「停船しろ。…シロエ…!」
どうか、と祈るような気持ちで口にしたけれど。
止まってくれ、と叫び出したいけれど。
(マザー・イライザ…)
撃ちなさい、と冷たく告げて来た声。
それに逆らえない自分が悔しい、どうして逆らえないのかと。
何故、とキースは唇を噛む。
もしも自分に、シロエの強さがあったなら。
マザー・イライザに、システムに逆らい続けた、彼の強さがあったなら、と。
けれど出来ない、どういうわけだか。
けして弱くはない筈なのに。
気弱でも、腰抜けでもない筈なのに。
「停船しろ」と願うより他に道の無い自分。
シロエの船がこのまま飛んでゆくなら、本当に撃つしかないのだから。
左手の親指で合わせた照準、シロエの船はロックオンされているのだから。
どうして自分がそれをするのか、そうするより他に術が無いのか。
自分でもまるで分からないけれど、メンバーズはそうあるべきなのだろうか。
マザー・イライザが「撃て」と言うなら、そのように。
自分の心が「否」と叫んでも、撃つのが自分の道なのだろうか。
(シロエ…!)
どうしようもないと分かっているから、願ってしまう。
止まってくれと、そうすればシロエの船を連行するだけだから、と。
けれども、速度を上げてゆく船。
前をゆく船は止まらないから、また左手で操作したレバー。
レーザー砲へとエネルギーを回す、此処まで来たら、後は撃つだけ。
シロエの船が止まらなければ。
真っ直ぐに飛んでゆくだけならば。
カチリ、と左手の親指が押し込んだボタン。
遥か彼方で弾けた閃光。
星雲のように光が弧を描いてゆく、シロエの船があった辺りに。
(…シロエ…)
もういないのだ、と心に生まれた空洞。
たった今、彼はいなくなった、と。
ついさっきまでは、自分の先を飛んでいたのに。
シロエの船が見えていたのに、もうレーダーにも映らない機影。
漆黒の宇宙で船を失くせば、潰えてしまう人間の命。
まして船ごと撃たれたのなら。
あの閃光の中にいたなら、シロエは消えてしまっただろう。
一瞬の内に、光に溶けて。
船の残骸は残ったとしても、シロエの痕跡は残りはしない。
レーザーの光に焼き尽くされて。
瞬時に蒸発してしまって。
もうこれ以上は見ていたくない、とステーションに船を向けようとしたら。
「確認なさい」とマザー・イライザからの通信。
本当にシロエの船を撃ったか、反逆者はこの世から消え失せたのか。
それを確認して戻るようにと、現場を飛んでくるようにと。
(……マザー・イライザ……)
あまりにも惨い、と思った命令。
確認せずとも、シロエは消えていったのに。
レーダーを見れば分かることなのに、どうして行かねばならないのか。
他の者でも出来そうな任務、もっと時間が経ってからでも。
Mの精神波攻撃の余波が、ステーションから消えた後にでも。
そう思うけれど、また逆らえない。
シロエのように「否」と言えない、臆病者ではない筈なのに。
強い精神を持っていなければ、メンバーズになれはしないのに。
(…ぼくは、どうして…)
こうなるのだろう、と機首を逆さに向けるしかない。
マザー・イライザが命じたから。
行くようにと命じられたのだから。
そうして船を進めた先。
光がすっかり消えた空間、ポツリ、ポツリと漂い始めた欠片たち。
さっきまでシロエを乗せていた船、それが砕けた後の残骸。
ぶつからないよう、間を縫って飛んでゆく内に、増えてゆくそれ。
(……この辺りなのか……)
多分、爆発の中心は。
シロエが宇宙に散った辺りは、彼の命が消えたろう場所は。
髪の一筋も、血の一滴も、残さないままに消え去ったシロエ。
船の残骸だけを残して、彼だけが高く飛び去ったように。
自由の翼を強く羽ばたかせ、彼方へと消えて行ったかのように。
(…本当に飛んで行ったなら…)
シロエが大切に持っていた本、ピーターパンというタイトルの本。
あの本に書かれた子供たちのように、宇宙を飛んで何処かへ去ったのなら、と。
そう思うけれど、それは有り得ないこと。
シロエは空を飛べはしなくて、宇宙などは飛んでゆけなくて。
今、自分の船が飛んでいる辺り、この辺りで消えて行ったのだろう。
マザー・イライザに逆らい続けて、システムに抗い続けた末に。
行き場を失くして消えて行った命、何の欠片も残しはせずに。
いなくなった、と溢れ出した涙。
追われていた所を匿ったほどに、話してみたいと思ったシロエ。
強すぎる意志を持っていたシロエ、違う出会いをしていたのなら…。
(……シロエ……)
友達になれていただろうか、と彼の死を心から悼んだけれど。
もっと時間をかけていたなら、友だったろうか、と涙したけれど。
(……ぼくが殺した……)
殺したんだ、とゾクリと冷えた左手の親指。
この親指が彼を殺した。
レーザー砲の発射ボタンを押し込んで。
シロエの船を撃って殺した、友達だったかもしれない彼を。
それに、何より…。
(……訓練じゃない……)
何度も繰り返し練習して来た、手順通りにやったのだけれど。
その先に人がいたことはなくて、いつも、いつだって遠隔操作の無人機ばかり。
自分は初めて人を殺した、それも何度も言葉を交わしていた人間を。
友になれたかもしれなかった人を、部屋に匿ったほどのシロエを。
(…マザー・イライザ…)
これだったのかと、やっと分かった命令の意味。
見届けて来いと言われた理由は、人を殺した自分を確認させるため。
メンバーズたる者、どうあるべきか。
どのように歩み続けるべきかを、その目で確かめてくるようにと。
(…ぼくが初めて殺した人間…)
それが友かもしれなかったなど、なんという皮肉なのだろう。
こうして涙が止まらないほど、その死を痛ましく思う人間。
生きて戻って欲しかったシロエ、彼をこの手で、自分が殺した。
「撃ちなさい」という命に従わなければ、シロエは何処かへ飛び去ったろうに。
あの船のエネルギーが尽きる場所まで、船の酸素が切れる時まで。
(…放っておいても、どうせシロエは…)
死ぬだろうことは、マザー・イライザも承知だった筈。
けれど自分に彼を追わせて、「撃ちなさい」と命じ、今はこうして…。
(…血にまみれた手を、見て来るがいいと…)
血の一滴さえも、シロエは残さず消えたけれども。
自分の手はもう、人を殺して血に染まった手。
友になれたかもしれなかったシロエ、彼を最初に殺してしまった。
人を殺すなら戦場だろうと、ずっと先だと思っていたのに。
いつか自分が殺す相手は、悪なのだろうと思ったのに。
(……そんなに甘くはないということか……)
メンバーズならば、友であっても撃てと、殺せというのだろうか。
それが自分の道なのだろうか、自分は逆らえなかったから。
シロエの船を撃ってしまったから。
忘れまい、と心に刻んだ己の罪。
人を殺したと、友になれたかもしれない者を、と。
きっと自分は罪人だから。
いつか、裁かれるだろうから。
システムがけして正義ではないと、思いながらも逆らえないこと。
それこそが自分の最大の罪。
(…ぼくは、シロエを…)
殺したんだ、と噛んだ唇。
自分で殺して、なのに涙を流し続けて、きっとこれからも逆らえない。
何故か、そういう人間だから。
臆病者でも、腰抜けでもないのに、逆らうことが出来ないから。
だから、いつの日か裁かれるだろう。
今の自分は、人殺しだから。
シロエの血で染まった左手の親指、それが罪人の証だから…。
罪人の証・了
※考えてみたら、「冷徹無比な破壊兵器」のキースが、最初に手にかけた人間はシロエ。
撃墜した後、涙したキース。本来のキースは、冷徹無比より、そっちの方だと思ってます。