(……まったく……)
懲りもせずに、よくやってくれる、とキースが零した深い溜息。
首都惑星ノアの、国家騎士団総司令のための執務室で。
先刻、部下の一人が持って来た書類、それをバサリと放り出して。
(馬鹿どものせいで、また優秀な国家騎士団員が…)
死んだのだがな、と顰めた眉。
名誉の戦死ならばともかく、実に下らない原因で。
国家騎士団総司令、キース・アニアンを狙った暗殺計画。
マツカのお蔭で、自分は死なずに済んだけれども、部下を何人か失った。
今の地位に就いて以来、何度も繰り返されて来たこと。
それ自体は珍しくないのだけれども、こうして報告書が届けられると…。
(…改めて腹が立つというものだ…)
馬鹿どもは、何も分かっていない、と拳を強く握り締める。
犠牲になった騎士団員は、警備に当たっていた者たち。
いわゆる下士官、世間に名前も知られてはいない。
だから彼らが何人死のうが、暗殺計画は、また実行に移される。
「キース・アニアン」を葬るために。
パルテノンを牛耳る政治家たちや、総司令の座を狙う者たちによって。
(…無能な者ほど、そういった傾向は強いのだがな…)
それにしても、と情けなくなる。
今日の暗殺計画を立てた者より、彼らのせいで死んだ下士官の一人。
(……きっと、将来、有望だった……)
総司令の座にも就けていたかもしれないな、と放り出した書類に目を遣った。
死んだ者たちの名簿に記されていた、明らかにキラリと光る逸材。
今の地位こそ下士官だけれど、彼は必ず出世したろう。
見る者が見れば、そうだと簡単に見抜ける人物。
なのに、その日は、永遠に来ない。
彼の命は失われたから。
国家騎士団総司令の命の代わりに、彼の命が消え去ったから。
もう何人になるのだろうか、こうして失われていった命は。
国家騎士団の未来を託せただろう人物、それが一瞬で木っ端微塵に消し飛ぶのは。
(…あの馬鹿どもに分かりはしないし…)
セルジュたちにも分かるかどうか、と直属の部下たちを思い浮かべる。
彼らは元から優秀だったし、それゆえにジルベスター・セブン以来の大切な部下。
(…しかし、彼らも…)
もっと優れた者がいることにさえも、未だに気付いてはいない。
それどころか、逆に見下す始末。
「コーヒーを淹れるしか能の無いヘタレ野郎」と、あからさまな言葉をぶつけて。
ひ弱で役に立ちはしないと、他の部下の足を引っ張るだけだ、と。
(…どうしてマツカが側近なのか、それも分からないようではな…)
今日、失われた者たちの真価も、彼らには見抜けないかもしれない。
マツカのように「目の前にいても」分からないなら、書類だけではなおのこと。
(……マツカは、特殊な例だとしても……)
本来、存在してはならないミュウだし、その能力も秘されてはいる。
グランド・マザーさえも知らない、マツカが持っている力。
だからこそ「分かりにくい」とはいえ、本当に「コーヒーしか淹れられない」なら…。
(誰がわざわざ、あんな辺境から…)
連れて帰ると思っているのだ、と「見る目の無い部下たち」には呆れるしかない。
セルジュたちの目は、節穴なのだ、と。
そんな彼らには、今日、散っていった下士官の値打ちも、分かるまいな、と。
(……セルジュたちでも分からないなら……)
あの馬鹿どもには無理だろうが、と思いはしても、腹立たしい。
彼らの愚かな計画のせいで、人類が失った希望の一つ。
死んだ下士官が、生きて最前線へと赴いていたら…。
(…ミュウどもの進撃を、少しくらいは…)
食い止められたかもしれないものを、と唇を噛む。
どう考えても負け戦なのが、ミュウとの戦い。
それでも「少しはマシだったろう」と、「時間稼ぎは出来ただろうな」と。
死んだ「彼」さえ生きていたなら、彼が艦隊を指揮していたら。
そうは思っても、その逸材の地位は下士官。
暗殺計画で命を失い、二階級特進の栄誉を得てはいるけれど…。
(その地位でさえも、まだ、艦隊を指揮するまでには…)
至らないのだ、と「彼」の顔写真を思い浮かべる。
まだまだ若くて、少年とさえも見えるくらいの年だった。
教育ステーションを卒業してから、ほんの数年。
(……あの年の頃は、私でさえも……)
単なる「メンバーズ・エリートの一人」で、敬意を払ってくれる者さえ無かった。
明らかに地位の劣っている者や、軍とは無縁の一般人を除いては。
(…もちろん、艦隊の指揮官などは…)
任せて貰えた筈も無い。
実際には「出来る」能力の持ち主でも。
グランド・マザーに目をかけられていても、それと軍での地位とは別。
(私でさえも、そうだったのだ…)
だから無理もないことではあるが…、と分かってはいても、情けなくなる。
「どうして、彼を失ったのだ」と。
今日までに何人、死んだだろうかと、惜しい命を幾つ散らせてしまったのか、と。
(彼らが、生きていたならば…)
変わるかもしれない、ミュウとの戦いの潮目というもの。
人類の負けだと思ってはいても、その日が来るのを数年ばかり先に延ばせたならば…。
(負けるにしても、ミュウどもに一矢報いて…)
痛い目を見せておきさえしたなら、有利になりそうな講和の条件。
ミュウの言いなりに、唯々諾々と従うのではなく、人類からも出せる提案。
(…ノアだけは、人類だけの居住地にしておきたい、とか…)
もっと辺境の惑星にしても、「ミュウが来ない」場所を設けることが出来るとか。
それが出来れば、人類も少しは救われるだろう。
どんなに「キース」が手を尽くそうとも、頑なに考えを変えない者は、変わりはしない。
「ミュウとの共存など、とんでもない」と。
暗殺計画を練るような者も、間違いなく、その類だろう。
彼らのためには「救い」が要る。
「絶対に、ミュウが立ち入らない」場所、彼らの暮らしがミュウに脅かされない場所が。
(…だが、現状では…)
そんな条件など出せはしない、と嫌と言うほど分かっている。
人類は惨めに負けるしかなくて、ミュウの時代が来るのだろう、と。
(彼らさえ、生き延びてくれていたなら…)
今までに死んでいった優れた下士官、彼らが戦力になっていたなら、と口惜しいばかり。
その日を迎えることが出来ずに、無駄に失われた命の数。
(…これが、ミュウどもだったなら…)
事情は違っていたのだろうな、と脳裏に浮かんだ「ソルジャー・ブルー」。
ただ一人きりで、メギドを破壊しに来た戦士。
(あいつは、下士官などではなかった…)
人類の社会に置き換えたならば、国家主席とも言える人物。
しかも、三百年もの長きに亘って、ミュウを率いて来たソルジャー。
(…そんな大物が、最前線に…)
単身、乗り込んで来たというのが、未だに信じられない気持ち。
メギドの破壊に成功しても、彼は生きては帰れないのに。
彼が帰ってゆく筈の船は、躊躇いもせずにワープして消えた。
つまりは、知っていたということ。
「ソルジャー・ブルーは、戻らない」と。
彼の命はメギドで消えると、生き残る可能性は「万に一つもありはしない」と。
(…どうして、そんな決断が出来る?)
自ら最前線に飛び込んで来た、ソルジャー・ブルー。
彼を見送った、モビー・ディックに乗り組むミュウたち。
(……指導者を失ってしまったならば……)
組織はたちまち崩壊するし、士気を保ってゆくのも不可能。
そうだとしか、思えないものを。
ジョミー・マーキス・シンがいると言っても、偉大な指導者が欠けるのは事実。
これが人類なら、どうすることも出来ないだろう。
国家主席を失った穴を、急いで埋めることなど出来ない。
指導者不在の人類軍など、恐らく、烏合の衆も同然。
もはや白旗を掲げるしか無く、ミュウどもの前に屈するのだろう。
逆転のために単身戦いの場へと赴く、無謀とも言える戦士は、誰もいないから。
考えるほどに、理解出来ないミュウたちの思考。
人類ならば、上官のために命を失う者が出るのを、誰も不思議に思いはしない。
今の自分が「そう思う」ように、失った命を惜しみはしても。
「彼さえ、生きていてくれたなら」と、真価に気付いて悔やみはしても…。
(…人類の未来は、彼らに託すべきだ、と…)
彼らの代わりに「キース」が死ぬなど、有り得ないことで、あってはならない。
それでは、組織が壊れるから。
国家騎士団総司令の座を、そんな理由で空けてはならない。
(…私を殺して、代わりに誰かが収まるのなら…)
最初から「代わり」を用意しているし、単にトップが交代するだけ。
暗殺計画を立てるからには、ちゃんと「代わり」を思い定めているだろう。
けれど、あの時のミュウたちは違う。
降って湧いたとも言える災厄、誰も予想などしなかった筈。
(…そんな時に、指導者を失うなどは…)
命取りでしかない筈なのに、と思うけれども、ミュウたちは躊躇いもしなかった。
ソルジャー・ブルーも、彼を見送った者たちも。
(……恐ろしいとしか……)
言いようがないし、理解も出来ん、と背筋がゾクリと凍えるよう。
「やはり、人類はミュウに敗北するのだろう」と。
優秀な人材を捨て駒にして、先のことなど考えないのが人類だから。
未来を築いてくれそうな者を、救おうともしない種族だから。
(…私自身が、最前線に…)
立つことも出来ないような軍では…、と、虚しい気持ちに襲われる。
これからも、それが続くから。
幾つもの命が無駄に潰えて、そうする間に、敗北の時が迫って来るのが見えているから…。
失われてゆく命・了
※地球での会談前夜に、キースがフィシスにぶつけた疑問。指導者が最前線に出て戦う理由。
それをベースに捏造しました、「きっとキースは、前から気になっていた筈だよね」と。
『ジョミー…! みんなを頼む』
…届いただろうか、ぼくの最期の思念は。
それとも船はワープした後で、届くことなく、宇宙に消えていっただろうか。
どちらでもいい、全て終わったから。
今度こそ、ぼくの命は燃え尽き、皆の盾となって砕け散ったから。
けれども、届けられなかった想い。
伝えないまま、優しい嘘をついてしまった。
「直ぐ戻るよ」と。
二度と船には戻らないことを、ぼくは誰よりも知っていたのに。
…フィシス。
ミュウの、ぼくたちの大切な女神。
(…本当は、ぼくの…)
ぼくの女神で、ぼくが欲しくて手に入れた女神。
君だけが抱く美しい地球を、いつまでも、この目で見ていたくて。
そのためだけに、あの水槽の前に通い続けて、どうしても諦めることが出来なくて。
そうして、ミュウの皆を騙した。
ぼくは最後まで、君の生まれを隠したまま。
(…この先、君は…)
どうなってゆくのか、ぼくには分かっているけれど。
サイオンを失い、ぼくを失い、立ち竦む君が見えるけれども、これより他に道は無かった。
仲間たちも、君も、共に救うには、時間が足りなかったから。
君の「命」を守ることしか、ぼくには出来なかったから。
(……フィシス、すまない……)
どうか、恨むなら、このぼくだけを。
他の誰をも恨みはしないで、ただ、ぼくだけを憎んで欲しい。
ぼくを忘れてしまっていいから、心の中から放り出して、捨ててしまっていいから。
…だから、フィシス…。
(…君は、生きて…)
ぼくなど許さなくてもいいから、忘れていいから、先へ進んで。
たとえ暗闇で一人、立ち竦もうとも、憎しみは全て、ぼくにぶつけて。
後ろばかりを振り返らないで、ただ真っ直ぐに、前を見詰めて。
それだけが、ぼくの最後の望み。
言えずに、終わってしまったこと。
この想いが君には届かなくても、ぼくは永遠に祈り続ける。
(…フィシス、ぼくの女神…)
君の未来に、幸多かれ、と。
ヒトとして皆と生きていって欲しいと、君も間違いなく「ヒト」なのだから、と…。
ぼくの女神へ・了
※「ブルー追悼は、もう書かない」と言っていたくせに、また今年もかい、と。
アニテラ放映当時から14年、目覚めの日な歳月が経ってしまって、今や本業も転生ネタ。
けれど「コロナ禍だしな」と書いたのが去年で、今年は去年よりも更に酷い夏に。
無観客でも東京オリンピックを強行、コロナは第5波に入った模様で、ワクチンも不足。
管理人だって打てていません、というわけで、2021年7月28日記念作品。
今年もコロナ禍へのメッセージをこめていますが、来年は書かずに済むことを希望。
(この本の中には、別の世界が……)
あるんだよね、とシロエが零した小さな溜息。
Eー1077の夜の個室で、一人きりでベッドに腰を下ろして。
もっとも、宇宙空間に浮かぶステーションには、本物の夜など無いのだけれど。
(…この表紙みたいな、本物の空も…)
此処には無いよ、と眺めるピーターパンの本。
ただ一つだけ、故郷の星から持って来ることが出来た宝物。
ピーターパンの本の表紙には、夜空を翔けるピーターパンたちが描かれている。
この絵みたいに、自分も行ってみたかった。
子供が子供でいられる世界へ、ネバーランドへ。
(だけど、ピーターパンは迎えに来てくれなくて…)
とうとう、こんな牢獄まで連れて来られてしまった。
大好きだった両親の記憶も、故郷の記憶も、機械に奪い去られてしまって。
(…ピーターパンの本の中なら、そんなシステムなんか無いのに…)
SD体制なんか何処にも無いのに、と本のページを繰ってみる。
文字と挿絵の世界だけれども、その向こうには…。
(ピーターパンたちが住んでる世界が、ちゃんとあるんだよ)
人に話したら、「そんなものは全部、作り話だ」と、一蹴されるのだろうけれど。
作者が作った幻想の国で、何処にも存在するわけがない、と。
(……でも、ぼくは……)
ネバーランドは「在る」のだと思う。
ピーターパンの本の作者は、ネバーランドを「見られた」のだ。と。
きっとピーターパンにも出会って、その経験を書き残した。
作者のように子供の心を失くさなければ、誰でも行けるだろう世界。
こういう世界が「存在する」と、ピーターパンの本の形で。
(きっと、そうだよ)
そうでなければ、こんな世界は書けないだろう。
気が遠くなるような時を経てなお、色褪せることなく残る物語などは。
本の活字と、挿絵の向こう。
其処に在る筈の、ネバーランド。
今も行きたくてたまらない国、幼い頃から憧れた世界。
(…この本の中に、入れたら…)
入ってしまうことが出来たら、どんなに幸せなことだろう。
他の人たちは信じなくても、ネバーランドは、「在る」筈だから。
ピーターパンの本に入ってしまえば、その世界の中の、夜の彼方に。
(…二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ…)
本に書かれた、ネバーランドへ行くための方法。
ピーターパンが来てくれないなら、そうやって歩いてゆけばいい。
ひたすらに、ネバーランドを目指して。
二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ。
(……行きたいな……)
ネバーランド、と思うけれども、本の世界はどうだろう。
きっと何処かに「在る」だろう世界、別の次元とも言える空間。
(…訓練中の事故か何かで…)
亜空間ジャンプに失敗したなら、あるいは行けるかもしれない。
宇宙船から放り出されて、ピーターパンの本の世界へ。
時間も空間も全て飛び越え、ただ一人きりで。
(……えーっと……?)
ずっと昔のイギリスだっけね、とピーターパンの本の活字を追った。
人間が地球しか知らなかった頃の、大英帝国と呼ばれた国。
其処のロンドン、それが物語の始まりの場所。
(…うんと昔の、地球の、ロンドン…)
たった一人で落っこちたならば、どんな具合になるのだろうか。
(……言葉は、きっと問題ないよね)
ピーターパンの本が生み出されてから、訳された言語は星の数ほど。
幼かった頃の自分も読めたし、言葉は必ず通じるだろう。
イギリスの言葉を話せなくても。
其処の人たちが話す言葉が、今の世界とは違っていても。
(……よーし……)
それなら言葉は大丈夫、と「本の中の世界」を考えてゆく。
この世界から、突然、其処に落っこちたなら…。
(…着ている服が変だよね?)
宇宙服などは、まだ無い世界。
それを着たまま歩いていたなら、警察官が来るかもしれない。
「怪しい人間」を、捕まえて牢屋に放り込むために。
(……それはマズイよ……)
何処から来たのか素直に言っても、警察官に通じはしない。
どちらかと言えば、更に怪しまれるだけだろう。
「別の世界から来た」なんて。
それも遥かに遠い未来で、地球が一度は滅びてしまった後の世界など。
(…宇宙服なんか、サッサと捨てて…)
訓練用の服だけになれば、少しは誤魔化せそうだと思う。
ただし、イギリスの季節によっては…。
(寒いかもね?)
なにしろ、シャツとズボンだけ。
シャツも防寒用ではないから、冬だったら凍えてしまいそう。
(……ロンドンの冬って……)
雪も降るよね、と大変なことに気が付いた。
ピーターパンの本の世界に落っこちる時には、季節なんかは選べはしない。
たとえ真冬に落っこちようとも、「春にしてよ」と頼むだけ無駄。
そのまま其処で生きるしかなくて、寒くても自分で解決するしか道は無さそう。
火を焚くにしても、暖かい場所を探して彷徨うにしても。
(…うーん…)
いきなりサバイバルの実習だよ、と思ったけれども、いいかもしれない。
Eー1077で受ける訓練などより、ずっと楽しいことだろう。
寒さで凍えて震えていたって、其処は本物の地球だから。
宇宙ステーションとも、育英惑星とも違う正真正銘の地球。
其処で一人でサバイバルなら、かまわない。
どんなに雪が降りしきろうとも、吹き付ける風で身体の芯まで凍えようとも。
冬の最中に落っこちようとも、ピーターパンの本の世界なら文句は言わない。
ピーターパンが迎えに来るまで、其処で逞しく生き抜いてやる。
「二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ」、そういう道を見付けるまで。
Eー1077に入れたくらいのエリート、そんな人生なんかは要らない。
幼い頃から夢に見ていた、本の世界で生きられるなら。
寒さに凍えて、飢えていようとも、其処はロンドンなのだから。
(…ウェンディたちに会えればいいけれど…)
あちらは「シロエ」を知らないのだから、会えても不審がられるだろうか。
「あなたは、だあれ?」と。
おまけに、それに対する答えを、自分は持たない。
「別の世界から来たんです」としか、言えないから。
しかも自分の「元の世界」は、ウェンディたちから見たなら、地獄。
子供が子供でいられないどころか、人工子宮から子供が生まれて来る世界。
(どう考えても、悪魔の国だよ)
言えやしない、と思うものだから、ピーターパンに出会えるまでは…。
(……頼れる人なんか、誰もいないよ)
つまり、一人でサバイバル。
着る物も、食べ物も、寝る場所までも、全て自分で確保するだけ。
(…どうすれば生きていけるんだろう?)
ロンドンでサバイバルなんて、と想像してみて、絶望的な気持ちになった。
なにしろ、ロンドンは当時の大都会。
農村だったら、集落の外に森や林もありそうだけれど…。
(…そういうのは無くて、公園だよね?)
公園では、食べ物は見付かりそうにない。
そういった場所で狩りは出来ないし、木の実も採っては駄目なのだろう。
(川で釣りとか…?)
魚だけは、なんとか手に入るかな、と思うけれども、パンなどは無理。
(…いっそ、その辺の露店から…)
盗んで逃げるか、それが嫌なら物乞いするか。
なんとも厳しい世界だけれども、今の世界より、遥かにいい。
「生きているんだ」という感じがするから、本の世界でも「本物」だから。
(……行ってみたいな……)
物乞いでしか生きていけなくても、と夢を見ないではいられない。
ピーターパンの本の世界に入れるのならば、それでいい、と。
生きてゆくのが大変だろうと、自分が自分でいられる世界。
(…マザー・イライザなんかはいなくて…)
記憶を操作されはしないし、捕まえに来るのは警察官だけ。
「怪しい奴だ」と追って来るのか、「コソ泥めが!」と追い掛けて来るか。
(追い掛けられても…)
捕まらないように逃げて回って、ネバーランドへ行く道を探す。
「二つ目の角を右へ曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ」、そういう道を。
そうやって懸命に生きていたなら、その内に…。
(きっと、ピーターパンが見付けてくれるよ)
盗みをするような「悪い子」だろうと、それは「盗まないと死んでしまうから」。
ネバーランドに行きたいあまりに、別の世界から来た「子供」。
(…悪い子じゃない、って、ピーターパンには分かる筈…)
そしたら、ネバーランドに行ける、と膨らむ夢。
ただ一人きりのサバイバルでも、冬のロンドンでも、かまわない。
ピーターパンの本の世界に入って、その中で生きてゆけるなら。
宝物の本の挿絵の一つに、「シロエ」が描かれてしまおうとも。
(…端っこの方で、ボロを着ていて…)
裸足で歩いている姿だろうと、其処に入ってしまえるならいい。
Eー1077よりも遥かにいいから、「生きている」と心から思えるから。
(…本当に、この本の中に入れるんなら…)
真冬に物乞いでもかまわないよ、とピーターパンの本を抱き締める。
「行けたらいいな」と。
訓練中の事故で落っこちようとも、後悔なんかは微塵も無い。
今、生きている「この世界」よりも、本の中の方が「いい」世界だから。
子供が子供でいられる所で、機械に支配されてもいない。
だから行きたい、と焦がれる気持ちは、止まらない。
どんなに暮らしが大変だろうと、本の中には、「本物の世界」があるのだから…。
本の中の世界・了
※元ネタは『ふしぎ遊戯』と、アメリカドラマ『ワンスアポンアタイム』のベルファイア。
アニテラの方のシロエだったら、このくらいの夢は見られる筈。冬のロンドンでサバイバル。
(さて…。あの女は来るか、それとも来ないか)
どちらだろうな、とキースは心の中で一人、呟く。
遥か昔に死に絶えたまま、未だ蘇らない地球に照る月を見上げながら。
ユグドラシルと名付けられ、地球の再生を担う筈だった巨大な構築物の一室で。
SD体制が始まってから六百年も経つというのに、廃墟さえも放置されたままの星。
ミュウどもは、さぞや絶望したことだろう、と汚染された大気の向こうを眺める。
血の色を思わせる赤い満月。
なんとも不吉な色だけれども、じきに本物の赤い血が…。
(この部屋を染めることになるやも知れんな)
そうなったとしても、私は知らんが、と唇に浮かべた自嘲の笑み。
もしも「キース」の血が流されたなら、後のことなど、自分は知らない。
死んでしまった国家主席には、どうすることも出来ないから。
部下たちに指示することはもちろん、地球の行く末を考えることも。
(…それを承知で…)
実に愚かなことをしている、と自分でも思う。
警備の兵を全て退け、直属の部下も、皆、下がらせた。
此処に「あの女」がやって来たなら、誰にも止めることは出来ない。
そして、自分にも「止める」気は無い。
止めるどころか、殺してくれと言わんばかりに、見事に丸腰。
自分の銃は、机の上に放り出して。
あの女が「それ」を使うのだったら、それもまた良し、と。
(……マザー・イライザ……)
Eー1077で、「キース」を無から作り上げた機械。
此処に来るかもしれない女は、マザー・イライザに良く似ていた。
それもその筈、「キース」にとっては、誰よりも身近な者だったから。
水槽の中で育つ間に、いつも見ていた彼女のサンプル。
更には、彼女の遺伝子情報、それが「キース」のベースとなった。
機械が作ったDNAの。
三十億もの塩基対を合成してから、鎖に紡いでゆく時に。
「あの女」が此処に来るとしたなら、間違いなく持っている殺意。
ジルベスター・セブンを滅ぼした時に、メギドで対峙した「ソルジャー・ブルー」の…。
(…仇を討ちに来るのだろうしな)
私が殺したも同然だから、と承知している。
実際、仕留めるつもりだったし、言い訳はしない。
「キース」を殺して気が済むのならば、別にそれでもかまわない。
こんな命に未練など無いし、此処で自分が死んだとしても…。
(…世の中、大して変わりはしないさ)
どうせ歴史はミュウのものだし、そうなる証拠も、自分は掴んだ。
SD体制が始まる前に、仕組まれていたとも言える実験。
(……ミュウ因子を排除してはならない……)
それが地球を統べるグランド・マザーに与えられた、唯一の永久指令。
ヒトの未来を築いてゆく者、それが「どちらになるのか」、誰にも分からなかったから。
人類なのか、それともミュウか。
SD体制を築いた者たち、彼らは結果を「未来」に向けて先延ばしした。
自分たちでは答えを出さずに、ミュウの因子を残したままで。
「生まれて来たミュウ」は処分するけれど、それでもミュウの因子は消さない。
そのストレスに耐えて生き残ったなら、ミュウの時代が来るだろう、と。
(…未来の人間に押し付けるとは…)
厄介なことをしてくれた、と腹を立てても、押し付けた「彼ら」は、もういない。
そのことを知ってしまった「キース」が、此処にいるだけ。
(……今夜、私が生き延びたなら……)
ミュウの女に殺されなければ、明日、人類は、「それ」を知ることになるだろう。
そのために使うメッセージならば、とうに収録してあるから。
圧縮データを、旧知の友に送りさえすれば、真実が全宇宙に放映される。
Eー1077で共に過ごした、スウェナ・ダールトン。
彼女が率いる「自由アルテメシア放送」を通して、あらゆる場所に。
そう、この夜を生き延びたなら。
自分の銃で撃ち殺されずに、圧縮データを送信したら。
(…先に送っても、いいのだがな…)
ほんの数時間の違いだ、と思いはしても、何故だか、それをする気がしない。
ミュウが勝者になるのだったら、いずれ真実を知るだろう。
此処で「キース」が死んでしまって、データがお蔵入りしても。
人類にしても、ミュウが真実を掴んだ時には、嫌でも知らされることになる。
(明日知るか、もっと先に知るかの違いだけだ)
其処まで面倒を見てやる気は無い、と、人類もミュウも、突き放す。
明日の朝まで生きていたなら、ちゃんと面倒を見るけれど。
国家主席の責任を果たし、真実を皆に知らせるために。
(…だが、どうなるかは…)
私自身にも分からないのだ、と見上げる月。
自分は今夜、撃たれて死ぬのか、明日の朝まで生き延びるのか。
(……あの女が、私の死神になるのなら……)
マザー・イライザに殺されるようなものか、と、ふと思った。
「ミュウの女」は、マザー・イライザではないけれど。
本物のマザー・イライザの方も、とうの昔に、この手で処分したのだけれど。
(…しかし、私がずっと見ていたマザー・イライザは…)
確かに彼女に似ていたのだから、皮肉なものだ、という気がする。
今宵、「あの女」に殺されるなら。
かつて目にした多くのサンプル、「キース」になる筈だったモノたち。
彼らは、全て殺された。
フロア001で目にしたサンプル、それらを残して。
マザー・イライザが「作った」モノたち、失敗作は処分したのだとイライザは告げた。
「サンプル以外は、処分しました」と、事も無げに。
「キース」が無事に完成したから、それでいいのだ、と。
つまり、こうして国家主席になった「キース」も、もしも失敗作だったなら…。
(…処分されていたというわけだ)
失敗作になった段階で…、と分かっているから、死神が「あの女」になるのもいいだろう。
マザー・イライザに、似ているから。
機械に魂は無いだろうけれど、黄泉の国から「キース」を処分しに出て来たようで。
(…殺したければ、殺すがいいさ)
この先の歴史は、どうせ変わらん、と「命」なら、とうに捨てている。
明日のミュウとの会談にしても、どう転がるかは分からない。
その上、密かに自分が固めた決意は、恐らく、死へと繋がるだろう。
グランド・マザーに逆らうから。
システムに反旗を翻す以上、多分、生きては戻れない筈。
(…だからこそ、私がそうなる前に…)
スウェナにデータを送るのだけれど、その前に死ぬ可能性。
今夜の間に、撃ち殺されて。
マザー・イライザに似た「ミュウの女」に、撃たれて、その場で絶命して。
(…グランド・マザーに処分されるか、あの女がマザー・イライザのように…)
今頃、「キース」を処分するのか、と思った所で、ハタと気付いた。
「もしも、逆らっていたならば」と。
これから自分がそうするように、遠い昔に。
マザー・イライザが統治していた、Eー1077で。
(…私が、失敗作ならば…)
当然、処分された筈だし、失敗作だと判断される時期が、あの水槽の中とは限らない。
他のサンプルたちの場合は、全て、そうだったとしても。
(……本当に全てだったのか?)
かなり大きなサンプルも見た、とフロア001の記憶を手繰る。
胎児から幼児、少年と並んでいたサンプル。
それらの中には、成人検査の年齢よりも育ったモノも存在したように思う。
マザー・イライザが「それ」を処分したのは、いつだったのか。
Eー1077の候補生として、水槽から出した後だった可能性もある。
(…マザー・イライザの意に反したなら…)
直ちに処分で、あれは「そういうモノ」だったろうか。
そうだとしたなら、今、此処にいる「自分」にしても…。
(…一つ間違えたら、死んでいたのか)
いとも呆気なく、処分されて。
マザー・イライザに逆らったならば、それは「失敗作」なのだから。
考えてみれば、失敗作になり得た機会なら、あった。
セキ・レイ・シロエが逃亡した時、彼を見逃していたならば…。
(…深層心理検査を食らって、奥の奥まで探られた末に…)
後に「失敗作」へと成長してゆく、微かな兆しを読まれただろうか。
あの頃の自分自身はと言えば、そうまで思っていなかったけれど。
だからこそ、シロエを殺した後には、順風満帆だった人生。
ジルベスター・セブンをメギドで焼き払う時も、微塵も迷いはしなかった。
「あの女」に恨まれる原因となった、「ソルジャー・ブルーを撃った」時にも。
(…しかし、自分では、そのつもりでも…)
既にシステムに逆らい始めて、今の自分に繋がる種なら、もう蒔いていた。
ペセトラ基地で、マツカを拾った時に。
マツカがミュウだと知りつつ殺さず、側近に仕立て上げた時点で。
(…利用価値があるから、生かしておくのだ、と…)
頭から思い込んでいたのだけれども、それは自分の考え違い。
まるでシロエの身代わりのように、大切に生かし続けた「マツカ」。
そのマツカも死んでしまった今では、はっきりと分かる。
「私も、失敗作なのだ」と。
マザー・イライザが監視していたら、自分も「処分」される筈だ、と。
けれど、マザー・イライザは破壊したから、代わりにグランド・マザーが出て来る。
「キース」を処分するために。
明日、会談の後に行ったら、そうなるだろう自分の運命。
とはいえ、夜はまだ明けないから、あるいは、「キース」を処分するのは…。
(……あの女なのかも知れないな……)
それも良かろう、と、時が来るのを、ただ一人、待つ。
誰が自分を消すだろうか、と。
失敗作と化してしまったからには、そうなる他に道は無いから。
生きて天寿を全うするなど、「失敗作」に似合いはしないし、その気も無い。
あまりにも、罪を重ねたから。
失敗作だと気付いた時には、シロエもマツカも、失くしてしまった後だったから…。
死神を待つ夜・了
※グランド・マザーに逆らったキースは、マザー・イライザの失敗作になったわけですが。
もっと昔に逆らっていたら、その時点で処分だった筈。そんな考えから生まれたお話。
(ネバーランドに行きたいな…)
本当は地球に行くより、ずっと、とシロエの唇から零れた溜息。
E-1077の夜の個室で、ベッドの端に腰を下ろして。
膝の上にピーターパンの本を広げて、挿絵のページを眺めながら。
其処に描かれたネバーランド。
幼い頃から行ってみたくて、迎えが来るのを待っていた場所。
ピーターパンとティンカーベルが、夜空を翔けて来てくれるのを。
自分も一緒に空高く舞って、夢の世界へ飛んで行ける日を。
(…それなのに、ぼくは…)
ネバーランドに行くことは出来ず、こんな所に来てしまった。
宇宙空間に浮かぶ牢獄、ステーションE-1077。
マザー・イライザが支配する世界、SD体制のシステムを凝縮したような…。
(息が詰まりそうになる、小宇宙…)
エネルゲイアの頃とは違う、と肌で感じる異質な世界。
常に機械が監視していて、規則を破れば、瞬時にマザー・イライザに知れる。
それが続けばコールサインで、マザー・イライザの前に呼び出される。
心に抱いた思想の隅まで、悉く調べ尽くすかのように。
深い眠りの奥深く沈め、あらゆる記憶をかき回して…。
(…機械に都合の悪い記憶は…)
消してゆくのだ、とハッキリ分かる。
何故なら、コールで呼び出された後は、更に記憶が薄れているから。
それは故郷の景色だったり、懐かしい両親の面影だったり。
(成人検査で奪ったくせに…)
まだ奪うのか、と悔しいけれども、今の社会は、そういうシステム。
けして機械に逆らわないよう、危険な思想は端から摘み取る。
ステーションから大人の社会に出たなら、今よりも酷くなるのだろう。
そうなった時に、誰も不満を抱かないように…。
(…慣れさせておくのが、ステーション時代…)
大人の社会のミニチュア版だ、と唇を噛む。
「こんな所に、ぼくは来たくはなかったのに」と。
違う世界に行くのだったら、ネバーランドの方が良かった。
幼い頃から夢に見た国、今も憧れ続ける場所。
息の詰まる教育ステーションより、ピーターパンたちがいる国がいい。
其処に行ったら、きっと子供に戻れるのだろう。
機械が奪ってしまった記憶も、自然に戻って来るかもしれない。
「シロエ」が子供に戻ったら。
子供の心を取り戻したなら、子供時代の記憶の全ても、そっくりそのまま蘇って。
(…そうかもしれない…)
だったら余計に行きたいよ、と考えたけれど、同時にゾクリと凍えた背筋。
(……子供の心を取り戻したら……)
たった今、自分は、そう考えた。
子供の心を取り戻すのなら、今の自分は「子供の心」を失くしたろうか。
ちゃんと持っているつもりでも。
ネバーランドを夢見る心は、幼かった日と変わらなくても。
(…そんなことって…)
あるのだろうか、と恐ろしくなる。
今でも自分は、ネバーランドを忘れていない。
両親に貰った大切な本も、こうして此処まで持って来られた。
だから自分は、選ばれた子で…。
(…うんと勉強して、メンバーズ・エリートに選ばれて…)
出世して、いつか地球に行くんだ、と確固たる決意は揺らがない。
いつか世界の頂点に立って、国家主席として機械に命じる。
「奪った記憶を、ぼくに返せ」と。
そして世界を「人の手に戻せ」と、機械は永遠に止まってしまえ、と。
(そのために、ぼくは…)
牢獄に耐えているのだけれども、もしかしたら、それは間違いだろうか。
子供の心を持っていたなら、そうは考えないかもしれない。
ただ単純に、ネバーランドを夢見るだけで。
「行けたらいいな」と憧れるだけで、世界はどうでもいいかもしれない。
ネバーランドは、機械に統治されないから。
ピーターパンたちが暮らす世界は、システムの外にあるのだから。
(…ピーターパンの本が書かれた時代は…)
人間の世界は地球が全てで、誰もが地球で暮らしていた。
地球が滅びる時が来るなど、いったい誰が考えたろう。
もしも、そういう時が来るなら、地球を滅ぼすのは、人間ではなく…。
(……最後の審判……)
世界の終わりに神が行う、全世界規模の破壊が、その時。
それ以外には、地球の滅びは有り得なかった。
だから「機械が統治する」など、誰も想像しなかっただろう。
世界が滅びてしまった時には、支配するのは神なのだから。
(…昔の人たちが思った以上に…)
今の世界は、無残に歪んでしまったらしい。
地球の滅びを招いたのは人間、SD体制を作ったのも人間。
「シロエ」もシステムの中から生まれて、其処で育って来た子供。
ネバーランドを夢見てはいても、やはり何処かが致命的に…。
(…違っている、っていうことも…)
無いとは言えない、と肩をブルッと震わせた。
だとしたら、何処で間違えたろう、と。
自分の何処がいけないのかと、間違えたのなら、どの辺りかと。
(……地球に行こう、って……)
幼かった日に描いた夢。
抱いた希望。
「ネバーランドより素敵な場所さ」と、父が教えてくれたから。
「シロエなら、行けるかもしれないな」とも。
選ばれた優秀な人間だけしか、行けない地球。
青く輝く母なる星。
(ネバーランドよりも、素敵な場所なら…)
行ってみたい、と夢を抱いて、そのために懸命に重ねた努力。
成人検査を優秀な成績でパス出来なければ、地球への道は開けないから。
地球に行くために「勉強しなくちゃ」と。
自分の努力は報われたけれど、今の有様はどうだろう。
故郷や両親の記憶を奪われ、こんな牢獄で暮らしている。
いつの日か、地球に行くために。
メンバーズ・エリートに選出されて、国家主席への道を駆け上がるために。
(…此処を出たって、ずっと牢獄…)
機械の監視は厳しくなってゆくだけだろう、と容易に想像がつく。
養父母や一般市民になるならともかく、エリートの道を進むのならば。
地球にあると聞くグランド・マザーが、マザー・イライザより甘いわけがない。
そういう機械が監視する社会、グランド・マザーが統治する世界。
きっと、グランド・マザーが座している地球も…。
(……牢獄なんだ……)
選ばれた人間には夢の国でも、と今頃、気付いた。
このシステムに馴染んで育った、善良な一般市民やエリート。
彼らにとっては「素晴らしい場所」でも、「シロエ」にとっては、どうなるのか。
(…国家主席になったとしても…)
機械に「止まれ」と命令するなら、それを宣言する場所は地球。
地球が本当に素敵な場所なら、そんな必要は無いだろう。
もしも降り立てる時が来たなら、その幸運を素直に喜べばいい。
「やっと来られた」と、「此処が地球という星なんだ」と。
地球での暮らしが許されたならば、もうそれだけで最高だろう。
ネバーランドよりも素晴らしい場所で、生きてゆくことが出来るのだから。
機械に「止まれ」と命じなくても、幸運に酔って暮らしてゆける。
グランド・マザーが用意してくれた、素敵な場所で。
「なんて幸せな世界だろうか」と、地球という星を満喫して。
(…だけど、ぼくには…)
SD体制を嫌う自分にとっては、地球は牢獄になるのだろう。
このシステムに馴染んだ人間、彼らにとっては天国でも。
ネバーランドよりも素敵な場所でも、「シロエ」には、そうは感じられない。
グランド・マザーが座している星、其処はシステムの要だから。
何処の星よりも監視が厳しく、異分子は全て、徹底的に排除する世界だから。
(…地球に行こう、って思った時に…)
自分は道を間違えたろうか、自分では、そうと気付かずに。
「ネバーランドよりも素敵な場所」だと、聞いて憧れただけなのに。
(……そうだったのかも……)
あの時、夢を抱かなかったら、この牢獄にはいないかもしれない。
地球へ行こうと夢見ることなく、ネバーランドだけを求めていたら。
ピーターパンが迎えに来るのを、ただ待ち焦がれる子供だったら。
(…そうしていたら…)
夜空を翔けて、ピーターパンが来たのだろうか。
歪んでしまった今の世界に、ネバーランドを目指す子供が、どれほどいるか。
ピーターパンの本はあっても、其処に書かれた世界に憧れ続ける子供。
(…滅多にいないような気がする…)
大抵の子供が憧れる先は、大人の社会。
いつか大人になってゆくこと、成人検査をパスした先。
現に自分も…。
(……ネバーランドよりも素敵な場所だ、って……)
父に教わった地球を目指して、懸命に努力を重ねていた。
成績優秀な子供でなければ、地球への道は開けないから。
成人検査をパスした先に、地球という場所を夢見て、努力し続けて…。
(…今いる場所は、こんな牢獄…)
あんな夢さえ抱かなければ、と後悔したって、もう遅い。
道を外れてしまったから。
ネバーランドだけを夢見る代わりに、別の世界を夢に見たから。
(…二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ…)
ずっと、その道を探していたなら、ネバーランドにいたのだろうか。
ピーターパンが迎えに来て。
あるいは自分で道を見付けて、朝まで真っ直ぐ歩いて行って。
(…そうだったなら…)
あまりに自分が可哀想だから、選ばれた子だと思いたい。
機械に「止まれ」と命令できる子、歪んだ世界を元に戻せる子供。
子供が子供でいられる世界を取り戻す子が、「シロエ」という名の勇者なのだ、と…。
憧れた場所・了
※憧れる場所を間違えたのかも、と気付いたシロエ。地球という場所を知ったせいで、と。
ネバーランドだけを夢見ていたなら、と恐ろしくなるのも、無理はないかも…。