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友達がいたら
(……友達ね……)
 あのキースには似合わないけどさ、とシロエは蔑むような笑みを浮かべた。
 今日も何度も目にした「友達」、キースの隣に、後ろに何度も見掛けたサム。
 まるで全く似合わないのに、サムはキースの「友達」らしい。
 皆がコソコソ言っている通り、確かに一番近くにいる。
(…キースの役には、立つわけがないと思うけど…)
 自室でクスクス笑うシロエは、サムが以前にキースを救ったことを知らない。
 シロエでなくても、Eー1077で「それ」を知る者は、多くはない。
 スウェナを乗せて来た宇宙船の事故は、曖昧にされてしまっていた。
 マザー・イライザが記憶を処理して、大したことではなかったように思われている。
 だからシロエが「知らない」ことは、至極当然と言えるだろう。
 当時の在籍者の間でさえも、「そういえば、そういう事故があったかな」という程度。
 キースが救助に向かった事実も、その時、サムが一緒だったことも、人の口に上ることは無い。
 サムがいなければ、キースの命が無かったことなど、誰も知らない。
 マザー・イライザは、広く知らせるつもりは全く無いのだから。
(どうしてキースは、サムなんかと…)
 仲良くしていて、友達だなんて言うんだろうか、と考えてみても、よく分からない。
 自分だったら、もっと有能な友達を持つと思うけれども、何故、キースは…。
(あんな冴えないサムを選んで、友達になって…)
 いつも一緒にいるんだろうか、と不思議だとはいえ、二人は確かに仲がいい。
 孤立している「シロエ」と違って、食事の時にも、大抵は…。
(サムが先に来て席を取っているか、キースが座っているトコへ…)
 後からサムが「よう!」とか、「やっと終わったぜ」などと口にしながらやって来る。
 自分の食事や飲み物を載せたトレイを手にして、キースと同じテーブルに着いて…。
(食べ始めることが多いんだよね…)
 他の者たちは、キースの側には近付かないのに、サムだけは違う。
 かつては、其処にスウェナもいた。
(…スウェナにしたって、キースには…)
 似合わなかったと思うけどな、と首を捻りながら顎に手を当てた。
 スウェナはエリート候補生の道を放棄し、結婚を選んでステーションを去った落第生。
 「落第生」とは呼ばれないけれど、シロエや他の候補生から冷静に見れば、そうなるだろう。
 Eー1077に入った以上は、それに相応しい道を歩んでこそなのだから。


 なんとも以外で、似合わない「キース」の友人たち。
 「マザー・イライザの申し子」と異名を取るくらいならば、もっと優れた者を選んで…。
(付き合うべきだし、それでこそ得られるものも多くて…)
 エリートになる近道だろうと思うけどな、と解せないとはいえ、キースのことは笑えない。
 むしろ「キースの方が、まだマシ」な面もあるかもしれない。
 なんと言っても「シロエ」の場合は、「友達」などは一人もいなくて、食事の時も…。
(いつも一人で、講義を受ける時だって…)
 隣に座る者などいないし、キースと同じに「避けられている」。
 キースは「優秀過ぎて、近寄り難い」という理由で避けられ、シロエの方は忌まれていた。
 SD体制に批判的だから、迂闊に「シロエ」に近付いたならば、何が起きるか分からない。
 マザー・イライザの不興を買ってコールされるとか、教授に呼ばれて叱られるとか。
(…理由は全く違うんだけど…)
 ぼくの側にも、誰も近寄っては来ないよね、と改めて思う。
 別に不自由をしてはいないし、寂しさも感じはしないけれども、こと「友達」に関しては…。
(…キース以下ってことになるのかな?)
 友達が一人もいないんじゃあ…、と自嘲めいた笑いを漏らした所で、ハタと気付いた。
 此処に「友達」を持っていないのは、同郷の者が一人もいないせいもある。
 エネルゲイアは技術者を育てる育英都市で、普通は、そのための教育ステーションに行く。
 シロエは例外的に選ばれ、Eー1077に進んだのだし、仲間がいなくても仕方ない。
 とはいえ、他の者の場合は、サムとスウェナが「そう」だったように…。
(此処へ来てから、同じ育英都市で育った人と出会って…)
 幼馴染同士の再会というのも、さして珍しくはないようだ。
 きっとキースも、同郷の者はいるのだろうに、わざわざサムを選んだらしい。
 それはそうだろう、あんなに「付き合いにくそうな」キースに、昔からの友達などは…。
(いるわけがないし、此処でキースを見掛けた誰かも、知らないふりして…)
 他の誰かと友達になって、「キース」は放っておいたのだろう。
 代わりにサムとスウェナが出て来て、友達の地位に収まった。
 何処が「キース」に気に入られたのか、彼らの方でも、「キース」の何処に惹かれたか…。
(分からないけど、とにかく、友達ではあって…)
 ぼくよりはマシな境遇だよね、と忌々しい気分になって来る。
 もっとも、此処で友達が欲しいだなんて思いはしないし、エネルゲイアでもそうだった。
 友達と一緒に遊んでいるより、家に帰って勉強したり、本を読んだりしたかった。
 なにしろ故郷の同級生は、優秀ではなかった者ばかり。
 「こんな奴らと付き合って、何処が楽しいわけ?」と思っていたから、切り捨てた。
 「友達なんて、ぼくは要らない」と、「つまらないよね」と、皆を見下して。
 両親と暮らす家の方がいい、と子供心にキッパリと決めて。


(だから友達は、一人もいなくて…)
 今も一人もいないんだけど、と、その選択を後悔したことは一度も無い。
 けれど、本当に「そう」なのだろうか。
 「友達を一人も作らなかった」のは、正しかったと言えるだろうか。
(…もしも、友達を作っていたら…)
 とても仲のいい友達がいたら、その友達のことを、けして忘れはしなかったろう。
 どんな顔立ちで、何をして過ごして、どういう具合に「仲が良かったのか」という記憶を…。
(……消してしまったら、何処かで再会出来やしないし……)
 機械は、それは消さないよね、と断言出来る。
 消さないからこそ、Eー1077でも、同郷の友と再会する者が多くて、また友達になる。
 どちらかが先に「懐かしいな!」と声を掛けたり、呼び止めたりして出会うのか。
 あるいは同時に「あっ!」と気付いて、駆け寄ったりもするのだろうか。
 「此処にいたのか」と、「また会えたな」と、笑い合い、手を握り合って。
(…そうなるためには、記憶が欠けていたりしたんじゃ、まるで話にならなくて…)
 お互い、同じ思い出を、記憶を持っていてこそ、話も弾むし、友達として付き合ってゆける。
 互いの記憶が食い違っていたら、多分、喧嘩にしかならないだろう。
 「そうじゃないだろ」と、「お前、覚えていないのか?」と大喧嘩の末に、縁までが切れる。
 機械は、それを望みはしない、と容易に分かることだから…。
(…友達の記憶は、弄りはしなくて…)
 消してしまいもしないんだ、と考えるほどに、怖ろしい思いが湧き上がって来る。
 「もしかして、ぼくは、間違えた…?」という、身も凍りそうになる疑問が。
 友達を作らずに過ごしていたのは、間違いだったのではないだろうか、と。
(…ぼくにも仲のいい友達がいて、家に呼んだりしていたら…)
 故郷の家が何処にあったか、今よりも「覚えている」かもしれない。
 学校の授業が終わった放課後、友達を誘って、一緒に家まで帰っていたら…。
(途中でどんな話をしたのか、何があったか、忘れちゃったら…)
 成人検査の後に再会した時、話が噛み合わないことになる。
 友達の方は「あそこの店に寄り道をして…」と言っているのに、店の記憶が無いのでは駄目。
(公園に寄ったりしていても…)
 その時の記憶は必要になるし、歩きながら「あそこに、ほら!」と指差し合って…。
(見上げたビルとか、覚えていないといけないわけで…)
 機械は「そうした記憶」を消さずに、「残しておく」。
 つまりは、それを繋いでいったら、家までの道が出来上がる。
 学校から歩いて帰る途中に、店があって、公園があって、見上げたビルの外観も…。
(ちゃんと記憶にあるんだものね…)
 繋ぎ合わせれば道は出来るし、その道は家の玄関先まで、きっと繋がるのに違いない。


 そうだったかも、と愕然となって、「今の自分」を振り返ってみた。
 学校を出て、家に着くまでの道筋などは「覚えていない」。
 家まで空を飛んだかのように、何も記憶は「残ってはいない」。
 けれど、友達と一緒に帰っていたなら、一本の線を描けたのだろう。
 「学校を出たら公園があって、公園までの間に店があって…」といった具合に。
 高層ビルの谷間を歩く間も、見覚えのあるビルが幾つも、幾つも。
 それらを見上げて、友達と話して、やがて「シロエの家がある」高層住宅に辿り着く。
 友達とエレベーターに乗り込み、家がある階まで上がっていって…。
(ただいま、って玄関を開けて入ったら…)
 母が笑顔で「おかえりなさい」と迎えただろうか、友達の方には「いらっしゃい」と。
 それから「ちょうどブラウニーが焼けた所よ、おやつにどうぞ」と用意してくれる。
 記憶の中に今も残っている、懐かしいテーブルの上にお皿を並べて。
 「飲み物は、何がいいかしら?」と、カップやグラスも出して来てくれて。
(…ママの笑顔も、きっと今より、ずっと鮮やかで…)
 欠けたりなんかはしていないかも、と「友達」の視点を意識する。
 いつか「友達」と再会した時、その友達が母の話を持ち出したならば、顔も重要。
 「お前のお母さん、笑顔がとっても優しくってさ…」と「友達」は「覚えている」筈だから。
(…きっと目の色も、今のぼくは忘れていなくって…)
 友達が「綺麗な色の目だったよな」と口にした時、「うん、海の色」などと相槌を打つ。
 「覚えてないんだ」では、まるで話になりはしないし、忘れることは無かっただろう。
 母の瞳が海の青色だったか、明るい茶色か、「シロエ」と同じ菫色だったか。
(……うん、絶対に……)
 忘れてなんかはいなかった、と思いはしても、友達を家に招くようでは、そんなシロエは…。
(…シロエだけれども、シロエじゃなくて…)
 ネバーランドに行きたくて頑張るような子供じゃないよ、と分かっているから、悲しくなる。
 両親の記憶がどんどん薄れて消えていっても、この道しか「シロエ」は歩めないから。
 「友達がいたなら」残る記憶も、「シロエ」は持っていないから。
(……パパ、ママ……)
 ぼくは覚えていたかったのに、と涙が頬を伝ってゆく。
 「どうして覚えていられないの」と、「忘れないで済む人も、大勢いる筈なのに」と…。



             友達がいたら・了



※シロエは友達がいそうにないんですよね、子供時代にも。友達よりも両親が好きで。
 もしもシロエに友達がいたら、両親の記憶も、家の記憶も残りそう。友達と話す時のために。








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