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大切な本

(この本は持って行かないと…)
 ぼくの大事な宝物だから、とシロエが手にした大切な本。
 幼い頃からずっと一緒の『ピーターパン』。
 文字が読めるようになった頃には、もう持っていた。
 両親に貰った、夢の国へと旅立つための翼を背中にくれる本。
 ネバーランドへ、それから父が「ネバーランドよりもいい所だよ」と語った地球へ。
 この本と何度旅をしたろう、ネバーランドへ。
 ピーターパンが待っている国へ。
 ネバーランドよりも素敵だという青い地球へも、この本と飛んだ。
 それを置いてはとても行けない、本物の地球へ行くのだから。
 明日になったら、目覚めの日が来たら、自分は地球へと向かうのだから。


 鞄に詰めた大切な本。宝物のピーターパンの本。
(成人検査の日には、荷物は駄目だと教わったけど…)
 持って行くなとは言われなかった。
 誰からもそうは聞いていないし、「荷物は駄目だ」と習っただけ。
 多分、検査の時には荷物が邪魔になるからだろう。
 それならば置いておけばいい。
 成人検査を受ける間は、床か何処かへ。
 検査がすっかり終わってしまったら、もう一度手に持てばいい。
 これは大切な本なのだから。
 今日まで一緒に旅をして来た、自分の相棒なのだから。


「シロエ、目覚めの日には荷物は駄目よ?」
 知ってるでしょう、と次の日の朝、母から注意されたのだけれど。
「駄目だよ、家に置いて行きなさい」
 規則だからね、と父も言ったのだけれど。
「でも、持って行くなとは誰も言っていないよ?」
 学校の先生だって言わなかった、と大切な鞄を抱え込んだ。
 鞄の中身はたった一つだけ、ピーターパンの本が入っているだけ。
 両親は困ったような顔をしたけれど、「大丈夫だよ」と押し切った。
 検査の間は邪魔にならないよう、ちゃんと気を付けて行ってくるから、と。
 中身は本が一冊だけだし、教育ステーションに着くまでの間に読むんだから、と。


 そうやって持ち出した、大切な本。
 父と母には「さようなら」と別れを告げたけれども、この本は何処までも自分と一緒。
 この本をくれた父と母もきっと、心は一緒に来てくれるだろう。
 ネバーランドよりも素敵な地球へと旅立つのだから。
 教育ステーションを卒業したなら、青い星が待っているのだから。
 いつまでも、何処までも、この本と一緒。
 両親も、それにピーターパンも。
 翼を広げて何処までも飛ぼう、ネバーランドへ、青い地球へと。


 大切な本だけを詰めた鞄を提げて、出掛けて。
(……何処……?)
 ぼんやりと戻って来た意識。
 周りに大勢、人がいる気配と微かに聞こえるエンジンの音。
 ふと見れば強化ガラスの窓に映っている顔、それは自分の顔だけれども。
(宇宙…?)
 窓の向こうは真っ暗な宇宙、ポツリポツリと浮かんでいる星。
 いつの間に宇宙船などに乗ったのだろうか、宙港には行っていないのに。
 家を出て、二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
 そういう風に歩いて行った。
 ネバーランドへの行き方通りに、そう、あの本に…。


(ピーターパン…!?)
 ネバーランドへの行き方を教えてくれた本。
 こうやって行けば辿り着けると教えてくれた宝物。
 あの本を何処へやっただろうか、大切に持って家を出たのに。
(置き忘れた…?)
 パパ、ママ、と叫ぼうとして気付いた記憶の空白。
 ぽっかりと開いてしまっている穴、霞んでしまった両親の顔。
 住んでいた家も、周りの景色も。


(忘れなさい、って…)
 誰かが自分にそう言った。冷たい響きの機械の声で。
 それでは自分は忘れたのだろうか、本だけではなくて色々なことを。
 両親の顔も、暮らしていた家も、当たり前だった景色でさえも。
(ピーターパンの本も…)
 記憶と一緒に置き忘れたろうか、今となっては思い出すことすら出来ない場所へ。
 ネバーランドへの行き方が書かれた大切な宝物だったのに。


 全部失くした、と俯いた膝の上に見付けたピーターパンの本。
(……ピーターパン……!)
 あった、と抱き締めた宝物。
 この本は一緒に来てくれたんだ、と。
(荷物は駄目って言われたけれど…)
 この本を持って出掛けて良かった、きっと何処までも行けるのだろう。
 駄目だと言われた荷物を自分は持っているから。
 失くさずに持って来られたから。


(二つ目の角を右へ曲がって…)
 後は朝までずうっと真っ直ぐ。
 そうすればいつかネバーランドへ、地球へ一緒に行けるのだろう。
 ピーターパンの本と一緒に、きっと何処までも。
 両親の記憶も、きっと戻って来るのだろう。
 二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
 そうやって本を持って来られたから、宝物を持って来られたから。
 いつかみんなで行けるのだろう。
 両親と、それに宝物の本と一緒に、きっと地球まで。


 二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
 ピーターパンの本が教えてくれた通りに進んでゆけば。
 きっといつかはネバーランドへ、もっと素敵な青い地球まで…。

 

         大切な本・了

※シロエが持っていたピーターパンの本。持ち込みオッケーだったんかい! と思った遠い日。
 なんで今頃、自分がシロエを書いているのか、あの本以上に不思議です…。






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