忍者ブログ

(……また……)
 呼ばれたんだ、とシロエは溜息をついた。
 何度も此処で眠ったけれども、未だにまるで慣れないベッド。
「どうしましたか?」
「…なんでもありません」
 大丈夫です、とプイと顔を背けて、ベッドから下りた。
 こんな所に長居などしたくないのだから。
 マザー・イライザの顔も姿も、おぞましいとしか思えない。
 いくら故郷の母の姿でも、所詮は機械が作る幻影。
 これに親しみを覚える者たち、彼らの心が分からない。
 「ママにそっくり!」とか、「恋人の姿に似ているんだ」とか、誰もが喜ぶ。
 この部屋にコールされた時には、しょげていたって。
 「また失点だ」と嘆いていたって、マザー・イライザに会えば笑顔が戻る。
 部屋のベッドに横たわる内に、機械が「治療」を施すから。
 心に溜まった悩みや怒りを、解いて「平穏」へと導くから。
(……ぼくだって……)
 きっと何かで苛立ち、心が乱れたのだろう。
 だから呼ばれて「治療」を受けて、たった今、それが終わった所。
 もう心には「悩み」など無いし、激しい怒りも残ってはいない。
 けれども、それが問題だった。
(……マザー・イライザ……)
 またしても機械に弄ばれた、と憎しみの炎が噴き上げる。
 機械に心を弄られるなどは、御免なのに。
 何処も触って欲しくないのに、マザー・イライザは「それ」を施す。
 こうしてコールで呼び出してみては、「眠りなさい」と深く眠らせて。
 機械の力で意識を分離し、勝手にあちこち覗いた末に。


 「母の姿」にクルリと背を向け、ただ乱暴に歩き始めた。
 大理石の像が立つ部屋を突っ切り、扉へと。
 扉の向こうの、広い通路へと。
(…もう、こんな時間…)
 夜になってる、と腕の時計を覗き込む。
 今日の「治療」は、相当に長い時間がかかっていたのだろう。
 コールを受けた原因自体は、全く思い出せないけれど。
(……いつものことさ……)
 成績不良で呼ばれるわけじゃないんだから、と唇を噛む。
 多くの生徒が呼ばれる理由は、成績不良や「講義についてゆけない」こと。
 要は「勉強に身が入らない」のを、マザー・イライザが咎めるだけ。
 けれど「成績優秀」なのに「呼ばれる」自分の場合は違う。
 コールに繋がるのは「素行不良」で、システムにとっては「望ましくない」何か。
 SD体制そのものについての、批判だとか。
 成人検査を憎み続けて、今も許していないこととか。
(……今日も、その辺だろうけど……)
 直接の原因が何だったのかは、どう頑張っても手がかりすらも掴めない。
 これが機械のやり方だから。
 コールされる度、「大切な何か」を奪われ、消されてゆくのだから。


 今日も同じだ、と足音も荒く戻った部屋。
 マザー・イライザが何を奪ったか、どんな記憶を消し去ったのか。
 そちらの方も気になるけれども、もっと怖いのが「副作用」。
 機械がそれを意図しているのか、「副作用」かは不明だけれど。
(……また何か……)
 残っていた記憶を消されただろう、という確信。
 故郷から抱えて持って来た記憶、辛うじて残っている断片。
 コールの度に、欠片が一つ消えてゆく。
 酷い時には、二つも三つも無くなったりする。
 機械が与える「心の平穏」、それと引き換えに失う記憶。
 その「からくり」に気付いた時から、余計に機械を許せなくなった。
 E-1077で生きる間は、「コール」に対する拒否権は無い。
 無視して部屋にこもっていたなら、職員が引き摺り出しに来る。
 まだ、そこまではやっていないのだけれど。
 それほど酷く反抗したなら、きっと「ただでは済まない」から。
 「治療」が終わって目覚めた時には、一切が消えているかもしれない。
 呼ばれた理由も、故郷の記憶も、何もかもが。
 反抗心の欠片も失くして、「従順なシロエ」になるかもしれない。
 コールの前まで馬鹿にしていた、「マザー牧場の羊」になって。
 他の候補生たちと全く同じに、マザー・システムに従順になって。
(……ぼくが突然、そうなったって……)
 誰も疑問を抱くことなど無いのだろう。
 記憶処理など当たり前だし、不審に思う者などは無い。
 そして「自分」も何の疑問も抱くことなく、周囲に溶け込み、それっきり。
 両親も故郷も全て忘れて、いつか行けるだろう地球を夢見て。
 メンバーズに選ばれる時を目指して、勉強と訓練に打ち込み続けて。


(…そんな人生、御免だよ)
 ぼくは絶対に忘れない、とマザー・イライザへの怒りは消えない。
 機械が何を消したにしたって、この屈辱を忘れはしない。
 「消されたのだ」と自覚があったら、憎しみも恨みも募るだけ。
 たとえ機械が何を消そうと、「機械に対する怒り」が心に残っていたら。
(……でも……)
 今日も「大事な何か」を消されて、曖昧になっているだろう記憶。
 両親の顔が更におぼろになったか、故郷の家が霞んでいるか。
 奪われた記憶は、どう足掻いたって、けして戻っては来ないけれども…。
(…ぼくは何もかも、忘れたりしない…)
 欠片しか残っていなくたって、と開けた引き出し。
 其処には「故郷」が入っている。
 懐かしい両親も、その中にいる。
(……ピーターパン……)
 たった一つだけ、故郷から持って来られたもの。
 子供のころから大事にしていた、両親に貰ったピーターパンの本。
 それを開けば、今でも故郷へと飛べる。
 両親の顔がぼやけていたって、家の住所を忘れていたって。
 「あの家で、本を読んでいたシロエ」が「育って、此処にいる」のだから。
 今も「シロエ」は「シロエ」なのだし、ピーターパンの本も変わらない。
 機械が何を消してゆこうと、本がある限り、大丈夫。
 手にしてページを繰っていったら、両親の声が蘇るから。
 故郷の家で座った床やら、寝転がったソファも思い出すから。


 コールされたら、ピーターパンの本を読む。
 それが習慣になったけれども、何故だか、今日は見当たらない。
(あれ…?)
 引き出しに入れていなかったっけ、と慌てて周囲を見回してみる。
 広い机の端から端まで。
 部屋の書棚も目で追っていって、それから側に出掛けて捜した。
 「ピーターパン」の背表紙を。
 幼い頃から馴染んだ本だし、タイトルが無くても「見ただけで」分かる。
 それなのに、本が見付からない。
 部屋中の、何処を捜しても。
 「こんな所には、入れやしない」と思う場所まで探ってみても。
(……何故……?)
 どうして見付からないんだろう、と増してゆく焦り。
 E-1077に泥棒などはいないし、第一、個室に他の生徒は立ち入れない。
 そういう規則で、もしも踏み込む者がいたなら…。
(候補生じゃなくて、職員だとか…)
 教官やら、保安部隊の者やら、そういった「大人」だけになる。
 彼らが部屋に入ったのなら、そして「ピーターパンの本」が無いなら…。
(……処分された……?)
 まさか、と冷えてゆく背中。
 マザー・イライザが命じただろうか、「あの本を処分しなさい」と。
 「ピーターパンの本」を持ったシロエは、何処までも反抗的だから。
 何度コールを受けても懲りずに、システム批判を繰り返すから。
 そうして噛み付き続ける「シロエ」が、何を頼りにしているのか。
 心の拠り所は何になるのか、マザー・イライザなら「知っている」。
 コールの後で部屋に戻れば、広げるピーターパンの本。
 「まだ大丈夫」と、「覚えている」と、心だけを遠い故郷へ飛ばせて。
 子供時代の消された記憶にしがみついては、「忘れやしない」と誓い続けて。
 マザー・イライザは、当然、気付いているから、「ピーターパンの本」を消しただろうか。
 二度と「シロエ」が手に取れないよう、盗み出させて、処分させて。


「……嫌だ……!!」
 返して、と叫んだ自分の悲鳴で目が覚めた。
 じっとりと肌に寝汗が滲んで、薄暗がりの中で瞬きをする。
(……夢……?)
 夢だったのか、と周りを探ってみた手に、伝わって来た「本」の感触。
 そういえば、寝る前に読んだのだった。
 遠い故郷に思いを馳せて、「ピーターパン」を。
 夢の中で故郷へ飛んでゆけたら…、と枕元にそっと本を置いて寝た。
(…ぼくの本…!)
 まだ此処にある、と大切な本を抱き締める。
 この本を失くしてたまるものかと、「マザー・イライザにも奪わせない」と。
(……もし、本当に処分されたら……)
 憎い機械を許しはしないし、生涯かけて憎み続ける。
 地球の頂点に立つ日を待たずに、クーデターさえ起こすかもしれない。
 「今が勝機だ」と思ったら。
 勝算があると踏んだ時には、海賊どもを味方に引き入れてでも。
(…ぼくは、絶対に許さない…)
 これ以上、ぼくから奪わせはしない、と本を抱き締めて心に誓う。
 マザー・イライザが何をしようと、「シロエ」は「けして、従わない」と。
 大切な本を奪い去られても、けして機械に屈しはしない。
 こんな夢さえ見てしまうほどに、「過去」を大事にしているから。
 機械が何を消してゆこうと、「シロエ」そのものは「消せはしない」と思えるから…。

 

          何を消されても・了

※ピーターパンの本をシロエが持っているのも不思議ですけど、持っていられるのも不思議。
 何処かで処分されそうなのに、と思った所から出来たお話。シロエが見た悪夢。










拍手[0回]

PR

(……サム……)
 やはり今日も、私は「赤のおじちゃん」だったか…、とキースは深い溜息をつく。
 国家騎士団総司令のための個室で、夜が更けた後に。
 昼間は、サムの見舞いに出掛けた。
 マツカやセルジュもついて来たけれど、「此処まででいい」と人払いをして。
 サムの前では、「ただのキース」でいたい、と今も思っているから。
 けれど、分かってくれないサム。
 「赤のおじちゃん!」と懐いてくれても、「キースの友達」にはなってくれない。
 正確に言うなら、「戻ってくれない」。
 遠い昔に、サムの方から「友達」だと言ってくれたのに。
 「友達とは、大切なものなのか?」と問うた自分に、「当然だろう!」と返したのに。
 E-1077で過ごした頃には、サムが最初の「友達」だった。
 そのサムの幼馴染だった縁から、スウェナ・ダールトンという友人も出来た。
 きっと「シロエ」とも、機械が間に挟まらなければ、いい友になれていたのだろう。
 シロエが「Mのキャリア」であろうと、そんなことなど、どうでもいい。
 現に今では、「ミュウのマツカ」を側近にしているのだから。
 口では何と言っていたって、「人類もミュウも、人間なのだ」と思うから。
(……今の私を構成している、この考え方は……)
 恐らく、サムから貰ったもの。
 マザー・イライザに「その気」が無くても、サムに教えて貰った「友情」。
 「ヒトとしての心」も、サムから学んだ。
 友達というのは、どうあるべきか。
 真の友なら、友に対して見返りなど求めないことも。


 そうやって共に、四年の間をサムと過ごした。
 E-1077を卒業する時に、道が分かれてしまったけれど。
 サムはメンバーズに選抜されずに、「ただのパイロット」の道に進んで。
 メンバーズを乗せる宇宙船さえ、操縦できない「ただのパイロット」。
 それきり、交わらなかった「道」。
 サムとは出会う機会も無いまま、十二年もの時が流れた。
 けれども「サム」を忘れなかったし、「いつか会える」と思ってもいた。
 どんなに宇宙が広かろうとも、バッタリと。
 任務で出掛けた先の星だの、宇宙に散らばる中継用のステーションだので。
(……また会えるのだ、と思っていたから……)
 多忙な任務に忙殺されて、サムとの連絡は途絶えたまま。
 「便りが無いのは元気な証拠」と、遥か昔の人間たちが言った通りに思い込んで。
 実際、サムは「元気」ではいた。
 ジルベスター星系での事故に遭うまで、病気一つせずに宇宙を飛んで。
 チーフパイロットには、まだ手が届かなくても、副操縦士としては「一人前」に。
(……そのサムを、ミュウどもが壊してしまった……)
 具体的には、何があったか分からない。
 船の記録は消されていた上、ジョミー・マーキス・シンにも「尋ねてはいない」。
 あまりにも腹立たしかったから。
 「幼馴染だった、サム」を壊した輩に、尋ねたいとは思わなかった。
 何を思って「そうした」のかは。
 「サムだと知らずに」やったにしたって、サムは「キースの友達」だから。
 その昔には「ジョミーの友」でも、今では違う。
 サムが持っていた「最後の友達」、それを名乗れるのは「キース・アニアン」ただ一人だけ。
 E-1077を後にしたサムは、「いつも一緒」の「友達」は持たなかったから。
 宇宙を飛び回るパイロットの身では、友が出来ても、「ただの友達」。
 出会えば一緒に食事をしたり、酒を飲んだり、そういった程度。
 人のいいサムは、大勢の「友」に好かれていても。
 彼が属していた基地などには、多くの「知人」や「友達」がいても。


 サムの方でも、きっと「キース」を同じに思ってくれていたろう。
 「一番の友達」と言えば「キース」で、「何処かで会えれば、いいんだがな」と。
 思いやり深い人柄だけに、自ら訪ねて来なかっただけで。
(…サムと違って、私は目立っていたのだから…)
 メンバーズになった「キース」のニュースは、サムの耳にも入ったと思う。
 何処の星でどういう武勲を立てたか、どんな異名で呼ばれているか。
(……冷徹無比な破壊兵器に、「友達」が会いに現れたなら……)
 マイナスの評価になりかねない、とサムならば、きっと考える。
 「俺は会わない方がいいよな」と、「キースの評価」だけを思って。
 偶然、再会するならともかく、「会いに行ってはいけない」と。
 サムの方から来てくれていたら、心から歓迎したのだろうに。
 周りが何と考えようとも、食事に誘って、泊まるホテルも用意したろう。
 「せっかくだから、ゆっくりして行ってくれ」と。
 「今夜は、夜通し語り合おう」と、酒を片手に昔語りをしたりもして。
 サムが「シロエ」を忘れていたって、語り合える話題はいくらでもある。
 メンバーズの任務は明かせなくても、愚痴だって聞いて貰えただろう。
 なにしろ、相手は「サム」なのだから。
 「…任務のことは、俺には分からねえけど…」と苦笑しつつも、相槌を打って。
 出世のことしか考えない上司や、足の引っ張り合いばかりの世界のことも。
(……そういう話が、サムと出来ていたら……)
 どれほど豊かな人生だったか、恵まれた日々を送れたことか。
 残念なことに、「それ」に自分が気付いた時には、「サム」は何処にもいなかった。
 ジルベスターでの事故で、心が壊れてしまって。
 すっかり子供に返ってしまって、「キース」を忘れ去ってしまって。
 今のサムにとっては、「キース」は親切な「赤のおじちゃん」。
 友達だなどと思いはしないし、「ずっと年上の大人」なだけ。
 「大人ばかりの病院」で暮らす、「可哀相な子供」と遊んでくれる「優しい人」。
 もっとも「サム」には、両親がいるらしいけれども。
 いつ訪ねても、「父さんが…」「ママが」と、両親の話を聞かされるから。


(……サムが、元通りになってくれたら……)
 どんなに頼りになることだろう。
 ジョミー・マーキス・シンのことなど、抜きにして。
 「ミュウの長との、ツテが欲しい」と思いはしない。
 そんなツテなど頼らなくても、ミュウどもの始末は自分でつける。
 モビー・ディックごと焼き払うにしても、何処かの星ごと砕くにしても。
(…任務のことで、頼るつもりは無いのだが…)
 友達としての「サム」がいたなら、「マツカ」のことを明かしただろう。
 「実はな…」と、「マツカの正体」を。
 人類の形勢が不利になっても、「マツカ」は最後まで残ろうとする。
 そうなった時にどうすればいいか、サムなら一緒に考えてくれた。
 「俺の船で、何処かに逃がしてやるか?」とも、言っただろう。
 民間船なら、ミュウが陥落させた星へも、飛んでゆくことがあるのだから。
 「ついでにだったら、乗せてやれるぜ」と、「乗せるための手段」も講じてくれて。
 なんと言っても「サム」だから。
 「みんな、友達!」と笑んだサムなら、「マツカ」とも、きっと「友達」になれた。
 マツカも「サム」の言うことだったら、多分、聞き入れたのだろう。
 ミュウとの最終決戦を前に、「何処かに逃げろ」と命じても。
 「キース」の命令には従わなくても、「サム」がマツカに勧めたら。
 「そうした方が、キースも安心なんだ」と、横から言葉を添えてくれたら。
(……私も、サムが操縦してゆく船ならば……)
 安心してマツカを任せられたし、心残りは無かっただろう。
 決戦の場に一人残った「キース」に、もう「友達」はいなくても。
 サムもマツカも「安全な場所」へと飛び去って行って、一人きりでの戦いでも。
(…サムたちが、無事でいるのなら…)
 たとえ負け戦だと分かっていたって、心は自然と凪いでいた筈。
 「私は、やるべきことは、やった」と。
 人類の指導者として作られた責務を、「最後まで果たし抜くのみだ」と。


 そう、「作られた生命」なことも、「サム」ならば聞いてくれたのだろう。
 逃げ場を持たない運命のことも、歩まされるしかない人生のことも。
(…お前の記憶が無かった理由は、それなのかよ、と…)
 ただそれだけで、「サム」は済ませてくれたろう。
 「機械が無から作ったキース」を、少しも気味悪がったりはせずに。
 「俺たちとは違う人間なんだ」と、偏見の目を向けることなく。
(……お前も災難だったよな、とでも言ったのだろうな……)
 「友達だった」サムならば。
 今でもサムが、「友達」のままでいてくれたなら。
(……私は、友を失った……)
 サムは今でも「友」だけれども、一方的に「友達」なだけ。
 「キース」にとっては「友」のサムでも、サムにとってのキースは「赤のおじちゃん」。
 友情の絆は繋がっていても、本当の意味での友情ではない。
 サムの目に映る「キース」の姿は、「赤のおじちゃん」でしかないのだから。
 おまけにサムは子供に戻って、「キース」を覚えていないから。
(……サムが、思い出してさえくれたなら……)
 この先の道も、心強く歩んでゆけるのだろう。
 ただ一人きりの戦場だろうと、サムもマツカも「逃げた」後でも。
 けれど、その日は「来てくれない」から、溜息が零れてゆくばかり。
 もう戻らない友を思って。
 何度見舞いに訪ねて行っても、「語り合えない」友が「今でも、友だったなら」と…。

 

          友と話せたら・了

※サムが「壊れていなかった」ならば、キースとの友情はどうなったかな、と考えただけ。
 きっと友達のままなんだろうし、色々なことが変わっていたかも、と。そういうお話。









拍手[1回]

(……ピーターパン……)
 思い出せないよ、とシロエの瞳から零れる涙。
 E-1077の夜の個室で、ただ一人きりで本を広げて。
 故郷から持って来た本はあるのに、忘れてしまった故郷のこと。
 この本をくれた両親の顔も、すっかりおぼろになってしまった。
 マザー・イライザにコールされる度、一つ、また一つと欠けてゆく記憶。
 ただでも消されてしまったのに。
 「目覚めの日」を迎えた、誕生日の日に。
 十四歳になった途端に、あの忌まわしいテラズ・ナンバー・ファイブに捕まって。
 「捨てなさい」と命じた機械の声。
 子供時代の記憶を捨てろと、それは「必要無いもの」だからと。
(…ぼくは「嫌だ」と言ったのに…)
 そんな言葉は、機械に届きはしなかった。
 抵抗する術さえ持っていなくて、無理矢理に奪い去られた全て。
 気が付いた時は、もう「故郷」にはいなかった。
 暗い宇宙を飛んでゆく船に、乗せられていて。
 膝の上にあったピーターパンの本だけを除いて、何もかも全部失って。
(……この本は此処にあるけれど……)
 それ以外に何も持ってはいない。
 子供時代に好きだった物も、懐かしい故郷の風や光も。
 大好きだった両親でさえも、会えないどころか「顔を忘れた」。
 どんなに思い出そうとしたって、あちこちが欠けてしまっていて。
 目鼻立ちさえ定かではなくて、瞳の色さえ分からなくて。
(……ピーターパンの本は、変わらないのにね……)
 記憶にあるのと、何処も違っていない本。
 表紙も挿絵も記憶そのまま、そっくり同じなピーターパンやティンカーベル。
 何処も欠け落ちたりはしないで。
 おぼろにぼやけてしまいはしないで、鮮明なままで。


 だから余計に苦しくなる。
 辛くて、たまらなくもなる。
 「この本は、此処にあるのに」と。
 ピーターパンの本が残っているなら、もっと他にも欲しかったのに、と。
(…この本も、とても大切だけど…)
 故郷のことを覚えていたなら、どれほど嬉しかっただろう。
 大好きな両親の記憶が残っていたなら、どんなにか心強かったろう。
 こうして本が残っているより、その方が余程、良かったと思う。
 ピーターパンの本は失くしても。
 目覚めの日に「家から持って出掛けて」、それきり二度と見付からなくても。
(……目覚めの日には、荷物は持って行けない決まりで……)
 学校でもそう教えられたし、両親も「その日の朝」になってから注意した。
 「荷物を持って行っては駄目だ」と、温厚だった父も、優しかった母も。
 けれど、従わなかった自分。
 「邪魔になるなら、検査の間は何処かに置くよ」と。
 成人検査とは何かも知らずに、健康チェックのようなものだと勘違いして。
(荷物は検査の邪魔になるから、持って行くな、って…)
 きっとそういう意味なのだ、と考えたから「宝物の本」を持って出掛けた。
 目覚めの日を迎えて旅立つ子供は、家には帰って来られない。
 次に両親に会える時には、四年以上経っているだろう。
 教育ステーションで学ぶ期間は、四年間。
 少なくとも「それ」を終えない間は、故郷に帰ることは出来ない。
 だから「思い出」が欲しかった。
 両親と一緒に行けないのならば、大切にして来た「ピーターパンの本」がいい。
 父が「パパも昔、読んだな」と笑顔になった本。
 母に何度も「シロエは本当に、その本ばかり読んでいるのね」と笑われた本が。
 そう思ったから、鞄に詰めて家を出た。
 「この本と一緒に行けばいいや」と、未来への夢を心に抱いて。
 ネバーランドよりも素敵な地球に行こうと、いい成績で成人検査を通過しようと。


 なのに、失くしてしまった「全て」。
 ピーターパンの本だけを残して、他はすっかり消し去られた。
 まるで「最初から無かった」ように。
 両親も故郷も、何もかもが儚い夢だったように。
(……本だけは残ってくれたけど……)
 他を覚えていないのだったら、この本も「辛い思い出」になる。
 幸せだった頃の微かな記憶は、ピーターパンとセットだから。
 「ネバーランドに行こう」と夢を見たことも、その夢が「地球」に繋がったのも。
(……パパが話してくれたんだよ……)
 地球は素敵な場所なのだ、と。
 「シロエなら行けるかもしれないぞ」と、「地球」という言葉を教えてくれて。
 憧れの「地球」には近付いたけれど、代わりに失くしてしまったもの。
 最高学府のE-1077には入学できても、「子供時代」は戻って来ない。
 四年が経って卒業したって、メンバーズの道が待っているだけ。
 故郷は思い出せないままで。
 両親の顔すら忘れ去ったままで、「次の段階」へと進むだけ。
 機械は記憶を、「けして返してくれない」から。
 いつか機械に「ぼくに返せ」と命じる時まで、記憶は戻ってくれないから。
 メンバーズに選ばれ、任務で故郷の星に行っても、家には帰れないのだろう。
 「何処にあったか」、住所も忘れてしまったから。
 残っている高層ビルの記憶も、外観などが曖昧だから。
(…ピーターパンの本にも、家の住所は…)
 何処を探しても書かれてはいない。
 ネバーランドへの行き方だったら、消えずに本の中にあるのに。
 「二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ」と、記憶の中にも。
 そんな記憶より、「家の住所」が欲しかったのに。
 ピーターパンの本だけを持っているより、両親や故郷を忘れないままでいたかったのに。


(……この本があるから……)
 自分は「シロエ」でいられるけれども、それは苦しいことでもある。
 過去を手放さずに生きてゆくことは、此処では「良し」とされないから。
 成長とは「過去を捨て去ること」で、SD体制の時代のシステムの要。
 「過去にしがみつく」ような者は異端で、周りから脱落してゆくだけ。
 誰も「過去」など求めないから。
 苦しみもがいて縋り付かずに、未来へと歩むだけだから。
(…ぼくは間違えちゃったんだろうか…?)
 あの日の朝に、「ピーターパンの本」だけを持って出掛けたことで。
 禁止されていた筈の「荷物」を、一つだけ持っていたことで。
(もしも、この本が無かったら…)
 記憶はすっかり書き換えられて、別の「シロエ」がいたのだろうか。
 E-1077という場所に馴染んで、メンバーズの道を目指す「シロエ」が。
 両親も故郷も忘れてしまって、過去に執着したりはしないエリートが。
(…そうなっていたら、楽だった…?)
 きっとそうだ、と分かっているから辛くなる。
 「そんな道」など、鳥肌が立つほどおぞましくても。
 「全てを忘れてしまったシロエ」に、なりたいと思いはしなくても。
 そうなれる道は「あった」のだから。
 本を持たずに家を出たなら、きっと「忘れていた」だろうから。
(…この本を持って出てたって…)
 機械の力が強かったならば、全てを忘れ去っただろう。
 抗い、「嫌だ」と抵抗したって、テラズ・ナンバー・ファイブに負けて。
 ピーターパンの本は残っていたって、「それが何か」は分からなくて。
(…ステーションに行く、宇宙船の中で…)
 消えていた意識が戻って来たなら、自分は首を傾げたろうか。
 膝の上にある本を眺めて、「この本は、何?」と。
 『ピーターパン』と書かれたタイトルを読んで、パラパラめくってみたのだろうか。
 その本が何の役に立つのか、意味はあるのかと考えながら。


 そういうことになっていたなら、「ピーターパンの本」は、どうなったろう。
 「シロエ」の記憶に、本が残っていなかったなら。
 何度も触って確かめてみても、どうして本を持っているのか、全く覚えていなかったら。
(…きっと、みんなに訊いて回って…)
 教官や職員たちにも尋ねて、その果てに得る答えは「こう」。
 「ピーターパンの本」は、ただの『ピーターパン』というタイトルの「本」なのだ、と。
 E-1077で使う教科書でもなく、参考書でもない「子供向けの本」。
(…そうなんだ、って分かったら…)
 全てを忘れてしまった「シロエ」は、「ピーターパンの本」を捨ててしまっただろう。
 「こんな本なんか持っていたって、何の役にも立たないよ」と。
 それが自分の「宝物」だったとも知らないで。
 「これだけは持って出掛けないと」と、規則を破って持ち出したことも思い出さずに。
(……そんなこと……)
 ピーターパンの本を捨てる「シロエ」は「ぼく」じゃない、と震える肩。
 それは「シロエ」とは違うシロエで、まるで全く「別の人物」。
 そうは思っても、楽な道ではあったろう。
 今の自分がそうなったように、涙が零れる夜などは無くて。
 いつか行けるだろう「地球」を励みに、講義や訓練に打ち込み続けて。
 そうやって目指す「素敵な地球」が、「ネバーランドよりも素敵な場所」とは気付かずに。
 誰が自分に「地球」を教えたのか、それさえも微塵も考えないで。
(……そうなってしまうのと、今のぼくと……)
 どっちが良かったんだろう、と「ピーターパンの本」を見詰めて考える。
 答えは、いつも一つだけれど。
 「忘れるよりは、今の方がいい」と。
 どれほど苦しく辛い道でも、過去をすっかり失くすよりは、と…。

 

           本があるから・了

※ピーターパンの本が好きだった記憶は「残っている」のがシロエですけど。
 大事に持って来た本はあっても、肝心の記憶が無かったら…。何の本かも謎ですよね。









拍手[1回]

(…………)
 ああ、とキースは「彼ら」を眺めた。
 今日も「その時間」がやって来たのだろう。
 強化ガラスの壁の向こうに、研究者たちの姿が見える。
 水槽を満たした大量の水と、透明なガラスの壁を通して。
 白衣を纏った一人の男が、水槽を向こう側から叩く。
 まるで何かの合図のように、拳で軽く、コツン、コツンと。
(…………)
 こちらは「見ている」ことしか出来ない。
 周りに満ちた人工羊水、それの中では話せはしない。
 口を開けても声は出せなくて、羊水が喉に、更に奥へと入り込むだけ。
 もっとも肺まで入った所で、咳き込んだりはしないけれども。
 「羊水の中で生きている」だけに、肺で呼吸はしていないから。
 我ながら奇妙な生き物だと思う。
 どういう仕組みで生きているのか、羊水の中で何故、生きられるのか。
 胎児の時代ならばともかく、本来ならば、とうに「生まれた」後の肉体。
 人工子宮から外に出されて、自分の肺で呼吸をして。
 臍の緒から栄養を得たりはしないで、口から栄養素を摂って。
(……その臍の緒も……)
 私には無いな、と改めて思う。
 あるのは自分の身体一つで、水槽の中に浮いているだけ。
 何処にも管など繋がっておらず、衣服さえも身に着けてはいない。
 「生まれ出る時」を先延ばしにされ、もう胎児ではないというのに、胎児そのもの。
 これは「そういう実験」だから。
 三十億もの塩基対を機械が合成した上、それを繋いでDNAという名の鎖を紡ぐ。
 「自分」は「無から作られた」もので、「その日が来るまで」水槽で育つ。
 外の世界とは、何の繋がりも持たないままで。
 生きてゆくための栄養も、呼吸も、知識さえも機械に与えられて。
 いつか「理想の指導者」となるよう、進められているプロジェクト。
 「キース」が立派に完成するまで、極秘の内に。


 日々は水槽の中で過ぎてゆくだけで、何の会話も感慨も無い。
 ただ、ぼんやりと浮いているだけ、こうして外を眺めているだけ。
 「…今日も、そういう時間なのか」と。
 「キース」の成長具合を見るべく、研究者たちが訪れる時間。
 何かの記録をつけている者や、水槽を見上げて話し合っている者たちもいる。
 いつも水槽を叩く男は、このプロジェクトのリーダーだろうか。
 決まったように二回、「コツン、コツン」と叩いてくる。
 「キース」の反応を見るように。
 何も答えは返らなくても、きっと「何かが分かる」のだろう。
 表情さえも変わらなくても、水槽の中で動くわけではなくても。
 何故なら「彼らが作った」から。
 機械が作った生命とはいえ、育ててゆくには人の手も要る。
 「この生命」を維持してゆくには、膨大な作業が必要な筈。
 強化ガラスの水槽にしても、マザー・イライザに「作れはしない」。
 作れたとしても、「作るために必要だった機械」は、全て人間が用意したもの。
 注文通りの部品を揃えて、必要な機材の準備もして。
 何より、欠かせない「材料」。
 水槽用の強化ガラスも、中に満ちている人工羊水も、ステーションでは調達できない。
 マザー・イライザは「注文しただけ」、それ以上のことは何も出来ない。
 E-1077を支配してはいても、所詮は機械なのだから。
 このステーションから動けはしなくて、手足のように使っているのも「機械の一部」。
 だから「キース」を作り出すには、「人の手」もまた欠かせない。
 DNAを紡ぐ以前の時点で、塩基対を合成するための素材集めに使われた「人」。
 そうして「キース」の形が出来たら、今度は生命の維持を助ける。
 マザー・イライザには、出来ない部分をサポートして。
 人工羊水の浄化システムやら、様々なものをチェックして。
 「研究者たち」も、やはり「キースを作った」者。
 最高の国家機密に関わり、E-1077に留まり続けて。
 幾つもの失敗作から学んで、「完成品」の「キース」を作り上げるために。


 なんという「生まれ」なのだろう。
 まだ「生まれてはいない」けれども、いずれ此処から「生まれる」命。
 「キース・アニアン」が成長し切った暁には。
 一日に一度、水槽を叩きに来る研究者が、「これでいい」と判断した時に。
 マザー・イライザの注文通りに、「理想の子」が出来上がったなら。
 外に出すべき時が来たなら、「キース」は水槽の外に出される。
 自分の肺で呼吸を始めて。
 栄養は口から「食べ物」で摂って、大人に成長してゆくように。
(……私は、そのように作られたから……)
 そのようにしか生きてゆけないのだな、と分かってはいる。
 研究者たちが話す声さえ、この耳で聞いたことは無い。
 彼らの名前を知りもしないし、水槽を叩く意味も知らない。
(……明日になったら、また来るのだろう)
 今日と全く同じことをしに。
 水槽をコツン、コツンと叩いて、何かのデータを記録したりして。
 いつまでそうした日が続くのか、それさえも「自分」は知らないのに。
 こうした「生まれ」が不自然なことも、まるで知らずに浮いているのに。
(……まるで知らない……?)
 違う、と聞こえた心の声。
 自分は「全てを知っている」から、こういう考え方になる。
 けれども、それを何処で聞いたか、誰が自分に教えたのか。
 ただ「浮いているだけ」の生命体には、それは不要な知識だろうに。
 水槽から出される前の「キース」に、教えても意味は無いのだろうに。
(…何故だ?)
 どうして私は知っているのだ、と冷えてゆく背筋。
 表情さえも変わっただろうか、研究者たちが騒ぎ始めた。
 水槽の方を指差して。
 色々な計器を確認しながら、まるでパニックに陥ったように。
 彼らの唇から読めた言葉は、こうだった。
 「失敗作だ」と、「直ちに処分しなければ」と。


(失敗作…!?)
 それに処分とは、と思った途端に、ゴボリと立ち昇った泡。
 水槽の中の照明が落ちて、暗闇の中で息が出来なくなった。
 そう、「人間」が溺れるように。
 水の中では、呼吸など出来る筈もないから。
(……私を処分しようというのか…!?)
 何故、と苦しむ時は長くは続かなかった。
 サンプルにしようとしたのだろうか、苦悶の表情を浮かべないよう、注入された何かの薬物。
 ただ陶然となった所で、意識は薄れて消えてしまった。
 「キース」の命は終わったから。
 新しい「キース」を作り出すべく、別の生命が用意されるから。
(……馬鹿な……!!!)
 私が「キース・アニアン」なのだ、と上げた悲鳴で目が覚めた。
 国家騎士団総司令の部屋で、夜の夜中に。
 夜明けにはまだ遠い時間に、いつもと同じベッドの上で。
(……夢だったのか……)
 ならば分かる、と思う「あれこれ」。
 水槽の中に浮いていてさえ、自分の生まれを知っていたこと。
 「キース」という自我を持っていたことも。
(…私は全てを知っているからな…)
 E-1077を処分した時、フロア001で見て来た「全て」。
 自分は何処から「作り出された」のか、どういう生命体なのか。
 それを作った目的も。
 人類の理想の指導者たるべく、様々な準備がなされたことも。
 ミュウの長との接触があった、サムやスウェナといった友人。
 それにミュウ因子を持った少年、セキ・レイ・シロエ。
 「水槽から外に出された後」にも、まだプロジェクトは続いていた。
 研究者たちは「消された」けれども、マザー・イライザが引き継いで。
 「これから先は、機械でも充分、導いてゆける」と、計算ずくで。


 そうして「生まれた」キース・アニアン。
 今は国家騎士団総司令だけれど、いつかは国家主席になる。
 マザー・イライザよりも上の機械が、そう決めたから。
 宇宙を支配するグランド・マザーが、そのためのレールを敷いているから。
(…何もかも、人類のためなのだがな…)
 その「私」が処分される夢か、と今の悪夢を思い出す。
 珍しく寝汗さえかいているから、下手な戦場よりも酷かった夢。
 「自分」が処分されるなど。
 「失敗作だ」と断言されて、サンプルにされてしまうなど。
(……なんという……)
 とびきりの悪夢というヤツだ、と額を押さえて、ふと気が付いた。
 本当に悪夢だったけれども、それが「現実」なら、どうだったかと。
 「キース」が処分されていたなら、その後は…、と考えてみて。
(…私があそこで処分されたら、次の「キース」の育成に…)
 十数年はかかるのだろうし、全ては変わっていただろう。
 サムもスウェナも「キース」に出会わず、幸せに生きていっただろうか。
 もしも「キース」に関わらなければ、サムの人生も別だった筈。
 E-1077などには来ないで、別の教育ステーションに行って。
(…養父母向けのコースに行ったら、パイロットになりはしないのだから…)
 ジルベスターでの事故に遭いはしないし、今も元気でいただろう。
 スウェナも平凡な道を歩んで、シロエも「マツカ」がそうなったように…。
(…誰にもミュウだとバレはしないで、私に撃墜されもしないで…)
 何処かの星で、エリートとして生きていたかもしれない。
 メンバーズにせよ、技術職にせよ、抜きん出た才能があったのだから。
(……さっきの夢は……)
 もしかしたら私の願望なのか、と「自分の心」に苦笑する。
 もしも「キース」が生まれなかったら、この後悔は、きっと無かった。
 失敗作として処分されていたなら、誰も巻き込みはしなかった。
 そう、「キース」さえいなかったなら。
 サンプルにされてしまっていたなら、サムもシロエも、きっと平和に生きられたのに、と…。

 

           水槽の悪夢・了

※いや、キースには水槽時代の記憶が微かにあるわけで…。こういう夢も見たかもね、と。
 もしも「処分される夢」を見たなら、その願望があったんだろう、というお話。

※pixiv 撤収後、初のUPになります。今後は、まったり。








拍手[1回]

「ったく…。ジョミーは、なんとかならないのかい?」
 まるで駄目じゃないか、と呆れ果てた顔をしているブラウ。長老たちが集った席で、お手上げのポーズを取りながら。
 今日の議題は、ソルジャー候補の「ジョミー」について。
 船に来て直ぐには何かと騒ぎを起こしたジョミーも、今はソルジャー候補ではある。毎日のように訓練に励み、サイオンを鍛えているのだけれど…。
「全く成果が上がりませんね…。本当に、どうすればいいのでしょう」
 エラも悩むのが、ジョミーの現状。ヒルマンもゼルも、ハーレイだって。
「…破壊力だけは、あるんじゃがのう…。如何せん、コントロールが出来ておらん」
「集中力に欠けているのだよ。しかし、こればかりは、教えてどうなるものでもないし…」
 ジョミーが自覚しないことには…、とヒルマンも考え込んでいる。「教授」と異名を取るほどの彼でも、ジョミーの指導は難しかった。「集中力」は「教えられない」だけに。
「困ったものだ…。ゲームのようにはいかないな」
 キャプテンの眉間に刻まれた皺が深くなる。これがゲームのキャラクターなら、戦闘などの数をこなせば、能力がアップしてゆくもの。集中力がモノを言うなら、それだって。
 ところがどっこい、「ジョミー」はゲームのキャラではない。集中力アップの戦闘は無いし、戦闘抜きでスキルアップなアイテムだって、存在しない。
 ゆえに「どうにもならない」のが今、ジョミーのパワーは破壊力だけ。
 ミュウの能力に覚醒した時、ユニバーサルの建物を半壊させた、あの力。それしか無い上、コントロールする能力さえ無い。トレーニングルームで「暴れる」だけのソルジャー候補。
「…こう、集中力がググンと上がるアイテムがじゃな…」
 この船にあればいいんじゃが、とゼルまでが現実逃避を始めた。「滅多に出ないレアもの」だろうが、それがあるならゲットする、などと、ゲームよろしく言い出して。
「ちょいとお待ちよ、集中力のためにガチャをするのかい、アンタ」
 やめておきな、とブラウが止めた。「課金は、お勧め出来ないよ」と、顔を顰めて。
 実はシャングリラにも、その手のゲームは存在していた。なにしろ娯楽の少ない船だし、ゲームの類は欠かせない。射幸心を煽るガチャにしたって、キッチリある。
「…分かっておるわい。ワシはガチャには向いてはおらん」
 システムを弄ってやらん限りは、ゴミしか引き当てられんでな…、とゼルは経験済みだった。船で人気が高かったゲーム、それのガチャで「すっかり」すってしまって。


「なんだって!? システムに細工をしたのか、ゼル!?」
 それはキャプテンとして許し難い、とハーレイが睨んで、暫くの間、バトルになった。やたらとメカに強いのがゼル、ゲームのシステムに細工したなら、セコすぎるから。
「じゃから、一度しかやっておらんわい! ガチャに細工なぞ!」
「一回だろうが、百回だろうが、やったことには変わらんだろうが!」
 もうギャーギャーと派手に喧嘩で、ブラウやエラは「我、関せず」と茶を啜っていた。ヒルマンも喧嘩を横目で見ながら、「小休止か…」と苦笑い。
 議題はジョミーの話からズレて、ガチャの確率がどうのこうのと、激しく低レベルな争い。ゼルに文句をつけたハーレイ、彼も直接システムを弄りはしなかったけれど…。
「同じ穴のムジナと言うんじゃ、それは! 当たりの確率を上げさせたなどは!」
「やかましい! あれはキャプテン権限だったし、正当なのだ!」
 船の仲間の士気を上げるのもキャプテンの役目、というのがハーレイの言い分。ガチャでレアものが当たる確率、それを期間限定でアップさせるのも仕事の内だ、と。
 シャングリラの中では数少ない娯楽、たかがゲームでも侮れない。期間限定でガチャの「当たり」が増えるのだったら、士気が高まる。
 「サッサと今日の仕事を終わらせて、ガチャをしないと」といった具合に。ゲームをプレイできる時間を確保しないと、ガチャをすることが出来ないから。
 現に劇的に高まるのが士気、機関部だろうと、農場だろうと。
 そのために「ガチャの当たりの確率を上げろ」と指示していたのが、キャプテン・ハーレイ。仕事には違いなさそうだけれど、ゼルにしてみれば…。
「そう言うお前も、たまにゲームをしておるじゃろうが! そこが問題じゃ!」
 ガチャに有利な期間だけではあるまいな…、というツッコミ。普段は「ゲームをやっていない」のに、有利な時だけ参戦するなら、「自分のために」ガチャを弄っているも同然、と。
「…うっ…。しかし、同じゲームをするのだったら、やはり有利に進めたいもので…」
「お前の仕事が暇な時を狙って、確率アップの期間を組むんじゃろうが!」
 このクズめが、とゼルが食って掛かって、ハーレイの方も負けてはいない。「私は、全財産をすってしまうほど愚かではない」と、「ガチャで全部すった」ゼルを詰って。
「すってしまって懲りた輩に、文句を言われる筋合いはない!」
「なんじゃと、公私混同のデカブツめが!」
 やる気か、とゼルがファイティングポーズを取った所へ、不意に思念が飛び込んで来た。
 『ガチャがいいだろう』と、青の間から。


「「「ガチャ?」」」
 それはいったい…、と止まったバトルと、茶を啜るのをやめたブラウたち。
 青の間から思念を飛ばす者など、このシャングリラには一人しかいない。青の間の主で、ミュウたちの長の「ソルジャー・ブルー」の他には、誰一人として。
 思念を寄越したソルジャー・ブルーは、「ガチャだ」と思念で繰り返した。
『ゼルは全財産をガチャですったし、ハーレイは当たりの確率を上げさせたのだろう?』
「そ、そうじゃが…。そうなんじゃが…」
「はい、ソルジャー。ですが、私のは仕事の範囲のことでして…」
 公私混同はしておりません、と言い訳しつつも、ハーレイの顔色は悪かったりする。本当の所は「ちょっとくらいは」、入っていたのが私情だから。「この期間なら私も暇だ」と、当たる確率アップの期間を決めたりして。
『…ガチャはシャングリラの士気を上げるし、立派なアイテムだと思うんだが…?』
 ジョミーの集中力をアップさせるのにも使えそうだ、とソルジャー・ブルーは、のたまった。
 曰く、ジョミーに必要なものは「集中力」と同時に「やる気」。
 ジョミーが「やるぞ」と思いさえすれば、集中力は後から「ついてくる」もの。よって、今後の訓練については、ガチャの要素を導入すべし、と。
「ガチャですか…?」
 ジョミーはゲームをしていませんが、と答えたハーレイ。
 まだ駆け出しの「ソルジャー候補」は、サイオンの特訓に、ミュウの歴史やその他の座学と、まるで暇など無い状態。
 だからゲームなど出来るわけがないし、ゲーム機も貸与されてはいない。そんなジョミーが、何処でガチャを…、とハーレイも、他の長老たちも、まるで全く掴めない意味。
 ゲーム機も無いのに、ガチャは出来ない。それにゲームをする時間も無い、と。
『…だからこそだ。ジョミーにゲーム機を与えたまえ』
 遊びすぎで廃人にならない程度の、ゆるいゲームを開発して…、とブルーは言った。一日のプレイ時間が十五分もあったらオッケーなゲーム、それを急いで開発させろ、と。
「「「…十五分?」」」
『そうだ、十五分だ。ジョミーの暇は今、そのくらいが限度だろうから』
 でもって、其処にガチャを組み込め、というのがブルーの指図。ジョミーが全財産をブチ込みそうな、レアなアイテムを、ガンガンぶっ込んで。


『ジョミーが燃えそうなゲームを頼む。ついでに、ガチャの当たりの確率は下げろ』
 全財産がパアになっても、まるで当たりが引けないほどに…、とブルーの笑いを含んだ思念。その状態でも、ジョミーは「ガチャをやりたい」だろうし、其処が狙いだ、と。
「は、はあ…。ですが、それとジョミーの集中力の関係は…?」
 解せませんが、とハーレイが訊くと、ブルーはクスクス笑い始めた。
『まずは、ジョミーはゲームをやりたい。…プレイ時間を確保しないと駄目だからね』
「…そうじゃろうな。ハーレイも自分の都合に合わせて、ガチャが有利な期間をじゃな…」
 キャプテン権限で決めておったほどじゃし、とゼルが頷く。「プレイ時間が無かった場合は、ガチャをやる以前の問題じゃ」と。
『そうだろう? ゲームの時間を長く取りたければ、訓練を早めに終えるしかない』
 好成績を上げた場合は、時間短縮になるのだから、とのブルーの指摘。サイオンの訓練で点数が低いと「やり直しだ!」と怒鳴られるけれど、高得点なら「一回で終わる」時もある。
「…ゲームのためにと、得点がアップするのですか?」
 確かにあるかもしれませんが…、とエラが頷き、ブラウもヒルマンも否定しなかった。サッサと終えて「ゲームをしたい」と思う気持ちが、ジョミーの「やる気」をググンとアップで、その結果として、集中力もアップかも…、と。
『その通りだ。…座学の方にしても同じで、ノルマをこなせば終わるのだから…』
 居眠ったり愚痴を零しているような暇があったら、その時間をゲームに回すだろう、とブルーの読みは深かった。プレイ時間の捻出のために、ジョミーは努力する筈だ、と。
「で、では…。ガチャの確率を下げるというのは、どういう意味が…?」
 全財産がパアになったら引けませんが…、というハーレイの問いに、ブルーは「常識で考えたまえ」と返して来た。
『全財産をすったジョミーが、それでもガチャを引きたいのなら…。誰に縋れる?』
 この船でジョミーに「金」を貸しそうな面子は誰だ、とのブルーの質問。全財産をすった後には、借金一筋なのだけれども。
「借金ですか…。我々くらいしかいないでしょうが…」
 懐に余裕がありそうなのも、ジョミーが無心できそうなのも…、とハーレイが顎に手を当てる。長老の四人とキャプテンの他には、借金を頼めそうにもないのがジョミー。
 なんと言っても、船に来てから、まだ日が浅い。若いミュウからは総スカンのまま、古参の者たちも相手にしてはくれない。「ソルジャーを半殺しの目に遭わせた」ジョミーなんかは。
『君たち五人と、ぼくくらいしかいないだろう。…ならば、どうなる…?』
 そういう面子に借金するなら、悪い成績では頼めはしない、とブルーは笑った。全財産をすった後には、ガチャをやるために「成績アップ」で、集中力を上げるしかない、と。
「…仰る通りかもしれません。では、急いでゲームを開発させます」
『頼んだよ、ハーレイ。…ジョミーの育成は早いほどいい』
 使えるものなら、ガチャでもいい、とブルーの思念は「ガチャ」をプッシュで、ソルジャー直々の命令とあって、凄い速さで「ジョミー好みの」ゲームが船で開発されて…。


「えっ、ゲーム機!? ホントにいいの!?」
 これで遊んでかまわないわけ、と感激のジョミーに、ハーレイが重々しく告げた。
「ソルジャー・ブルーの御命令だ。君にも娯楽は必要だろう。そして、これがだ…」
 近日、リリース予定のゲームで、君も気に入ると思うのだが…、とハーレイが勧めた「ジョミーを夢中にさせるための」ゲーム。只今、事前登録受け付け中で、登録すればガチャが一回分のアイテムが入手できるとあって…。
「ありがとう、キャプテン! 早速、これから始めてみるよ!」
 面白そうなゲームだから、と説明に見入るジョミーは「知らない」。それがジョミーを「陥れる」ために開発されたゲームだなんて。
 プレイ時間の捻出のために頑張りまくって、ガチャを引くための借金目当てに、好成績を上げてゆくよう、計算されているなんて。
 かくして数日後に、ゲームは船でリリースされた。船の仲間も夢中だけれども、ターゲットになったジョミーにとっては、ストライク直球ド真ん中で「燃える」素敵なゲームなだけに…。
「おおっ、満点じゃ! 今日の訓練は上がっていいぞ」
「分かってる! 講義までの間に、ちょっとだけ…」
 今はガチャが当たる確率、高い筈だよ、と引きまくるジョミーは、直ぐに借金まみれになった。ゼルにヒルマン、ブラウにエラにと借金しまくり、ついには青の間に走って行って…。
「ブルー! ソルジャー・ブルー!!」
 次の訓練では、満点を三連発で出しますから…、と土下座で申し込む借金。「ガチャのお金を貸して下さい」と、カエルみたいに平伏して。
「…いいだろう。もしも、満点を五連発で出せた場合は、貸すのではなくて…」
 ガチャを十回分の資金をプレゼントだ、とブルーに言われて、ジョミーは歓声を上げて走り去って行った。「頑張ります!」と、熱意溢れる表情で。
(…満点を五連発で出したら、ガチャ十回分、プレゼントだよ…!)
 頑張るぞ、と駆けてゆくジョミーは、まだ知らない。
 立派な「ソルジャー候補」になるよう、ゲームとガチャに「釣られて」踊らされていることを。ガチャの確率から何から何まで、計算ずくだということを。
 けれども船では結果が全てで、ジョミーも「楽しんでいる」のだからいい。
 ゲームで遊んで、ガチャに燃えたら、集中力がアップだから。立派なソルジャー候補への道、それを真っ直ぐ走ってゆくのがジョミーだから…。

 

           楽しみなガチャ・了

※ナスカの子たちがゲーム機で遊んでいたっけな、と。アニテラ放映時には無かったガチャ。
 今ではすっかり「常識」なわけで、ジョミーに課金させてみました。ブルー、策士だ…。







拍手[0回]

Copyright ©  -- 気まぐれシャングリラ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]