(…何が起こった?)
此処は何処だ、とキースは辺りを見回した。
昨夜は確かに、旗艦ゼウスの指揮官室で眠った筈。ところが、まるで見覚えが無い場所。
(……それにだな……)
なんだって床で寝ているのだ、と起き上がる。
ベッドは消え失せ、代わりに「床に敷かれた」寝具。でもって、寝具が敷かれた床は…。
(これは畳と言うものでは…?)
今どき、畳なんぞが何処に、と言いたいけれども、本当に畳。ついでに部屋は「和室」だった。土壁な上に木で出来た天井、それから襖。窓には障子で、机と椅子だけが…。
(…辛うじて、普通…)
どうして私はこんな部屋に、と立ち上がろうとして、其処で気付いた。「服まで変だ」と。
着物の一種のようなパジャマで、どうやってそれを着たかも謎。妙なこともある、と考え込んでいたら、其処でガラリと開けられた襖。そう、外側から。
「キース、起きんか! この馬鹿者が!」
今朝はお前の番だろうが、と怒鳴った、着物姿の男は…。
(元老アドス…!)
見事なまでに禿げた男は、ゼウスに乗船して直ぐに「殺された」筈。なのに、何故だかピンピンしていて、キースを叱り付けて来た。「大晦日の朝に寝過ごすなどとは、ド阿呆めが!」と。
「…大晦日…?」
「まだ目が覚めんか、愚か者が! さっさと鐘を撞いて来んかい!」
情けないわ、と喚き散らされ、ようやく理解した「己の立場」。
(……そうか、私は……)
この「元老寺(げんろうじ)」の副住職で、住職は父のアドス和尚。
朝一番の鐘を撞くのは、アドス和尚と交代の仕事で、当番制。今日は大晦日で、自分の番で…。
「す、すまない、親父! 行ってくる…!」
もう大慌てで済ませた着替え。
いわゆる「墨染の衣」というヤツ、それに輪袈裟も首から下げて…。
(…思いっ切り、遅刻…!)
大晦日だというのに失礼しました、と鐘楼に走って釣鐘を撞いた。ゴーンと一発。
いつも「時計より正確だ」とまで言われるほどの、元老寺の鐘。
そいつが華麗に遅刻したのが大晦日の朝で、もちろん、キースは叱られた。庫裏に戻った途端にガッツリ、元老アドスならぬアドス和尚と…。
「キース、お母さんは悲しいわ…」
大晦日に大恥をかくなんて、と母のイライザが袂で涙を拭っている。情けなさそうに。
着物をキッチリ着ている「母」は、マザー・イライザにそっくりの姿。
つまりは、此処は「そういう世界」で、旗艦ゼウスは「存在しない」。かてて加えて、キースの姿というヤツも…。
(…ステーション時代に戻ったかのようだ…)
高校一年生だからな、と感慨に耽ってしまう。「叱られている」最中なのに。
私立シャングリラ学園、それが「今のキース」が通う高校。皮肉なことに、ミュウどもの母船、モビー・ディックの「ミュウの側での」呼び名と全く同じ名前で、「シャングリラ」。
「このド阿呆が! 御本尊様にもお詫びせんかい!」
朝のお勤めの時間じゃからな、と「父」のアドスに拳で頭をゴツンとやられた。
なるほど、そういう時間ではある。坊主の一日は「朝に礼拝、昼も礼拝、夜も礼拝」。ひたすら唱える念仏とお経、来る日も、来る日も。本堂に行っては、蝋燭や線香に火を点けて。
(御本尊様にお詫びということは…)
アレが来るのか、と副住職ならぬ「国家主席」は悟っていた。恐怖の罰礼(ばつらい)。
本堂の阿弥陀如来様の前で、「南無阿弥陀仏」と唱えながらの五体投地を、多分、百回。
(…素人さんなら、百回で膝が笑うのに…)
坊主の場合は、基本が百回で…、と泣きたい気分。
中身は「叩き上げの軍人」だけれど、此処では「ただの副住職」。罰礼は、とても「恐ろしい」罰で、出来れば「やりたくない」ものだから。
そうは言っても、回避できない「この設定」。
「父」のアドスと本堂でお勤め、正座をしての、長ったらしい読経が済んだと思ったら…。
「分かっておるな? 今日は大晦日じゃから、罰礼は百回などでは足りんぞ」
三百回じゃ! とアドスが言い放った。「副住職」の身には「キツすぎる」ことを。
「さ、三百回…!?」
「当然じゃろうが、さっさとやらんか!」
数えるからな、とアドスが取り出すカウント用のマッチ棒。
普段だったら、マッチは「蝋燭や線香に」使うものなのに。けしてハードな五体投地を、数えるためのものではないのに。
(し、しかし、やらねば…)
後が無いのだ、と分かっているから、「南無阿弥陀仏」と始めたキース。本堂の床に五体投地を三百回、という強烈な刑に服するために。
(…朝っぱらからエライ目に遭った…)
おまけに大晦日は忙しいんだ、と仕事に追われまくる内に、またまたアドスが現れた。
「そろそろ、銀青(ぎんしょう)様がお越しになるからな。山門の前までお迎えに出ろ」
「銀青様…?」
誰のことだ、と口にする前に、ピンと来た「答え」。
「この設定」では、父のアドスより遥かに偉くて、総本山の老師までもが「ハハーッ!」と頭を下げる存在。…それが「銀青様」で、その正体は…。
(……ソルジャー・ブルー……!)
此処では「死んでいなかった」のか、と呻きたい、超絶美形なミュウの元長。
伝説のタイプ・ブルー・オリジン、そいつが此処では「伝説の高僧、銀青様」。
大晦日は毎年、「父」のアドスに請われて、除夜の鐘を撞きにやって来る。アドスが手配した、立派な黒塗りのタクシーで。…高僧の証の「緋色の衣」なんぞも持参で。
(何故、私が…!)
あんな野郎の「お出迎え」に、と寒風吹きすさぶクソ寒い中で、山門の前で震えていると…。
じきに走って来た黒塗りのタクシー、運転手が降りて丁重にドアを開け…。
「やあ、キース。…今年もお世話になるよ」
今年の着替えは何処の部屋かな、と車を降りたソルジャー・ブルー、いや、銀青様。
その実態は「キースが通っている高校」の生徒会長、年の方は半端ないけれど。ミュウの元長と全く同じで、軽く三百歳越えだけど。
「…部屋なら、おふくろが暖めている。早い時間から、暖房を入れてな!」
「それは有難い。今日も冷えるねえ…」
夜には雪になりそうだよね、と銀青様は「ただのブルー」なモード。
とはいえ、根っこは「偉そう」な感じ。
なにしろ「頼むよ」と持たされた荷物、それの中身は「緋色の衣」。最高の位の坊主だけしか、緋色の衣は着られない。そいつに似合いの立派な袈裟まで、専用鞄に詰まっているから…。
(俺はこいつに、絶対に…)
頭が上がらないままで正月、と既に分かっている運命。
「この設定」では、そうだから。…坊主の世界は、「偉い坊主に絶対服従」、そういう世界。
鉄の掟が存在する以上、今のキースは「ブルーの下僕」。どう転がっても。
やたらめったら「偉そうな」オーラを漂わせるのが、「緋色の衣」に着替えたブルー。
キンキラキンの袈裟も纏って、除夜の鐘を撞く準備の方はバッチリ。
「銀青様、今年もよろしくお願いします」
最初の鐘と、最後の分を…、と頭を下げるしかないキース。身分は「副住職」だから。
「今はブルーでいいけどさ…。それより、今日は仕事が色々あるだろう?」
そっちに行ってくれればいいよ、と「銀青様」は鷹揚だった。「ぼくは勝手に寛いでるから」と緑茶を啜って、茶菓子などにも手を伸ばして。
「有難い。では、行ってくる…!」
ミュウの元長ならぬ「銀青様」を庫裏の座敷に残して、仕事に追われまくりのキース。大晦日の寺はもう本当に忙しい上、元老寺の除夜の鐘と言ったら「大人気」。
「午前二時まで撞き放題」の魅力は大きく、おぜんざいの「お接待」もまた、人気の秘密。
(…今年も、この日がやって来たか…)
年末年始は忙しいんだ、と「国家主席」とは全く違った中身の仕事をこなしまくって、大急ぎで境内を歩いていたら…。
「キース先輩!」
今年も来ました! と現れたシロエ。…E-1077の時代そのままに。けれど、私服で。
(……シロエ……!)
此処では生きているのだな、と涙が溢れそうになった所へ、「よう!」とサムまで。これまた、E-1077で「出会った頃」と変わらない姿。
(…サム…!)
お前もいるのか、と思う間もなく、「キース、今年もお世話になります」とマツカが来た。今の設定では、「大財閥の御曹司」のマツカ。もちろん、「死んでなんかはいない」。
(……みんな、いるのか……)
E-1077を去ったスウェナもやって来た。自由アルテメシア放送などとは無縁の、ごくごく普通の「女子高生」が。
(…それに、ジョミーか…)
こいつも此処では同級生か、とキースが眺めるジョミー・マーキス・シン。
闇鍋みたいな詰め合わせだけれど、それでも何故か嬉しくはある。シロエも、サムも、マツカも「死んではいない」世界。…みんな揃って、シャングリラ学園の一年生で。
シロエやサムたちは、ワイワイ騒ぎながら列に並んだ。除夜の鐘を撞く行列に。
じきに夜が更け、チラチラと雪が舞い始める中、キースは「銀青様」なブルーのお供で…。
(この鐘で年を送るのか…)
なんとも不思議な習慣だ、と「国家主席」には分からないブツが「除夜の鐘」。
けれど「副住職」の方では、それが毎年の習慣らしい。ブルーにお供し、特設テントから鐘楼に向かって、鐘を前にして…。
「銀青様、もうそろそろかと…」
「うん。…じゃあ、始めようか」
撞木の綱を握ったブルーが、力一杯、撞いた鐘。…朝にキースが「遅刻した」鐘。
そいつが境内にゴーン…と厳かに響き渡って、最初の鐘が撞かれた後には、一般人の出番。列の先頭から順番に「ゴーン…」で、撞き終わったら…。
「皆さん、召し上がってから、お帰りになって下さいね!」
「母」のイライザが、宿坊の人たちに手伝わせながら、配るホカホカの「おぜんざい」。
もう新しい年が明けていて、シロエやサムたちも鐘を撞き終え、熱い「おぜんざい」に舌鼓。
(……いいものだな……)
坊主稼業はハードなのだが、と朝に食らった罰礼三百回の刑とか、朝昼晩の「お勤め」だとかを回想したって、「こっちの方がいい」気がする。
国家主席をやっているより、「高校生と副住職の二足の草鞋」の人生が。
元老アドスが「実の父」だろうが、「実の母」がマザー・イライザそっくりだろうが。
そうこうする内に、除夜の鐘が終わる午前二時。
またまた「銀青様」のお供で、最後の鐘をブルーがゴーンと撞いたら、次なる仕事。
(正月と言えば…)
修正会(しゅしょうえ)だしな、と向かう本堂。新年を迎えて、最初の法要。
「キース先輩、今年も椅子席は駄目なんですか?」
「やかましい! 若いお前たちは、正座だ、正座!」
椅子席なんぞは贅沢なのだ、と叱り飛ばすのも「お約束」らしい、この世界。
「父」のアドスと読経三昧、そんな修正会を終えたら、シロエやブルーたちは宿坊に引き揚げて行った。元老寺の自慢の宿泊施設を、大晦日だけは貸し切りで。
(俺はこっちか…)
副住職だから、当然だが…、とキースは「布団」を敷いて休んだ。「自分の部屋」で。
きっと目覚めたら「旗艦ゼウス」で、「この設定」は消えているだろう。
(…どうせだったら、正月を此処で…)
迎えたかった、という夢が叶ったか、暗い内に叩き起こされた。「父」のアドスに。
「早く起きんか! 正月と言えば初日の出じゃ!」
皆で山門で拝まねば、と叱り飛ばされ、「昨日と同じパターンだな…」などと思ってしまう。
墨染の衣に袖を通しながら、輪袈裟なんかも着けながら。
(だが、今朝の鐘は…)
親父の方の当番だしな、と向かった元老寺の山門。
其処に、サムもシロエも、マツカも、ブルーやジョミーも勢揃いして…。
「よいですかな、皆さん。二礼、二拍手、一礼ですぞ」
アドスが仕切って、昇る朝日を皆で拝んだ。柏手を打って、「今年もよろしく」と。
それが済んだら、庫裏で「お屠蘇」で、「お雑煮」に「おせち」。
「「「あけましておめでとうございます!!!」」」
皆で挨拶、それは賑やかな宴会となった。
「この設定」では未成年だから、キースたちは「酒が飲めない」けれど。
三百歳越えのブルーただ一人が、「父」のアドスの酌で「飲みまくって」いるけれど。
「キース先輩、明日は初詣に行きましょう!」
今年もアルテメシア大神宮ですよ、とシロエがブチ上げ、練られる計画。初詣のついでに、何を食べに何処へ出掛けてゆくか。予算の方は…、などとワイワイと。
今日の所は、「本堂で檀家さんの初詣」を待つのが「副住職の仕事」。
ゆえに「みんなで初詣」は明日、じきに本堂へ出掛けてゆかねばならなくて…。
(サムとジョミーも僧籍だから…)
着替えをさせて、俺と親父の手伝いを…、と立ち上がったキース。
「あいつらに着せる法衣の用意も、俺の管轄」と、「用意が済んだら、嫌がるジョミーを本堂に引き摺って行かないと」などと、考えながら。
サムは「いずれ坊主になる気満々」、それとは真逆なのがジョミー。
初詣を進んで手伝うどころか、お盆の時の棚経さえも…。
(お経を全く覚えないから、俺の後ろで口パクなんだ…!)
今年こそ、あの腐った性根を叩き直す、と襖を開けて廊下に出たのだけれど。
(………!!?)
戻ったのか、とキースは「旗艦ゼウス」で目覚めた。
昨夜、眠った指揮官室で。
畳に敷かれた布団ではなくて、ベッドの上で。…何もかも、綺麗サッパリ消えて。
(…さっきまでのは…)
夢だったのか、と思うけれども、あまりにも「リアルだった」設定。
それにシロエも、サムたちもいた。…マツカも生きて笑っていた。
(明日の初詣の、スポンサーの方をよろしく、と…)
シロエたちがマツカに頼んでいたな、と思い出す。
自家用ジェットまで持っているのが「マツカの父」で、外国にまで別荘が幾つもあって…。
(…なのに、とことん謙虚な所が、本当にマツカらしかった…)
「銀青様」なソルジャー・ブルーが、「偉そうな」オーラを背負っていたのも、似合うと思う。
ミュウの長のジョミーが、「坊主は嫌だ」と逃げたがるのも…。
(…あいつらしい、という気がするぞ…)
そして私は「副住職」か…、とキースが浮かべた苦笑。
苦労人な所が、今の自分と被るから。
…朝から罰礼三百回とか、「父」のアドスに叱られまくりで、「銀青様」にも絶対服従、そんな「辛すぎる」生き方が。
けれども、楽しくはあった。…夢でも、「みんなが笑顔」だった世界。
あんな世界があるのなら…、とキースは暫し、夢を見る。
「ああやって皆で笑い合えるのなら、副住職でもいいのだが」と。
朝っぱらから鐘を撞いては、読経三昧な人生でもいい。年中無休な、坊主の世界の住人でいい。
私立シャングリラ学園の「一年生」として、生きてゆけるなら。
そういう世界がもしもあるなら、「副住職くらい、いくらでも務めてやるのだが」などと…。
国家主席の迎春・了
※キースが副住職な世界は、「本当に」存在しています。管理人が8年以上も書いてるイロモノ。
「書き手になる」気は無かったもんで、オリキャラとかを入れちゃいましてね…。
おまけに「管理人の日記風」の文章、ゆえに「イロモノ」という扱い。オールキャラですが。
そんなブツでも「読んでみたい」方は、「管理人の巣」までお越し下さい。
其処からリンクが貼ってあります、ずばり「シャン学アーカイブ」。表には出せん…。
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