優秀な成績で通過したから、どうだって言うのさ、とシロエは心の中で吐き捨てる。
Eー1077で与えられた個室で、ベッドの上で膝を抱えて。
とうに夜は更け、「優秀な」同期生たちは、ぐっすり眠っていることだろう。
明日の講義と訓練に備えて、マザー・イライザや教授の指示通りに。
(…エリート候補生は、規則正しい生活をして…)
心も身体も健康に保って、日々の講義に、訓練についてゆかなくてはならない。
精神状態が不安定だと、宇宙に出ての訓練などは許可が下りない。
ほんの僅かな心の乱れが、取り返しのつかないミスを招いて、命を奪いかねないから。
身体にしても、講義の内容をきちんと覚えて、自分のものにしてゆくためには…。
(体調不良で熱があったり、眩暈がしたりしていたら…)
教授の言葉が頭に入らず、取り残されてしまうことになる。
それでは話にならないのだから、教授たちも、マザー・イライザも…。
(夜はしっかり休んで、頭も身体も疲れを癒して…)
翌日に備えておくように、と口を酸っぱくして説教をする。
「エリートたるもの、そうでなければ」と、将来に向けての心構えを説いて。
(……でも、ぼくは……)
その意味では、とうに落ちこぼれだよ、と唇に浮かべた自嘲の笑み。
今日もこうして夜が更けるまで、ベッドの上に座ったまま。
その上、心で繰り返す呪詛。
「成人検査なんて」と、「エリート候補生なんて」と。
今の自分が、どれほど恵まれた立場にいるのか、それは充分、承知している。
ステーション・Eー1077と言えば、エリートを育てる最高学府。
行きたいと願う者は多くて、かつては自分も、その一人だった。
「エリートになって、地球へ行くんだ」と。
そうして夢見て、努力を重ねて、優秀な子供になろうとした。
その夢はこうして叶ったけれども、あまりにも大きすぎた代償。
Eー1077に来られた代わりに、故郷を、過去の記憶を失くした。
あの忌々しい成人検査で、憎い機械に奪い去られて。
残されたものは、たった一冊、ピーターパンの本だけになって。
どうして自分は、こういうことになったのか。
Eー1077などに連れて来られて、引き換えに過去を失ったのか。
(…何もかも全部、成人検査のせいなんだ…)
あれが悪い、と呪詛の言葉を繰り返す。
「成人検査なんか無ければ」と、「エリート候補生なんて」と。
いくらエリート候補生になれても、両親の許へは帰れない。
故郷からも遠く引き離されて、どんどん薄れてゆく記憶。
マザー・イライザにコールされる度、欠け落ちて、何処かへ行ってしまって。
この呪わしい日々へ、牢獄へと、送り込んだのが成人検査。
(…成人検査を受ける前には、未来は、うんと輝いていて…)
無限の可能性があった筈だったのに、それもすっかり色褪せた今。
地球へ行く夢は変わらなくても、その意味は変わり果ててしまった。
「ネバーランドよりも素敵な場所」から、「グランド・マザーのいる場所」になって。
いつの日かトップの座に昇り詰めて、グランド・マザーを停止させるために、地球に行く。
「奪った、ぼくの記憶を返せ」と、機械に命令するために。
過去の記憶を取り戻したなら、「止まれ」と機械に命じて止める。
機械が人間を支配する世界、歪んだ世界を終わらせるために。
成人検査などは無い世界を作って、「子供が子供でいられる世界」を取り戻さねば。
(…そのために、地球へ行かなくちゃ…)
それに、トップにならなくっちゃ、と思いはしても、逆らうことしか思い付かない。
「夜はしっかり眠るように」と言われていたって、夜更かしをして。
機械へ、成人検査への呪詛を、毎夜のように繰り返して。
(……成人検査さえ、無かったら……)
こんなことにはなっていないし、今も幸せだっただろう。
両親の許を離れていたって、それは単なる、次へのステップ。
エリート候補生に選ばれ、地球に行くための教育を受けて成長する。
そのためだったら、同じように故郷を離れていても…。
(エリートになったら、パパとママに…)
成長した自分を見せに帰れるから、とても励みになったろう。
四年間、家に帰れなくても、両親と連絡を取る事さえも出来なくても。
けれど、そうではなかった現実。
成人検査は過去を奪って、戻る事さえも許しはしない。
両親の家が何処にあったか、それも今では覚えていなくて、両親の顔も…。
(…まるで焼け焦げた写真みたいに…)
ぼやけて滲んで、どんな顔だか、どう頑張っても思い出せない。
これでは、此処を脱走したって…。
(……どうやったら、家に帰れるのかさえ、分からないよ……)
宇宙船を奪って逃げても、アルテメシアまで飛んでゆくのが精一杯。
エネルゲイアの宙港に着陸したって、其処から先が分からない。
どちらへ進めば、両親の家が在るのかが。
たとえ追手が来なかったとしても、「シロエ」は家に帰れはしない。
(…成人検査が悪いんだ…)
あれが何もかも奪ったんだ、と悔しくて憎くて、繰り返す呪詛。
「成人検査なんて」と、心の中で。
時には激しい怒りをぶつけて、声にして、何処かを殴り付けて。
(…こんな結末になるのなら…)
あんなの、通過しなくても良かったんだ、と心で吐き捨て、ハタと気付いた。
「通過しなければ、どうなったろう?」と。
エリートコースにも、他のコースにも行かなかったら、どうなるのだろう、と。
(…誰でも、十四歳になったら…)
誕生日が来たら、「目覚めの日」。
其処で成人検査を受けて、将来の道を機械が決める。
優秀な子供は、エリート候補生が集うEー1077へと送り出す。
そうでない子は、機械が適性を見定めて…。
(一般市民になるコースだとか、技師だとか…)
様々な進路が用意されていて、其処へ行くのだと聞かされた。
エネルゲイアの学校に通っていた頃、教師から何度も説明された。
「ですから、皆さんは、よく勉強しないといけませんよ」と、しつこいくらいに。
輝かしい未来を手に入れたければ、優秀な子にならないと、と。
機械に選んで貰えるように。
優秀な成績で成人検査を通過し、エリートコースに入れるように。
(…そうやって、振り分けられるけど…)
通過出来ない子もいる筈なんだ、と今の自分は知っている。
Eー1077で学ぶ過程で、その断片を聞かされた。
「成人検査に脱落する者がいる」ということ。
とはいえ、分かっているのは其処まで。
脱落した場合、再検査があり、それが何度か繰り返される。
それでも通過出来ない者たちがいると、その割合は僅かだけども、と教わっただけ。
(脱落した子が、どうなるのかは…)
まだ学ぶべき時ではないから、教えられないままで終わった。
「いずれ、エリートとして学ぶ時が来る」と、将来に期待を抱かせた教授。
「頑張って、其処まで到達しなさい」と、発破をかけて。
「もしも学べずに終わったならば、エリートにはなれないのだから」と。
(…エリートの条件の方はともかく…)
脱落した子はどうなるのだろう、と湧き上がる疑問。
機械が用意していたコースに進むことなく、脱落していった子供たち。
(……脱落するなら、成人検査を通過しないんだから……)
彼らの記憶は「そのまま」だろうか、消えずに残っているのだろうか。
(…再検査が何度かあるってことは…)
その間は、養父母の許にいるわけなのだし、記憶が消えていたなら困る。
記憶が無ければ、自分の家にも帰れなければ、両親も分からないのだから。
(…つまりは、通過しなければ…)
記憶は消えずに残ったままで、落ちこぼれる可能性がある。
彼らの記憶を消したところで、進むべき道など無いのだから。
そんな子供に、余計な手間はかけないだろう。
過去の記憶を消してしまうのは、従順な人間を作り上げるため。
素直に機械に従う人間、システムに都合のいい人間を作り出すのに必要な作業。
それなら、社会に出ては行けない「脱落者」には…。
(記憶を処理する必要なんかは…)
無いってことになるんだろうか、と「その可能性」に思い至った。
成人検査に脱落したなら、記憶は消えないかもしれない。
過去の記憶を失わないまま、「彼ら」は脱落してゆくのかも、と。
(…もしも、そうなら…)
いっそ、それでも良かったかも、という気がする。
「本当の自分」を、失わないでいられるのなら。
生まれ故郷も両親のことも、覚えたままでいられるのなら。
(……だけど、脱落した子供たちが、どうなるか……)
まだ「学ぶべき時ではない」なら、恐らく、それは国家機密に近いものなのだろう。
単に「脱落した」だけではなく、その先に「何か」待っている。
収容所へと送られるだとか、あるいは強制労働だとか。
(…普通の人間には、とても危険で任せられないような作業を…)
彼らが請け負い、劣悪な条件の辺境星区で働くというのは、如何にもありそう。
エリート以外の誰にも知られず、事故死したって、気に留められもしない人生。
「代わり」は直ぐにやって来るから、「脱落者」は次々、補充されるから。
(…そうだとしても…)
過酷な人生が待っていたって、そちらの方が良かったろうか。
懐かしい故郷を、両親の顔を思い出しながら、耐える労働。
「二度と帰れない」のは今と同じでも、「忘れないままでいられる」ならば。
いつか命が尽きる時まで、懐かしむことが出来るのならば。
(…本当に、そうなる運命だったとしても…)
そんな人生でも良かったかもね、と膝を抱えて、ただ丸くなる。
大好きだった両親の顔を、故郷を覚えていられるのならば、それでいい、と。
記憶を奪われたエリートよりかは、「覚えたまま」生きる底辺で、と。
何故なら、今も「帰りたい」から。
機械が奪ってしまった過去へと、帰りたくてたまらないのだから…。
脱落したなら・了
※成人検査に脱落した子供は、処分されるという現実。けれど、一般市民は知らない模様。
だったらシロエも知らないかもね、と考えた所から出来たお話。脱落を希望しそうなシロエ。
どうして私を庇った、とキースが脳裏に描く面影。
人類軍の旗艦ゼウスの司令官室、ただし、新たに設けられた「其処」で。
元からあった司令官室、国家主席の執務室も兼ねていた部屋は、既に無い。
ゼウスに潜入して来たミュウの青年、オレンジ色の瞳の男が壊したから。
(…本当だったら、あの時、私も…)
死んでいたのだ、とハッキリと分かる。
いや、それどころか、実際、キース・アニアンは「死んだ」。
一度は鼓動を止めた心臓。
自分では知らなかったのだけれど、後にセルジュから聞かされた。
「閣下は、強運でいらっしゃいますから」と、蘇生したことを褒め称えられて。
(……だが、あれは……)
私自身の力では無い、と確信に満ちた思いがある。
あの時、二度も「救われた」のだ、と。
もうゼウスにはいない側近、広い宇宙の何処を探しても、出会えはしない青年に。
(…あれは、幻などではなかった…)
ミュウの青年に襲われ、意識を失った後に見ていたもの。
深い水底に沈んでゆく自分に、シロエが、サムが、手を差し伸べて来た。
溺れたくなくて、必死に藻掻いた自分の身体は、どうにも出来ずに沈んでゆくだけ。
(…其処に、マツカが…)
現れ、微笑んで腕を掴むのを、確かに見た。
そうして、引き上げてくれる強い力を「感じた」。
(だから、私は…)
死の淵から戻れたのだと思う。
息を吹き返し、再び瞳を開けた時には、マツカが「いなくなっていた」けれど。
「キース」を庇って、身体の半分を吹き飛ばされて、失せていた命。
それでも、マツカは救ってくれた。
最後の最後に、残ったサイオンを振り絞って。
死にゆく「キース」の魂を追い掛け、黄泉の国から連れ戻して。
マツカが身をもって救った「キースの肉体」、引き戻してくれた「キースの魂」。
二度も自分は救われたけれど、それに報いてやるどころか…。
(……後始末を、と……)
言い捨てて部屋を後にしたから、自分はマツカの死に顔にさえも、向き合っていない。
「後始末を」と命じられた部下たち、彼らは、忠実に仕事を済ませたから。
上官を煩わせることが無いよう、迅速に「マツカ」の後始末をして、新しい部屋を整えて。
(…終わりました、と…)
今の部屋に案内された時には、とうに全ては終わっていた。
マツカが何処に葬られたのかも、報告さえも受けてはいない。
なんと言っても「後始末」だから、廃棄したゴミの処分先など、上官に知らせる必要は無い。
(……本当に捨ててはいないだろうが……)
きっと内輪で、ささやかな弔いもしたのだろうけど、其処にも自分は呼ばれていない。
「後始末を」などと言われたマツカは、二度も救ってくれたのに。
マツカが救ってくれなかったら、こうして生きてはいなかったのに。
(…私を襲ったミュウと一緒に…)
逃れることも出来ただろうに、と零れる溜息。
「どうして私を庇ったのだ」と、「何故、あの男と逃げなかった」と。
マツカがそうするわけもないのに、埒も無いことを考えてしまう。
其処で逃亡するくらいならば、とうの昔に、マツカは逃げていたのだろうに。
(……思えば私は、最初から……)
マツカに救われてばかりだったな、と浮かんだ苦笑。
「逆だったのは一度だけだ」と、「マツカに出会った時だけだった」と。
ソレイドで初めて遭遇した時、マツカは牙を剥いて来た。
生き延びるために「キース」を消そうと、そのサイオンをぶつけて来て。
(窮鼠猫を噛む、というヤツだったが…)
それでメンバーズを倒せはしないし、本当だったら、マツカは「始末されていた」。
文字通りキースに返り討ちにされ、処分されて。
(…しかし、マツカに…)
シロエの面影が重なったから、殺さず、生かしておくことにした。
罪滅ぼしのつもりだったか、単なる気まぐれだったのか。
「一匹くらい生かしておいても、特に問題無いだろうさ」と。
その「一匹」が役に立つなど、夢にも思いはしなかった。
けれど、結果は…。
(…本当に、その直後から…)
マツカは「キース」を救い続けた。
一番最初は、ジルベスター・セブンに向かった時。
単独で降下を試みた着陸船を、ミュウに墜落させられた。
待機していた母船の者たち、彼らは全員、「キースは死んだ」と見なして逃げた。
考えてみれば「それ」が普通で、誰も救助に来なくても…。
(おかしくはないし、咎める者もいないのだがな…)
ただ一人だけ、「キース」の生存を信じていたのが、あの時のマツカ。
そう信じたから、嘲笑われつつ、たった一人で「救いに来た」。
ちっぽけな船しか借りられなくても、誰も同行してくれなくても。
(もしも、マツカが来なかったなら…)
ミュウの母船からは脱出できても、命運は其処で尽きていたろう。
いくら人質を取っていようと、ミュウの能力に敵いはしない。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
彼が本気で追って来たなら、船ごと破壊されただろう。
そうしたとしても、彼が人質を救い出せたのは、皮肉な形で証明された。
(…私が、あの船を爆破したのに…)
人質だった「ミュウの女」は、ジョミーに救い出されたから。
「キース」がマツカに救われたように、サイオンに守られ、爆発には巻き込まれずに。
(……あれが、一度目……)
あの時も、二度、救われたのだな、と改めて思う。
マツカが救いに駆け付けたからこそ、逃げ遂せた上に、その後も…。
(…人類軍の船に拾われるまで…)
真空の宇宙を飛んでゆけたし、お蔭で命を拾えたのだ、と数えた回数。
「二度、救われた」と。
メギドでミュウの殲滅を目指した時にも、同じようにマツカに救われた命。
ソルジャー・ブルーに道連れにされる寸前、飛び込んで来たマツカに救い出された。
彼が現れなかったならば、間違いなく死んでいただろう。
追い詰めた筈の手負いの獣に、喉笛を食い破られて。
(…こうして、ザッと数えただけでも…)
マツカ無しでは「命が無かった」局面が幾つもある人生。
他にも幾つもの暗殺計画、それをマツカが未然に防いでくれていた。
(……マツカのお蔭で拾った命は……)
数え切れんな、と思うけれども、礼を言おうにも、マツカは「いない」。
最後まで「キース」を救い続けて、身代わりのように死んでしまった。
これからは、もう…。
(…私の命を救える者は…)
誰一人としていないのだ、と覚悟は、とうに出来ている。
オレンジ色の瞳の青年、彼が再びやって来たなら、今度こそ命は無いことだろう。
それはそれで、世界の未来のためには…。
(いいのかもしれん、と思うがな…)
どうせ、世界はミュウのものだ、と恐ろしい答えを、自分は知った。
ミュウは進化の必然だったと。
だから「キース」が死んでしまっても、ミュウが世界を手に入れる日が早まるだけ。
人類には気の毒な結末だけども、それが歴史の流れなのだし、仕方ないこと。
(……そんな未来しか無いというのに……)
どうして私を生かしたのだ、と神がいるなら問いたくなる。
「どうして、マツカを寄越したのだ」と、「彼は、人類ではなかったのに」と。
殲滅すべきだと思っていたミュウ、いつかマツカが「最後の一匹」になると信じていた。
ミュウは端から滅ぼすけれども、マツカくらいは生かしておいてもいいだろう、と。
(そんな私の命を、何故…)
よりにもよってミュウのマツカに、神は救わせ続けたのか。
マツカの命と引き換えてまで、神は「キース」を生かしたのか。
(……まさしく、それだな……)
生かされているのだとしか思えん、という気がする命。
「キース」の肉体、神の領域を機械が侵して、創り上げた「モノ」。
神には最初から見放されている筈だというのに、「生かされている」ように思えてくる。
そのために神が「マツカ」を寄越して、今日まで生かして来たのだと。
命を失いそうになる度、マツカに「それ」を救い出させて。
そうだとしたなら、「マツカ」の役目は終わったろうか。
「キース」を救う使命が終わって、神の許へと召されたのか。
この先はもう、「キース」が命を失っても…。
(世界は順調に動いてゆくから、それでいい、と…?)
そういうことなら、納得がゆく。
「マツカ」がいなくなったことにも、「キース」の命を救える者がいないことにも。
(…そうだったのかもしれないな…)
だから、お前は旅立ったのか、とマツカに心で問い掛けてみても、答えは無い。
彼の命があった頃には、「言葉を使え」と何度怒鳴ったか知れない思念を、待ってみても。
(……私が生かされていたのなら……)
そのために、マツカがいたのだったら、自分は何をすべきだろうか。
何もしないまま、ミュウに殺される日を待っていたのでは…。
(…マツカが私を生かし続けてくれていた意味が…)
まるで無くなるではないか、と「生かされている意味」を考える。
神に、マツカに「生かされて」今があるのだったら、そうなった意味を。
「キース」は命を失う前に、この世界で何をすべきなのかを。
(……考えろ、キース……)
確かに意味はある筈なのだ、と深く、深く思考を巡らせてゆく。
「それは何だ?」と。
「何のために私は生きているのだ」と、「今も生かされているのだろうな?」と…。
生かされる命・了
※「マツカがいなかったら、キースはとっくに死んでるよね」と、ハタと思ったわけで。
そんなキースが生きていられるのも不思議な話だ、と考えた所から出来たお話。
(マザー・イライザ…!)
母親面したコンピューターめ、とシロエが机に叩き付けた拳。
マザー・イライザの幻影が消えた辺りを、憎悪に満ちた瞳で睨んで。
たった今まで、其処にいた機械が纏っていた姿。
それに嫌悪を覚えるけれども、同時に覚える微かな思慕。
(…こうして、目の前に現れる時は…)
Eー1077で与えられた、この個室でも、コールされて行く広い部屋でも、起こる現象。
マザー・イライザは、最も身近な女性の姿で現れるもの。
コンタクトを取ろうと思った相手が、親しみやすさを抱くようにと。
(なんて機械だ…!)
それに、なんという酷いシステムだろう、と湧き上がる怒り。
ついさっきまで来ていた「マザー・イライザ」は、故郷の母の姿だったから。
語り掛けて来る言葉と、その内容とが、別物だったというだけで。
(……ママは、あんなこと……)
ぼくには絶対、言いやしない、と思うけれども、止められない、その姿への思い。
心の何処かで「ママだ」と叫んで、「彼女」の言葉に従いたくなる。
逆らい、反抗しなかったならば、「彼女」は、きっと優しいから。
記憶に残った母と同じに、「シロエ」と温かく呼び掛けてくれて。
(…だから嫌いなんだ!)
あんな機械、と乱暴に椅子を蹴り付けて立った。
このまま机の前にいたなら、マザー・イライザに取り込まれそうで。
再び、幻影が現れて。
「どうしました?」と柔らかい声音で、こちらの機嫌を窺いながら。
もしも心が晴れないのならば、悩みを聞いて対処するから、と。
(…それに騙されて、あいつの所に行ったなら…)
深く眠らされて心を探られ、またしても記憶を奪い去られる。
機械に都合の悪い部分を、摘み取るように。
システムに反抗しないようにと、その芽をチョキン、チョキンと切って。
誰がその手に乗るもんか、と机に背を向け、歩き出そうとしたけれど。
ピーターパンの本が置いてあるベッド、其処へ真っ直ぐ向かうつもりが…。
「あっ…!」
足を取られる物など無いのに、突然、掬われた足元。
怒りの余りに足が縺れたか、あるいは注意散漫だったか。
(…痛っ!)
したたかに床に叩き付けられ、走った痛み。
日頃、訓練でやっていることは、何も役立ちはしなかった。
部屋にいたから油断したのか、あるいは、所詮は付け焼刃なのか。
(…やらないと、上に行けないから…)
体術の訓練もしているけれども、ああいったことは好きではない。
空き時間にまで自主トレーニングをしている人種が、異次元の者に思えるほど。
(……本当のぼくは……)
この程度の実力だったりしてね、と顔を歪めて起き上がる。
「なんてザマだ」と、自分自身を嘲りながら。
「誰にも見られなくて良かった」と、「外で転んだら、笑い物だよ」と。
(…でも、痛かったな…)
転んだのなんて、久しぶりだ、と服を軽くはたいて、立ち上がって。
「部屋の中だから、汚れてないけど」と、膝の辺りなどを眺めた途端。
(……ママ……)
それに、パパ、と心の中を掠めた思い。
Eー1077に連れて来られる、遥か前のこと。
故郷のエネルゲイアにいた頃、幼い自分も、こうして転んだ。
「パパ、ママ、早く!」と、両親を呼びながら、元気一杯に駆けていた時に。
一緒に遊びに行った場所やら、街に出掛けた折なんかに。
(…躓いたり、滑ったりなんかして…)
アッという間に転んだ自分。
とても痛くて、おんおん泣いたものだけれども…。
(…大丈夫、って…)
起こしてくれた父の、大きかった手。
それから、怪我を手当てしてくれた、母の優しくて暖かかった手。
(…どっちも、此処には…)
もう無いんだ、と思い知らされ、ふらふらとベッドの端に座った。
「ぼくが転んでも、誰も助けてくれやしない」と。
今は怪我をしていないけれども、転んだことと、痛かったことは幼い子供だった日と同じ。
けれど、誰一人、来なかった。
誰も「大丈夫?」と尋ねてはくれず、具合を確かめてもくれない。
此処に故郷の母がいたなら、「大丈夫?」と訊いてくれるだろうに。
もう充分に大きい少年だけれど、転んだことに変わりはない。
運が悪ければ、打ち付けた場所にアザが出来ることもあるだろう。
もっと酷かったら、転んだはずみに…。
(足を捻って、捻挫するとか…)
そういったことも起こりかねない。
Eー1077で訓練を受けていなかったならば、そういったケースも無いとは言えない。
(…だから、きっと…)
母だったならば、駆け寄って来る。
何処か痛めていないだろうかと、慌てた様子で。
(パパだって…)
苦笑しながら、ゆっくりとやって来るだろう。
「おやおや、そんなに大きいのに」と、あの温かい笑みを浮かべて。
「転ぶだなんて、考え事でもしていたのかい?」と、可笑しそうに。
そうして顔では笑っていたって、父も心配してくれた筈。
転んで怪我をしてはいないか、足を捻ったりしなかったか、と。
(…パパ、ママ…)
此処には誰もいてくれないよ、と悲しくなる。
「ぼくは一人だ」と、「転んでも、誰も来てくれないよ」と。
(…もし、来るとしたら…)
マザー・イライザしかいやしないんだ、と寒くなる背筋。
今の「シロエ」を気に掛ける者は、あの忌々しい機械だけ。
それがイライザの役目とはいえ、なんと虚しい世界だろうか。
気に掛けてくれる者は誰もいなくて、機械が面倒を見てくれるなんて。
(……ゾッとしないよね……)
機械に心配されるだけだなんて、とベッドに腰掛け、身を震わせた。
転んだ痛みも、この恐ろしさの前には薄れて消えてゆくだけ。
(…ぼくを気にしてくれるのは…)
Eー1077の中では、マザー・イライザしかいない。
此処を卒業していった後は、別の機械がイライザに取って代わるのだろう。
なんという名か知らないけれども、行く先々を支配しているコンピューターに。
(出世して、地球に行ったなら…)
グランド・マザーが「シロエ」の心配をする。
国家主席の座に昇り詰めて、「止まれ」と命令するまでは。
機械が治める歪んだ世界を、この手で壊す瞬間までは。
(…転ぶどころか、大怪我をして…)
入院したって、誰も見舞いに来てはくれない。
友達を作らない限り。
マザー牧場で飼い慣らされた、羊を友にしない限りは。
(…そんな友達…)
御免だよね、と思いはしても、機械しか心配してくれないのは、悲しくて怖い。
命が危ういほどの怪我なら、どれほど心細いだろうか。
(ぼくは本当に治るのかな、って…)
包帯だらけで沢山の管に繋がれていても、慰めに来るのは機械だけ。
マザー・イライザがやっているように、恐らくは母の姿を取って。
「大丈夫、きっと治りますよ」と、枕元に幻影が現れて。
「痛みますか?」と触れて来る手には、温もりも質感も、微塵も無くて。
(…でも、そうなるんだ…)
このまま進めば、ぼくはそうなる、と容易に想像がつく自分の未来。
心を許せる相手なんかは一人もいなくて、何処までも孤独。
重傷を負って入院しても、機械が見舞いに来るだけで。
その傷が元で命を落とすことになっても、最期を看取ってくれる者など…。
(……いやしないんだ……)
故郷の両親がいてくれたならば、駆け付けて来てくれるだろうに。
最期まで「シロエ」の手を握り締めて、「死ぬな」と泣いてくれるだろうに。
(……どうすることも……)
出来やしないよね、と分かってはいる。
歪んだ世界を正さない限り、両親に再会出来はしないし、一緒に暮らすことも出来ない。
そして、その道を捨てない限りは、孤独が待っているということも。
(…もしも、其処から逃れたかったら…)
エリートになる道を諦め、一般市民になるしかない。
そちらのコースに進んだならば、「共に歩んでくれる誰か」を見付けることが出来るだろう。
機械が選んで勧めて来るのか、あるいは自分で選び出すのか。
(…どっちにしても…)
そこそこ気の合う、価値観も似た「配偶者」。
早い話が、「シロエの妻」になる女性。
(……ぼくは、女なんか……)
要らないんだから、と頭から決め付けて来たのだけれども、どうなのだろう。
妻がいたなら、さっきのような時だって…。
(いい年をした大人が転ぶなんて、って…)
笑いながらも、妻が側に来てくれる筈。
「何処か、痛む?」と、幻影ではない手で触れて。
転んだ拍子に怪我をしていたら、傷の手当てをして、心から心配してくれて。
(……大怪我をして、入院したって……)
機械の代わりに、毎日、見舞いに来るのだろう。
しかも機械の見舞いと違って、心の底から「シロエ」を気遣い続けてくれる。
今日は少しは顔色がいいか、退院の目途は立つだろうか、と。
「具合が良くなったら、何が食べたい?」と、微笑んで尋ねてもくれて。
(…そういう人が出来るから…)
一般市民も不満を持たないのかな、という気もする。
機械に支配されていたって、自分の幸せはあるものだから。
気遣ってくれる人が側にいて、独りぼっちではない人生。
それを歩んでいけるのならば、きっと満ち足りているだろうから。
(……でも、ぼくは……)
そっちの道には行けやしないんだ、と辛くて、涙が零れ落ちる。
既に選んでしまったから。
子供が子供でいられる世界を、この手で、必ず取り戻すと。
(…パパ、ママ…)
だから、その日まで待っていてね、と抱き締めるピーターパンの本。
懐かしい故郷に帰れた時には、心配してくれる人が出来るから。
もしも転んでしまったとしても、「大丈夫?」尋ねてくれる人たち。
「シロエ」が大人になっていたって、両親はきっと、気に掛けてくれる筈なのだから…。
一人きりの道・了
※シロエと言えば気が強いわけですけれど、本当は寂しがり屋だよね、と思うわけでして。
両親が忘れられないほどなら、孤独な人生も怖い筈。其処から生まれたお話が、コレ。
(敗色が濃いとは思っていたがな…)
1パーセントの勝機さえも無かったとは、とキースが零した深い溜息。
地球を目指すミュウを迎え撃つため、ソル太陽系に布陣している人類軍。
その指揮を執る旗艦ゼウスで、国家主席として寝起きする部屋で。
地球の地の底に据えられている巨大コンピューター、グランド・マザー。
実質上の最高指揮官たる彼女の口から、キースだけが聞いた恐ろしい真実。
(…ミュウどもが、進化の必然だったとは…)
それでは勝てるわけが無かろう、と心の中には絶望しか無い。
今の戦況を覆すために、国家主席になったのに。
自ら望んで、クーデターとさえ見える手段で、最高の地位を手に入れたのに。
(奴らが進化の必然ならば…)
もはや人類には勝機など無く、逆転のチャンスも残されていない。
歴史という荒波に流されるままに、敗れて消えてゆくしかない。
新しい人類が現れたのなら、旧人類は、新しい人類に吸収される。
どう足掻こうとも、彼らの中へと取り込まれて。
人類はミュウに同化していって、いつしか、その血も混じって消える。
(…そう、血さえもが混じるのだ…)
ミュウが忌避するSD体制、それも崩壊するだろうから。
彼らが勝利を収めるのならば、マザー・システムもグランド・マザーも要らないから。
(ミュウどもは、SD体制が禁じた自然出産を…)
いつの間にやら、ジルベスター・セブンで始めていた。
SD体制が倒れた時には、それが「普通」になるのだろう。
子供は人工子宮から生まれることなく、母の胎内で育まれて。
両親も仮の養父母ではなく、本当に血の繋がった親で。
人類とミュウの区別を叫ぶ機械が消えれば、両者の血までが混じり合って。
(…それどころか、機械に育てられた人類どもは…)
自らミュウを選ぶだろうか、自分の子孫を残してゆくための配偶者に。
ミュウは進化の必然なのだし、彼らは優れた因子を保持する種族だから。
そういったことも有り得るだろうな、と考えるほどに深まる絶望。
いったい自分は、何のために努力して来たのか。
(…負け戦だと分かっていたなら…)
国家主席に就任する前に、別の手を打っていたかもしれない。
裏切り者だと言われようとも、人類が歴史の荒波の前に、ただ流されて消えないように。
ほんの僅かな数字だろうと、ミュウに対して少しは抵抗出来るようにと。
(それでも、負けは負けなのだがな…)
流されるままに消えるよりかは、最後の砦があってもいい。
遠い昔に、SD体制を創った人類、彼らが「その道」を歩んだように。
(…何処か遠い星か、あるいは宇宙基地か…)
隔絶された場所へ移住し、其処だけで暮らしてゆくという道。
いずれ自然と滅びるけれども、それでも、その時が訪れるまでは…。
(ミュウの脅威を感じることなく、人類だけで…)
生きてゆくことが出来る楽園、それを作ってやれただろうか。
「その日」に備えて、準備し続けて。
其処へと脱出するための船も、密かに建造させておいて。
(…最初から分かっていたならば…)
そうしたかもな、という気がする。
権力などには目もくれないで、その時々に持っていた地位で、出来そうなことを。
国家騎士団総司令でも、元老の一人だった時でも。
(…だが、こうなった今となっては…)
もはや打つ手は残っていなくて、「キース・アニアン」に残された道は、ただ一つ。
何処で戦いに終止符を打つか、たったそれだけ。
負け戦が決まってしまった以上は、最高指揮官には、それしか出来ない。
不毛な戦を終わらせるために、この戦争に幕を引くこと。
でないと、被害が拡大するだけ。
軍人は端から命を落として、一般市民も命を落とす。
何故なら、機械はミュウの存在を認めないから。
ミュウ因子を持って生まれた人間、彼らは消されてゆくのだから。
(……厄介な……)
とんだ役回りになったものだ、と悩みは尽きない。
他に道など一つも無くても、その道を簡単に選べはしない。
人類は皆、「キース」に期待しているから。
「キース・アニアンなら、やってくれる」と、ミュウに勝利を収めることを。
何も知らない一般市民はもちろん、人類軍に所属している者も。
(…私なら、きっと勝てる手段を見付け出せる、と…)
誰もが信じてついて来るのが、なんとも愚かしくて悲しい。
どうやって彼らを納得させるか、負けを宣言して戦いに幕を下ろすのか。
(…いっそ私が、このゼウスごと…)
ミュウどもに撃沈されてしまえば、全てに片が付くことだろう。
国家主席と、ゼウスに集う有能な軍人がいなくなったなら…。
(パルテノンのお偉方には、どうすることも…)
出来はしないし、白旗を掲げてミュウに降伏する他に道など存在しない。
グランド・マザーが、どれほど激怒しようとも。
「認めません!」と喚いていようと、彼らも自分の命が大切なのだから。
(そうなったならば、私が心を煩わせずとも…)
何もかも綺麗に終わるけれども、そうそう上手くはいかないと思う。
ミュウの方でも、恐らく、「それ」は心得ている。
最高指揮官が乗っている船、ゼウスを「沈めてはならない」ことを。
不幸な事故でも起きない限りは、彼らは旗艦を沈めはしない。
人類の指導者と交渉するのが、一番穏便な幕の引き方。
全面降伏を持ち掛けた上で、互いの今後を話し合うのが、禍根を残さないやり方だから。
ミュウの方でも、人類の方も、「仕方がない」と譲歩出来る所を見出して。
「これで終わりにしようじゃないか」と、もうそれ以上は引き摺ることが無いように。
遥か昔から、戦争の終わりは、そういったもの。
敗れた側が条件を飲んで、賠償金を支払ったりして、其処でおしまい。
以後は互いに文句を言わずに、歩み寄り、手を取り合ってゆく。
二度と戦火が燃え上がらぬよう、自制し、互いに許し合って。
歴史が語る戦いの終わり、それはいつでも「話し合い」。
勝者と敗者で幕を下ろして、終止符を打つものだけれども…。
(…今度ばかりは、どう進めれば…)
いいのだろうか、と「キース・アニアン」にも分からない。
グランド・マザーから聞いた真実、それを人類に伝えるにしても、「いつ」なのか。
そして激昂するグランド・マザーを、どうするべきか。
(…グランド・マザーは、私ごときで、どうこう出来る相手では…)
ないのだがな、と分かっているのが悔しくて、もどかしい限り。
グランド・マザーを倒せる者には、心当たりがあるけれど。
(……ジョミー・マーキス・シン……)
それからオレンジ色の瞳の、自然出産で生まれたトォニィ。
彼らだったら、あの機械にも勝てる筈。
ミュウが機械を倒すのが先か、「キース」が潔く負けを認めるのが先か。
(どれが一番、人類にとって得なのか…)
よく考えてゆくしかないな、と背負わされた重い荷物を思う。
「人類のために」作られたからには、責任を果たすしかないけれど。
マザー・イライザが無から作った、人類の指導者なのだから。
(…私は、そのために作られたもので…)
負け戦ではなく、勝ち戦を期待されていようと、存在しない道を選べはしない。
残された、たった一つの道が負け戦だと決まっているなら、人類が歩んでゆく上で…。
(少しでもマシな条件を…)
引き出せるように、考え抜くしかないだろう。
知恵を絞って、あらゆる可能性を考慮して。
ミュウに降伏する条件やら、負けを認めるタイミングやらを。
(…それが私の最後の仕事か…)
国家主席に就任したのは、戦いに幕を引くためか、と情けなくなる。
「キース・アニアン」の名は、後世まで残ることだろう。
ミュウが歴史的な勝利を収めた戦い、その時の敵の指導者として。
SD体制があった時代の、最後の国家主席だったと。
(…なんとも不名誉極まりないが…)
もう、そうなると決まっている、と唇に自嘲の笑みを浮かべて、ハタと気付いた。
「その先」の運命は、どうなるだろう、と。
ミュウに全面降伏したなら、今の人類とミュウの立場は入れ替わる。
指導者として立つのはミュウで、人類は彼らに従う側。
(…負けたとはいえ、人類がミュウにして来たように…)
ミュウが人類を殲滅するとか、迫害することは無いだろう。
現時点でも、彼らは、降伏した星の人類に対して、お人好しなほどに友好的だから。
ミュウを殺すのが仕事だった筈の、ユニバーサルの職員にまで。
(……とはいえ、ああいう職員たちは……)
それに多くの軍人にしても、機械が教育を施した結果、そうなったもの。
だからこそ許して貰えるけれども、「キース・アニアン」は、「そうではない」。
最初から「そのために」作られた者で、無から生まれて来た生命体。
ミュウどもが「それ」に気が付いたならば、どういう道が待っているのか。
(…ジョミー・マーキス・シンならば…)
全てを飲み込み、許してくれそうに思えるけれども、トォニィはどうか。
それから「ジョミー」が率いるミュウたち、彼らはどのように考えるのか。
(……もしかしたなら……)
「どうせ、人間ではないのだから」と処刑されるか、実験体として扱われるか。
ミュウの多くがそれを望むなら、ジョミーにも止めることは出来ない。
(…しかし、そうなったとしても…)
自ら逃れることだけはすまい、と噛んだ唇。
どんなに惨い運命だろうと、きっと正面から受け止めてみせる。
「自殺して、それを免れる」ことだけは、絶対にしてはならないから。
そんな逃げを打つのが許されるような、生き方をしては来なかったから。
(……楽な道など、選べはしないさ……)
そうだろう、と思い浮かべるシロエの面影。
あれが最初の罪だったから。
この手でシロエを撃墜した時、血塗れの道が始まったから…。
敗北の時・了
※キースの最期は、ジョミーとの共闘だったのですけど、もし、そうなっていなかったなら。
人類が全面降伏していたならば、キースは処刑か、実験体ということもあったのかも…。
(……まさか、こんなモノが……)
何故、とシロエは愕然とする。
フロア001、ようやく入り込んだEー1077の奥深く。
此処で自分が目にするものは、こんなモノでは無かった筈だ、と。
(…精密機械が沢山並んだ、クリーンルームで…)
塵一つ存在してはならない空間、冷たく無機質な研究室。
そういった場所を頭に思い描いていたのに、これは一体、何なのか、と。
(……どう見ても、キース……)
ズラリと並べられたガラスケースに、何人ものキースが収まっていた。
明らかに保存用の標本、既に死体となったモノが。
(…元々は、生きて育っていたモノ…)
そうだとしか思えないけれど、とガラスケースを端から見てゆく。
様々な成長過程の「ソレ」。
胎児から乳児、それから幼児に、少年、青年。
(…それに、あっちは…)
知らない女だ、と向かい側に並ぶケースも眺めた。
キースと同じに、成長過程が揃った標本。
此処では全く見かけない顔で、心当たりが無い女性。
(……何なんだ、これは?)
キースも、知らない顔の女も、「生物」でしか有り得ない。
今は死体になっていようと、かつては生きて成長していただろう「生き物」。
此処にあるのは、アンドロイドを作る部屋だと思ったのに。
皮膚の下に冷たい機械を隠した、人間の姿になぞらえたモノ。
マザー・イライザが作り上げた人形、意のままに動く精密な機械。
(…てっきり、そうだと…)
考えていたし、その証拠を握ろうと目論んでいた。
「キース・アニアン」を蹴落とすために。
完膚なきまでに叩き潰して、這い上がれないようにしてやるのだ、と。
(……でも、これは……)
何処から見たって、機械ではない。
細胞分裂を経て育った人間、それ以外には考えられない。
キースも、それに「知らない女」も。
胎児から順に揃った標本、そういうモノがある以上は。
(…もしかして、選び抜かれた血統…?)
そうなのだろうか、キースも、記憶に無い女も。
SD体制の世界においては、子供は母親から生まれはしない。
(提供された卵子と精子を…)
機械が掛け合わせて、作り出される受精卵。
それを人工子宮に移して、「誕生日」まで其処で育てられる。
人工羊水の中から出されて、養父母の手に託される日が訪れるまで。
(…どういった風に掛け合わせたかは…)
全て記録にある筈なのだし、「選び出す」ことは可能だろう。
「優秀な者」に成長するのが、最初から分かっている卵子。
それから、それに掛け合わせるのに、相応しい因子を持った精子も。
(…最高に優秀なのが確かな卵子と…)
とても優れた精子を組み合わせて、この標本たちを作ったろうか。
「キース」と「知らない女」の二種類、そういったモノを。
(……そうなのかもね?)
此処でこっそり育てていたなら、誰も気付きはしないだろう。
赤子の声も、子供の声も、何処にも漏れない環境ならば。
(そうやって育てて、データを集めて…)
研究目的を果たした時点で、彼らは「処分」されたのだろうか。
次の実験にかかるためには、もはや必要ないモノだから。
たとえ彼らが泣き叫ぼうとも、容赦なく。
あるいは彼らが眠っている間に、致死量のガスを吸い込ませるとか。
(…やりそうだよね…)
マザー・イライザなんだから、と肩を竦める。
機械にとっては、「ヒト」は「どうでもいい」ものだから。
世界を構成しているモノとはいえ、いくらでも代わりがいるのだから。
そういうことか、と納得しながら「キース」の標本を眺めてゆく。
胎児や乳児の頃はともかく、少年や青年に育ったモノは…。
(…流石に、可哀想なのかも…)
Eー1077しか知らずに育って、友達もいなかったとしても。
養父母の代わりに研究者たちが、彼らを育て上げたとしても。
(見ていた世界や、信じていたもの…)
ある日、突然、それらを奪われ、標本にされた「キース」たち。
いくら機械が育てていたって、唐突に終わった彼らの人生。
(…キースみたいに、感情なんか無い奴だって…)
機械でないなら、思考はヒトと変わらない筈。
感情が無いように見えてはいても、「思考する」のは人間と同じ。
(…この続きは、明日、考えよう、って…)
思って眠りに就いてそのまま、二度と目覚めなかったとしたら…。
(……成人検査と、それほど変わらないような……)
それとも、もっと悲惨だろうか、奪われるものは過去だけではない。
来る筈だった未来までをも、彼らは奪い去られたのだから。
(…目覚めの日だと、過去を消されて…)
養父母も故郷も失くすけれども、命を失ってはいない。
機械に奪い去られた記憶を、再びこの手に取り戻そうと…。
(足掻くことだって、出来るけれども…)
標本にされた「キース」たちには、それは無かった。
彼らが何を考えていたか、どう生きたのかは分からないけれど。
(…どう育つのかの実験だったか、知識を与え続けていたのか…)
自分が知っている「キース」みたいに、疑いもせずに学んで生きるだけの日々だったろうか。
それにしても、未来が「断ち切られた」のには違いない。
次の日、目覚めて学ぶつもりでいただろう「何か」。
それを学ぶ日は二度と来なくて、いきなり終わってしまった人生。
(…やっぱり、可哀想だよね…)
そんな最期じゃ…、と瞳を瞬かせる。
「可哀想だ」と、「キースは運が良かっただけか」と。
恐らく自分と出会ったキースは、研究の集大成なのだろう。
「この組み合わせならば間違いはない」と、機械が選んで交配したモノ。
そして理想の教育を施し、Eー1077の候補生として送り出した。
優れたエリートになれる人材、誰よりも優秀な存在として。
(…エリートの中のエリートね…)
生まれからして違ったのか、と噛んだ唇。
最初から「優れている」のだったら、並みの者では太刀打ち出来ない。
その上、機械や研究者たちが育てて来たなら、知識なども人並み以上だから。
(…ぼくは、健闘した方なんだろうな…)
そんな化物とトップ争いしてたんだから、と零れた溜息。
アンドロイドと争った方が、まだマシだったような気がする。
生まれ持って来た資質自体が、比較にならない相手よりかは。
星の数ほどの卵子と精子の交配の中から、選び抜かれた存在よりは。
(……どう頑張っても、ぼくじゃ敵いっこないってね……)
機械だったら、諦めもつくというものだけど、と情けない気分。
「同じ人間に敗れるなんて」と、「持って生まれた資質の差なんて」と。
(…腹が立つったら…)
いったい、どんな組み合わせだろう、と「キース」と「知らない女」を眺める。
彼らを「誕生させた」卵子と、それから精子。
(…こうして、一緒にあるってことは…)
卵子と精子の組み合わせは同じで、男性と女性を作ったのか。
あるいは「キース」と「知らない女」は、組み合わせからして違うのか。
(優秀な男性と、優秀な女性…)
どちらも生み出せるような血統、それがあるのか。
それとも、卵子だけが同じで、精子の方が別になるとか。
(…その逆だって、有り得るしね…?)
ついでに調べさせて貰うよ、と持って来たコンピューターを繋いだ。
どうやって「彼ら」が生まれて来たのか、データを見ようと。
せっかく此処まで入ったからには、とことん調べ上げてみるのがいい、と。
ハッキングならば手慣れたものだし、此処に来るにも、その手を使って来たのだから。
(…この先だよね…)
よし、と首尾よく引き出したデータ。
それを見た時、直ぐには意味が分からなかった。
あまりにも、予想と違い過ぎて。
微塵も考えていなかった事実、背筋も凍るような真実。
(……この標本は、全部……)
人間じゃない、と全身の血がショックで逆流してゆくよう。
何処から見たって「人間」だけれど、「キース」も「知らない女」の方も…。
(…人間を、作り上げただけ…)
卵子も精子も関係なく、と込み上げる恐怖にも似た「何か」。
「キース」は確かに「人形」だった。
アンドロイドなどより、遥かに精巧に出来上がったモノ。
なにしろ、「人間」なのだから。
機械が完全な無から作った、ヒトのように育って、ヒトのように思考する存在。
(…おまけに、キースは…)
ヒトのようには育っていない、とデータを見詰めて顔を歪める。
成人検査の年に至るまで、水槽の中で育った生命。
(……この標本たちも、全部、そう……)
可哀想だなんて、とんでもない、と消し飛んでしまった憐みの気持ち。
彼らは「何も知らないままで育って」、「何も知らずに」生涯を終えた。
外の世界に出ていないから。
水槽の中が世界の全てで、何を見ることも無かったから。
(…だから、キースも…)
成人検査も知らずに、この世に出て来たんだ、と噴き上げる怒り。
「なんて幸せな奴なんだろう」と。
アンドロイドなら、腹など立たなかったのに。
生まれながらに優れた存在、それでも、まだしもマシだったろうに。
(……幸福なキース……)
あいつは、何も分かっちゃいないし、知りもしない、と、ただ腹立たしい。
アンドロイドでも、ヒトでもなかったから。
機械が無から作った人間、まさしく「人形」だったのだから…。
予想外の真実・了
※シロエが「キースは、どうやって生まれて来たのか」を知った時点は、と考えてみたお話。
最初から知っていたようでもなし、見て分かりそうなものでもなし、と。その結果です。