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(…つっ……!)
 切ったな、とキースが眺めた自分の指先。
 右手の人差し指の先、そこに走った赤く細い線。
 たちまちプクリと血が零れ出して、見る間に盛り上がってゆく雫。
(厄介な…)
 書類に落ちたら大変なんだ、と執務机の引き出しから拭くための紙を取り出す。
 整頓された机の上には、そのような紙は置いていないから。
(……まったく……)
 面倒なことだ、と拭い取った血。
 傷の手当てをするための箱は、これまた机に置いてはいない。
(昼間だったら、マツカがいるのだがな…)
 生憎と今はとうに夜更けで、部屋にマツカの姿は無い。
 去る前に淹れていったコーヒー、それが半分残ったカップがあるだけで。
 つまりは「部屋には、いない」側近。
 「其処の薬箱を取ってくれ」と命じる相手は、何処にもいない。
 側近も下がった後の部屋には、セルジュたちのような部下もいないから。
(雑用が増えた、というヤツだ…)
 あと少しで終わりだったのにな、と仕方なく椅子から立ち上がった。
 書類に血の色の染みなど、残せはしない。
 紙で切った傷というのは意外に深くて、放っておいたら、また血が零れる。
 他の書類に引っ掛かった時や、何気なく紙をめくったはずみに。
(…それに、手当てをしておかないと…)
 指の先の傷は侮れん、と分かってもいる。
 利き手は、「何処でも使う」から。
 それを承知で、「触れそうな場所」に毒でも塗られていようものなら…。
(……国家騎士団総司令様の、暗殺計画成功だからな)
 傷があったら、毒の吸収も早い。
 皮膚が覆ってくれていたなら、まだマシだったろう程度の毒でも、死ぬかもしれない。
 紙で切れた傷があるだけで。
 手当てしないで放置した傷が、文字通りに「キース」の命取りとなって。


 執務の中断を余儀なくされた、紙で切った傷。
 手当てを終えて、傷の箇所もきちんと覆った後には、薬箱を元の位置に戻して…。
(本当に、残り少しの所で…)
 とんだ時間を取られたものだ、とチェックしてゆく書類。
 毎日のように山と届けられるのが「書類」なるもの。
 いくら技術が進歩していても、重要なデータはアナログの形で出力される。
 無駄なようでも、それが一番「失われる」リスクが低いから。
 磁気や些細なミスで消えたりしない「もの」だから。
(……現に、シロエの本も残った……)
 スウェナの手を経て、「キース」の手許にやって来た本。
 かつてシロエが大事にしていた、ピーターパンの物語。
 あれが「紙に刷られた本」でなければ、間違いなく消えていただろう。
(紙の本でも、爆発の中で残ったというのが奇跡だが…)
 爆風を受けた場所によっては、そういう奇跡も考えられる。
 表紙があちこち焦げていた本が、運良く、直撃を免れて。
 中に隠されていた「データを収めたチップ」も、紙の本のお蔭で保護されて。
(だが、紙の本でなかったら…)
 シロエの船が爆発した時、木っ端微塵に消えていた筈。
 船のデータを記録するための、ブラックボックスなどとは違って。
(…紙媒体が一番、強いものだからな…)
 遥かな昔に、人類は「それ」を身をもって知った。
 大切な記録は「紙」を使って残さねば、と。
 それゆえに、今も「書類」がある。
 国家騎士団総司令に宛てて、山と刷られる文書の類が。
(新しい紙しか、やって来ないからな…)
 さっきのように指先が切れることもある。
 新品の紙の端は鋭く、刃物のように皮膚を、肉を切るから。
 凶器でさえもない筈の紙に、指先を深く傷付けられて。


 思わぬ時間を取られたけれども、終わった執務。
 書類の束をトントンと揃え、机の端へ押し遣った。
(すっかり冷めてしまったな…)
 いつものことだが、と傾けたカップ。
 マツカが淹れて去ったコーヒー、これを飲み干したら、後は寝るだけ。
 また明日からの仕事に備えて、今日の疲れを残さないよう。
 どんな事態に陥ろうとも、冷静な判断を下せるように。
(……ミュウどもは、どう動くやら……)
 アルテメシアが落とされて以来、ミュウの版図は拡大の一途。
 たった一隻だった母船も、今は艦隊と称されるほど。
(モビー・ディック以外は、雑魚なのだがな…)
 巨大な白い鯨を除けば、さほど脅威でもないだろう。
 「彼ら」が艦隊に加えた船は、殆どが人類軍の船。
 改造するには時間もかかるし、まだ万全とは言えない筈。
 ただし、それらが「完全に」ミュウの船になる前に…。
(…叩いておかんと、どうにもならん)
 人類軍が不利になるのだからな、と分かっている。
 未だに仕組みが解明できない、モビー・ディックが備えた機能。
(レーダーに全く映らない上、シールドまでも持っているのだ…)
 あれほど巨大な船だというのに、モビー・ディックは「目視で」探すしかない。
 「彼ら」が「その気」にならない限りは、けして解かれはしないシールド。
 ミュウの母船は、ステルスモードで航行するから、何処にいるのか分かりはしない。
 「目の前にいる」と気付いた時には、もはや手遅れ。
 闇雲にレーザー砲を撃っても、それらは全て…。
(シールドに弾かれてしまうのだからな)
 人類軍の船には、そんな装備は無いというのに。
 ミュウ艦隊との混戦になれば、同士討ちさえ起こり得るのに。
 あの技術が「ミュウ艦隊の全て」に施されたなら、濃くなる敗色。
 そうなってからでは遅すぎるのだし、今の間に殲滅せねば。
 書類の山が増える一方だろうと、新しい紙に指先を切られる日が増えようとも。


(たかが紙だが…)
 こうして私の邪魔をするのだ、と見詰めた指先。
 傷は覆ってしまったけれども、その下に確かに刻まれた傷。
 書類に染みが出来ては困る、と手当てする前に拭いた、零れ出した血。
(あんな傷でも、放っておいたら命取りになるというのがな…)
 時と場合によるのだがな、と苦笑する。
 皮膚から吸収されるタイプの猛毒、それが「キース」に使われたことは、一度も無い。
 けれど先例が幾つもある上、実は「キースが知らない」だけで…。
(マツカが見付けて、処分している可能性もあるな)
 いちいち報告するまでもない、とマツカが守りそうな沈黙。
 「キース・アニアンの側近」がミュウとは、誰一人として知らないから。
 ミュウだからこそ知り得た事実は、尋ねない限りは「話さない」から。
(…こうして自分で用心をして、更にマツカの助けを借りて…)
 今日まで生き延びて来たのだけれども、ふと気になった。
 「この命に、価値はあるのか」と。
 さっきのように指を切ったら、赤い血が流れ出るけれど…。
(…赤い血なら、ミュウも持っているのだ)
 何度、その血を目にしただろう。
 自分で殺したミュウも多いし、APDスーツの開発過程でも見た。
 APDスーツ、すなわちアンチ・サイオン・デバイススーツ。
 それを着ければ、どんな兵士もサイオンが特徴のミュウと互角に戦える。
 サイオンが通用しなくなるから、白兵戦に持ち込みさえすれば。
(開発実験で殺した、ミュウどもの血は…)
 人工子宮から生まれたとはいえ、「ヒト」が流した血に違いない。
 けれども、「キース・アニアン」は違う。
 同じに「ヒト」の姿でも。
 人類として生きて暮らしてはいても、まるで全く違った「生まれ」。
 機械が「無」から作った生命。
 三十億もの塩基対を合成した上、繋ぎ合わせてDNAという名の鎖を紡いで。


 そうやって「作り出された命」と、「生まれて来た」異分子、ミュウの命と。
 いったい、どちらが「重い」のだろう。
 同じに赤い血を持っていても、価値があるのは「どちら」なのか。
 「生命」というもので比べたら。
 命の価値を比較したなら、神が手にするだろう秤は…。
(…私の命の方に傾く代わりに、それこそ名前も無いだろうミュウの命を…)
 載せた方へと傾くだろうか、秤にかけた瞬間に。
 機械が無から作った命は、神の領域を侵した存在。
 そんな命に価値などは無くて、たとえ異分子のミュウであろうと…。
(遥かに重いのかもしれん…)
 「命の重さ」というものは。
 赤い血を持つ存在同士で比べたとしても、最初から比べる価値さえも無くて。
(……そうかもしれんが、そうなのだとしても……)
 この命を守ってゆくしかないな、と零れる溜息。
 人類には「キース」が必要だから。
 ミュウの脅威から宇宙を守り抜くには、まだ死ぬわけにはいかないから。
 全身の血を全て流し尽くしても、ミュウの赤い血の一滴にさえも、及ばなくても。
 どれほど「価値の無い命」だとしても、「そのため」に作り出された命。
 機械が、それを望んだから。
 神の目で見れば価値は無くとも、機械にとっては大切な「機械の申し子」だから…。

 

           生命の価値・了

※キースでも紙で指を切るのですが、その傷から零れた赤い血が問題。ミュウにもある血。
 名も無いミュウと、キースの命とでは、いったいどちらが価値を持つのか。









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(……ぼくの名前は……)
 セキ・レイ・シロエ、とシロエが心で呟いた名前。
 たった一つだけ、故郷から持って来られたもの。
 このステーション、E-1077にまでも。
 過去を奪われ、両親も故郷も奪い去られて、残ったものは「自分の名前」だけ。
 此処まで持って来られた「物」なら、ピーターパンの本もあるけれど…。
(…ピーターパンの本は、ぼくの人生の途中から…)
 現れたもので、「生まれた時から」一緒だったというわけではない。
 物心ついて間もない頃なら、まだ貰ってはいなかったろう。
 「文字も読めない幼児」のために買い与えるには、早すぎるから。
 いくら「シロエ」が優秀な子でも、二歳やそこらの年では読めない。
(…絵本くらいは読めたって…)
 ピーターパンの本は難しすぎる。
 同じ文字で中身が綴られていても、「知らない単語」が多すぎて。
 造語の「ネバーランド」はともかく、「海賊」でさえも分からなくて。
(だから、この本は途中から…)
 ぼくの人生に来たんだよね、と宝物の本の表紙を眺める。
 いつ貰ったのか、何歳の時から持っているのか、今となっては謎になった本を。
 テラズ・ナンバー・ファイブに記憶を消されて、思い出せなくなった記念日。
 こんなに大事にしている本でも、「いつから持っているのか」が。
 父がくれたか、母に貰ったか、二人揃って「くれた」のかも。
(……だけど、名前は……)
 もう間違いなく、生まれて直ぐから持っている「もの」。
 しかも「両親から」贈られて。
 機械が名付けた名前ではなくて、父と母とが考えてくれて。
 過去を、両親を、記憶を奪い去られた今でも、名前は「過去」に繋がっている。
 その名をくれた両親にも。
 「セキ・レイ・シロエ」と呼ばれて育った、故郷にも、過去の時間にも。


 そういう意味では、ピーターパンの本よりもずっと大切な「名前」。
 成人検査で「名前を忘れた」者はいないから、忘れてしまいがちだけど。
 「故郷から持って来られたもの」なら、「本だ」と思ってしまうのだけれど。
(…本当は、ぼくの、この名前が…)
 とても大事なものなんだよね、と改めて思う。
 いつか故郷に帰れる日が来たなら、機械から記憶を取り返したら…。
(パパ、ママ、ただいま、って…)
 帰ってゆく先は「セキ・レイ・シロエ」が育った家。
 ピーターパンの本も、もちろん一緒に持って帰ってゆくけれど…。
(シロエだよ、って…)
 名乗って両親を驚かせるのは、「シロエ」の名前。
 両親が口にする言葉だって、「シロエなの?」だとか、「シロエなのか?」で。
 たとえ面影が残っていたって、両親は、きっとそう言うだろう。
 「本当に、あのシロエなのか」と目を丸くして。
 もう十四歳の子供ではない、大人になった「シロエ」を見て。
(……名前の方が、ずっと大切……)
 こうしてじっくり考えてみれば、ピーターパンの本よりも、ずっと。
 「シロエ」の名前と一緒に育って、これからも共に生きてゆくから。


(……パパの名前も、名前だけなら……)
 このステーションにいたって見付かる。
 「セキ・レイ・シロエ」のパーソナルデータとは違った場所で。
 故郷の星のアルテメシアに絞りさえすれば。
(…サイオニック研究所の、ミスター・セキ…)
 それが父の名前。
 子供だった頃には、深く考えなかったけれども、研究者だったのが幸いした。
 一般市民とは違うものだから、同姓同名の「他人」ではないと確信できる。
 「ミスター・セキ」が父なのだ、と。
 そこまでだけしか分からなくても。
 「ミスター・セキ」の名前を頼りに、家を探すことは不可能でも。
(パパが何処かに異動したって…)
 所属している研究所だけなら、これから先も見付かるだろう。
 いつか退職したとしたって、最後の職場は分かる筈。
(…そこまで分かれば…)
 「シロエ」が相応の地位に就いていたなら、「その後」を追えるのかもしれない。
 住所は教えて貰えなくても、「ミスター・セキなら、今は、この星」と。
 その程度ならば、きっと差し支えはないだろうから。
 「両親に会いに行く」のは無理でも、「ちょっとしたデータ」くらいだったら。
(……運が良かったら……)
 両親が暮らす星に「任務で」行くことだって、あるかもしれない。
 そしてバッタリ何処かで出会って、「シロエなのか?」と言われることだって。
(…パパとママの顔は、ぼやけて思い出せないけれど…)
 両親の方では、今も覚えていることだろう。
 「育てた子供」が大人になって、偶然、再会した時に…。
(…声をかけても、かまわないなら…)
 あの優しかった父や母なら、「シロエ?」と呼んでくれるのだろう。
 故郷から持って来た、大切な名を。
 自分たちが選んで「息子」に与えた、「セキ・レイ・シロエ」という名前を。


 普段は意識していないけれど、とても大切な宝物。
 ピーターパンの本よりもずっと、両親や過去に「近い」のが名前。
(……セキ・レイ・シロエ……)
 ぼくだけの名前、と机の端末に打ち込んでみる。
 宇宙はとても広いけれども、同じ名前の者はいるのか、と。
(……いないのかな?)
 少なくとも、今はいそうにないね、と見詰める文字たちの列。
 条件を変えて検索したって、「セキ・レイ・シロエ」は出て来なかった。
(…有名な人じゃないのなら…)
 多分、引っ掛かっては来ないだろうし、宇宙の何処かには「いる」かもしれない。
 「セキ・レイ・シロエ」という人が。
 年も姿もまるで違っても、同じ名前を持っている人が。
(それはそれで、少し気になるけどね…)
 どんな人なのか興味があるよ、とキーボードを叩き続ける内に…。


(…セキレイ…?)
 ぼくと同じ、と見付けた文字列。
 「シロエ」とはついていないけれども、「セキレイ」の名前。
 けれど、「セキレイ」は「ヒト」ではなかった。
 そういう名前がついていた鳥で、今よりも遥かに遠い昔に…。
(……地球の、日本っていう島国……)
 小さいけれども、広く知られていたらしい国。
 其処に「セキレイ」という鳥がいた。
 日本の国でだけ使われた言葉、それで「セキレイ」と呼ばれた小鳥。
 他の国では違う名前で、SD体制に入った時代も別の名がある。
 違う名前で呼ばれていたって、「セキレイ」は絶滅していないから…。
(…こうして引っ掛かったんだ…)
 これがセキレイ、と食い入るように画面に見入る。
 故郷で見たことがあるのか、無いのか、それも定かではないけれど。
(育英都市とか、普通に人が暮らす星なら…)
 豊かに流れる川があったら、セキレイは住んでいるらしい。
 水鳥とは違う鳥だけれども、水辺を好むらしいから。
 印象的な長い尾羽を上下させながら、川を泳ぐ小魚などを狙って。


 たまたま出会った、同じ名の小鳥。
 今の時代は誰も「セキレイ」とは呼ばないけれども、昔は「セキレイ」。
 ついつい親近感を覚えて、データを読んでゆく内に…。
(……セキレイは、親が卵を温めて孵して……)
 孵った雛に餌を運んで、巣立ちするまで育てるもの。
 巣立ちの時にも「飛び方」を教えて、巣立った後にも、暫くは一緒。
 まだ幼鳥と言える子供が、餌の取り方を覚えるまで。
 一人前の大人に育って、自分だけの力で生きてゆける日がやって来るまで。
(…もちろん養父母なんかじゃなくて…)
 本当に本物の親鳥だよね、と見詰めるセキレイの巣と卵の画像。
 鳥によっては「托卵」と言って、他の鳥に子育てをさせる種類もあるようだけれど…。
(…このセキレイは、そうじゃなくって…)
 親に育てて貰える鳥だ、と分かったら胸が苦しくなった。
 同じ「セキレイ」で、こうも違うかと。
 とても小さな小鳥だけれども、「セキレイ」は過去を奪われはしない。
 鳥の世界に成人検査は、無いものだから。
 子供にしたって、人工子宮から生まれて来たりはしないのだから。
(……ぼくも、こっちのセキレイだったら……)
 どんなに幸せだったろう。
 ヒトとは比べ物にもならない、短すぎる時しか生きられなくても。
 文字を読んだり、「ピーターパンの本」をプレゼントされることは無くても。
(…鳥のパパとママと、ずっと一緒で…)
 一人前になった後にも、きっと会いにも行けるのだろう。
 「パパとママがいそうな辺りは、此処」と、懐かしい水辺に飛んで行ったら。
 生まれ育った巣があった場所の、近くまで空を翔けて行ったら。


(…そっちの方が…)
 ぼくは幸せだったのかも、という気がしないでもない。
 「なんだ、鳥か」と思われるだけの、ちっぽけな生に過ぎなくても。
 ピーターパンの本など読めはしなくて、ネバーランドにも行けなくても。
 鳥ならば、過去は失くさないから。
 本物の両親に育てて貰って、望みさえすれば、きっと何処までも一緒だから。
 鳥の命は短くても。
 「セキ・レイ・シロエ」が過去を奪われた、十四歳までも生きられなくても。
(……パパもママも、過去も、それに故郷も……)
 失くさないなら、鳥で良かった。
 難しい本など、読めなくても。
 ピーターパンの本は貰えなくても、鳥だった方が、ずっと自由で幸せだから…。

 

         鳥だった方が・了

※シロエと鳥の「セキレイ」で書くのは、これで三度目。名前が似てると思うので。
 ネタ系で書いたシロエ生存ED『奇跡のその後』と、ハレブル聖痕シリーズの『セキレイ』。
 気になった方は、そちらもよろしくお願いしますv








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(……レクイエムか……)
 確かに捧げて来たのだがな、とキースは深い溜息をつく。
 首都惑星ノアへと向かう船の中で、ただ一人きりで。
 ミュウたちが勝手に拠点にしていた、ジルベスター・セブン。
 あの赤い星を滅ぼした後に、二階級特進させて貰った。
 「上級大佐」の肩書はダテではないから、この船でも指揮官クラスの待遇。
 グランド・マザーの直々の指示で、極秘任務に就いてはいても。
(…私の任務を知っているのは…)
 船の中では、側近のマツカ、ただ一人きり。
 今、この部屋にはいないけれども。
 銀河標準時間は、とうに夜更けで、起きているのは当直の者くらいだろう。
 まだミュウたちがいない宙域、戦闘配置など必要は無い。
 艦長までもが眠ってしまって、この船は、きっと…。
(…オートパイロットで航行中だな…)
 ノアまでの航路を設定したなら、ワープさえも自動で出来るほど。
 ブリッジに詰めている者はいても、操舵などしてはいない筈。
 たまに計器に目を遣るだけで。
 「予定通りに航行中」と、お決まりの文句を口にするだけで。
(……何のために、私が乗っているのか……)
 何故、あそこまで航行したのか、それさえも誰も気にしてはいない。
 「マツカだけを連れて」船を離れたことも。
 やがて船へと戻った後にも、「使われた小型艇」の整備をした程度だろう。
 その船が何処へ行って来たかは、考えもせずに。
 停泊していた地点から「かなり離れた」宙域、そこで起こった爆発さえも関知しないで。


 「E-1077を処分せよ」という極秘の命令。
 遠い昔に、廃校になった教育ステーション。
 表向きは「生徒にMのキャリアがいたから」ということになっていた。
(…Mのキャリアとは、シロエのことで…)
 他の候補生たちは、記憶処理されて「忘れ去ってしまった」シロエのこと。
 覚えていたのは、それよりも前にステーションを離れた、スウェナだけ。
 そのスウェナから「本」を渡された。
 シロエがとても大事にしていた、ピーターパンの本を。
 所々が焦げて傷んだ本は、間違いなくシロエが遺したもの。
(……残るとは思っていなかったろうが……)
 シロエの船は、自分がこの手で撃墜した。
 爆発の中でも「本が残る」など、有り得ないこと。
 ブラックボックスなら残りはしても、「紙の本」などは燃えてしまうから。
(…しかし、燃えずに…)
 ピーターパンの本は「回収された」。
 事故処理に来た宇宙海軍の者に。
 それも早々に退役した上、酒浸りになるような一兵卒に。
(……運命というのは、あるのだろうな……)
 本が自分の手許に来た時、そう思った。
 シロエが生前、何よりも大切にしていた本。
 マザー・イライザに捕えられ、其処から逃れた後も。
(…目が覚めるなり、本を探して…)
 見付けたら、胸に抱き締めていた。
 それほど大事な本だったのだし、宇宙にも持って行ったのだろう。
 「二度と戻らない」旅立ちの時に。
 撃墜されることを承知で、練習艇でステーションを離れる時に。


 けれども、本は「残ってしまった」。
 シロエと一緒に旅に出ないで、傷んだ姿で宇宙に浮いて。
 一兵卒の手からスウェナに渡って、ついには「キース」の所に来た。
(……「キース先輩、見てますか?」と……)
 得意げだった、シロエが遺した映像。
 本に隠されていた、小さなチップに記録されて。
(…あの映像を撮った時には…)
 シロエは「死ぬ気」など、無かっただろう。
 本にチップを隠してはいても、「キースに」渡す気だったと思う。
 けれど果たせず、本と一緒に飛び立った末に…。
(…本だけが残って、こうして私を…)
 あの宙域まで呼び寄せたのだ、と今も感じる。
 今は亡きシロエの魂が。
 「キース先輩!」と、「ぼくの本を返して下さいよ」と。
 だから「レクイエムを捧げに」行った。
 この船の者たちは知らないけれども、マツカにだけは、そう告げた。
 マツカが操縦する小型艇で、任務に向かったから。
 「行き先は此処だ」と、E-1077の座標を指示したのだから。
(……レクイエムというのは……)
 きっとマツカは、「E-1077に捧げる」ものだと考えたろう。
 「破壊しに行く」とは言わなかったけれど、明らかに「そうなった」から。
 E-1077は中枢機能を全て失い、惑星へと落下して行ったから。
(…燃えながら大気圏に突っ込んで行って、大爆発だ…)
 残骸さえも、燃え尽きて消えてしまった筈。
 グランド・マザーの命令通り。
 E-1077を支配していた、マザー・イライザの悲鳴と共に。
(…何処の教育ステーションにも、ああいうコンピューターが…)
 あるものだから、マツカは「マザー・イライザのための」レクイエムだと思っただろう。
 まさか「シロエのため」とは思わず、哀れな機械を思い描いて。


(……だが、実際は……)
 レクイエムを捧げに出掛けた相手は、「シロエ」。
 かつてシロエの部屋だった場所に、ピーターパンの本を置いて来た。
 崩壊してゆくステーションの中を、「此処だったな」と移動して行って。
 主を失くして荒れ果てた部屋の、シロエが使った机の上に。
 心で「さらばだ」と告げたけれども、声はシロエに届いたろうか。
 大切な本を胸に抱き締め、嬉しそうに笑んでいたのだろうか。
(…そうだといいがな……)
 そうなったと思いたいのだが…、と零れた溜息。
 「レクイエムを捧げた」意味はあった、と。
 マザー・イライザのためにではなくて、「シロエに捧げる」レクイエム。
(……その筈だったが……)
 それだけで済まなくなってしまった、と柄にもなく心の奥がざわめく。
 「レクイエムを捧げる」相手は、シロエだけではなかったから。
(…マザー・イライザは、どうでもいいのだがな…)
 あんな「機械」は、どうでもいい。
 機械はプログラムで動いているだけ、思考さえも「プログラムされたもの」。
 まるでミュウのように、思念波を操ることはあっても。
 ヒトの心に入り込んでは、記憶を塗り替えたりしていても。
(……機械に魂など、あるわけがない)
 それはハッキリしていると思う。
 機械は、所詮は、「機械」だから。
 赤い血などは流れていないし、呼吸さえもしていないから。
 けれども、「アレ」は違っていた。
 シロエが「キースに見せたかった」モノ、「ゆりかご」にいた者たちは。
 E-1077もろとも闇に葬られた、幾つもの「キース」のサンプルたちは。
 それから「ミュウの女」にしても。
 恐らく「キース」と対で作られた、ミュウの船にいた盲目の女にそっくりなモノ。
 「彼ら」はサンプルだったけれども、そうなる前には「生きていた」筈。
 たとえ機械が作ったモノでも、「無から生まれた」生命でも。


 E-1077もろとも「消えた」モノたち。
 マザー・イライザが残した「サンプル」。
(…「サンプル以外は、処分しました」と…)
 事もなげに言ったマザー・イライザ。
 だから他にも「いた」のだろう。
 何体もの「キース」や「ミュウの女」が。
 無から作られ、水槽の中で育った生命たちが。
(……彼らに魂があったかどうか……)
 神の領域を侵した生命、それにも「魂」はあるのかどうか。
 自分自身の感覚で言えば、やはり魂は「ある」のだと思う。
 たとえ、この世から消えた後には、「向かうべき場所」が無かったとしても。
 天国も地獄も、「神の手が介在していない者」には、扉を開かなかったとしても。
(…水槽の中に浮かんでいただけにしても…)
 それだけで終わった生命たちでも、「外」は認識していただろう。
 自分にもある「水槽の記憶」、それと同じに。
 外側から水槽を叩いたりする、研究者たちを「ぼんやりと」見て。
(……研究者たちは、アレをサンプルに仕立てただけで……)
 悼む言葉など、一つもかけてはいない。
 「弔わねば」とは、思いもしない。
 そんな「彼ら」に、レクイエムを捧げることが出来るのは…。
(…この私しか……)
 いはしないのだ、と分かっているから、「彼らのものにもなった」レクイエム。
 元々は「シロエのため」だったのに。
 マザー・イライザを悼む気は無くて、「壊すためだけに」出掛けたのに。


(……皮肉なものだ……)
 自分自身にレクイエムか、と思うけれども、「魂を持っている」ならば…。
(…私そっくりの代物だろうが、ミュウの女のサンプルだろうが…)
 鎮魂のための歌を捧げねばならないだろう。
 いつか「自分」が死んだ時には、誰も捧げてくれないとしても。
 天国の扉も地獄の扉も、けして開いてはくれなくても。
 「魂は、ある」と思うから。
 いくら「機械が作ったモノ」でも、「悼む気持ち」は自分の中に存在するのだから…。

 

        レクイエムの意味・了

※「レクイエムを捧げにな」というキースの台詞。誰へのレクイエムだったのか。
 シロエだったと思うんですけど、「ゆりかご」を見た後は、どうなったかな、と…。









拍手[1回]

(……ピーターパン……)
 いつか迎えに来てくれるの、とシロエが見詰める大切な本。
 E-1077の夜の個室で、机の上にそれを広げて。
 大好きだった両親と、生まれ育った懐かしい故郷。
 どちらも失くしてしまったけれども、ピーターパンの本は残った。
 子供時代の記憶を奪った、成人検査をくぐり抜けて。
 宇宙しか見えないステーションまで、一緒について来てくれて。
 これは「運命」なのだと思う。
 ピーターパンに、ネバーランドに「選ばれた子」だから、此処にある本。
 薄れてしまった記憶の代わりに、遠い未来への希望として。
 ネバーランドへの行き方を記した、とても大切な地図なのだから。
(二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずーっと真っ直ぐ…)
 そうして何処までも歩いて行ったら、ネバーランドに着けるという。
 子供が子供でいられる世界に、「永遠の少年」、ピーターパンが住んでいる地に。
(ぼくは忘れていないんだから…)
 忘れないままで生きていったら、いつか未来を掴めるだろう。
 子供の心を失くさずにいたら、ピーターパンが迎えに来てくれて。
 一緒に夜空を真っ直ぐに飛んで、憧れのネバーランドに下りて。
(……そうだよね?)
 きっと迎えに来てくれるよね、と本の挿絵に問い掛ける。
 「ぼくが大人になってしまっても、心は子供なんだから」と。
 そのための約束が「ピーターパンの本」なのだろう、と自分自身に言い聞かせて。
 きっと自分は、選ばれた子供なのだから。
 今の歪んだSD体制、それを破壊する使命を持って生まれて来た子。
 いつの日か、世界の頂点に立って、機械に「止まれ」と命じるために。
 国家主席の座に就いたならば、「子供が子供でいられる世界」を創り出せるように。


 ただ辛いだけの「此処」での暮らし。
 E-1077での日々は、楽しいことなど無いも同然。
 趣味にしている機械弄りも、故郷を懐かしんでのこと。
 どれほど打ち込み、熱中しても、ふと「そのこと」に気付かされる。
 「此処は牢獄なんだっけ」と。
 作った機械を褒めてくれる父も、優しかった母もいはしない。
 「シロエは凄いな」と笑顔だった父も、「おやつにしましょう」と誘った母も。
 そんな場所でも耐えてゆけるのは、目標とする「未来」があるから。
 優秀な成績を収め続けて、メンバーズになって、国家主席に昇り詰めること。
 そのための努力は、ネバーランドに結び付くから。
 自分のような「不幸な子供」が、これ以上、現れないようにすれば。
(……きっと、ピーターパンだって……)
 ご褒美に迎えに来てくれるだろう。
 「本物のネバーランドに行こう」と、遠い夜空を駆けて来てくれて。
 ネバーランドより素敵な地球など、遥か下へと振り捨てて行って。
 子供にとっては、ネバーランドが最高だから。
 地球に行くより、ピーターパンと夜空を飛んでゆくのが夢なのだから。
(…ぼくは、絶対に忘れないから…)
 いつか迎えに来てくれる筈、と本の挿絵に呼び掛ける。
 「ぼくは此処だよ」と、心の中で。
 「忘れないで」と、「大人になっても、ぼくは忘れはしないから」と。


(…こうやって、忘れずにいれば…)
 ネバーランドに行ける日が来るだろう。
 これほど夢見て、焦がれ続けて、今でも忘れられないのだから。
 メンバーズになっても、国家主席に就任しても、思い描く場所はただ一つだけ。
(二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ…)
 進んで行ったら、着ける夢の地。
 永遠の少年、ピーターパンが駆け回る場所。
 其処に着くまで、頑張らなければ。
 SD体制の世界を支配している、忌まわしいマザー・システムを止めて。
 「奪った、ぼくの記憶を返せ」と、機械に向かって命令して。
(…そうすれば、きっと…)
 舞い上がれるのに違いない。
 背中に翼は生えていなくても、高い夜空へ。
 ピーターパンに「行こう」と誘われるままに、ネバーランドへ飛んでゆくために。
 そう、忘れさえしなければ。
 この牢獄での暮らしに耐えて、未来に向かって歩いてゆけば。
 「ピーターパンの本」を大事に抱えて、何処までも真っ直ぐ進んだならば。
 自分は「選ばれた子供」だから。
 いつか世界を変える子供で、いわば勇者のようなもの。
 たとえ大人になったとしても。
 身体はすっかり育ってしまって、もう子供とは呼べなくても。
(そうだよね…?)
 そうなんでしょ、と投げ掛ける問い。
 ピーターパンの本の挿絵に。
 夜空を駆けるピーターパンに、その横を飛ぶティンカーベルに。


 いつか行けるだろう、夢に見た世界。
 ネバーランドに辿り着けたら、其処は子供のための天国。
(ピーターパンたちと一緒に遊んで…)
 海賊退治にも行けるだろうか。
 本に出て来たフック船長は、もういなくても。
 別の海賊がいるというなら、ピーターパンを助けて戦って。
(今、やっている訓練も…)
 きっと役立つことだろう。
 エリート候補生の訓練の中には、格闘技だってあるのだから。
 銃もナイフも使えなくても、肉体だけで敵を倒せるように。
(ぼくが海賊を退治したなら…)
 ネバーランドでも英雄になれて、皆に憧れられるだろうか。
 「シロエは凄い」と、輝く瞳で見詰められて。
 「ぼくにも教えて!」と、大勢の子たちに取り囲まれて。
(……それもいいよね……)
 素敵だよね、と笑みを浮かべて、ふと気付いたこと。
 「ネバーランドにいる子供たち」は、「誰なんだろう?」と。
 ずっと昔から其処にいるのか、今も少しずつ増えているのか。
(…ネバーランドに行きたい子供は…)
 一人きりとは限らない。
 世界は、宇宙は広いのだから。
 ピーターパンの本にしたって、持っている子は多いのだから。


(二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずーっと真っ直ぐ…)
 その行き方で、辿り着いた子もいるのだろうか。
 SD体制が敷かれた世界でも。
 大人の社会と子供の社会が、切り離されている今の状態でも。
(…ぼくみたいな子供…)
 広い宇宙には、いるかもしれない。
 シロエは「選ばれた子供」だけれども、そうではない子。
 ただ純粋にネバーランドを夢見て暮らして、ある日、空へと舞い上がる子供。
 ピーターパンが迎えに来て。
 「一緒に行こう」と手を差し伸べて、窓の向こうの夜空に誘って。
(……ピーターパンは、ちゃんといるんだから……)
 ネバーランドに連れてゆく子を、今も探しているかもしれない。
 「子供が子供でいられる世界」で、楽しく暮らせる仲間を増やしに。
 海賊退治を手伝う子供や、他にも色々。
 ウェンディたちが、昔、そうだったように。
 ダーリング家の子供たちが皆、ネバーランドに向かったように。
(……ぼくに迎えは来なかったけれど……)
 それは「選ばれた子供」だったからで、そうでなければ行けただろうか。
 養父母と暮らしている家を捨てて、ネバーランドへ。
 SD体制の社会を離れて、子供が子供でいられる場所へ。
(…ネバーランドに、成人検査は無いんだから…)
 きっと記憶を失くすことなく、幸せに生きてゆけるのだろう。
 たまに両親を思い出しても、遊ぶ間に、また忘れて。
 成人検査のことさえ知らずに、いつまでも無邪気な子供のままで。


(……ぼくも、そっちの方が良かった……?)
 選ばれた子供になるよりも。
 いつかSD体制を壊して、英雄として迎え入れられるよりも。
 ピーターパンが連れて来た「大人」を、羨望の眼差しで振り仰ぐ子供。
 「SD体制を倒したの?」と、瞳をパチクリ瞬かせて。
 「成人検査? それって、なあに?」と、キョトンと首を傾げもして。
(…英雄でも、何でもないけれど…)
 幸せに生きてゆけただろうか、と思う人生。
 大好きな両親も、懐かしい故郷も、忘れないままの子供だったなら。
 「帰りたいな」と思う日はあっても、記憶は確かだったなら。
(……今のぼくより、ずっと幸せ……?)
 そうなのかもね、と思うけれども、その生き方は羨まない。
 幸せに生きてゆけたとしたって、何一つしてはいないから。
 ピーターパンの目から見たなら、「子供の中の一人」に過ぎない存在だから。
(…それよりは…)
 今の暮らしに耐え抜いた末に、ネバーランドに行く方がいい。
 きっとシロエは、英雄になれるだろうから。
 ピーターパンの本の中には、「シロエ」の名は載っていなくても。
 誰一人として気付かなくても、ネバーランドでは、ピーターパンと並ぶ英雄だから…。

 

           選ばれた子供・了

※ネバーランドがあるんだったら、SD体制の社会でも「行ける子」はいるのかな、と。
 一般市民になるような子供でしょうけど、いないとは限らない世界。そういうお話。











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(…全ては偉大なる我らの母、グランド・マザーの導きのままに…)
 そうなるのだがな、とキースが歪めた唇。
 国家騎士団総司令として、首都惑星ノアで与えられた個室で。
 日付は、とうの昔に変わった。
 側近のマツカも下がらせた後で、彼が置いていったコーヒーも既に冷たい。
 熱い間に飲み始めたけれど、カップに半分ほどが残った。
 考え事に囚われていて。
 心の端をフイと掠めた、自分の思いに深く沈み込んで。
 終わりが見えない、ミュウとの戦い。
 この戦いが始まった時には、直ぐに終わると考えていた。
 「彼ら」と呼ぶのも馬鹿らしいような、SD体制の異分子たち。
 人類ではなく、処分されるか、実験動物にされる生き物。
 そんなミュウを「彼ら」と呼んではいても、ただ便宜上の言葉として。
 頭の中では「動物」と同じ。
 ヒトよりも遥かに劣る存在、彼らに何が出来るものか、と嘲笑った。
 育英惑星アルテメシアは落ちたけれども、それは「彼ら」が慣れていたから。
 長い年月、モビー・ディックで潜み続けていた惑星。
 人類軍の布陣も、ユニバーサルの動きも、何もかも把握済みだったろう。
 遠い昔に「逃れた」とはいえ、復讐のために戻って来るなら、準備は万全。
 その上、当時は二人きりだった「タイプ・ブルー」。
 攻撃性の高いサイオンを持つ「最強のミュウ」が、今は八人。
 「ソルジャー・ブルー」が欠けなかったら、九人もの数になっていた筈。
 前よりも戦力が増えているなら、アルテメシアを落とすくらいは出来なくては。
(…そうでなければ、敵とも呼べん)
 だが、其処までだ、と踏んでいた「未来」。
 アルテメシアを制圧した後、ミュウたちは「自滅するだろう」と。
 次に攻め込んだ先で敗れて、モビー・ディックも沈められて。
 ソルジャー・ブルーの後継者さえも、生きて逃れることは出来ずに。


 それなのに、何処で狂ったろうか。
 事は思ったようには運ばず、ミュウの版図は拡大の一途。
 今日も一つの惑星が落ちた。
 まさか落ちるとは思わない星が。
 近隣の軍事基地まで潰され、完膚なきまでに滅びた星域。
(ミュウにとっては、滅びたどころか勝ち戦だが…)
 また新たなる星を手に入れ、戦力を増やしたことだろう。
 物資を補給し、囚われていた実験体のミュウたちを解放して。
 人類軍との戦いのために、必要な拠点を一つ増やして。
(……そして、いずれは……)
 このノアにまで来るのだろうか。
 彼らの船が沈まなければ。
 モビー・ディックが、タイプ・ブルーが、人類軍を破り続けてゆけば。
(……まさかな……)
 いくら何でも、それはあるまい、と考えたい。
 所詮、「彼ら」は異分子だから。
 SD体制の枠から外れた存在、海賊たちと何処も変わりはしない。
 「サイオンを持っている」だけで。
 それだけが海賊とミュウの違いで、どちらも殲滅されるべきモノ。
 だから「滅ぼす」。
 人類軍の船を次々に出して、このノアからは遠い星域で。
 首都惑星の影さえ見ることも出来ない、辺境の星で。


 今日も艦隊を激励した。
 国家騎士団総司令として、遠く離れた場所にいる者を。
 モニターの向こうに並んだ兵士や、将校たちを。
 いつも口にする決まり文句で。
 「死を恐れるな!」と、拳を高く掲げて。
 「SD体制のために」、「地球のために」と、ミュウとの戦いに向かわせた彼ら。
 明日にでもミュウと遭遇するのか、まだ数日は無事に航行し続けるのか。
(……無事に、だと……?)
 その考えに愕然とする。
 人類軍が勝って当然、そうは思えない今の戦況。
 弱気になったとは思わなくても、実の所は「そう」なのだろう。
 今日、励ました兵士たちも「多分、戻って来ない」と何処かで諦めていて。
 「死を恐れるな」と言った通りに、彼らは戦い、散るのだろう、と。
(……グランド・マザーの導きのままに……)
 また艦隊を一つ失いかねない。
 いくら辺境星域とはいえ、そこそこ優秀な者もいるのに。
 指揮官クラスの将校の中には、メンバーズの名さえもあったのに。
(…彼らは、何処までも戦い抜いて…)
 白旗を掲げることもしないで、宇宙に散ってゆくのだろうか。
 かつて降伏した艦隊をも、ミュウは「殲滅してしまった」と聞く。
 もう戦えない、非武装の救命艇を沈めて。
 人類が「彼ら」にそうやったように、「ヒトとして」扱うことはしないで。
 その噂はとうに広がっているし、誰も降伏しはしないだろう。
 逃亡する者はあったとしても。
 いわゆる「腰抜け」、そういった者が逃げ出すことはあっても。


(だが、それも…)
 きっと無いな、という気がする。
 彼らは「死をも、恐れない」から。
 そのように彼らを励まさなくとも、彼らが生粋の軍人ならば。
(…逃げたり、降伏するような者は…)
 元から資質が劣った者で、いわゆる「ただの一兵卒」。
 どう努力しても将校はおろか、部隊の一つも任されないままで終わる者たち。
 定められた年まで軍に所属し、後は退役してゆくだけ。
 何の手柄も立てないままで。
 武勲の一つも得られないままで、名簿からその名を抹消されて。
(しかし、そういう者を除けば…)
 軍人は「死を恐れない」もの。
 一般社会を構成している、普通の人類たちと違って。
 ミュウがどれほど脅威であろうと、彼らは勇んで戦場にゆく。
 「人類のために」、「地球のために」と。
 SD体制を守るためにと、死が待つのかもしれない場所に。
 考えていたのは、まさにそのこと。
 どうして、彼らは「恐れない」のかと。
(ヒトというのは、生命体で…)
 生きている以上、本能的に死を恐れるもの。
 自分の命が惜しくて当然、それゆえに昔は法律もあった。
 今のように統制されていなくて、社会が混然としていた時代。
 善人も悪人も混じった世の中、ある日、意味もなく襲われもする。
 そういった時に「身を守るために」反撃した結果、相手を殺してしまっても、無罪。
 そんな法律があったくらいに、人間は死を恐れるもの。
 虫も殺さぬような者でも、人を殺してしまうほどに。
 自分の命を守るためにと、相手の命を奪ってしまって。


 本来、ヒトとは「そうした生き物」。
 けれど、軍人は死を恐れはしない。
(…私のように、機械が作った生命ならば…)
 そういったこともあるだろう。
 見た目はヒトと変わらなくても、生まれが「まるで違う」のだから。
 それに成人検査の年まで、機械が施し続けた教育。
 何もかもが「ヒトとは違っている」から、考え方もきっと「ヒトとは違う」。
 きっと、根本的な所で。
 だからこそグランド・マザーが目をかけ、此処まで育て上げて来た。
 「人類の指導者」になる者として。
 いずれはパルテノンに入って、元老の次は国家主席の座に就くようにと。
(死など恐れるような者では、話にならん…)
 現に暗殺の危機を何回、切り抜けたことか。
 間一髪で爆破を逃れたことやら、銃撃戦を繰り広げたことやら。
 それでも「怖い」と思わなかった「死」。
 特別な生まれの自分だったら、何の不思議も無いのだけれど…。
(……軍人も、普通の人間なのだ……)
 たまたま資質に恵まれただけで、子供時代は「普通の子供」だったろう。
 一般市民と何処も変わらず、無邪気に遊び回ったりして。
 そんな子供が、どうやって「死を恐れない」者になったのか。
 理由は、たった一つしかない。
 どう考えても、遠い昔の歴史の知識を動員しても。
(……洗脳か……)
 気味が悪いな、と心の中で呟く。
 遥か昔から、人間たちが使って来た手段。
 「死は怖くない」と兵士に教えて、名誉だとさえも思い込ませて。
 死をも恐れぬ軍隊を作り、死ぬためだけに戦わせもして。


(……ヒトがやるなら、まだいいのだがな……)
 そうではない分、酷く思える。
 今は機械が「それをする」から。
 記憶を消したり、植えたりするのと同じように。
 「死を恐れる」という本能に触れて、それをブロックしてしまって。
(…不自然で、おまけに非人道的で…)
 これでは仕方ないのだろうか、と零れた溜息。
 ミュウたちの方が勝ったとしても。
 人類軍は負け戦の末に、船の一隻すら残らなくても。
(……あのミュウの子供……)
 確かトォニィという名前だったか、母の胎内から生まれた子供。
 本来の「ヒト」の生まれ方をして来た、ああいう子供がいるミュウの艦隊。
(機械に本能さえも弄られ、死も恐れないような軍隊よりは…)
 奴らの方に分があるかもしれん、と不安になる。
 歴史は、どちらに味方するのかと。
 「ヒトらしく」生きるミュウの方なのか、「優れたヒト」である人類なのか。
 答えを出すのは神だけれども、人類を導くべき指導者は…。
(……神の領域を侵して生まれた私だからな……)
 人類の勝利に終わればいいが、と傾けるカップ。
 コーヒーは冷めてしまったけれど。
 それを「不味い」と思う心は、「ヒト」と同じな筈なのだけれど…。

 

         恐れない者・了

※SD体制の社会と言ったら、機械が洗脳しているようなもの。ごくごく普通の一般人でも。
 だったら兵士はどうなんだろう、というお話。こういったコントロールは可能な筈…。










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