(……ぼくの名前は……)
セキ・レイ・シロエ、とシロエが心で呟いた名前。
たった一つだけ、故郷から持って来られたもの。
このステーション、E-1077にまでも。
過去を奪われ、両親も故郷も奪い去られて、残ったものは「自分の名前」だけ。
此処まで持って来られた「物」なら、ピーターパンの本もあるけれど…。
(…ピーターパンの本は、ぼくの人生の途中から…)
現れたもので、「生まれた時から」一緒だったというわけではない。
物心ついて間もない頃なら、まだ貰ってはいなかったろう。
「文字も読めない幼児」のために買い与えるには、早すぎるから。
いくら「シロエ」が優秀な子でも、二歳やそこらの年では読めない。
(…絵本くらいは読めたって…)
ピーターパンの本は難しすぎる。
同じ文字で中身が綴られていても、「知らない単語」が多すぎて。
造語の「ネバーランド」はともかく、「海賊」でさえも分からなくて。
(だから、この本は途中から…)
ぼくの人生に来たんだよね、と宝物の本の表紙を眺める。
いつ貰ったのか、何歳の時から持っているのか、今となっては謎になった本を。
テラズ・ナンバー・ファイブに記憶を消されて、思い出せなくなった記念日。
こんなに大事にしている本でも、「いつから持っているのか」が。
父がくれたか、母に貰ったか、二人揃って「くれた」のかも。
(……だけど、名前は……)
もう間違いなく、生まれて直ぐから持っている「もの」。
しかも「両親から」贈られて。
機械が名付けた名前ではなくて、父と母とが考えてくれて。
過去を、両親を、記憶を奪い去られた今でも、名前は「過去」に繋がっている。
その名をくれた両親にも。
「セキ・レイ・シロエ」と呼ばれて育った、故郷にも、過去の時間にも。
そういう意味では、ピーターパンの本よりもずっと大切な「名前」。
成人検査で「名前を忘れた」者はいないから、忘れてしまいがちだけど。
「故郷から持って来られたもの」なら、「本だ」と思ってしまうのだけれど。
(…本当は、ぼくの、この名前が…)
とても大事なものなんだよね、と改めて思う。
いつか故郷に帰れる日が来たなら、機械から記憶を取り返したら…。
(パパ、ママ、ただいま、って…)
帰ってゆく先は「セキ・レイ・シロエ」が育った家。
ピーターパンの本も、もちろん一緒に持って帰ってゆくけれど…。
(シロエだよ、って…)
名乗って両親を驚かせるのは、「シロエ」の名前。
両親が口にする言葉だって、「シロエなの?」だとか、「シロエなのか?」で。
たとえ面影が残っていたって、両親は、きっとそう言うだろう。
「本当に、あのシロエなのか」と目を丸くして。
もう十四歳の子供ではない、大人になった「シロエ」を見て。
(……名前の方が、ずっと大切……)
こうしてじっくり考えてみれば、ピーターパンの本よりも、ずっと。
「シロエ」の名前と一緒に育って、これからも共に生きてゆくから。
(……パパの名前も、名前だけなら……)
このステーションにいたって見付かる。
「セキ・レイ・シロエ」のパーソナルデータとは違った場所で。
故郷の星のアルテメシアに絞りさえすれば。
(…サイオニック研究所の、ミスター・セキ…)
それが父の名前。
子供だった頃には、深く考えなかったけれども、研究者だったのが幸いした。
一般市民とは違うものだから、同姓同名の「他人」ではないと確信できる。
「ミスター・セキ」が父なのだ、と。
そこまでだけしか分からなくても。
「ミスター・セキ」の名前を頼りに、家を探すことは不可能でも。
(パパが何処かに異動したって…)
所属している研究所だけなら、これから先も見付かるだろう。
いつか退職したとしたって、最後の職場は分かる筈。
(…そこまで分かれば…)
「シロエ」が相応の地位に就いていたなら、「その後」を追えるのかもしれない。
住所は教えて貰えなくても、「ミスター・セキなら、今は、この星」と。
その程度ならば、きっと差し支えはないだろうから。
「両親に会いに行く」のは無理でも、「ちょっとしたデータ」くらいだったら。
(……運が良かったら……)
両親が暮らす星に「任務で」行くことだって、あるかもしれない。
そしてバッタリ何処かで出会って、「シロエなのか?」と言われることだって。
(…パパとママの顔は、ぼやけて思い出せないけれど…)
両親の方では、今も覚えていることだろう。
「育てた子供」が大人になって、偶然、再会した時に…。
(…声をかけても、かまわないなら…)
あの優しかった父や母なら、「シロエ?」と呼んでくれるのだろう。
故郷から持って来た、大切な名を。
自分たちが選んで「息子」に与えた、「セキ・レイ・シロエ」という名前を。
普段は意識していないけれど、とても大切な宝物。
ピーターパンの本よりもずっと、両親や過去に「近い」のが名前。
(……セキ・レイ・シロエ……)
ぼくだけの名前、と机の端末に打ち込んでみる。
宇宙はとても広いけれども、同じ名前の者はいるのか、と。
(……いないのかな?)
少なくとも、今はいそうにないね、と見詰める文字たちの列。
条件を変えて検索したって、「セキ・レイ・シロエ」は出て来なかった。
(…有名な人じゃないのなら…)
多分、引っ掛かっては来ないだろうし、宇宙の何処かには「いる」かもしれない。
「セキ・レイ・シロエ」という人が。
年も姿もまるで違っても、同じ名前を持っている人が。
(それはそれで、少し気になるけどね…)
どんな人なのか興味があるよ、とキーボードを叩き続ける内に…。
(…セキレイ…?)
ぼくと同じ、と見付けた文字列。
「シロエ」とはついていないけれども、「セキレイ」の名前。
けれど、「セキレイ」は「ヒト」ではなかった。
そういう名前がついていた鳥で、今よりも遥かに遠い昔に…。
(……地球の、日本っていう島国……)
小さいけれども、広く知られていたらしい国。
其処に「セキレイ」という鳥がいた。
日本の国でだけ使われた言葉、それで「セキレイ」と呼ばれた小鳥。
他の国では違う名前で、SD体制に入った時代も別の名がある。
違う名前で呼ばれていたって、「セキレイ」は絶滅していないから…。
(…こうして引っ掛かったんだ…)
これがセキレイ、と食い入るように画面に見入る。
故郷で見たことがあるのか、無いのか、それも定かではないけれど。
(育英都市とか、普通に人が暮らす星なら…)
豊かに流れる川があったら、セキレイは住んでいるらしい。
水鳥とは違う鳥だけれども、水辺を好むらしいから。
印象的な長い尾羽を上下させながら、川を泳ぐ小魚などを狙って。
たまたま出会った、同じ名の小鳥。
今の時代は誰も「セキレイ」とは呼ばないけれども、昔は「セキレイ」。
ついつい親近感を覚えて、データを読んでゆく内に…。
(……セキレイは、親が卵を温めて孵して……)
孵った雛に餌を運んで、巣立ちするまで育てるもの。
巣立ちの時にも「飛び方」を教えて、巣立った後にも、暫くは一緒。
まだ幼鳥と言える子供が、餌の取り方を覚えるまで。
一人前の大人に育って、自分だけの力で生きてゆける日がやって来るまで。
(…もちろん養父母なんかじゃなくて…)
本当に本物の親鳥だよね、と見詰めるセキレイの巣と卵の画像。
鳥によっては「托卵」と言って、他の鳥に子育てをさせる種類もあるようだけれど…。
(…このセキレイは、そうじゃなくって…)
親に育てて貰える鳥だ、と分かったら胸が苦しくなった。
同じ「セキレイ」で、こうも違うかと。
とても小さな小鳥だけれども、「セキレイ」は過去を奪われはしない。
鳥の世界に成人検査は、無いものだから。
子供にしたって、人工子宮から生まれて来たりはしないのだから。
(……ぼくも、こっちのセキレイだったら……)
どんなに幸せだったろう。
ヒトとは比べ物にもならない、短すぎる時しか生きられなくても。
文字を読んだり、「ピーターパンの本」をプレゼントされることは無くても。
(…鳥のパパとママと、ずっと一緒で…)
一人前になった後にも、きっと会いにも行けるのだろう。
「パパとママがいそうな辺りは、此処」と、懐かしい水辺に飛んで行ったら。
生まれ育った巣があった場所の、近くまで空を翔けて行ったら。
(…そっちの方が…)
ぼくは幸せだったのかも、という気がしないでもない。
「なんだ、鳥か」と思われるだけの、ちっぽけな生に過ぎなくても。
ピーターパンの本など読めはしなくて、ネバーランドにも行けなくても。
鳥ならば、過去は失くさないから。
本物の両親に育てて貰って、望みさえすれば、きっと何処までも一緒だから。
鳥の命は短くても。
「セキ・レイ・シロエ」が過去を奪われた、十四歳までも生きられなくても。
(……パパもママも、過去も、それに故郷も……)
失くさないなら、鳥で良かった。
難しい本など、読めなくても。
ピーターパンの本は貰えなくても、鳥だった方が、ずっと自由で幸せだから…。
鳥だった方が・了
※シロエと鳥の「セキレイ」で書くのは、これで三度目。名前が似てると思うので。
ネタ系で書いたシロエ生存ED『奇跡のその後』と、ハレブル聖痕シリーズの『セキレイ』。
気になった方は、そちらもよろしくお願いしますv
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