「忘れるな、キース・アニアン!」
今も耳から消えない声。
保安部の兵士に連れてゆかれた、シロエが叫んでいた言葉。
それがキースの耳に残っているのだけれど。
(…フロア001…)
シロエは確かにそう言っていた。
其処へ行けと、自分の目で真実を確かめろと。
フロア001とは、進入禁止区域のこと。
(…シロエは其処で…)
何かを見たのだ、という確信。
成人検査を受けていないらしい自分、マザー・イライザが作った人形。
その意味が其処に行けば分かると、シロエは確かにそう言ったから。
…自分自身の生まれのこと。
成人検査よりも前の記憶を持っていないこと、それと関係がありそうな何か。
フロア001でシロエが見たもの。
それを見ねばと、其処へ行かねばと思うのに…。
「よう、キース!」
コーヒー飲みに行かねえか、と今夜はサムに捕まった。
今日こそ行こうと、部屋から通路へ出た途端に。
まるで待ち構えていたかのように、こちらへ向かって歩いて来たサム。
片手を上げて、人のいい笑顔で。
「一緒にコーヒー、飲みに行こうぜ」と。
断られはしないと信じ切っている、友人からの誘いの言葉。
此処で断ったら、申し訳ない気がするから。
…二人でコーヒーを飲みに出掛けて、終わってしまった夜の自由時間。
消灯の後で出歩く度胸は…。
(…どうせ、進入禁止区域だ…)
規則を破りに出掛けるのだから、消灯後でも良さそうなのに。
却って好都合だという気さえするのに、踏み出せない足。
部屋から出ようと思う心が失せてしまって。
夜は出歩くべきではないと、シャワーを浴びて、そのままベッドへ。
多分、明日には行けるだろうから。
今日はチャンスを逃したけれども、きっと明日には、と。
(…明日こそは…)
行かなければ、と思いながら眠りに落ちてゆく。
フロア001、それがシロエの遺言になってしまったから。
…自分がシロエの乗っていた船を撃ち落としたから。
(…すまない、シロエ…)
今日も行けなかった、と心で詫びて、眠りの淵へ。
きっと明日にはと、明日こそ其処へ行ってくるからと。
フロア001、其処にいったい何があるのか。
マザー・イライザに尋ねたけれども、答えは返って来なかった。
何一つ訊き出すことは出来なくて、命じられてしまったシロエの処分。
「セキ・レイ・シロエが逃亡しました」と、「追いなさい」と。
…そうして、撃ち落とすしかなかった船。
シロエが乗った練習艇。
溢れ出す涙を止められなかった、どうしてこうなってしまったのかと。
けして嫌いではなかったシロエ。
何度も心を乱されたけれど、嫌いだったら匿いはしない。
マザー・イライザに追われているのだと、承知の上で。
匿ったシロエを逮捕しに来た、兵士たちに「やめろ」と叫びはしない。
…それから、ピーターパンの本。
シロエが大切に抱えていた本、それを兵士に手渡しはしない。
「これはシロエの持ち物だから」と、呼び止めてまで。
連れ去られてゆく気を失ったシロエ、彼に渡してやって欲しいと。
きっと自分は、シロエにいつしか惹き付けられていたのだろう。
シロエの剥き出しのライバル意識や、強い感情。
自分と同じにシステムに対して持っている疑問、そういったものに。
サムのような友とは違うけれども、それに似た何か。
一つピースが違っていたなら、分かり合えていたかもしれない、近しい存在。
…けれど、撃ち落とさねばならなかった船。
シロエが乗っている船なのだと、自分は確かに知っていたのに。
撃ちたくなかった船だったのに。
友だったかもしれない者を乗せた船、それを落としたいわけなどがない。
…出来ることなら、あのまま行かせてやりたかったのに。
どうせいつかは燃料不足で、あの船は破滅してゆくのだから。
酸素すらも供給されなくなって、明かりも消えて。
…そうしてシロエは息絶えただろう、宇宙の何処かで。
暗い星の海を思いのままに何処までも飛んで、飛び続けて、全ての枷から自由になって。
それなのに、落とすしかなかった船。
余計にシロエを忘れられない、忘れてしまえる筈などがない。
このステーションの者たちが一人残らず、シロエを忘れてしまっても。
マザー・イライザが、シロエが遺したあのメッセージを無視し続けても。
何度尋ねても、応えはしないマザー・イライザ。
フロア001についても、人形だと言われたことについても。
だから今でも分からないまま。
シロエが自分に遺した言葉が、何を意味していたのかは。
進入禁止区域で何を見たのかも、何を知らせたかったのかも。
(…フロア001…)
行かなければ、と思うのに。
今日こそはと目覚め、行こうとして動き始めるのに。
まるで阻まれているかのように、必ず入る何らかの邪魔。
サムに会ったり、プロフェッサーに呼び止められたり。
あるいは候補生同士の下らぬ諍い、それに出くわしてしまったりして。
卒業の日まで、もうあと幾らも無いというのに。
ステーションから出てしまったら、次のチャンスはいつになるかも分からないのに。
(…今日は絶対に…)
なんとしても、と決意を固めて目覚めるけれども、全く意のままにならないそれ。
どう頑張っても辿り着けない、シロエに告げられたフロア001。
目の前で隔壁が下りてしまったこともあるほど。
侵入者に対する警告ではなくて、非常事態に備えての訓練という理由までついて。
(…マザー・イライザ…)
どうやら黒幕はそうらしいから。
努力は悉く水泡に帰して、けしてフロアに近付けないから。
(……シロエ……)
すまない、と心で詫び続ける日々。
また行き損ねたと、きっと明日は、と。
卒業の日が近いけれども、シロエが言っていたのだから。
あれが遺言になってしまったから、そうなった理由は自分にあるから。
シロエの船を落としたのだから、なんとしても行かねばならないだろう。
でなければ、シロエは無駄死にだから。
そんな虚しい、哀しい最期は、あのシロエには似合わないから。
(…行かなければ…)
フロア001へ、と今朝もまた決意するのだけれど。
決意も新たに向かうのだけれど、開いてくれない其処への扉。
…シロエは何を見たのだろうか、そのフロアで。
どうして死なねばならなかったのか、この目で全てを確かめたいのに。
…また行き損ねて、終わる一日。
卒業の日が近いのに。
もしも自分が行けなかったら、シロエの死は無駄になるというのに。
だからキースは挑み続ける、マザー・イライザに。
フロア001へ行こうと、シロエが見て来たものを知ろうと。
時が来るまで、扉は決して開かないのに。
そうプログラムがされているのに、それに薄々、気付きながらも。
シロエが自分に遺した言葉を、遺言を叶えてやりたいから。
あの言葉を遺言にさせてしまった、自分自身が許せないから。
シロエの船を撃つしかなかった不甲斐ない自分が、マザー・イライザに抗えなかった自分が。
…そうは言っても、未だイライザの手の内だけれど。
手の平の上で転がされているから、どうしても辿り着けないけれど。
フロア001、進入禁止区域。
其処へ、とキースは歩き続ける。
きっといつかはと、それがシロエの遺言だからと。
行かねばと、シロエを無駄死にさせはしまいと、辿り着けない場所に向かって…。
行けないフロア・了
※シロエが「フロア001」を教えてから、キースが訪れるまでの歳月、長すぎ。
どうしてステーション時代に行かないんだ、と放映当時から不思議でした。妨害工作…?