(…まただ…)
多分、とマツカがかざした右手。
さっき運ばれて来た、キースの昼食。「大佐のお食事をお持ちしました」と。
いつも通りに受け取ったけれど、感じた違和感。手にした途端に。
けれど顔には出さずに応えた、「ありがとう」と。
恐らく、彼は何も知らない。食事を運んで来ただけのことで。
(…あんな若い子に…)
秘密を漏らす筈がないから。それに知ったら、動けなくなってしまうだろうから。
「お食事が終わった頃に、また伺います」と敬礼して去って行った青年。
国家騎士団に配属されて間もない新人、そういった感じ。
他の者と食堂で食べたりはしない、キースのような上級士官。
彼らの部屋まで食事を届ける、それを仕事にしている青年。
緊張しながら配って回って、頃合いを見て下げにゆくのが任務の下っ端。
(…でも、彼が…)
この責任を負わされるんだ、とトレイの上から取った一皿。
見た目にはただのシチューだけれども、きっと一口、食べただけでも…。
誰が、と集中してゆくサイオン。
残留思念を追えはしないかと、いったい誰の仕業なのかと。
人類はサイオンを持たないけれども、ミュウと同じに思考する生き物。
だから思念の痕跡は残る。それをサイオンとは呼ばないだけで。
(……薬……)
これは薬だ、と言い聞かせている誰かの心。
薬なのだから、問題無いと。
アニアン大佐の健康のためを思ってしていることなのだから、と。
その裏側に隠れた冷笑。
これで大佐も、さぞお元気に…、と。
日頃の激務をすっかり忘れて、リラックスなさることだろうと。…永遠に。
(……誰?)
誰の思いだ、と読み取ろうと捉えかけたのに。
被さって来たのが別の心で、そちらは明らかに好意。
「お出しする前に、冷めないように」と気遣う心。
もう一度、温めておくのがいいと。
鍋に戻せはしないけれども、このままで少し温めようと。
消えてしまった不穏な思念。
キースを「永遠に」眠らせる薬、それを入れたのは誰なのか。
厨房の者か、あるいは「水をくれないか?」と入って行った誰かか。
階級がかなり上の者でも、その口実なら入れるから。
まるで気まぐれ、たった今、思い付いたかのように。
何処かへ移動してゆく途中で、突然に喉が渇いたから、と。
(…厨房だったら、水をくれって言って入っても…)
言葉そのままに、水を渡しはしないから。
「本当に水でよろしいのですか?」と確認の言葉、「コーヒーでもお淹れしましょうか?」と。
それを承知で入ってゆくのが、自分の都合で動く者たち。
「ああ、頼む」と鷹揚に構えて、コーヒーが入るまでの間は…。
(…誰に遠慮もしないから…)
興味があるなら、鍋だって開ける。「これは何だ?」と。
並んだトレイを眺めだってする、「今日の食事はこれなのか」と。
トレイには名札が添えてあるから、簡単に分かることだろう。
どれがキースの食事なのかも、毒を入れるのに適した品も。
(…そういうことも…)
きっとあるんだ、と見詰めるシチュー。
自分がミュウでなかったならば、ただの人類だったなら…。
(…何も知らずに、キースに渡して…)
キースの方も、「ご苦労」とさえも言わずに受け取る。
彼はそういう人だから。
心では「ご苦労」と思っていたって、けして言葉にしない人。
もちろん顔にも出しはしないし、部下を労うことなどはしない。
けれど、充分、伝わる思い。
キースの心は読めないけれども、「ご苦労」と彼が思ったことは。
(そうやって、ぼくから受け取った後は…)
仕事でもしながら、黙々と食べてゆくのだろう。
毒が入っているかどうかも、きっと考えさえせずに。…調べさえせずに。
(…何度も、何度も…)
暗殺計画が立案されては、キースを襲って来たというのに。
この瞬間にも誰かが何処かで、次の計画を練っているかもしれないのに。
(不死身のキース…)
いつの間にやら、キースについていた渾名。
戦場でついた渾名だけれども、今では更に高まったその名。
襲撃も爆破も、命を奪えはしなかったから。
彼を狙って発砲したって、一発も当たりはしなかったから。
(…それでも、懲りずに…)
こうして毒を入れる者たち。
それが一番手っ取り早くて、リスクも低いものだから。
毒入りシチューでキースが死んだら、真っ先に疑われる者は…。
(さっきの青年…)
最後にトレイに触れた者だし、彼が届けに来たのだから。「お食事をお持ちしました」と。
キースの部屋まで、「アニアン大佐に」と、毒入りシチューを載せたトレイを。
(…本当は、最後に触れたのは…)
受け取ってキースに手渡した者は、自分だけれど。
ジョナ・マツカという名の側近だけれど、側近を疑う者などはいない。
長い年月、キースに黙々と仕え続けて此処にいるから。
ジルベスター星系以来の部下だし、キースが自分で選んだ側近なのだから。
その側近が一番危険なのだと、いったい誰が気付くだろう?
最初にキースの命を狙った、多分、そういう人間が自分。
ミュウを人間と呼ぶかはともかく、人類と一緒に扱っていいかは別にしたなら。
(…あの頃のキースは、メンバーズだったというだけで…)
今ほどに敵は作っていないし、きっと暗殺計画も無い。
冷徹無比な破壊兵器の異名を取っていたって、キース個人を恨むような者は…。
(戦場で根こそぎ消されてしまって、キースの側へは…)
きっと来られなかった筈。命を失くせば、キースを殺せはしないから。
そんな頃にキースと出会った自分。
身を守ろうとして、キースの命を奪おうとして…。
(…失敗して、殺される筈だったのに…)
キースに命を救われたから、今日まで彼について来た。
こうしてミュウの力を使って、何度もキースを守りながら。
ミュウの母船から逃げ出したキース、彼をサイオン・シールドで包んで救ったのが最初。
(…ミュウたちから見れば、裏切り者で…)
それ以外の者ではないだろうけれど、それが罪でも、守りたいキース。
彼の命を救ったせいで、ミュウの血がまた流されても。
此処でキースが死んでいたなら、何人ものミュウが助かるとしても。
(…あの人は、死に場所を探してるんだ…)
どういうわけだか、そんな気がする。
誰よりも強い心を持つ筈のキース、彼は死に場所を求めていると。
その時がいつ訪れようとも、きっと悔やみはしないのだろう。
だから、キースは気にも留めない。
渡された食事のトレイに誰かが毒を盛ろうが、毒入りシチューを届けられようが。
何も心に留めはしないで、毒入りシチューを食べるだけ。
スプーンで掬って、口に運んで、それで命を失おうとも…。
(…キースは、きっと困りもしない…)
その時が今やって来たか、と血を吐いて倒れ伏すだけで。
助けを呼ぼうとしさえしないで、一人きりで死んでゆくのだろう。
「これで終わりだ」と、遠い日にメギドでミュウの長に告げていた言葉。
赤い瞳を打ち砕いた弾、それを撃った時のキースの言葉。
それをそのまま、自分自身に向けるのだろう。
「これで終わりだ」と、「全て終わった」と。
きっと言葉に出しはしないで、毒で薄れゆく意識の底で、彼の心の中だけで。
「ご苦労」と口にしないのと同じに、自分だけで一人、納得して。
(…そんな、あなただから…)
ぼくはあなたを殺せないんだ、と見詰めるシチュー。
これをキースに運んで行ったら、何人ものミュウを救えるだろうに。
キースを殺した犯人だって、トレイを運んで来た青年。
きっとそういうことになるから、自分の身には及ばない危険。
「今度のことでは大変だったな」と、セルジュたちだって言うのだろう。
これから先はどうするつもりかと、新しい部署を用意しようかと。
(…そうなった時は、何処か、適当に希望を出して…)
其処に配属されるまでの間に、何日か貰えるだろう休暇。
それを使ってノアを離れれば、ミュウの母船へ行くことが出来る。
国家騎士団の中に隠れていたから、山のような機密を手土産に持って。
キースの側近だったからこそ得られた情報、国家騎士団や人類軍に纏わるデータ。
土産を山と持って行ったら、きっと不問に付されるのだろう。
ジルベスターからキースを救って逃げ出したことも、ミュウの長を見殺しにしたことさえも。
(…そのまま、モビー・ディックに隠れて…)
彼らと地球を目指せるのだろう、請われるままにアドバイスをして。
人類軍と国家騎士団、その艦隊とどう戦うべきかを。
けれど、選べはしない道。…選びたいとも思わない道。
キースを守って此処にいようと、とうに心に決めているから。
「役に立つ化け物」と呼ばれていようが、自分はそれでかまわないから。
(…裏切り者でも、化け物でも…)
ぼくがあなたを死なせない、と手にした毒入りシチューの皿。
これはキースに渡せないから、後で自分が処理するだけ。
この執務室に付属のキッチン、いつものように其処へ流して。
何事も無かったように皿を洗って、トレイに戻しておくだけのこと。
(不死身のキース…)
また伝説が一つ増えるけれども、それもキースの実力の内。
ミュウの自分を飼っていることも、裏切られないで心を掴んでいることも。
食事が一品、欠けてしまった食事のトレイ。
それをキースの執務室へと運んでゆく。
扉を軽くノックして。
「遅くなりました」と、「よろけて、シチューを駄目にしました。すみません」と。
「かまわん」と背を向けたままでいるキース。
本当にきっと、彼はどうでもいいのだろう。
シチューが消えた理由など。
毒入りだろうが、間抜けな部下がヘマをして駄目にしてしまおうが。
(あなたが、そういう人だから…)
此処にいなければ駄目だと思う。
裏切り者でも、化け物でも。
「ご苦労」とさえ言って貰えなくても、これが自分の生き方だから…。
守りたい人・了
※「ぼくが毒を盛っているかもしれませんよ?」というのがマツカの台詞なわけで。
誰かが毒を盛ったからこそ、こういう台詞になるんだよな、と。きっと日常茶飯事な世界。
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