(…何処…)
此処は、とシロエは思うけれども。
次の瞬間、思考は砕けて、砂粒のように崩れ落ちてゆく。
心を、頭を、機械が探り続けているから。
端からバラバラに切り刻んでは、中身を調べてゆくのだから。
(…ぼくは…)
誰なのか、もうそれすらも掴めないほど。
囚われ人になった身だから、手足も拘束されているから。
ミュウの思考を分析するための機械、それがE-1077に持ち込まれて。
本当の所は、かなり早くからあったのだけれど。
シロエがステーションに着いた時から、密かに手配されていた機械。
その目的は伏せられたままで。
「万一に備えて」という、マザー・イライザからの指示だけで。
ミュウの因子を持った少年、それを迎えたとは誰も知らないままで。
(…パパ、ママ…)
頭の中に浮かんだ言葉。
何を意味するのか、シロエには分からないけれど。
けれど、好きだったと思う「パパ」と「ママ」。
とても大切なものだった、と考えた途端に砕かれる思考。
手の中から虚しく落ちてゆく言葉。
(ママ…)
パパ、と繰り返す内に、思考は徐々に繋がり始める。
機械がいくら砕き続けても、人の心はそれに勝つから。
人の想いを打ち砕く力、其処までは機械も持っていないから。
(…ママ、パパ……)
そうだった、と苦痛の中でも生まれる想い。
紡ぎ出す望み。
「帰りたい」と。
もう終わりだろう自分の人生、きっとこのまま断たれる命。
ならば最後に帰ってみたい。
帰れるものなら、あの故郷へと。
今はもう、住所も分からない家。
けれど其処へと向かうことは出来る。
(…船に乗ったら…)
そう、船があれば。
どんなに小さな宇宙船でも、それに乗ることが出来たなら。
(……エネルゲイア……)
それにアルテメシア、と途切れ途切れに紡いでゆく思考。
何度、機械に断ち切られても。
ブツリと斧が振り下ろされても。
(…クリサリス星系…)
そういう名前だった筈。
アルテメシアが在った星系、エネルゲイアがある場所は。
座標はきっと…。
(……オートパイロット……)
どの宇宙船にも備わった機能、それを使えば自動的に設定されるだろう。
アルテメシアへ、エネルゲイアへ飛ぶのなら。
漆黒の宇宙を飛んでゆくなら。
そうしたいのだ、と生まれる気持ち。
この苦痛から抜け出せるのなら、故郷へと。
(…殺されたって……)
かまうもんか、と紡ぎ出される明確な思考。
どうせ自分には無い未来。
此処で黙って殺されるよりは、少しでも夢のある方へ。
同じ死ぬなら、少しでも…。
(…パパ、ママ…)
パパとママに近い所まで、と湧き上がる望み。
なんとしても其処へ行きたいと。
此処で終わってたまるものかと、きっと宇宙へ逃れてみせると。
小さな船でもかまわないから、逃げた途端に撃ち落とされても本望だから。
(…此処よりは……)
ずっとマシだ、と思う死に場所。
少しでも故郷に近付けたなら。
両親が今もいるだろう家、其処に向かって飛べたなら。
行ってみせる、と組み立てる思考。
機械がそれを砕いても。
組み上げる端から壊していっても、何度も紡げば形になる。
人の想いは強いから。
機械のそれより、遥かに強く思考するのが人だから。
(…帰りたいよ……)
パパ、ママ、と生まれては直ぐに消される想い。
機械に頭を掻き回されて、心の中身をバラバラにされて。
それでもシロエは考え続ける、今の自分が望むことを。
本当の想いは何処にあるかを、自分は何をしたいのかを。
(……パパとママに……)
会えないままで命尽きようとも、此処から飛んでゆきたい宇宙(そら)。
遠く故郷まで続く宇宙へ、其処へ自由に船出すること。
それが望みで、欲しいのは自由。
とても小さな船でいいから、練習艇でもかまわないから。
此処から外へ出てゆけるなら。
少しでも故郷に近い所へ、自分の意志で飛んでゆけるなら。
故郷へ飛ぶこと、此処から宇宙(そら)へ飛び立つこと。
望むことは一つ、夢見ることもただ一つだけ。
(…帰るんだから……)
辿り着けずに終わったとしても、辿りたい家路。
この先に自分の家が在ったと、これから帰ってゆくのだと。
(……命なんか……)
どうせ無いから、捨ててしまってかまわない。
今でも焦がれ続ける故郷へ、父と母の許へ飛べるなら。
其処へと帰ってゆくための船に乗れるなら。
(……ピーターパン……)
そうだ、と思い出した本。
両親に貰った宝物。
あの本も一緒に持って行きたい、故郷に帰ってゆく時は。
此処から宇宙へ飛び立つ時は。
あれのお蔭で、シロエは「シロエ」でいられたから。
今もこうして、思考を紡ぎ続けているから。
何度、機械に砕かれても。
心ごと無残に踏み躙られても。
(負けるもんか…)
このまま死んでたまるもんか、と組み立てる思考。
手足が自由になりさえしたなら、この牢獄から抜け出せたなら…。
(…あの本を持って…)
飛び立ってみせる、マザー・イライザが支配しているステーションから。
E-1077から宇宙へ逃げ出してみせる、行き先には死が待っているとしても。
此処で死ぬより、ずっとマシな死。
懐かしい故郷に近い所で、両親に少しでも近い所で死ねたなら。
宝物のように持って来た本、あの本を抱いてゆけるなら。
(…ぼくは負けない……)
今日までそうして生きて来たから、と悔いることなど無い人生。
セキ・レイ・シロエは立派に生きた。
どう生きたのかは思い出せないままだけれども、機械に支配されないで。
機械の言いなりに生きる人生、その道を選び取らないで。
(…そうして生きた結果がこれでも……)
ぼくは後悔なんかしない、と刻まれる思考の中でもシロエは笑い続ける。
この想いを機械は消せないだろう、と。
ぼくの心を支配するなど、機械に出来るわけがないのだから、と。
行く先が死でも、選びたい自由。
このステーションから自由になること、宇宙へと船出してゆくこと。
小さな練習艇でいいから、行き先を故郷に設定して。
飛び立った途端に撃ち落とされても、少しでも故郷に近い場所へと飛んでゆきたい。
両親が今もいる筈の星へ、クリサリス星系のアルテメシアへ。
その星の上のエネルゲイアへ。
(…パパ、ママ……)
ぼくは必ず帰るからね、と組み上げる思考は砕かれるけれど。
端から機械が壊すけれども、それでもけして諦めはしない。
諦めたら、其処で終わりだから。
このステーションから出られもしないで、殺されてゆくだけだから。
(…ぼくは必ず……)
帰ってみせる、と繰り返し考えて夢見ること。
ピーターパンの本を抱えて、宇宙へ船出してゆく自分。
これで自由だと、何処までも飛んでゆける船。
たとえ一瞬で撃ち落とされても、それは自由への旅立ちで船出。
行く先は死でも、故郷には辿り着けなくても。
そうやって何度も組み立てた思考。
機械に微塵に壊される度に、組み立て直した故郷への夢。
自由になろうと、宇宙(そら)を飛ぼうと。
必ず自由になってみせると、故郷へと船出するのだと。
何度も組み立て、壊されたから。
壊されても夢は、想いは、機械にも壊せなかったから。
(……ピーターパン……)
幼い日に会ったと思った少年、ピーターパン。
そう呼んだジョミーの思念波通信と共鳴した時、少しばかり違った思考が出来た。
故郷へ帰る夢の代わりに、ネバーランドへ、地球へ行こうと。
両親も一緒に地球へ行きたいと、そうすることが出来ればいい、と。
だからシロエは飛び立って行った、彼の心が望んだままに。
それで故郷へ飛ぼうと願った、小さな練習艇で宇宙へ。
彼が夢見た自由への船出、飛んでゆく先に待つものが死でも。
これがセキ・レイ・シロエの意志だと、何処までも自由に飛び続けようと…。
自由への船出・了
※アニテラのシロエ、最期が「シロエらしくなかった」感があるのが管理人。原作のせいで。
強い意志は何処へ行ったんだろう、と考えていたらこうなったオチ。これならシロエっぽい。