「ようこそ、ジョミー・マーキス・シン。私はこのシャングリラの船長、ハーレイ」
君を心から歓迎する、とジョミーの前に出て来たオッサン。やっとの思いで追撃を逃れ、逃げ込めたらしい船の格納庫で。
(…え、えっと…?)
なんかゾロゾロ人がいるし、と思ったジョミー。船長だと名乗ったオッサンの他にも、偉そうにマントを纏ったジジイたちやら、あまり年の変わらない若者たちやら。
(此処って、何さ…?)
シャングリラって、と考えた途端に、ハーレイが笑顔でこう言った。
「此処は君の家だ。大いに寛いでくれることを、我々は心から願っている」
「…はあ?」
このオッサンは何が言いたいんだ、とジョミーが失った言葉。「家」なら、ちゃんとアタラクシアに「自分の家」を持っている。成人検査で出て来たとはいえ、家は家。
(…こんな連中がいる船なんて…)
家じゃないから! と顔を顰めた途端に、頭の中で響いた声。この船まで連れて来てくれたリオ、彼が使うのと同じ思念波で。
『…今の、聞いたか? こいつ、挨拶も出来やしないぞ!』
『ソルジャーは、凄いミュウだと言ったのに…。挨拶くらい、一瞬で分かる筈だよな?』
『当たり前だろ、ミュウの特徴は思念波だぜ! ツーと言えばカーで!』
どんな情報でも、一瞬の内に共有してモノにしてこそだよな、と露骨な罵倒。彼らの顔に浮かぶ嘲笑、そうでなければガックリな感じ。
(な、なに…?)
ぼくが何をしたわけ、とジョミーが慌てふためいていたら、白い髭のジジイが進み出た。
「ジョミー、君は挨拶の作法がなっていないのだよ。…おっと、私の名前はヒルマンだ」
船の子供たちの教育係を務めている、とジジイがやった自己紹介。彼が言うには、このシャングリラで、誰かの部屋などに招かれた時は…。
(……此処は、あなたの家ですから、って……)
向こうが言うから、それに対して返す言葉に「決まり」がある。「ありがとうございます」というのはともかく、その後に続く「お約束」。
「おお、私にとって、この世でこの場しかありません。此処は最後の希望です」とヨイショ、それがシャングリラの流儀。人間関係を「とても円滑に」するために。
なんだか「とんでもない」、やたらと長い挨拶の言葉。それを「ジョミーも」言うべきだったらしい。しかも「処分されそうだった所を助けられた」のだから、もう文字通りに…。
(この世でこの場しか無くて、最後の希望で…)
心をこめて「ありがとうございます」と称えまくりで、この場にいる皆を「いい気分」にさせるべきだったとか。「ジョミーを助けられて良かった」と、皆が笑顔になるように。
「そんなの、ぼくは知らないから! 第一、ぼくはミュウなんかじゃない!」
そう叫んだら、ドヨッと起こったざわめき。思念波で「なんて野蛮な」とか、「全く文化的じゃない」とか、それは散々に。
(…何なんだよ、此処…!)
やってられっか! とジョミーは怒りMAX、リオに案内されて個室に入った。ジョミーのためにと用意されていた部屋だけれども、リオは其処へと足を踏み入れるなり…。
『とても小さくて、お恥ずかしい限りなのですが…。我々に出来る精一杯のおもてなしです』
どうぞ寛いで下さいね、と思念が来たから、「もしかしたら」とピンと来た。さっき聞かされたばかりの、べらぼうに長ったらしかった挨拶。アレで応えるべきなのだろうか、と。
(此処が最後の希望だっけか…?)
『そう、そうです、ジョミー! もうマスターしてくれたのですね!』
その調子で覚えていって下さい、とリオは大感激で「例の挨拶」を思念波で繰り返してくれた。「おお、私にとって、この世でこの場しかありません。此処は最後の希望です」というヤツを。
このシャングリラで生きてゆくには、基本の基本な挨拶だとか。何処へ招かれても欠かせないブツで、これが言えないようなミュウだと…。
(…礼儀知らずの田舎者って言うか、無粋って…!?)
なんで、とジョミーは思ったけれども、リオの話では、シャングリラは「文化的な船」。粗野で野蛮な人類などとは「全く違って」、高い文化を誇るもの。
『言葉の代わりに、思念波で通じてしまいますからね…。そういう意味でも必要なんです』
コミュニケーション能力を失わないよう、「言葉」は常に飾るものです、とリオは説明してくれた。とても急いでいるならともかく、それ以外の時は盛大に「飾り立てる」のが「言葉」。
部屋に誰かを招いた時には、「此処は、あなたの家ですから」と相手をヨイショで、招かれた方も「この世でこの場しかありません」とヨイショで返す。
一事が万事で、「慣れれば、じきに使えますよ」とリオは請け合ってくれたのだけれど…。
なんだかんだで「食事にしませんか?」と連れて行かれた食堂。其処でトレイに載せた料理を受け取っているミュウと、食堂の係のやり取りが…。
「今日はあんまり食べられないんで、申し訳ないけど、控えめの量でよろしく」
せっかくの料理を無駄にして、なんとも心苦しい次第で…、とトレイを受け取る一人に、係は笑顔でこう応じた。
「いえいえ、大した料理も出せずにすみません。粗末な料理で恐縮ですが、ご遠慮なく」
心ゆくまでお召し上がり下さい、とスマイル、ゼロ円といった具合にナチュラルに。
(…ちょ、アレって…!)
此処でも「ああいう挨拶」が…、とビビるジョミーに、リオは「覚えが早くて助かります」と、にこやかな笑み。「あんな風に挨拶するんですよ」と。
(うわー…)
出来なかったら「粗野で野蛮」で確定なのか、と思いはしても、そんなスキルは持たないのがジョミー。先に注文したリオは「お手数をかけてすみません。いつも美味しい料理をどうも」と係をヨイショで、係の方でも「今日も粗末ですみませんねえ…。果たしてお口に合いますかどうか」とやったのだけれど…。
「…ぼくも、同じの」
それ下さい、としかジョミーは言えなかった。アタラクシアの学校の食堂、其処では毎度、そうだっただけに。
係はポカンと呆れてしまって、あちこちから飛んで来た思念波。
『聞いたかよ? 注文の仕方も知らないらしいぜ』
『無駄、無駄! あいつの頭は、まるっきり野蛮で人類並みだし』
このシャングリラの高い文化に適応できるわけがない、と食堂中でヒソヒソコソコソ、その思念にすら「混じっている」のが「文化の高さ」。
「まるっきり野蛮で人類並みだし」と囁く思念は、「遥か昔の石器時代の人類」並みだ、と言葉を「飾っていた」し、「注文の仕方を知らない」の方も、「とても垢抜けて洗練された注文」と「飾りまくっていた」言い回し。
(……なんか、色々と……)
あらゆる意味でハードすぎるかもよ、とジョミーは早くも「めげそう」だった。どう考えても、自分は「ミュウとは違うっぽい」と、あまりの運の無さに打ちのめされて。
(……こんな船になんか、来たくなかったのに……)
ぼくに合うとは思えないや、と愚痴りながらも眠った夜。悪い夢だったら、明日の朝にはスッパリと消えているかも、などと微かな望みを抱いて。
けれど翌朝、目覚めてみたら、其処はキッチリ、ミュウの船の中で…。
『おはようございます、ジョミー。昨夜は、最高の絹に包まれたように眠れましたか?』
「え? あ、ああ…、うん…」
リオの言葉に途惑いながらも、「よく眠れたか」訊いているのだろう、と頷くと…。
『それは良かったです。私はあなたの下僕、いえ、それ以下の小さな存在ですから…』
あなたのためなら、どんなことでも犠牲になります、とリオが言い出すから驚いた。「下僕」で「犠牲」って、何も其処までしなくても、と。
「ちょ、ちょっと…! リオは、ぼくの命の恩人で…!」
『いえいえ、私は、あなたの靴底の埃に過ぎませんから』
…というのも覚えておいて下さいね、とリオはニッコリ微笑んだ。このシャングリラで「お世話になっている人」に挨拶するなら、こうです、と人の好さが滲み出る顔で。
曰く、「いずれ、ソルジャーに挨拶する」なら、この手の挨拶は欠かせないもの。これからヒルマンの授業でも「教わる」ことになるだろう、と。
「それも言葉を飾るってヤツ…!?」
『そうですよ? この船で文化的に暮らしてゆくなら、必須ですね』
きちんと覚えて下さいよ、と念を押されても、納得がいかない言い回し。
(この船じゃ、普通かもしれないけどさ…!)
なんだって「ソルジャー・ブルー」なんぞに会うのに、仰々しく飾り立てた言葉が必須なのか。覚えるだけでも大変そうだし、そうでなくても中身がキツイ。
(…「あなたの下僕」だけでも、思いっ切り抵抗があるんだけど…!)
下僕どころか、「それ以下の小さな存在」と来た。その上、「あなたのためなら、どんなことでも犠牲になります」なんて、言いたくもない。
(言ったら、きっと人生、終わりで…)
ソルジャー・ブルーの言いなりにされて、いいようにコキ使われるのだろう。いくら定型文だと言っても、まるで全く信用できない。「揚げ足を取る」という言葉だってある。
かてて加えて「あなたの靴底の埃に過ぎませんから」だなんて、どう転がったら言えるのか。こちらにだってプライドがあるし、「ミュウの文化」とは無縁なだけに。
いったい、此処はどういう船なんだ、と嘆きながらも、ジョミーが連れてゆかれた教室。ミュウについての教育を受けに、ヒルマンの所へ行ったのだけれど…。
「ようこそ、ジョミー。我々の粗末で小さな船では、出来ることはとても少ないのだが…」
まずは必須の「言葉」について話をしよう、とヒルマンが始めた「本日の授業」。
このシャングリラでは、言葉が非常に大切にされる。言葉は「やたらと飾ってなんぼ」で、「大袈裟に飾り立てる」のがミソ。
思念波だけで意思の疎通が可能になる分、失ってはならない「言葉」の文化。それをしっかり生かすためにと、船で決まったのが…。
(……この、とんでもない言い回し……)
最初は「もっとソフトだった」らしい。SD体制が始まるよりも、遥かに遠い昔の時代。地球の東洋にあった小さな島国、「日本」のやり方が導入された。「イエス」か「ノー」かをハッキリ言わずに、持って回った言い回しをする、「言葉が大事」な国だったから。
ところが、それから進んだ研究。船のデータベースを漁る間に、「もっと凄い国」が見付かった。アラビアンナイトで知られたペルシャが、「日本以上に半端ないらしい」と分かった真実。
滅多やたらと言葉を飾って、「それが出来ない」ような人間は、アウトだった世界。誰かの家に出掛けて「留守」なら、後でその相手に、こう詫びる。
「私には、あなたの家に巡礼できるほどの、人徳がありませんでした」と低姿勢で。
そう言われた方は、「そうですか…。それでは、あなたを恥から解放させられるように努めます。是非、いらして下さい」と次の訪問を待って、招いた時には…。
(此処はあなたの家ですから、で、呼ばれた方は、その家が最後の希望で…)
ジョミーが「船に来るなり」受けた洗礼、それが自然に「行われていた」のが、かつてのペルシャ。これ以上に「言葉遣いが面倒な国」は他に無いから、即、シャングリラもそれに倣って…。
「いいかね、ジョミー。…君がソルジャーに、直々に呼ばれた場合はだね…」
通信にせよ、思念波にせよ、こう答えなさい、とヒルマンが教えた言葉は強烈だった。
ソルジャー直々の「お呼び出し」には、「はい」ではいけない。「ジョミーです」でも駄目で、正解は「私は、あなたの生贄になります」。
「い、生贄って…!?」
「安心したまえ、これはペルシャの普通の挨拶だから。ソルジャーも、こう仰る筈だ」
いえ、そのようなことを、神様はお許しになりません、とね、とヒルマンは笑っているのだけれども、ジョミーは既にパニックだった。ますますもって「後が無さそう」な挨拶なのだから。
(……ソルジャー・ブルーから、呼び出しが来たら……)
シャングリラの流儀に従うのならば、「私は、あなたの生贄になります!」と颯爽と。
そして「呼び出されて」青の間とやらに到着したなら、「お会い出来て光栄です」の代わりに、「あなたの所に巡礼できて、幸運の絶頂です」と、ソルジャー・ブルーを褒め称えて…。
(散々お世話になって来たから、「あなたの下僕」で、「それ以下の小さな存在」で…)
あなたのためなら、どんなことでも犠牲になります、と「自分で宣言する」死亡フラグ。「生贄になります」と答えて出掛けて、「犠牲になります」と畳み掛けるだけに。
(でもって、靴底の埃に過ぎません、って…)
あんまりだから! とジョミーは真っ青なわけで、「シャングリラ流」を「覚えた時」には、もう完璧に「後が無い」。
船の「普通のミュウ」にとっては「定型文」でも、ソルジャー・ブルーの「後継者」にされそうな「自分」は、その限りではなくて…。
(もう文字通りに生贄で、犠牲…)
覚えたら負けだ、と固めた決意。ゆえに「覚えずに」スルーしまくったけれど、船からもトンズラ出来たのだけれど…。
(……ソルジャー・ブルー…。今は、あなたを信じます…)
靴底の埃だの、生贄だのから「逃げたかったら」、船の頂点に立つことですね、とジョミーは「上を目指す」ことにした。
アルテメシアの成層圏まで逃げた挙句に、船に戻ってしまっただけに。
今は「ソルジャー候補」だけれども、ソルジャーになったら「あなたの下僕」だの「生贄」だのは、言わなくて済むらしいから。「靴底の埃に過ぎません」だって。
(…ソルジャーが一番、偉いんだから…)
普通に「言葉を飾る」程度で、もう要らないのが「低姿勢」。「下僕」や「生贄」を卒業するには、「それを言われる方」になること。
たとえ訓練が茨道でも、「靴底の埃」になるよりはいい。プライドをかけて頑張るのみだ、とジョミーは高みを目指してゆく。
やたらと言葉が「飾られた」船で。高い文化を誇るミュウたち、彼らが貫く「ペルシャ流」の言い回しが「強烈すぎる」世界で…。
文化的な言葉・了
※原作だと「重んじられている」のが、「きちんと言葉で話す」こと。思念波じゃなくて。
それならハードルをグンと上げたらどうだろう、というお話。ペルシャの件はマジネタです。