「ただいま、シロエ」
「パパ!」
開いた扉の向こうに、父。
駆け寄って行けば、父は高々と抱き上げてくれた。
まるで重さなど無いかのように、シロエの身体を高く、高く。
クルクルと回ってくれる父。
もう嬉しくてたまらないから、歓声を上げて回り続けた。
父と一緒に、クルリクルリと何回も。
「さあさあ、パパもシロエも、御飯にしましょ」
母が呼んでくれて、下り立った床。
「わあ!」
美味しそう、と眺めたテーブルの上。
母の得意な料理が並んで、今日は御馳走。
(ふふっ、御褒美…)
きっと、この間のテストの点数。
誰も満点を取れなかったのに、自分は満点だったから。
学校の先生も褒めてくれたし、父も母も喜んでくれたから。
いただきます、とパクリと頬張った。
とても美味しくて、頬っぺたが落っこちてしまいそう。
(すごく幸せ…)
こんな日はきっと、夜になったら…。
(ピーターパンが来てくれるかも!)
いい子でベッドに入ったら。
「おやすみなさい」と、ベッドに入って目を閉じていたら。
そのまま寝ないで待っていたら、きっと…。
だから寝ないで待つんだもん、と頑張ったのに。
知らない間に眠ってしまって、素敵な夜は過ぎてしまって…。
(もう朝なの!?)
嘘、と目覚めたベッドの上。
目覚まし時計を止めようとしたら、伸ばした自分の手に驚いた。
(えっ…?)
ぼくの手、と凍ってしまった瞳。
夢の中の自分の手とは違って、もっと大きくなっているから。
子供と言うより、大人に近い手。
どうしてなの、と見詰めたけれども、鳴り続けている目覚ましの音。
冷たい音で、規則正しく。
急き立てるように、けたたましく。
(…マザー・イライザ…)
途端に引き戻された現実、此処は自分の家ではなかった。
E-1077、エネルゲイアから遠く離れた教育ステーション。
其処で目覚めた、十四歳の自分。
幼かった日は消えてしまって、今の自分は…。
(パパ、ママ…)
何処、と見回しても、いる筈がない父と母。
自分の家ではないのだから。
故郷からは遠く離れてしまって、帰る道も、もう…。
(覚えていないよ…)
帰れないよ、と零れた涙。
目覚ましだけは止めたけれども、もう戻れない夢の中。
せっかく父に会えたのに。
懐かしい母が作る御馳走、それを美味しく食べられたのに。
(ぼくって馬鹿だ…)
どうして眠ってしまったのだろう、あの夢の中で。
もしも眠らずに起きていたなら、飛べていたかもしれないのに。
夜の間に、ピーターパンが来てくれて。
一緒に空へと舞い上がれていて、今頃はきっと、ネバーランドへ。
あのまま空を飛んで行ったら、きっと此処にはいないのだろう。
子供が子供でいられる世界へ、ネバーランドへ、高く高く空を飛んで出掛けて。
(…こんな所から…)
逃れて、焦がれ続けた空へ。
ネバーランドへ旅立って行って、二度と戻らずに済んだのだろうに。
(…パパとママだって…)
離れずに済んでいたのだろう。
ネバーランドに飛んで行っても、会いたくなったら、きっと帰れる。
心でそれを願ったならば。
「パパとママに会いに帰りたいよ」と、ピーターパンに言ったなら。
子供の味方は、子供を泣かせはしないから。
ピーターパンなら、夢を叶えてくれるから。
(…パパ、ママ…)
ぼくはどうして寝てしまったの、と叫びたい気分。
どうして起こしてくれなかったのと、ピーターパンを待っていたのにと。
(…寝る前に、ちゃんと頼んでおいたら…)
父が揺すってくれただろう。
「今夜は起きて待つんだろう?」と。
母だって、きっと起こしてくれた。
「眠っちゃ駄目よ」と、「起きたまま待っているんでしょう?」と。
パパとママに頼み損なっちゃった、と呪った夢。
きちんと頼んで眠っていたなら、今頃はきっと別の世界にいただろうから。
E-1077は丸ごと消えてしまって、ネバーランドを飛び回って。
(…ネバーランドに行きたいよ、ママ…)
パパ、と呟いて、気付いたこと。
夢の世界で確かに会った。
顔もぼやけてしまった両親、夢ではハッキリ見えていた顔。
何処も霞んでいなかった。
家も、テーブルも、母が作った御馳走も。
料理を口にした時の美味しさだって、何もかも全部、みんな本物。
夢の世界で見ていた全ては、きっと本当にあったもの。
(…ぼくが忘れてしまっただけで…)
成人検査で奪われただけで、あれは全部、自分が見ていたもの。
両親の顔も、父が入って来た扉だって。
(…どんな扉だっけ…?)
パパはどうやって入って来たっけ、と考えても思い出せない扉。
父の顔だって覚えていなくて、母の顔だって記憶に無くて。
(……ママの御馳走……)
並んでいた料理も思い出せない、大好物だった筈なのに。
とても美味しくて、顔が綻んだ筈なのに。
(…夢の中でしか、見られないの…?)
目覚めた途端に消えてしまう夢、その中でしか。
夢を見ている間だけしか、きっと見付からない真実。
自分は何処で暮らしていたのか、両親はどんな顔だったのか。
どういう日々を過ごしていたのか、楽しかったことは何だったのか。
(……そんなの、酷い……)
本当のことは、夢の中にしか無いなんて。
目覚めた途端に消える泡沫、パチンと壊れるシャボン玉だなんて。
あんまりだよ、と思うけれども、これが現実。
自分の記憶は機械に消されて、目覚めたら忘れる夢の中のこと。
嫌な夢なら、起きた後にも心の中に残っているのに。
「捨てなさい」と迫る、テラズ・ナンバー・ファイブなら。
「忘れなさい」と記憶を消してしまった、忌まわしい機械の夢の時なら。
そっちの方こそ忘れたいのに、忘れないままで目が覚める。
何度も自分の悲鳴で飛び起き、その度に怖くて泣き続ける夢。
「パパ、ママ…」と肩を震わせて。
失くしてしまった記憶を取り戻したくて、両親のいた家に帰りたくて。
両親だったら、きっと守ってくれるから。
「怖いよ」と自分が怯えていたなら、「大丈夫」と抱き締めてくれる筈だから。
それなのに、思い出せない両親。
家があった場所も、家の扉も、テーブルだって。
何もかも自分は忘れてしまって、夢で出会っても、また忘れた。
目覚ましの音が鳴った途端に、本当のことを。
自分が子供でいられた時代を、子供の視点で見ていたことを。
それこそが、きっと真実なのに。
今も何処かに、本当のことはある筈なのに。
(……パパもママも、家も……)
エネルゲイアに今もそのままで、自分だけが此処に放り出された。
ピーターパンの本だけを持って、独りぼっちになってしまって。
本当のことを全部忘れて、夢に見たって、掴み取れずに。
(……もう一度……)
眠り直したなら、夢の世界に戻れるだろうか。
講義に出ないで眠り続けたら、もう一度あの夢に入れるだろうか。
(もしも、戻れたら…)
今度こそ寝ないで、夢の中で待とう。
両親に頼んで起こして貰って、ピーターパンがやって来るまで。
夜の空を飛んでネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵な地球へ。
(…飛んで行かなきゃ…)
もう一度だけ、と切った目覚まし。
チャンスは掴み取りたいから。
テラズ・ナンバー・ファイブの夢が来たって、かまわない。
少しでも希望が残っているなら、それに賭けたいと思うから。
機械の言いなりになって講義に出るより、今日は機械を無視したいから。
(今日の講義くらい、出なくても…)
遅れは直ぐに取り戻せるから、夢の世界へ戻ってゆこう。
夢の世界が本物だから。
子供が子供でいられた時代は、確かにあった筈なのだから。
(パパとママに会って、御馳走を食べて…)
夜は寝ないでネバーランドへ、と目を閉じて戻った上掛けの中。
運が良ければ、きっと真実が見えるから。
怖い夢が来たってかまわないから、夢の世界へ飛び立とう。
父と母がいた時代へと。
本当のことがあった世界へ、機械がすっかり消してしまった子供時代へ。
その世界への扉が開いたら、真っ直ぐに飛んでゆこうと思う。
夜は寝ないでピーターパンを待って、ネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵な地球へ。
夢の世界は本物だから。
真実はきっと其処にあるから、夢に隠れている筈だから…。
戻りたい夢・了
※成人検査で消された記憶は、何処かに残っている筈で…。何かのはずみに出て来る筈。
だったら夢でも出て来るかもね、と書いてみたけど、シロエ、可哀相…。夢、見られたかな?