものだろう。
(だからこそ、誰も気が付かなくて…)
キースも全く予想しないまま、地球の宙港に降り立った。
「人類の聖地」と謳っていながら、まるで再生していない地球。
地表の多くが砂漠化していて、残った海には毒素が今も貯め込まれている。
(知識としては、知っていたがな…)
実際、この目で眺めた時には、流石のキースも言葉を失くした。
機械が「キース」を作り出す時、植え込んでおいた記憶の中には…。
(青く輝く水の星があって、そこまで宇宙を飛んでゆくという、壮大な…)
それは美しい旅の欠片が、消えることなく煌めいていた。
何かのはずみに、それが浮かんで、また消えてゆく。
まるで招いているかのように、地球への道をキースに示して。
そういう記憶を持っていたから、本物の地球は衝撃だった。
「何故、此処まで」と驚くと共に、限界を思い知らされた。
自分自身の限界ではなく、機械とSD体制の。
(どれほど機械が努力しようが、六百年も経って、この有様では…)
やり方自体が間違いなのだ、と断言するしかないだろう。
グランド・マザーが何と言おうが、努力して来た道を提示しようが、無駄でしかない。
今のやり方を続けたところで、何年、何百年と経とうが、青い地球など戻っては来ない。
何処かで誰かが、全て切り替え、場合によっては、体制ごと倒してしまわない限り…。
(青い星には、けして戻りはしないのだ…)
しかし…、と懸念は幾らでもある。
いったい「誰が」、それをするのか。
グランド・マザーに上申したなら、今のやり方は変わるのか。
(とても、そうとは思えんな…)
もう何回も、この道を降りて行ったけれども、グランド・マザーは常に高圧的だった。
広い宇宙で「正しい者」は、グランド・マザー、ただ一人だけ。
機械を「一人」と数えていいなら、きっと、そういう表現になる。
グランド・マザーだけが「正しい」以上は、異を唱えるなど許されはしない。
(今のままでは、地球を元には戻せはしない、と…)
「キース」が直訴してみたとしても、退けられることだろう。
その場で直ちに「それは正しくありません」と言い返されて、追い返される。
「ノアに戻って、もう一度、最初から考えなさい」と。
「あなたの思考が纏まらないなら、私が手を貸してあげますから」と、甘い言葉も添えて。
その手をウッカリ借りた時には、グランド・マザーのやり方に抱いた疑問は、跡形もなく…。
(消えてしまって、欠片さえも存在しなくなるのだ)
それが機械のやり口だしな、と嫌というほどよく知っている。
遠い昔に、キースが「生まれた」、あのステーションで、Eー1077で何度見たことか。
シロエが乗った船を撃ち落とす前も、それから後も。
だから機械に意見したことは、一度も無い。
自分の考えを述べることもしなくて、疑問を向けたことさえも無い。
ゆえに「キース」は、唯一の「グランド・マザーに期待されている者」。
いずれは国家主席の座に就き、人類全てを統治してゆくことになる。
グランド・マザーの代弁者として、理想の代理人として。
(私は、そういう存在だから…)
こうして地下へ降りてゆく道が開かれ、グランド・マザーの許へと向かう。
まだ公にはなっていなくて、「キース」を此処へと導いた者は、今日の内にも記憶を消される。
「キース・アニアンを案内した」ことを、すっかり忘れ去るように。
直接、先導していた者も、それに関わった者たちも、全部。
(…つくづく用心深いことだが…)
それは非常に結構だがな、とキースは皮肉な笑みを浮かべる。
「私自身は、疑わないのか?」と、エレベーターの中で喉をクッと鳴らして。
監視カメラなどありはしないから、グランド・マザーに聞こえはしない。
そう、「降りてゆけるのは、選ばれた者」の他には無いから、監視カメラの必要は無い。
(ついでに、私のボディーチェックも…)
まるで全くしてはいないな、と可笑しくて笑い出したくなる。
もしも「キース」が爆発物でも抱えていたなら、グランド・マザーはどうするのだろう。
遠い昔の頃ならともかく、今の時代は「服の下に隠してゆける程度」の爆発物でも…。
(この下にある、あの地下空間を…)
木っ端微塵に吹っ飛ばすくらいは、充分に出来る。
グランド・マザーの本体が如何に頑丈だろうと、恐らく、無傷でいられはしない。
更に言うなら、急いで修理しようにも…。
(外部から人を呼べはしなくて、自力で修復するしかなくて…)
途方もない時間をかけて直すか、諦めて「人間」の手を借りるのか。
時間をかけて直す場合は、空白の期間が生まれる可能性がある。
グランド・マザーが修理で不在で、代理の者が統治するしかない期間。
(…唯一、期待される私は、爆発を起こした張本人で…)
地下空間と共に微塵に砕けて、グランド・マザーの代理は務まらない。
第一、反逆者を代理にするなど、人類の長い歴史の中でも、一度も無かったことだろう。
(他を探して立てるしかないが、無能だったら、どうにもならんな)
クーデターでも起こりそうだ、と容易に想像することが出来る。
「人間」の手を借りて修理となったら、それに乗じて、何が起きるか分かりはしない。
グランド・マザーを倒したい者が、キースに続いて、よからぬことを企てる。
手動で回路を組み替えていって、今とは全く違う思考のグランド・マザーに変えてしまうとか。
(…第二、第三のシロエというのも…)
実は大勢いるのだろうさ、と思うものだから、もう可笑しくて堪らない。
「私が爆発物を持っていたなら、何もかも、全て終わりだろうに」と。
今は従順に見えている者が、牙を剥いたら恐ろしい。
「キース」がグランド・マザーの側で自爆し、修理が必要になった時には、世界が変わる。
クーデターで体制が崩壊することもあれば、グランド・マザーが別の思考を始めることも。
(もしも私が、やる時が来たら…)
手動で回路を組み替える方は、よろしく頼む、と「シロエ」の後継者を頭に描く。
「上手くやれよ」と、「そうでもしないと、青い地球には戻らんからな」と声援も送る。
とはいえ、「キース」が自爆しようと企てる前に…。
(ミュウどもが、やって来るのだろうな…)
奴らなら、きっと上手くやるさ、と期待している「キース」がいる。
地球の地の底へ降りられる存在のくせに、グランド・マザーを、とうに見放している者が。
自分の生まれにも愛想を尽かして、全てを自然に返したいと願う、機械に作られた生命体が…。
期待される者・了
※アニテラのキースも原作同様、ただ一人だけの「グランド・マザーに会える」人間。
けれど、いつから会えたかが謎。それを考える内に出来たお話、実際の設定が気になります。
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(…パパ、ママ…。会いたいよ…)
帰りたいよ、とシロエは心の中で繰り返す。
Eー1077の夜はとうに更け、候補生たちは皆、寝ているだろう。
明日も講義があるわけだから、眠って明日に備えるべきだ、と此処では誰もが心得ている。
よほど課題に詰まっているとか、試験勉強が出来ていないとか、そんな者しか起きてはいない。
(…ぼくも寝なくちゃ…)
でないとキースに勝てやしない、と分かってはいても、眠れない。
ベッドの上で膝を抱えて、ついつい、思いは故郷へと飛ぶ。
「帰りたいよ」と、もう顔さえも霞んでしまった、両親に会いに行きたくて。
(もう、何度目になるんだろう…)
こんな夜は、と数えてみても、とても両手の指では足りない。
両足の指を足してみたって、それでも足りるわけがない。
(…此処へ来た頃は、毎晩、家に帰りたくって…)
泣いていたから、それだけで指が足りなくなるよ、と胸に悲しみが満ちて来る。
前ほど泣かなくなった自分は、故郷への思いが薄れたろうか。
機械の魔手から逃げたつもりでも、少しずつ身体に毒が回ってゆくのだろうか。
(……まさかね……)
きっと目標が出来たからだよ、と自分自身に言い聞かせる。
優秀なメンバーズ・エリートになって、いつかは国家主席の座に就くことが今の目標。
実現したなら、「シロエ」が世界のトップに立てる。
機械に「止まれ」と命じることも、出来るようになるに違いない。
(そしたらシステムは全部崩れて、機械が奪った、ぼくの記憶も…)
取り戻せると信じているから、それに向かって努力する。
キースと成績を激しく競い合うのも、その一環と言えるだろう。
「機械の申し子」と呼ばれるキースを蹴落とせたならば、当然、シロエの評価も上がる。
マザー・イライザが何と言おうと、結果が全てで、メンバーズとしても「シロエ」の方が上。
(だから今夜も、早く眠って…)
講義に差し支えないようにしなくちゃ、と思いはしても、今夜は難しいらしい。
どうしても心が故郷に囚われ、両親と暮らした頃へと思いが飛んでゆくから。
昼間、偶然、寄ったポートで、新入生たちの群れを見掛けた。
何処かの育英都市から運ばれて来て、Eー1077に降り立った子たち。
(みんな、怯えたような目をして…)
ポートの中を眺め回して、見知った顔が無いかどうかと、懸命に探しているようだった。
身体は動いていなかったけれど、視線だけをあちこち、キョロキョロとさせて。
(…ぼくも、初めて此処へ来た時…)
ああいう感じだったんだろうな、と胸の何処かがツキンと痛んだ。
そう、「あの時」には、周りの仲間と「変わらなかった」。
誰もが此処への不安で一杯、どうすればいいのか何もかも謎で、途惑っていた。
(ぼくはピーターパンの本をしっかり、抱え込んではいたけれど…)
それが「特別なこと」とは思わず、「あって良かった」という気持ちがあっただけ。
「他のみんなは、やっぱり何も持ってないんだ」と、手ぶらの仲間を確認して。
(成人検査の日には、荷物は持たずに行くのが決まりで…)
他の子たちは規則を守って、何も持たずに出て来たのだろう。
荷物を持っていなかったのなら、此処へも、手ぶらで来ることになる。
ただそれだけのことなのだ、と「あの日のシロエ」は考えた。
「宝物の本を持って来られた自分は、うんと頭が良かったのだ」と、自画自賛して。
「本当に大事な宝物なら、こうして持って来られるんだよ」と得意になって。
(…でも、それは…)
どうやら勘違いだったらしい、と日が経つにつれて痛烈に思い知らされた。
仲間たちは「何も持っては来られなかった」けれども、それを少しも悔いてはいない。
故郷で大切にしていた「何か」も、両親のことも、彼らの心の、ほんの一部に過ぎないらしい。
過ぎ去った子供時代のことより、これから先の未来が大切、それから「今」という時も。
(此処で新しい友達が出来たり、故郷の友達と再会したり…)
彼らは「今を生きてゆく」ことに夢中で、過去など少しも振り返らない。
思い出話に語る程度で、その話だって、瞬く間に「今」に結び付く。
「今、此処にいる」友と語らい、「ぼくの故郷は…」だの、「君の故郷は?」といった具合に。
(…故郷と言ったら、自分が育った場所、ってだけで…)
それ以上の意味は持っていなくて、両親も同じ扱いになる。
「自分を育てた人」というだけ、特別な感情も、「シロエ」ほどには…。
(…誰も持ってはいないんだよね…)
今日、見た、あの子たちもそう、と唇を噛む。
「これが機械のやり方なんだ」と、「パパもママも故郷も、大切なのに」と。
成人検査を受けた子たちは、そういったことを忘れてしまう。
そうして思い出しもしないで、育って、またしても「それ」が繰り返される。
Eー1077とは違う何処かで、養父母としての教育を受けた子たちが社会に出て行って。
(SD体制で育った子供は、みんな、親から引き離されて…)
教育ステーションに連れてゆかれて、其処で新たな教育を受けて、社会の中に散ってゆく。
Eー1077なら、メンバーズ・エリートを筆頭にして、殆どが軍人の道へと進む。
一般人向けの教育ステーションだと、専門職やら、仕事をしながら養父母になるコースやら。
(何処に行くかは、機械が成人検査で決めて…)
勝手に振り分けてゆくのだけれども、何処へ進んでも、故郷の家へは帰れない。
養父母の家へ帰って「一緒に暮らす」というコースは無い。
(…誰かの養子になる、ってヤツも…)
あるそうだけれど、一種の契約、仕事のようなものらしい。
故郷の両親とは違う「誰か」の家に雇われ、「息子」や「娘」として暮らす。
契約期間が切れるまでの間の関係、気に入られたなら再契約で「親子」が続いてゆくけれど…。
(合わなかったら、まだ契約の期間中でも…)
もう要りません、と切られてしまって、家から追い出されて終わり。
「息子」や「娘」の仕事は無くなり、新しい両親と契約するか、別の仕事を始めるか。
(…そんなの、親子とは違うと思うよ…)
まるで全く違うじゃないか、と解せないけれども、世の中、それで成り立っている。
社会に出てから「子供が欲しい」と思うのだったら、養父母になるか、養子を迎えるか。
養父母になると、暮らせる場所は育英都市に限られるから、それが嫌なら養子を取る。
養子だったら、大人ばかりの社会の中でも、立派に通用する「子供」だから。
(…契約を交わして、親子になって…)
合わなかったら解消だなんて、どう考えても「狂っている」。
親子というのは、そういうものではないだろう。
親は子供に愛情を注ぎ、子供は親に守られて暮らして、幸せに生きて育ってゆくもの。
愛情を受けて育ったからこそ、次の世代へも愛情を注ぐ。
血が繋がってはいない子供でも、養父母として。
機械が「この子を育てなさい」と選んで、配って来た子であろうとも。
(ぼくのパパとママも、うんと優しくて、温かくって…)
ホントに幸せだったよね、と心は「あの頃」を忘れない。
両親の顔がおぼろになっても、故郷の家への道筋が思い出せなくなっても。
(やっぱり親子は、そうでなくっちゃ…)
契約なんかは絶対違う、とキッパリと否定したくなる。
いくら機械が認めた制度で、この世界には「そういう親子」が、あちこちの星にいようとも。
きっと「地球」にも、そうした親子が何組も暮らしているのだろう。
選ばれた者だけが行ける場所だけに、エリート同士の親子限定だろうけれども。
何かおかしい、という気がする。
「親子は、そういうものじゃないよ」と、機械に向かって怒鳴りたい。
契約で親子になるなんて、と拳をギュッと握ったはずみに、違う考えが浮かんで来た。
「だったら、何故…?」と。
親が子供に愛情を注いで育てるものなら、何故、その親子を「引き裂く」のか。
成人検査で「無理やり、離して」、引き離した子を新しく教育し直すのか。
(…みんなは疑問に思っていないし、それでいいのかもしれないけれど…)
中には「シロエ」のような子もいて、辛い思いをするかもしれない。
「帰りたいよ」と故郷の家を思い出しては、毎晩のように涙を流す子供たち。
そういう子供を生み出すよりかは、最初から…。
(引き裂くのとは違う、別れ方をする方向に…)
持って行ったらいいのでは、と生物の講義を思い出した。
地球が滅びへと向かう前には、野生の動物が沢山生息していたという。
彼らは自然の中で育って、次の世代を育てたけれども、その育て方は厳しいもの。
子供が幼く、自分で餌を取れない間は、愛情をこめて世話をしていた。
冷えないように温めてやって、餌を運んで、小さい間は親が食べさせたりもした。
ところが、子供が立派に育って、一人前になったなら…。
(種族によっては、ある日突然、自分の子供を…)
酷く苛めて、自分たちの縄張りの外へ追い出してしまい、それっきり。
追われた子供が泣き叫ぼうとも、親は子供を顧みはしない。
縄張りから追われてしまった子供は、まだ幼くて、親ほど上手に生きられないのに。
餌を取る技も、生き延びる技も、充分にあるとは言えない子供の間に、放り出される。
「後は自分で何とかしろ」と、容赦なく。
「もう一人でも生きてゆける」と、「そのための技は教えた筈だ」と。
(…だけど技術は、うんと未熟で、自然は、とても厳しくて…)
子供は一人で生きてゆけなくて、命を落とすことも多かったらしい。
生き延びられた「強い子」だけが大人になって、新しい命を紡いでいった。
強い遺伝子を子供に伝えて、種族の未来が強固なものになるように。
(…人間だって、同じ仕組みでいい気がするよ…)
引き裂かれるように別れるよりかは、追い出された方がマシだろう。
此処でこうして泣き暮らすよりも、「頑張ってやる」という気分になれそう。
「追い出されたって、ぼくは生きる」と、「絶対、死にやしないんだから」と。
(その方が絶対、前向きになれると思うんだけどな…)
みんな必死に生きるからね、と思うけれども、機械は、きっと認めはしない。
それをやったら、SD体制は崩壊の道を辿るから。
人間には「強く生きられる」道でも、機械にとっては望ましいものとは言えない生き方。
今の社会のシステムだったら、養父母から引き離された後には…。
(マザー・イライザみたいな機械が、代わりに入り込んで来て…)
新しい親として心を掴んで、そのまま依存させてゆく。
「機械」という名の親に縋って、システムに頼り切りになるように。
けしてシステムに疑問を持たずに、従順に生きてゆくように、と。
(…親が追い出してしまった子供じゃ、独立心が芽生えるだけで…)
ぼくみたいな子が増えるだけだ、と溜息をついて、「でも…」と心は故郷へと飛ぶ。
両親と暮らした懐かしい家へ、温かな思い出があった場所へと。
(…引き離されてしまったわけじゃなくって、追い出されてたら…)
ある日、父から「シロエは立派に大人だからな」と告げられ、放り出されていたら。
「二度と家へは戻って来るな」と、ピーターパンの本だけを持たされ、蹴り出されたら…。
(こんな本なんか、もう要らない、って…)
何処かのゴミ箱にポンと投げ込み、成人検査を受けに出掛けていたのだろう。
「絶対、エリートになってやるんだ」と、自分を捨てた父を見返すために。
いつの日か、父を鼻で笑って、顎で使える立場になろう、と。
(それはシロエじゃないんだけれども、その方が…)
きっと人生、楽だったよね、と心から思う。
「引き裂かれるように別れるよりかは、追い出された方がマシだよ、きっと」と…。
親との別れ方・了
※SD体制の成人検査って、何かが変。親と無理やり引き離すのは何故なんだろう、と。
「親の代わりに、機械が入り込むためなのかも?」と考えた所から出来たお話。真相は謎。
帰りたいよ、とシロエは心の中で繰り返す。
Eー1077の夜はとうに更け、候補生たちは皆、寝ているだろう。
明日も講義があるわけだから、眠って明日に備えるべきだ、と此処では誰もが心得ている。
よほど課題に詰まっているとか、試験勉強が出来ていないとか、そんな者しか起きてはいない。
(…ぼくも寝なくちゃ…)
でないとキースに勝てやしない、と分かってはいても、眠れない。
ベッドの上で膝を抱えて、ついつい、思いは故郷へと飛ぶ。
「帰りたいよ」と、もう顔さえも霞んでしまった、両親に会いに行きたくて。
(もう、何度目になるんだろう…)
こんな夜は、と数えてみても、とても両手の指では足りない。
両足の指を足してみたって、それでも足りるわけがない。
(…此処へ来た頃は、毎晩、家に帰りたくって…)
泣いていたから、それだけで指が足りなくなるよ、と胸に悲しみが満ちて来る。
前ほど泣かなくなった自分は、故郷への思いが薄れたろうか。
機械の魔手から逃げたつもりでも、少しずつ身体に毒が回ってゆくのだろうか。
(……まさかね……)
きっと目標が出来たからだよ、と自分自身に言い聞かせる。
優秀なメンバーズ・エリートになって、いつかは国家主席の座に就くことが今の目標。
実現したなら、「シロエ」が世界のトップに立てる。
機械に「止まれ」と命じることも、出来るようになるに違いない。
(そしたらシステムは全部崩れて、機械が奪った、ぼくの記憶も…)
取り戻せると信じているから、それに向かって努力する。
キースと成績を激しく競い合うのも、その一環と言えるだろう。
「機械の申し子」と呼ばれるキースを蹴落とせたならば、当然、シロエの評価も上がる。
マザー・イライザが何と言おうと、結果が全てで、メンバーズとしても「シロエ」の方が上。
(だから今夜も、早く眠って…)
講義に差し支えないようにしなくちゃ、と思いはしても、今夜は難しいらしい。
どうしても心が故郷に囚われ、両親と暮らした頃へと思いが飛んでゆくから。
昼間、偶然、寄ったポートで、新入生たちの群れを見掛けた。
何処かの育英都市から運ばれて来て、Eー1077に降り立った子たち。
(みんな、怯えたような目をして…)
ポートの中を眺め回して、見知った顔が無いかどうかと、懸命に探しているようだった。
身体は動いていなかったけれど、視線だけをあちこち、キョロキョロとさせて。
(…ぼくも、初めて此処へ来た時…)
ああいう感じだったんだろうな、と胸の何処かがツキンと痛んだ。
そう、「あの時」には、周りの仲間と「変わらなかった」。
誰もが此処への不安で一杯、どうすればいいのか何もかも謎で、途惑っていた。
(ぼくはピーターパンの本をしっかり、抱え込んではいたけれど…)
それが「特別なこと」とは思わず、「あって良かった」という気持ちがあっただけ。
「他のみんなは、やっぱり何も持ってないんだ」と、手ぶらの仲間を確認して。
(成人検査の日には、荷物は持たずに行くのが決まりで…)
他の子たちは規則を守って、何も持たずに出て来たのだろう。
荷物を持っていなかったのなら、此処へも、手ぶらで来ることになる。
ただそれだけのことなのだ、と「あの日のシロエ」は考えた。
「宝物の本を持って来られた自分は、うんと頭が良かったのだ」と、自画自賛して。
「本当に大事な宝物なら、こうして持って来られるんだよ」と得意になって。
(…でも、それは…)
どうやら勘違いだったらしい、と日が経つにつれて痛烈に思い知らされた。
仲間たちは「何も持っては来られなかった」けれども、それを少しも悔いてはいない。
故郷で大切にしていた「何か」も、両親のことも、彼らの心の、ほんの一部に過ぎないらしい。
過ぎ去った子供時代のことより、これから先の未来が大切、それから「今」という時も。
(此処で新しい友達が出来たり、故郷の友達と再会したり…)
彼らは「今を生きてゆく」ことに夢中で、過去など少しも振り返らない。
思い出話に語る程度で、その話だって、瞬く間に「今」に結び付く。
「今、此処にいる」友と語らい、「ぼくの故郷は…」だの、「君の故郷は?」といった具合に。
(…故郷と言ったら、自分が育った場所、ってだけで…)
それ以上の意味は持っていなくて、両親も同じ扱いになる。
「自分を育てた人」というだけ、特別な感情も、「シロエ」ほどには…。
(…誰も持ってはいないんだよね…)
今日、見た、あの子たちもそう、と唇を噛む。
「これが機械のやり方なんだ」と、「パパもママも故郷も、大切なのに」と。
成人検査を受けた子たちは、そういったことを忘れてしまう。
そうして思い出しもしないで、育って、またしても「それ」が繰り返される。
Eー1077とは違う何処かで、養父母としての教育を受けた子たちが社会に出て行って。
(SD体制で育った子供は、みんな、親から引き離されて…)
教育ステーションに連れてゆかれて、其処で新たな教育を受けて、社会の中に散ってゆく。
Eー1077なら、メンバーズ・エリートを筆頭にして、殆どが軍人の道へと進む。
一般人向けの教育ステーションだと、専門職やら、仕事をしながら養父母になるコースやら。
(何処に行くかは、機械が成人検査で決めて…)
勝手に振り分けてゆくのだけれども、何処へ進んでも、故郷の家へは帰れない。
養父母の家へ帰って「一緒に暮らす」というコースは無い。
(…誰かの養子になる、ってヤツも…)
あるそうだけれど、一種の契約、仕事のようなものらしい。
故郷の両親とは違う「誰か」の家に雇われ、「息子」や「娘」として暮らす。
契約期間が切れるまでの間の関係、気に入られたなら再契約で「親子」が続いてゆくけれど…。
(合わなかったら、まだ契約の期間中でも…)
もう要りません、と切られてしまって、家から追い出されて終わり。
「息子」や「娘」の仕事は無くなり、新しい両親と契約するか、別の仕事を始めるか。
(…そんなの、親子とは違うと思うよ…)
まるで全く違うじゃないか、と解せないけれども、世の中、それで成り立っている。
社会に出てから「子供が欲しい」と思うのだったら、養父母になるか、養子を迎えるか。
養父母になると、暮らせる場所は育英都市に限られるから、それが嫌なら養子を取る。
養子だったら、大人ばかりの社会の中でも、立派に通用する「子供」だから。
(…契約を交わして、親子になって…)
合わなかったら解消だなんて、どう考えても「狂っている」。
親子というのは、そういうものではないだろう。
親は子供に愛情を注ぎ、子供は親に守られて暮らして、幸せに生きて育ってゆくもの。
愛情を受けて育ったからこそ、次の世代へも愛情を注ぐ。
血が繋がってはいない子供でも、養父母として。
機械が「この子を育てなさい」と選んで、配って来た子であろうとも。
(ぼくのパパとママも、うんと優しくて、温かくって…)
ホントに幸せだったよね、と心は「あの頃」を忘れない。
両親の顔がおぼろになっても、故郷の家への道筋が思い出せなくなっても。
(やっぱり親子は、そうでなくっちゃ…)
契約なんかは絶対違う、とキッパリと否定したくなる。
いくら機械が認めた制度で、この世界には「そういう親子」が、あちこちの星にいようとも。
きっと「地球」にも、そうした親子が何組も暮らしているのだろう。
選ばれた者だけが行ける場所だけに、エリート同士の親子限定だろうけれども。
何かおかしい、という気がする。
「親子は、そういうものじゃないよ」と、機械に向かって怒鳴りたい。
契約で親子になるなんて、と拳をギュッと握ったはずみに、違う考えが浮かんで来た。
「だったら、何故…?」と。
親が子供に愛情を注いで育てるものなら、何故、その親子を「引き裂く」のか。
成人検査で「無理やり、離して」、引き離した子を新しく教育し直すのか。
(…みんなは疑問に思っていないし、それでいいのかもしれないけれど…)
中には「シロエ」のような子もいて、辛い思いをするかもしれない。
「帰りたいよ」と故郷の家を思い出しては、毎晩のように涙を流す子供たち。
そういう子供を生み出すよりかは、最初から…。
(引き裂くのとは違う、別れ方をする方向に…)
持って行ったらいいのでは、と生物の講義を思い出した。
地球が滅びへと向かう前には、野生の動物が沢山生息していたという。
彼らは自然の中で育って、次の世代を育てたけれども、その育て方は厳しいもの。
子供が幼く、自分で餌を取れない間は、愛情をこめて世話をしていた。
冷えないように温めてやって、餌を運んで、小さい間は親が食べさせたりもした。
ところが、子供が立派に育って、一人前になったなら…。
(種族によっては、ある日突然、自分の子供を…)
酷く苛めて、自分たちの縄張りの外へ追い出してしまい、それっきり。
追われた子供が泣き叫ぼうとも、親は子供を顧みはしない。
縄張りから追われてしまった子供は、まだ幼くて、親ほど上手に生きられないのに。
餌を取る技も、生き延びる技も、充分にあるとは言えない子供の間に、放り出される。
「後は自分で何とかしろ」と、容赦なく。
「もう一人でも生きてゆける」と、「そのための技は教えた筈だ」と。
(…だけど技術は、うんと未熟で、自然は、とても厳しくて…)
子供は一人で生きてゆけなくて、命を落とすことも多かったらしい。
生き延びられた「強い子」だけが大人になって、新しい命を紡いでいった。
強い遺伝子を子供に伝えて、種族の未来が強固なものになるように。
(…人間だって、同じ仕組みでいい気がするよ…)
引き裂かれるように別れるよりかは、追い出された方がマシだろう。
此処でこうして泣き暮らすよりも、「頑張ってやる」という気分になれそう。
「追い出されたって、ぼくは生きる」と、「絶対、死にやしないんだから」と。
(その方が絶対、前向きになれると思うんだけどな…)
みんな必死に生きるからね、と思うけれども、機械は、きっと認めはしない。
それをやったら、SD体制は崩壊の道を辿るから。
人間には「強く生きられる」道でも、機械にとっては望ましいものとは言えない生き方。
今の社会のシステムだったら、養父母から引き離された後には…。
(マザー・イライザみたいな機械が、代わりに入り込んで来て…)
新しい親として心を掴んで、そのまま依存させてゆく。
「機械」という名の親に縋って、システムに頼り切りになるように。
けしてシステムに疑問を持たずに、従順に生きてゆくように、と。
(…親が追い出してしまった子供じゃ、独立心が芽生えるだけで…)
ぼくみたいな子が増えるだけだ、と溜息をついて、「でも…」と心は故郷へと飛ぶ。
両親と暮らした懐かしい家へ、温かな思い出があった場所へと。
(…引き離されてしまったわけじゃなくって、追い出されてたら…)
ある日、父から「シロエは立派に大人だからな」と告げられ、放り出されていたら。
「二度と家へは戻って来るな」と、ピーターパンの本だけを持たされ、蹴り出されたら…。
(こんな本なんか、もう要らない、って…)
何処かのゴミ箱にポンと投げ込み、成人検査を受けに出掛けていたのだろう。
「絶対、エリートになってやるんだ」と、自分を捨てた父を見返すために。
いつの日か、父を鼻で笑って、顎で使える立場になろう、と。
(それはシロエじゃないんだけれども、その方が…)
きっと人生、楽だったよね、と心から思う。
「引き裂かれるように別れるよりかは、追い出された方がマシだよ、きっと」と…。
親との別れ方・了
※SD体制の成人検査って、何かが変。親と無理やり引き離すのは何故なんだろう、と。
「親の代わりに、機械が入り込むためなのかも?」と考えた所から出来たお話。真相は謎。
(…子供時代の記憶か…)
私には何もありはしないのだ、とキースは深い溜息をつく。
首都惑星ノアの国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
マツカが淹れていったコーヒー、それが机の上で微かな湯気を立てている。
(…コーヒーにしても、サムが見たなら…)
目を輝かせて、「おじちゃん、コーヒー、大好きなの?」と訊くのだろうか。
「ぼくの父さんも、よく飲んでるよ」だとか、「ママも飲むんだ」などと嬉しそうに。
(サムから直接、聞いたことは一度も無いのだが…)
そもそも、サムの見舞いに行った時には、コーヒーを飲む機会は無い。
サムと会うのは食堂ではなく、病室だったり、外の庭だったりすることが多い。
病院の中の休憩スペース、其処で会うこともあるのだけれども、見舞客には飲み物は出ない。
あくまで患者のための施設で、来客用ではない場所だから。
(だから私も、サムの前では…)
コーヒーを飲んだことなどは無くて、サムの主治医と会う時に運ばれて来るだけだった。
係の者がトレイに載せて持って来るそれは、マツカのコーヒーには敵わない。
とはいえ、サムが目にしていたなら、コーヒーについての思い出話が聞けそうではある。
サムにとっては思い出ではなく、「今、生きている世界」の話なのだけれども。
(…カップ一杯のコーヒーだけでも、サムならば、きっと…)
豊かな記憶を持ち合わせていて、あれこれ語ってくれるのだろう。
コーヒーが入ったカップを倒して叱られたとか、カップを落として割ったとか。
あるいは「飲んでみたけど、苦いよね」と、子供時代のサムの味覚のままで顔を顰めるとか。
(Eー1077では、サムもコーヒーが好きで頼んでいたが…)
子供時代も好きだったとは限らないことは、キース自身も知っている。
機械が与えた膨大な知識、その中には「子供時代」に関するデータも充分、含まれていた。
子供と大人では味覚が異なるとか、成長するにつれて好みが変わってゆくとか、様々なことが。
(…しかし私は、「知っている」だけで…)
本物の「それ」を全く知りはしない、とフロア001で見た光景が頭の中に蘇って来る。
「キース・アニアン」は、其処で育った。
強化ガラスの水槽の中に浮かんで、外の世界には、ただの一度も触れてはいない。
機械が無から作った生命、養父母さえもいなかった。
そうすることが「キース」を育て上げるためには、最良だと機械が決めたから。
養父母も教師も、幼馴染も、優秀な人材を育てる上では、不要なものだと切り捨てて。
(だから、私は…)
全てを機械から学んで育って、子供時代を持ってはいない。
「子供時代」と呼ばれる時代は、人工羊水の中に漂うだけで、何一つ、経験しなかったから。
それが果たして正しかったか、どうなのか。
外の世界に触れることなく、知識だけを得て育った生命、「それ」は本当に優れた者なのか。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
そうだと信じているのだけれども、沸々と疑問が湧き上がって来る。
「私は本当に、正しい判断が出来るのか?」と。
いずれ人類の指導者として立つべき人材、そのように作られ、生まれて来た。
正確に言えば「作られ、外の世界に出された」。
フロア001を目にして、自分自身の生まれを知るまで、キース自身も信じていた。
自分は誰よりも優れていると、疑いもせずに思い込んでいた。
「機械の申し子」と異名を取るほど、優秀な頭脳と能力を持った「人間」だと。
(…だが、本当の私自身は…)
真の意味では「人間」と言えず、シロエが揶揄した言葉通りに「人形」でしかない。
機械が作って、機械が育てた「まがいもの」の人間。
(その上、子供時代の記憶が全く無くて…)
経験さえもしていないのだ、とサムに会う度、痛烈に思い知らされる。
サムが懐かしそうに語る「故郷」は、キースには無い。
水槽の中しか知らずに育って、景色も人も見てはいないし、故郷の星の空気も知らない。
サムが今でも会いたい両親、それもキースには、いはしなかった。
育ての親は機械だったし、全てを機械から学んで育って、誰一人、目にすることもなかった。
(…こんな私に、ヒトのことなど…)
正しく理解出来るのか、と自問自答し、「否」と自分で答えたくなる。
どう考えても、それは「無理だろう」としか思えない。
「キース」には「ヒトの想い」は分からず、推測でしか推し量れない。
機械が与えた知識に基づき、「こういう場合は、この人間の心の中は…」と答えを弾き出す。
恐らく「キース」は、そうした「精巧な人形」なのだろう。
お蔭で誰にも怪しまれずに、此処までは巧くやって来た。
これから先も「そうあるべきだ」と、機械は考えているに違いない。
自分たちが与えた知識を正しく使って、人類を導いてゆくのが「キース」の使命なのだ、と。
(グランド・マザーは、そう信じていて…)
マザー・イライザも、最後まで「そのつもり」だったろう。
自分が作った「キース」は道を誤らない、と。
誰よりも正しく真実を見極め、人類の指導者として立派に歩んでゆくものだと。
(…なのに、私は…)
とうの昔に、道を外れつつあるのでは…、とキース自身も自覚している。
子供時代の記憶を持たないことが「正しいかどうか」自問するのが、既におかしい。
本当に機械に忠実ならば、そんな疑問は持たないだろう。
過去の記憶が全く無くても、それを不思議に思いもしない。
(ついでに言うなら、自分の生まれを目にしたところで…)
そういうものか、と思う程度で、驚きさえもしない気がする。
「私は此処で育ったのか」と納得するだけ、「知識が一つ増える」だけで。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
実際の「キース」が「どう思ったか」は、気にしていないに違いない。
現に探りを入れられもせずに、「前と変わりなく」生きている。
フロア001を見た後、グランド・マザーに「呼ばれてはいない」。
何度も「会ってはいる」のだけれども、それは報告や任務のための機会に過ぎない。
(マザー・イライザのコールのように…)
心を探られることなどは無くて、「キース」の心や記憶を弄られてはいない。
ならば、機械は「疑ってさえもいない」のだろう。
キースが「与えられた」道を外れて、外へ踏み出しつつあることを。
踏み外した先で「ミュウのマツカ」を救って、側近として側に置いていることも。
(…私がマツカを救ったのは…)
シロエの面影を見たからだけれど、シロエも「過去」にこだわっていた。
サムと違って、シロエの場合は「忘れさせられた」過去だったけれど、中身は似ている。
シロエは故郷を、両親のことを忘れ難くて、機械に抗い、宇宙に散った。
最後までピーターパンの本を抱き締め、自由を求めて飛び立って行って。
(…シロエは最後に、両親を思い出せたのだろうか…?)
サムのように心が壊れていたなら、きっとシロエも「会えた」のだろう。
飛んで行った先には、「いる筈もない」両親に。
遠い日にシロエを育てた養父母、懐かしい父と母とに出会って、幸せの中で逝ったと思う。
傍目には不幸な最期のように見えても、シロエにとっては最高のハッピーエンド。
「パパ、ママ、ぼくだよ!」と、両手を広げて。
「会いたかったよ、帰って来たよ!」と、懸命に駆けて、両親と固く抱き合って。
(…きっとそうだな…)
会えたのだろう、と心の何処かに確信に満ちた思いがある。
シロエは幸せの中で旅立ち、両親の許へ帰ったのだ、と。
サムが「今でも」両親がいる世界で生きているように、シロエも同じ世界へと飛んで。
見舞いで病院を訪れた時に、サムがよく言う「ママのオムレツ」。
サムの母が作るオムレツ、それは美味しいものらしい。
シロエの母はどうだったろうか、やはりオムレツが得意だったのだろうか。
(それとも、他に得意料理があって…)
飛び去ったシロエは、母が作る「それ」を再び口にし、「美味しい!」と喜んだだろうか。
「また、これが食べたかったんだ」と。
「やっぱりママのが最高だよね」と、「ステーションのとは大違いだよ」などと。
(ヒトの想いは、きっとそういうものなのだろうな…)
私には「それ」が全く無いが、と悔しく、虚しく、寂しくもある。
この感情も、機械が与えた知識の中には「無かった」だろう。
過去の記憶を持たないことを、「寂しい」と思う感情など。
ましてや「悔しい」、「虚しい」だとかは、多分、「あってはならない」感情。
知識として持ち、駆使することは必要だけれど、こういう場面で用いることは許されない。
「自分の生まれ」に、疑問や不満を持つことなどは。
子供時代を持たない「自分」を、欠陥品のように考えることも。
(…そうだな、私は、とうの昔に…)
道を外れてしまっているな、と自嘲めいた笑みが浮かんで来る。
今の「キース」は「余計な感情」だらけで、その感情を懸命に隠しているのだけれど…。
(…マツカを側に置いているのも、シロエの面影を見ている他に…)
「ヒトの想い」に触れるためかもしれないな、と可笑しくなる。
実際の「キース」は、当のマツカに接する時には、人間扱いしていないのに。
「化け物」と呼び、道具のように使うばかりで、話すことさえしないのに。
(…それでもマツカは、ただ懸命に…)
側に仕えて、一途に「キース」を守り続けるから、その「想い」が心地よいのだろう。
「キース」を人間扱いしていて、同じ「ヒト」として慕い、接してくれるから。
(…私自身は、機械が作った人形なのにな…)
過去も持たない人形なのだ、と思うけれども、その「過去」を学びつつあるのだと思う。
もういなくなった「シロエ」から。
会いに行く度、昔語りを熱心に聞かせてくれるサムから。
(…そしてマツカも、直接、語りはしなくても…)
どういう風に育って来たのか、何故、あそこまで健気なのか、と気に掛かる「過去」。
あえて調べるつもりなど無いし、知ろうと思いもしないけれども、マツカにも子供時代はある。
それがどういうものだったのかと、たまに気になることもあるから、彼からも「学ぶ」。
こうして「学んで」、「ヒトの想い」を知ったキースは、いつの日か、飛んでゆくのだろうか。
シロエが飛び去って行った彼方へ、自由という名の翼を広げて。
行きつく先は死であろうとも、きっと後悔などはしないで…。
過去が無くても・了
※キースには過去の記憶が無いどころか、子供時代そのものを経験していないわけですが。
そんなキースは、人類の指導者として相応しいのか、と思った所から生まれたお話。
私には何もありはしないのだ、とキースは深い溜息をつく。
首都惑星ノアの国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
マツカが淹れていったコーヒー、それが机の上で微かな湯気を立てている。
(…コーヒーにしても、サムが見たなら…)
目を輝かせて、「おじちゃん、コーヒー、大好きなの?」と訊くのだろうか。
「ぼくの父さんも、よく飲んでるよ」だとか、「ママも飲むんだ」などと嬉しそうに。
(サムから直接、聞いたことは一度も無いのだが…)
そもそも、サムの見舞いに行った時には、コーヒーを飲む機会は無い。
サムと会うのは食堂ではなく、病室だったり、外の庭だったりすることが多い。
病院の中の休憩スペース、其処で会うこともあるのだけれども、見舞客には飲み物は出ない。
あくまで患者のための施設で、来客用ではない場所だから。
(だから私も、サムの前では…)
コーヒーを飲んだことなどは無くて、サムの主治医と会う時に運ばれて来るだけだった。
係の者がトレイに載せて持って来るそれは、マツカのコーヒーには敵わない。
とはいえ、サムが目にしていたなら、コーヒーについての思い出話が聞けそうではある。
サムにとっては思い出ではなく、「今、生きている世界」の話なのだけれども。
(…カップ一杯のコーヒーだけでも、サムならば、きっと…)
豊かな記憶を持ち合わせていて、あれこれ語ってくれるのだろう。
コーヒーが入ったカップを倒して叱られたとか、カップを落として割ったとか。
あるいは「飲んでみたけど、苦いよね」と、子供時代のサムの味覚のままで顔を顰めるとか。
(Eー1077では、サムもコーヒーが好きで頼んでいたが…)
子供時代も好きだったとは限らないことは、キース自身も知っている。
機械が与えた膨大な知識、その中には「子供時代」に関するデータも充分、含まれていた。
子供と大人では味覚が異なるとか、成長するにつれて好みが変わってゆくとか、様々なことが。
(…しかし私は、「知っている」だけで…)
本物の「それ」を全く知りはしない、とフロア001で見た光景が頭の中に蘇って来る。
「キース・アニアン」は、其処で育った。
強化ガラスの水槽の中に浮かんで、外の世界には、ただの一度も触れてはいない。
機械が無から作った生命、養父母さえもいなかった。
そうすることが「キース」を育て上げるためには、最良だと機械が決めたから。
養父母も教師も、幼馴染も、優秀な人材を育てる上では、不要なものだと切り捨てて。
(だから、私は…)
全てを機械から学んで育って、子供時代を持ってはいない。
「子供時代」と呼ばれる時代は、人工羊水の中に漂うだけで、何一つ、経験しなかったから。
それが果たして正しかったか、どうなのか。
外の世界に触れることなく、知識だけを得て育った生命、「それ」は本当に優れた者なのか。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
そうだと信じているのだけれども、沸々と疑問が湧き上がって来る。
「私は本当に、正しい判断が出来るのか?」と。
いずれ人類の指導者として立つべき人材、そのように作られ、生まれて来た。
正確に言えば「作られ、外の世界に出された」。
フロア001を目にして、自分自身の生まれを知るまで、キース自身も信じていた。
自分は誰よりも優れていると、疑いもせずに思い込んでいた。
「機械の申し子」と異名を取るほど、優秀な頭脳と能力を持った「人間」だと。
(…だが、本当の私自身は…)
真の意味では「人間」と言えず、シロエが揶揄した言葉通りに「人形」でしかない。
機械が作って、機械が育てた「まがいもの」の人間。
(その上、子供時代の記憶が全く無くて…)
経験さえもしていないのだ、とサムに会う度、痛烈に思い知らされる。
サムが懐かしそうに語る「故郷」は、キースには無い。
水槽の中しか知らずに育って、景色も人も見てはいないし、故郷の星の空気も知らない。
サムが今でも会いたい両親、それもキースには、いはしなかった。
育ての親は機械だったし、全てを機械から学んで育って、誰一人、目にすることもなかった。
(…こんな私に、ヒトのことなど…)
正しく理解出来るのか、と自問自答し、「否」と自分で答えたくなる。
どう考えても、それは「無理だろう」としか思えない。
「キース」には「ヒトの想い」は分からず、推測でしか推し量れない。
機械が与えた知識に基づき、「こういう場合は、この人間の心の中は…」と答えを弾き出す。
恐らく「キース」は、そうした「精巧な人形」なのだろう。
お蔭で誰にも怪しまれずに、此処までは巧くやって来た。
これから先も「そうあるべきだ」と、機械は考えているに違いない。
自分たちが与えた知識を正しく使って、人類を導いてゆくのが「キース」の使命なのだ、と。
(グランド・マザーは、そう信じていて…)
マザー・イライザも、最後まで「そのつもり」だったろう。
自分が作った「キース」は道を誤らない、と。
誰よりも正しく真実を見極め、人類の指導者として立派に歩んでゆくものだと。
(…なのに、私は…)
とうの昔に、道を外れつつあるのでは…、とキース自身も自覚している。
子供時代の記憶を持たないことが「正しいかどうか」自問するのが、既におかしい。
本当に機械に忠実ならば、そんな疑問は持たないだろう。
過去の記憶が全く無くても、それを不思議に思いもしない。
(ついでに言うなら、自分の生まれを目にしたところで…)
そういうものか、と思う程度で、驚きさえもしない気がする。
「私は此処で育ったのか」と納得するだけ、「知識が一つ増える」だけで。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
実際の「キース」が「どう思ったか」は、気にしていないに違いない。
現に探りを入れられもせずに、「前と変わりなく」生きている。
フロア001を見た後、グランド・マザーに「呼ばれてはいない」。
何度も「会ってはいる」のだけれども、それは報告や任務のための機会に過ぎない。
(マザー・イライザのコールのように…)
心を探られることなどは無くて、「キース」の心や記憶を弄られてはいない。
ならば、機械は「疑ってさえもいない」のだろう。
キースが「与えられた」道を外れて、外へ踏み出しつつあることを。
踏み外した先で「ミュウのマツカ」を救って、側近として側に置いていることも。
(…私がマツカを救ったのは…)
シロエの面影を見たからだけれど、シロエも「過去」にこだわっていた。
サムと違って、シロエの場合は「忘れさせられた」過去だったけれど、中身は似ている。
シロエは故郷を、両親のことを忘れ難くて、機械に抗い、宇宙に散った。
最後までピーターパンの本を抱き締め、自由を求めて飛び立って行って。
(…シロエは最後に、両親を思い出せたのだろうか…?)
サムのように心が壊れていたなら、きっとシロエも「会えた」のだろう。
飛んで行った先には、「いる筈もない」両親に。
遠い日にシロエを育てた養父母、懐かしい父と母とに出会って、幸せの中で逝ったと思う。
傍目には不幸な最期のように見えても、シロエにとっては最高のハッピーエンド。
「パパ、ママ、ぼくだよ!」と、両手を広げて。
「会いたかったよ、帰って来たよ!」と、懸命に駆けて、両親と固く抱き合って。
(…きっとそうだな…)
会えたのだろう、と心の何処かに確信に満ちた思いがある。
シロエは幸せの中で旅立ち、両親の許へ帰ったのだ、と。
サムが「今でも」両親がいる世界で生きているように、シロエも同じ世界へと飛んで。
見舞いで病院を訪れた時に、サムがよく言う「ママのオムレツ」。
サムの母が作るオムレツ、それは美味しいものらしい。
シロエの母はどうだったろうか、やはりオムレツが得意だったのだろうか。
(それとも、他に得意料理があって…)
飛び去ったシロエは、母が作る「それ」を再び口にし、「美味しい!」と喜んだだろうか。
「また、これが食べたかったんだ」と。
「やっぱりママのが最高だよね」と、「ステーションのとは大違いだよ」などと。
(ヒトの想いは、きっとそういうものなのだろうな…)
私には「それ」が全く無いが、と悔しく、虚しく、寂しくもある。
この感情も、機械が与えた知識の中には「無かった」だろう。
過去の記憶を持たないことを、「寂しい」と思う感情など。
ましてや「悔しい」、「虚しい」だとかは、多分、「あってはならない」感情。
知識として持ち、駆使することは必要だけれど、こういう場面で用いることは許されない。
「自分の生まれ」に、疑問や不満を持つことなどは。
子供時代を持たない「自分」を、欠陥品のように考えることも。
(…そうだな、私は、とうの昔に…)
道を外れてしまっているな、と自嘲めいた笑みが浮かんで来る。
今の「キース」は「余計な感情」だらけで、その感情を懸命に隠しているのだけれど…。
(…マツカを側に置いているのも、シロエの面影を見ている他に…)
「ヒトの想い」に触れるためかもしれないな、と可笑しくなる。
実際の「キース」は、当のマツカに接する時には、人間扱いしていないのに。
「化け物」と呼び、道具のように使うばかりで、話すことさえしないのに。
(…それでもマツカは、ただ懸命に…)
側に仕えて、一途に「キース」を守り続けるから、その「想い」が心地よいのだろう。
「キース」を人間扱いしていて、同じ「ヒト」として慕い、接してくれるから。
(…私自身は、機械が作った人形なのにな…)
過去も持たない人形なのだ、と思うけれども、その「過去」を学びつつあるのだと思う。
もういなくなった「シロエ」から。
会いに行く度、昔語りを熱心に聞かせてくれるサムから。
(…そしてマツカも、直接、語りはしなくても…)
どういう風に育って来たのか、何故、あそこまで健気なのか、と気に掛かる「過去」。
あえて調べるつもりなど無いし、知ろうと思いもしないけれども、マツカにも子供時代はある。
それがどういうものだったのかと、たまに気になることもあるから、彼からも「学ぶ」。
こうして「学んで」、「ヒトの想い」を知ったキースは、いつの日か、飛んでゆくのだろうか。
シロエが飛び去って行った彼方へ、自由という名の翼を広げて。
行きつく先は死であろうとも、きっと後悔などはしないで…。
過去が無くても・了
※キースには過去の記憶が無いどころか、子供時代そのものを経験していないわけですが。
そんなキースは、人類の指導者として相応しいのか、と思った所から生まれたお話。
あの日から、もう十七年も経ったようだね、この世界では。
そう、十七年前の今日、ぼくが逝ったと、君たちは記憶している筈だ。
ぼくが暮らしていた世界でも、あれから長い歳月が過ぎて、今では地球も、すっかり青い。
けれども、そうなるよりも前の時代も、十七年と言えば長かったろう。
ミュウと人類の間の壁が消えて無くなり、何もかもが急激に変化したから、尚更だ。
それに、ナスカの悲劇の後には、ジョミーたちまでが、地球で命を落とした。
燃え上がる地球から去ったシャングリラに、ぼくを昔から知る者は、どれだけ残っていただろう。
その時点でさえ、そうなのだから、十七年が経った船だと、どうだったのか…。
ぼくを直接、知らない仲間が、あの懐かしい白い船にも、多かったかもしれないね。
「ソルジャー・ブルー」がいなくなってから、生まれた子たちが何人も増えて。
でも、その方が、ぼくは嬉しい。
いつまでも、ぼくの思い出に縛られるよりも、「今」を見詰めていて欲しいから。
君たちにしても、この瞬間まで、ぼくを忘れていた人が多いと思う。
十七年前の七月の末に、テレビ画面の向こうに何を見たのか、そのことさえも。
今日の日付も、言われて初めて「そういえば…」と気付くくらいに、遠い記憶になったろう。
十七年が流れる間に、新しい「何か」の記念日が出来て、置き換わった人もいるのだろうね。
あの日、小学生だった子供たちでも、立派な大人だ。
七月二十八日という日が、結婚記念日になったりもすれば、子供が生まれた日になりもする。
今日が、そういう「嬉しい記念日」に変わっているなら、ぼくの、心からの祝福を。
逆に「悲しい日になってしまった」人がいたなら、その悲しみに寄り添おう。
今日という日を忘れたままで、何処かで暮らしている人たちにも、ぼくは感謝の言葉を贈る。
「あの日、ぼくの最期を見届けてくれて、ありがとう」と。
シャングリラの仲間たちの中の誰一人として、居合わせた者はいなかったからね。
十七年の月日は、とても長くて、ぼくを忘れるのも不思議ではないし、むしろ当然とも言える。
君たちは、ぼくと同じ世界に住んではいなくて、今だって、そうだ。
だから「忘れてた…!」と慌てるよりかは、「そうか、今日だったんだっけ…」の方がいい。
今、ほんの少しだけ、あの日に戻って、じきに忘れてしまう方がね。
君たちにも、ミュウの仲間と同じで、「今」という時を生きて欲しいし、それを望むよ。
見ている画面を閉じた途端に、ぼくのことなど、もう二度と思い出さなくても。
けれど、今でも忘れていない人がいるなら、「忘れて欲しい」と言ったりはしない。
思い出を詰めた箱の中身は、それこそ人の数だけあるんだ。
何を入れるか、いつ取り出して眺めるのかは、誰に強いられるものでもない。
「ソルジャー・ブルー」を、思い出の箱に仕舞っておきたいのならば、止めはしないよ。
ただ、一つだけ、注文をしてもいいなら、箱に仕舞うのは「ただのブルー」にしてくれないかな。
「ただのブルー」なら、いつも、何処ででも、取り出して、そこに置けるから。
居酒屋で「ブルー」を思い出しても、違和感など、ありはしないしね。
青い地球の上で、ぼくを連れ歩いて貰えるのならば、嬉しいし、きっと楽しいだろう。
ぼくは何処へでも、お供するから、思い出の箱の中には、「ただのブルー」を。
「ソルジャー・ブルー」を入れる代わりに、「ただのブルー」にしてくれたまえ。
衣装ばかりは、仕方ないけれど。
「着替えたいから、服も頼めないかな」なんて、そこまで我儘を言えはしないし、今のでいい。
「ただのブルー」になれるのならば、もうそれだけで、充分だ。
大袈裟な「ソルジャー」のままでいるより、居酒屋にも入れる「ぼく」でいられればね…。
青い星の君へ・了
※ブルー追悼、17年目も書きました。もう追悼でもないだろう、と「ただのブルー」です。
自分でも呆れるほどの歳月、アニテラで走っているわけですけど、もう明らかに少数派。
今年はテイスト変えてみました、「居酒屋に入るブルー」は、見てみたいかも…。
(……友達ね……)
あのキースには似合わないけどさ、とシロエは蔑むような笑みを浮かべた。
今日も何度も目にした「友達」、キースの隣に、後ろに何度も見掛けたサム。
まるで全く似合わないのに、サムはキースの「友達」らしい。
皆がコソコソ言っている通り、確かに一番近くにいる。
(…キースの役には、立つわけがないと思うけど…)
自室でクスクス笑うシロエは、サムが以前にキースを救ったことを知らない。
シロエでなくても、Eー1077で「それ」を知る者は、多くはない。
スウェナを乗せて来た宇宙船の事故は、曖昧にされてしまっていた。
マザー・イライザが記憶を処理して、大したことではなかったように思われている。
だからシロエが「知らない」ことは、至極当然と言えるだろう。
当時の在籍者の間でさえも、「そういえば、そういう事故があったかな」という程度。
キースが救助に向かった事実も、その時、サムが一緒だったことも、人の口に上ることは無い。
サムがいなければ、キースの命が無かったことなど、誰も知らない。
マザー・イライザは、広く知らせるつもりは全く無いのだから。
(どうしてキースは、サムなんかと…)
仲良くしていて、友達だなんて言うんだろうか、と考えてみても、よく分からない。
自分だったら、もっと有能な友達を持つと思うけれども、何故、キースは…。
(あんな冴えないサムを選んで、友達になって…)
いつも一緒にいるんだろうか、と不思議だとはいえ、二人は確かに仲がいい。
孤立している「シロエ」と違って、食事の時にも、大抵は…。
(サムが先に来て席を取っているか、キースが座っているトコへ…)
後からサムが「よう!」とか、「やっと終わったぜ」などと口にしながらやって来る。
自分の食事や飲み物を載せたトレイを手にして、キースと同じテーブルに着いて…。
(食べ始めることが多いんだよね…)
他の者たちは、キースの側には近付かないのに、サムだけは違う。
かつては、其処にスウェナもいた。
(…スウェナにしたって、キースには…)
似合わなかったと思うけどな、と首を捻りながら顎に手を当てた。
スウェナはエリート候補生の道を放棄し、結婚を選んでステーションを去った落第生。
「落第生」とは呼ばれないけれど、シロエや他の候補生から冷静に見れば、そうなるだろう。
Eー1077に入った以上は、それに相応しい道を歩んでこそなのだから。
なんとも以外で、似合わない「キース」の友人たち。
「マザー・イライザの申し子」と異名を取るくらいならば、もっと優れた者を選んで…。
(付き合うべきだし、それでこそ得られるものも多くて…)
エリートになる近道だろうと思うけどな、と解せないとはいえ、キースのことは笑えない。
むしろ「キースの方が、まだマシ」な面もあるかもしれない。
なんと言っても「シロエ」の場合は、「友達」などは一人もいなくて、食事の時も…。
(いつも一人で、講義を受ける時だって…)
隣に座る者などいないし、キースと同じに「避けられている」。
キースは「優秀過ぎて、近寄り難い」という理由で避けられ、シロエの方は忌まれていた。
SD体制に批判的だから、迂闊に「シロエ」に近付いたならば、何が起きるか分からない。
マザー・イライザの不興を買ってコールされるとか、教授に呼ばれて叱られるとか。
(…理由は全く違うんだけど…)
ぼくの側にも、誰も近寄っては来ないよね、と改めて思う。
別に不自由をしてはいないし、寂しさも感じはしないけれども、こと「友達」に関しては…。
(…キース以下ってことになるのかな?)
友達が一人もいないんじゃあ…、と自嘲めいた笑いを漏らした所で、ハタと気付いた。
此処に「友達」を持っていないのは、同郷の者が一人もいないせいもある。
エネルゲイアは技術者を育てる育英都市で、普通は、そのための教育ステーションに行く。
シロエは例外的に選ばれ、Eー1077に進んだのだし、仲間がいなくても仕方ない。
とはいえ、他の者の場合は、サムとスウェナが「そう」だったように…。
(此処へ来てから、同じ育英都市で育った人と出会って…)
幼馴染同士の再会というのも、さして珍しくはないようだ。
きっとキースも、同郷の者はいるのだろうに、わざわざサムを選んだらしい。
それはそうだろう、あんなに「付き合いにくそうな」キースに、昔からの友達などは…。
(いるわけがないし、此処でキースを見掛けた誰かも、知らないふりして…)
他の誰かと友達になって、「キース」は放っておいたのだろう。
代わりにサムとスウェナが出て来て、友達の地位に収まった。
何処が「キース」に気に入られたのか、彼らの方でも、「キース」の何処に惹かれたか…。
(分からないけど、とにかく、友達ではあって…)
ぼくよりはマシな境遇だよね、と忌々しい気分になって来る。
もっとも、此処で友達が欲しいだなんて思いはしないし、エネルゲイアでもそうだった。
友達と一緒に遊んでいるより、家に帰って勉強したり、本を読んだりしたかった。
なにしろ故郷の同級生は、優秀ではなかった者ばかり。
「こんな奴らと付き合って、何処が楽しいわけ?」と思っていたから、切り捨てた。
「友達なんて、ぼくは要らない」と、「つまらないよね」と、皆を見下して。
両親と暮らす家の方がいい、と子供心にキッパリと決めて。
(だから友達は、一人もいなくて…)
今も一人もいないんだけど、と、その選択を後悔したことは一度も無い。
けれど、本当に「そう」なのだろうか。
「友達を一人も作らなかった」のは、正しかったと言えるだろうか。
(…もしも、友達を作っていたら…)
とても仲のいい友達がいたら、その友達のことを、けして忘れはしなかったろう。
どんな顔立ちで、何をして過ごして、どういう具合に「仲が良かったのか」という記憶を…。
(……消してしまったら、何処かで再会出来やしないし……)
機械は、それは消さないよね、と断言出来る。
消さないからこそ、Eー1077でも、同郷の友と再会する者が多くて、また友達になる。
どちらかが先に「懐かしいな!」と声を掛けたり、呼び止めたりして出会うのか。
あるいは同時に「あっ!」と気付いて、駆け寄ったりもするのだろうか。
「此処にいたのか」と、「また会えたな」と、笑い合い、手を握り合って。
(…そうなるためには、記憶が欠けていたりしたんじゃ、まるで話にならなくて…)
お互い、同じ思い出を、記憶を持っていてこそ、話も弾むし、友達として付き合ってゆける。
互いの記憶が食い違っていたら、多分、喧嘩にしかならないだろう。
「そうじゃないだろ」と、「お前、覚えていないのか?」と大喧嘩の末に、縁までが切れる。
機械は、それを望みはしない、と容易に分かることだから…。
(…友達の記憶は、弄りはしなくて…)
消してしまいもしないんだ、と考えるほどに、怖ろしい思いが湧き上がって来る。
「もしかして、ぼくは、間違えた…?」という、身も凍りそうになる疑問が。
友達を作らずに過ごしていたのは、間違いだったのではないだろうか、と。
(…ぼくにも仲のいい友達がいて、家に呼んだりしていたら…)
故郷の家が何処にあったか、今よりも「覚えている」かもしれない。
学校の授業が終わった放課後、友達を誘って、一緒に家まで帰っていたら…。
(途中でどんな話をしたのか、何があったか、忘れちゃったら…)
成人検査の後に再会した時、話が噛み合わないことになる。
友達の方は「あそこの店に寄り道をして…」と言っているのに、店の記憶が無いのでは駄目。
(公園に寄ったりしていても…)
その時の記憶は必要になるし、歩きながら「あそこに、ほら!」と指差し合って…。
(見上げたビルとか、覚えていないといけないわけで…)
機械は「そうした記憶」を消さずに、「残しておく」。
つまりは、それを繋いでいったら、家までの道が出来上がる。
学校から歩いて帰る途中に、店があって、公園があって、見上げたビルの外観も…。
(ちゃんと記憶にあるんだものね…)
繋ぎ合わせれば道は出来るし、その道は家の玄関先まで、きっと繋がるのに違いない。
そうだったかも、と愕然となって、「今の自分」を振り返ってみた。
学校を出て、家に着くまでの道筋などは「覚えていない」。
家まで空を飛んだかのように、何も記憶は「残ってはいない」。
けれど、友達と一緒に帰っていたなら、一本の線を描けたのだろう。
「学校を出たら公園があって、公園までの間に店があって…」といった具合に。
高層ビルの谷間を歩く間も、見覚えのあるビルが幾つも、幾つも。
それらを見上げて、友達と話して、やがて「シロエの家がある」高層住宅に辿り着く。
友達とエレベーターに乗り込み、家がある階まで上がっていって…。
(ただいま、って玄関を開けて入ったら…)
母が笑顔で「おかえりなさい」と迎えただろうか、友達の方には「いらっしゃい」と。
それから「ちょうどブラウニーが焼けた所よ、おやつにどうぞ」と用意してくれる。
記憶の中に今も残っている、懐かしいテーブルの上にお皿を並べて。
「飲み物は、何がいいかしら?」と、カップやグラスも出して来てくれて。
(…ママの笑顔も、きっと今より、ずっと鮮やかで…)
欠けたりなんかはしていないかも、と「友達」の視点を意識する。
いつか「友達」と再会した時、その友達が母の話を持ち出したならば、顔も重要。
「お前のお母さん、笑顔がとっても優しくってさ…」と「友達」は「覚えている」筈だから。
(…きっと目の色も、今のぼくは忘れていなくって…)
友達が「綺麗な色の目だったよな」と口にした時、「うん、海の色」などと相槌を打つ。
「覚えてないんだ」では、まるで話になりはしないし、忘れることは無かっただろう。
母の瞳が海の青色だったか、明るい茶色か、「シロエ」と同じ菫色だったか。
(……うん、絶対に……)
忘れてなんかはいなかった、と思いはしても、友達を家に招くようでは、そんなシロエは…。
(…シロエだけれども、シロエじゃなくて…)
ネバーランドに行きたくて頑張るような子供じゃないよ、と分かっているから、悲しくなる。
両親の記憶がどんどん薄れて消えていっても、この道しか「シロエ」は歩めないから。
「友達がいたなら」残る記憶も、「シロエ」は持っていないから。
(……パパ、ママ……)
ぼくは覚えていたかったのに、と涙が頬を伝ってゆく。
「どうして覚えていられないの」と、「忘れないで済む人も、大勢いる筈なのに」と…。
友達がいたら・了
※シロエは友達がいそうにないんですよね、子供時代にも。友達よりも両親が好きで。
もしもシロエに友達がいたら、両親の記憶も、家の記憶も残りそう。友達と話す時のために。
あのキースには似合わないけどさ、とシロエは蔑むような笑みを浮かべた。
今日も何度も目にした「友達」、キースの隣に、後ろに何度も見掛けたサム。
まるで全く似合わないのに、サムはキースの「友達」らしい。
皆がコソコソ言っている通り、確かに一番近くにいる。
(…キースの役には、立つわけがないと思うけど…)
自室でクスクス笑うシロエは、サムが以前にキースを救ったことを知らない。
シロエでなくても、Eー1077で「それ」を知る者は、多くはない。
スウェナを乗せて来た宇宙船の事故は、曖昧にされてしまっていた。
マザー・イライザが記憶を処理して、大したことではなかったように思われている。
だからシロエが「知らない」ことは、至極当然と言えるだろう。
当時の在籍者の間でさえも、「そういえば、そういう事故があったかな」という程度。
キースが救助に向かった事実も、その時、サムが一緒だったことも、人の口に上ることは無い。
サムがいなければ、キースの命が無かったことなど、誰も知らない。
マザー・イライザは、広く知らせるつもりは全く無いのだから。
(どうしてキースは、サムなんかと…)
仲良くしていて、友達だなんて言うんだろうか、と考えてみても、よく分からない。
自分だったら、もっと有能な友達を持つと思うけれども、何故、キースは…。
(あんな冴えないサムを選んで、友達になって…)
いつも一緒にいるんだろうか、と不思議だとはいえ、二人は確かに仲がいい。
孤立している「シロエ」と違って、食事の時にも、大抵は…。
(サムが先に来て席を取っているか、キースが座っているトコへ…)
後からサムが「よう!」とか、「やっと終わったぜ」などと口にしながらやって来る。
自分の食事や飲み物を載せたトレイを手にして、キースと同じテーブルに着いて…。
(食べ始めることが多いんだよね…)
他の者たちは、キースの側には近付かないのに、サムだけは違う。
かつては、其処にスウェナもいた。
(…スウェナにしたって、キースには…)
似合わなかったと思うけどな、と首を捻りながら顎に手を当てた。
スウェナはエリート候補生の道を放棄し、結婚を選んでステーションを去った落第生。
「落第生」とは呼ばれないけれど、シロエや他の候補生から冷静に見れば、そうなるだろう。
Eー1077に入った以上は、それに相応しい道を歩んでこそなのだから。
なんとも以外で、似合わない「キース」の友人たち。
「マザー・イライザの申し子」と異名を取るくらいならば、もっと優れた者を選んで…。
(付き合うべきだし、それでこそ得られるものも多くて…)
エリートになる近道だろうと思うけどな、と解せないとはいえ、キースのことは笑えない。
むしろ「キースの方が、まだマシ」な面もあるかもしれない。
なんと言っても「シロエ」の場合は、「友達」などは一人もいなくて、食事の時も…。
(いつも一人で、講義を受ける時だって…)
隣に座る者などいないし、キースと同じに「避けられている」。
キースは「優秀過ぎて、近寄り難い」という理由で避けられ、シロエの方は忌まれていた。
SD体制に批判的だから、迂闊に「シロエ」に近付いたならば、何が起きるか分からない。
マザー・イライザの不興を買ってコールされるとか、教授に呼ばれて叱られるとか。
(…理由は全く違うんだけど…)
ぼくの側にも、誰も近寄っては来ないよね、と改めて思う。
別に不自由をしてはいないし、寂しさも感じはしないけれども、こと「友達」に関しては…。
(…キース以下ってことになるのかな?)
友達が一人もいないんじゃあ…、と自嘲めいた笑いを漏らした所で、ハタと気付いた。
此処に「友達」を持っていないのは、同郷の者が一人もいないせいもある。
エネルゲイアは技術者を育てる育英都市で、普通は、そのための教育ステーションに行く。
シロエは例外的に選ばれ、Eー1077に進んだのだし、仲間がいなくても仕方ない。
とはいえ、他の者の場合は、サムとスウェナが「そう」だったように…。
(此処へ来てから、同じ育英都市で育った人と出会って…)
幼馴染同士の再会というのも、さして珍しくはないようだ。
きっとキースも、同郷の者はいるのだろうに、わざわざサムを選んだらしい。
それはそうだろう、あんなに「付き合いにくそうな」キースに、昔からの友達などは…。
(いるわけがないし、此処でキースを見掛けた誰かも、知らないふりして…)
他の誰かと友達になって、「キース」は放っておいたのだろう。
代わりにサムとスウェナが出て来て、友達の地位に収まった。
何処が「キース」に気に入られたのか、彼らの方でも、「キース」の何処に惹かれたか…。
(分からないけど、とにかく、友達ではあって…)
ぼくよりはマシな境遇だよね、と忌々しい気分になって来る。
もっとも、此処で友達が欲しいだなんて思いはしないし、エネルゲイアでもそうだった。
友達と一緒に遊んでいるより、家に帰って勉強したり、本を読んだりしたかった。
なにしろ故郷の同級生は、優秀ではなかった者ばかり。
「こんな奴らと付き合って、何処が楽しいわけ?」と思っていたから、切り捨てた。
「友達なんて、ぼくは要らない」と、「つまらないよね」と、皆を見下して。
両親と暮らす家の方がいい、と子供心にキッパリと決めて。
(だから友達は、一人もいなくて…)
今も一人もいないんだけど、と、その選択を後悔したことは一度も無い。
けれど、本当に「そう」なのだろうか。
「友達を一人も作らなかった」のは、正しかったと言えるだろうか。
(…もしも、友達を作っていたら…)
とても仲のいい友達がいたら、その友達のことを、けして忘れはしなかったろう。
どんな顔立ちで、何をして過ごして、どういう具合に「仲が良かったのか」という記憶を…。
(……消してしまったら、何処かで再会出来やしないし……)
機械は、それは消さないよね、と断言出来る。
消さないからこそ、Eー1077でも、同郷の友と再会する者が多くて、また友達になる。
どちらかが先に「懐かしいな!」と声を掛けたり、呼び止めたりして出会うのか。
あるいは同時に「あっ!」と気付いて、駆け寄ったりもするのだろうか。
「此処にいたのか」と、「また会えたな」と、笑い合い、手を握り合って。
(…そうなるためには、記憶が欠けていたりしたんじゃ、まるで話にならなくて…)
お互い、同じ思い出を、記憶を持っていてこそ、話も弾むし、友達として付き合ってゆける。
互いの記憶が食い違っていたら、多分、喧嘩にしかならないだろう。
「そうじゃないだろ」と、「お前、覚えていないのか?」と大喧嘩の末に、縁までが切れる。
機械は、それを望みはしない、と容易に分かることだから…。
(…友達の記憶は、弄りはしなくて…)
消してしまいもしないんだ、と考えるほどに、怖ろしい思いが湧き上がって来る。
「もしかして、ぼくは、間違えた…?」という、身も凍りそうになる疑問が。
友達を作らずに過ごしていたのは、間違いだったのではないだろうか、と。
(…ぼくにも仲のいい友達がいて、家に呼んだりしていたら…)
故郷の家が何処にあったか、今よりも「覚えている」かもしれない。
学校の授業が終わった放課後、友達を誘って、一緒に家まで帰っていたら…。
(途中でどんな話をしたのか、何があったか、忘れちゃったら…)
成人検査の後に再会した時、話が噛み合わないことになる。
友達の方は「あそこの店に寄り道をして…」と言っているのに、店の記憶が無いのでは駄目。
(公園に寄ったりしていても…)
その時の記憶は必要になるし、歩きながら「あそこに、ほら!」と指差し合って…。
(見上げたビルとか、覚えていないといけないわけで…)
機械は「そうした記憶」を消さずに、「残しておく」。
つまりは、それを繋いでいったら、家までの道が出来上がる。
学校から歩いて帰る途中に、店があって、公園があって、見上げたビルの外観も…。
(ちゃんと記憶にあるんだものね…)
繋ぎ合わせれば道は出来るし、その道は家の玄関先まで、きっと繋がるのに違いない。
そうだったかも、と愕然となって、「今の自分」を振り返ってみた。
学校を出て、家に着くまでの道筋などは「覚えていない」。
家まで空を飛んだかのように、何も記憶は「残ってはいない」。
けれど、友達と一緒に帰っていたなら、一本の線を描けたのだろう。
「学校を出たら公園があって、公園までの間に店があって…」といった具合に。
高層ビルの谷間を歩く間も、見覚えのあるビルが幾つも、幾つも。
それらを見上げて、友達と話して、やがて「シロエの家がある」高層住宅に辿り着く。
友達とエレベーターに乗り込み、家がある階まで上がっていって…。
(ただいま、って玄関を開けて入ったら…)
母が笑顔で「おかえりなさい」と迎えただろうか、友達の方には「いらっしゃい」と。
それから「ちょうどブラウニーが焼けた所よ、おやつにどうぞ」と用意してくれる。
記憶の中に今も残っている、懐かしいテーブルの上にお皿を並べて。
「飲み物は、何がいいかしら?」と、カップやグラスも出して来てくれて。
(…ママの笑顔も、きっと今より、ずっと鮮やかで…)
欠けたりなんかはしていないかも、と「友達」の視点を意識する。
いつか「友達」と再会した時、その友達が母の話を持ち出したならば、顔も重要。
「お前のお母さん、笑顔がとっても優しくってさ…」と「友達」は「覚えている」筈だから。
(…きっと目の色も、今のぼくは忘れていなくって…)
友達が「綺麗な色の目だったよな」と口にした時、「うん、海の色」などと相槌を打つ。
「覚えてないんだ」では、まるで話になりはしないし、忘れることは無かっただろう。
母の瞳が海の青色だったか、明るい茶色か、「シロエ」と同じ菫色だったか。
(……うん、絶対に……)
忘れてなんかはいなかった、と思いはしても、友達を家に招くようでは、そんなシロエは…。
(…シロエだけれども、シロエじゃなくて…)
ネバーランドに行きたくて頑張るような子供じゃないよ、と分かっているから、悲しくなる。
両親の記憶がどんどん薄れて消えていっても、この道しか「シロエ」は歩めないから。
「友達がいたなら」残る記憶も、「シロエ」は持っていないから。
(……パパ、ママ……)
ぼくは覚えていたかったのに、と涙が頬を伝ってゆく。
「どうして覚えていられないの」と、「忘れないで済む人も、大勢いる筈なのに」と…。
友達がいたら・了
※シロエは友達がいそうにないんですよね、子供時代にも。友達よりも両親が好きで。
もしもシロエに友達がいたら、両親の記憶も、家の記憶も残りそう。友達と話す時のために。