(さて…。あの女は来るか、それとも来ないか)
どちらだろうな、とキースは心の中で一人、呟く。
遥か昔に死に絶えたまま、未だ蘇らない地球に照る月を見上げながら。
ユグドラシルと名付けられ、地球の再生を担う筈だった巨大な構築物の一室で。
SD体制が始まってから六百年も経つというのに、廃墟さえも放置されたままの星。
ミュウどもは、さぞや絶望したことだろう、と汚染された大気の向こうを眺める。
血の色を思わせる赤い満月。
なんとも不吉な色だけれども、じきに本物の赤い血が…。
(この部屋を染めることになるやも知れんな)
そうなったとしても、私は知らんが、と唇に浮かべた自嘲の笑み。
もしも「キース」の血が流されたなら、後のことなど、自分は知らない。
死んでしまった国家主席には、どうすることも出来ないから。
部下たちに指示することはもちろん、地球の行く末を考えることも。
(…それを承知で…)
実に愚かなことをしている、と自分でも思う。
警備の兵を全て退け、直属の部下も、皆、下がらせた。
此処に「あの女」がやって来たなら、誰にも止めることは出来ない。
そして、自分にも「止める」気は無い。
止めるどころか、殺してくれと言わんばかりに、見事に丸腰。
自分の銃は、机の上に放り出して。
あの女が「それ」を使うのだったら、それもまた良し、と。
(……マザー・イライザ……)
Eー1077で、「キース」を無から作り上げた機械。
此処に来るかもしれない女は、マザー・イライザに良く似ていた。
それもその筈、「キース」にとっては、誰よりも身近な者だったから。
水槽の中で育つ間に、いつも見ていた彼女のサンプル。
更には、彼女の遺伝子情報、それが「キース」のベースとなった。
機械が作ったDNAの。
三十億もの塩基対を合成してから、鎖に紡いでゆく時に。
「あの女」が此処に来るとしたなら、間違いなく持っている殺意。
ジルベスター・セブンを滅ぼした時に、メギドで対峙した「ソルジャー・ブルー」の…。
(…仇を討ちに来るのだろうしな)
私が殺したも同然だから、と承知している。
実際、仕留めるつもりだったし、言い訳はしない。
「キース」を殺して気が済むのならば、別にそれでもかまわない。
こんな命に未練など無いし、此処で自分が死んだとしても…。
(…世の中、大して変わりはしないさ)
どうせ歴史はミュウのものだし、そうなる証拠も、自分は掴んだ。
SD体制が始まる前に、仕組まれていたとも言える実験。
(……ミュウ因子を排除してはならない……)
それが地球を統べるグランド・マザーに与えられた、唯一の永久指令。
ヒトの未来を築いてゆく者、それが「どちらになるのか」、誰にも分からなかったから。
人類なのか、それともミュウか。
SD体制を築いた者たち、彼らは結果を「未来」に向けて先延ばしした。
自分たちでは答えを出さずに、ミュウの因子を残したままで。
「生まれて来たミュウ」は処分するけれど、それでもミュウの因子は消さない。
そのストレスに耐えて生き残ったなら、ミュウの時代が来るだろう、と。
(…未来の人間に押し付けるとは…)
厄介なことをしてくれた、と腹を立てても、押し付けた「彼ら」は、もういない。
そのことを知ってしまった「キース」が、此処にいるだけ。
(……今夜、私が生き延びたなら……)
ミュウの女に殺されなければ、明日、人類は、「それ」を知ることになるだろう。
そのために使うメッセージならば、とうに収録してあるから。
圧縮データを、旧知の友に送りさえすれば、真実が全宇宙に放映される。
Eー1077で共に過ごした、スウェナ・ダールトン。
彼女が率いる「自由アルテメシア放送」を通して、あらゆる場所に。
そう、この夜を生き延びたなら。
自分の銃で撃ち殺されずに、圧縮データを送信したら。
(…先に送っても、いいのだがな…)
ほんの数時間の違いだ、と思いはしても、何故だか、それをする気がしない。
ミュウが勝者になるのだったら、いずれ真実を知るだろう。
此処で「キース」が死んでしまって、データがお蔵入りしても。
人類にしても、ミュウが真実を掴んだ時には、嫌でも知らされることになる。
(明日知るか、もっと先に知るかの違いだけだ)
其処まで面倒を見てやる気は無い、と、人類もミュウも、突き放す。
明日の朝まで生きていたなら、ちゃんと面倒を見るけれど。
国家主席の責任を果たし、真実を皆に知らせるために。
(…だが、どうなるかは…)
私自身にも分からないのだ、と見上げる月。
自分は今夜、撃たれて死ぬのか、明日の朝まで生き延びるのか。
(……あの女が、私の死神になるのなら……)
マザー・イライザに殺されるようなものか、と、ふと思った。
「ミュウの女」は、マザー・イライザではないけれど。
本物のマザー・イライザの方も、とうの昔に、この手で処分したのだけれど。
(…しかし、私がずっと見ていたマザー・イライザは…)
確かに彼女に似ていたのだから、皮肉なものだ、という気がする。
今宵、「あの女」に殺されるなら。
かつて目にした多くのサンプル、「キース」になる筈だったモノたち。
彼らは、全て殺された。
フロア001で目にしたサンプル、それらを残して。
マザー・イライザが「作った」モノたち、失敗作は処分したのだとイライザは告げた。
「サンプル以外は、処分しました」と、事も無げに。
「キース」が無事に完成したから、それでいいのだ、と。
つまり、こうして国家主席になった「キース」も、もしも失敗作だったなら…。
(…処分されていたというわけだ)
失敗作になった段階で…、と分かっているから、死神が「あの女」になるのもいいだろう。
マザー・イライザに、似ているから。
機械に魂は無いだろうけれど、黄泉の国から「キース」を処分しに出て来たようで。
(…殺したければ、殺すがいいさ)
この先の歴史は、どうせ変わらん、と「命」なら、とうに捨てている。
明日のミュウとの会談にしても、どう転がるかは分からない。
その上、密かに自分が固めた決意は、恐らく、死へと繋がるだろう。
グランド・マザーに逆らうから。
システムに反旗を翻す以上、多分、生きては戻れない筈。
(…だからこそ、私がそうなる前に…)
スウェナにデータを送るのだけれど、その前に死ぬ可能性。
今夜の間に、撃ち殺されて。
マザー・イライザに似た「ミュウの女」に、撃たれて、その場で絶命して。
(…グランド・マザーに処分されるか、あの女がマザー・イライザのように…)
今頃、「キース」を処分するのか、と思った所で、ハタと気付いた。
「もしも、逆らっていたならば」と。
これから自分がそうするように、遠い昔に。
マザー・イライザが統治していた、Eー1077で。
(…私が、失敗作ならば…)
当然、処分された筈だし、失敗作だと判断される時期が、あの水槽の中とは限らない。
他のサンプルたちの場合は、全て、そうだったとしても。
(……本当に全てだったのか?)
かなり大きなサンプルも見た、とフロア001の記憶を手繰る。
胎児から幼児、少年と並んでいたサンプル。
それらの中には、成人検査の年齢よりも育ったモノも存在したように思う。
マザー・イライザが「それ」を処分したのは、いつだったのか。
Eー1077の候補生として、水槽から出した後だった可能性もある。
(…マザー・イライザの意に反したなら…)
直ちに処分で、あれは「そういうモノ」だったろうか。
そうだとしたなら、今、此処にいる「自分」にしても…。
(…一つ間違えたら、死んでいたのか)
いとも呆気なく、処分されて。
マザー・イライザに逆らったならば、それは「失敗作」なのだから。
考えてみれば、失敗作になり得た機会なら、あった。
セキ・レイ・シロエが逃亡した時、彼を見逃していたならば…。
(…深層心理検査を食らって、奥の奥まで探られた末に…)
後に「失敗作」へと成長してゆく、微かな兆しを読まれただろうか。
あの頃の自分自身はと言えば、そうまで思っていなかったけれど。
だからこそ、シロエを殺した後には、順風満帆だった人生。
ジルベスター・セブンをメギドで焼き払う時も、微塵も迷いはしなかった。
「あの女」に恨まれる原因となった、「ソルジャー・ブルーを撃った」時にも。
(…しかし、自分では、そのつもりでも…)
既にシステムに逆らい始めて、今の自分に繋がる種なら、もう蒔いていた。
ペセトラ基地で、マツカを拾った時に。
マツカがミュウだと知りつつ殺さず、側近に仕立て上げた時点で。
(…利用価値があるから、生かしておくのだ、と…)
頭から思い込んでいたのだけれども、それは自分の考え違い。
まるでシロエの身代わりのように、大切に生かし続けた「マツカ」。
そのマツカも死んでしまった今では、はっきりと分かる。
「私も、失敗作なのだ」と。
マザー・イライザが監視していたら、自分も「処分」される筈だ、と。
けれど、マザー・イライザは破壊したから、代わりにグランド・マザーが出て来る。
「キース」を処分するために。
明日、会談の後に行ったら、そうなるだろう自分の運命。
とはいえ、夜はまだ明けないから、あるいは、「キース」を処分するのは…。
(……あの女なのかも知れないな……)
それも良かろう、と、時が来るのを、ただ一人、待つ。
誰が自分を消すだろうか、と。
失敗作と化してしまったからには、そうなる他に道は無いから。
生きて天寿を全うするなど、「失敗作」に似合いはしないし、その気も無い。
あまりにも、罪を重ねたから。
失敗作だと気付いた時には、シロエもマツカも、失くしてしまった後だったから…。
死神を待つ夜・了
※グランド・マザーに逆らったキースは、マザー・イライザの失敗作になったわけですが。
もっと昔に逆らっていたら、その時点で処分だった筈。そんな考えから生まれたお話。