(…………)
ああ、とキースは「彼ら」を眺めた。
今日も「その時間」がやって来たのだろう。
強化ガラスの壁の向こうに、研究者たちの姿が見える。
水槽を満たした大量の水と、透明なガラスの壁を通して。
白衣を纏った一人の男が、水槽を向こう側から叩く。
まるで何かの合図のように、拳で軽く、コツン、コツンと。
(…………)
こちらは「見ている」ことしか出来ない。
周りに満ちた人工羊水、それの中では話せはしない。
口を開けても声は出せなくて、羊水が喉に、更に奥へと入り込むだけ。
もっとも肺まで入った所で、咳き込んだりはしないけれども。
「羊水の中で生きている」だけに、肺で呼吸はしていないから。
我ながら奇妙な生き物だと思う。
どういう仕組みで生きているのか、羊水の中で何故、生きられるのか。
胎児の時代ならばともかく、本来ならば、とうに「生まれた」後の肉体。
人工子宮から外に出されて、自分の肺で呼吸をして。
臍の緒から栄養を得たりはしないで、口から栄養素を摂って。
(……その臍の緒も……)
私には無いな、と改めて思う。
あるのは自分の身体一つで、水槽の中に浮いているだけ。
何処にも管など繋がっておらず、衣服さえも身に着けてはいない。
「生まれ出る時」を先延ばしにされ、もう胎児ではないというのに、胎児そのもの。
これは「そういう実験」だから。
三十億もの塩基対を機械が合成した上、それを繋いでDNAという名の鎖を紡ぐ。
「自分」は「無から作られた」もので、「その日が来るまで」水槽で育つ。
外の世界とは、何の繋がりも持たないままで。
生きてゆくための栄養も、呼吸も、知識さえも機械に与えられて。
いつか「理想の指導者」となるよう、進められているプロジェクト。
「キース」が立派に完成するまで、極秘の内に。
日々は水槽の中で過ぎてゆくだけで、何の会話も感慨も無い。
ただ、ぼんやりと浮いているだけ、こうして外を眺めているだけ。
「…今日も、そういう時間なのか」と。
「キース」の成長具合を見るべく、研究者たちが訪れる時間。
何かの記録をつけている者や、水槽を見上げて話し合っている者たちもいる。
いつも水槽を叩く男は、このプロジェクトのリーダーだろうか。
決まったように二回、「コツン、コツン」と叩いてくる。
「キース」の反応を見るように。
何も答えは返らなくても、きっと「何かが分かる」のだろう。
表情さえも変わらなくても、水槽の中で動くわけではなくても。
何故なら「彼らが作った」から。
機械が作った生命とはいえ、育ててゆくには人の手も要る。
「この生命」を維持してゆくには、膨大な作業が必要な筈。
強化ガラスの水槽にしても、マザー・イライザに「作れはしない」。
作れたとしても、「作るために必要だった機械」は、全て人間が用意したもの。
注文通りの部品を揃えて、必要な機材の準備もして。
何より、欠かせない「材料」。
水槽用の強化ガラスも、中に満ちている人工羊水も、ステーションでは調達できない。
マザー・イライザは「注文しただけ」、それ以上のことは何も出来ない。
E-1077を支配してはいても、所詮は機械なのだから。
このステーションから動けはしなくて、手足のように使っているのも「機械の一部」。
だから「キース」を作り出すには、「人の手」もまた欠かせない。
DNAを紡ぐ以前の時点で、塩基対を合成するための素材集めに使われた「人」。
そうして「キース」の形が出来たら、今度は生命の維持を助ける。
マザー・イライザには、出来ない部分をサポートして。
人工羊水の浄化システムやら、様々なものをチェックして。
「研究者たち」も、やはり「キースを作った」者。
最高の国家機密に関わり、E-1077に留まり続けて。
幾つもの失敗作から学んで、「完成品」の「キース」を作り上げるために。
なんという「生まれ」なのだろう。
まだ「生まれてはいない」けれども、いずれ此処から「生まれる」命。
「キース・アニアン」が成長し切った暁には。
一日に一度、水槽を叩きに来る研究者が、「これでいい」と判断した時に。
マザー・イライザの注文通りに、「理想の子」が出来上がったなら。
外に出すべき時が来たなら、「キース」は水槽の外に出される。
自分の肺で呼吸を始めて。
栄養は口から「食べ物」で摂って、大人に成長してゆくように。
(……私は、そのように作られたから……)
そのようにしか生きてゆけないのだな、と分かってはいる。
研究者たちが話す声さえ、この耳で聞いたことは無い。
彼らの名前を知りもしないし、水槽を叩く意味も知らない。
(……明日になったら、また来るのだろう)
今日と全く同じことをしに。
水槽をコツン、コツンと叩いて、何かのデータを記録したりして。
いつまでそうした日が続くのか、それさえも「自分」は知らないのに。
こうした「生まれ」が不自然なことも、まるで知らずに浮いているのに。
(……まるで知らない……?)
違う、と聞こえた心の声。
自分は「全てを知っている」から、こういう考え方になる。
けれども、それを何処で聞いたか、誰が自分に教えたのか。
ただ「浮いているだけ」の生命体には、それは不要な知識だろうに。
水槽から出される前の「キース」に、教えても意味は無いのだろうに。
(…何故だ?)
どうして私は知っているのだ、と冷えてゆく背筋。
表情さえも変わっただろうか、研究者たちが騒ぎ始めた。
水槽の方を指差して。
色々な計器を確認しながら、まるでパニックに陥ったように。
彼らの唇から読めた言葉は、こうだった。
「失敗作だ」と、「直ちに処分しなければ」と。
(失敗作…!?)
それに処分とは、と思った途端に、ゴボリと立ち昇った泡。
水槽の中の照明が落ちて、暗闇の中で息が出来なくなった。
そう、「人間」が溺れるように。
水の中では、呼吸など出来る筈もないから。
(……私を処分しようというのか…!?)
何故、と苦しむ時は長くは続かなかった。
サンプルにしようとしたのだろうか、苦悶の表情を浮かべないよう、注入された何かの薬物。
ただ陶然となった所で、意識は薄れて消えてしまった。
「キース」の命は終わったから。
新しい「キース」を作り出すべく、別の生命が用意されるから。
(……馬鹿な……!!!)
私が「キース・アニアン」なのだ、と上げた悲鳴で目が覚めた。
国家騎士団総司令の部屋で、夜の夜中に。
夜明けにはまだ遠い時間に、いつもと同じベッドの上で。
(……夢だったのか……)
ならば分かる、と思う「あれこれ」。
水槽の中に浮いていてさえ、自分の生まれを知っていたこと。
「キース」という自我を持っていたことも。
(…私は全てを知っているからな…)
E-1077を処分した時、フロア001で見て来た「全て」。
自分は何処から「作り出された」のか、どういう生命体なのか。
それを作った目的も。
人類の理想の指導者たるべく、様々な準備がなされたことも。
ミュウの長との接触があった、サムやスウェナといった友人。
それにミュウ因子を持った少年、セキ・レイ・シロエ。
「水槽から外に出された後」にも、まだプロジェクトは続いていた。
研究者たちは「消された」けれども、マザー・イライザが引き継いで。
「これから先は、機械でも充分、導いてゆける」と、計算ずくで。
そうして「生まれた」キース・アニアン。
今は国家騎士団総司令だけれど、いつかは国家主席になる。
マザー・イライザよりも上の機械が、そう決めたから。
宇宙を支配するグランド・マザーが、そのためのレールを敷いているから。
(…何もかも、人類のためなのだがな…)
その「私」が処分される夢か、と今の悪夢を思い出す。
珍しく寝汗さえかいているから、下手な戦場よりも酷かった夢。
「自分」が処分されるなど。
「失敗作だ」と断言されて、サンプルにされてしまうなど。
(……なんという……)
とびきりの悪夢というヤツだ、と額を押さえて、ふと気が付いた。
本当に悪夢だったけれども、それが「現実」なら、どうだったかと。
「キース」が処分されていたなら、その後は…、と考えてみて。
(…私があそこで処分されたら、次の「キース」の育成に…)
十数年はかかるのだろうし、全ては変わっていただろう。
サムもスウェナも「キース」に出会わず、幸せに生きていっただろうか。
もしも「キース」に関わらなければ、サムの人生も別だった筈。
E-1077などには来ないで、別の教育ステーションに行って。
(…養父母向けのコースに行ったら、パイロットになりはしないのだから…)
ジルベスターでの事故に遭いはしないし、今も元気でいただろう。
スウェナも平凡な道を歩んで、シロエも「マツカ」がそうなったように…。
(…誰にもミュウだとバレはしないで、私に撃墜されもしないで…)
何処かの星で、エリートとして生きていたかもしれない。
メンバーズにせよ、技術職にせよ、抜きん出た才能があったのだから。
(……さっきの夢は……)
もしかしたら私の願望なのか、と「自分の心」に苦笑する。
もしも「キース」が生まれなかったら、この後悔は、きっと無かった。
失敗作として処分されていたなら、誰も巻き込みはしなかった。
そう、「キース」さえいなかったなら。
サンプルにされてしまっていたなら、サムもシロエも、きっと平和に生きられたのに、と…。
水槽の悪夢・了
※いや、キースには水槽時代の記憶が微かにあるわけで…。こういう夢も見たかもね、と。
もしも「処分される夢」を見たなら、その願望があったんだろう、というお話。
※pixiv 撤収後、初のUPになります。今後は、まったり。