(危険だ、あいつは…!)
ナスカに降ろしてたまるものか、とジョミーが引き摺り落とした船。
それに乗っていた男ごと。「知っている感じ」がする人間ごと。
真横を掠めて落ちたからして、「くたばったのか?」と確認に出掛けた操縦席。覗いたら空で、後ろで聞こえた呻き声。
しぶとく生存していた人類、身元を確かめなければならない。その目的も。
『お前は、何者だ…!』
答えろ、お前は何者だ…!
そう送った思念、男の意識が戻って来たから畳み掛けた。
「何処から来た」と「目的は何だ」と、「誰に命じられた」と。その答えは…。
(メンバーズ・エリート…)
『人類統合軍の犬というわけか。マザーの勅命でミュウを倒しに…!』
この野郎、と睨み付けた犬。「テメエ、ただではおかないからな」とばかりに闘志満々で。
ガチで勝負で、負けるつもりはまるで無かったジョミーだけれど…。
「えっと…? 此処は何処ですか?」
ぼくはいったい、と起き上がったのが野犬、いやいや人類統合軍の犬。
しきりに頭を振っている上、なんともボケている雰囲気。マザーの勅命は何処へ行ったか、その欠片すらも全く無い感じ。
(えっと…?)
なんだか変だ、とジョミーの方でも訊きたい気分。「どちら様ですか?」と。
綺麗サッパリ消えている敵意、さっきまでガンガンしていたのに。船がナスカに落ちる時まで、危険も敵意も満載だった筈なのに。
(いったい何があったんだ…?)
こいつ、とポカンと犬を眺めたジョミーだったけれど…。
犬の方でも、まるで分かっていなかった。自分が置かれた状況が。
墜落した時に頭をぶつけて、飛んでしまった記憶というヤツ。それはもう綺麗にサッパリと。
教育ステーションを卒業してからの十二年分ほどが、ものの見事に。
そんなわけだから…。
「ぼくは事故に…?」
遭ったんですか、と訊かれて唖然としたジョミー。事故も何も、と。
(…ぼくが墜落させたのに…!)
何も覚えていないのか、と観察した犬、本当に記憶が無いらしい。自分は消していないのに。
(……記憶喪失……)
きっと打ち所が悪かったんだな、と把握した人類統合軍の犬の現状。
そういうことなら、色々と役に立つかもしれない。なにしろ犬は記憶を失くして、リセット状態らしいから。…メンバーズになる寸前くらいで。
だったら、まずは信頼関係。其処が大切、これが今後を左右する筈。
もうとびきりの営業スマイル、そして右手を差し出した。
「落ちるのを見たから、救助に来たんだ。…君は?」
ぼくはジョミー・マーキス・シンだ、と名乗ったら。
「ありがとうございます。…キース・アニアンです」
E-1077に所属しています、と犬は友好的だった。記憶が飛んだ後だから。
マザーの勅命もミュウを倒すことも、何も覚えていなかったから。
其処へ折よくやって来たリオ、どうやらハーレイが寄越したらしい。「様子を見て来い」と。
丁度いいから、シャングリラに連れて行くことにしたキース、犬から昇格した男。
格納庫には長老たちが、「危険じゃ」と諫めに来たけれど…。
「はじめまして。…此処が皆さんの船ですか?」
こういう船は初めて見ます、と礼儀正しいのがキース。学生時代の終盤辺りにリセットだから、少しも大きくない態度。
「なんじゃ、こいつは?」
どうなっとるんじゃ、とゼルが指差すから、思念で説明したジョミー。「記憶喪失だ」と。
『今のキースは、メンバーズだが、メンバーズだったキースじゃない』
こちら次第でどうとでもなる、とニッと笑った。「何も覚えていないから」と。
『では、ソルジャー…。彼をどうすると?』
ハーレイが訊くから、「友達から始めてみようかと…」と思念で返答、キースを皆に紹介した。
「ナスカに墜落した客人だ。E-1077所属のキース・アニアン」
「キースです。…よろしくお願いします」
お世話になります、とキースがやったものだから、一気に和んだ場の雰囲気。本当にただの学生らしいと、少なくとも中身は学生だな、と。
「ようこそ、シャングリラへ。…私が船長のハーレイだ」
「わしは機関長のゼルじゃ」
「あたしは航海長のブラウさ。まあ、家だと思って寛いでくれれば…」
歓迎するよ、と迎えられてしまった、元は犬だったキース・アニアン。なりゆきだけで。
記憶がサッパリ消えているなら、役に立つ知識が満載なだけの学生だから。
そんなこんなで拾われたキース、学生時代はサムとも仲良くやっていた男。…不器用なりに。
彼から見ればジョミーは命の恩人なのだし、年だって近いわけだから…。
「…この船だけで生きているのか、君たちは?」
大変そうだな、とキースが同情したミュウの境遇。なんとも不自由そうなのだが、と。
「いや、慣れてしまえばそれほどでも…。済めば都とも言うからね」
それにナスカも多少は使える、と応じたジョミー。「ただ、問題が幾つか…」とも。
「問題…。それはテラフォーミングの関係か?」
上手くいかないのか、とキースが尋ねるから、「そっちはまだしも…」と濁した言葉。
「野菜だったら色々育つし、長い目で見ればいけると思う。だが…」
「何かあるのか?」
「出て行け、と言わんばかりの連中がいてね…」
我々の存在が邪魔らしいんだ、と切り出した核心、キースは「何故だ?」と驚いた。
「この船の他には、あの星だけしか無いんだろう? なのに出て行けと?」
「ああ。…よほど邪魔なんだろうな、ミュウというのが」
人類は、とフウとついた溜息、「そんなことは…」と顔を曇らせたキース。
「ぼくも、その…人類だというのに、君は救助をしてくれたわけで…」
きっと誤解があるのだろう、とキースの瞳にキリッと浮かんだ使命感。
人類の世界に戻った時には、自分が誤解を解いてみせると。命の恩人には礼をせねば、と。
「…それをやったら、君も大変だと思うんだが…」
いいんだろうか、と言いつつ、内心ホクホクのジョミー、「上手くいった」と。キースの方は、もう大真面目で、「任せてくれ」と拳を握った。
「まだ学生だが、いずれはメンバーズになるわけで…。その時は、必ず」
恩を返す、とガッチリ握手。「男と男の約束だ」と。
こうしてジョミーが友好を深めている間にも、色々と入る有益な情報。
キースは学生気分だけれども、本当はメンバーズ・エリートだから。おまけに心理防壁の訓練を受ける前の状態までリセットだから…。
(……読み放題……)
サムとマブダチだったことまで読み取れた。これはなんとも美味しい話。
(…サムは、ぼくと友達だったばかりに…)
悲しい結末になったけれども、サムの犠牲は無駄にはすまい。代わりにキースと友達になって、ミュウの未来をガッツリ掴もう、と決意したジョミー。
さりげない風で振った話題がサムの話で、キースは一気に食い付いた。
「そうだったのか、何処かで聞いた名前だとは思っていたんだが…」
君がサムの、と喜んだキース。「サムとは同級生なんだ」と。
「なんだ、君もサムと知り合いだったのか…!」
奇遇だよね、と叩き合った肩、ますます深くなった友情。
キースはすっかり「ミュウと友達」、たとえ記憶が戻ったとしても…。
(…これだけしっかり叩き込んでおけば…)
もう安心だ、とジョミーが弾いたソロバン、其処へ最強のミュウがやって来た。
何のはずみか、十五年もの長い眠りから覚めた先代の長で、ひょっこりと顔を覗かせて…。
「話の途中に申し訳ない。…お邪魔するよ」
ぼくも一緒にいいだろうか、と話に入って来たジジイ、いやソルジャー・ブルー。
見た目は若いし、キースは全く気にしなかった。「友達が一人増えた」という程度の認識。
ソルジャー・ブルーは何もかも、とうにお見通しの上に、巧みな話術。
キースはミュウの迫害の歴史と苦労話に滂沱の涙で、「きっと助ける」と約束した。
「今は一介の学生の身だが、君たちのためにも努力しよう」
まずはメンバーズで、必要とあらばパルテノン入りして、国家主席も目指すから、という誓い。
そしてソルジャー・ブルーはといえば…。
(…この男だったら、出来るだろうな…)
ジョミー以上に長生きしていて知識がある分、気付いたキースの生まれというヤツ。
機械が無から創った生命、フィシスと同じ身の上だ、と。人類の指導者候補なのだ、と。
(…そうとなったら、念には念を…)
記憶を取り戻した後も、ミュウとの友情も約束のことも忘れるなよ、とサックリとかけた強力な暗示。たとえ機械が干渉したって消せないレベルとクオリティで。
ダテに長生きしてはいないと、ソルジャー・ブルーを舐めるんじゃない、と。
かくして駄目押し、人類統合軍の犬だったキースは、根っからミュウ派になってしまった。
記憶喪失が治ったとしても、忘れはしないミュウとの友情、それに約束。
其処へ「アニアン少佐、聞こえますか!」と、彼の部下らしきミュウが来たものだから…。
「…キース、迎えが来たようだ」
其処まで送ろう、と申し出たジョミー。
「ありがとう。…今日まで世話になった」
約束のことは忘れないから、とキースはジョミーとしっかり握手で、ソルジャー・ブルーや長老たちとも握手で別れた。「感謝する」と。
そんなキースを、ジョミーがマツカの船まで送ったわけだから…。
「…アニアン少佐、どうしたんですか!?」
ぼくを覚えていないんですか、と頑張ったマツカ。なんとか記憶を取り戻させようと。
「あ、ああ…。マツカ、どうした?」
私は何を…、とキースの記憶は戻ったけれども、その後のことは推して知るべし。
男と男が交わした約束と熱い友情、それは有効だったから。
ソルジャー・ブルーが駄目押ししたせいで、グランド・マザーにも手出しは出来なかったから。
人類の指導者となるべき男が、ガッツリしっかり、ミュウ派な男。
これでメギドが出るわけがないし、ミュウとの全面戦争だってあるわけがなくて…。
さほどの時を置かない間に、ミュウは地球まで行ってしまった。
グランド・マザーもキッチリ止められ、人類とミュウはアッサリ和解。
だからナスカは滅びもしないで、シャングリラは幼稚園だった。
トォニィたちの急成長が無かったからして、なんとも賑やかな船の中。
ソルジャー・ブルーの青の間にまで、遠慮なく走り込む幼児。トォニィを筆頭に、ワイワイと。
ナキネズミの尻尾を掴んで振り回しながら、「グランパ、いる!?」と叫びながら…。
落とした記憶・了
※キースの打ち所が悪かったら…、と考えてしまったナスカ墜落。ヘルメット無しだから。
記憶喪失だと案外いいヤツだろうし、本当にこういうオチになりそう。打ち所って大切かも。