「赤のおじちゃん!」
キースの耳に届いた友の呼び声。
手を振り、こちらへと駆けてくるサム。
「おじちゃん」と、それは嬉しそうな笑顔で、はしゃいだ声で。
サムが「おじちゃん」と呼ぶようになってから、どのくらいの時が経っただろう。
国家騎士団の赤い制服、そのせいで「赤のおじちゃん」と。
本当は同い年なのに。
本当だったら、サムも同じに年を重ねていた筈なのに。
子供に戻ってしまったサム。
身体は大きく育っているのに、その心だけが。
成人検査で置いて来た筈の遠い記憶を取り戻して。
「赤のおじちゃん」になった自分に聞かせてくれる思い出話。
サムにとっては昨日の出来事、もしかしたら今日のことかもしれない。
遠い昔に別れた養父母、彼らと過ごした日々のこと。
それを楽しげに話してくれたり、時にはションボリ肩を落としたり。
もちろん、本当に今日あったことも、サムは話をするのだけれど。
友だったサムはもういない。
サムという名の大きな子供が此処にいるだけ。
(お前は「サムのおじちゃん」なのに…)
「サムのおじちゃん」は可笑しいだろうか、「サムおじちゃん」と呼ぶべきだろうか。
それともサムのお気に入りのパズル、それをもじって「パズルのおじちゃん」。
自分が「赤のおじちゃん」だったら、サムも「おじちゃん」の筈なのに。
今の自分を「おじちゃん」と呼ぶ子供だったら、サムも「おじちゃん」と呼ぶのだろうに。
けれども、そうは呼ばれないサム。
「おじちゃん」になれなかったサム。
サムは子供に戻ったから。
幼い子供が「おじちゃん」と呼んでも、「それ、誰?」と訊くのが似合いの年に。
身体は大人で「おじちゃん」なのに、心は子供。
それがかつての友人の姿、親友と呼ぶのが多分相応しかったろう。
サムの他には友と呼べる者は誰もいなかったから。
スウェナは途中でいなくなったし、シロエは自分が手に掛けた。
もっともシロエを友と呼んだら、彼は怒るのだろうけれども。
(…それでもお前は…)
サムと同じに自分に近しい場所にいた。
何の関心も持たなかったなら、あれほど近付いてはいまい。
憎しみであろうが、嫌悪であろうが、ライバル意識の塊だろうが。
スウェナは教育ステーションを去り、シロエは死んだ。
友はサムしか残らなかった。
(いつか会えると思っていたのに…)
メンバーズエリートには選ばれなかったサムだけれども、いつかは、と。
きっと何処かで会えるのだろうと、昔語りも出来るだろうと。
エリート同士では弾まない話、つまらないだけの上官たち。
そういう輩のいない所で、何処かの星の宙航ででも、と。
互いの船が出港するまでの、ほんの五分の語らいでも。
すれ違いざまに声を掛け合って、「また今度」と言えるだけでも良かった。
きっとそれだけで心が和んだことだろう。
肩の力が抜けていたろう、サムと話が出来たなら。
けれど、叶わなかった夢。
ついに再会出来ずに終わった、自分の友人だったサム。
サムの心を時々掠めてゆくらしいキース、それは自分とは違っていたから。
「赤のおじちゃん」と、サムの心に残ったキースは、けして重なりはしないから。
それでもサムに会いに来るのは、諦め切れないからだろう。
もしかしたらと、今日こそはサムに会えるかと。
かつての自分の友だったサムに、「キース!」と自分を呼んでくれるサムに。
「またね、おじちゃん!」
バイバイ、と大きく手を振っているサムに、自分も小さく手を振るけれど。
大人相手には決して振らぬ手、それをサムには振るのだけれど。
(…今日も私は「おじちゃん」のままか…)
今の自分はサムにとっては「赤のおじちゃん」。
いつか昇進して制服が白く変わった時には、「白のおじちゃん」になるのだろうか。
「キース」と親しげに呼ばれる代わりに、「白のおじちゃん」。
それでも自分は、サムを訪ねてゆくのだろう。
「赤のおじちゃん」でも、「白のおじちゃん」でも、サムは今でも友だから。
サムにはキースだと分からなくても、自分は同じにキースだから。
(…お前だけしかいなくなったな…)
私の友は、と軍人ならば振ることのない利き手をサムにだけは振る。
サムには友でいて欲しいから。
たった一人になった友人、一番古い自分の友。
親友だったろうサムにだけは今も、友達でいて欲しいから。
サムが自分を「キース」と呼んではくれなくても。
「赤のおじちゃん」でも、「白のおじちゃん」と呼び名が変わるのだろう日が訪れても…。
赤のおじちゃん・了
※「次はキースを書くんだろうな」と漠然と思っていたのは確か。気付けば「おじちゃん」。
おかしい、どうして「おじちゃん」キースを書いたんだ、自分…。