ナキネズミ。
どの辺がどうネズミなのか、と尋ねられた人が悩んでしまいそうな生き物。何処から見たってリスの親戚、フサフサの尻尾と首の周りの襟巻みたいな毛。
ついでに思念波で喋れたりもする、ミュウが作った生き物だから。「宇宙の珍獣」という立派な触れ込み、それだってミュウの捏造だから。
早い話が、ミュウの世界にしかいない生き物。
ミュウたちを乗せたシャングリラにだけ、コッソリ生きているらしいモノ。
此処に一匹、ちょいと有名なのがいた。
ナキネズミは船に何匹もいるのだけれども、別格と言えるナキネズミ。
何故なら、ミュウを束ねるソルジャー、ジョミーのペットだったから。ソルジャー・シンを船に迎えた時から、そういう立場になっていたから。
(でも、名無し…)
長いこと名無しだったんだ、と一気に広がってしまった評判。ミュウはもちろん、ナキネズミたちの世界でも。
ソルジャー・シンのペットで別格、けれども「名無し」だったそうだ、と不名誉すぎる評判が。
ずっと「お前」と呼ばれていただけ、それを自分の名前と勘違いしていたのだと。
(…ぼく、お前…)
そうだと信じ込んでいたのに、違うと思い知らされたあの日。
ジョミーは慌てて「レイン」と名前をくれたけれども、赤っ恥な噂も広まった。レインという名を貰う前には名無しだったと、それで納得していた間抜け、と。
ミュウたちに笑われるだけならいい。まだマシな方で、我慢は出来る。
けれども、同じナキネズミ。その連中が注ぐ視線が痛くて、いたたまれないのが現実なるもの。
今更「レイン」と名乗ってみたって、後付けだから。
「元は名無しだ」と言われた時には、まるで反論出来ないから。
(ぼく、名無し…)
名無しなことにも気付かなかった馬鹿だなんて、とナイーブな心が傷つく毎日。
本当だったらソルジャー・シンのペットで、「キング・オブ・ナキネズミ」という立場なのに。
他のナキネズミとは一味、いやいや百味も違うナキネズミなのに。
そうは思っても、拭い去れない「名無し」だった事実。
ミュウの世界では忘れられても、ナキネズミの世界ではキッチリ記憶されたまま。
「いくらソルジャー・シンのペットでも、名無しでは」と。
「レインという名は後付けなんだ」と、「十二年ほど名無しだった」と。
酷い評判は消えないままで、今も「名無し」と呼ばれる毎日。
ミュウたちは「レイン」と呼んでくれても、同じナキネズミが呼ぶ時は「名無し」。もしくは、もっと強烈な「お前」、そういう名前。
シャングリラの中を歩いていたなら、「名無しが来た」と囁く思念波。「お前が来たぞ」と。
あちこちでキュウキュウと鳴いている仲間、それが交わしている思念。
「名無しが通る」と、「あれが「お前」だ」と。
ナスカで生まれた自然出産児、トォニィたちにも可愛がられる自分なのに。
きっと最高のナキネズミなのに、「名無し」で「お前」。
もうグサグサと刺さりまくりで、よっぽどのことをしないと消えてくれない評価。
「凄いナキネズミだ」と認められる何か、それを自分がやってのけないと。
仲間たちからの尊敬の眼差し、そういったものを勝ち取らないと。
でも、どうしたら…、と悩んでいたら。
ある日、シャングリラに来た人類の男。
キース・アニアンというメンバーズ・エリート、それが問題になっているらしい。
(…ジョミーの敵…)
だったら、自分にとっても敵。
そいつと互角に渡り合えたら、ナキネズミ仲間も認めるだろう。「あいつは凄い」と。
「名無し」で「お前」な日々にお別れ、きっと「キング・オブ・ナキネズミ」。
ちょっと出掛けて、キースなるものを見てみよう、と思い立ったが吉日だから。
(…キース・アニアン…)
あれがキース、と捕虜を閉じ込めたガラス張りのドームに近付いた。
まずはドームを開けることから、そして中へと入ってみる。
(…拘束されてないけど…)
その方がきっと好都合、と思うレインは何も考えてはいなかった。
どうやってキースと渡り合うのか、互角に何をするのかさえも。
なにしろ、元が動物だから。思念波で話すことは出来ても、人間とは別の生き物だから。
単純なオツムが叩き出した考え、それは「キースに会う」ことだけ。
だから小さな足でカタカタ、ドームを開けて中へ入った。自分が通れる隙間の分だけ。
「なんだ、こいつは!?」
何処から湧いた、と睨み付けているキースだけれども、渡り合うことが大切だから。
「キュウ!」と鳴いて近付いて行ったら、意外なことに…。
「ほほう…? ナキネズミか?」
これが本物のナキネズミなのか、とニュッとキースの手が伸びて来た。頭を、首周りのフサフサの毛を撫で回し始めたのがキース。
(…元気でチューか?)
そういう心の声が聞こえて、嬉しそうな顔。
昔、サムという友達とやっていたらしい。ナキネズミのぬいぐるみを持って。キュッと握って、それをペコリとさせたりしながら、「元気でチューか?」と。
他にも色々、沢山のこと。キースの心の声が聞こえる、「懐かしいな」とか、「一つ違ったら、シロエもマツカも、この船に乗っていたかもな」などと。
(…シロエにマツカ?)
誰だろうか、と考えなくても分かった答え。シロエはキースが殺してしまった友達のミュウで、マツカは出会ったばかりのミュウだ、と。
(シロエで、マツカで…)
元気でチューか、と毛皮を撫でてくれているキース。
ジョミーの敵だと聞いたけれども、けっこう友達多めな男。サムは人類らしいけれども、シロエとマツカはミュウなのだから…。
『元気でチューか?』
とりあえず、そう挨拶してみた。ナキネズミお得意の思念波で。そうしたら…。
「何故、それを…!?」
私の心を読んだのか、と愕然とされても、こっちが困る。キースの心は筒抜けだったし、向こうが勝手に「元気でチューか?」とやったのだから。「懐かしいな」と笑みまで浮かべて。
シロエとマツカなミュウの友達、それだってキースが自分で披露したのだから。
『えっと、友達…。シロエとマツカ』
どっちもミュウ、と送った思念。キースはと言えば顔面蒼白、「読める筈がない」と大慌てだけれど、そういう心の動きまで分かる。パニックなんだ、と。
だから重ねてこう訊いた。「キースの心、読める筈がない?」と。
全部見えるのに、それは変だと。丸見えなのに、読めるも何も、と。
「そんな馬鹿な…。私の心理防壁は…」
眠っていたって完璧な筈で、とパニックなキース、そういう訓練を受けているらしい。けれども読めるものは読めるし、今も変わらず筒抜けなわけで…。
変な男だ、と見詰めていたら、いきなり尻尾を掴まれた。「そうか、分かったぞ」と。
「貴様、ミュウとは違うからな…。ナキネズミだからな?」
同じ思念波でも仕組みが違うというわけか、と睨み付けて来るアイスブルーの瞳。
どうしてくれようと、私の心を読んだからにはタダではおかん、と。
普通だったら、此処でビビって逃げるけれども、ナキネズミだけにズレている思考。人間の枠に囚われないから、それは真面目に訊き返した。「捕虜なのに?」と。
『キース、出られない。ジョミーの敵』
「貴様、ジョミーに喋るつもりか!」
それこそタダでは済まさんぞ、とキースはギリリと歯軋りをして。
「舐めるなよ?」と尻尾を鷲掴んだままで、「丸刈りにするぞ」と言い放った。
捕虜だけれども、身づくろいのためのシェーバーくらいは持っていると。あれを使えば貴様の毛皮を一気に毛刈りで、綺麗サッパリ丸刈りなのだ、と。
(毛刈り…!?)
それに丸刈り、と覚えた恐怖。
ナキネズミにとって、毛皮は命だったから。フサフサの尻尾も首周りの毛も、フサフサと生えていてこそだから。
(…前に、丸刈り…)
そういう仲間がいたことがあった。何かのはずみで罹った皮膚病、それの治療で見事に丸刈り。
いわゆる獣医にあたる人物、それがバリカンでバリバリと刈った。バリバリ、ウイーンと。
(毛皮、刈られたら…)
尻尾も身体も貧相になって、おまけに、つるり、ぬるりと見えるものだから…。
(名前、丸禿げ…)
毛刈りをされてしまった仲間は、元の名では二度と呼ばれなかった。「丸禿げ」だとか、「ぬるり」に「つるり」で、世を儚んで…。
(…ずっと、引きこもり…)
もう恥ずかしくて生きてゆけない、とヒッキーになって、愛する彼女にも捨てられた筈。丸刈りになった段階で。毛皮を刈られてしまった時点で。
(……名無しで、お前……)
それが自分の評価だけれども、丸刈りはその上を行く。
ナキネズミとしての人生、丸刈りにされたら終わったも同じ。ソルジャー・シンのペットでも。
毛皮が無ければ、もう間違いなく、未来の「み」の字も無いものだから…。
『しゃ、喋らない…!』
死んでも言わない、とキースに伝えて、うるうる泣いた。
丸刈りにされたら人生終わりで、後が残っていないから、と。「キング・オブ・ナキネズミ」になれはしなくて、もう引きこもるしかないんだから、と。
「そうか、利害は一致したな」
貴様が黙っているのだったら、私も丸刈りはやめてやろう、と尊大なキース。
立場はまるっと逆転した。
「心を読んだことは、決して誰にも喋りはしない」と誓わされた上で放り出された。喋ったら毛皮は無いと思えと、私が此処から出られた時には丸刈りにする、と。
(キース、怖すぎ…)
名無しでお前な人生どころか、丸刈りにされておしまいだから、と後をも見ずに逃げたオチ。
仲間たちに自慢をしに行けもせずに、もちろんジョミーに喋れもせずに。
(喋ったら、丸刈り…)
人生おしまい、と怯えまくりのナキネズミ。
なにしろ、毛皮が命だから。丸刈りにされたら、「名無し」よりも酷いことになるから。
そんなこんなで、ナキネズミは喋りはしなかった。
キースの所に出掛けたことも、心の中身を読みまくったことも。
「元気でチューか?」とやった男がキースで、ミュウの友達のシロエとマツカがいたことも。
ちょっと冷静に考えたならば、「喋った方がお得なのだ」と分かるのに。
いくらキースが丸刈りの危機を突き付けていても、所詮は捕虜だと気付くのに。
(…丸刈り、怖い…)
あれは危険、としか思わないのがナキネズミ。
どう転がっても、動物だから。人間とは思考回路が違って、考え方もズレているから。
こうして勝負はついてしまった、天はキースに味方した。
彼がシェーバーを持っていたから。
「髭くらいは自分で剃れ」とばかりに、ちゃんと突っ込んであったから。
歴史なんぞは、つまらないことで変わるもの。
たかがシェーバーくらいでも。
もしもキースが持っていなかったら、きっと何もかもコロッと変わって、違う未来があった筈。
けれど、シェーバーはバリバリと刈った、ミュウと人類にあった別の未来を。
もっと早くに和解できる未来、それをすっかり、綺麗サッパリ…。
ナキネズミの価値観・了
※ナキネズミ相手ならキースも油断するかも、とチラと思ったのがネタの始まり。
気付けば毛刈りになっていたオチ、「動物のお医者さん」、好きだったなあ。毛刈り万歳。
- <<ソルジャーの名前
- | HOME |
- 返すべき本>>