「大佐、昼間はすみませんでした」
途中で抜けてしまうことになって…、とキースに頭を下げた部下。
夜の個室に、いつものようにコーヒーを運んで来たマツカ。
けれど、その顔には怯えたような不安が見える。
「構わん、よくあることだからな。それよりも早く休んでおけ」
明日からも役に立って貰わないと困る、とキースは顎をしゃくった。
「有能な部下に寝込まれたのでは、私の命が危ういからな」と。
「はい! 本当に、申し訳ありませんでした!」
次からは気を付けますから、と詫びて、マツカは下がっていったのだけれど…。
(…まあ、これからも何度もあるだろうさ)
今まで何度もあったのだしな、とキースの口元に苦笑が浮かぶ。
国家騎士団に所属しているとはいえ、マツカは、実は人類ではない。
排除するべき異分子のミュウ、たまたま人類に紛れていただけ。
成人検査を運良くパスして、教育ステーションでも上手くやり過ごして。
ミュウは虚弱な生き物なのだし、こういうことも無理はないのだ、と承知している。
サイオンを使い過ぎた時には、体調不良を起こして倒れる。
(傍目には、ただの貧血だしな…)
他の部下たちは「体調管理がなっていない」と、顔を顰めて呆れるだけ。
「よくもあれで、総司令の側近が務まるものだ」と。
(…あれでなくては、務まらんのだが…)
キース・アニアン総司令の側近などは、と可笑しいけれども、そのことは極秘。
グランド・マザーさえも知らない、「キースだけの秘密」。
「ミュウの部下を持っている」ことは。
マツカが操るサイオンのお蔭で、何度も難を逃れたことも。
(……一番最初は……)
ミュウの巣だった、ジルベスター・セブンからの脱出劇。
もしもマツカがいなかったならば、あの時、死んでいただろう。
モビー・ディックに撃墜されるか、ジョミー・マーキス・シンに船を破壊されて。
あえなく宇宙の藻屑と消えて、それきり、消息不明になって。
ところが自分は、生き残った。
ソレイド軍事基地に戻って、メギドを持ち出し、再びジルベスター・セブンへ向かった。
(そしてミュウどもを焼き払うつもりが…)
伝説のタイプ・ブルー・オリジン、ミュウの前の長、ソルジャー・ブルー。
彼がメギドを沈めに出て来て、自分は、それを狩ろうとして…。
(危うく、道連れにされる所を……)
またもマツカに救われた。
彼が救いに来なかったならば、間違いなく失せていた命。
あそこで死ななかったからこそ、国家騎士団総司令という地位にいる。
ジルベスター・セブンの時には少佐だったのが、二階級特進で、上級大佐。
そこからトントン拍子に出世し、今では国家騎士団のトップ。
そういう「キース」が、邪魔で仕方ない者たちも多い。
パルテノン入りが噂され始めてから、失脚を狙う者たちも増えた。
(……失脚だけでは生温い、と……)
暗殺を企む者もいるわけで、マツカの能力は「そこで」役立つ。
人の心を読むことが出来る特殊能力、いわゆるサイオン。
(その上、並みの人間よりも…)
感覚などが優れているから、危険を察知するのも早い。
「そちらの方に行っては駄目です」と、車のコースを変えさせたり、といった具合に。
マツカのお蔭で「拾った命」は、もう幾つほどになったろう。
(たかが化物…)
そう考えては、意識から弾き出すのだけれども、実際、誰よりも「大切な部下」。
何も知らない他の部下には、「使えない奴だ」と思われていても。
「コーヒーを淹れるしか能のない奴」と、陰口を叩かれてばかりでも。
(……もう少し、身体が丈夫だったら……)
部下たちの評価も違ったろうか、と少しは思わないでもない。
精鋭揃いの国家騎士団、体調不良を起こす者などは…。
(自分の体調も管理出来ない、無能な輩で…)
クビになっても不思議ではないし、事実、そうした前例もある。
国家騎士団に配属された者でも、「飛ばされる」こと。
まずは辺境送りになって、それでも駄目なら、宇宙海軍に行くしかない。
もっとも、そうして転属になれば…。
(…国家騎士団出身のエリートという扱いで…)
海軍では一目置かれるのだから、考えようによっては栄転。
とはいえ、国家騎士団から飛ばされるなどは…。
(不名誉の極みと言えるのだがな)
マツカの場合は、その逆だったが…、とコーヒーのカップを指で弾いた。
ソレイド軍事基地で拾った、宇宙海軍所属だったマツカ。
「宇宙海軍から転属だとは」と、セルジュが敵意を剥き出しにしたほど。
「どれほど使える部下が来たのか」と、身構えて。
「ポッと出の新人に負けてたまるか」と、事あるごとに睨み付けて。
なのにマツカは「無能だった」。
コーヒーを淹れるしか能が無い上、直ぐに倒れる。
まるで全く「使えない」から、敵意は、じきに軽蔑になった。
「あんな野郎に、何が出来る」と。
「他の者の足を引っ張るだけだ」と、「何故、転属にならないのか」と。
国家騎士団から飛ばされる者は、病気が理由になることも多い。
配属された時には欠片も無かった、後に発症した病。
(こればかりは、マザー・システムでさえも…)
完璧に予見出来はしないし、仕方ないことと言えるだろう。
ミュウどもでさえも、「成人検査で初めて」発覚する者が少なくないほど。
まして人類の発病などは、どれほど検査し尽くしてみても…。
(読み切れまいな)
元々の因子だったらともかく、環境などにも、大いに左右されるのだから。
だからこそ、「呆れられている」マツカ。
ジルベスター・セブンで見出された時には、分からなかった「欠点」なのだ、と。
たった数日、共にいただけでは、虚弱かどうかは、分かりにくいもの。
ましてや「ミュウの殲滅」という重大な局面、少しばかり弱い兵士でも…。
(ここぞとばかりに、奮い立って…)
勇んで戦線に出てゆくだろうし、見た目だけでは判断出来ない。
マツカも「それだ」と思う者は多くて、仕方なく受け入れられている。
「運のいい奴だ」と、「バレる前に、お目に留まったとはな」と。
(…それはいいのだが…)
本当に、もう少し丈夫だったら、というのが自分の本音でもある。
マツカが「直ぐに倒れる」ことが分かっているから、ハードな予定は最初から組めない。
もしもマツカが倒れてしまえば、「キース」の周りは「がら空き」だから。
腹心の部下たちが固めていたって、マツカ一人に敵いはしない。
なにしろマツカは、銃の弾さえ、その手で受け止めてしまえるくらい。
他の部下では、暗殺者に向かって「銃撃する」のがせいぜいなのに。
撃たれた後から撃ってみたとて、既に「キース」は倒れた後。
(狙撃手の腕が確かだったら…)
最初の一発、それでキースは死んでいる。
眉間に風穴を開けられるだとか、心臓を撃ち抜かれるとかして。
(……マツカにしか、ああいう輩は防げんからな)
もっと丈夫でいてくれたなら、と願うのは「無い物ねだり」だろう。
ミュウは大概、虚弱だから。
ジョミー・マーキス・シンのようなミュウは、あくまで例外だから。
(……それに、マツカも……)
きっと思いは同じだろうな、と想像がつく。
いじらしいほどに尽くすマツカも、歯痒い思いをしている筈。
「ぼくさえ倒れなかったならば」と、今日のようなことになる度に。
「もっと身体が丈夫だったら」と、「キース」の期待に応えられない「弱さ」を悔やんで。
(…さっきにしても…)
まだまだ身体が辛いだろうに、ちゃんとコーヒーを淹れて来た。
「これは自分の役目だから」と、寝ていた部屋から起きて出て来て。
きちんと騎士団の制服に着替えて、普段と同じに香りの高いコーヒーを。
(……体調不良か……)
私とは縁が無いのだがな、と小さく笑って、けれど笑いは凍り付いた。
自分の記憶に「そういったこと」が無かったから。
「ここで倒れるわけにはいかない」と、歯を食いしばったことは多くても…。
(…体力や気力の限界だっただけで…)
体調不良というものではない。
そう、E-1077の頃から、そうだった。
厳しい訓練や授業が続く四年間、大抵の者は一度くらいは医務室に行く。
何処か、具合が悪くなって。
(…しかし、私は…)
ただの一度も行きはしなくて、ステーションを卒業した後も同じ。
それだけに、不思議に思いもした。
教官をやっていた頃にしても、第一線に立っていた時も。
(…どうして、こんな大事な時に…)
休めるのだろう、と思ったけれども、体調不良なら仕方ない。
「きっと、たるんでいるからだ」と溜息をついて、それで終わった。
自分の生まれを「全く知らなかった」から。
機械が無から作った生命、「優秀であるよう」作られた身体。
ならば、体調不良を引き起こすような要因は…。
(最初から、取り除かれていて…)
何処にも在りはしないのだろう。
後天的な環境でさえも、病などは忍び寄れないように。
(…きっと、そうだな…)
そうに違いない、と自分の生まれが恐ろしい。
虚弱なマツカの心の内は分かったとしても、他の者たちはどうなのか。
いつか導くだろう人類、彼らの「心」が分かるだろうか。
「ちょっとした病」さえも知らない、これからも「知らないまま」だろう者に。
「体調を崩す」ことなど知らない、機械が作った生命体に。
(……分からないなら、想像するしかないのだが……)
そんな自分が指導者となる、「人類」は不幸なのだと思う。
「他人の痛みが分からない」者は、優れた者ではないと言うから。
それを知るための手掛かりさえをも、持っていないのが「キース」だから…。
持っていない者・了
※「マツカは虚弱だけど、キースは寝込むなんて無さそう」と思った所から生まれたお話。
訓練次第で強くなれても、人間、限界があるわけで…。キースはそれも無いだろうな、と。