「スウェナが決めたことだ。仕方ない」
その言葉の何処が悪かったのか。
「あなたには分かってなんか貰えないわよね」
スウェナは言うなり去ってしまって、サムも肩まで震わせて怒った。
「他に言い方あるだろう」と。
「仕方がないって…。仕方がないって、何なんだよ!」と。
(スウェナの気持ち…?)
お前には分かんねえのかよ、と言い捨てて走り去ったサム。
まるで分からない、自分の何処が悪かったのか。
何処がいけなかったというのか、自分の、キース・アニアンの…?
どうして、と一人ポツンと残されたテーブル。
いつも三人でやってきた、というサムの言葉は分かるけれども。
こうして一人で残されてみたら、三人と一人が違うことくらいは分かるけれども。
(…何を分かれと…?)
本当にまるで分からない、と一人考え込むしかなかった。
スウェナの気持ちとは、何のことだろう?
他の言い方とは何のことだろう、自分は何を間違えたのか。
いったい何が悪かったのか…。
「ふられましたね、キース先輩。…聞こえてましたよ」
そこ、空いてますか、と現れたシロエ。
どういう風の吹き回しなのか、手にしたトレイに二つのカップ。
「キース先輩はコーヒーですよね?」と目の前に一つ、コトリと置かれた。
さっきまでスウェナが座っていた場所、其処には別のカップが一つ。
そしてストンと腰掛けたシロエ、「これ、ぼくのお気に入りなんです」と。
(…シナモンミルク…?)
そういう好みだったのか、とシロエのカップを眺めていたら。
「あなたには分からないんでしょうね、この意味だって」
謎かけのようにシロエが口にした言葉。
またも耳にした「分からない」という響きの声。
自分は何を分かっていないと、サムは、スウェナは言ったのだろうか。
シロエも同じに言うのだろうか、「分からないんでしょうね」と。
今日の自分はどうかしている、思考が上手くいかないらしい。
昨夜、眠りが浅かったろうか?
そのくらいのことしか思い付かない、頭が働かない理由としては。
「ふうん…? あなたらしくもないですね」
だんまりなんて、と唇を笑みの形に歪めたシロエ。
「やっぱり、あなたは分かっていない」と。
「…何が分かっていないと言うんだ?」
何故だか、自然と口にしていた。
下級生のシロエに分かるわけがない、とは何故か少しも思わなかった。
「そうですね…。例えば、ぼくのカップの中身」
「シナモンミルクがどうかしたのか?」
「ほらね、分かっていないんですよ。…お気に入りだと言いましたよね、ぼくは?」
お気に入りの意味も分かっていない、とシロエは笑った。
さも可笑しそうに。
(お気に入りだと…?)
そのくらいは分かる、「お気に入り」の意味は。
気に入っていると、好物なのだと分からないほどに、馬鹿でも無知でもないのだから。
「いや、分かるが…。好きなのだろう、それが?」
その飲み物が、と至極真面目に答えたのだけれど。
シロエはますます笑うだけだった、面白い見世物を見たかのように。
「機械の申し子でも分からないことがあるんですね」と、前に聞いた言葉を繰り返して。
「いえ、機械の申し子だからこそ、分からないのかな…。これも前にも言いましたっけ」
他に適切な言い回しが無いものですから、と皮肉に満ちたシロエの声音。
「これでも頭はいいんですけど、言葉の数にも限りがあって」と。
「…キース先輩、あなたは分かっていないんですよ。簡単なことが」
お気に入りだとか、好きだとか。
そういう言葉に詰まった感情、あなたはそれを読み取れない。
読み解く力を持っていないと言えばいいかな、ぼくには出来るんですけどね…?
分かりませんか、とシナモンミルクを口に運ぶシロエ。
「これね、ただのシナモンミルクじゃないんです。…マヌカが多めなんですよ」
「…マヌカ・ハニーが好きなのか」
なるほど、と理解したのだけれども、シロエはクッと喉を鳴らした。
「流石ですね、知識はありますか…。でも、そこまでしか分からないでしょう?」
あなたに出来るのは其処までですよ、とシロエが傾けているカップ。
(…何が分からないと…?)
自分は正しく理解し、答えたと思う。
シロエが蜂蜜を好むらしいことを、それもマヌカの蜂蜜らしい、と。
なのにシロエは、「あなたには分からない」と挑戦的な瞳を向けてくる。
シナモンミルクが入ったカップを傾けながら。
本当に何が分かっていないのだろうか、考えるほどに解けないパズル。
踏み込んでしまった思考の迷宮、「分からない」という言葉が分からない。
いったい自分はどうしたのだろう、何にでも答えはあるものなのに。
どんな時でも正しく思考し、正しい答えを弾き出すのに。
それじゃ、とシロエが立ち上がる時に、ニッと笑って投げ掛けた言葉。
「キース先輩、あなたには欠けているんですよ」
誰にでもある筈の感情が…、ね。
やっぱり機械の申し子だからかな、あなたの心は機械仕掛けになってるのかな…?
(…欠けているだと…?)
何が、と見詰めた自分の両手。
完璧な筈の自分に何が欠けているのか、感情だってあるというのに。
こうして途惑い、シロエが残した言葉に波立つ心は、確かに自分のものなのに。
いったい何が欠けているのか、そう言われても分からない。
(…まただ…)
また「分からない」という言葉に出会った、あの迷宮に閉じ込められた。
謎かけのような言葉のパズルに、自分には解けないパズルの檻に。
(…欠けているから分からない…?)
シロエの言葉がぐるぐると回る、自分の部屋に帰った後も。
ベッドに横になった後にも、絡んだままで縺れたパズル。
「分からない」という言葉の迷宮、どうすればこれが解けるのか。
(…いったい何が…)
欠けているのか、そのせいで分からないのだろうか。
明日になったら解けるのだろうか、一晩眠って、思考がクリアになったなら…。
「…前日の記憶消去、四十パーセントまで完了」
この作業だけは何度やっても嫌なもんだな、と愚痴を零し合う職員たち。
モニターに映し出された人影の中に、眠るキースと、シロエの姿と。
指示を下したマザー・イライザ、機械の思考はいつも正しい。
(…今日のは少し早すぎました。忘れなさい、キース…)
次の機会があるでしょうから、とマザー・イライザは優しく微笑む。
「あなたの心は、私が正しく導きましょう」と。
シロエと話したことは全て忘れておしまいなさいと、シロエの記憶も消しましたから、と…。
早すぎた語らい・了
※やっちまった感が半端ないな、と思ってしまう記憶処理ネタ。本当にあったかもですが。
「マヌカの呪文」を読んで下さった方には、シロエの嫌味が美味しいかも…?