(……神の領域か……)
私はそれを侵したのだ、とキースは思う。
首都惑星ノアの、国家騎士団総司令として与えられた部屋で。
日付はとうに変わった時刻で、側近のマツカも下がらせた後。
カップに残った冷めたコーヒー、それを一口、喉の奥へと落とし込んで。
(…正確に言えば、私が侵したわけではないが…)
マザー・システムの仕業だがな、と分かってはいる。
理想の指導者を作り出すべく、グランド・マザーが下した命令。
全くの無から作った生命、それに人類と地球の未来を託せるように。
最初はE-1077ではなく、別の場所で行われていた研究。
けれども、其処で邪魔が入った。
(……ソルジャー・ブルー……)
伝説のタイプ・ブルー・オリジン、ジルベスター・セブンで出会ったミュウ。
彼はメギドと共に滅びて行ったのだけれど、彼が攫った女がいた。
モビー・ディックから逃れた時に、人質に取ったミュウの女が。
(…あの女は、私と同じ生まれで…)
それゆえに彼女は、マザー・イライザと似た面差しだった。
ソルジャー・ブルーが攫う前には、何体も作られた「同じ顔の女性」。
最後の一人は失敗作で、その上、ミュウに攫われる始末。
(……それで実験の場を、宇宙に移して……)
研究者たちも、共にE-1077へ移動した。
プロジェクトを引き継いだマザー・イライザ、その指示で研究を続けるために。
(…全くの無から、生命を作り出すなどは…)
神の領域を侵す禁忌で、そうして作り出された「自分」。
見た目はヒトと変わらなくても、神が作ったものではない。
ならば、自分は何処へ行くのか。
ヒトの命が終わった後には、神の許へと旅立つという。
全ての創造主である神、ヒトを創った神の御許へ。
今は機械が統治する時代。
「普通のヒト」にも親はいなくて、人工子宮から生まれてくる。
機械が選んだ無限大の交配、其処にヒトの手は介在しない。
(……しかし、それでも……)
提供された卵子と精子は、間違いなく「ヒト」のものではある。
どのような形で作られようとも、生まれようとも、「ヒト」は「ヒト」。
SD体制が始まる前の時代だったら、「実の親」と呼ばれた者がいるもの。
卵子を提供した者が母で、精子を提供した者が父で。
(…きちんとデータを調べさえすれば、本当の親が分かるのだ…)
今の時代を生きる者には、データへのアクセス権限が無くても。
マザー・システムがそれを禁止していても、探す術はある「親」というもの。
けれど、自分に「親」などはいない。
モビー・ディックの中で出会った、ミュウの女にも。
E-1077の水槽で長く育つ間に、サンプルの姿を目に焼き付けた女性体にも。
(私を作った遺伝子データは、あの女のを元にしていたらしいが…)
ただそれだけのことに過ぎない。
彼女の卵子を使っていたなら、辛うじて「母」がいたのだろうけれど…。
(…データを元にしただけではな…)
DNAの上では「母」と言えても、本当の母とはとても呼べない。
「キース」も無から作られたから。
機械によって合成された、三十億もの塩基対。
マザー・イライザが「それ」を繋いだ。
ミュウの女のデータを元に、DNAという鎖を紡ぎ上げて。
神の領域に足を踏み入れ、「ヒトに似たモノ」を作り出そうと。
姿は人と変わらなくても、人を超える者。
人類の理想の統治者として、ヒトと地球とを導く者を。
そうして作り出された自分。
国家騎士団総司令、「キース」。
いつか命が終わった時には、この魂は何処へ行くのだろうか。
この身を離れて飛んで行っても、開かないかもしれない扉。
「ヒト」であったら、神の国へと行けるのに。
神の国に行く資格が無ければ、地獄の扉が開くだろうに。
(……ヒトでなければ、どうなるのだ……?)
神は「キース」を作ってはいない。
造物主たる神が「知らない」存在、知らないどころか禁忌を侵して生まれたモノ。
ならば、門前払いだろうか。
天国へ行こうと、地獄へ行こうと、どちらの扉も開くことなく。
…ヒトであったら、どちらかの道がある筈なのに。
たとえ地獄の責め苦があろうと、行き着く先があるというのに。
(…これでは、まるで…)
ジャック・オー・ランタンのようではないか、と思い描いた昔の祭り。
今の時代はもう無いけれども、十月の一番最後の日。
ハロウィンと呼ばれた祭りの時には、カボチャでランタンを作ったという。
それの由来がジャック・オー・ランタン、伝説の男が持っている灯り。
天国へも地獄へも行くことが出来ず、永遠に彷徨い続ける男。
カボチャに入れて貰った明かりだけを手に、いつか扉が開く時まで。
天国ではなくて地獄だろうと、ヒトが行く場所に落ち着けるまで。
(……神が私を、「作っていない」と突き放すなら……)
きっと、自分もそうなるのだろう。
カボチャのランタンをくれる者さえ、現れずに。
ジャック・オー・ランタンは「ヒト」だっただけに、ランタンを貰えたのだけれども。
(……灯りの一つも、貰えないままで……)
いったい何処を彷徨うのだろう、「キース・アニアン」だった男は。
人類の指導者だった時代は、誰もが敬意を払った者は。
ミュウたちから恐れられた男は、いずれ惨めに落ちぶれてゆく。
ジルベスター・セブンごと焼いたミュウでも、ヒトの一種には違いない。
彼らでさえ行ける天国や地獄、其処に「キース」の居場所は無い。
ただ一人きりで彷徨うだけで。
天国の扉も、地獄の扉も、「キース」のためには開かなくて。
(…ソルジャー・ブルー…)
彼が「キース」の姿を見たなら、嗤うだろうか。
それとも憐み、カボチャのランタンに火を入れて持たせてくれるだろうか。
いつか扉が開く時まで、「持っているといい」と。
暗闇の中を歩き続けてゆくなら、こうした灯りも要るだろうから、と笑んで。
(……あの男ならば……)
そうかもしれん、という気がする。
敵同士として戦ったけれど、彼に出会って変わった「何か」。
彼のようにありたい、と思わないでもない自分。
指導者が自ら戦う姿は、愚かしいように思えても。
「導く者を失ったならば、もはや戦えないではないか」と思いはしても。
赤い瞳に宿った信念、それを自分は見せられたから。
右の瞳を砕かれてもなお、挫けぬ闘志に飲まれさえして。
だから彼なら、あるいはと思う。
すっかり落ちぶれ、死後の世界を彷徨う者にも、灯りを一つ、くれるのではと。
わざわざカボチャを採って来てまで、「これを持ってゆけ」と。
神が「キース」を許す時まで、一人、彷徨うだろう道。
天国にも地獄にも入れないまま、貰ったカボチャの灯りだけを頼りに。
カボチャの灯りが届く範囲は、きっと足元くらいだろうに。
(……ぞっとしないな……)
そういう未来が待っているなら、なんと虚しい人生だろう。
機械に無から作り出されて、懸命に生きた先がそれでは。
システムに疑問を抱きながらも、「守らなければ」と努力した果てが。
(…シロエは何処へ行ったのだろう…?)
遠い日に自分が殺した少年。
ピーターパンの本だけを持って、暗い宇宙に散っていったシロエ。
彼の行き先はネバーランドか、あるいは天国と呼ばれる場所か。
どちらにしても、きっと再会は叶わない。
「キース」のためには、何処の扉も開かないから。
いつの日か神が許す時まで、一人、彷徨うしかないのだから。
(……埒も無いことを……)
こうして考えてしまう心も、いっそ無ければいいものを。
機械が作った生命ならば、魂さえも…。
(…いっそ無ければ、楽なのだがな…)
死後の世界を彷徨うよりかは、魂などは無くていいな、と溜息をつく。
遠い昔の童話に出て来た、人魚姫。
人魚姫には魂は無くて、命が終われば消えてゆくだけ。
儚い泡になってしまって、海の水に溶けて。
(……人魚姫は、魂を貰ったのだが……)
私は要らん、と傾けた冷めたコーヒーのカップ。
機械が作った生命体にも「魂は無い」と言うのだったら、欲しくはない。
いつか命が尽きた時には、この心ごと消えようとも。
どうせ自分に、天国の扉は開かないから。
神の領域を侵した者には、地獄の劫火が渦巻く世界も、扉を開けてはくれないから…。
いつか行く道・了
※いや、機械が作った生命体だと、魂はどうなるんだろう、と思ったのが切っ掛け。
「人魚姫と同じで、無いかもしれない」と考え始めて、ジャック・オー・ランタン…。