(……増える一方というヤツか……)
厄介なことだ、とキースが漏らした溜息。
首都惑星ノアに与えられた個室で、書類をバサリと机の上に投げ出して。
もう夜は更けて、側近のマツカも下がらせた後。
マツカが淹れていったコーヒー、そのカップが湯気を立てているだけ。
コーヒーの湯気は香り高いけれど、それを嗅いでも心から悩みは消えない。
ミュウは増えてゆく一方だから。
今日も落とされた惑星が一つ、そして逃げ出す難民も増える。
人類とミュウは相容れないから。
一つの星に同じ種族が住めはしないし、ミュウが来たなら人類は逃げる。
(……移民船は、地獄だと聞くのだがな……)
密かに広がっている風聞。
ノアまでは聞こえて来ないけれども、上層部の者なら知っていること。
ただし、関心があったなら。
ミュウを恐れて逃げ出す人々、彼らを心に留めていたなら。
(移民船に乗るには、とてつもない金が必要で…)
全財産を処分した金で、乗り込む者さえあるという。
そうして移民船に乗れても、船の環境は劣悪らしい。
本来だったら個室だったろう部屋、それを改造してあるなどは当たり前。
狭い部屋に多くの者を詰め込み、食事も調理などしてはいなくて…。
(レトルトパックの非常食ばかり…)
配って済ませて、苦情には耳を傾けもしない。
(聞く耳などは持たないどころか、うるさい奴は…)
真空の宇宙に捨ててゆくのだという、酷い噂が流れている。
冷凍睡眠用のカプセル、その中に無理に押し込んで。
宇宙葬よろしく、生きたまま宇宙に放り出して。
(そういう噂が絶えないのだが……)
それでも人は逃げ出すらしい。
ミュウが陥落させた星から、首都惑星ノアへ移民しようと。
厄介な、と投げ出した書類は、ミュウに関するものではない。
ミュウも関係しているけれども、人類の方に関わること。
(移民船の数が増えてゆくほど、ミュウのキャリアも…)
多く見付かるというわけだ、と視線を遣った窓の外。
漆黒の夜空と、その空の下に広がる街。
其処で暮らしている住民たちは、何も知らない。
移民船が来ていることは知っていても、その船に纏わる噂などは。
ミュウのキャリアが増えていることも、彼らが何処へ消えたのかも。
(……今日だけでも、二件……)
宙港で「ちょっとした騒ぎ」が起こった。
ミュウのスパイが入り込まないよう、実施している入国審査。
セキュリティーゲートに仕込んだセンサー、それがミュウ因子の有無を検査する。
陽性だったら、鳴り響くアラーム。
該当者は直ちに隔離された上、収容所へ送られる決まりだけども…。
(…大人しく連行される者など、何処にもいるわけがない)
幼い子供だったらともかく、成人している大人なら。
ミュウが何かを知っているなら、誰であろうと抗うだろう。
自分の命と、自由を守り抜くために。
収容所に送られることも嫌なら、処分されることも御免だろうから。
(だが、結局は…)
保安部隊に取り押さえられるか、今日も一件、起こったように…。
(サイオンを発動させた挙句に、その場で射殺…)
そういう末路を辿るのが常。
ミュウのキャリアはそれで全てが終わりだけれども、問題は周囲の一般人たち。
ただ「宙港に居合わせただけ」で、惨劇を目撃することになる。
一般市民として生きていたなら、一生、縁が無いものを。
引き摺られてゆくミュウはともかく、包囲され、射殺されるミュウ。
火を噴く銃器に、飛び散る血飛沫。
倒れ、死んでゆく者の身体から溢れ出す血や、断末魔の苦悶の表情やら。
(……そういった記憶を持ったままでは……)
人は精神の均衡を欠く。
運悪く居合わせた子供でなくても、立派に成人した大人でも。
(PTSDというヤツだ……)
精神的外傷、いわゆる心に負った傷。
それが後々まで癒えないままで、様々なトラブルを引き起こす。
何かのはずみにフラッシュバックし、いきなりパニックに陥るだとか、気を失うとか。
(そうでなくても、憶えていられては都合が悪いのだ……)
我々の世界においてはな、と顎に当てた手。
SD体制の社会の中では、一般市民は「何も知らない」者であるべき。
社会を構成してゆくためには、その方が都合が良いのだから。
機械が治める世界が抱える、不条理や矛盾といったもの。
そうしたものには、気が付かないでいて貰わねば。
社会を壊さないためには。
滅びゆこうとしている母なる地球を、もう一度蘇らせるためには。
(…都合の悪い記憶は、処理をさせねば…)
宙港で彼らが目にしてしまった、ミュウのキャリアが「殺される」場面。
そんな凄惨な記憶は要らない。
ミュウといえども「身体の構造」は人類と同じで、その血は赤い。
射殺されたのがミュウであっても、目撃者が受ける衝撃は「人類が射殺された」時と全く同じ。
だから記憶は「消さねばならない」。
居合わせた者たちを一人残らず、チェックしておいて。
彼らの行動を追跡し続け、タイミングを選んで「消去する」記憶。
担当の技師が、手際よく。
記憶を遡り、リサーチしながら「消すべきもの」を選び出して。
該当するものを全て消したら、別の記憶を流し込む。
「宙港では、何も無かった」と。
いつも通りに行き交う人々、そういう類の偽の記憶を与えてやる。
後々、食い違うことが無いよう、記憶処理を受けた者、全員に。
報告書には、そのことも付記されていた。
記憶処理が必要な者が何人いるのか、いつまでに処理を終える予定か。
(……こうやってミュウが増えていったら……)
そのシステムにも、改革が必要になるだろう。
記憶の処理を続ける技師たち、彼らも「人」には違いない。
他の誰かの記憶を消したり、また植え付けたりしてゆく作業は、システムに疑いを抱かせる。
作業をしている自分たちの方も、「同じ目に遭っている」のでは、と。
都合の悪い記憶は消されて、別の記憶と置き換えられて「今」があるのでは、と。
(…そして実際、その通りなのだ…)
成人検査での記憶の消去に始まり、ありとあらゆる場面で操作をされるのが「記憶」。
軍人のような特殊なケースを除けば、殆どの者が経験すること。
それを「経験した」ことさえも、知らないままに。
自分の記憶は「本物」なのだと、信じ込んで生きているのが人類。
実の所は、消されて継ぎはぎだらけなのに。
あちこちに穴が開いているのを、機械が作った偽の記憶が埋めているのに。
(……初めて見たのは、ステーションだった……)
E-1077だった、と今も鮮明に思い出せる。
ミュウのキャリアだった「シロエ」のことを、ステーション中の生徒が「忘れた」。
誰に尋ねても「知りませんけど」だとか、「そんな子、いてましたっけ?」といった具合に。
(…まるで私の方が「おかしい」かのように…)
皆が不審そうに見るものだから、あの時は心底、恐ろしかった。
サムが「ジョミーを忘れた」時には、まだ、それほどでもなかったのに。
「マザー・イライザの仕業なのだ」と憎みはしても、背筋が凍るほどまでは…。
(いかなかったし、そんなものだと…)
システムに理解を示しもした。
「仕方ないのだ」と、SD体制の仕組みを思い返して。
けれども、シロエの時は違った。
「自分一人だけが」彼を忘れていなかったから。
しかも「忘れずに済んだ」シロエを、「処分させられた」のが自分だから。
(……あの時の私と同じように……)
記憶処理を続けている技師たちも、疑念を抱いて、いずれ裏切るかもしれない。
消すべき記憶を消さずにおいて、SD体制の根幹を揺るがせることも…。
(無いとは言えんし、彼らの記憶の処理の回数を…)
今の既定の数より増やして、作業内容を早めに書き換えるべき。
「蟻の穴から堤が崩れる」の言葉通りに、システムが崩れたら大変だから。
これ以上、ミュウが増えるようなら、もう明日にでも…。
(パルテノンに進言するか、グランド・マザーに提案するか…)
どちらが良いか、と考え始めて、ゾクリとした。
記憶の処理が「当たり前」ならば、「自分の記憶」はどうなのだろう。
一度も消されたことが無いから、疑いさえもしなかった。
「私は、特別な存在なのだ」と。
機械が無から作った生命、ゆえに機械も手出しはしない、と。
(だが、誰が……)
そうだと保証してくれたのだ、と冷えてゆく背中。
「自分は特別な存在なのだ」と考えることも、あるいは機械が…。
(…都合の悪い記憶を消させて、そういう思考を持つように…)
仕向けていないと、いったい誰が言えるだろうか。
そう、「自分さえも」そう言えはしない。
機械が作った生命ならば、思考も、持っている記憶の全ても…。
(……何もかも、機械の思いのままに……)
操作されていても不思議ではないし、むしろ「その方が」自然だろう。
記憶を消されて、植え付けられて、何もかもシステムに都合よく。
いつか人類の指導者となるべく、理想の人間に仕立てられて。
(……まさかな……)
まさか、と今は思うけれども、それさえも「忘れる」かもしれない。
「キース」は「作られた生命」だから。
機械が無から作った命は、機械が好きに弄った所で、神さえも文句は言わないから…。
処理される記憶・了
※SD体制では当たり前なのが「記憶の処理」。原作はもちろん、アニテラの世界でも。
キースは無縁なわけですけれども、その特別っぷりを考えていたら、こんな話に…。